お布団

「わぁ……」

 一面に闇が広がっている。前を見ても後ろを見ても、そこにあるのは漆黒。
 光源はないはずなのに、足元や自分の体を視認できている。そのおかげで自分の存在を見失わずに済んだ。
 残下ざんげの家で布団をめくった次の瞬間、るくらはこの謎の空間に飛ばされた。ということは、ここは布団の中?
 僅かに見える視界に、何かが映った気がした。
 ――向こうになんかあるみたい。行ってみよう。
 るくらはその方向に足を進めた。


 * * *


「お邪魔します」
「ようこそでおじゃる」

 るくらは残下ざんげの部屋に上がった。訪れるのは二度目だが、意識のある状態で入ったのは初めてである。
 以前はアホ毛に体を乗っ取られていた状態で連れてこられ、なんやかんやあって元に戻されたらしい。その時の記憶など残っていないので、全ては後から聞いた話である。事の顛末を聞かされたるくらはそうなんだ、とただ思った。この世界ではそういうことも度々起こる。

「座ってくれたもう。茶を出すでおじゃる」
「お構いなく〜」

 勧められた座布団に腰を下ろしたるくらは、残下を待つ間、周りを見渡した。
 家主がゴミ漁りをライフワークとしている割に、残下の部屋は綺麗だった。物が少なく、あまり生活感がない。本当にここで暮らしているのか疑問が生じるほどに。
 ただ一点だけ。敷きっぱなしの布団が目についた。まるでものすごく寝相の悪い人が這い出た後のようにぐちゃぐちゃである。
 ――もはや芸術的だね……。
 他がこざっぱりとしているのも相まって、余計に布団の乱雑さが目立っている。
 思わずるくらは手を伸ばした。敷き布団から盛大にはみ出しては裏返っている掛け布団をめくる。
 するとそこには黒が広がっていた。

「え? 何これ……」

 両手で掛け布団を持ち上げてみる。黒い闇は消え、敷き布団の白が現れる。
 掛け布団を下ろし、めくると、再び闇が出現した。漆黒に塗り潰されており、敷き布団は見えない。
 次の瞬間、るくらの視界いっぱいに闇が広がった。


 * * *


「猫だ〜。……わ、いっぱいいるね」

 気付けば猫たちに囲まれていた。
 軽く数えて十匹はいる。黒猫に白猫、キジトラに茶トラ。色々な種類の猫たちがるくらを取り囲んでいる。ニャーニャーと止まない鳴き声は、自分が母猫になったような錯覚をもたらした。

「モテ期ってやつかな……、あれ?」

 ポケットに何か入っている。取り出すと、猫用のおやつだった。それを見た猫たちの鳴き声が一層増す。
 あげようと封を切ってしゃがむと、勢いよくかじりついた猫によって瞬く間に袋ごと奪われてしまった。中身が地面に散らばる。
 猫たちは散らばったおやつに夢中になっている。カリカリと咀嚼する音が聞こえる。
 るくらはその様子をぼうっと眺める。特に猫好きというわけでもないが、集まった猫たちが一心不乱におやつを食べている姿は可愛いと思った。
 
 どのくらいそうしていただろうか。ピンポン、という音で意識が引き戻された。クイズの正解音のような……。
 そしてふと気付けば猫たちの姿は一匹残らず消えていた。残っているのは果てしない暗闇と、静けさのみ。
 方向もよく掴めぬままにるくらは先へ進んだ。
 しばらく歩いていると、突然目の前に何かが落ちてきた。ひらひらと舞い、地面に落ちる。足元に着地したそれを拾い上げる。
 丸い形をした、薄い黄色の、小さくて軽い楕円形。

「ポテチだ」

 ポテチを手にしたまま、暗い空を見上げる。すると、辺り一面に、雪のようにポテチが降り注いでいた。
 ――ポテチの雨? にしては舞ってるから、雪? どっちにしろ健康に悪そう〜。
 冷静な感想を心の中で浮かべながら、るくらは舞い降るポテチの中を進む。油分が髪や服に付着しそうなので、当たらないよう避けながら。

 降り続くポテチの中を進んでいくと、不意にまたピンポンと聞こえた。何かに正解したらしい。
 ポテチの雨は止み、いつの間にか暗闇が薄れていることにも気付いた。
 なんだなんだと目を凝らすと、その先には山がそびえ立っていた。しかし自然の象徴たる緑色ではなく、なんだか汚い色をしている。

「――ゴミみたいだね、全部」

 鉄くずや布、謎の物体などが積み重なっており、全てゴミで構成されているらしい。続く地面も壊れた机や棚、潰れた空き缶などが配置されている。
 ――今度はゴミ山? あれを登るのか〜。
 進む先は一つしかない。これまでと変わらぬペースでるくらは足を進めた。
 歩きっぱなしだが疲れはない。るくらは普段から困っている人を求めて町中を徘徊しているため、体力は人一倍ある。

「猫に、ポテチに、ゴミの山。――残下ざんげの好物だね」

 歩きながらこの空間について考える。意味不明な場所に飛ばされ、意味不明なことが起こっている。
 残下の布団をめくってこの場所に放り込まれたのだから、残下に関係しているはず。
 ――残下の秘密空間とか? ……なんて。
 斜め前にあるボロボロのかかしと目が合い、一瞬だけ心臓が跳ねた。が、すぐに落ち着きを取り戻す。
 そもそもここは現実なのだろうか。現実だとしたら、秩序がめちゃくちゃなことばかり起きている。
 夢か幻覚だとすれば、このカオスさもしっくりくる。

「よく分からないな〜」

 結論は出ない。分からないことを考えても仕方がない。るくらは進み続ける。
 割れた瓶を踏まないように避け、地面に半分埋まっているドラム缶を跨いで通り越す。
 もし転びでもしたら危ない上に、周囲の暗闇に取り込まれてしまいそうだ。慎重に歩を進める。
 ――やがて。

「頂上かな?」

 登頂登頂、と呟きながら辺りを見回す。やはり濃い闇に覆われていて遠くまでは見えない。錆びた鉄のような匂いが鼻をついた。
 ふと、視界の隅で淡く発光している何かに気が付いた。
 近寄ると、玉座を模したデザインの椅子に猫のぬいぐるみが置かれている。残下の着物と同じ紫色をした、可愛らしいチェシャ猫のぬいぐるみだ。

「こんなところにも猫だ」

 汚れやほつれは見当たらず、綺麗である。部屋に飾られているかのようだ。
 こんなゴミだらけの場所には不似合いなぬいぐるみは、まるで自身がこの空間の主であるかのようなオーラを放っていた。
 ――このぬいぐるみを倒せばここから出られる? なんてね。
 るくらは手に取って観察しようとしたが、すんでのところで伸ばした腕を引っ込めた。
 なんだか安易に触れてはいけない気がしたのである。
 しゃがんで目線をぬいぐるみと揃える。何が起こるか分からないこの空間では、動き出したとしても不思議ではない。
 ぬいぐるみと見つめ合う。縫い付けられたボタンの目がるくらの内面までをも見通している気がする。
 ニヤリと上がったチェシャ猫の口角は、残下のニヤつく顔を連想させた。
 しばらくの間ぬいぐるみと見つめ合ったが、予想に反して動き出したり話し始めたりはしなかった。
 るくらは立ち上がった。しゃがんでいたため固まっていた足をぷらぷらさせ、何か変化が起きてはいないかと周りを見る。
 しかし、特に何も変わってはいないようだった。
 この後はどうしたものかと考えていると、急に周囲が明るくなった。
 暗闇に慣れきった目が光に焼かれていく。

「まぶしっ」

 三度目のピンポン音が聞こえた。視界がまばゆい白で満たされ、反射的に目を閉じる。


 * * *


「くらくら! 戻ってきたでおじゃるか」

 呼びかけられ、るくらの意識は覚醒した。
 視界に映るのはこちらを覗き込む真剣な表情の残下ざんげに、殺風景な部屋の内装。

「――残下?」

 るくらは床に座り込んでいた。名を呼ぶと、目の前の残下は安堵の表情を見せた。お香の匂いがする。
 カオスな暗闇の中から戻ってこれたようだ。傍らには例の布団が敷いてある。

「振り向いたらいなくなってて、心配したんでおじゃるよ」
「暗闇に飛ばされたと思ったら猫に囲まれて、ポテチが降ってきて、ゴミ山を登ってた……」

 言葉にすると意味不明である。言葉にしなくても理解不能な状況ではあったが。まるで夢のようなカオスさである。
 そんな説明でも残下には伝わったらしく、家主は二度頷いて口を開いた。

「麻呂のお布団の中に入ったんでおじゃるな」
「あの空間ってなんなの? 布団の中にあんな場所があるって……」

 説明パートでおじゃるね、と残下は呟いて座り直した。

「あの場所は麻呂の精神世界のようなものでおじゃるよ」
「精神世界……。確かに、猫とポテチとゴミって、全部残下の好きなものだよね」
「そう、言うなれば麻呂そのものであろうぞ。つまりお主は麻呂の内部に入ってしまったんでおじゃるな。恥ずかしいでおじゃるぞ。いやん♡」

 頬を染めてわざとらしく体をくねらせる残下。扇情的な気もしなくもないが、るくらはスルーして話を続ける。

「じゃあ、あの布団って特別なものだったり?」
「力の源でおじゃる。お布団がなければ麻呂は何の力も発揮できぬ。――もし破壊されたら、ガチでやばい」
「そんな大事なものをあんなぐちゃぐちゃで敷きっぱなしにしてるの……」
「いちいち畳むのめんどいんでおじゃるよ」

 あっけらかんと言う残下に、るくらは常識的なツッコミを入れる。

「せめて干しなよ……。カビちゃうよ」
「大丈夫でおじゃるよ。カビ防止のおまじないを施しておる」
「力使う箇所、それでいいの……?」
「にゃおーん」

 唐突に猫の鳴き真似をし始めた残下。手のポーズまでつけている。なかなか可愛らしい。
 しかし、都合が悪くなるとこうして話を有耶無耶にする癖が残下にあることをるくらは知っている。なので騙されはしない。

「全然ごまかしきれてないよ〜」
「だぼっくーには効いたんでおじゃるがな……」

 独り言のように呟いた残下は、猫といえば、と続けた。話を切り替えるつもりらしい。

「ヌシはいたでおじゃるか?」
「ぬ、ぬし?」
「猫のぬいぐるみでおじゃる。あの空間の主でおじゃるな」

 あのチェシャ猫のことらしい。纏うオーラはまさしく主格そのものだった。
 いたよ、と答えると残下は目を細めた。

「いつかお主に見せたかったんでおじゃるよ、ヌシを。かわいかろう?」
「そうだね〜。動いたりするの?」
「妙なことを言うでおじゃるな。ぬいぐるみが動くわけなかろう」
「あ、そうなの……」

 そこはそうなんだとるくらは内心ずっこけた。
 それにしても、と残下はトーンを変えずに続けた。

「なに?」
「これまで麻呂のお布団の中に迷い込み、生きて出られた者はいなかった……」

 また変なことを言い出した残下。るくらは冷静に突っ込む。

「それって普通に犯罪じゃない? 拉致とか過失致死とか」
「無事に戻れたお主は素晴らしい。流石くらくらでおじゃるよ」
「話聞いて?」
「まあ今考えたんでおじゃるが」

 またいい加減なことを並べ立てていた残下に、るくらは脱力した。でも心配かけてしまったし、まあいいか、と思った。
 とはいえ話の真偽ははっきりさせておきたいので、尋ねる。

「……どこまでが本当?」
「カビ防止のおまじないまで、であるな」

 ということは、布団が残下の力の元というのは本当らしい。いわゆる弱点だろうか。

「これまで誰にもお布団の秘密を教えたことはなかったでおじゃる。――お主だけ、特別であるぞ♡」

 るくらにウインクを飛ばし、残下は後ろを向いた。古めかしい棚を開け、何やらごそごそ漁り始める。
 うすしおうすしお、と呟きながらこちらに向き直った残下の手にはポテチが二袋。
 勢いよく開けて一枚食べてから、さて、とポテチジャンキーは言った。 

「他に聞きたいことはあるでおじゃるか? 今ならサービスでとっておきの極秘情報も教えようぞ」

 ポテチを食べながらるくらを見つめる残下。パリパリと音がする。
 和服でジャンクフードを食べる姿はミスマッチで、どこかずれている感じがする。
 とっておきの極秘情報とやらも気になるが、それよりも知りたいことがある。

「あの中で何回かピンポン音を聞いたんだよね。猫がいなくなった後、ポテチの雨が止んだ後、その、ヌシ? と見つめ合った後だったかな〜。何か意味あったの?」
「ふむ。お主は正解の行動を取ったんでおじゃるな。……猫ちゃんたちを見守り続け、ポテチを食べず、ヌシに触れない。……全問正解、あの空間に認められた証でおじゃる……よ」

 るくらの疑問に答えながらもポテチを口に運ぶ手は止まらない。畳にカスが落ちたら掃除が面倒そう、とるくらはぼんやり思った。

「ふーむ? あまり干渉しなくて良かったってことかな〜」
「ま、そういうことであるな。――それで、とっておきの情報でおじゃるが」
「うん」

 目を輝かせて言う残下に、落ち着いて相槌を打つ。どうしても言いたいことがあるようだ。
 とっておきの極秘情報とは……? なんだろうと考えてみても思いつかない。
 るくらは残下の言葉を待った。

「実は、麻呂は――」

 そこまで言ってニヤニヤする残下。
 気になってしまう。るくらは身を乗り出して続きを促す。

「……麻呂は?」
「ポテチはうすしおが一番好きでおじゃる」
「見れば分かるよ!!」
「くくく、愉快でおじゃるなぁ」

 邪悪にニタニタ笑いながら二袋目のポテチを開ける残下は、心から楽しそうだ。
 一袋目と同じく、うすしおのようだ。一番好きというのは本当らしい。

「お主も食べるか? ほれ」

 ポテチを一枚、顔の前に差し出されたので、るくらはかじりついた。
 塩味が口いっぱいに広がり、様々なことがあって疲れの溜まった心身に染み渡る。

「……おいしい」
「麻呂の愛情が込もっているからの」
「料理じゃないんだからさ」
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