奇行を受容せよ【やや腐】

「奥歯を見せてください。定期検診です」
「嫌だ。いつから歯医者になったんだよ」
「遠慮しなくてもいいんですよ」
「遠慮じゃなくて拒絶だ。その手を下ろせ」

 普段より頭がおかしくなっているとれもが妙な要求をしてきたので、べきせはいつも通り拒否した。
 今は6月。だんだん暑くなり始める季節ではあるものの、日はとうに沈んでいるため少し肌寒くもある。
 しかし暑さに人一倍弱い体質のとれもは、初夏の気温に耐えられなかったらしい。持ち前の特殊体質――暑すぎると奇行に走ってしまうという、厄介な体質だ――を発動してしまった。
 とはいえそんな体質で二十年以上は生きているので、ある程度はコントロールできているはず。そんなとれもが、何故このタイミングで奇行状態に陥ったのか。

「謎に電気代ケチりやがって……」
「ケチったのではなく地球温暖化対策です。マクロな視点に立っているのです」

 この通り、本人が節電を理由に扇風機をつけなかったからである。完全に自業自得と言えよう。
 奇行中の記憶をとれもは覚えておらず、被害に遭うのはいつも周囲の人である。その大体がべきせであり、今日もそうらしい。
 ため息をついてべきせは立ち上がった。
 奇行状態になったとれもは涼しいところで放置しておけば短時間で元に戻る。大人しくしてくれればいいのだが……。
 とりあえず扇風機のスイッチを押し、風量を強にした。

「エアコン代をケチって熱中症になる人と同じだな」

 振り返ると、床に座っていたとれもの姿は消えていた。一瞬だけ戸惑う。
 ――いなくなった? ……まあ、その辺にいるだろう。外に出ることはまずないし。
 早速何か意味不明なことをしているに違いない。実害を受ける前に捕獲して、正気に戻さなければ。
 何度も訪れているので、とれも宅の間取りは頭に入っている。近くから探していこうとべきせは居間を後にした。

 探し始めてすぐにとれもは見つかった。廊下に落ちていたのである。
 大きいゴミ袋に、体育座りを横倒しにした体勢で入っていた。体の半分ほどが袋に収まっており、頭や肩は外に出ている。
 そんな状態で床の一点を凝視しながらじっとしている。
 本当に頭がおかしい。普段からとれもは頭のネジが外れたような言動をとるが、奇行状態ではそれが更に加速し、手がつけられなくなる。
 べきせは呆れながら芋虫のような姿勢の友人に声をかける。

「そのまま燃えるゴミに出してやろうか」
「環境に悪いですよ。生き埋めにしてください。一度くらいは微生物に分解されてみたいんです」
「きみみたいなやつを埋めたら奇行要素が土から伝染して、その一帯みんな狂人になるだろうな」
「ふふふ、全員私の眷属となるがいいです」

 起き上がろうとしたとれもはバランスを崩して再び床に倒れた。袋にはまって動けないらしい。
 身動きできないのは大変都合がよい。べきせは袋の端を掴み、動けない友人を引きずりながら居間に戻ることにした。

「運ばれている時の死体ってこういう気持ちなんですね」

 よく分からない発言が聞こえたので無視した。

 居間の扇風機の前に袋ごと放ると、とれもはくねくねと蠢き出した。正に芋虫である。
 脱出を試みているようだが、すっぽりとゴミ袋に収まった体はなかなかうまく動かせないらしい。
 その様子をべきせは手を貸すことなくじっと監視する。
 とれもは左右に体を揺らし、袋から少しずつ抜け出そうとしている。しかし勢いが強かったのか、横にぐるりと一回転した。丁度べきせの足先で止まったとれもの表情は諦めを帯び始めていた。

「私に寄り添ってくれるのは床だけです……」
「アホか」

 一切の感情が消えた無の表情で床を見つめている。そんな様子を見て、ある考えが浮かんだ。
 ――一度、奇行を全く止めず好きにやらせてみたらどうなる? 満足して元に戻るのか?
 とれもが奇行に走り始めた時、べきせはいつもなんとか止めようとしている。――実際に止められているかはさておき。その結果、被害を一身に受けている気がする。
 ――いちいち止めるのも面倒になってきたしな……。
 突発的な思いつきを試すかどうか迷うべきせの足元で、完全に諦めたらしいとれもはもがくのを止めた。灰色の眼がべきせを見上げる。

「今のでますます暑くなりました。このままでは干からびて細胞の一欠片も残らずに消えてしまいます」
「自業自得だ。丈夫な体に生まれ変われるよう祈っておけ」
「どうか哀れな子羊を助けてください。五体投地したいのですができないのでこの通りです。なむなむ!」
「多宗教だな」

 不自由な両手を組んで、人にものを頼むには明らかに不適切なワードを言うとれも。
 この"哀れな子羊"を無視して放っておくか、救出するか。べきせの頭の中で天秤が揺れる。
 自由の身になって動き回られると、奇行による被害が拡大するのは間違いない。一方で、せっかくだからと思いつきを試したい気持ちもある。

「……よし」

 しゃがんでゴミ袋を引っ張り、剥ぎ取る。自由の身になったとれもが起き上がった。
 好奇心を満たすほうの選択肢をべきせは選んだわけである。吉と出るか凶と出るか……。

「よくやってくれました。褒めてあげましょう」

 何故か頭を撫でられた。
 ほとんど未知の体験に鳥肌が立つ。撫でるとれもの手を振り払いたい気持ちを抑える。成人男性が頭を撫でられている光景は、あまりにも倒錯的だが……。
 今日はもう奇行を止めないことにしたのだから、何があろうと甘んじて受け入れるしかない。撫でる手が止まるのを大人しく待つ。
 しかし落ち着かないものは落ち着かない。べきせは逃げるように視線を床に向けた。
 そんな様子を見てか、とれもが感想をこぼした。

「なんだかガキみたいですね。よしよし」
「子供、な。――いや子供じゃないぞ」

 案外と口の悪いとれもにツッコミを入れる。その間もべきせの頭上を往復する手は止まらない。
 髪を掻き分けられるむず痒さに心が波打つ。
 ここでふと気付いたことがある。撫でられるくすぐったさを誤魔化すように、べきせは尋ねた。

「奇行中はやけに距離が近くなるよな? ロッカーの時といい、その前といい。今もそうだ」

 2ヶ月ほど前、とあるきっかけで二人してロッカーに入ったことがある。当然密着して暑くなり、当然とれもは奇行を繰り広げた。

「あの時は散々な目に遭った……」
「べきせが近くにいるからですよ。私は悪くありません」
「人のせいにするなよ」
「責任転嫁は任せてください。全力で他責をサポートします」

 何故か自信に満ちた表情でそう言い残したとれもは、すっくと立ち上がり廊下に出ていった。途中で壁のスイッチを押し、居間の灯りを消しながら。
 ――なんだあいつ……。電気消すなよ。
 撫でられるむず痒さから解放されたと思ったら、暗い中にぽつんと一人残されたべきせ。とりあえず髪を直し、他にやることもないのでとれもの後を追って居間を出た。
 またゴミ袋に入っていないだろうな、と家主の姿を探していると、玄関のほうに向かう姿が見えた。
 まさか外に出るのかと思いきや違うらしく、三和土の前で引き返した。同時に廊下の照明が消える。どうやら家中の電気を消して回っているらしい。

「闇に身を浸すのが私の使命です」

 意味不明な発言と共に今度は二階へと上がっていく。べきせは追いかけるが、照明なしに階段を上がるのに手間取ってしまった。
 壁に手をつきながら上り、なんとか二階へ到達する。真っ暗な廊下の行き止まりで佇んでいるとれもの姿を、辛うじて認識できた。

「――天使が呼んでいます」

 また妙なことを言い出しながらこちらに振り返った。べきせは率直に言葉を返す。

「薬やってんのか? 犯罪には手を染めないと信じていたんだが……」
「天使は仰せです。衝動買いは止めなさいと」
「はあ」
「買わなければ100%オフです。買う前によく考えなさいと」
「そりゃそうだろ」
「でもたまには欲望のままにポチっても許されますよと」
「随分世俗的な天使だな」
「そしてこれがそうです」

 そこでとれもは懐から何かを取り出した。のだが、暗いのでべきせには全くもって見えない。

「見せたいものがあるなら電気をつけろ」
「しょうがないですね」

 パチっと灯りがついた。反射的に瞬きをするべきせに対し、とれもは動じていない。なんなんだこいつ、と思いながらその手元を見ると、筆箱のような細長いケースを持っている。何が入っているのかは検討もつかない。
 とれもがケースを開ける。中には細長い棒が収められていた。上端に白い綿毛がついていて、その反対側は匙のようになっている。

「お高い耳かきです。誘惑に屈して買ってしまったことを懺悔します」
「そうか」

 一瞬、神を自称する猫好き人間の顔が頭に浮かんだが、今そんなやつのことはどうでもいい。
 そういえば目の前のこの奇人は耳かき屋なる職業に就いているのだった。いつも暇そうにしている上、べきせもとれもも一緒にいる時に仕事の話などしないので、すっかり忘れていた。

「で、その高い買い物を見せびらかしたかったのか」
「その通りです。よく分かっていますね」
「……ええ?」

 皮肉を肯定されて戸惑うべきせをよそに、とれもは懐に耳かきをしまった。今日はずっと持っていたのだろうか。奇行を抜きにしても、変わっている。
 ところで、今回は涼しい場所にいたわけではないが、経過時間からしてとれもは奇行状態から元に戻ってもおかしくはない頃合いである。これまで奇行に振り回されてきた経験則からの勘だ。

「そろそろ正気になったか?」
「まるで私がおかしいかのような言い方ですね。常に正気ですが?」

 そう言い張りながら電気のスイッチに手を伸ばすとれも。辺りは再び暗くなった。

「……まだ駄目みたいだな」

 べきせは息を吐いた。もうしばらく奇行に付き合う必要がありそうだ。
 ちなみに、正気か否かの判別方法は簡単である。何も覚えていない素振りをしたなら正気に戻っているが、自分は正常だと言い張るのならまだ奇行状態である。
 今のとれもの反応は完全に後者であり、まだ元には戻らないらしい。

「こっちです、べきせ」

 不意に左の手首を掴まれ、引っ張られた。転びそうになったが踏みとどまる。
 手を引かれて闇の中を少し進むと、背後から扉の閉まる音がした。続いてガチャリと施錠の音も。……施錠?

「後付けした鍵なんですが、ちゃんとかかりますね」
「今かける必要なくないか?」

 今度は何をしでかすつもりなのか。全ての奇行を受け入れるとは決めたものの、一抹の不安がべきせの心をよぎった。
 とれもの謎発言は続く。

「窓も閉まっているので、ここは密室ですね。密室殺人ができてしまいます」
「どうせ見つかるぞ。やめておけ」
「ものすごいトリックで完全犯罪を成し遂げればいいんですよ」
「絶対何も考えてないだろ」

 なんとも中身のない会話である。かと言って普段は中身のある話をしているわけでもないが。
 それで、とべきせは話を切り替える。

「ここは何の部屋なんだ。何をするつもりだよ」

 この家には何度も来ているが、二階に上がることはあまりない。おまけに今は灯りもついておらず、窓から差し込む外の光――街灯だろうか――だけが光源である。
 そんな状態では部屋の内装などよく分からないため、本当に未知の場所にいるようだ。

「書斎――まあ本置き場ですね。そして」
「そして?」

 目の前のとれもが一歩踏み出し、べきせにずいと迫る。近い。
 両腕を掴まれた。

「今から剥製を作ります」
「……一応聞くが、何の?」
「分かっているでしょう? ふふふふ……」

 両腕を握るとれもの手に力が込められる。窓からの淡い光を背にしたその目に狂気が光る。
 奇行を受け入れるどころか、逆に呑み込まれるような感覚に陥った。
 鳥肌が立つ。なんだか本当に剥製にされてしまいそうな気がした。

「とりあえず皮を剥がないとですね」
「死ぬぞ。殺しはやめとけってさっき言っただろ」
「そう怯えないでください。痛くはしませんから」
「話通じねえ!」

 流石に剥製になるわけにはいかない。第一、死にたくもなければ、この狂人を殺人犯にもさせたくない。
 身を硬くしてとれもの出方を窺う。暗い中を闇雲に動くのは危険なので仕方がない、と自分に言い聞かせる。下手に刺激するのもまずい気がした。
 とれもの右腕がゆっくりと上がっていく。
 凶器になる物を持っているわけでもないが、一体何を――。
 冷や汗が額を流れる。べきせは顔を背けた。
 次の瞬間、頭皮にブチッと感触を覚えた。
 同時に鋭い痛みも走る。

「痛え!」
「ふむ、これでいいでしょう」
「人の毛を抜くな!」

 無断で抜いたべきせの髪の毛を指先に摘み、満足そうな表情を浮かべるとれもに抗議の声を上げる。
 全く意に介さない様子で狂人は言った。

「やっぱり剥製は可哀想なので、藁人形で勘弁してあげます」
「なんだその意味不明な妥協は」

 毛をくるくると指に巻きつけているとれもに突っ込む。が、次第に、奇行状態の人間にいちいちツッコミを入れても仕方ないのではないかと思えてきた。
 緊張を解いた途端にどっと疲労が押し寄せる。

「早速作ってきますね」
「もう好きにしてくれ……」

 疲労の原因が部屋を出ていき、べきせはその場にへたり込んだ。
 壁に背中を預けてうなだれる。

「疲れた……」

 いつもの何倍も気力を使っている。
 そろそろ本当に正気に返ってほしい。さもないとべきせのほうが本物の死体になってしまいそうである。
 ――というか、藁なんて持ってるのか? 何のために?
 あるからこそ藁人形を作るなんて芸当をしているのだろうが、そもそも藁が何故一般家庭にあるのか。よく分からない。やはりとれもの言動については考えるだけ無駄なのかもしれない。
 そうして屍のようにうなだれていると、足音が聞こえ、とれもが戻ってきた。勢いよく開かれた扉が鬱陶しい。

「完成です」

 顔を上げたべきせの眼前に、上機嫌な声色と共に作りたての作品が突きつけられた。
 藁人形らしく不気味な見た目だ。これに自分の髪の毛が入っていると思うとぞっとする。

「呪うなよ」
「まさか。愛情込めて可愛がりますよ。ねえ♡」

 藁人形に話しかける怪人物が自分の友人であるという事実は、かなり嫌だ。

「気色悪っ……」
「そんなこと言ってるけど実は満更でもないって、知ってますからね」
「人の内心を捏造するな」
「いつも辛辣ですけど、本当は素直になれないだけなんですよね。私は理解ってますよ」
「おいマジでやめろ!!!」


 * * *


「もう駄目だ……」

 あまりの疲労に動くことすら億劫になったべきせはテーブルに突っ伏した。体中の細胞全てが休息を求めている。
 ここは居間で、ちゃんと電気もついている。ようやくまともな日常に戻ってこれた。

「……今までの記憶がないのですが、またやってしまったのでしょうか」

 正気に返ったらしいとれもの声が聞こえたが、反応するのも面倒である。この疲れ切った姿を見て、大体のことを察してほしい。

「……ん、これは藁人形? なんでこんなものがポケットに入っているんでしょう」

 ――自分で作ったんじゃないか、人の髪を引っこ抜いて。
 と応えるのも億劫なので無視する。

「べきせ、差し上げます。大事にしてくださいね」

 突っ伏しているべきせの頭のすぐ近くで音がした。とれもがテーブルに藁人形を置いたらしい。

 ――いらねえ。処分に困ったからって人に押し付けるな。
 と返すのも煩わしいので無視する。

「……奇行の戒めとして全身を冷やしてきます。心頭滅却です」

 正気にも関わらずよく分からないことを言い出した家主を追い払うように手を振ると、足音と共にその気配は遠ざかっていった。
 トラブルメーカーもいなくなり、ようやく一息つけるようになったべきせ。その脳は思考をまとめ、今回の教訓を導き出した。
 とれもの奇行は止めなければならない。さもなくば自分の気力が削られ、動けなくなるまでに疲れ果てる、と。
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