Dilemma+sideA
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プロシュートは辟易していた。
目先の店に入った女は一向に出てくる気配がない。
挨拶だけ!と彼女が入ってから十数分は経っていた。
ウィンドウ越しに目をやると、店員の男とカウンター越しに話している。盛り上がっているような雰囲気に、これ以上待っていられるかと舌打つ。プロシュートは店内に入ると、ツカツカと足早に彼女に迫った。
「楽しそうじゃあねーか…名無し」
「あッ!…ごめん」
寄り添うように横に立ち、腰に手をまわす。愛想の良い笑みを浮かべてそう言うと、名無しがまずいといった顔をして謝る。プロシュートは商品を吟味するように店内を見回し、最後に名無しをチラリと見ると、彼女と会話していた店員に聞いた。
「彼女を持ち帰りたいんだが…いくらだ?」
「え、ああ…その、」
「あー!えっと、またね!」
上手いこと返せずあたふたとする店員に、焦るように別れを告げた名無しが、ごめんって!とプロシュートの背を押す。プロシュートは去り際に店員の顔を目の端で捕らえると、彼女に押されるがまま店を出る。
2人は任務終わりだった。チームに入ってひと月と経たない名無しの面倒を彼が請負っているのだが、彼女は何かと自由だった。…さっさと帰って報告を済ませりゃ、時間なんていくらでもあるだろうが。プロシュートは決して口には出さず、心の内でその煩わしさをぼやく。
人々が動き始めて間もない午前中。夜明けごろから外に出ていた2人は、街が活気づいたと感じつつ歩く。
「最近店の物を落としちゃって」
「ああ」
「弁償しなくていい代わりに、売り上げのノルマを課せられちゃったんだって!」
先ほど話していた店員の情報に、心底どうでもいいとプロシュートは適当に返す。その態度から読み取れる機嫌にも、わざとか天然か、彼女は気にも留めず喋り続けた。
人もまばらになるアジト近くの路地まで来たとき、とっくに痺れを切らしていたプロシュートは名無しの顎を突如掴み上げる。
突然のことに彼女は口を噤み、目を開いて驚きを見せた。
プロシュートはその瞳を覗き込むようにして、口付けでも交わしそうな距離で艷やかな低声をかける。
「おい名無しよォ……いつまで野郎の話をしてんだ…ええ?今テメーと居んのは誰か言ってみろよ」
「プ、…プロシュートッ……」
「分かってんなら二度としねえことだな」
プロシュートが手を離せば、名無しは下を向いて顎を摩る。唇を尖らせてはいるが、もうその話をすることはなくぴったりと傍を付いてきた。プロシュートはそれをちらとだけ見て、彼女の頭に一度だけ手を軽く置くようにして触れた。それから特に会話もなくアジトに着くと、報告はオレがしてくるとリビングに名無しを置いて、リゾットの執務室を合図なしに開けた。
報告を終えてリビングに出ると、ソファの端で名無しがぼんやりしている。口数がめっきり減り、瞼も落ちかけている。任務を終えて安心したのか、ようやく眠気が来たようだ。
それを横目にリビングを通り過ぎようとするプロシュートに、彼女が反応を示した。
「ふぁ、……ん、プロシュートどこ行くの…」
「オメーの他にもう一人マンモーニがいるからな…お守りだ」
欠伸を噛み締める名無しの頭に、ぽんと手を乗せると「オメーは寝てろ」と告げて、プロシュートはアジトを出た。
老化した死体をつま先で軽く蹴り上げて仰向けに返す。死体となった男が着ているモノのポケットをまさぐるが何もなく、プロシュートは仕方なく隅々まで探った。数分と経たずにジャケットの内部に硬いものを見つけると、内布を破いてそれを取り出す。小さめのメモリだ。プロシュートは取り出したメモリを地面に落とし、革靴で踏みつけた。
メモリは、バキ…ッと無機質に鳴って割れる。
彼女――名無しは別組織からパッショーネに送られた諜報員だ。そして今地面にくたばっているこの男は今朝、彼女と会話していた店員。おそらく組織の情報受取人だろう。
彼女はあからさまだった。その行動はまるで「自分はスパイです」と言いふらしているようで、諜報員には全く相応しくない。何処の諜報員か、なぜ彼女はこんなにも分かりやすい行動を取るのか。それを調べるために、あえて諜報員として行動させていた。万が一メモリが何処かに渡ってもいいように、中身をフェイクにして。
他に情報がないか一応調べるが、手がかりは何一つ出てこない。当たり前だ。表立って行動する構成員ならパッショーネでいうバッジのように、何か証明するものを持っていてもおかしくない。だが情報の受け渡しに、わざわざ証明するものを持ってくるやつなどいない。
今までこの男を含めて3人、葬ってきたが誰一人として手がかりはない。つまり、組織自体は杜撰ではない。だとすると尚更彼女の行動の意図が分からなかった。
その頃、アジトのリビングではリゾットとホルマジオ、未だ眠りにつく名無しの姿があった。男の処分を終えてアジトに戻ったプロシュートは、リゾットに手を一振りして収穫はゼロだと伝える。リゾットは目線を上げてそれを見ると、僅かに眉を顰めて再び目線を落とした。
「身元が判明したらよォ~~~…ばらすんだろ?コイツ……。オメーにやれんのかよ?」
名無しが寝るソファの肘掛けに腰を下ろし、彼女の髪に指を絡めたり頬をさわって弄んでいるホルマジオが、せせら笑うように言った。
「オレは反対だぜ…オメーにゃ無理だ……ペッシの方が望みあんじゃあねーか?」
「テメーを先にばらすことだって出来んだぜホルマジオ」
プロシュートは軽口をたたくホルマジオを鋭く見据える。
ソファまで近づくとホルマジオの手を払い除け、プロシュートは手指の甲で名無しの頬をするりと撫で上げた。言葉を返そうとホルマジオが口を開くが、ここで話すなとリゾットの咎めにより、会話は早々に打ち切られた。
殆どの者が出払った日、リゾットの連絡を受けたプロシュートは静まったアジトにいた。
「情報管理チームがようやくリークした…」
彼女の身元、属する組織、パッショーネについて何を探ろうとしていたのか。それが分かったという知らせだった。
プロシュートは随分掛かったなと呆れ気味に笑う。名無しが珍しくギアッチョと組んで任務へでた時点で、大方察しはついていた。プロシュートはソファには座らず、服のポケットに両手とも隠すと、それで?と続きを促す。
リゾットは静かに口を開いた。
「彼女は―――始末しろ」
指示を無表情に受け取ったプロシュートは、リゾットが放ったその言葉を待っていたかのように颯爽と身を翻した。部屋を後にしようとする背に、プロシュート、と呼び止める声がかかる。
プロシュートはぴた…と足を止め、振り返りはせずにリゾットの言葉を待った。
「……オレはおまえに任せた」
それに、プロシュートは何も返すことなく出ていく。
「おまえに任せた」 脳内で繰り返される言葉。それは決して「好きにしろ」という意味ではなかった。リゾットはプロシュートが彼女へ抱く、特別な想いに気付いているのだろう。彼だけではない。ホルマジオの反対も、それが理由だ。
それでもプロシュートに任せるのは、彼が強情だからというだけではなかった。彼が譲らなかったとして、リゾットが無理にでも任務から下ろすことは出来る。それをしないのはリゾットの仲間に対する信頼、そして信用だった。
リゾットから渡される信用は、誰のものよりも深く重く、枷のように圧し掛かる。プロシュートは重みを振り払うように、細く息を吐いた。
アジトの外壁に凭れるプロシュートの前に、赤い車が1台停まる。見慣れたその車はギアッチョのものだ。運転席に彼が座り、その隣には名無しが収まっている。2人は任務を終えて戻ってきたところだった。
プロシュートは2人が行動を起こす前に、二つしかない座席の間に飛び込むように乗る。2人の間に脚を収め、トランクに腰を下ろすと、ギアッチョに行先を伝えた。だがギアッチョは発進することなく、思いっ切り眉を寄せて怒鳴った。
「どっからどー見ても2人乗りだろうがッ!!降りやがれ!!せめえんだよ!!」
「だから長い脚を組んで、少しでも縮めてんだろーが………。いーから早くだせ」
暫く口論が続いたが、プロシュートが引くことはなく、だからといって鍵を明渡して車を貸すのは絶対嫌だったギアッチョが結局引いた。盛大に舌打ちし、振り落とすような勢いで発進させる。
そう遠くない距離の目的地は、もうずいぶん使われていない古い小さな倉庫だった。ギアッチョが車を急停止させると、プロシュートは一足先に車から降りて名無しにも降りるよう促す。
戸惑いつつも助手席から降りた名無しがお礼を言うと、ギアッチョは短く「あぁ」と返した。そして彼はほんの一瞬だけプロシュートの方を見ると、ぐっとハンドルを握り締めて来た道を走り出した。
プロシュートが連れたその倉庫内には錆付き、部品のない重機が眠り、鉄と埃の匂いが漂っていた。そして埃の積もるその床に、重なるようにして転がる複数の死体。
それらは倉庫や重機のように古めかしい物ではなく、言うなら数週間から数日前のような真新しい死体だった。名無しの足元に広がる者達は彼女に、何が起きたのかを一目で伝える。
彼女が小さく息を飲んだ音だけが聞こえた。
ふらふらと歩み寄り、死体の前で足を止めると俯いてそれらを見つめている。死体は老人のようになっているが、いくらか残っている面影が誰であるかを教える。
「知ってるよなオレの能力…。周りで仲間が死んでいくってのに、何故スパイを続けた?逃げる暇はあったはずだぜ……」
プロシュートはその背を眺めながら言う。名無しの情報が分かったと知らされたあの時、プロシュートの促しにリゾットは名無しの身元については言及せず、彼女の処分を言い渡した。それはリゾットも情報を知らされていないか、プロシュートが知らなくて良いという意味だ。なら追求するより口を割らせる方が早い。
「…彼らは仲間だけど、味方じゃない……私は、」
名無しは俯いたまま独り言のように吐き出すと、垂れ下がった手が強く拳をつくった。息を吐き出すように言葉を紡いでいく。
「指導者をっ、自分のボスを、裏切ろうとしたの……だから試すためにここに送られた。彼らは監視役だけ、ど…」
プロシュートは名無しが口走った指導者という呼び方に、ひとつの組織を思い出す。イカれた組織があるらしいと仲間内で話題になった。その組織は幹部を除いたほとんどが、人に見捨てられ愛する者に裏切られ、存在すらも許されていないような自己否定に陥った人間である。そんな状態になったとき現れる人物は、救いの手を差し伸べる神にすら見えるだろう。情けをかけ居場所を与えるという慈愛をみせ、恩恵と共に忠誠心を芽生えさせる。
そうして組織の一員となった人々は、彼を指導者と称し、敬う。指導者のために生きるという存在理由を与えられ、その命をも投げ売り、それが正しいと信じて疑わない。たとえ指導者にとってただの駒にすぎないとしても。
誰かが言っていた。宗教じみた組織だと。
「マジに存在してるなんてな…。それで、どうして裏切った?オメーも崇めてたんだろ…その指導者ってやつを」
「…仲間が…ッ簡単に、死んでいく……許せっ、なく、て…人のッ…人の弱みに付け込むアイツがッ!!」
名無しの荒がる声は怒りと悔しさを含み、泣き乱れるのを我慢するように肩を震わせる。彼女は気付いてしまったのだ。誰よりも先に正気に戻ってしまった。
しかし、たった一人で組織に抗えることもなく、結局は駒としてここに立っている。目なんて覚めなきゃよかったのに。彼女はそう呟いた。
「…プロシュート、お願い。仲間のところに連れてって」
大きく息を吐いて嗚咽を閉じ込めた彼女は、ぺたりと床に座り込んだ。ゆっくり彼女に近づいたプロシュートは片膝をつき、腕をまわして後ろから抱きすくめる。
そして彼女の頬を転がり落ちる粒を掬った。
いつか自分達にもいた、簡単に死にゆく仲間に思いを馳せて。
「ああ…殺してやる」
「ペッシ!報告は頼んだぜ」
「あッ、ああ…分かったよ兄貴…」
ペッシとの任務を終えたプロシュートは、報告を任せて足早にアジトの出入口へ向かう。その通路で今しがた戻ったリゾットとすれ違った。
互いに背合わせになったその瞬間、プロシュートと呼び止められ、足を止めて言葉を待つ。リゾットの低く重々しい声が、リビングにいる仲間の声が聞こえてくる廊下に落ちた。
「容赦はしない…隙を見逃すつもりもない」
「おいおいリゾットよォ…オレがしくじったとでも言いてーのか…伝えたはずだぜ。首尾は完璧だと」
「死んだ人間が生き返ることがあるなら…だ」
「…アドバイスか?ご親切だな」
「……残念だが忠告だ」
プロシュートは再び歩みを始めながら背後の男に言った。
「任せたんなら最後まで信じろよ……。オメーの信頼を裏切りはしねえ」
後ろからも鳴り始めた足音を聞きつつアジトを出る。
手を離すと蝶番に促された扉は閉まっていく。
行方不明の裏切り者なんて死んだも同然だ。
安心しろよ…報告通り首尾は完璧だ。
バタンと鳴る音と共に、形のいい唇が可笑しそうに歪んだ。
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