入れ替わり

荷物を持って階段を上るのは結構な運動になる。ランニングの帰りには嫌だけれど、たまには階段で帰ってもいいかもしれない。
 エレベーターが点検中で使えないのは不便だが、新しい発見があった。
 妥木だぼくは両手の買い物袋を持ち直した。食料品や日用品などの重さが両腕にじわじわと疲労を宿らせていく。
 夏の始まりの湿気を含んだ空気が全身にじわじわと染み込む。背中を汗が流れていく。
 聞こえる足音も重い。住んでいる階に着くまで、あと少しの辛抱である。
 そんな状態で背後を見るわけもなく、階下から呼びかけられるまで、そこに人がいたことになど気付かなかった。

「おい、そこの買い物帰り」
「何よ」

 ぞんざいな言い方と声で隣人のべきせだと判った。こんなに偉そうな態度をとる人間は妥木の周りには一人しかいない。
 最上段に足をかけていた妥木は体をひねって振り返る。
 ところが、バランスを崩して足を踏み外してしまった。
 手すりに掴まろうにも、買い物袋が邪魔だ。
 ――やば、落ちる!
 荷物だけは落としたくない。卵が割れてしまう。
 咄嗟に両手の袋を最上段に軽く放る。

「危ない――」
「っぐ!」

 その代わりに妥木の体は宙を舞った。重力に従って落ちていく。
 怪我をするほどの高さではないが、一瞬の判断で頭を守った。
 着地点の踊り場にいるべきせにぶつかり転がる。痛い。鈍い音がした。

「いたた……。大丈夫? ――ん、あれ?」

 身を起こした妥木は何かがおかしいと感じた。自分が発した言葉なのに、自分の声ではなかった。

「急に落ちてくるなよ。――おん?」

 違和感を覚えたのはべきせも同じらしい。
 妥木は顔を上げる。すると、――自分が目の前にいた。
 黒髪に、ジト目が特徴的(だと自分では思っている)な顔立ち。困惑の表情を浮かべている。

「えっ??? 私?」
「……どういうことだ」

 理解の追いつかない状況に、お互い戸惑う。何が何だかよく分からない。けれど、これは、もしかしなくても――。

「私たち、入れ替わってる?」


 * * *


 妥木だぼくの部屋にて。
 傍から見ると、べきせが堂々と座しており、一方部屋の主たる妥木は落ち着かない様子で座っているという奇妙な光景である。ただし実際は中身が逆になっているので、おかしいところはない。
 互いに入れ替わってしまったという状況を(とりあえずは)理解した二人は場所を移し、どうするかを話し合うことにしたのである。

「こういうのってもう一度階段から落ちれば戻るんだと思ってたわ」

 妥木が先に口を開いた。外見と声は成人男性でありながら、口調や動作は普段の妥木と同じ女性的なものである。客観的に見ると不気味かもしれない。

「残念ながら、ただ転落しただけだったな」

 べきせが応える。こちらの容姿と言動のギャップはそこまででもない気がする。

「結構うるさかったはずだけれど、迷惑になってないかしらね」
「まあ大丈夫だろう。事故みたいなものだし」

 入れ替わり発覚後、再び階段から二人して落ちてみたのだが、元には戻れなかった。
 そうしてあれこれ言いながら今に至る、というわけである。

「それより、ここは本当に人の居住空間か? 散らかっているにもほどがあるだろう」

 周りを見渡しながら、げんなりした様子で言うべきせ。
 その言葉通り、妥木の部屋はかなり散らかっている。床には服やペットボトルや謎の書類やよく分からない物などが散乱しており、足の踏み場は探してやっと見つかる程度だ。その僅かに覗く床には今日の買い物袋を置いている。
 片付けるという行為が苦手なのだから仕方ないことである。むしろ、どうしたら綺麗な部屋のまま暮らせるのか分からない。

「私の体なんだし、今日はここで過ごしてみる? 意外と快適かもしれないわよ」
「絶対にお断りだ。――隣人ガチャ失敗したな……。うちにゴキブリが出たらどうしてくれるんだ」
「はいはい。私の部屋のことは今はいいのよ。他になんかある?」

 無理やり話を終わらせると、べきせは諦めたように肩をすくめた。それから妥木をじっと見つめ、口を開いた。
 
「自分が目の前にいるのは変な感じするな。しかも中身はきみだし」
「どう? 新鮮?」

 妥木はなるべく普段のべきせがしなそうな動作をした。にこやかに笑ったり、ウインクしてみたり、手でハートを作ってみたりする。

「なんとも言えない気持ちになるな……」

 べきせは顔を引きつらせながらあっさりした感想を述べた。それから自身の服装を示して、それよりも、と話を変えた。

「この服で買い物に行ってたのか?」
「そうだけど。かわいいでしょ」

 妥木は日常的にコスプレ的装いをしている。それが趣味の一つでもある。当然その格好で出歩くし、買い物もすれば外食だってする。
 今日はチャイナ服風のワンピースを着ていた。鏡で見てもかわいかったが、こうして客観的に見てもかなりかわいい。

「足出しすぎだろ。スースーしてどうにも落ち着かない」
「我慢しなさい」
「もし今の俺が風邪でも引いたら、きみだって困るだろう」
「物心ついてから体調崩したことないし大丈夫よ。鍛え方が違うのよ」

 過去にインフルエンザが流行っていた時も、周りが倒れていく中で妥木だけは無事だった。妥木(の体)は本当に健康である。
 誇らしげに語る妥木に対し、べきせが真顔で呟いた。

「なんとかは風邪引かないって本当なんだな」
「はっ倒すわよ」
「そうやってすぐ暴力に走ろうとするのはどうかと思うぞ」
「誰かさんがむかつくことばっか言うからよ。――ていうか全身真っ黒だし。光を吸収してんじゃないわよ。暑くなかったの?」

 今の妥木はオーバーサイズのTシャツにジョガーパンツという格好になっている。上下とも黒い。

「別に。黒いほうが落ち着くだけだ」
「性格が表れてるわね」
「どういう意味だよ」
「さあね〜」

 遠回しに馬鹿呼ばわりされた仕返しをした妥木は首をかしげ、話を終わらせた。
 すると頭上で揺れるものがある。視線を上に向けても、視界には入らない。
 頭上に手を伸ばす。

「……」

 妥木は頭のアホ毛を弄ぶ。
 普段の自分にはないものだから、気になって仕方がない。なんでこんな主張の強い毛束が生えているんだろうと、アホ毛を持つ友人たちを見る度に思っていたのだ。
 手で覆って倒してみても、離すと元通り天を向く。指に巻きつけても、跡は残らないらしい。
 軽く引っ張ってみる。引っこ抜くつもりはないが、抜ける時は毛束ごとだろうか。もし抜けたら、また生えてくるのだろうか。
 すると、それまではアホ毛を弄ぶ妥木を嫌そうに見ていたべきせが血相を変えた。

「やめろ!!!」

 あまりにも強い反応に妥木は驚いて手を下ろす。べきせは真剣な顔で続けた。真面目な表情をした自分の顔など中々見る機会はない。新鮮だわ、と思った。

「アホ毛を抜こうとするのは重罪だ。他のやつにやってみろ、殺されてもおかしくないからな」
「そんなことある? なんなの、アホ毛って……」
「とにかく、もう引っ張るんじゃないぞ」
「分かったわよ……」

 釈然としないまま、若干の気まずさを残して話は終わった。アホ毛の謎はますます深まった。 
 それから間を置かずに、そうだ、とべきせは切り出した。

「たしか今日の占いに書いてあったぞ」
「占い? 見てるなんて意外だわ」
「スマホ……、よこせ。左のポケットだ」

 自分の体ではないので自分のスマホもない。妥木は言われた通りスマホを取り出してべきせに渡す。
 おぼつかない手つきで操作している。少ししてから、画面を見せられた。そこに表示されているのは――。

「ええと、――最下位はしし座のあなた! 今日は身近なあの人と入れ替わっちゃうかも? 時間が解決してくれるのを待つと◎ ラッキーカラーは空……ナントカ色♪ ラッキーアイテムは使い終わったカイロ! ……何これ」

 読み上げてからそのカオスさに軽く引いてしまった。しかし無茶苦茶な内容にも関わらず、的中している。

「突っ込みどころ満載なのは置いといて、――まさに予言されてるだろ」
「身近なあの人と入れ替わっちゃったわね。この、時間が解決してくれるのを……って、今はどうしようもないのかしら」
「そう……なんだろうな」
「このラッキーカラー何色よ? そらごばいこ色?」
「|空五倍子《うつぶし》色、らしい。ほら」

 画像検索の画面を見せられる。薄い茶色だった。何故そんな難しい名前がついているのだろう。

「ふーん。るくらさんの髪みたいな色ね。――あ!!!」

 大事なことを思い出した妥木は声を上げた。
 るくらとは妥木とべきせの共通の友人である。

「なんだよ」
「今日るくらさん来るんだったわ! まずいわよ!」
「いつだ?」
「夕方ぐらい。それから大体……いつもの感じだと夜までかかるわね。たまに部屋の片付け、手伝ってもらってるのよ」

 偶然にも今日がその日である。
 いつもならるくらが冷静に部屋の惨状を処理してくれて、妥木の多大な感謝にて終わるという流れだ。だが、今の入れ替わった状態ではどうすればいいのか分からない。
 べきせに妥木のふりをしてもらうのが一番だろうか。そう言うと、いや、とべきせはかぶりを振った。

「事情を話して、きみが対応すればいい。あの善人相手なら隠す必要もないだろう」
「あ……。確かに、そうね」

 よくよく考えてみれば、るくらに入れ替わりを明かしてもなんの問題もない。よかったわ、と妥木は安心した。
 そんな妥木を見て、話は終わりだとべきせは立ち上がった。用事があるのだろうか。
 そういえば妥木の予定の話ばかりで、べきせの予定は聞いていない。
 尋ねかけた瞬間にべきせが告げた。

「俺は触手の様子を見に行く。じゃあな」
「待ちなさい」

 聞き捨てならない発言がさらりと飛び出したので、速攻で止める。

「なんだよ」
「私の体で行くつもり? 絶対駄目!」

 この隣人は巨大な触手を飼っていると言い張る危険人物であることを妥木は思い出した。
 以前、妥木はその触手に襲われてひどい目に遭ったことがある。思い出すだけで身の毛がよだつ。
 まして自分の体でそんな化け物のところに行くなんて、許すわけにはいかない。
 行動を止められたべきせはふてくされたように言った。

「……じゃあきみが」
「嫌だけど!? 朝のうちに済ませときなさいよ」
「いつもはそうしてるんだが、今日は用事があって朝に行けなかったんだ。だからこれから行くしかない」

 ――流石占い最下位、運が悪いわね。……それに巻き込まれてる私も運悪くない?
 内心で思った嫌味や疑問を口には出さず、代わりに違うことを問う。

「ていうかまだあんなのの面倒見てるの?」
「当然。――あんなのとはなんだ、かわいいのに」
「どこがかわいいのよ」
「まずフォルムがいい。様々な形の触手が無数にある点は合理的だ。それにうねうねしているところも魅力的で、生き物らしさが表れていて素晴らしい。外見とは裏腹に素早く動くところもギャップがあってかわいいし、人間の体液を好んで――」
「きもっ!」

 ただでさえ気持ち悪い内容を、妥木の声で話し出さないでほしい。思わず心からの本音が漏れた。
 いつもならこういう時はべきせも言い返し、大抵口論になる。……しかし。

「どうしたのよ。大人しいじゃないの」
「……自分に言われると、結構堪える」
「ふーん?」

 そういうものなのか。ならばこの機会にもう一撃与えてやることにする。せっかくなので、口調を本人に似せるのも忘れない。

「本当にキモいな、きみは」
「………………」

 べきせは俯いてしまった。
 効いてるわね、と愉快な気持ちが生じるのと同時に、意外と打たれ弱いわね、とも思った。

「…………しょうがない。今日はナシにする」
「いい判断だわ」
「……ヤツに頼むか」

 代わりに誰かに行ってもらうらしい。スマホを取り出しいじり出したべきせに妥木は尋ねる。

「とれもさん?」
「いいや。あいつに触手のことは話してないし、この季節に外に出したら大惨事だろう」

 即座に否定が飛んできた。とれもというのも二人の共通の友人である。特にべきせとは仲がいい。
 べきせが"ヤツ"なんて言うのはとれもぐらいだと思っていたが、どうやら妥木が思っているより広い交友関係を持っているらしい。

「触手に、……詳しい人がいて、たまに協力してもらっているんだ」
「へえ? べきせさんの他にもそんな危ない人がいるのね」
「なんかの研究員らしい。――お、即レス。――構わないけど、妹が鍵を忘れたらしくて一度帰ってからになるので遅くなる? コイツ妹いたのか」
「兄妹仲いいのね」
「日も長いし、暗くなる前に行ってくれればいい。……うわ」
「ちょっと。私の顔でそんな表情やめてよ」

 思い切りしかめられた自分の顔を妥木は初めて見たが、そこまで怖くはなかった。
 それよりどうしたのよ、と聞くと、嫌そうな表情のままべきせは答えた。

「貸し一つだと。後で絶対ろくでもない条件を出してくるな……」
「人体実験に協力しろとか?」
「ヤツのことだから、どうせ触手と――」

 ピンポーン、とべきせの言葉の途中でインターフォンが鳴った。咄嗟に時計を見ると、るくらとの約束の時間になっていた。
 やば、と妥木は立ち上がって玄関に向かう。背後からのおい、という声を無視して。
 勢いよくドアを開ける。初夏の生温い空気が室内に侵入してくる。

「るくらさん! 今日もよろしくね」
「……べきせ??? ええと……」

 出迎えた妥木の姿を見たるくらは、かつてないほど戸惑っていた。


 * * *


「私たち、階段から落ちて入れ替わっちゃったのよ」
「そうなんだ〜。大変だねぇ」
「いやそれで納得するのかよ!?」

 簡単に状況を説明する妥木だぼく、あっさり受け入れたるくら、ツッコミを入れるべきせ。三人はテーブルを囲んでいる。
 賑やかだわ、と妥木は思った。
 苦笑しながらるくらが言った。
 
「不思議なこともあるもんだね〜。実際二人は、入れ替わってどんな感じなの?」
「胸が重い」
「アホ毛が気になるわ」

 べきせの呟きと妥木の発言は同時だった。一瞬の沈黙が生まれた。そして。

「触らないでよ」
「もう触るなよ」
「……」

 お互いの牽制する声がまた重なった。場の空気は緊迫した雰囲気に包まれた。
 るくらも再び苦笑いを浮かべている。
 じゃあさ、とるくらが睨み合う二人を取り持つように言った。
 
残下ざんげに相談してみるのは? なんとかしてくれるかも」
「その発想はなかったわ。アホ毛の時はすごかったものね」

 神を自称する不審者こと残下は、よく分からない謎の力を持っている。以前アホ毛に乗っ取られた友人たちの体を元に戻した実績もあり、期待できそうだ。
 スマホを探しかけて、やめる。もっといい手段があるのを思い出した。
 こうだったかしらと遠くを見つめ、妥木は頭の中で念じる。

(残下さん! 私! 私だけど、困ってるのよ!)
(――オレオレ詐欺でおじゃるか?)

 すぐに返答があった。どういう仕組みなのかはさっぱり分からないが、テレパシーというのはとても便利である。
 助けを求めるため更に念を送り出そうとした妥木の脳内に、残下の声が先んじて響く。

(――すまぬが今日は忙しいでおじゃる。日を改めてくれたもう)
(緊急事態なんだけれど、駄目かしら?)
(こっちも修羅場なんでおじゃるよ……。――放っておけばなんとかなるであろうぞ)
(え、残下さん? ちょっと、もしもし? もしもーし!?)

 返答はない。残下からの念も途絶えた。まるで電話を切られたかのようである。
 ヒントらしいヒントといえば、"放っておけばなんとかなる"だけ。同じく占いにもそう書いてあったが……。

「いつまでよ!?」
「……頭は大丈夫か?」
「どうしたの?」

 一点を見つめて黙っていたかと思えば急に叫び出した妥木を、べきせとるくらが不思議そうに見ている。妥木は二人に簡単に説明する。

「残下さんにテレパシってたんだけれど、断られたわ」
「相手に分かるように説明しろって習わなかったか?」
「嫌味を言う妥木って新鮮だね〜。――テレパシったって?」

 簡単すぎて伝わらなかったらしい。テレパシーのことを知らない二人には、もう少し詳しく説明する必要がある。
 妥木は座る足を崩した。

「頭の中で残下さんに向かって念じると届くのよ。イメージ的にはスマホいらない版の電話みたいなものかしらね。残下さんの知り合いしか使えないらしいわ」
「あいつ何者だよ」

 胡散臭いものを見る目つきになったべきせ。一方でるくらは――。

「…………」

 無言で下を向いている。早速試しているらしい。
 妥木は話を続けた。

「忙しいからって断られちゃったのよね」
「猫でも追いかけてるんじゃないか」
「なら私たち、猫に負けたってことになるわよ」
「……にゃんと」
「……え?」
「なんでもない」

 一瞬なんと言ったのか分からなかった。べきせはすぐ平静を装ったようだが、耳が赤くなっている。
 ――柄にもないこと言って自分で照れてるの?
 いつも辛辣な態度を取ってくる仕返しに、馬鹿にしてやろうと妥木は意気込んだ。が、るくらが勢いよく顔を上げたので断念する。

「何言ってるのかよく分からなかったな〜。でも機を待つこと、それと使用済みのカイロが重要らしいよ」
「カイロね……」

 たしか占いのラッキーアイテムだった。使い終わったカイロをどうすればいいというのか。開ける前だと駄目なのか。そもそも冬でもないのにカイロとは?
 妥木は考える。が、まとまらない。分からない。
 ――ていうか残下さん、るくらさんには甘くない? まあいいけれど……。
 妥木は考え続けるふりをする。
 べきせがるくらに続きを促した。

「結構長く話していたようだが」
「なんか愚痴ってたよ。最近忙しくて猫にも会えてないって」
「ほう? 忙しいってのは本当なんだな」
「みたいだね〜。――あ、カイロあるけどいる? でも朝開けたからまだ温かいなぁ」

 るくらがスカートのポケットからカイロを取り出したので、妥木は目を丸くする。べきせも驚いている。どうしてこの時期にカイロを?

「もう夏なのにカイロ使ってるの?」
「冷房で冷えることもあるから全然使うよ。それに夜は寒いし」
「どんだけ寒がりなんだよ」

 妥木は秋冬のるくらの姿を思い出す。たしかものすごく厚着していて、モコモコになっていた。
 今もるくらは長袖のカーディガンを羽織っている。妥木からすれば暑そうだが、本人はそれで適温らしい。

「使用済みカイロが重要って残下、言ってたし。冷たくなったらこれ使って」
「あ、ありがとう」

 妥木は冬でもカイロなど使わないので、一つも持っていない。るくらの申し出をありがたく受ける。
 冷めるまでまだ時間がかかりそうだ。それまでにすることは……。
 妥木は二人に向けて言った。

「じゃ、当初の予定通り、ここを片付けるってことでいいかしら」
「異議なし」
「……俺も?」
「乗りかかった船ってやつよ。他の用事もなくなったでしょう」
「……しょうがないな」

 参加者が確定したところで、それじゃあ、とるくらが仕切り直した。

「妥木、ゴミ袋すぐ出せる?」
「ゴミ袋ね……。この家のどこかにはあるわ」
「…………」

 周りを見渡す三人。片付けていく中でゴミ袋も見つかることを期待したい。

「うちから持ってくる。――鍵くれ。右のポケットだ」

 ため息をついたべきせの申し出に、るくらが助かるよ、と返した。
 妥木から鍵を受け取ると、べきせは散らかった床の僅かな足場を踏みしめながら玄関のほうに消えていった。
 るくらが床のペットボトルを拾いながら妥木に問いかける。

「ここらへんってペットボトルとかは水曜日回収だっけ」
「よく覚えてるわね」
「何回も来てるから覚えちゃった」

 部屋全体を見回しているるくらは、全くもっていつも通りである。見た目がべきせになっている妥木に特別興味を持っている様子もない。
 ――そうだ、今なら好き放題できるわね。べきせさんが戻ってくる前に……。
 閃いた妥木はるくらに持ちかける。

「せっかくだしこの体で遊びましょう、るくらさん」
「――すっごい悪い顔してるよ、妥木」

 そう言うるくらもニヤついている。

「今のうちよ。急がないとね。とりあえず――」

 床に置いてあるバッグから自分のスマホを取り出し、カメラを起動した妥木にるくらが尋ねた。

「自撮り?」
「そう! 絶対しない表情で撮りまくるわ」

 るくらの真隣についた妥木は内カメラにしたスマホを構える。べきせとるくらの姿が画面に映る。

「撮るわよ!」
「ほいっ」

 カシャッと鳴り、まずは一枚。心からの笑顔で。続けて何枚か撮る。るくらもノリノリなのが見て分かる。
 撮った写真を見返すと、普段のべきせはしないような表情ばかりだった。かなり面白い。
 二人でああだこうだ言いながら見返していく。妥木もるくらもハイテンションになっている。

「――そういえば、遅くない?」

 不意にるくらがこぼした。べきせのことだろう。確かに、隣室にゴミ袋を取りに行っただけにしては遅い。とっくに戻ってきてもおかしくない頃合いである。

「遅いわね。――じゃ、戻ってくる前におふざけパート2、いきましょうか。何する? ぱぱっとできることで」
「うーむ……。何があるかな……」
「本当はしてみたい格好とかあったんだけれど、時間的に無理だわね」
「だーねー」

 部屋の片隅にそびえる服の山を見やる。あの中から目当てのものを探して着替えている間に体の持ち主が戻ってくるだろう。そんなところを見つかってしまったらゲームオーバーだ。

「あ。じゃあさ――おわっ!」
「るくらさん! ――うわわっ」

 何かを言いかけたるくらが床のペットボトルを踏んで転んだ。咄嗟に支えようとした妥木も、散らばった封筒に足を取られ、バランスを崩した。
 仰向けに転んだるくらの上に倒れ込んだ妥木。目の前にはるくらの顔がある。気が動転してしまい、体を起こせない。

「ごめんなさい! 大丈夫? いつもみたいに動けないわ……」
「ううん、大丈夫――あ」
「反射神経悪すぎないかしらこの体。まだまだね」
「――人の体でなんてことしてやがる」

 背後から降ってきた冷たい声に振り返ると、いつの間にか戻ってきていたべきせが呆れた顔で立っていた。手にはゴミ袋を持っている。
 妥木は起き上がってべきせに向き直った。

「遅かったじゃないの」
「自分ちの綺麗さに感激していたら、こんなところには戻りたくなくなってな」
「ふーん? ちなみに今のは事故だからね」
「本当かよ」
「マジマジ。マジの事故、略してマジコ」
「何?」
「え?」

 起き上がっていたるくらの謎発言に、二人して一瞬固まる。
 振り返った妥木は、るくらの目が泳いでいるのを見て取った。動揺しているらしい。

「――とりあえず、片付け始めましょうか!」

 この微妙な雰囲気を変えるため張り上げた妥木の宣言がわざとらしく響いた。


 * * *


「終わったー!」
「お疲れ〜」
「疲れた……」

 綺麗になった部屋ではしゃぐ妥木だぼく、ニコニコするるくら、げんなりしているべきせ。

「三人だからいつもより早く終わったね」
「毎回こんなことしてるのか? 普段から使った物は元の位置に戻せばいいものを……」
「その通りね。でもそれができないから、こうなってるのよ!」
「誇らしげに言うな。この散らかし魔人め」
「うるさいわね。小姑かしら?」
「二人とも、その辺で……」

 苦笑いを浮かべたるくらが仲裁するので、妥木は口を閉ざした。べきせも何かを言いかけていたが、やめたようだ。
 言い争いは止まったものの、場は沈黙に包まれた。
 妥木はふと、二人に片付けのお礼を言っていないことに気付いた。

「……ありがとうね、二人とも」

 妥木の言葉にるくらは笑った。疲れているはずだが、全くそんな素振りを見せない。

「どういたしましてだよ」
「……ん」

 べきせは黙って頷いた。流石にもう突っかかってはこない。

「んでこの冷めたカイロ、どうするのかしらね」

 妥木は温度を失って固まったカイロを両手で揉む。これをどう使えば元に戻れるのか、全く想像もつかない。

「貸せ」

 べきせがカイロをかすめ取った。
 その拍子に袋が破けたのか、中身が散らばってしまった。せっかく綺麗になった床に黒い粉末が飛び散る。

「ちょっと! 何してくれてんのよ」
「悪い。でも握力強すぎるだろ、この体」
「私の体のせいにしないでよ。――ああもう。めんどくさいわね」
「手につくな、これ」
「この袋に入れて。床拭かないとだね……」

 三人でしゃがみながら散らばった粉末を掃除する。先程までの片付けは物を正しい場所にしまうのがメインだったので、掃除らしい掃除はあまりしていなかった。
 なんやかんやで作業も進み、なんとか床の黒点もなくなった。集めた中身は破れてしまったカイロとまとめて捨てた。
 掃除の延長戦を終えて一息ついた妥木はハッとした。

「あれ? カイロ捨てちゃったわね。――あら?」
「ん? ――おや」
「どしたの、二人とも」

 体の感覚が、目線の高さが変わった。自身の体を見下ろすと、まず目についたのは大きな胸。それから女性的な体つき。まさしく妥木の、本来の体だ。
 べきせのほうを見ると、そこには自分の姿ではなく、元の馴染み深い隣人の姿があった。妥木と同じように自分の体を見つめている。

「戻った!?」
「戻った……!」
「マジ!?」

 妥木は自分の体に懐かしさすら覚えた。入れ替わっていたのはたった何時間かに過ぎないというのに。

「よかった〜! 何がきっかけで戻れたんだろうね?」

 嬉しそうなるくらの言葉を受けて妥木は考えた。
 戻った時、何をしていたか。――飛び散ったカイロの中身を掃除して捨てた。

「カイロの中身に触れたな。それも同時に」

 べきせが先に結論を出したようである。ややあってから妥木も同じ考えに至った。

「やっぱりカイロが重要アイテムだったんだね〜。でもなんでカイロ?」
「なんでかしらね……」
「まあ無事に戻れたんだし、いいだろう」


* * *


 じゃあまたね、と手を振りるくらが去った後。帰ろうとするべきせを妥木は呼び止めた。

「あの占い、見せてくれない? 私てんびん座なんだけれど、なんて書いてあるのか気になるわ」
「ちょっと待ってろ」

 片手でスマホを操作するべきせ。頭上のアホ毛が珍しくピコピコ揺れている。元に戻れて喜んでいるように感じられた。
 
「お、一位だとよ。――うわ」
「どうしたのよ」
「ひでえ内容だ。でもこれも予言じゃないか?」

 見せられた画面を覗く。ポップな文字列が目に入った。

"1位はてんびん座のあなた! 1位だからって調子に乗らないほうがいいかも♪ 油断がトラブルを招いてしまう予感☆ ラッキーカラーは白と黒! ラッキーアイテムはゴミ袋☆彡"

 一度読んで、書いてあることが頭に入ってこず、もう一度読んだ。やはりカオスな内容だが……。
 ふざけてるよな、とべきせが同情するようなトーンで言った。
 何度か読み返してようやく書いてあることを理解できた妥木は叫んだ。

「どこが一位よ!!!」
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