1章
あなたの名前
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病室の扉を閉める。
時間を確認し、今日はやはり戻らず帰ろうかと考えていると、背を向けた病室からショスナトの叫ぶ声が聞こえた。
彼は顔を真っ赤にして泣きそうな顔になっているのだろう。
容易に浮かぶその姿に顔が思わず綻んだ。
1人にしないで
涙を流し、掠れる声で縋る様にショスナトは私に言った。
あの表情は以前にも見た事がある。
初めて会った時。
その時も彼は同じように…
いや、今よりももっと…壊れそうだった。
◇
「全く…」
「やれんですなぁ」
車に乗り込む際に濡れてしまったコートは、手で触れるとジワリと水が染み出した。
小さく舌打ち。運転手は笑った。
忙しなく動くワイパー。
それに引けを取らぬ程、このタクシーの運転手の口も動く。
乗るべきではなかった、と後悔するが仕方無いと諦めた。
この土砂降りでは、どうしようもない。
「……」
運転手のつまらない話に適当な相槌を打ちながら窓の外へ目を向ける。
見渡す程の緑の芝。
そこは以前にも何度か葬儀で訪れた事のある墓地だった。
今日も、直接ではないが私の上官の葬儀がここで行われた。
職務中の死ではない。
かといって病死でもなく、事故でもなかった。
最近彼の指揮の元摘発したテロリスト集団。
その残党に、休日夫婦でドライブしていた際蜂の巣にされたのだ。
高い能力。部下の信頼も厚く、多くの人間の憧れと畏怖の念をものにしていた彼の、何ともあっけない死。
そんな葬儀に今日は多くの軍人が涙を拭っていた。
「…?」
ふと、目につく青い制服。
それは紛れもなく私と同じもので、今日の参列者にしては時刻は遅くこの雨の中傘もコートもないのはおかしな話である。
「…とめてください」
少しばかり湧いた好奇心に騒がしい車を降りた。
雨は先程よりは和らいでいたが、それでもまだしっかりとコートを重くしていく。
じくりと芝が沈む感覚を足で捉えながら到着すると、目の前にあるのは確かに今日の“主役”の墓だった。
「もう葬儀は終わりましたよ」
横に立ったことに気付いた様子もない男。
私の言葉にピクリと身体を揺らすと、ゆっくりとした動作でこちらを向いた。
「、…」
その顔を見て少しばかり驚く。
透き通る金髪と、くすんだ蒼い瞳。
話に聞いた事のある、ここで眠る男の息子だった。
『…分かってます』
墓石へと向き直る男は雨で掻き消されそうな程小さな声で告げた。
今日の葬儀にこの男はいただろうか?
整った顔は寒さからか青ざめ、唇の赤を引き立たせている。
随分と目立つ容姿。彼に見覚えはない。
『…葬儀、出る気にならなくて』
「…。」
沈黙をどう受け取ったのか男は自虐的に笑った。
しかしその声も表情もまるで笑っていると形容するには歪で、とても見れたものではなかった。
何か言うべきか、と墓石に顔を向ける。
すると身体を打つ雨が突然止んだ。
『…風邪、引きますよ』
横を見ると男が傘をこちらに差し出していた。
傘を持っていたのか?
ならば何故今まで使わなかったのか。
「…結構です。貴方が使ってください」
『そうはいかない、大切な身体だ』
「貴方の身体も大切でしょう」
『でも…父に叱られますから』
男は少し間を空け冗談を言うような調子で笑った。
張りのない声。いびつな表情。
そんな冗談になんと言い返せと言うのか。
「……全く」
白い息が浮かんで消えた。
雨で重くなり脱ぎづらいコートを何とか脱ぐ。
地面に付かぬ様気をつけ、それを男の前に差し出した。
困惑の表情を浮かべる男。
待っていても受け取る気配が無さそうで、そのまま男の肩にかけてやった。
とても重く冷たいが、着ていればいずれ寒さは違うはず。
『え?あ、俺そんなつもりじゃ、』
「等価交換です」
『とうか…?』
動揺し聞き慣れぬ言葉に意識が向き、揺れる傘を男の手から奪い取った。
微かに触れた手。
それはまるで死体の様に冷たかった。
『……ありがとう、ございます』
震える声で男はそう囁くと、身体を包むコートの端を握りしめ俯いた。
それを傘を差した私が見ているだけ。
お互いに雨で身体は濡れ、滑稽だ。
また白い息が浮かんで消えた。
来た道を見れば私を降ろしたタクシーがまだ待っていた。
これ以上ここに居ても意味はない。
そう判断して、来た時と同じく軍靴が芝を押し潰す感覚を味わいながら車へ向かった。
雨の代わりに騒がしい運転手の声が車内に降り注がれる。
外を見れば男はまだ立っていた。
「…ショスナト・クライスラー…」
確かそんな名前だ。
あのクライスラーの一人息子。
「…暇つぶしにはなりそうですね」
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これほど書くのに
時間かかった話はない