番外編5 宮城旅行仙台編・最終日
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
緑が鮮やかな初夏の頃、兄様はようやくお部屋から出ることを許された
けれどそれまでは共にしていた食事の時間に、兄様は姿を現さなくなった
母様の命令だったと知ったのはしばらくした後だったけれど、その命令がなくても、兄様は顔を出さなかっただろう
兄様が伏せっていた間に、母様は兄上様を可愛がるようになった
「竺や、竺や、おまえが伊達を継ぐのですよ」
呪いのような言葉が兄上様へ浴びせられる
兄様は生きているのに、存在がなかった
誰もが右目を失った兄様に神経を尖らせた
それはまるで腫れ物に触るかのように
そして触れ方を間違えたら、己の首が飛ぶと言わんばかりに
兄様は私とも竺丸とも遊んでくれなくなった
会ってすらくれなかった
一方的に私が会いに行けば、何しに来やがったと怒鳴られる
そこにはもう、私の大好きな兄様の面影は残っていなかった
ただ兄様は、何もしなかったわけではなかった
木刀を持って、一心不乱に振り続けた
そこには鬼気迫るものがあって、まるで自分の命を燃やしているかのようだった
「遠藤のおじい様……お願いがあるの」
「おや、この爺に姫様が?」
「兄様のこと、助けてほしいの
兄様はいま、お城の中でひとりぼっちになったみたい……
私が兄様を助けたかったけど、私じゃ駄目なの
会いに行っても、兄様を怒らせちゃうの
だから……」
私の懇願を、顎髭を撫でながら聞いていた遠藤様は、思案するように唸った後
何かを決心したように、頷いた
「……ひとつ、賭けてみるか」
不思議な言葉を呟いてから、しばらく経った頃
兄様の傅役として抜擢されたのは、お喜多の弟
片倉小十郎景綱その人だった
城に初めて登った小十郎を遠目に見た私と兄上様は、あまりの人相の悪さと、纏う雰囲気の恐ろしさに、声を掛けることすらできなかった
「遠藤のおじい様、あの、あの人、兄様を殺しに来たんじゃないのよね?」
「まさかまさか
儂がそのような危険な者を、梵天丸様のお側にやるはずがありません
これは賭けなのです、姫様
上手くいけばあの者は、梵天丸様の光明となるやもしれませんぞ」
本当に……?
私は遠藤様の言葉が信じられなかった
だってまるで、人を殺しに行くような目をしていた
兄様にもしもの事があったら、今度は私が兄様の手を引いて、ここから出るんだ──
幼いなりにそう覚悟を決めるくらいには、私は片倉小十郎に恐怖心を抱いていた
そしてその予感はその日のうちに的中した
城を抜け出していた兄様の元へ向かった小十郎は、兄様をボコボコにして帰ってきたのだ
報告を聞いて兄様に会いに行こうとしたけれど、それは遠藤様によって阻止された
米沢城の一角はわずか数日でボロボロになり、毎日のように怒号と物が壊れる音が響いた
やっぱりあの人は、兄様を殺しに来たんだ──このままでは兄様が殺されてしまう
どうにかして兄様とここから逃げないと
そんな、見当外れの心配をしていた私を他所に、米沢城内の怒号や破壊音は、少しずつ落ち着きを取り戻した
あの片倉小十郎という男、中々どうして骨のある奴だ
そんな評価が城内に広がり始めた頃──
事件は、起きた
* * *
夕焼け空を、烏がかぁと鳴いて飛んでいく
ようやく兄様のお部屋へ入ることを許された私は、昏昏と眠る兄様の右目に巻かれた包帯に触れようとして、手を引っ込めた
そこへ手拭いの入った桶を抱えてやってきたのは、あの男
「……伊達家一の姫君」
「あ……あなたは、片倉」
「片倉小十郎景綱と申します
どうぞ、小十郎とお呼びください」
「……小十郎」
「は……」
「老中たちを殴ったって聞いたの」
「……」
「兄様の右目を抉り出した、とも聞いたの
本当なの?」
「……すべて、本当のことです」
跪坐のまま腰を折り、小十郎は答えた
けれど声音には淀みもなく、後悔もない
淡々と聞かれたことにのみ答える姿勢が見て取れた
「……ありがとう、小十郎」
「は……?」
「兄様のお側にいてくれて
兄様をひとりぼっちにしないでくれて」
「一の姫様──」
「私が遠藤のおじい様にお願いしたの
兄様を助けてって、言ったの
ひとりぼっちみたいだった、ずっと
兄様はここにいるのに、みんな、兄様がいない未来の話をしていたの
ずっとひとりで剣を振っていたのに、誰も兄様のことを見なかったの
だから、誰かが兄様を見てくれたらいいのにって、思って」
ぽたり──私の右目から涙が滑り落ちる
ようやく兄様を見てくれる人が現れた
兄様に道を示してくれる人が、ようやく
「……私には、やりかたも何も分からなかったの
兄様の手を引いて、ここから逃げることしか考えつかなかった
……兄様はそんなこと、絶対にしないのに」
「……はい」
「小十郎、ずっと兄様のお側にいてあげてね
兄様は右目が見えないの
だから兄様の分まで、小十郎が見て」
「言われずとも
この小十郎、天翔ける竜となられるその日まで、『右目』として政宗様のお側に」
「……兄様のこと、お願いね」
兄様の額に浮かぶ汗を、手拭いでそっと拭き取る
兄様のお側にいたいだけの私の我儘を、兄様はまた許してくれるだろうか
それともやはり、あっちへ行けと怒鳴るのだろうか
私はもう、兄様のお側には──
「……う」
「政宗様!」
右目を押さえて呻いた兄様の枕元へ、小十郎が駆け寄る
そうして二人は短い言葉で会話をした
(……ああ、よかった
兄様を助けてくれる人は、ちゃんといたのね──)
兄様が病に冒されて右目を失って数年
ようやく兄様の瞳には、光が戻った
「……姫」
兄様の声が私を呼ぶ
頷いて私は「兄様」と、それだけを呼びかけた
こうして面と向かってお会いするのは、随分と久しぶりだ
顔を合わせないうちに、兄様はまた背を伸ばされたらしい
「姫、なんでここに」
「兄様に……お会いしたかったの……
す、すぐに向こうに戻るから……!
だから、だから……あっち行けって、怒らないで……」
堪えていた涙が、頬を伝った
この部屋を出なければならないのは、嘘ではなかった
母様は私が兄様に会おうとするのを禁じていたから、この光景を見たら、間違いなく怒られていただろう
だから兄様にまで怒られたくなかった
……否、心のどこかで、まだ忘れられなかったんだろう
私の手を引いて笑う……優しい兄様のことが
「……姫」
「っ……」
「こっち来い、姫」
あっちに行けと、反対の言葉
涙を手の甲で拭って、兄様の近くに歩み寄る
小十郎に背を支えられて、兄様が起き上がった
「兄様……右目、痛む?」
「少しな
だがもう平気だ
ずっと心配かけて悪かった
俺に会いに来てくれたのに邪険にして、怒鳴って……悪かった」
「ううん、いいの
兄様の言う通りでもあったから
ここに来ると、母様が怒るの
兄上様もここまでは来ないから、私しかお側にいられなくてごめんなさい……」
俯いてしまうと、私の頭にそっと温かい手が触れた
ぽん、と乗った手が、ぽんぽんと撫でる
おずおずと顔を上げてみれば、そこには大好きな兄様の微笑みが浮かんでいた
「姫がいてくれて、兄様は嬉しいぜ」
「……ほんとう?
それじゃあ私、これからも兄様に会いに来てもいい?」
「もちろんだ
母上に怒られるのは覚悟しておけよ」
「兄様に会えるなら、母様に怒られるのは大したことじゃないの」
ふは、と笑った兄様が、愛おしそうに私の頭を撫でた
離れていた分を埋めるみたいに、優しく、何度も
「兄様、声が変わったのね」
「もう十三になった、元服も済ませているんだ
梵天丸の名は、これで終いだな」
「その話は遠藤のおじい様から聞いたの
九代当主だった大膳大夫政宗公から名前をいただいたんだって」
「ああ、こっから先の俺は、伊達藤次郎政宗だ
いつかこの名を天下に知らしめてやる
奥州はまだまだ強くなるぜ」
「兄様ならきっと出来るって信じてるよ」
いつか兄様が天下に名乗りを上げる日を、私も楽しみにしている
兄様と小十郎ならきっと、天下だって夢じゃない
片目を失くしたって、兄様には小十郎という『右目』がいるんだから
伊達家は、奥州は──これからだ
けれどそれまでは共にしていた食事の時間に、兄様は姿を現さなくなった
母様の命令だったと知ったのはしばらくした後だったけれど、その命令がなくても、兄様は顔を出さなかっただろう
兄様が伏せっていた間に、母様は兄上様を可愛がるようになった
「竺や、竺や、おまえが伊達を継ぐのですよ」
呪いのような言葉が兄上様へ浴びせられる
兄様は生きているのに、存在がなかった
誰もが右目を失った兄様に神経を尖らせた
それはまるで腫れ物に触るかのように
そして触れ方を間違えたら、己の首が飛ぶと言わんばかりに
兄様は私とも竺丸とも遊んでくれなくなった
会ってすらくれなかった
一方的に私が会いに行けば、何しに来やがったと怒鳴られる
そこにはもう、私の大好きな兄様の面影は残っていなかった
ただ兄様は、何もしなかったわけではなかった
木刀を持って、一心不乱に振り続けた
そこには鬼気迫るものがあって、まるで自分の命を燃やしているかのようだった
「遠藤のおじい様……お願いがあるの」
「おや、この爺に姫様が?」
「兄様のこと、助けてほしいの
兄様はいま、お城の中でひとりぼっちになったみたい……
私が兄様を助けたかったけど、私じゃ駄目なの
会いに行っても、兄様を怒らせちゃうの
だから……」
私の懇願を、顎髭を撫でながら聞いていた遠藤様は、思案するように唸った後
何かを決心したように、頷いた
「……ひとつ、賭けてみるか」
不思議な言葉を呟いてから、しばらく経った頃
兄様の傅役として抜擢されたのは、お喜多の弟
片倉小十郎景綱その人だった
城に初めて登った小十郎を遠目に見た私と兄上様は、あまりの人相の悪さと、纏う雰囲気の恐ろしさに、声を掛けることすらできなかった
「遠藤のおじい様、あの、あの人、兄様を殺しに来たんじゃないのよね?」
「まさかまさか
儂がそのような危険な者を、梵天丸様のお側にやるはずがありません
これは賭けなのです、姫様
上手くいけばあの者は、梵天丸様の光明となるやもしれませんぞ」
本当に……?
私は遠藤様の言葉が信じられなかった
だってまるで、人を殺しに行くような目をしていた
兄様にもしもの事があったら、今度は私が兄様の手を引いて、ここから出るんだ──
幼いなりにそう覚悟を決めるくらいには、私は片倉小十郎に恐怖心を抱いていた
そしてその予感はその日のうちに的中した
城を抜け出していた兄様の元へ向かった小十郎は、兄様をボコボコにして帰ってきたのだ
報告を聞いて兄様に会いに行こうとしたけれど、それは遠藤様によって阻止された
米沢城の一角はわずか数日でボロボロになり、毎日のように怒号と物が壊れる音が響いた
やっぱりあの人は、兄様を殺しに来たんだ──このままでは兄様が殺されてしまう
どうにかして兄様とここから逃げないと
そんな、見当外れの心配をしていた私を他所に、米沢城内の怒号や破壊音は、少しずつ落ち着きを取り戻した
あの片倉小十郎という男、中々どうして骨のある奴だ
そんな評価が城内に広がり始めた頃──
事件は、起きた
* * *
夕焼け空を、烏がかぁと鳴いて飛んでいく
ようやく兄様のお部屋へ入ることを許された私は、昏昏と眠る兄様の右目に巻かれた包帯に触れようとして、手を引っ込めた
そこへ手拭いの入った桶を抱えてやってきたのは、あの男
「……伊達家一の姫君」
「あ……あなたは、片倉」
「片倉小十郎景綱と申します
どうぞ、小十郎とお呼びください」
「……小十郎」
「は……」
「老中たちを殴ったって聞いたの」
「……」
「兄様の右目を抉り出した、とも聞いたの
本当なの?」
「……すべて、本当のことです」
跪坐のまま腰を折り、小十郎は答えた
けれど声音には淀みもなく、後悔もない
淡々と聞かれたことにのみ答える姿勢が見て取れた
「……ありがとう、小十郎」
「は……?」
「兄様のお側にいてくれて
兄様をひとりぼっちにしないでくれて」
「一の姫様──」
「私が遠藤のおじい様にお願いしたの
兄様を助けてって、言ったの
ひとりぼっちみたいだった、ずっと
兄様はここにいるのに、みんな、兄様がいない未来の話をしていたの
ずっとひとりで剣を振っていたのに、誰も兄様のことを見なかったの
だから、誰かが兄様を見てくれたらいいのにって、思って」
ぽたり──私の右目から涙が滑り落ちる
ようやく兄様を見てくれる人が現れた
兄様に道を示してくれる人が、ようやく
「……私には、やりかたも何も分からなかったの
兄様の手を引いて、ここから逃げることしか考えつかなかった
……兄様はそんなこと、絶対にしないのに」
「……はい」
「小十郎、ずっと兄様のお側にいてあげてね
兄様は右目が見えないの
だから兄様の分まで、小十郎が見て」
「言われずとも
この小十郎、天翔ける竜となられるその日まで、『右目』として政宗様のお側に」
「……兄様のこと、お願いね」
兄様の額に浮かぶ汗を、手拭いでそっと拭き取る
兄様のお側にいたいだけの私の我儘を、兄様はまた許してくれるだろうか
それともやはり、あっちへ行けと怒鳴るのだろうか
私はもう、兄様のお側には──
「……う」
「政宗様!」
右目を押さえて呻いた兄様の枕元へ、小十郎が駆け寄る
そうして二人は短い言葉で会話をした
(……ああ、よかった
兄様を助けてくれる人は、ちゃんといたのね──)
兄様が病に冒されて右目を失って数年
ようやく兄様の瞳には、光が戻った
「……姫」
兄様の声が私を呼ぶ
頷いて私は「兄様」と、それだけを呼びかけた
こうして面と向かってお会いするのは、随分と久しぶりだ
顔を合わせないうちに、兄様はまた背を伸ばされたらしい
「姫、なんでここに」
「兄様に……お会いしたかったの……
す、すぐに向こうに戻るから……!
だから、だから……あっち行けって、怒らないで……」
堪えていた涙が、頬を伝った
この部屋を出なければならないのは、嘘ではなかった
母様は私が兄様に会おうとするのを禁じていたから、この光景を見たら、間違いなく怒られていただろう
だから兄様にまで怒られたくなかった
……否、心のどこかで、まだ忘れられなかったんだろう
私の手を引いて笑う……優しい兄様のことが
「……姫」
「っ……」
「こっち来い、姫」
あっちに行けと、反対の言葉
涙を手の甲で拭って、兄様の近くに歩み寄る
小十郎に背を支えられて、兄様が起き上がった
「兄様……右目、痛む?」
「少しな
だがもう平気だ
ずっと心配かけて悪かった
俺に会いに来てくれたのに邪険にして、怒鳴って……悪かった」
「ううん、いいの
兄様の言う通りでもあったから
ここに来ると、母様が怒るの
兄上様もここまでは来ないから、私しかお側にいられなくてごめんなさい……」
俯いてしまうと、私の頭にそっと温かい手が触れた
ぽん、と乗った手が、ぽんぽんと撫でる
おずおずと顔を上げてみれば、そこには大好きな兄様の微笑みが浮かんでいた
「姫がいてくれて、兄様は嬉しいぜ」
「……ほんとう?
それじゃあ私、これからも兄様に会いに来てもいい?」
「もちろんだ
母上に怒られるのは覚悟しておけよ」
「兄様に会えるなら、母様に怒られるのは大したことじゃないの」
ふは、と笑った兄様が、愛おしそうに私の頭を撫でた
離れていた分を埋めるみたいに、優しく、何度も
「兄様、声が変わったのね」
「もう十三になった、元服も済ませているんだ
梵天丸の名は、これで終いだな」
「その話は遠藤のおじい様から聞いたの
九代当主だった大膳大夫政宗公から名前をいただいたんだって」
「ああ、こっから先の俺は、伊達藤次郎政宗だ
いつかこの名を天下に知らしめてやる
奥州はまだまだ強くなるぜ」
「兄様ならきっと出来るって信じてるよ」
いつか兄様が天下に名乗りを上げる日を、私も楽しみにしている
兄様と小十郎ならきっと、天下だって夢じゃない
片目を失くしたって、兄様には小十郎という『右目』がいるんだから
伊達家は、奥州は──これからだ
