アホ毛パニック
「なんてことっす……」
長身の男性――礎数 が目の前の光景に言葉を失い、立ち尽くす。
その隣で妥木 は悲しげに目を伏せ、まるで交通事故に直面したかのような悲痛な面持ちで呟く。
「これがアホ毛に乗っ取られた人間の末路だわ。5人とも、――みんなのことは忘れないわ……」
「安らかに眠れっす……」
二人して無言でお通夜のような空気に浸る。すると。
(麻呂は乗っ取られておらぬが!? 勝手に殺すなでおじゃるぞ!!!)
残下 ――今は黄色いイナズマ型のアホ毛に姿が変わっている――が妥木の頭上でぴょこぴょこ跳ねて主張する。
妥木と礎数の前では――4本のアホ毛がくねくねしていた。かつては親しい友人たちの、その頭から生えていたものである。
青いハート形のアホ毛はみぺりである。ハートの形を保ったままぴょんぴょん飛び回っている。
赤い下向きのアホ毛はとれも。そっと風に揺れている。
薄い茶色で三日月形のアホ毛はるくら。右に左に回転している。ひょっとしたら周りを見渡そうとしているのかもしれない。
暗い緑色の尖っているアホ毛はべきせ。床に倒れており、ほとんど動かない。ふて寝しているような気がする。
本人たちの元の性格が反映された行動をとっている気がしなくもないが、まだまともな残下曰く、この4人に自我はもう残っていないらしい。
一体何があってこんなことになったのか。事態は数時間前に遡る。
* * *
「よし、今日はこんなとこかな」
「今日もありがとう、るくらさん」
妥木 はるくらと共に自室を片付けていた。正確に言えば、るくらが主に作業をし、妥木はその手伝いをしていた。
部屋に出たゴキブリを退治してもらって以来、るくらは時々妥木の散らかった部屋の掃除と片付けをしに来てくれる。
何時間もかけて生活空間を取り戻した後、毎回恒例となっている食事(妥木の奢り)に行こうとしているところであった。
「行きましょうか」
「うむ。こないだ行ったパン屋の――」
るくらの声が突然途切れた。先に玄関に向かおうとしていた妥木はどうしたの、と振り返る。――ところが。
「あれ? るくらさん?」
振り返った先には誰もいない。綺麗になった部屋を見渡しても、るくらの姿はどこにも見当たらないどころか、人の気配すらない。静寂が空間を満たしている。まるで最初から他に誰もいなかったようである。
つい何秒か前まではいたのに……。
妥木はキョロキョロとるくらを探して室内を見渡す。が、どこにもいない。
「どういうこと……?」
さまよう視線がふと足元に落ちる。そこには、薄い茶色の塊が落ちていた。
手に取ると、毛であることが分かった。るくらの髪の色と同じである。なんだか見覚えのある形をしている。――るくらの頭でいつも揺れているアホ毛のような……。
「……………………え!?!?」
アホ毛を残して、るくらが消えてしまった!? どうしよう。本当にどうしよう!?
――救急車呼ぶ? ……でもこれ救急車案件なの?
よく分からない。
冷静になるため、妥木はるくらのアホ毛を持ったまま外に出た。ひとまず空を見て落ち着こうとすると、隣室のドアが目についた。
「――あ!」
隣には妥木の隣人にして、るくらとも友人のべきせが住んでいる。とりあえず彼に相談してみよう。いるか分からないけれど。
そう思い立った妥木がドアを叩く寸前、すぐ内側からガタンと物音がした。まるで何かがぶつかったような……。
ドアノブに手をかけると、鍵はかかっていなかった。勢いよく開けたドアの先には――うずくまるべきせの姿があった。
「べきせさん!? どうしたの!?」
「急に……力が、入らなくなって……。まずいな……」
妥木の声に顔を上げるべきせ。苦しそうである。目が合った瞬間、一瞬にしてその姿が消えた。
「また消えた!?!?!?」
しかも、今度は目の前で。またもや怪奇現象である。人が一瞬で消えてしまった。
その場にしゃがみ込んで観察すると、暗い緑色の毛が落ちていた。やはり見覚えがある。べきせの頭から生えていたアホ毛だ。
るくらとべきせのアホ毛を両手に妥木は考える。
友人二人が突然アホ毛だけを残して消えてしまった。偶然とは思えない。
妥木にはアホ毛は生えていない。しかし、友人たちの中にはアホ毛を持つ人があと何人かいる。もしかして……。
「嫌な予感がするわね」
妥木は急いでマンションを後にした。
「やっぱりみんな消えてるわ……」
妥木はため息をつく。その手には4本のアホ毛を握っている。
あの後。妥木はみぺりの住むアパート付近で青いアホ毛を、とれもの店(無人だった)で赤いアホ毛を発見したのである。それぞれみぺりととれものアホ毛に違いない。
例によって、本人たちの姿はいくら探しても見つからなかった。
「あとは残下 さんね」
神を自称する変な人――残下の頭上にもアホ毛が揺れていたのを覚えている。
残下はどこにいるのだろう。妥木は住所を知らない。
走り回って探すしかないかしら、と足を踏み出した妥木の脳内にそれは届いた。
(……だぼっくーよ……)
「な、何!?」
周りを見るが、妥木に話しかけた人は誰もいない。それどころか、急に大声を上げてキョロキョロする妥木に通行人の冷ややかな視線が突き刺さる。
(麻呂、麻呂でおじゃるけど。困ってるんでおじゃるよね〜)
「オレオレ詐欺!? ていうか直接脳内に……!」
反射的に入れたツッコミが思いの外大声で、またしても周囲からの冷たい視線に晒される。妥木は人気のない場所を求めて移動した。
「――ここなら大丈夫かしらね。残下さん?」
どこにいるとも知れない声の主――残下に話しかける。すぐに返答があった。
(声を出さずとも念じれば聞こえるでおじゃるよ)
(こう? テレパシー的な?)
(うむ。聞こえるのは麻呂と関わりのある者のみ。神の力でおじゃるよ。流石は麻呂でおじゃるな)
(………………)
自画自賛する残下に妥木は呆れる。
それにしても今日は不思議なことばかり起こるものだ。アホ毛を残して消えた友人たちに、何故かテレパシーを使える残下と自分。
もはや隕石が降ってきてもおかしくはない。
(それより大変でおじゃるよ。だぼっくーは無事でおじゃるか?)
(私は大丈夫。でもみんながアホ毛だけになっちゃって……)
(やはりか……。実は麻呂もでおじゃる。だぼっくーよ、河川敷近くの廃神社は分かるでおじゃるか?)
(あのゴミだらけのところ? 走ってる時見かけるわ)
ランニングが趣味の妥木はいつも同じルートを走っている。ゴミが不法投棄されまくっている神社の近くも通る。治安が悪いわね、役所とかがなんとかしないのかしら、と通る度に撤去されることを願っている。
(来てほしいでおじゃる。麻呂はそこにいるでおじゃるよ)
(分かったわ)
4本のアホ毛をポケットに入れ、妥木は急いで廃神社を目指した。
十数分で到着し、どこかにいるはずの残下に呼びかける。
「残下さーん? 着いたわよ」
(奥のトーテムポールのところでおじゃる)
「トーテムポール? ……奥のほうね」
たんすや大きな人形などの大物から、何かがパンパンに入った袋まで様々なゴミが捨てられている。辛うじて通れるところを探して妥木は神社の奥へ入っていく。
(止まって、左でおじゃる!)
「ん? あ、残下さん……のアホ毛」
音声ガイドの通りに左を見ると、画面にヒビの入ったテレビの上で黄色いアホ毛がぴょんぴょんしていた。これも見覚えがある。残下の頭でいつも揺れていた。
「なんでこんなところにいるのよ?」
(ここは麻呂の領地でおじゃるからな)
「ふうん? よく分からないわね」
(まあよい。――他の皆はどうしたでおじゃるか?)
「持ってるわ」
妥木はポケットから4本のアホ毛を出して残下に見せる。それぞれが思い思いにうねうねしていて、ミミズみたいで正直気持ち悪い。
残下は枯れた植物のようにシナシナになった。悲しみを表現しているのだろうか。
妥木は本日最大の疑問を口にした。
「何があってこんなことになってるの?」
(――あるウイルスが原因でおじゃる。それはアホ毛に自我を発生させ、人間を乗っ取らせるよう仕向けるのでおじゃる)
そんなウイルスが流行っているなんて、にわかには信じられない。妥木は率直な感想を述べた。
「んなアホな」
(アホ毛だけに、でおじゃるな)
「やかましいわよ。――アホ毛のない私は無事ってことね。みんなは元に戻せるの?」
(麻呂だけでも元に戻れれば、なんとかできそうでおじゃるが)
「残下さんがよく言ってる"神の力"ってやつかしら」
(その通り。お主も分かってきたではないか)
テキトーに言ったことを肯定されたので妥木は拍子抜けした。
普段の残下は浮世離れした雰囲気を纏ってはいるものの、ちんちくりんの子供という印象である。
あまりにも神アピールが多いので残下と関わる人は大体聞き流しているのだが、実は本当に神なのかもしれない。
妥木は残下のことがよく分からなくなってきた。
「残下さんは乗っ取られてないの?」
(麻呂は神でおじゃるからな。ウイルスごときに乗っ取られはしないであろうぞ)
残下は全身をぴんと張り詰めた。見えないドヤ顔が目に浮かぶ。
また神アピールである。
でも、と妥木は冷静に突っ込む。
「アホ毛だけになってるじゃないのよ」
(油断したでおじゃるよ……。猫ちゃんと戯れている真っ最中であったからの)
また枯れた植物のようにしぼむ残下。感情表現がいつもの数倍豊かである。
妥木は手に持ったままの4本のアホ毛をポケットにしまった。
そもそも、と妥木は話を元に戻す。
「そのウイルスってなんなの?」
(宿主のアホ毛に働きかけて意識を発現させ、人体を乗っ取らせる。そして人間をアホ毛に変え、大いなる何かに捧げるのが目的だと。感染経路は不明でおじゃる)
妥木はその光景をイメージしてみる。
宇宙のような空間に君臨した"大いなる何か"とやら。靄がかっていてどんな見た目かは分からないが、とてつもなく恐ろしい感じがする。
アホ毛姿の残下たちがそこに吸い込まれていき、靄の中へと消えてしまう。そしてエネルギーを得た"大いなる何か"は宇宙を飲み込んでいく。
――シュールすぎるわ。
「アホ毛ある人だけをピンポイントで狙うウイルスって何よ。それに大いなる何かって……」
(SFみたいでおじゃるよなぁ。ちなみに今の話はこの姿に変えられた時に読み取ったのでおじゃるよ)
思っていたよりも壮大な話だった。自分にできることなんてなさそう、と妥木は思った。しかし友人たちをアホ毛の姿のままにしておくわけにはいかない。
不意に強い風が吹き抜けた。妥木は髪を押さえる。
(ぐわーーーーーっ!!!)
「あっ」
叫びが頭の中にこだまする。テレビの上に残下の姿がない。風で飛ばされてしまったようだ。
「残下さーん? どこ行ったのよ?」
(こっちでおじゃる……)
「どっちよ」
(入口のほうでおじゃる)
神社の入口に戻ると、たんすの引き出しに残下が挟まっていた。妥木が救出すると残下はぶるぶる震えた。イナズマの形をしているので、雷らしい動きである。
(この姿では何もできぬでおじゃる。風には飛ばされるし、猫ちゃんとも触れ合えないでおじゃるよ。元に戻らねば)
「私にできることは?」
(麻呂の家に連れて行ってくれたもう。くらくらの家の近くでおじゃる)
「るくらさんの家のほう? 分かったわ」
残下をポケットにしまおうとすると、待て、と止められた。
(だぼっくーよ、この手を上に上げるでおじゃる)
「? こう?」
言われた通り残下を持つ手を掲げると、頭の上に感触を覚えた。
(おお、これが大人の景色でおじゃるか!)
どうやら残下が妥木の頭上に飛び乗ったらしい。妥木は女性にしては少し背が高いほうである。残下からするとかなり目線が高くなっただろう。
「行くわよ。今度は飛ばされないでよね」
(心配無用でおじゃるよ)
妥木は急ぎ足で廃神社を後にした。
しばらく歩き、もうすぐ目的地に着くというところで、妥木は後ろから呼び止められた。
「お姉さん! なんか落としたっすよ! ……何これ」
「え? ……あ」
振り返ると、ピンクの髪の男がしゃがんで黄色いアホ毛――残下を手に取り凝視していた。どうやら落ちてしまったようだ。
(うっかりでおじゃる。しかしこの姿だと地面に落ちても痛くないでおじゃるな)
「毛が喋ったっす!!!」
「……………………ん?」
――残下さんのテレパシー、この人にも聞こえてるの?
妥木は訝しむ。この軽薄そうな口調の人に妥木は会ったことがない。残下の知り合いだろうか。
残下が驚いたように跳ねた。
(その口調、そすっちでおじゃるか?)
「おじゃる……ってことは、残下ちゃんっすか!?」
(いかにも。――その姿、そういえば今日は第一木曜日であったな)
「そうなんです。レアバージョンっすよ」
お互いに口調で相手が誰か判断している。彼らは知り合いのようだ。
――ていうか普通に会話してるわね、この人。ツッコミどころ満載なのに……。
不思議な光景に妥木は脱力した。
(そすっち、時間あるでおじゃるか? 助けてほしいでおじゃるよ)
「大丈夫っすよ! 今日は丁度暇なんです」
(感謝するであろうぞ。――二人とも、この先のボロいアパ、ではなく風情のある年季の入った木造二階建て賃貸物件の1階、に行くでおじゃる)
「この先のボロいアパートね、分かったわ」
「何が始まるんすかね〜。……よいしょ」
"そすっち"は立ち上がった。かなり背が高い。驚きが妥木の口をついて出た。
「……でかっ」
「あはは、よく驚かれるっす」
"そすっち"はにこやかに笑った。
新たに増えた仲間を引き連れ、妥木は目的地である残下のボロアパートへ向かった。
* * *
「で、これどうするんすか?」
「どうするのかしらね?」
残下 の部屋にて。錆びてボロボロな外見の割に、意外にも内装は綺麗だった。古めかしいが、物が少なくすっきりしている。廃神社のようにガラクタだらけだと予想していたので妥木 は意外に思った。
部屋の中央には4本のアホ毛が蠢いており、その前に妥木と礎数 が立ち尽くしている。
礎数が発した疑問を妥木は受け流す。二人の視線は妥木の手の上に降りた残下に集中する。残下は一度くるっと回ってから言葉を発した。
(麻呂はこれから体を生やす。決して覗くでないぞ)
「恩返しっすか?」
「体って生やせるの?」
ツッコミを入れる二人をスルーして残下は部屋の片隅、敷きっぱなしの布団へとバッタのように飛んでいった。アホ毛が助走をつけて跳躍する光景を妥木は生まれて初めて見た。かなりの怪奇現象である。
手立てを持つ残下が取り込み中になり、妥木はやることがなくなってしまった。礎数も同じらしく、興味津々な様子で妥木に尋ねてきた。
「残下ちゃんって只者じゃないっすよね? 一体何者なんすか?」
「自分を神だと言い張るよく分からない人、かしらね。悪い人ではないんだけれど、謎が多いわね」
妥木も残下について詳しくは知らない。むしろ教えてほしいくらいである。
「神を自称してるんですか! ヤバいっすね。ますます気になってきたっす」
何故か表情を輝かせる礎数。ヤバい人が好きなのだろうか。
妥木は礎数と今日初めて会ったが、礎数と残下は顔見知りのようである。類は友を呼ぶということわざが妥木の脳内に浮かんだ。
傍から見れば自分もその中に含まれていることに妥木は気付いていない。
「妥木ちゃんと残下ちゃんは付き合い長いんですか?」
「去年に知り合ってから、たまに会ってるわ。――去年の冬、粗大ごみを出しに行ったらいきなり背後から残下さんが覗き込んできたの。"お主、いいものを持っておるな"って。通報しようとしたら逃げてったけど。それからちょくちょく現れるようになって、気付いたら仲良くなってたわね」
忘れっぽい妥木でも当時のことはよく覚えている。その時の残下はあまりにも不審だった。よくここまで仲良くなったものである。
それを聞いた礎数は大笑いした。
「あははは!!! 意味わかんないっすね! 怪しすぎる!」
「でしょ? 本当に不審者だったわ」
妥木は残下の入っている布団をちらっと見た。少し膨らんでいる。こちらの話は聞こえているはずだが、特に反応はない。
「自分は先週、たまたま話を聞いてもらったんです。残下ちゃんって聞き上手っすね。めっちゃ自分語りしちゃいました」
「確かにそうね。自然すぎて今まで気付かなかったわ」
そこで話の隙間を埋めるように電話の音が鳴った。妥木のスマホではない。
「電話っす。失礼しますね」
礎数が外に出ていった。話し相手が消え本格的に手持ち無沙汰になった妥木は、アホ毛たちの様子を動画で撮ることにした。
――みんなが元に戻ったら見せびらかしましょう。
くねくねしているアホ毛たちを動画に収め、ついでに何枚か写真も撮った。妥木のスマホに変な動画や写真が増えていく。
撮った写真を確認していると、不意に風が室内に入った。礎数が戻ってきたようである。
おかえりなさいと妥木が振り返ると、礎数は顔中に汗を浮かべていた。
「どうしたのよ」
「ウイルスの発生源が分かったっす……」
「今の電話? なんだったの?」
「研究所が原因みたいっす……」
「研究所」
見知らぬ単語が出てきたので妥木はオウム返しをする。この町にそんなすごそうな施設があるなんて知らなかった。
ええと、と少しの間を置いて礎数は言葉を続けた。
「人間の能力を向上させるって研究をしてる研究所があって、うちの兄貴がそこそこ上のポストにいるんすよ。あと自分も一応関係者です。――で、保管されていた門外不出のウイルスを持ち出して、ばらまいた人がいるらしいっす……」
なんだか映画のような話である。妥木は辛うじて感想を一言ひねり出した。
「穏やかじゃない、わね」
「管理不行き届きっす。本当に申し訳ないです。兄貴には切腹させるので、どうか許してほしいっす」
「切腹はしなくていいわよ!?」
「その通りでおじゃる!」
いつの間にか膨れていた布団ががばっと取り払われ、元の姿の残下が現れた。ちゃんと顔も体も手足もある。頭の上にはイナズマ型のアホ毛も健在だ。
「すごいわ、元通りね」
「どうやったんすか!?」
「企業秘密でおじゃるよ、ククク」
仁王立ちでニヤニヤしていた残下だったが、すぐに疲れた表情に変わった。
「自分の体を生やすのでだいぶ力を使ってしまった故、4人全員を完全に戻すのは難しいでおじゃるよ……」
「そんな……」
頼みの綱である残下がそう言ったので、一気に雲行きが怪しくなる。そんな中、礎数が弾かれたように立ち上がった。
「自分、研究所に行ってくるっす! 実はさっき、ウイルス用の秘薬が準備できたって言われました。本当はアホ毛たちを連れて行ければいいんですけど部外者立ち入り禁止なんで、秘薬、借りてくるっす! 待っててください!」
そう言うやいなや礎数は妥木と残下の返事も待たずに勢いよく外に飛び出していった。
残された二人は顔を見合わせる。礎数の帰りを待てば解決するだろうが、何もせずにただ待っているわけにもいかない。こちらもやれることをやるしかない。
「麻呂は力を回復しなければならぬ。だぼっくーよ、これらの物を集めてきてほしいでおじゃるよ」
「任せて。ぱぱっと集めてくるわ」
「くれぐれも気をつけて行くんでおじゃるよ。麻呂は皆を戻す準備をしているでおじゃる」
「オッケーよ」
妥木は残下が差し出したメモを受け取り、外に出た。歩きながらメモを見ると、書かれていたのはたった数行だった。
「氷に、腐葉土。……ポテチ(コンソメ)10袋、サイダー3本って何よ。どさくさに紛れて買わせようとしてない?」
呆れつつも妥木は手近なスーパーで買い物を済ませた。手に食い込む重さとかさばるポテチに苦労しながら残下の元に戻る。
妥木が室内に入ると、残下は4本のアホ毛を握りしめて瞑想していた。かなりシュールな光景である。
買い物袋の音に残下は目を開けた。そして大量のポテチを見るなり顔を輝かせた。
「おお、感謝するでおじゃるよ! グフフフ……」
「よだれ出てるわよ。ポテチ買わせて私腹を肥やそうとしてない? 汚職よ汚職」
「ポテチはエネルギーを補充するのに手っ取り早いんでおじゃるよ」
「本当かしら。ていうか氷溶けそうだけれど」
「――急がねば。覗くでないぞ」
口元を拭いながら残下はアホ毛たちと買い物袋を持ち部屋の隅っこに移動した。
布団に入り、何やらもぞもぞしている。バリバリとポテチを食べる音がした。一体何をしているのだろう……。
妥木は再び暇になった。やることもないので残下の入っている布団を見守る。
……どれくらい経った頃だろうか。布団から人間の足がにゅっと突き出てきた。
「うわ!?!?!? 誰!?」
衝撃的な光景をハラハラしながら見ていると、上半身が、そして顔が出てきた。よく知っている顔である。
「みぺりさん!」
出てきたのはみぺりだった。青いハート型のアホ毛と化していた姿は、すっかり元に戻っていた。しかし目を閉じており、呼びかけても何の反応も示さない。呼吸はしているようだった。
「元に戻れてよかったわ……」
みぺりの側に座り込んだ妥木は布団をちらりと見やる。もぞもぞしている。また誰かの足がぬるっと突き出ていた。少しずつ体が出てくる様はまるでプリンターのようである。
妥木は慌ててみぺりの体を壁沿いに移動した。
「……狭いわね」
それから何時間か経ち、全員の体が残下によって復活された。部屋の中には妥木と、横たわる4人に、布団に入ったままの残下。元々そこまで広くはない部屋が更に手狭になった。
4人は意識を失ったままで、いくら呼びかけても殴っても目を覚まさない。残下も布団から出てこないので、妥木にはどうすればいいのか分からない。
ここには6人も人間がいるのに、動いているのは妥木だけ。孤独を感じた妥木は膝を抱えて座り込む。
「………………」
「にゃーん……にゃんにゃんにゃん……」
布団がめくれ、残下が這い出てきた。疲れ切った顔で、何故か猫の鳴き真似をしている。
「残下さん!」
「力を使い果たしたでおじゃる……。猫ちゃんの真似をしないと正気を保てないでおじゃるよ……」
「お疲れ様。それでみんなは……」
妥木の問いに、残下は悲しみと悔しさが混ざったような表情をした。
「乗っ取られた自我を呼び戻すのは今の麻呂では難しいでおじゃる……。意識は実体がない分、慎重に扱わねばならぬ。万全の状態でなくてはむしろこちらが危ない」
「またポテチ買ってくるわよ?」
「いくらポテチがあろうともそんな短時間で全快はできぬ」
「じゃあ、できるのとはないのかしら」
「認めたくはないでおじゃるが、そうであろうぞ……」
残下の目から涙がこぼれた。
「麻呂の力ではこれ以上何もできぬでおじゃる……。うううぅ」
耐え切れず泣き出した残下。なんだか幼い子供になったみたいだ。
いつも飄々としている残下のそんな姿に、妥木はいたたまれない気持ちになった。どうにか宥めようとする。
「残下さん。残下さんはよくやってくれたわ。みんなの体を戻したんだから、かなりすごいわよ。残下さんがいなかったら、今頃私は何もできないままおろおろしてたわ。だから泣かないで。――きっとなんとかなるわよ。礎数さんを待ちましょう」
「うおおおん」
涙を拭ってやると、残下は抱きついてきた。妥木も残下の背中に腕を回し、落ち着かせるように撫でる。なんだか妹か弟ができた気分である。
「ばぶぅ……」
「…………………………」
やっぱり妹でも弟でもなく、赤ん坊かもしれない。
しばらくして、勢いよく外からノックの音がし、次の瞬間、礎数が入ってきた。急いで来たのか、肩で息をしている。
「持ってきたっす! …………あ、お取り込み中、だった、っすか?」
気まずそうな顔をする礎数。妥木は慌てて残下から離れようとしたが、残下が寝ているのでそのままの状態で話を聞くことにした。
「大丈夫よ。それより秘薬って」
「これっす!」
礎数が妥木の眼前に突きつけたのは、ジャムの瓶のようなものだった。ただし中身はジャムではなく、謎の茶色い物体である。まるで……。
「味噌?」
「完全に味噌ですよね、これ。でもちゃんと効くやつが混ざってるらしいっす。大丈夫なやつっすよ。自分が保証します」
「そ、そうなの」
礎数は研究所とやらの関係者だと本人は言っていたが、実際は使いっ走りなんじゃないかと妥木は思った。
礎数は寝ている4人を見た。
「アホ毛をこれに漬けて何日かすると戻るんですけど、……もしかして、この人たちっすか?」
「ええ。残下さんのおかげで体は戻ったの」
「マジですごいっすね! 自分が最後に見た時はぴょこぴょこしてたアホ毛だったのに。これなら早く効くと思います。残下ちゃんって本当に只者じゃないんすね〜!」
「そうでおじゃる……」
残下がむくりと起きた。まだ少し目が赤い。
「大丈夫なの?」
「麻呂を称える声は聞き逃さぬでおじゃるよ」
なんとも調子のいい人である。
それなら、と礎数が残下をまっすぐ見つめた。
「称えまくりますよ。残下ちゃんマジすごい! 神! マジ神! 救世主!」
「ふふん」
「語彙なさすぎでしょ……」
心は込もっていそうだけども雑な持ち上げをする礎数に、上機嫌になった残下。妥木は反射的に突っ込む。
さて、と礎数は手にした瓶を振った。
「これ、試していいですか?」
「うむ」
「ええ」
同時に返事をした残下と妥木に礎数はにこやかな笑みを浮かべた。
「アホ毛じゃなくて人間だから……経口?」
礎数は瓶を開け指を差し込む。味噌のようなものがついた指を一番近くに横たわるとれもの口に突っ込んだ。そのまま残りの3人にも同じようにしていく。
「残下ちゃんも、一応」
「ぐもっ!!」
最後に残下の口にも味噌のようなものを突っ込んだ礎数は、ティッシュで指を拭いた。
「これでよし。――安心してください。全部違う指を使ってます」
謎の釈明をした礎数は、指を拭いたティッシュをポケットにしまった。真剣な顔つきで残下に問いかける。
「残下ちゃん、どうですか?」
「……この世の調味料を全てごちゃまぜにするとこんな味がするんであろうなぁ……」
「あはは。面白い例えっすね」
「だ、大丈夫なの?」
困惑する妥木に二人は頷きを返した。礎数は続けて言う。
「人体に塗布したので、何日も放置しなくても近いうちに意識が戻るはずっす。――それじゃ自分はこれで失礼します。研究所戻らなきゃなんで。なんかあったらテレパシってください」
「ありがとう、礎数さん」
「礼を言うでおじゃるぞ」
妥木と残下のお礼に手を振りながら礎数は足早に去っていった。
礎数とは今日が初対面だが、きっとまた会えるだろう。仲良くなれそうな気がする。なんとなく妥木はそんな予感がした。
残下を見ると、何やら口をもごもごさせていた。
「効いてるの? その味噌みたいなやつ」
「全能感が爽快に全脳を駆け巡る感覚がガチでやばいでおじゃる」
「効いてるってことね。知らないけど」
「ハッピーでおじゃる。お主もどうかの?」
「間に合ってるわ。というかもうないでしょ」
完全に怪しい薬を勧める言い草である。
横たわる4人を見つめながら妥木は言葉をこぼす。
「みんな、ちゃんと起きるのかしら」
「ふむ。意識呼び戻しの儀を行おうぞ。今の麻呂ならできるでおじゃる」
味噌のようなもので力が回復したらしい。立ち上がった残下を待って、と妥木は止める。
「自然に目覚めるのを待ちましょう。これ以上残下さんが力を使わなくても、もう大丈夫だと思うわ」
「そうでおじゃるか? お主がそう言うのなら信じよう」
「ええ」
「――だぼっくーよ」
残下に真面目な声色で呼びかけられ、妥木がそちらを向くと、残下は柔らかく微笑んでいた。これまでに見たことのないくらい優しい表情である。
「お主は今日、よく働いてくれた。――ありがとう」
一瞬驚いた。妥木の頭には様々な返しが浮かんだが、全て飲み込んで、一言だけ告げた。
「どういたしまして!」
「ククク。これからも麻呂のために身を粉にして働いてもらおうぞ」
「米粉パン」
「それは勘弁してちょうだい。――今の何?」
「米粉パンの恨みを買って地の果てまで追い詰められる夢を見ました。恐ろしかったです」
「夢でよかったわね。――え!?」
「この意味不明っぷり、流石でおじゃるな……」
突然挟まった声に妥木と残下は振り返る。赤い髪の――とれもが起き上がっていた。
「意識が戻ったのね! よかったわ……」
「麻呂たちの奮闘のおかげでおじゃるな!」
妥木と残下は喜びに包まれ、ひしと抱き合う。そんな二人の様子をとれもは不思議そうに見ていた。
「……騒々しいな」
「――はっ。ここどこ?」
「あれ? みんないる! なにごと?」
べきせ、るくら、みぺりも続々と目を覚ました。数時間前までの静けさが嘘のように、室内は一気に賑やかになった。
みんなには話すことがたくさんある。アホ毛と謎のウイルスについて、協力してくれた礎数について、残下の神パワーについて。
とりあえず、アホ毛状態のみんなの写真を見せびらかそう。
妥木はスマホを取り出した。
* * *
それから。一通り状況の説明を終えた今、みんなはアホ毛状態だった時の話で盛り上がっている。
妥木は話の輪に加わっている残下の目を盗んでこっそり部屋の片隅に移動した。布団の前にしゃがみ、よくよく観察してみる。
一見どこにでもありそうなただの布団である。しかし残下はこの中で自身とみんなの体を戻していた。中はどうなっているのだろう……。
覗くなと残下は言っていたが、今この布団は使われていないのだから、覗いても大丈夫なはず。
心の中で言い訳をこねて、妥木はそっと掛け布団をめくる。
すると――真っ暗だった。ブラックホールのような黒が広がっていた。
「うわ……」
一度掛け布団から手を離し、まためくる。やはり闇が一面を覆っている。
手を入れてみると少し冷たさを感じた。全身で入ってみたくなったが、流石にやばそうだわと思い直し、やめておく。
――残下さんはいつもここで寝てるの?
ふと視線を感じた妥木は振り返る。残下がこちらを見ていた。
――やば、バレちゃったわ。
妥木が笑ってごまかそうとすると、残下はにやりとしながら人差し指を口に当てた。内緒ということらしい。
残下は本当に謎が多い。
長身の男性――
その隣で
「これがアホ毛に乗っ取られた人間の末路だわ。5人とも、――みんなのことは忘れないわ……」
「安らかに眠れっす……」
二人して無言でお通夜のような空気に浸る。すると。
(麻呂は乗っ取られておらぬが!? 勝手に殺すなでおじゃるぞ!!!)
妥木と礎数の前では――4本のアホ毛がくねくねしていた。かつては親しい友人たちの、その頭から生えていたものである。
青いハート形のアホ毛はみぺりである。ハートの形を保ったままぴょんぴょん飛び回っている。
赤い下向きのアホ毛はとれも。そっと風に揺れている。
薄い茶色で三日月形のアホ毛はるくら。右に左に回転している。ひょっとしたら周りを見渡そうとしているのかもしれない。
暗い緑色の尖っているアホ毛はべきせ。床に倒れており、ほとんど動かない。ふて寝しているような気がする。
本人たちの元の性格が反映された行動をとっている気がしなくもないが、まだまともな残下曰く、この4人に自我はもう残っていないらしい。
一体何があってこんなことになったのか。事態は数時間前に遡る。
* * *
「よし、今日はこんなとこかな」
「今日もありがとう、るくらさん」
部屋に出たゴキブリを退治してもらって以来、るくらは時々妥木の散らかった部屋の掃除と片付けをしに来てくれる。
何時間もかけて生活空間を取り戻した後、毎回恒例となっている食事(妥木の奢り)に行こうとしているところであった。
「行きましょうか」
「うむ。こないだ行ったパン屋の――」
るくらの声が突然途切れた。先に玄関に向かおうとしていた妥木はどうしたの、と振り返る。――ところが。
「あれ? るくらさん?」
振り返った先には誰もいない。綺麗になった部屋を見渡しても、るくらの姿はどこにも見当たらないどころか、人の気配すらない。静寂が空間を満たしている。まるで最初から他に誰もいなかったようである。
つい何秒か前まではいたのに……。
妥木はキョロキョロとるくらを探して室内を見渡す。が、どこにもいない。
「どういうこと……?」
さまよう視線がふと足元に落ちる。そこには、薄い茶色の塊が落ちていた。
手に取ると、毛であることが分かった。るくらの髪の色と同じである。なんだか見覚えのある形をしている。――るくらの頭でいつも揺れているアホ毛のような……。
「……………………え!?!?」
アホ毛を残して、るくらが消えてしまった!? どうしよう。本当にどうしよう!?
――救急車呼ぶ? ……でもこれ救急車案件なの?
よく分からない。
冷静になるため、妥木はるくらのアホ毛を持ったまま外に出た。ひとまず空を見て落ち着こうとすると、隣室のドアが目についた。
「――あ!」
隣には妥木の隣人にして、るくらとも友人のべきせが住んでいる。とりあえず彼に相談してみよう。いるか分からないけれど。
そう思い立った妥木がドアを叩く寸前、すぐ内側からガタンと物音がした。まるで何かがぶつかったような……。
ドアノブに手をかけると、鍵はかかっていなかった。勢いよく開けたドアの先には――うずくまるべきせの姿があった。
「べきせさん!? どうしたの!?」
「急に……力が、入らなくなって……。まずいな……」
妥木の声に顔を上げるべきせ。苦しそうである。目が合った瞬間、一瞬にしてその姿が消えた。
「また消えた!?!?!?」
しかも、今度は目の前で。またもや怪奇現象である。人が一瞬で消えてしまった。
その場にしゃがみ込んで観察すると、暗い緑色の毛が落ちていた。やはり見覚えがある。べきせの頭から生えていたアホ毛だ。
るくらとべきせのアホ毛を両手に妥木は考える。
友人二人が突然アホ毛だけを残して消えてしまった。偶然とは思えない。
妥木にはアホ毛は生えていない。しかし、友人たちの中にはアホ毛を持つ人があと何人かいる。もしかして……。
「嫌な予感がするわね」
妥木は急いでマンションを後にした。
「やっぱりみんな消えてるわ……」
妥木はため息をつく。その手には4本のアホ毛を握っている。
あの後。妥木はみぺりの住むアパート付近で青いアホ毛を、とれもの店(無人だった)で赤いアホ毛を発見したのである。それぞれみぺりととれものアホ毛に違いない。
例によって、本人たちの姿はいくら探しても見つからなかった。
「あとは
神を自称する変な人――残下の頭上にもアホ毛が揺れていたのを覚えている。
残下はどこにいるのだろう。妥木は住所を知らない。
走り回って探すしかないかしら、と足を踏み出した妥木の脳内にそれは届いた。
(……だぼっくーよ……)
「な、何!?」
周りを見るが、妥木に話しかけた人は誰もいない。それどころか、急に大声を上げてキョロキョロする妥木に通行人の冷ややかな視線が突き刺さる。
(麻呂、麻呂でおじゃるけど。困ってるんでおじゃるよね〜)
「オレオレ詐欺!? ていうか直接脳内に……!」
反射的に入れたツッコミが思いの外大声で、またしても周囲からの冷たい視線に晒される。妥木は人気のない場所を求めて移動した。
「――ここなら大丈夫かしらね。残下さん?」
どこにいるとも知れない声の主――残下に話しかける。すぐに返答があった。
(声を出さずとも念じれば聞こえるでおじゃるよ)
(こう? テレパシー的な?)
(うむ。聞こえるのは麻呂と関わりのある者のみ。神の力でおじゃるよ。流石は麻呂でおじゃるな)
(………………)
自画自賛する残下に妥木は呆れる。
それにしても今日は不思議なことばかり起こるものだ。アホ毛を残して消えた友人たちに、何故かテレパシーを使える残下と自分。
もはや隕石が降ってきてもおかしくはない。
(それより大変でおじゃるよ。だぼっくーは無事でおじゃるか?)
(私は大丈夫。でもみんながアホ毛だけになっちゃって……)
(やはりか……。実は麻呂もでおじゃる。だぼっくーよ、河川敷近くの廃神社は分かるでおじゃるか?)
(あのゴミだらけのところ? 走ってる時見かけるわ)
ランニングが趣味の妥木はいつも同じルートを走っている。ゴミが不法投棄されまくっている神社の近くも通る。治安が悪いわね、役所とかがなんとかしないのかしら、と通る度に撤去されることを願っている。
(来てほしいでおじゃる。麻呂はそこにいるでおじゃるよ)
(分かったわ)
4本のアホ毛をポケットに入れ、妥木は急いで廃神社を目指した。
十数分で到着し、どこかにいるはずの残下に呼びかける。
「残下さーん? 着いたわよ」
(奥のトーテムポールのところでおじゃる)
「トーテムポール? ……奥のほうね」
たんすや大きな人形などの大物から、何かがパンパンに入った袋まで様々なゴミが捨てられている。辛うじて通れるところを探して妥木は神社の奥へ入っていく。
(止まって、左でおじゃる!)
「ん? あ、残下さん……のアホ毛」
音声ガイドの通りに左を見ると、画面にヒビの入ったテレビの上で黄色いアホ毛がぴょんぴょんしていた。これも見覚えがある。残下の頭でいつも揺れていた。
「なんでこんなところにいるのよ?」
(ここは麻呂の領地でおじゃるからな)
「ふうん? よく分からないわね」
(まあよい。――他の皆はどうしたでおじゃるか?)
「持ってるわ」
妥木はポケットから4本のアホ毛を出して残下に見せる。それぞれが思い思いにうねうねしていて、ミミズみたいで正直気持ち悪い。
残下は枯れた植物のようにシナシナになった。悲しみを表現しているのだろうか。
妥木は本日最大の疑問を口にした。
「何があってこんなことになってるの?」
(――あるウイルスが原因でおじゃる。それはアホ毛に自我を発生させ、人間を乗っ取らせるよう仕向けるのでおじゃる)
そんなウイルスが流行っているなんて、にわかには信じられない。妥木は率直な感想を述べた。
「んなアホな」
(アホ毛だけに、でおじゃるな)
「やかましいわよ。――アホ毛のない私は無事ってことね。みんなは元に戻せるの?」
(麻呂だけでも元に戻れれば、なんとかできそうでおじゃるが)
「残下さんがよく言ってる"神の力"ってやつかしら」
(その通り。お主も分かってきたではないか)
テキトーに言ったことを肯定されたので妥木は拍子抜けした。
普段の残下は浮世離れした雰囲気を纏ってはいるものの、ちんちくりんの子供という印象である。
あまりにも神アピールが多いので残下と関わる人は大体聞き流しているのだが、実は本当に神なのかもしれない。
妥木は残下のことがよく分からなくなってきた。
「残下さんは乗っ取られてないの?」
(麻呂は神でおじゃるからな。ウイルスごときに乗っ取られはしないであろうぞ)
残下は全身をぴんと張り詰めた。見えないドヤ顔が目に浮かぶ。
また神アピールである。
でも、と妥木は冷静に突っ込む。
「アホ毛だけになってるじゃないのよ」
(油断したでおじゃるよ……。猫ちゃんと戯れている真っ最中であったからの)
また枯れた植物のようにしぼむ残下。感情表現がいつもの数倍豊かである。
妥木は手に持ったままの4本のアホ毛をポケットにしまった。
そもそも、と妥木は話を元に戻す。
「そのウイルスってなんなの?」
(宿主のアホ毛に働きかけて意識を発現させ、人体を乗っ取らせる。そして人間をアホ毛に変え、大いなる何かに捧げるのが目的だと。感染経路は不明でおじゃる)
妥木はその光景をイメージしてみる。
宇宙のような空間に君臨した"大いなる何か"とやら。靄がかっていてどんな見た目かは分からないが、とてつもなく恐ろしい感じがする。
アホ毛姿の残下たちがそこに吸い込まれていき、靄の中へと消えてしまう。そしてエネルギーを得た"大いなる何か"は宇宙を飲み込んでいく。
――シュールすぎるわ。
「アホ毛ある人だけをピンポイントで狙うウイルスって何よ。それに大いなる何かって……」
(SFみたいでおじゃるよなぁ。ちなみに今の話はこの姿に変えられた時に読み取ったのでおじゃるよ)
思っていたよりも壮大な話だった。自分にできることなんてなさそう、と妥木は思った。しかし友人たちをアホ毛の姿のままにしておくわけにはいかない。
不意に強い風が吹き抜けた。妥木は髪を押さえる。
(ぐわーーーーーっ!!!)
「あっ」
叫びが頭の中にこだまする。テレビの上に残下の姿がない。風で飛ばされてしまったようだ。
「残下さーん? どこ行ったのよ?」
(こっちでおじゃる……)
「どっちよ」
(入口のほうでおじゃる)
神社の入口に戻ると、たんすの引き出しに残下が挟まっていた。妥木が救出すると残下はぶるぶる震えた。イナズマの形をしているので、雷らしい動きである。
(この姿では何もできぬでおじゃる。風には飛ばされるし、猫ちゃんとも触れ合えないでおじゃるよ。元に戻らねば)
「私にできることは?」
(麻呂の家に連れて行ってくれたもう。くらくらの家の近くでおじゃる)
「るくらさんの家のほう? 分かったわ」
残下をポケットにしまおうとすると、待て、と止められた。
(だぼっくーよ、この手を上に上げるでおじゃる)
「? こう?」
言われた通り残下を持つ手を掲げると、頭の上に感触を覚えた。
(おお、これが大人の景色でおじゃるか!)
どうやら残下が妥木の頭上に飛び乗ったらしい。妥木は女性にしては少し背が高いほうである。残下からするとかなり目線が高くなっただろう。
「行くわよ。今度は飛ばされないでよね」
(心配無用でおじゃるよ)
妥木は急ぎ足で廃神社を後にした。
しばらく歩き、もうすぐ目的地に着くというところで、妥木は後ろから呼び止められた。
「お姉さん! なんか落としたっすよ! ……何これ」
「え? ……あ」
振り返ると、ピンクの髪の男がしゃがんで黄色いアホ毛――残下を手に取り凝視していた。どうやら落ちてしまったようだ。
(うっかりでおじゃる。しかしこの姿だと地面に落ちても痛くないでおじゃるな)
「毛が喋ったっす!!!」
「……………………ん?」
――残下さんのテレパシー、この人にも聞こえてるの?
妥木は訝しむ。この軽薄そうな口調の人に妥木は会ったことがない。残下の知り合いだろうか。
残下が驚いたように跳ねた。
(その口調、そすっちでおじゃるか?)
「おじゃる……ってことは、残下ちゃんっすか!?」
(いかにも。――その姿、そういえば今日は第一木曜日であったな)
「そうなんです。レアバージョンっすよ」
お互いに口調で相手が誰か判断している。彼らは知り合いのようだ。
――ていうか普通に会話してるわね、この人。ツッコミどころ満載なのに……。
不思議な光景に妥木は脱力した。
(そすっち、時間あるでおじゃるか? 助けてほしいでおじゃるよ)
「大丈夫っすよ! 今日は丁度暇なんです」
(感謝するであろうぞ。――二人とも、この先のボロいアパ、ではなく風情のある年季の入った木造二階建て賃貸物件の1階、に行くでおじゃる)
「この先のボロいアパートね、分かったわ」
「何が始まるんすかね〜。……よいしょ」
"そすっち"は立ち上がった。かなり背が高い。驚きが妥木の口をついて出た。
「……でかっ」
「あはは、よく驚かれるっす」
"そすっち"はにこやかに笑った。
新たに増えた仲間を引き連れ、妥木は目的地である残下のボロアパートへ向かった。
* * *
「で、これどうするんすか?」
「どうするのかしらね?」
部屋の中央には4本のアホ毛が蠢いており、その前に妥木と
礎数が発した疑問を妥木は受け流す。二人の視線は妥木の手の上に降りた残下に集中する。残下は一度くるっと回ってから言葉を発した。
(麻呂はこれから体を生やす。決して覗くでないぞ)
「恩返しっすか?」
「体って生やせるの?」
ツッコミを入れる二人をスルーして残下は部屋の片隅、敷きっぱなしの布団へとバッタのように飛んでいった。アホ毛が助走をつけて跳躍する光景を妥木は生まれて初めて見た。かなりの怪奇現象である。
手立てを持つ残下が取り込み中になり、妥木はやることがなくなってしまった。礎数も同じらしく、興味津々な様子で妥木に尋ねてきた。
「残下ちゃんって只者じゃないっすよね? 一体何者なんすか?」
「自分を神だと言い張るよく分からない人、かしらね。悪い人ではないんだけれど、謎が多いわね」
妥木も残下について詳しくは知らない。むしろ教えてほしいくらいである。
「神を自称してるんですか! ヤバいっすね。ますます気になってきたっす」
何故か表情を輝かせる礎数。ヤバい人が好きなのだろうか。
妥木は礎数と今日初めて会ったが、礎数と残下は顔見知りのようである。類は友を呼ぶということわざが妥木の脳内に浮かんだ。
傍から見れば自分もその中に含まれていることに妥木は気付いていない。
「妥木ちゃんと残下ちゃんは付き合い長いんですか?」
「去年に知り合ってから、たまに会ってるわ。――去年の冬、粗大ごみを出しに行ったらいきなり背後から残下さんが覗き込んできたの。"お主、いいものを持っておるな"って。通報しようとしたら逃げてったけど。それからちょくちょく現れるようになって、気付いたら仲良くなってたわね」
忘れっぽい妥木でも当時のことはよく覚えている。その時の残下はあまりにも不審だった。よくここまで仲良くなったものである。
それを聞いた礎数は大笑いした。
「あははは!!! 意味わかんないっすね! 怪しすぎる!」
「でしょ? 本当に不審者だったわ」
妥木は残下の入っている布団をちらっと見た。少し膨らんでいる。こちらの話は聞こえているはずだが、特に反応はない。
「自分は先週、たまたま話を聞いてもらったんです。残下ちゃんって聞き上手っすね。めっちゃ自分語りしちゃいました」
「確かにそうね。自然すぎて今まで気付かなかったわ」
そこで話の隙間を埋めるように電話の音が鳴った。妥木のスマホではない。
「電話っす。失礼しますね」
礎数が外に出ていった。話し相手が消え本格的に手持ち無沙汰になった妥木は、アホ毛たちの様子を動画で撮ることにした。
――みんなが元に戻ったら見せびらかしましょう。
くねくねしているアホ毛たちを動画に収め、ついでに何枚か写真も撮った。妥木のスマホに変な動画や写真が増えていく。
撮った写真を確認していると、不意に風が室内に入った。礎数が戻ってきたようである。
おかえりなさいと妥木が振り返ると、礎数は顔中に汗を浮かべていた。
「どうしたのよ」
「ウイルスの発生源が分かったっす……」
「今の電話? なんだったの?」
「研究所が原因みたいっす……」
「研究所」
見知らぬ単語が出てきたので妥木はオウム返しをする。この町にそんなすごそうな施設があるなんて知らなかった。
ええと、と少しの間を置いて礎数は言葉を続けた。
「人間の能力を向上させるって研究をしてる研究所があって、うちの兄貴がそこそこ上のポストにいるんすよ。あと自分も一応関係者です。――で、保管されていた門外不出のウイルスを持ち出して、ばらまいた人がいるらしいっす……」
なんだか映画のような話である。妥木は辛うじて感想を一言ひねり出した。
「穏やかじゃない、わね」
「管理不行き届きっす。本当に申し訳ないです。兄貴には切腹させるので、どうか許してほしいっす」
「切腹はしなくていいわよ!?」
「その通りでおじゃる!」
いつの間にか膨れていた布団ががばっと取り払われ、元の姿の残下が現れた。ちゃんと顔も体も手足もある。頭の上にはイナズマ型のアホ毛も健在だ。
「すごいわ、元通りね」
「どうやったんすか!?」
「企業秘密でおじゃるよ、ククク」
仁王立ちでニヤニヤしていた残下だったが、すぐに疲れた表情に変わった。
「自分の体を生やすのでだいぶ力を使ってしまった故、4人全員を完全に戻すのは難しいでおじゃるよ……」
「そんな……」
頼みの綱である残下がそう言ったので、一気に雲行きが怪しくなる。そんな中、礎数が弾かれたように立ち上がった。
「自分、研究所に行ってくるっす! 実はさっき、ウイルス用の秘薬が準備できたって言われました。本当はアホ毛たちを連れて行ければいいんですけど部外者立ち入り禁止なんで、秘薬、借りてくるっす! 待っててください!」
そう言うやいなや礎数は妥木と残下の返事も待たずに勢いよく外に飛び出していった。
残された二人は顔を見合わせる。礎数の帰りを待てば解決するだろうが、何もせずにただ待っているわけにもいかない。こちらもやれることをやるしかない。
「麻呂は力を回復しなければならぬ。だぼっくーよ、これらの物を集めてきてほしいでおじゃるよ」
「任せて。ぱぱっと集めてくるわ」
「くれぐれも気をつけて行くんでおじゃるよ。麻呂は皆を戻す準備をしているでおじゃる」
「オッケーよ」
妥木は残下が差し出したメモを受け取り、外に出た。歩きながらメモを見ると、書かれていたのはたった数行だった。
「氷に、腐葉土。……ポテチ(コンソメ)10袋、サイダー3本って何よ。どさくさに紛れて買わせようとしてない?」
呆れつつも妥木は手近なスーパーで買い物を済ませた。手に食い込む重さとかさばるポテチに苦労しながら残下の元に戻る。
妥木が室内に入ると、残下は4本のアホ毛を握りしめて瞑想していた。かなりシュールな光景である。
買い物袋の音に残下は目を開けた。そして大量のポテチを見るなり顔を輝かせた。
「おお、感謝するでおじゃるよ! グフフフ……」
「よだれ出てるわよ。ポテチ買わせて私腹を肥やそうとしてない? 汚職よ汚職」
「ポテチはエネルギーを補充するのに手っ取り早いんでおじゃるよ」
「本当かしら。ていうか氷溶けそうだけれど」
「――急がねば。覗くでないぞ」
口元を拭いながら残下はアホ毛たちと買い物袋を持ち部屋の隅っこに移動した。
布団に入り、何やらもぞもぞしている。バリバリとポテチを食べる音がした。一体何をしているのだろう……。
妥木は再び暇になった。やることもないので残下の入っている布団を見守る。
……どれくらい経った頃だろうか。布団から人間の足がにゅっと突き出てきた。
「うわ!?!?!? 誰!?」
衝撃的な光景をハラハラしながら見ていると、上半身が、そして顔が出てきた。よく知っている顔である。
「みぺりさん!」
出てきたのはみぺりだった。青いハート型のアホ毛と化していた姿は、すっかり元に戻っていた。しかし目を閉じており、呼びかけても何の反応も示さない。呼吸はしているようだった。
「元に戻れてよかったわ……」
みぺりの側に座り込んだ妥木は布団をちらりと見やる。もぞもぞしている。また誰かの足がぬるっと突き出ていた。少しずつ体が出てくる様はまるでプリンターのようである。
妥木は慌ててみぺりの体を壁沿いに移動した。
「……狭いわね」
それから何時間か経ち、全員の体が残下によって復活された。部屋の中には妥木と、横たわる4人に、布団に入ったままの残下。元々そこまで広くはない部屋が更に手狭になった。
4人は意識を失ったままで、いくら呼びかけても殴っても目を覚まさない。残下も布団から出てこないので、妥木にはどうすればいいのか分からない。
ここには6人も人間がいるのに、動いているのは妥木だけ。孤独を感じた妥木は膝を抱えて座り込む。
「………………」
「にゃーん……にゃんにゃんにゃん……」
布団がめくれ、残下が這い出てきた。疲れ切った顔で、何故か猫の鳴き真似をしている。
「残下さん!」
「力を使い果たしたでおじゃる……。猫ちゃんの真似をしないと正気を保てないでおじゃるよ……」
「お疲れ様。それでみんなは……」
妥木の問いに、残下は悲しみと悔しさが混ざったような表情をした。
「乗っ取られた自我を呼び戻すのは今の麻呂では難しいでおじゃる……。意識は実体がない分、慎重に扱わねばならぬ。万全の状態でなくてはむしろこちらが危ない」
「またポテチ買ってくるわよ?」
「いくらポテチがあろうともそんな短時間で全快はできぬ」
「じゃあ、できるのとはないのかしら」
「認めたくはないでおじゃるが、そうであろうぞ……」
残下の目から涙がこぼれた。
「麻呂の力ではこれ以上何もできぬでおじゃる……。うううぅ」
耐え切れず泣き出した残下。なんだか幼い子供になったみたいだ。
いつも飄々としている残下のそんな姿に、妥木はいたたまれない気持ちになった。どうにか宥めようとする。
「残下さん。残下さんはよくやってくれたわ。みんなの体を戻したんだから、かなりすごいわよ。残下さんがいなかったら、今頃私は何もできないままおろおろしてたわ。だから泣かないで。――きっとなんとかなるわよ。礎数さんを待ちましょう」
「うおおおん」
涙を拭ってやると、残下は抱きついてきた。妥木も残下の背中に腕を回し、落ち着かせるように撫でる。なんだか妹か弟ができた気分である。
「ばぶぅ……」
「…………………………」
やっぱり妹でも弟でもなく、赤ん坊かもしれない。
しばらくして、勢いよく外からノックの音がし、次の瞬間、礎数が入ってきた。急いで来たのか、肩で息をしている。
「持ってきたっす! …………あ、お取り込み中、だった、っすか?」
気まずそうな顔をする礎数。妥木は慌てて残下から離れようとしたが、残下が寝ているのでそのままの状態で話を聞くことにした。
「大丈夫よ。それより秘薬って」
「これっす!」
礎数が妥木の眼前に突きつけたのは、ジャムの瓶のようなものだった。ただし中身はジャムではなく、謎の茶色い物体である。まるで……。
「味噌?」
「完全に味噌ですよね、これ。でもちゃんと効くやつが混ざってるらしいっす。大丈夫なやつっすよ。自分が保証します」
「そ、そうなの」
礎数は研究所とやらの関係者だと本人は言っていたが、実際は使いっ走りなんじゃないかと妥木は思った。
礎数は寝ている4人を見た。
「アホ毛をこれに漬けて何日かすると戻るんですけど、……もしかして、この人たちっすか?」
「ええ。残下さんのおかげで体は戻ったの」
「マジですごいっすね! 自分が最後に見た時はぴょこぴょこしてたアホ毛だったのに。これなら早く効くと思います。残下ちゃんって本当に只者じゃないんすね〜!」
「そうでおじゃる……」
残下がむくりと起きた。まだ少し目が赤い。
「大丈夫なの?」
「麻呂を称える声は聞き逃さぬでおじゃるよ」
なんとも調子のいい人である。
それなら、と礎数が残下をまっすぐ見つめた。
「称えまくりますよ。残下ちゃんマジすごい! 神! マジ神! 救世主!」
「ふふん」
「語彙なさすぎでしょ……」
心は込もっていそうだけども雑な持ち上げをする礎数に、上機嫌になった残下。妥木は反射的に突っ込む。
さて、と礎数は手にした瓶を振った。
「これ、試していいですか?」
「うむ」
「ええ」
同時に返事をした残下と妥木に礎数はにこやかな笑みを浮かべた。
「アホ毛じゃなくて人間だから……経口?」
礎数は瓶を開け指を差し込む。味噌のようなものがついた指を一番近くに横たわるとれもの口に突っ込んだ。そのまま残りの3人にも同じようにしていく。
「残下ちゃんも、一応」
「ぐもっ!!」
最後に残下の口にも味噌のようなものを突っ込んだ礎数は、ティッシュで指を拭いた。
「これでよし。――安心してください。全部違う指を使ってます」
謎の釈明をした礎数は、指を拭いたティッシュをポケットにしまった。真剣な顔つきで残下に問いかける。
「残下ちゃん、どうですか?」
「……この世の調味料を全てごちゃまぜにするとこんな味がするんであろうなぁ……」
「あはは。面白い例えっすね」
「だ、大丈夫なの?」
困惑する妥木に二人は頷きを返した。礎数は続けて言う。
「人体に塗布したので、何日も放置しなくても近いうちに意識が戻るはずっす。――それじゃ自分はこれで失礼します。研究所戻らなきゃなんで。なんかあったらテレパシってください」
「ありがとう、礎数さん」
「礼を言うでおじゃるぞ」
妥木と残下のお礼に手を振りながら礎数は足早に去っていった。
礎数とは今日が初対面だが、きっとまた会えるだろう。仲良くなれそうな気がする。なんとなく妥木はそんな予感がした。
残下を見ると、何やら口をもごもごさせていた。
「効いてるの? その味噌みたいなやつ」
「全能感が爽快に全脳を駆け巡る感覚がガチでやばいでおじゃる」
「効いてるってことね。知らないけど」
「ハッピーでおじゃる。お主もどうかの?」
「間に合ってるわ。というかもうないでしょ」
完全に怪しい薬を勧める言い草である。
横たわる4人を見つめながら妥木は言葉をこぼす。
「みんな、ちゃんと起きるのかしら」
「ふむ。意識呼び戻しの儀を行おうぞ。今の麻呂ならできるでおじゃる」
味噌のようなもので力が回復したらしい。立ち上がった残下を待って、と妥木は止める。
「自然に目覚めるのを待ちましょう。これ以上残下さんが力を使わなくても、もう大丈夫だと思うわ」
「そうでおじゃるか? お主がそう言うのなら信じよう」
「ええ」
「――だぼっくーよ」
残下に真面目な声色で呼びかけられ、妥木がそちらを向くと、残下は柔らかく微笑んでいた。これまでに見たことのないくらい優しい表情である。
「お主は今日、よく働いてくれた。――ありがとう」
一瞬驚いた。妥木の頭には様々な返しが浮かんだが、全て飲み込んで、一言だけ告げた。
「どういたしまして!」
「ククク。これからも麻呂のために身を粉にして働いてもらおうぞ」
「米粉パン」
「それは勘弁してちょうだい。――今の何?」
「米粉パンの恨みを買って地の果てまで追い詰められる夢を見ました。恐ろしかったです」
「夢でよかったわね。――え!?」
「この意味不明っぷり、流石でおじゃるな……」
突然挟まった声に妥木と残下は振り返る。赤い髪の――とれもが起き上がっていた。
「意識が戻ったのね! よかったわ……」
「麻呂たちの奮闘のおかげでおじゃるな!」
妥木と残下は喜びに包まれ、ひしと抱き合う。そんな二人の様子をとれもは不思議そうに見ていた。
「……騒々しいな」
「――はっ。ここどこ?」
「あれ? みんないる! なにごと?」
べきせ、るくら、みぺりも続々と目を覚ました。数時間前までの静けさが嘘のように、室内は一気に賑やかになった。
みんなには話すことがたくさんある。アホ毛と謎のウイルスについて、協力してくれた礎数について、残下の神パワーについて。
とりあえず、アホ毛状態のみんなの写真を見せびらかそう。
妥木はスマホを取り出した。
* * *
それから。一通り状況の説明を終えた今、みんなはアホ毛状態だった時の話で盛り上がっている。
妥木は話の輪に加わっている残下の目を盗んでこっそり部屋の片隅に移動した。布団の前にしゃがみ、よくよく観察してみる。
一見どこにでもありそうなただの布団である。しかし残下はこの中で自身とみんなの体を戻していた。中はどうなっているのだろう……。
覗くなと残下は言っていたが、今この布団は使われていないのだから、覗いても大丈夫なはず。
心の中で言い訳をこねて、妥木はそっと掛け布団をめくる。
すると――真っ暗だった。ブラックホールのような黒が広がっていた。
「うわ……」
一度掛け布団から手を離し、まためくる。やはり闇が一面を覆っている。
手を入れてみると少し冷たさを感じた。全身で入ってみたくなったが、流石にやばそうだわと思い直し、やめておく。
――残下さんはいつもここで寝てるの?
ふと視線を感じた妥木は振り返る。残下がこちらを見ていた。
――やば、バレちゃったわ。
妥木が笑ってごまかそうとすると、残下はにやりとしながら人差し指を口に当てた。内緒ということらしい。
残下は本当に謎が多い。
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