とぐろ巻く群青
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講義一日目の朝、どうやら朝が苦手らしいベラを引きずって私はカフェテリアに来ていた。
もちろん、あの恐ろしく衛生管理のなってないビュッフェを朝食に取ろうとなんて思っちゃいない。
私の目的はカフェテリアがあるフロアの奥にある売店。
カフェテリアが駄目なら売店で物を買うか調理室を借りて自ら料理をするのが良いらしいと昨日、寮のラウンジで情報交換をしている時に聞いたのだ。
本当は調理室で簡単にベーコンエッグとトーストでも、と考えていたのだけれど、ベラを起こすのに時間がかかってしまい、講義一日目から遅刻は不味いのでやむを得ず、加工済みチルド食品を買いに来たと言う訳。
『あぁ~もう、ちょっとベラ!ちゃんと起きて!!朝御飯買わなきゃお昼までお預けなのよ!?』
「んー…、イケメンいたら目が覚めるんだけど…今日まだ見てないし…ふわぁああ~。」
どんな覚醒方法なんだそれは。
何だかんだ言いながら、どうにか余り物のサンドイッチやらフルーツやらを購入し終えた私達はカフェテリアの一角でモソモソと朝食にありついた。
楽で良いのだけれど、毎日がこれじゃあ十分に栄養を取れなさそうだし量が少ないので、明日からはベラにイケメンニュースキャスターが出てる番組でも見せてから調理室を拝借しよう。
あ、あとベラの口は首元の毛の下にあった事を発見。ヒゲか。
そう思いながら食べ終わった後のゴミを捨てている時だった。
"モゾ…"と何かが蠢いた。
「…?どうしたの?? シスカ?」
…ヤバイ。そういえば、昨日から腹6分目ぐらいだったっけ。
今も満足のいく量じゃなかった。
冷や汗をかきながら動きを止めた私を不思議に思ってか、ベラがこちらを覗き込むが、今の私にしては早くここから逃げるか新しい食材を買いに走るかで頭が一杯だった。
いや、一杯と言うか頭が髪が"動き出していた"。
『えーと、…ベラ?ちょーっと…お使い頼んでも良いか…な??』
「良いけど、どうしたの?怖い顔して。変な汗かいてるし。」
『良いから。良いから。さっきの売店で残ってる物、全部買ってきてくれない?お金は後で返すからぁ…って、もう無理っ!!もう抑えきれない!!今すぐここから出よう!!』
「何言ってるの!?しっかりしてよ!! シスカ!!恋のしなさ過ぎでトチ狂ったの!?」
黙らっしゃい。
ベラのボケにツッコむ暇もなく、グググ…と踏ん張っていた私だったけれども、ついには頭のカチューシャが弾け跳んで私の上半身は振り上げられたように天井側へと移動していた。
"クギャアアアァァァアアアァゥウスッ!!!!!"
カフェテリアフロア内に轟く禍々しい叫び声。
ユラユラと触手のように動き回る群青色の髪の中心にはこの世の物とは思えない程、恐ろしく巨大な口がパックリと開いていた。その口には鋭く黄ばんだ牙が大小と並び、激しくのた打ち回る肉厚な舌がヨダレを撒き散らかし、口内は絵の具で塗ったように真っ黒で"無"を連想させる暗さだった。
胴体は蛇のようで、その背中には薄青緑色の私自身が仰向けで振り回されていた。
途端にカフェテリア内は騒がしくなり、目の前の巨大な口にモンスター達は騒然となった。
ほとんどのモンスターは呆然と立ち尽くしコチラを凝視したりヒソヒソと「なんだアレは?」と耳打ちをしたり、恐怖に竦んでいる。
あぁ…やってしまった…。まさか、講義1日目の朝早くにやらかしてしまうとは…。
羞恥で赤く染まる顔を両手で覆いながら、私は自らの頭部で動き回るソレにされるがままになっていた。
そろそろコレの大暴食大会が始まってしまう。早くみんなに逃げるよう伝えないと…。
『皆さんっ!!早くここから逃げt「ピギャアアアァァァアアスッ!!!!!!」ちょっ、早くここk「ギョオオォォォオオオオオァアアッ!!!!!」黙らっしゃいっ!!って、ぅわっ……おぇっぷ。』
私が大声で危険を呼び掛けようとした途端に再び耳を塞ぎたくなるような甲高い叫び声が上がり、阻止されてしまう。
そして、突然、長い胴体をウネウネと動かしながら、ある場所へと猛突進しだした。私自身も引きずられるように振り回され、消化した物がせり上がってくるのを必死に堪える。
回りの学生を弾き飛ばして行く様にようやく呆然としていたフロア全員が異変を感じたのか一目散に逃げていく。
混乱状態の中、私の頭が向かう先を一瞥して一気に鳥肌がたった。
あの台は…あの残飯がわんさか山積みになった台は…。
『ウソでしょ!?待って!!アレは無理っ!!タンマッ!!ひぃいいいいっ!!』
そう、昨日、衝撃の瞬間を目撃したビュッフェ台だったのだ。
私の必死の制止も虚しく、滑り込むようにビュッフェ台の食べ物(と言いがたい残飯)に突っ込む巨大口。
瞬間、吐き気がした。いや、軽く反芻(はんすう)してむせた。
この大きな口と私の味覚と満腹中枢は共有しており、現在進行形で口内に色々とあり得ない味が広がる。
こ、これは…木工用ボンドのような……こっちはバニラ味の中に控え目ながらしっかり残っているコチュジャンの辛味………。
なんだか、脳の方が追い付いていないのか軽く煙が上がってる気がしないでもない。遠くに川と花畑と金色の塔が見える…。
私が精神的にも身体的にもダメージを受けている最中もムシャムシャとビュッフェ台の残飯を貪るこの口はどうやら味音痴らしい。
質より量ってか。少しは食べ分けて欲しいものである。うぷ。
そして、大暴食大会が始まって10分弱でカフェテリア内の食べ物と言う食べ物が私の頭の中に収まり、皆が呆然とし、シェフは初めて料理が全て完食になったことに涙を流したとか…。
私と言えば、ご満悦らしい頭が大人しくなってからヨロヨロと起き上がり、戸惑いながらも肩を貸してくれたベラに支えて貰いながら血相を変えてやって来たカフェテリアの責任者の先生に謝罪をしていた。
「まったく…どうしてくれるんだね。この騒ぎといい食器類の弁償といい…。」
『うぅ…本当に申し訳ありません、先生…。一生かかってでも弁償しますから勘弁して下さい…うぷぇ。』
「シスカ!!踏ん張って!!吐かないで!!」
ベラさん…心配してくれるのは嬉しいけど、そんなにバンバン背中を叩かないで頂きたい。私を叩いてもフルコンボだドンにはなりません。
そして、最初の講義までの時間が迫り、焦ってきた所でふ、と頭上に影が落ちた。
何事かと丸めた背中を伸ばし上を見上げると、山のような巨体に雄々しいツノが2本、あと服の間からチロチロ見え隠れしている……毛…胸毛が見えた。
「大丈夫かな?お嬢さん??ここは俺が何とかしようじゃないか。」
ゴリラみたいなモンスターが偉そうに私にそう言った。
「大丈夫かな?お嬢さん??ここは俺が何とかしようじゃないか。最初の講義に遅れては大変だ」
『ぅあ…ありがとうござい…ます…』
とりあえず、目の前の第一印象が胸毛な先輩らしきモンスターが処理をしてくれるそうで私達は急いで講義のある講堂へと向かった。
***
「シスカ…大丈夫?あんまり急ぐと体に悪いんじゃない?」
『…ん……とりあえず授業には出ないと…。講堂に着いてから休むわ。…そういえば、さっきの先輩みたいな人、横でなんか言ってたけど、ベラ、何て言ってたか聞こえてた…?』
移動中、私は食堂から出る際に何か言われた気がしないでもないので、一緒にいたベラに訪ねてみた。
さっきは、あまりの気分の悪さと周りの雑音で素通りしてしまったのだ。
因みに今は吐き気は収まったので、一人で歩けている。いや、這っている?
口の中の奇妙な味をどうにかしたいけれど、今はまず講義が先だ。
こういう時に、自分は案外真面目なのだと実感する。
良いことだ。
「あー…、何か言ってた気もしないでもないけど、周りがあんまり五月蝿いから良く分からなかったなぁ。でも、あの先輩?…の着てたセーターって確か有名クラブの【ロアー・オメガ・ロアー】の物だったと思うよ?」
『それじゃあ、今日の講義が終わったら宿舎まで行ってお礼に行こっかな。』
そんなこんなで大講堂。
円形で広々としていたが、窓は小さく、中は薄暗く陰鬱で怖がらせ学部に相応しい講堂。
彫刻の施された円柱が何本も立ち、その前にある台座には高名な卒業生や教授たちの胸像が鎮座している。
胸像の前には、彼らが記録的な悲鳴エネルギーを獲得した際の記念の悲鳴ボンベが飾られていた。
後方は一杯だったので、最前列から2番目の端のすり鉢状になった席に座り、一息つく。
右横にベラが腰を下ろした。
あぁ…、また気持ち悪くなってきた。
実際、胃袋には並の朝御飯しか入っていないのだが、満腹感が半端ない。
いつでもお手洗いに立てるように通路側に座っておこう。
講堂の雰囲気と比例して陰鬱な気分をどうにかしようと視線を前に向けた所で円形の講義台の中央にゆっくりと教授が現れた。
がっしりとした体格に下顎から突き出た無数の牙と頭にびっしりと生えている角。
いかにも怖がらせ学の教授らしい姿だった。
彼はジロリと学生たちを睨み付けた。
「おはよう、生徒諸君。怖がらせ学入門の講義へようこそ。私はナイト教授。さて、君たち全員、町一番の恐ろしいモンスターを自負していただろうね。だが諸君、悪い報せだ!!ここは私の町で、私はちょっとやそっとじゃ怖がらない。」
いんや、私は町一番の大食い女だったわよ。
不本意だったけど。
そう宣言したナイト教授だったが、突然その太い首を引っ込めてビクリと身体を震わせた。
教授の顔に影が差したと思うと、高窓の前に翼を広げて太陽光を遮るシルエットが見えた。
翼が風を切る音がして高速で何かが薄暗い講堂を飛び回り、大きな音と共に教授の隣に着地した。
「ハードスクラブル学長だ。」
一部の学生が畏怖を込めて囁きを交わしている。
ハードスクラブル学長と呼ばれたのは、細面の顔を硬そうな茶色の皮膚で覆われた女性だった。
上半身はドラゴンに似ており、下半身は昆虫のようだった。
ムカデのように無数にある脚は鋭く尖っている。
彼女が講堂の床を歩く度にコツコツと冷ややかな音が響いた。
「ハードスクラブル学長。これは嬉しい驚きです。」
ナイト教授が恭しく礼をした。
驚いたのね、ナイト教授。
なんでも、彼女は歴代の怖がらせ記録を更新した伝説のモンスターらしい。
ハードスクラブル学長は自分の胸像の前に立つと、そこにある悲鳴ボンベがわずかに傾いているのをまっすぐに直してから、学生席にその冷たく冴えた目を向けた。
「皆さん、邪魔をするつもりはありません。ただ、私の学部で学ばれる皆さんの"恐ろしい顔"を拝見しようかと思いまして、伺いました。」
なんとも、恐ろしい皮肉だと思う。
学生たちは互いの顔を見合わせて囁きあっている。
「学長。」
ナイト教授が申し出た。
「是非とも、新入生たちに励ましの言葉をかけてやって下さい。」
学生たちをゆっくり見回してから学長は頷き、
「励ましの言葉?宜しいでしょう。」
前に進み出た。
「…恐ろしさはモンスターの真のバロメーターです。恐ろしくないモンスターなんて、モンスターと言えるでしょうか?…私の職務は、優秀な学生をより優秀にすることです。平凡な学生を少しばかり引き上げてやることではありません。」
学生たちは不安にざわめいた。
ハードスクラブル学長は、身の凍るような笑みを浮かべると、続けた。
「学期末の最終試験は、そのためにあるのです。試験に落ちた者は、怖がらせ学部から出て行って貰います。」
学生たちのざわめきが更に大きくなる。
学長は静かに締めくくった。
「皆さんの適度な"励み"になると良いのですが…。」
言い終えるや否や、一陣の風のように学長は天井の窓から飛び去っていった。
ナイト教授が前に進み出たが、学生たちの動揺は収まらない。
「よろしい。効果的な吠え声の特徴を挙げられる者はいるか?」
ナイト教授は先制攻撃とばかりに、動揺する学生たちに質問を投げ掛けた。
そんな中、静かに手を上げる者がいた。
「どうぞ。」
微かに驚きの色を浮かべながら、教授が彼を指名した。
彼と言うのは、後ろ姿のみでハッキリとは分からないけれど、キャンパス・ツアーの時に見かけた緑色のボールのようなモンスターだと思われた。
怖がらせ学部だったのね…。
「全部で5つあります。吠え声の響き度、吠え声の長さ……」
その時、講堂に恐ろしげな吠え声が響き渡った。
全員が講堂の入口に視線を向けた。
私もノロノロと首を動かす。
入口からのっそりと姿を表したのは巨大なモンスターだった。
全身を青い毛皮が覆い、所々に紫色の斑点がある。手入れはされておらず、ボサボサだ。
筋骨たくましく、大きな頭には牡牛を思わせる角がある。大きな口から牙が2本覗く。
顔には嘲笑にも似た笑みが浮かんでいる。
とても新入生とは思えない不適さだ。
静まり返った講堂を見渡していた彼は、ナイト教授の刺すような鋭い視線にようやく自分の置かれた立場に気付いたようだった。
「おっと失礼。いや、何、誰かが"吠えろ"と言うのが聞こえたもんだから、ついね。」
とぼけた言い訳に学生たちの何人かがクスクス笑い出した。
「見事な吠え声だな。ミスター……………?」
教授はどうにか席を見つけて座り、ふんぞり返って大きく脚を組んでいる彼に尋ねた。
毛もくじゃらの彼は不遜な態度を崩さぬまま、答えた。
「サリバンです。ジェームズ・P・サリバン。」
すると、ナイト教授が太い首を捻った。
どうやら何か思い当たる節があるらしい。
やがて教授の顔が輝いた。
「サリバン?ビル・サリバンのサリバンかね?」
サリバンと名乗る彼はニヤリと笑った。
「そうです。ビルは俺の親父さん。」
すると、今度は学生たちが感じ入ったようにざわめき出した。
「嘘だろ!すげぇ!」
たしか、ビル・サリバンは伝説の怖がらせ屋で、ビルばかりではなく、サリバン家の者は代々怖がらせ屋を輩出してきた由緒ある家柄だった筈。
つまり、良い所のボンボンと言うわけね。
それにしても、物凄く調子ぶっこいちゃってるわー…。
「ふむ…。」
ナイト教授は学生たちを鎮めるべく咳払いをした。
「その姿を見た時点で、サリバン家の者だと気付くべきだった。大いに期待しているぞ。」
ナイト教授はその厳つい顔に似合わない笑みを浮かべた。
「えぇ、期待しててくださいよ。」
と、ボンボン君も笑いながら答えた。
すると、先程、教授の質問に答えていた緑色の彼が立ち上がった。
「なんだい?」
「まだ、効果的な吠え声の特徴についての回答の途中だったんですが……。」
「いや、結構だよ。もう、ミスター・サリバンが実際にやってみせてくれたからね。」
サリーはニヤリと笑って教授を指差すとチッと歯を鳴らして見せた。
どうやら、それが彼のお得意の決めポーズらしい。
それから普通に最初の授業は始まった。
講義終了のベルが鳴り響き、生徒達が教科書を閉じる。
「では、次までに第2章を予習しておくこと。解散。」
ナイト教授の号令と同時に次々と席を立つ生徒達を見ながら、私はとてもスッキリとした表情を浮かべていただろう。
何故かって?
フフフ…それは、
「シスカ?もう、大丈夫?気持ち悪くない?」
『もう、バッチリよ!!身体全体が生き返るようだわ!!いっつも、そうなんだけど、アタマウス(今、命名。頭と口=マウスを掛けてみた。ダサい。)が暴走した後って気持ち悪い峠を越えたら、とてつもなく気分が良くなって全てのパラメーターが上がるのよ!!今なら、あの学長をも凌ぐ記録を出せそうだわ!!』
「アタマウス?何そのドラッグみたいなの…怖…。」
『まぁまぁ、そんなこと言わずにぃ、次の講義まで時間あるし何か食べに行きましょうよ!』
「またぁ!?アンタ、見た目の割に食べるのねぇ…。」
『コレの宿主ですからぁ~。』
まぁ、人よりは食べる方かもね。
それプラスこの頭だし。
そう言って私が指差した頭を見てベラは誰もが1度は抱く質問を口にした。
「あのさ、ソレって一体何なの?」
『えーとね。正式名称は分からないけど、生まれた時からあるのよ。パパには無かったけど、ママには両手に付いてたわよ。』
「ソレって遺伝なの!?」
『みたいねぇ~。一応、味覚と満腹中枢は繋がってるみたいなんだけど、接種した栄養とか物理的な触覚や食物の行方は病院行っても分からなかったわ。』
教科書や筆記用具を片付けながら自分の頭について語ってみるが、謎な物はやはり謎なのだ。
レントゲンで見る限りポッカリと穴だけが空いており、食道らしき器官は見当たらず、脳ミソは上手く穴を避けるように頭蓋骨に入っており、知能的に問題なし。
暴走後のこの爆発的な解放感はストレス発散をしたような感覚で、ある種の異常なアドレナリン等のホルモンの分泌作用が原因とされている。
「…で、またあのカフェテリアに行くつもり?」
『あ…うーん。あそこに戻るのはちょっとね…。』
あんな暴れ回って、また食べに来ましたなんて言えないわよね…。
どうするか悩んでいると、講堂の外が騒がしい事に気が付いた。
何事かとベラと共に講堂から出てみると、沢山の新入生モンスター達に囲まれた大きくて強そうなモンスターが何人かいた。
「あっ!!あれってロアーじゃない!?素敵っ!」
『あぁ、有名クラブチームの…。』
そういや、お礼に行かなくちゃいけないんだった。
それにしても凄い人気ねぇ。
周りのファンらしきモンスターもほとんどが女子だし、ベラってああいうのが好きだったのね。
そういや、ミーハー気質だったか。この子。
それよりも私は今現在とてつもなく麺類が食べたい気分。
パンは朝食べたし、ライスは食べにくいからパスタが食べたいわ。
切実に。
間食のメニューについて考えていると、前方で群がっていた人混みを掻き分けるようにロアーのメンバーがこちらにやって来た。
次の講義がここなのかな?と思って私も恍惚とした表情のベラを引っ張って道を開ける。
「あー、そこの君。ちょっと良いかな?綺麗な青い髪の君だよ。」
『へ?』
こちらに指を差されたので周りを見るが、私の近くにはベラと髪の毛が生えていないモンスターばかり。
もしかして、私だったり?
そのゴリラのようなモンスターは………ゴリラ?ゴリラ…あ、胸毛。
思い出した。
この先輩臭がプンプンするモンスターは今朝のカフェテリアで後処理をしてくれたであろうモンスターだったのだ。
『ど、どうも…。』
軽く会釈すると、目の前に来たゴリ…ロアーの彼はゆっくりと膝間付き、それはもう、どこぞの恋愛ドラマ映画の男優のごとく私の右手の手の甲に口付けを落とした。
は?
何やってんの?
そして、何で周りから黄色い歓声が上がるの?
コンマ1秒フリーズしてはたと気が付いた。
彼は所謂(いわゆる)、大学のヒーローで王子様的存在なのだと。
女子生徒の熱い視線の的であり、憧れなのだと。
まぁ、学園には在り来たりな存在よね。
でも、何で私なんスか。
そりゃあ、この年にもなれば自分が人より綺麗に生まれてきた事ぐらいは気付くけど、こんな大きな大学になら私より美人な子ぐらいごまんといるでしょうよ。
「やぁ、お嬢さん。ご機嫌はいかがかな?」
『最悪よりは最高に近いけど、あなたの行動に疑問を感じるわ。』
おぉ…意外とクールな反応に自分でも感心する。
「ハハハ…、それは失礼。君があまりにも美しかったものだから、ついね。」
なんか、今のセリフさっきのサリバン思い出した。
『つまり、誰にでもやってるのね。』
「そう怒らないでくれよ。誰でもでは無いさ。そうだな…紳士とでも言って欲しいな。」
『では、紳士さん。今朝は助けて頂きありがとうございました。私はこれから間食を取るので、さようなら。』
ただのナンパらしいので、こういうのはスルーするに限る。
まだ上の空なベラを引きずって彼の横を通り過ぎようとするが、片手で行く手を阻まれてしまった。
「おっと、そう冷たくしないでくれよ。オレは君にある事を話しに来たんだ。」
『…話?』
「そうだ、今朝のアレについて。ロアーの資金でカフェテリアごと新しくすることにしたんだ。内装の修繕、器具などの新調、シェフと作業員の入れ替えなどなど……それを先程の謝罪1つで他人事に出来ると思うかい?」
何を言っているんだ、コイツは。
そんなのそっちが勝手にした事じゃない。
まぁ、確かに大暴れしたのは私だけれども……
『…私にどうしろと?身で持って払えとか?』
周りがザワザワと騒がしくなる。
それを胡散臭い顔付きの彼は「静かに」と一喝する。
「まさか…ハハッ君は予想以上に面白いなぁ。そんな野蛮な事はしないさ。…まぁ、カフェテリアを改装するのはこちらの勝手な言い分だからね。それにいち一般生徒のために大きな金を動かす訳にもいかない。そこでだ。」
そう言いながら、指を一本立てて演技地味た素振りに少したじろぐ。
果たして私は何を言われても動じずにいられるだろうか。
状況的に不利なのは明らかに私だ。
それにこのロアーファンに囲まれた空間で下手すればフルボッコ確定である。
私は静かに彼の言葉を待った。
「君を我がロアー・オメガ・ロアーに迎え入れようと思う。」
周りが更に騒がしくなり、批判めいた甲高い声が聞こえる。
私は私で自分が何を言われたのか良く分からなかった。
ロアーに迎え入れる?
どういうこと?
だって……、
『ロアーは男子友愛会(フラタニティー)の筈でしょ?私、見ての通り女よ?』
「分かっているさ。ロアーは優秀であれば性別関係無しに入れる特別なクラブでね。過去にも何人もの女性モンスターを輩出しているんだ。ロアーのメンバーになった君のためになら喜んでカフェテリアへ投資し、不自由ない大学生活を約束しよう。」
『…それって、そちらにメリットがあるのかしら?』
「もちろんだとも。ロアーはより優秀な人材を必要としている。学長から拝聴したところ、君の入学成績は悪くない。良いどころかトップクラスだ。それに……」
ずいっと彼との距離が狭まる。
両手を捕まれ逃げられない。
「コレは個人的な理由だが、オレのパートナー候補として側にいさせてやる事が出来る。」
………コイツは今ので私が「喜んでっ!!」とか言って胸キュンベタ惚れロード一直線を突っ走るとでも思ってるのか。
思ってるからこんな如何にも王道恋愛が好きそうな女ウケの良い誘い方をして来るんだろうけど。
残念だったわね。
私はそこらの女と違って、そういうクサい演出は好まないのよ。
ため息をついて、相手の大きな手を振りほどこうとしたら、
「この誘いを断りはしないと思うが、もし、そんな事をしたら多大な額の請求書が君宛のポストに届くだろうなぁ。」
コ、コイツゥ……っ!!
拒否権は無いってか。
そんな物、払い切る前にファンからの精神攻撃に屈するのが落ちじゃない…。
ほぉら、今にも襲いかかって来そうな形相の女の子がチラホラ…。
せっかくの可愛いお顔が台無しである。
先程の最高に良い気分はどこへやら、非常に最悪な気分を目の前の彼目掛けて眼力で飛ばすが、そんなのどこ吹く風とでも言うようにスルーされる。
『……喜んで。』
「そう言うと思ったよ。」
どの口が言うんだか。
こうなったら、クラブの資金を全部私の胃袋に収めてやるわ…。
こうして、私のクラブへの入会が決定したのだった。
もちろん、あの恐ろしく衛生管理のなってないビュッフェを朝食に取ろうとなんて思っちゃいない。
私の目的はカフェテリアがあるフロアの奥にある売店。
カフェテリアが駄目なら売店で物を買うか調理室を借りて自ら料理をするのが良いらしいと昨日、寮のラウンジで情報交換をしている時に聞いたのだ。
本当は調理室で簡単にベーコンエッグとトーストでも、と考えていたのだけれど、ベラを起こすのに時間がかかってしまい、講義一日目から遅刻は不味いのでやむを得ず、加工済みチルド食品を買いに来たと言う訳。
『あぁ~もう、ちょっとベラ!ちゃんと起きて!!朝御飯買わなきゃお昼までお預けなのよ!?』
「んー…、イケメンいたら目が覚めるんだけど…今日まだ見てないし…ふわぁああ~。」
どんな覚醒方法なんだそれは。
何だかんだ言いながら、どうにか余り物のサンドイッチやらフルーツやらを購入し終えた私達はカフェテリアの一角でモソモソと朝食にありついた。
楽で良いのだけれど、毎日がこれじゃあ十分に栄養を取れなさそうだし量が少ないので、明日からはベラにイケメンニュースキャスターが出てる番組でも見せてから調理室を拝借しよう。
あ、あとベラの口は首元の毛の下にあった事を発見。ヒゲか。
そう思いながら食べ終わった後のゴミを捨てている時だった。
"モゾ…"と何かが蠢いた。
「…?どうしたの?? シスカ?」
…ヤバイ。そういえば、昨日から腹6分目ぐらいだったっけ。
今も満足のいく量じゃなかった。
冷や汗をかきながら動きを止めた私を不思議に思ってか、ベラがこちらを覗き込むが、今の私にしては早くここから逃げるか新しい食材を買いに走るかで頭が一杯だった。
いや、一杯と言うか頭が髪が"動き出していた"。
『えーと、…ベラ?ちょーっと…お使い頼んでも良いか…な??』
「良いけど、どうしたの?怖い顔して。変な汗かいてるし。」
『良いから。良いから。さっきの売店で残ってる物、全部買ってきてくれない?お金は後で返すからぁ…って、もう無理っ!!もう抑えきれない!!今すぐここから出よう!!』
「何言ってるの!?しっかりしてよ!! シスカ!!恋のしなさ過ぎでトチ狂ったの!?」
黙らっしゃい。
ベラのボケにツッコむ暇もなく、グググ…と踏ん張っていた私だったけれども、ついには頭のカチューシャが弾け跳んで私の上半身は振り上げられたように天井側へと移動していた。
"クギャアアアァァァアアアァゥウスッ!!!!!"
カフェテリアフロア内に轟く禍々しい叫び声。
ユラユラと触手のように動き回る群青色の髪の中心にはこの世の物とは思えない程、恐ろしく巨大な口がパックリと開いていた。その口には鋭く黄ばんだ牙が大小と並び、激しくのた打ち回る肉厚な舌がヨダレを撒き散らかし、口内は絵の具で塗ったように真っ黒で"無"を連想させる暗さだった。
胴体は蛇のようで、その背中には薄青緑色の私自身が仰向けで振り回されていた。
途端にカフェテリア内は騒がしくなり、目の前の巨大な口にモンスター達は騒然となった。
ほとんどのモンスターは呆然と立ち尽くしコチラを凝視したりヒソヒソと「なんだアレは?」と耳打ちをしたり、恐怖に竦んでいる。
あぁ…やってしまった…。まさか、講義1日目の朝早くにやらかしてしまうとは…。
羞恥で赤く染まる顔を両手で覆いながら、私は自らの頭部で動き回るソレにされるがままになっていた。
そろそろコレの大暴食大会が始まってしまう。早くみんなに逃げるよう伝えないと…。
『皆さんっ!!早くここから逃げt「ピギャアアアァァァアアスッ!!!!!!」ちょっ、早くここk「ギョオオォォォオオオオオァアアッ!!!!!」黙らっしゃいっ!!って、ぅわっ……おぇっぷ。』
私が大声で危険を呼び掛けようとした途端に再び耳を塞ぎたくなるような甲高い叫び声が上がり、阻止されてしまう。
そして、突然、長い胴体をウネウネと動かしながら、ある場所へと猛突進しだした。私自身も引きずられるように振り回され、消化した物がせり上がってくるのを必死に堪える。
回りの学生を弾き飛ばして行く様にようやく呆然としていたフロア全員が異変を感じたのか一目散に逃げていく。
混乱状態の中、私の頭が向かう先を一瞥して一気に鳥肌がたった。
あの台は…あの残飯がわんさか山積みになった台は…。
『ウソでしょ!?待って!!アレは無理っ!!タンマッ!!ひぃいいいいっ!!』
そう、昨日、衝撃の瞬間を目撃したビュッフェ台だったのだ。
私の必死の制止も虚しく、滑り込むようにビュッフェ台の食べ物(と言いがたい残飯)に突っ込む巨大口。
瞬間、吐き気がした。いや、軽く反芻(はんすう)してむせた。
この大きな口と私の味覚と満腹中枢は共有しており、現在進行形で口内に色々とあり得ない味が広がる。
こ、これは…木工用ボンドのような……こっちはバニラ味の中に控え目ながらしっかり残っているコチュジャンの辛味………。
なんだか、脳の方が追い付いていないのか軽く煙が上がってる気がしないでもない。遠くに川と花畑と金色の塔が見える…。
私が精神的にも身体的にもダメージを受けている最中もムシャムシャとビュッフェ台の残飯を貪るこの口はどうやら味音痴らしい。
質より量ってか。少しは食べ分けて欲しいものである。うぷ。
そして、大暴食大会が始まって10分弱でカフェテリア内の食べ物と言う食べ物が私の頭の中に収まり、皆が呆然とし、シェフは初めて料理が全て完食になったことに涙を流したとか…。
私と言えば、ご満悦らしい頭が大人しくなってからヨロヨロと起き上がり、戸惑いながらも肩を貸してくれたベラに支えて貰いながら血相を変えてやって来たカフェテリアの責任者の先生に謝罪をしていた。
「まったく…どうしてくれるんだね。この騒ぎといい食器類の弁償といい…。」
『うぅ…本当に申し訳ありません、先生…。一生かかってでも弁償しますから勘弁して下さい…うぷぇ。』
「シスカ!!踏ん張って!!吐かないで!!」
ベラさん…心配してくれるのは嬉しいけど、そんなにバンバン背中を叩かないで頂きたい。私を叩いてもフルコンボだドンにはなりません。
そして、最初の講義までの時間が迫り、焦ってきた所でふ、と頭上に影が落ちた。
何事かと丸めた背中を伸ばし上を見上げると、山のような巨体に雄々しいツノが2本、あと服の間からチロチロ見え隠れしている……毛…胸毛が見えた。
「大丈夫かな?お嬢さん??ここは俺が何とかしようじゃないか。」
ゴリラみたいなモンスターが偉そうに私にそう言った。
「大丈夫かな?お嬢さん??ここは俺が何とかしようじゃないか。最初の講義に遅れては大変だ」
『ぅあ…ありがとうござい…ます…』
とりあえず、目の前の第一印象が胸毛な先輩らしきモンスターが処理をしてくれるそうで私達は急いで講義のある講堂へと向かった。
***
「シスカ…大丈夫?あんまり急ぐと体に悪いんじゃない?」
『…ん……とりあえず授業には出ないと…。講堂に着いてから休むわ。…そういえば、さっきの先輩みたいな人、横でなんか言ってたけど、ベラ、何て言ってたか聞こえてた…?』
移動中、私は食堂から出る際に何か言われた気がしないでもないので、一緒にいたベラに訪ねてみた。
さっきは、あまりの気分の悪さと周りの雑音で素通りしてしまったのだ。
因みに今は吐き気は収まったので、一人で歩けている。いや、這っている?
口の中の奇妙な味をどうにかしたいけれど、今はまず講義が先だ。
こういう時に、自分は案外真面目なのだと実感する。
良いことだ。
「あー…、何か言ってた気もしないでもないけど、周りがあんまり五月蝿いから良く分からなかったなぁ。でも、あの先輩?…の着てたセーターって確か有名クラブの【ロアー・オメガ・ロアー】の物だったと思うよ?」
『それじゃあ、今日の講義が終わったら宿舎まで行ってお礼に行こっかな。』
そんなこんなで大講堂。
円形で広々としていたが、窓は小さく、中は薄暗く陰鬱で怖がらせ学部に相応しい講堂。
彫刻の施された円柱が何本も立ち、その前にある台座には高名な卒業生や教授たちの胸像が鎮座している。
胸像の前には、彼らが記録的な悲鳴エネルギーを獲得した際の記念の悲鳴ボンベが飾られていた。
後方は一杯だったので、最前列から2番目の端のすり鉢状になった席に座り、一息つく。
右横にベラが腰を下ろした。
あぁ…、また気持ち悪くなってきた。
実際、胃袋には並の朝御飯しか入っていないのだが、満腹感が半端ない。
いつでもお手洗いに立てるように通路側に座っておこう。
講堂の雰囲気と比例して陰鬱な気分をどうにかしようと視線を前に向けた所で円形の講義台の中央にゆっくりと教授が現れた。
がっしりとした体格に下顎から突き出た無数の牙と頭にびっしりと生えている角。
いかにも怖がらせ学の教授らしい姿だった。
彼はジロリと学生たちを睨み付けた。
「おはよう、生徒諸君。怖がらせ学入門の講義へようこそ。私はナイト教授。さて、君たち全員、町一番の恐ろしいモンスターを自負していただろうね。だが諸君、悪い報せだ!!ここは私の町で、私はちょっとやそっとじゃ怖がらない。」
いんや、私は町一番の大食い女だったわよ。
不本意だったけど。
そう宣言したナイト教授だったが、突然その太い首を引っ込めてビクリと身体を震わせた。
教授の顔に影が差したと思うと、高窓の前に翼を広げて太陽光を遮るシルエットが見えた。
翼が風を切る音がして高速で何かが薄暗い講堂を飛び回り、大きな音と共に教授の隣に着地した。
「ハードスクラブル学長だ。」
一部の学生が畏怖を込めて囁きを交わしている。
ハードスクラブル学長と呼ばれたのは、細面の顔を硬そうな茶色の皮膚で覆われた女性だった。
上半身はドラゴンに似ており、下半身は昆虫のようだった。
ムカデのように無数にある脚は鋭く尖っている。
彼女が講堂の床を歩く度にコツコツと冷ややかな音が響いた。
「ハードスクラブル学長。これは嬉しい驚きです。」
ナイト教授が恭しく礼をした。
驚いたのね、ナイト教授。
なんでも、彼女は歴代の怖がらせ記録を更新した伝説のモンスターらしい。
ハードスクラブル学長は自分の胸像の前に立つと、そこにある悲鳴ボンベがわずかに傾いているのをまっすぐに直してから、学生席にその冷たく冴えた目を向けた。
「皆さん、邪魔をするつもりはありません。ただ、私の学部で学ばれる皆さんの"恐ろしい顔"を拝見しようかと思いまして、伺いました。」
なんとも、恐ろしい皮肉だと思う。
学生たちは互いの顔を見合わせて囁きあっている。
「学長。」
ナイト教授が申し出た。
「是非とも、新入生たちに励ましの言葉をかけてやって下さい。」
学生たちをゆっくり見回してから学長は頷き、
「励ましの言葉?宜しいでしょう。」
前に進み出た。
「…恐ろしさはモンスターの真のバロメーターです。恐ろしくないモンスターなんて、モンスターと言えるでしょうか?…私の職務は、優秀な学生をより優秀にすることです。平凡な学生を少しばかり引き上げてやることではありません。」
学生たちは不安にざわめいた。
ハードスクラブル学長は、身の凍るような笑みを浮かべると、続けた。
「学期末の最終試験は、そのためにあるのです。試験に落ちた者は、怖がらせ学部から出て行って貰います。」
学生たちのざわめきが更に大きくなる。
学長は静かに締めくくった。
「皆さんの適度な"励み"になると良いのですが…。」
言い終えるや否や、一陣の風のように学長は天井の窓から飛び去っていった。
ナイト教授が前に進み出たが、学生たちの動揺は収まらない。
「よろしい。効果的な吠え声の特徴を挙げられる者はいるか?」
ナイト教授は先制攻撃とばかりに、動揺する学生たちに質問を投げ掛けた。
そんな中、静かに手を上げる者がいた。
「どうぞ。」
微かに驚きの色を浮かべながら、教授が彼を指名した。
彼と言うのは、後ろ姿のみでハッキリとは分からないけれど、キャンパス・ツアーの時に見かけた緑色のボールのようなモンスターだと思われた。
怖がらせ学部だったのね…。
「全部で5つあります。吠え声の響き度、吠え声の長さ……」
その時、講堂に恐ろしげな吠え声が響き渡った。
全員が講堂の入口に視線を向けた。
私もノロノロと首を動かす。
入口からのっそりと姿を表したのは巨大なモンスターだった。
全身を青い毛皮が覆い、所々に紫色の斑点がある。手入れはされておらず、ボサボサだ。
筋骨たくましく、大きな頭には牡牛を思わせる角がある。大きな口から牙が2本覗く。
顔には嘲笑にも似た笑みが浮かんでいる。
とても新入生とは思えない不適さだ。
静まり返った講堂を見渡していた彼は、ナイト教授の刺すような鋭い視線にようやく自分の置かれた立場に気付いたようだった。
「おっと失礼。いや、何、誰かが"吠えろ"と言うのが聞こえたもんだから、ついね。」
とぼけた言い訳に学生たちの何人かがクスクス笑い出した。
「見事な吠え声だな。ミスター……………?」
教授はどうにか席を見つけて座り、ふんぞり返って大きく脚を組んでいる彼に尋ねた。
毛もくじゃらの彼は不遜な態度を崩さぬまま、答えた。
「サリバンです。ジェームズ・P・サリバン。」
すると、ナイト教授が太い首を捻った。
どうやら何か思い当たる節があるらしい。
やがて教授の顔が輝いた。
「サリバン?ビル・サリバンのサリバンかね?」
サリバンと名乗る彼はニヤリと笑った。
「そうです。ビルは俺の親父さん。」
すると、今度は学生たちが感じ入ったようにざわめき出した。
「嘘だろ!すげぇ!」
たしか、ビル・サリバンは伝説の怖がらせ屋で、ビルばかりではなく、サリバン家の者は代々怖がらせ屋を輩出してきた由緒ある家柄だった筈。
つまり、良い所のボンボンと言うわけね。
それにしても、物凄く調子ぶっこいちゃってるわー…。
「ふむ…。」
ナイト教授は学生たちを鎮めるべく咳払いをした。
「その姿を見た時点で、サリバン家の者だと気付くべきだった。大いに期待しているぞ。」
ナイト教授はその厳つい顔に似合わない笑みを浮かべた。
「えぇ、期待しててくださいよ。」
と、ボンボン君も笑いながら答えた。
すると、先程、教授の質問に答えていた緑色の彼が立ち上がった。
「なんだい?」
「まだ、効果的な吠え声の特徴についての回答の途中だったんですが……。」
「いや、結構だよ。もう、ミスター・サリバンが実際にやってみせてくれたからね。」
サリーはニヤリと笑って教授を指差すとチッと歯を鳴らして見せた。
どうやら、それが彼のお得意の決めポーズらしい。
それから普通に最初の授業は始まった。
講義終了のベルが鳴り響き、生徒達が教科書を閉じる。
「では、次までに第2章を予習しておくこと。解散。」
ナイト教授の号令と同時に次々と席を立つ生徒達を見ながら、私はとてもスッキリとした表情を浮かべていただろう。
何故かって?
フフフ…それは、
「シスカ?もう、大丈夫?気持ち悪くない?」
『もう、バッチリよ!!身体全体が生き返るようだわ!!いっつも、そうなんだけど、アタマウス(今、命名。頭と口=マウスを掛けてみた。ダサい。)が暴走した後って気持ち悪い峠を越えたら、とてつもなく気分が良くなって全てのパラメーターが上がるのよ!!今なら、あの学長をも凌ぐ記録を出せそうだわ!!』
「アタマウス?何そのドラッグみたいなの…怖…。」
『まぁまぁ、そんなこと言わずにぃ、次の講義まで時間あるし何か食べに行きましょうよ!』
「またぁ!?アンタ、見た目の割に食べるのねぇ…。」
『コレの宿主ですからぁ~。』
まぁ、人よりは食べる方かもね。
それプラスこの頭だし。
そう言って私が指差した頭を見てベラは誰もが1度は抱く質問を口にした。
「あのさ、ソレって一体何なの?」
『えーとね。正式名称は分からないけど、生まれた時からあるのよ。パパには無かったけど、ママには両手に付いてたわよ。』
「ソレって遺伝なの!?」
『みたいねぇ~。一応、味覚と満腹中枢は繋がってるみたいなんだけど、接種した栄養とか物理的な触覚や食物の行方は病院行っても分からなかったわ。』
教科書や筆記用具を片付けながら自分の頭について語ってみるが、謎な物はやはり謎なのだ。
レントゲンで見る限りポッカリと穴だけが空いており、食道らしき器官は見当たらず、脳ミソは上手く穴を避けるように頭蓋骨に入っており、知能的に問題なし。
暴走後のこの爆発的な解放感はストレス発散をしたような感覚で、ある種の異常なアドレナリン等のホルモンの分泌作用が原因とされている。
「…で、またあのカフェテリアに行くつもり?」
『あ…うーん。あそこに戻るのはちょっとね…。』
あんな暴れ回って、また食べに来ましたなんて言えないわよね…。
どうするか悩んでいると、講堂の外が騒がしい事に気が付いた。
何事かとベラと共に講堂から出てみると、沢山の新入生モンスター達に囲まれた大きくて強そうなモンスターが何人かいた。
「あっ!!あれってロアーじゃない!?素敵っ!」
『あぁ、有名クラブチームの…。』
そういや、お礼に行かなくちゃいけないんだった。
それにしても凄い人気ねぇ。
周りのファンらしきモンスターもほとんどが女子だし、ベラってああいうのが好きだったのね。
そういや、ミーハー気質だったか。この子。
それよりも私は今現在とてつもなく麺類が食べたい気分。
パンは朝食べたし、ライスは食べにくいからパスタが食べたいわ。
切実に。
間食のメニューについて考えていると、前方で群がっていた人混みを掻き分けるようにロアーのメンバーがこちらにやって来た。
次の講義がここなのかな?と思って私も恍惚とした表情のベラを引っ張って道を開ける。
「あー、そこの君。ちょっと良いかな?綺麗な青い髪の君だよ。」
『へ?』
こちらに指を差されたので周りを見るが、私の近くにはベラと髪の毛が生えていないモンスターばかり。
もしかして、私だったり?
そのゴリラのようなモンスターは………ゴリラ?ゴリラ…あ、胸毛。
思い出した。
この先輩臭がプンプンするモンスターは今朝のカフェテリアで後処理をしてくれたであろうモンスターだったのだ。
『ど、どうも…。』
軽く会釈すると、目の前に来たゴリ…ロアーの彼はゆっくりと膝間付き、それはもう、どこぞの恋愛ドラマ映画の男優のごとく私の右手の手の甲に口付けを落とした。
は?
何やってんの?
そして、何で周りから黄色い歓声が上がるの?
コンマ1秒フリーズしてはたと気が付いた。
彼は所謂(いわゆる)、大学のヒーローで王子様的存在なのだと。
女子生徒の熱い視線の的であり、憧れなのだと。
まぁ、学園には在り来たりな存在よね。
でも、何で私なんスか。
そりゃあ、この年にもなれば自分が人より綺麗に生まれてきた事ぐらいは気付くけど、こんな大きな大学になら私より美人な子ぐらいごまんといるでしょうよ。
「やぁ、お嬢さん。ご機嫌はいかがかな?」
『最悪よりは最高に近いけど、あなたの行動に疑問を感じるわ。』
おぉ…意外とクールな反応に自分でも感心する。
「ハハハ…、それは失礼。君があまりにも美しかったものだから、ついね。」
なんか、今のセリフさっきのサリバン思い出した。
『つまり、誰にでもやってるのね。』
「そう怒らないでくれよ。誰でもでは無いさ。そうだな…紳士とでも言って欲しいな。」
『では、紳士さん。今朝は助けて頂きありがとうございました。私はこれから間食を取るので、さようなら。』
ただのナンパらしいので、こういうのはスルーするに限る。
まだ上の空なベラを引きずって彼の横を通り過ぎようとするが、片手で行く手を阻まれてしまった。
「おっと、そう冷たくしないでくれよ。オレは君にある事を話しに来たんだ。」
『…話?』
「そうだ、今朝のアレについて。ロアーの資金でカフェテリアごと新しくすることにしたんだ。内装の修繕、器具などの新調、シェフと作業員の入れ替えなどなど……それを先程の謝罪1つで他人事に出来ると思うかい?」
何を言っているんだ、コイツは。
そんなのそっちが勝手にした事じゃない。
まぁ、確かに大暴れしたのは私だけれども……
『…私にどうしろと?身で持って払えとか?』
周りがザワザワと騒がしくなる。
それを胡散臭い顔付きの彼は「静かに」と一喝する。
「まさか…ハハッ君は予想以上に面白いなぁ。そんな野蛮な事はしないさ。…まぁ、カフェテリアを改装するのはこちらの勝手な言い分だからね。それにいち一般生徒のために大きな金を動かす訳にもいかない。そこでだ。」
そう言いながら、指を一本立てて演技地味た素振りに少したじろぐ。
果たして私は何を言われても動じずにいられるだろうか。
状況的に不利なのは明らかに私だ。
それにこのロアーファンに囲まれた空間で下手すればフルボッコ確定である。
私は静かに彼の言葉を待った。
「君を我がロアー・オメガ・ロアーに迎え入れようと思う。」
周りが更に騒がしくなり、批判めいた甲高い声が聞こえる。
私は私で自分が何を言われたのか良く分からなかった。
ロアーに迎え入れる?
どういうこと?
だって……、
『ロアーは男子友愛会(フラタニティー)の筈でしょ?私、見ての通り女よ?』
「分かっているさ。ロアーは優秀であれば性別関係無しに入れる特別なクラブでね。過去にも何人もの女性モンスターを輩出しているんだ。ロアーのメンバーになった君のためになら喜んでカフェテリアへ投資し、不自由ない大学生活を約束しよう。」
『…それって、そちらにメリットがあるのかしら?』
「もちろんだとも。ロアーはより優秀な人材を必要としている。学長から拝聴したところ、君の入学成績は悪くない。良いどころかトップクラスだ。それに……」
ずいっと彼との距離が狭まる。
両手を捕まれ逃げられない。
「コレは個人的な理由だが、オレのパートナー候補として側にいさせてやる事が出来る。」
………コイツは今ので私が「喜んでっ!!」とか言って胸キュンベタ惚れロード一直線を突っ走るとでも思ってるのか。
思ってるからこんな如何にも王道恋愛が好きそうな女ウケの良い誘い方をして来るんだろうけど。
残念だったわね。
私はそこらの女と違って、そういうクサい演出は好まないのよ。
ため息をついて、相手の大きな手を振りほどこうとしたら、
「この誘いを断りはしないと思うが、もし、そんな事をしたら多大な額の請求書が君宛のポストに届くだろうなぁ。」
コ、コイツゥ……っ!!
拒否権は無いってか。
そんな物、払い切る前にファンからの精神攻撃に屈するのが落ちじゃない…。
ほぉら、今にも襲いかかって来そうな形相の女の子がチラホラ…。
せっかくの可愛いお顔が台無しである。
先程の最高に良い気分はどこへやら、非常に最悪な気分を目の前の彼目掛けて眼力で飛ばすが、そんなのどこ吹く風とでも言うようにスルーされる。
『……喜んで。』
「そう言うと思ったよ。」
どの口が言うんだか。
こうなったら、クラブの資金を全部私の胃袋に収めてやるわ…。
こうして、私のクラブへの入会が決定したのだった。