王子様たちと甘いひとときを
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人間って本当に怖い。頭に血が上った勢いで大嫌いだとか別れたいとか、思ってもないことが口から出てくるのだから。それも、驚くほどすらすらと。そんなわたしにブン太は恐ろしいほどに落ち着いて、別れよう、と言った。悔しかったから思いっきり頷いてやった。その夜、朝まで涙が止まることはなかった。きっとこの時点では、あなたの未来にわたしはいないのだろう。
「おい丸井、昨日のテレビ見たかよー!」
「見た見た、あのオチは想像出来なかったよな」
「あ、丸井くん、ポッキー食べる?」
「お、サンキュー!」
今日も彼の周りにはたくさんの友人が寄って来て、わいわいと楽しそうに会話が弾んでいる。彼は普段ちゃんと口を休められているのだろうか。そんなくだらないことを心配をしてしまうくらいに。
わたしだって友人はいるけれど、ブン太の周りが賑やかすぎてわたしの周りの音さえかき消されてしまいそう。
そんなブン太の姿を視界の隅に置いてるわたしは、きっとぶすっとして、可愛くない顔をしているんだろう。ブン太を見ているといらいらして、胸が苦しくなる。だけどそれは嫌いだからじゃない。まだ忘れられないから。まだブン太のことが好きだから。
喧嘩の際に勢いで言ってしまった「別れる」。そのたった四文字の言葉でわたしたちの関係は終わってしまった。お前がそう言うのなら仕方ない、そう言って彼はわたしの願いを叶えてくれたのだ。なのに心は晴れなかった。
数ヶ月経っても、わたしは勢いで言ってしまった言葉に酷く後悔していた。別れたいなんて、そんなこと微塵にも思っていなかった。覆水盆に返らず。そんなことわざの意味を今更噛み締めたって、意味がないのに。
*
秋も深まり涼しくなって来た今日この頃。本格的に体育祭が近付いてきて、体育会系の人たちはとっても楽しそう。
わたしは運動は得意でも不得意でもないけれど、イベントごとは嫌いじゃない。せっかく参加するのならば精一杯楽しみたいと思っている。
わたしはじゃんけんで、割と楽そうな二人三脚と借り物リレーを選ぶことが出来た。友人とわいわい話していると、大きな声で意外な言葉が教壇の方から聞こえた。
「今年の二人三脚は男女でペアにするので、くじ引きやりまーす!」
男女でペアを組む必要なんてあるのか?なんて思ったけれど、遊び心のある人たちが多いこのクラスならそういう考えが出てもおかしくないのかもしれない。心なしか男子がとても嬉しそうに見える。そんな彼らを眺めていると、ポニーテールの女の子が女子用のくじ引きを持ってわたしの元へとやってきた。
「はい、どうぞ」
「うん」
「星マークだね、黒板に書いてくるねー!」
「ありがとう」
ちょうど良い感じに日に焼けた彼女はとても感じの良い子だ。クラスの誰にでも平等に接することが出来て嫌味のないサッパリしているタイプ。きっとブン太にはああいう子が似合うんだ、なんて無意識に思ってしまう。
わたしはブン太と別れてから毎日が不安だった。あの子と付き合うのでは、この子と付き合うのではないかといつも想像してしまう。女子から圧倒的人気のあるブン太のことだ。いつ新しい彼女が出来たっておかしくない。
そんなことをぽけーっと考えながら黒板を見遣ると、星マークの箇所にはわたしとブン太の名前が書いてあって思わず声が漏れそうになった。クラスメイトもわたしたちの関係を知っていたし、少し同情的な視線を送られている気がする。その視線がわたしにとっては辛かった。本当にもう終わってしまったのだと知らしめられるから。
「はな、大丈夫なの?」
「大丈夫じゃない…けど、嫌だなんて言えないよ」
そんな当てつけみたいなことしたくないし、何よりそんなことでクラスの空気をぶち壊したくない。それに、別にわたしは嫌ではない。ブン太がそう思っているんじゃないかと思うと、それなら自分から退こうかなと思う程度で。
「今年は目指せ優勝だから!特に二人三脚に選ばれた男女、ちゃんとお昼休みとか放課後に練習しておいてよねー!」
「れ、練習…?」
別れてからブン太と一度も言葉を交わしていないというのに、なんでそんな地獄みたいな時間を味わわなければいけないんだ。いや、そう思っているのはブン太の方かもしれない。そうっと彼の席の方へ目をやると、ぱちっと目が合って、思わず目を逸らした。出来れば避けたいイベントだけれど、体育会系のリーダー的存在である彼女がそう言うのであれば逃げられない…気がする。
「はな」
「あ、ブン太…」
いつの間にかわたしの机の前に現れたブン太に無意識にたじろいでしまった。久しぶりに彼の名前を口に出して、とても違和感があることに胸が切なくなる。まさか彼の方から話しかけに来てくれるなんて思わなかったから、心拍数が上がってくるのが嫌でも分かる。
「放課後、テニスコートの前で待ってろよ。部活前に二人三脚の練習すっから」
「え、ほ、本当にやるの?」
「当たり前だろい。中学最後の体育祭だし、優勝目指してんだからやるっきゃねえ!」
そうだった、ブン太も漏れることなく体育会系男子だった。彼はわたしとのことなんて何もなかったかのように目をキラキラと輝かせてガッツポーズを取った。わたしにあまり気を遣わせないようにしてくれているのかもしれない。
そうか、そうだよね。付き合う前に、ただのクラスメイトに戻っただけだ。それならわたしも意識したって仕方がない。それが寧ろブン太にとって迷惑になってしまうのなら、わたしもわたしの気持ちをなかったことにしてしまえばいいだけの話。胸が痛むけれど、わたしもこの気持ちを表には出してはいけないのかもしれない。
*
約束通りテニスコートのフェンスの前でわたしたちは待ち合わせをした。ブン太によると、他の男女ペアもそれぞれの場所で練習しているらしい。みんな本気で優勝を目指してるのだと思うとわたしも気を抜けない。
「じゃあ右足出して、縛るから」
「え、いきなり縛るの?」
「習うより慣れろ、だ。身体に教え込む方が手っ取り早いだろい?」
それはそうだけど、まだそこまで密着する心の準備は出来ていなかった。あのあと考えていたことは、二人三脚は密着度がかなり高いということ。今まで女の子としたことはあるけれど、そんなこと気にしたこともなかった。相手が男子、ましてやブン太ともなると話が変わってくる。付き合っていたわけだからその程度、と自分でも思うけれど、数ヶ月のブランクは自分が思うよりもかなり大きい。
そんなことを考えているうちにブン太はしゃがみ込んで器用にわたしの右足首と彼の左足首を紐でキュッと結ぶと、よし、と言って立ち上がった。
「わわっ」
「おっと、大丈夫かよい」
ブン太が立ち上がったことで彼と接近したことに対して反射的に距離を取ろうとしたけれど、足首の紐がそうはさせてくれなかった。よろめいたわたしの腰を抱いたブン太の手のひらの熱を直に感じると、顔に熱が集中した。思っていた以上に距離が近い。付き合っていた頃には当たり前だった距離だけれど、今のわたしたちには考えられないものだった。
「ほら、お前も肩に手回して」
「うう…」
恥ずかしいという感情を押し殺してわたしも恐る恐る彼の肩に手を回す。腕や横腹が密着する感覚や、彼の噛むガムのグリーンアップルの香りが頭を支配することで、脳がパンクしてしまいそうだ。
「まずほら、お前は右足」
「う、うん」
ブン太はどうしてここまで冷静でいられるのだろう。本当に何もなかったみたいな感覚で、わたしはもう一度失恋したかのような気持ちになって苦しくなった。
わたしたちは声を掛け合いながら少しずつ練習を始めた。簡単だと思っていたけれど、やっぱり少し難しい。
「思ってたより難しいね」
「んー、やっぱ足の長さが関係してんじゃねえ?」
「ひど!そんなに変わんないよ、絶対」
「いやいや、足の付け根見てみろよ、ほら…」
「み、見なくて良いから!」
ブン太との練習はまるで付き合っていた頃に戻ったんじゃないかと思うくらいに普通に接することが出来て、とても楽しかった。あっという間に時間は過ぎて、ブン太は部活へと向かうことになってしまった。
「んじゃ、当日までみっちり練習すっからな。ばっくれんなよ?」
「そんなことしないよ!」
わたしが笑いながらそう返すと、ブン太も楽しそうに笑い返してくれて、思わず勘違いしそうになる。だけど、"彼氏"から"友達"に戻るって、こういうことなのかもしれないなんて考えると、やっぱり胸が少し痛む。やっぱりまだ、ブン太のことが好きなんだな、わたし。改めて気持ちを再確認することが出来て、少し嬉しくなった。
*
体育祭がいよいよ前日に差し迫った今日。二人での最後の練習を終えた。たった三日間だけの時間だったけれど、わたしとしてはとても濃密なものだった。
夜ご飯を食べてベッドでまったり過ごしていた時、ふと隣に置いてあったスマートフォンが目に入った。ブン太に明日のことLINEするの、気味悪がられるかな。なんて思いながらも、自然と手に取ってブン太とのトーク画面を開いていた。
トーク画面は、別れた数ヶ月前、ブン太からの子豚のスタンプが送られてきたところで時間が止まっていた。このスタンプはわたしがブン太にプレゼントしたもの。決してブン太を馬鹿にしているとかではなくて、とても可愛く色んな表情やポーズを決めているこのキャラクターが、彼を連想させたのだ。ブン太は子豚ということに対して揶揄われているのではないかと初めは拗ねていたけれど、だんだん愛着が湧いてきたらしく、たくさん使うようになってくれた。
懐かしいな、なんて思いながらも、震える指で入力欄に文字を打っていく。
"スパルタ練習ありがとう。明日は頑張ろうね"
思い切って送信ボタンを押すと、しばらくしてすぐに既読がついた。心臓がドクンと跳ねて、慌ててホーム画面に戻る。ブン太はわたしのLINEを見て、今何を思っているんだろうか。なんて、返信を待っている間に色んなことを考えてしまう。
付き合い始めの頃もそうだった。こんなふうに送ったら馴れ馴れしいかなとか、重いかなとか。その時はこれから先の未来があったから、嬉しさや楽しさしかなかった。今はもうその当たり前の現実がなくなってしまったのが寂しいけれど、またこうやってLINEを送ることが出来ることが奇跡みたいなもので。わたしは心の底から体育祭の存在に感謝した。
そんなことを考えていると、手の中のスマホが二回、メロディーを奏でた。
バクバクと波打つ心臓付近を摩ってあげながらもトーク画面を開くと、そこにはいつも通りの彼がいた。
"あれでも優しくした方だぜぃ?明日は絶対優勝するからな!"
その後に送られたのは、例の子豚の"がんばる!"と言う文字が添えられたスタンプ。そんなちっぽけなイラストを見ただけで簡単にわたしの視界は歪んだ。まだ使ってくれていたなんて。
わたしも同じニュアンスの言葉のスタンプを返して、スマホの画面をロックした。
明日。明日で、ブン太との接点がなくなってしまう。そう考えると悲しくなったけれど、最高の思い出にするためにも、今までの練習を無駄にしないためにも、自分の全力を出して頑張ろう。
*
体育祭当日、わたしの選んだ種目はどちらも午後だったので、午前中は友人たちと一緒にクラスメイトたちの応援に集中していた。思った以上の盛り上がりにわたし自身もとても楽しく過ごせていた。今の時点で、三年生の中ではわたしたちのクラスが一位だった。
教室でのお昼ご飯の時間を迎えたものの、わたしは緊張してあまりお弁当が喉を通らなかった。二人三脚はお昼休み後すぐだから。あとで食べようとお弁当を仕舞い友人が食べ終わるのを待った後、午後の部に向けてまた外へと向かうのだった。
*
二人三脚、わたしとブン太の番が遂に来てしまった。練習の時と同じようにブン太がわたしたちの足を紐で結んでくれる。わたしはブン太の腰に、ブン太はわたしの肩に手を回した。この距離ももう、今日で最後なのだと思うと離れがたく思う。恥ずかしいのに離れたくないなんて我儘なのだろうかと自分でも思うけれど、今は一位を取ることに集中しよう。
「あんま緊張しすぎんなよ?練習通りやりゃ良いから」
「緊張しないのは無理があるけど…なるべく頑張るよ」
「大丈夫だって、せっかくスパルタ練習してやったんだからな」
そう言って私の肩をポンッと叩くと、ブン太は前を向いた。そういう何気ない動作が私の胸を高鳴らせていること、彼は分かっているのだろうか。いや、分かっていたらこんなことしないか。
「よっしゃ、行くぞ!」
「うん!」
開始を知らせるピストルが鳴ってからわたしたちは、いちに、いちに、とリズムよく声を掛け合いながらわたしたちは練習した通りにゴールに向かって結ばれた足で地面を蹴っていく。途中転んでいる子たちも居て少し心配になったけれど、今は自分たちのことに集中しなければいけない。
わたしたちはそのままどのペアよりも早くゴールテープを切った。クラスメイトからの歓声も聞こえてきて、とっても気持ちがいい。何より隣に居るブン太との喜びが大きくて、わたしたちはどちらからともなく抱きしめ合った。
「よっしゃー!一位だ!」
「やったー!」
「やっぱ俺ら、相性抜群だな!」
「ほんとだね!」
ハッと我に返ってお互い抱き合っていた腕を離す。その後には気まずい沈黙。思わず付き合っていた頃のノリで抱きついてしまった。久しぶりの感覚に嬉しくもあり、競技が終わってしまったんだという虚しさに襲われもした。
「悪りぃ、テンション上がりすぎちまった」
あはは、と切なそうに笑ったブン太に胸が苦しくなって涙が出そうになった。思わず逃げ出したくなって自然と動いた右足が、わたしとブン太を結んでいた両足を思い出させるようにくんっと引っ張られる感覚に陥った。
「あっ」
「おい、大丈夫かよい?」
バランスを保てず転びそうになったところを、ブン太が肩を抱き寄せてくれた。このなんてことない紐が、赤い糸ならどれほど嬉しいことか。なんて馬鹿な考えが頭を過ぎる。
「ご、ごめん、ありがと」
「お、おう」
ブン太はしゃがみ込んでわたしと彼の足を繋いでいた紐を解いてくれた。少し寂しいと感じてしまうのはきっと私だけなのだろう。
「じゃあみんなの所に戻るね」
「おう、またな」
"また"なんてあるのかな、そう思いながらも少し口角が上がっている自分がいた。もしかしたら、まだ彼との未来があるのかもしれない。そんな希望が私の胸を満たした。
*
最後の種目はわたしの出場する借り物競走だ。鉢巻を巻いて、位置につく。
パァン!と響いたピストルの音で地面を蹴り、それぞれの箇所に置かれた紙を手に取る。わたしが手に取った紙には、思ってもみなかった文字が書かれていた。
「好きな、人…?」
わたしは一瞬足がすくんだ。わたしの好きな人は、考えなくても勝手に頭に浮かんでくる彼、丸井ブン太。
思わずその場に立ち尽くしてしまっていたけれど、自分を奮い立たせてクラスのみんなが応援している場所へ走っていった。
「ブン太、来て!」
元彼女が呼び出すなんて、みんな何が書かれていたんだと驚いているけれど、そんなこと、もうどうでもいい。ブン太の隣にいた男子に背中を押された彼が慌ててわたしの元に来てくれた。
わけがわからないと言ったままわたしの元に来てくれたブン太だったけれど、優勝を目指しているというのもあって笑顔でわたしの手を引いてゴールに向かって走って行った。
「行くぞ!」
「うん!」
わたしたちはゴールテープを切った。わたしとブン太は息を切らしながらもハイタッチをして、彼に手を引かれてその場から離れた。
「はあっ、はぁ…ブン太、足速すぎ…」
「はぁっ…わり…で、なんて書いてあったんだよ…?」
ブン太にそう言われて心臓が暴れるように高鳴った。そうだ、わたしが頑張るのはここからでもあったんだ。
「…これ」
わたしは彼に"好きな人"と書かれた紙を差し出した。必死に走ってる間に握ってしまっていたから、くしゃくしゃになっていた。短い文章の意味を理解したブン太は、ぱっと顔を上げてわたしに目をやる。思わず逸らしそうなのをぐっと堪えてわたしもブン太の目を見つめた。
「これ…って」
「わたしの好きな人。わたし、まだ、ブン太が…好きっ…」
自分の気持ちを話しているうちに、鼻の奥がツンとして、言葉が震えてしまった。ブン太の反応が怖くて反射的に下を向いてしまう。
「何でだよ…お前が別れるって言ったんだろ」
「あれは…つい、カッとなって言っちゃったの…でも、本心じゃないよ…ずっと、ずっと好きなままだったよ…」
思っていることを全てぶつけると、ブン太は呆れたように自分の頭をガシガシと掻いた。はあーっと大きな溜息に思わず体がびくっと反応してしまう。
「お前なー…俺だって別れるって言われんの、結構傷付くんだからな」
「ごめ…ごめんね…」
「…ん」
短く返事をした彼に、これ以上何も言えなかったのは、腕を引き寄せて抱きしめてくれたから。傷付いたのは彼なのに、どうしてわたしが泣いているのかわたしにも分からなかった。
「俺だってまだ好きに決まってんだろい」
「ほ、ほんとに…?」
「ん、当たり前。俺はお前と違ってすっげえ一途なの」
「だ、だからごめんってば、わたしも好きなままだって…」
「じゃあ約束しろい。もう別れるとか絶対言わねえって。何か思うことがあんなら直球でぶつけて来いよ」
「分かった…ありがと…」
耳元で聞こえてきたブン太の声は少し震えている気がした。彼もまだわたしを好いてくれていたという事実が嬉しくて溢れてくる涙を止めることが出来なかった。
懐かしい大きな手で頭を撫でてくれて、恥ずかしくもブン太の胸に体重を預ける。他のみんなは一位になったことに大喜びしていて、まるでわたしたちだけの世界にいると勘違いしそうになった。
これからは絶対にこの幸せを簡単に手放さない。後悔しないように、ブン太にもっともっと好きだと思ってもらえるように頑張ろうと心に決めた。
あとから知ったのは、あのポニーテールの彼女が全てわたしたちのために仕組んだことだったっていうこと。
本当はブン太はハートマークを持っていたらしく、別の男子のものと取り替えてくれたらしい。借り物競走のお題も、こっそりすり替えたのだと聞いた。
わたしにもう一度チャンスをくれたあの可愛らしい恋のキューピッドに、わたしはきっと永遠に感謝し続けることだろう。
あなたのいない世界なんて、もういらない
20260420
「おい丸井、昨日のテレビ見たかよー!」
「見た見た、あのオチは想像出来なかったよな」
「あ、丸井くん、ポッキー食べる?」
「お、サンキュー!」
今日も彼の周りにはたくさんの友人が寄って来て、わいわいと楽しそうに会話が弾んでいる。彼は普段ちゃんと口を休められているのだろうか。そんなくだらないことを心配をしてしまうくらいに。
わたしだって友人はいるけれど、ブン太の周りが賑やかすぎてわたしの周りの音さえかき消されてしまいそう。
そんなブン太の姿を視界の隅に置いてるわたしは、きっとぶすっとして、可愛くない顔をしているんだろう。ブン太を見ているといらいらして、胸が苦しくなる。だけどそれは嫌いだからじゃない。まだ忘れられないから。まだブン太のことが好きだから。
喧嘩の際に勢いで言ってしまった「別れる」。そのたった四文字の言葉でわたしたちの関係は終わってしまった。お前がそう言うのなら仕方ない、そう言って彼はわたしの願いを叶えてくれたのだ。なのに心は晴れなかった。
数ヶ月経っても、わたしは勢いで言ってしまった言葉に酷く後悔していた。別れたいなんて、そんなこと微塵にも思っていなかった。覆水盆に返らず。そんなことわざの意味を今更噛み締めたって、意味がないのに。
*
秋も深まり涼しくなって来た今日この頃。本格的に体育祭が近付いてきて、体育会系の人たちはとっても楽しそう。
わたしは運動は得意でも不得意でもないけれど、イベントごとは嫌いじゃない。せっかく参加するのならば精一杯楽しみたいと思っている。
わたしはじゃんけんで、割と楽そうな二人三脚と借り物リレーを選ぶことが出来た。友人とわいわい話していると、大きな声で意外な言葉が教壇の方から聞こえた。
「今年の二人三脚は男女でペアにするので、くじ引きやりまーす!」
男女でペアを組む必要なんてあるのか?なんて思ったけれど、遊び心のある人たちが多いこのクラスならそういう考えが出てもおかしくないのかもしれない。心なしか男子がとても嬉しそうに見える。そんな彼らを眺めていると、ポニーテールの女の子が女子用のくじ引きを持ってわたしの元へとやってきた。
「はい、どうぞ」
「うん」
「星マークだね、黒板に書いてくるねー!」
「ありがとう」
ちょうど良い感じに日に焼けた彼女はとても感じの良い子だ。クラスの誰にでも平等に接することが出来て嫌味のないサッパリしているタイプ。きっとブン太にはああいう子が似合うんだ、なんて無意識に思ってしまう。
わたしはブン太と別れてから毎日が不安だった。あの子と付き合うのでは、この子と付き合うのではないかといつも想像してしまう。女子から圧倒的人気のあるブン太のことだ。いつ新しい彼女が出来たっておかしくない。
そんなことをぽけーっと考えながら黒板を見遣ると、星マークの箇所にはわたしとブン太の名前が書いてあって思わず声が漏れそうになった。クラスメイトもわたしたちの関係を知っていたし、少し同情的な視線を送られている気がする。その視線がわたしにとっては辛かった。本当にもう終わってしまったのだと知らしめられるから。
「はな、大丈夫なの?」
「大丈夫じゃない…けど、嫌だなんて言えないよ」
そんな当てつけみたいなことしたくないし、何よりそんなことでクラスの空気をぶち壊したくない。それに、別にわたしは嫌ではない。ブン太がそう思っているんじゃないかと思うと、それなら自分から退こうかなと思う程度で。
「今年は目指せ優勝だから!特に二人三脚に選ばれた男女、ちゃんとお昼休みとか放課後に練習しておいてよねー!」
「れ、練習…?」
別れてからブン太と一度も言葉を交わしていないというのに、なんでそんな地獄みたいな時間を味わわなければいけないんだ。いや、そう思っているのはブン太の方かもしれない。そうっと彼の席の方へ目をやると、ぱちっと目が合って、思わず目を逸らした。出来れば避けたいイベントだけれど、体育会系のリーダー的存在である彼女がそう言うのであれば逃げられない…気がする。
「はな」
「あ、ブン太…」
いつの間にかわたしの机の前に現れたブン太に無意識にたじろいでしまった。久しぶりに彼の名前を口に出して、とても違和感があることに胸が切なくなる。まさか彼の方から話しかけに来てくれるなんて思わなかったから、心拍数が上がってくるのが嫌でも分かる。
「放課後、テニスコートの前で待ってろよ。部活前に二人三脚の練習すっから」
「え、ほ、本当にやるの?」
「当たり前だろい。中学最後の体育祭だし、優勝目指してんだからやるっきゃねえ!」
そうだった、ブン太も漏れることなく体育会系男子だった。彼はわたしとのことなんて何もなかったかのように目をキラキラと輝かせてガッツポーズを取った。わたしにあまり気を遣わせないようにしてくれているのかもしれない。
そうか、そうだよね。付き合う前に、ただのクラスメイトに戻っただけだ。それならわたしも意識したって仕方がない。それが寧ろブン太にとって迷惑になってしまうのなら、わたしもわたしの気持ちをなかったことにしてしまえばいいだけの話。胸が痛むけれど、わたしもこの気持ちを表には出してはいけないのかもしれない。
*
約束通りテニスコートのフェンスの前でわたしたちは待ち合わせをした。ブン太によると、他の男女ペアもそれぞれの場所で練習しているらしい。みんな本気で優勝を目指してるのだと思うとわたしも気を抜けない。
「じゃあ右足出して、縛るから」
「え、いきなり縛るの?」
「習うより慣れろ、だ。身体に教え込む方が手っ取り早いだろい?」
それはそうだけど、まだそこまで密着する心の準備は出来ていなかった。あのあと考えていたことは、二人三脚は密着度がかなり高いということ。今まで女の子としたことはあるけれど、そんなこと気にしたこともなかった。相手が男子、ましてやブン太ともなると話が変わってくる。付き合っていたわけだからその程度、と自分でも思うけれど、数ヶ月のブランクは自分が思うよりもかなり大きい。
そんなことを考えているうちにブン太はしゃがみ込んで器用にわたしの右足首と彼の左足首を紐でキュッと結ぶと、よし、と言って立ち上がった。
「わわっ」
「おっと、大丈夫かよい」
ブン太が立ち上がったことで彼と接近したことに対して反射的に距離を取ろうとしたけれど、足首の紐がそうはさせてくれなかった。よろめいたわたしの腰を抱いたブン太の手のひらの熱を直に感じると、顔に熱が集中した。思っていた以上に距離が近い。付き合っていた頃には当たり前だった距離だけれど、今のわたしたちには考えられないものだった。
「ほら、お前も肩に手回して」
「うう…」
恥ずかしいという感情を押し殺してわたしも恐る恐る彼の肩に手を回す。腕や横腹が密着する感覚や、彼の噛むガムのグリーンアップルの香りが頭を支配することで、脳がパンクしてしまいそうだ。
「まずほら、お前は右足」
「う、うん」
ブン太はどうしてここまで冷静でいられるのだろう。本当に何もなかったみたいな感覚で、わたしはもう一度失恋したかのような気持ちになって苦しくなった。
わたしたちは声を掛け合いながら少しずつ練習を始めた。簡単だと思っていたけれど、やっぱり少し難しい。
「思ってたより難しいね」
「んー、やっぱ足の長さが関係してんじゃねえ?」
「ひど!そんなに変わんないよ、絶対」
「いやいや、足の付け根見てみろよ、ほら…」
「み、見なくて良いから!」
ブン太との練習はまるで付き合っていた頃に戻ったんじゃないかと思うくらいに普通に接することが出来て、とても楽しかった。あっという間に時間は過ぎて、ブン太は部活へと向かうことになってしまった。
「んじゃ、当日までみっちり練習すっからな。ばっくれんなよ?」
「そんなことしないよ!」
わたしが笑いながらそう返すと、ブン太も楽しそうに笑い返してくれて、思わず勘違いしそうになる。だけど、"彼氏"から"友達"に戻るって、こういうことなのかもしれないなんて考えると、やっぱり胸が少し痛む。やっぱりまだ、ブン太のことが好きなんだな、わたし。改めて気持ちを再確認することが出来て、少し嬉しくなった。
*
体育祭がいよいよ前日に差し迫った今日。二人での最後の練習を終えた。たった三日間だけの時間だったけれど、わたしとしてはとても濃密なものだった。
夜ご飯を食べてベッドでまったり過ごしていた時、ふと隣に置いてあったスマートフォンが目に入った。ブン太に明日のことLINEするの、気味悪がられるかな。なんて思いながらも、自然と手に取ってブン太とのトーク画面を開いていた。
トーク画面は、別れた数ヶ月前、ブン太からの子豚のスタンプが送られてきたところで時間が止まっていた。このスタンプはわたしがブン太にプレゼントしたもの。決してブン太を馬鹿にしているとかではなくて、とても可愛く色んな表情やポーズを決めているこのキャラクターが、彼を連想させたのだ。ブン太は子豚ということに対して揶揄われているのではないかと初めは拗ねていたけれど、だんだん愛着が湧いてきたらしく、たくさん使うようになってくれた。
懐かしいな、なんて思いながらも、震える指で入力欄に文字を打っていく。
"スパルタ練習ありがとう。明日は頑張ろうね"
思い切って送信ボタンを押すと、しばらくしてすぐに既読がついた。心臓がドクンと跳ねて、慌ててホーム画面に戻る。ブン太はわたしのLINEを見て、今何を思っているんだろうか。なんて、返信を待っている間に色んなことを考えてしまう。
付き合い始めの頃もそうだった。こんなふうに送ったら馴れ馴れしいかなとか、重いかなとか。その時はこれから先の未来があったから、嬉しさや楽しさしかなかった。今はもうその当たり前の現実がなくなってしまったのが寂しいけれど、またこうやってLINEを送ることが出来ることが奇跡みたいなもので。わたしは心の底から体育祭の存在に感謝した。
そんなことを考えていると、手の中のスマホが二回、メロディーを奏でた。
バクバクと波打つ心臓付近を摩ってあげながらもトーク画面を開くと、そこにはいつも通りの彼がいた。
"あれでも優しくした方だぜぃ?明日は絶対優勝するからな!"
その後に送られたのは、例の子豚の"がんばる!"と言う文字が添えられたスタンプ。そんなちっぽけなイラストを見ただけで簡単にわたしの視界は歪んだ。まだ使ってくれていたなんて。
わたしも同じニュアンスの言葉のスタンプを返して、スマホの画面をロックした。
明日。明日で、ブン太との接点がなくなってしまう。そう考えると悲しくなったけれど、最高の思い出にするためにも、今までの練習を無駄にしないためにも、自分の全力を出して頑張ろう。
*
体育祭当日、わたしの選んだ種目はどちらも午後だったので、午前中は友人たちと一緒にクラスメイトたちの応援に集中していた。思った以上の盛り上がりにわたし自身もとても楽しく過ごせていた。今の時点で、三年生の中ではわたしたちのクラスが一位だった。
教室でのお昼ご飯の時間を迎えたものの、わたしは緊張してあまりお弁当が喉を通らなかった。二人三脚はお昼休み後すぐだから。あとで食べようとお弁当を仕舞い友人が食べ終わるのを待った後、午後の部に向けてまた外へと向かうのだった。
*
二人三脚、わたしとブン太の番が遂に来てしまった。練習の時と同じようにブン太がわたしたちの足を紐で結んでくれる。わたしはブン太の腰に、ブン太はわたしの肩に手を回した。この距離ももう、今日で最後なのだと思うと離れがたく思う。恥ずかしいのに離れたくないなんて我儘なのだろうかと自分でも思うけれど、今は一位を取ることに集中しよう。
「あんま緊張しすぎんなよ?練習通りやりゃ良いから」
「緊張しないのは無理があるけど…なるべく頑張るよ」
「大丈夫だって、せっかくスパルタ練習してやったんだからな」
そう言って私の肩をポンッと叩くと、ブン太は前を向いた。そういう何気ない動作が私の胸を高鳴らせていること、彼は分かっているのだろうか。いや、分かっていたらこんなことしないか。
「よっしゃ、行くぞ!」
「うん!」
開始を知らせるピストルが鳴ってからわたしたちは、いちに、いちに、とリズムよく声を掛け合いながらわたしたちは練習した通りにゴールに向かって結ばれた足で地面を蹴っていく。途中転んでいる子たちも居て少し心配になったけれど、今は自分たちのことに集中しなければいけない。
わたしたちはそのままどのペアよりも早くゴールテープを切った。クラスメイトからの歓声も聞こえてきて、とっても気持ちがいい。何より隣に居るブン太との喜びが大きくて、わたしたちはどちらからともなく抱きしめ合った。
「よっしゃー!一位だ!」
「やったー!」
「やっぱ俺ら、相性抜群だな!」
「ほんとだね!」
ハッと我に返ってお互い抱き合っていた腕を離す。その後には気まずい沈黙。思わず付き合っていた頃のノリで抱きついてしまった。久しぶりの感覚に嬉しくもあり、競技が終わってしまったんだという虚しさに襲われもした。
「悪りぃ、テンション上がりすぎちまった」
あはは、と切なそうに笑ったブン太に胸が苦しくなって涙が出そうになった。思わず逃げ出したくなって自然と動いた右足が、わたしとブン太を結んでいた両足を思い出させるようにくんっと引っ張られる感覚に陥った。
「あっ」
「おい、大丈夫かよい?」
バランスを保てず転びそうになったところを、ブン太が肩を抱き寄せてくれた。このなんてことない紐が、赤い糸ならどれほど嬉しいことか。なんて馬鹿な考えが頭を過ぎる。
「ご、ごめん、ありがと」
「お、おう」
ブン太はしゃがみ込んでわたしと彼の足を繋いでいた紐を解いてくれた。少し寂しいと感じてしまうのはきっと私だけなのだろう。
「じゃあみんなの所に戻るね」
「おう、またな」
"また"なんてあるのかな、そう思いながらも少し口角が上がっている自分がいた。もしかしたら、まだ彼との未来があるのかもしれない。そんな希望が私の胸を満たした。
*
最後の種目はわたしの出場する借り物競走だ。鉢巻を巻いて、位置につく。
パァン!と響いたピストルの音で地面を蹴り、それぞれの箇所に置かれた紙を手に取る。わたしが手に取った紙には、思ってもみなかった文字が書かれていた。
「好きな、人…?」
わたしは一瞬足がすくんだ。わたしの好きな人は、考えなくても勝手に頭に浮かんでくる彼、丸井ブン太。
思わずその場に立ち尽くしてしまっていたけれど、自分を奮い立たせてクラスのみんなが応援している場所へ走っていった。
「ブン太、来て!」
元彼女が呼び出すなんて、みんな何が書かれていたんだと驚いているけれど、そんなこと、もうどうでもいい。ブン太の隣にいた男子に背中を押された彼が慌ててわたしの元に来てくれた。
わけがわからないと言ったままわたしの元に来てくれたブン太だったけれど、優勝を目指しているというのもあって笑顔でわたしの手を引いてゴールに向かって走って行った。
「行くぞ!」
「うん!」
わたしたちはゴールテープを切った。わたしとブン太は息を切らしながらもハイタッチをして、彼に手を引かれてその場から離れた。
「はあっ、はぁ…ブン太、足速すぎ…」
「はぁっ…わり…で、なんて書いてあったんだよ…?」
ブン太にそう言われて心臓が暴れるように高鳴った。そうだ、わたしが頑張るのはここからでもあったんだ。
「…これ」
わたしは彼に"好きな人"と書かれた紙を差し出した。必死に走ってる間に握ってしまっていたから、くしゃくしゃになっていた。短い文章の意味を理解したブン太は、ぱっと顔を上げてわたしに目をやる。思わず逸らしそうなのをぐっと堪えてわたしもブン太の目を見つめた。
「これ…って」
「わたしの好きな人。わたし、まだ、ブン太が…好きっ…」
自分の気持ちを話しているうちに、鼻の奥がツンとして、言葉が震えてしまった。ブン太の反応が怖くて反射的に下を向いてしまう。
「何でだよ…お前が別れるって言ったんだろ」
「あれは…つい、カッとなって言っちゃったの…でも、本心じゃないよ…ずっと、ずっと好きなままだったよ…」
思っていることを全てぶつけると、ブン太は呆れたように自分の頭をガシガシと掻いた。はあーっと大きな溜息に思わず体がびくっと反応してしまう。
「お前なー…俺だって別れるって言われんの、結構傷付くんだからな」
「ごめ…ごめんね…」
「…ん」
短く返事をした彼に、これ以上何も言えなかったのは、腕を引き寄せて抱きしめてくれたから。傷付いたのは彼なのに、どうしてわたしが泣いているのかわたしにも分からなかった。
「俺だってまだ好きに決まってんだろい」
「ほ、ほんとに…?」
「ん、当たり前。俺はお前と違ってすっげえ一途なの」
「だ、だからごめんってば、わたしも好きなままだって…」
「じゃあ約束しろい。もう別れるとか絶対言わねえって。何か思うことがあんなら直球でぶつけて来いよ」
「分かった…ありがと…」
耳元で聞こえてきたブン太の声は少し震えている気がした。彼もまだわたしを好いてくれていたという事実が嬉しくて溢れてくる涙を止めることが出来なかった。
懐かしい大きな手で頭を撫でてくれて、恥ずかしくもブン太の胸に体重を預ける。他のみんなは一位になったことに大喜びしていて、まるでわたしたちだけの世界にいると勘違いしそうになった。
これからは絶対にこの幸せを簡単に手放さない。後悔しないように、ブン太にもっともっと好きだと思ってもらえるように頑張ろうと心に決めた。
あとから知ったのは、あのポニーテールの彼女が全てわたしたちのために仕組んだことだったっていうこと。
本当はブン太はハートマークを持っていたらしく、別の男子のものと取り替えてくれたらしい。借り物競走のお題も、こっそりすり替えたのだと聞いた。
わたしにもう一度チャンスをくれたあの可愛らしい恋のキューピッドに、わたしはきっと永遠に感謝し続けることだろう。
あなたのいない世界なんて、もういらない
20260420
