持ちつ持たれつ?

「うわわわ」

 急に立っていられないほどの目眩に襲われ、るくらはその場にしゃがみ込んだ。
 平衡感覚が失われ、ちゃんとしゃがめているのかも分からない。視界はぐるぐる回っていて、悪夢のように感じられた。
 手探りで近くの縁石を辿り、なんとか腰を下ろした。
 現在は午前五時過ぎ。こんな朝早くに車はそう通らないはずで、轢かれる心配はない。そもそも、夜明け前の路地には人の気配すらない。

「やばい……。働いた後にこの仕打ちって、冬は厳しいね」

 油断した。冬の終わりとはいえ、まだまだ寒さは厳しい。寒がりなるくらは念入りの防寒仕様で家を出たが、それでも駄目な時は駄目らしい。
 フードを被り、マフラーに顔を埋めた。上着のポケットからカイロを取り出して手袋を外した両手で握る。冷え切った指に早く熱が戻るように祈りを込めて。

「……どうやって帰ろう」
 
 体は動かないが、思考は働く。
 とりあえず立てるぐらいに回復するのを待って……と考え始めたそのとき。
 すぐ近くで人の声がした。

「くらくら」

 ——クラクラ? 確かに目眩はひどいけど……。
 顔を上げるも、ぼやけて回る視界では目の前に人、としか認識できない。考えるよりも先に何か温かいものが頬に当てられた。

「飲むでおじゃるよ」

 心配の滲む声色に、最近どこかで聞いた語尾。
 るくらはペットボトルを受け取り、言われた通り飲んだ。温かいお茶が冷え切った体に染み渡っていく。何口か飲んでようやく体の調子が戻ってきた。
 落ち着きを取り戻したるくらは、自分を見下ろす恩人を見上げた。
 白いコートの下に紫色の着物が覗いている。
 やはり、ついこの間会ったことがある。

「ありがとう。——残下ざんげ、だっけ」
「ククク……礼には及ばぬ。覚えていてくれたんでおじゃるな」
「そりゃあ、ゴミについて力説されたばかりだし」

 それを聞いた残下はニヤリと笑みを浮かべた。
 この人物が白昼堂々ゴミを漁っていたところを、るくらが注意して片付けさせたのが数日前。あまりにも早い再会である。
 ……それにしても。まだ日も昇っていないこんな朝早くに、どうしてこんなにもタイミングよく現れたのだろう。
 尋ねると、残下は何でもないかのように答えた。

「見守ってたんでおじゃるよ、お主のことを」
「見守って……た?」
「お主が雪かきを始めたときから、ずっとでおじゃるな」
「え……」

 衝撃的な発言に、るくらは絶句した。
 夜に降り積もった雪を除けるため、一人早起きして雪かきをしていたのは事実。人助けを生業としているるくらにとっては、大したことではない。
 しかし、終わって帰ろうとしたところで寒さと目眩に襲われ座り込んだ。作業していたのは一時間強ほど。
 その間、この人はるくらのことを、見ていたというのか。ずっと。
 再び悪寒が走った。恐る恐る問いかける。

「ストーカー?? な、何の恨みが? この前のを根に持ってたり?」

 残下は「いや」とかぶりを振った。それから一歩引き、両手を腰に置いて話し始めた。

「ただお主のことが気になっていただけでおじゃるよ。……麻呂に常識を説いた人間は、これまでいなかったからの。だから、その——」

 どうやら興味を持たれているらしい。
 言い淀んだ残下に、るくらは続きを促す。

「……つまり?」
「後をつけてはいたけれども、ストーカーではない!」

 意味が分からない。
 るくらは冷静にツッコミを入れる。

「それをストーカーって言うんだよ」

 相手は一瞬固まった。それから右手を顔の前で握り——、

「にゃーん♡」

 何故か猫の真似をしだした。もしかすると、ごまかしているつもりだろうか。可愛らしくはある。

「……否定できなかったの?」
「……にゃ」

 猫の真似を続けながら、残下が一歩下がった。

「とにかく、早く帰るんでおじゃるよ〜」

 そう言い残し、走り去っていった。あっと言う間にその姿は見えなくなる。まるで風のように現れ、消えた。
 るくらの手元には、まだ温かさの残るお茶。それを両手で包みながら残下の去った方向をぼんやり眺める。
 なんだかんだあったものの、助けてくれたのは事実。不思議な印象だ。ゴミの散らかしを注意したときも、案外素直に聞き入れていたし——。

「悪い人では…………、いや」

 そもそもゴミを漁っていた時点で常識外れだ、と思い直した。その上、ストーキング行為を堂々と宣言していたし。
 良い面も悪い面もある。大抵の人がそうだが、残下は特に極端だ。

「……でも」

 普段は困っている人を助ける側の自分が、助けられる側になった。その事実が、不思議と心に残った。
 るくらは立ち上がり、帰路についた。
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