正真正銘まがいもの
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不慮の事故だった。それは任務でもない、帰宅中の夜。
アイツは痛みを感じることすらなく意識を失った。
「いいよ!大した怪我じゃないし…歩けるよ!」
「いいから早く乗れよ…遅くなんのも嫌なんだよ」
しゃがみ込んでいるスクアーロは、首だけ動かして背後の名無しを見る。歩けるどころか走れそうなほどに彼女は元気だ。遅くなるのも良いが、この様子だと遅くなることはないだろう。
だから、なおさら。
「擦り傷だよ?こーんなちっちゃい」
一向に身体を預けない名無しに、スクアーロは怪訝な顔で立ち上がる。もう実力行使だ。ほら、とぴょんぴょん跳ねて全く問題ないと見せつける彼女を無視して、肩に担ぎ上げた。
「ちょ…!スクアーロ!!歩けるってば!」
「うるせーな暴れんなよ」
じたばたとする名無しのお尻を強めに叩くと、彼女は小さく短い悲鳴を上げて大人しくなった。大した傷じゃないのはよく分かっているし、これが彼女以外ならさっさと歩けと言っている。未だ背後から聞こえる名無しの愚痴っぽい声に、スクアーロはふっと口元を緩めた。
「おや、仲良くご帰還ですか?」
チェアに腰かけ、デスクに頬杖をついたティッツァーノが目を細め、口端を上げる。スクアーロがソファへ降ろすと、名無しはむくれ顔で愚痴のような言い訳をし始めた。まだ言うことあんのかよ。スクアーロは内心呟いて、彼女の隣に腰を下ろす。
「歩けるって言ったのに……それにお尻叩くんだよ!?女の子のさあ!普通しないよね!?ティッツならしないでしょ?!」
「したことはありませんね…今のところは」
「オレだっておまえ以外ならしねーよ」
その言葉に、聞いた!?と名無しは不満げな声をあげる。微笑みをなお絶やさずに聞くティッツァーノに、彼女の口は止まらない。コイツの口は愚痴しか出てこねえのか?スクアーロは背凭れに頭を預け、ほとんど一方が喋っている2人の会話を背景に目を閉じた。
少し前のこと。スクアーロは名無しに想いを伝えていた。結果としては断られたのだが、あまりショックは受けなかった。というのも彼女には組織外に恋人がいて、断られるのも予想の範囲内だった。それでも伝えると踏みきったのは、彼が静かに諦める性格ではないからだ。恋人が居ようが居まいが関係ない。伝えることは自由だと。
「オレはスタンドに不満を持ったことはないが……今ほど…ティッツ、おまえの能力を羨ましいと思ったことはねえぜ」
「わたしのトーキング・ヘッドは言葉や行動を支配しても、心までは動かせない……あなたもよく分かっているでしょう?それよりもいい方法がきっとあると思いますよ」
その日の夜、スクアーロとティッツァーノはバールでアルコールを交わす。能力を羨ましいと言ったスクアーロ自身も、本気で能力を利用したいと思っているわけではないし、想いを諦めてもない。もし、このまま結ばれることがないのなら、というただの小さな欲望だ。一度だけでも疑似的に想いを通じ合わせても罰は当たらないだろう。それだけの願望だった。
あくる日。ソファで寝ている名無しの寝顔に見飽きたスクアーロは、その鼻を摘まむ。
「……ッ、んぐ…!」
上手く呼吸が出来ず、変な音を出した名無しは目を開けて、すぐ視界に入った男をぼんやり見つめる。すぐに何が起きたのか、その犯人は誰なのか理解してとび起きた。
「ッスクアーロ!!」
「いつまで寝てんだよ……任務だろ。ティッツが待ってるぜ」
「にしても他に起こし方っていうもんがあるでしょ!?」
ホントよく口が回るな。寝起きにも関わらず、名無しはむすっと口をとがらせてすらすらと文句を言う。靴を履いて、上着を引っ掴んで、バタバタと慌しく出ていくのを目だけで見送る。
靴まで脱いで…しっかり寝るつもりだったろアイツ。
スクアーロは、世話が焼けるとため息をつく。
こんなやり取りばかりであるために、名無しにとってスクアーロは仲間でしかないのだろう。だが彼には、今すぐどうにかしてやろうという気はなかった。ギャングなんて早々辞められるものではない。半永久的に続く関係性は十分居心地の良いもので、スクアーロを急かすことはなかった。
そんな時だった。
名無しが事故に遭ったと知らせが入ったのは。
次にスクアーロが見た彼女は、人工呼吸器に口を覆われ、瞼を下ろした姿だった。
名無しの手を握り、目を閉じた顔をただ見つめる。繋いだ手の上に重ねたもう一方の手の人差し指で、自分の甲を一定の間隔でトン、トンと叩く。その音や点滴の落ちる音、心音さえも聞こえそうなほど静まり返った病室。その静寂を破ったのは、病室の戸を開く音だった。
「やはりあの日、一緒に居たようです……しかし救助要請をした方が見たときには、倒れる彼女だけだった…と」
病室の外で声を落とし、ティッツァーノが調べ上げた情報を聞く。
名無しがこの病院へ運ばれて一週間はとうに過ぎた。2人はかなりの頻度で彼女の様子を見に来ていたが、恋人の姿を一切見かけることはなかった。少し引っかかってはいたが、事情があるのかもしれないと放置していた。
だがあの日、恋人と一緒に帰ると名無しが言っていたこと、そして運ばれた時、彼女に付き添う人はいなかったという証言。引っかかりは重りがついてゆくばかりだった。
「どうします?スクアーロ。わたしが行きましょうか」
「…いや、いい。自分でやらなきゃあ、気が済まねえ」
なぜ恋人は途中でいなくなったのか。理由までは分からない。しかし理由など必要ではなかった。いなかった。その事実だけで充分だ。もし目を覚まさなかったら、と最悪の事態が何度頭をよぎったか。ティッツァーノに名無しを任せると、スクアーロは病院を後にした。
それからさらに一週間後。
名無しが目を覚ました。そんな朗報と共に、初めから懸念されていた記憶障害が一部起きているという知らせも飛び込んだ。
「オレのこと、分かるか?」
「…スクアーロ、でしょ」
名無しは大きく首を縦に振り、照れたようにはにかむ。その答えを聞いて、スクアーロはようやく肩の力を抜いた。どうやら記憶が抜けているのはここ数年のことで、パッショーネに関することはもちろん、スクアーロやティッツァーノのことも覚えていた。スクアーロは病室のベッドわきに置かれた椅子に腰かける。
「名無し、おまえ…恋人は覚えているか」
ここ数年、ということはその間に知り合っているあの男のことは覚えていないはず。スクアーロは言葉を濁さず、真っ直ぐ聞いた。名無しは思い出そうとしているのか、視線を宙に漂わせる。だがすぐに困ったように眉尻を下げて、首を横に振った。
「最近のこと…かな?……記憶にないや」
彼女は申し訳なさを交えた笑みを浮かべる。その顔に、スクアーロは自分の胸がかすかに痛むのを感じた。この関係でいい、なんて偽善ぶった過去の自分を嘲笑する。どんな手を使ってでもおまえを奪っておけばよかった。
…なあ名無し、オレらはギャングだよな。目の前に落ちてる好機を自分のモノにせず、見逃すほど親切じゃあねえ。そしてもう二度と、おまえをこんな目に遭わせねえためにも。
「ねえ、どんな人なの?私の恋人って。ここに来たことある?」
家族や友人、仲間のことは覚えている中、知らない関係性の人のことが気になるのだろう。名無しは瞳を輝かせて聞く。スクアーロはその瞳を真っ直ぐに見つめ返して、迷うことなく口を開いた。
「おまえの恋人は――」
「またティッツァーノと?私も一緒に居たいのに」
「大人しく待ってろよ。まだ万全じゃあねえだろ」
記憶を失っても変わらない愚痴ばかりの口。
名無しはふてくされた顔で、スクアーロの服を掴む。その頭に手を置いて、覗き込むように目を合わせた。すると小さく唸りながら、彼女は渋々手を離す。スクアーロはその突き出された唇に、ちゅっと素早くキスを落とした。
すると名無しの表情はみるみる緩み、頬は仄かに赤らむ。お待たせしました、と姿を現したティッツァーノは赤らむ彼女を一瞥してから、スクアーロに意味ありげに微笑む。
「もし記憶が戻ったらなんて言うんでしょうね」
「…愚痴だけじゃあ済まねえかもな」
「別れる、なんて言い出したらどうするんです?」
「放すわけねーだろ。事実になるまでオレはこの"ままごと"を続けるぜ」
「……?」
ティッツァーノはでしょうねと言わんばかりに、可笑しそうにくすくす笑う。そのやり取りを、名無しが何の話かとスクアーロとティッツァーノの顔を交互に見る。その頭を撫で、今度は額にキスを落とした。
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