銀詰の地獄
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インナーを鳩尾まで上げたところで手を止める。
まただ。最近自宅の中で視線を感じことがある。私は急いで後ろを振り返るがそこには特に何もなかった。変哲のない私の部屋にホッとしたが、不快感は拭えない。インナーの裾を戻して風呂場に向かい、そこで残りの着替えを済ませる。
きっと神経が過敏になっているのだ。あの男のせいで。
軋みを上げて沈むアジトのソファ。力強く抱き寄せられる肩。ああ、耳元で喋らないでほしい。不快に歪んだ私の顔は俯き加減で、私よりはるかに背の高い彼からは見えないのだろう。そんなところも嫌になる。逃げ出してしまおうと、立ち上がるために身に力を入れる。同時に回された彼の腕にも力が入り、立ち上がれなかった。
「どこへ行くんだ?」
私はようやく横を向き、不快さを前面に押し出しながら緋色と目を合わせた。片眉を上げ、わずかに上げている口角もむかむかする。
「…イルーゾォさんには関係ありません。放して下さい」
「それは出来ねえお願いだな」
ぐっと寄せられ、より距離が近くなり、無意識に身体が強張る。いくつかに結ばれた彼の暗い茶髪。そのうちのひとつが私の首筋を擽る。抵抗したところで力の差は歴然だ。チーム内でスタンドバトルをするわけにもいかない。我慢を強いられた私は、彼という情報を少しでも遮断するため目を閉じる。
私は別の地区を管轄するチームから、最近このヒットマンチームへと移動した。暗殺を主とするこのチームは組織の中でも忌み嫌われる存在で、移動を聞かされた時は血の気が引いた。私が殺されたりしないだろうか…。鬱鬱として入ったそこは、私の予想を裏切る。勿論ギャングであるからには穏やかな人達ではないが、特別気性が荒いわけでもなく、性格は前チームの人達と遜色ない。むしろ前チームにはなかった、お互いに干渉しない殺伐とした環境が心地良かった。この男を除いては。
「待たせたな名無し。いこーぜ」
待ち侘びていた声に目を開け、すぐさま立ち上がる。任務となれば彼も引き留められず、今度は邪魔されずに済んだ。私を呼んだホルマジオはリビングのドアに凭れていた。親指でくいっと外を指すとそのまま行ってしまう。イルーゾォに小さく頭を下げて一応の礼をし、慌てて後を追いかけた。
暗殺者としての経験が全くない私は、今はホルマジオと一緒に任務へ出ている。今日も一緒の任務で、彼を待っていた。その時にイルーゾォが居合わせてしまったのだ。
助かったと心の中でホルマジオにお礼を言う。彼自身は助けたつもりはない。さっきの状況も任務だから声をかけたのであって、用がなければ放置していただろう。イルーゾォがどれだけ接触しようと、私がどれだけ迷惑がろうと我関せずだ。嫌なら自分でどうにかしろ、ということだろう。これはホルマジオに限ったことではなく、他の人たちも同じ対応だった。干渉しないところが良いとは思っているが、こんなにも関わってくる人がいて助けてもらえないのは複雑だ。今のところイルーゾォと任務でないのが救いである。
任務が終わり、ホルマジオが報告しておくから帰って良いと言った。早く帰りたかった私は言葉に甘え、そのまま帰路につく。
自宅への最後の曲がり角に差し掛かったところで、美味しそうな匂いが空気に乗ってやってきた。…そういえば。その匂いで私は自宅の冷蔵庫が空っぽだということを思い出す。チームの移動や初めての暗殺という任務などここ1週間は忙しく、買い物に行けなかった。今日こそは行かなければ明日、いや今日食べるものすらないかもしれない。
買い物するかと身を返したと共に、小さくお腹が鳴った。美味しそうな匂いは、先程から私の食欲を掻き立てていた。少しの葛藤のあと、その匂いの元へと歩き出す。買い物は食事が終わってからでもいい。今日は外食にしよう。
壁に向かっているカウンターで食事をとる。初めて入る店だが、当たりのようだ。私好みの味で美味しい。家からも近いし、これからも利用しよう。
料理が半分程になった時、フォークが口へ入る手前で止まった。フォークを持つ手が私じゃない大きな手に掴まれている。呆気にとられ、後方から伸びる手に持っていかれる腕を見つめる。掴まれている手首からフォーク、そしてその先と目で追うと、フォークを迎えるように軽く口を開ける顔。私の口へ入るはずだった料理は、背後の男に取られてしまう。
「イルーゾォさん……」
「酸味が強いな」
彼は唇についたソースを舌で舐めとり、微妙だと言い放つ。固まる私に構わず、何食わぬ顔で隣の椅子を引いた。腰かけた彼と再び目が合ったところで思考が動き出す。
「…どうしてここに」
「食事に来ちゃ悪いのか?」
疑問に返された質問に黙ってしまう。どうしてここに来たのかではなく、どうして鉢合わせてしまうのか。私の疑問はそこだった。だが私は彼の自宅や生活範囲を知らない。この辺に住んでいるとか、この辺に用があったとか理由はいくらでもある。
少し、ほんの少し怖かった。アジトでさえ我慢すれば良かったものが、外にまで来てしまったことが。敬遠するものが私生活にまで侵食している。しかしここは食事をする場所だ。彼がどこで食事をしようと私がとやかく言えることじゃない。
「食べたらどうだ?冷めるぞ。…食べさせてやろうか」
「ッいえ!自分で食べます」
イルーゾォの提案に我に返り、ぐるぐると考え込むのをやめて皿に向き直る。隣から食べづらい視線を感じるが、反応しては駄目だと咀嚼のスピードを上げる。私は食べながらひたすら壁の模様を目でなぞる。
「おまえが外食とは珍しいな」
暫く黙って見ていた彼が喋り出した。その内容にフォークを運ぶ私の手が止まる。実際、外食はあまりしないが、チームで私はそんなイメージがついているのだろうか。まだ1週間程度しか経っていないのに?食事を共にしたこともないのに?
「冷蔵庫が空だったな…買出しに行く暇がなかったんだろ」
「え…」
予想などではなく、知っているかのような言い方。私は思わず彼の方を向いた。彼は頬杖をつき、挑発するような含み笑いで私を見ている。
…どうしてそのことを、とは聞けなかった。
カマをかけて反応を愉しみたいだけ。そう信じるために。
止まったせいで咀嚼されていないものが口に残っていた。
無理やり飲み込むそれは、とても気分が悪かった。
そしてその謎は案外あっさり解けてしまう。
高いところから対象の男を見下ろす。その時、私は手の平ほどの大きさになっていた。ホルマジオとの任務で、ある会合に来ている。誰でも出入りできるような場所ではなく、見つからないよう彼のスタンド能力で小さくなるほかない。そのぶん歩幅も小さくなり、必然的に移動に費やす時間が多くなる。
ようやく近づけた対象を棚の上から確認する。隣で同じ大きさのホルマジオがやれやれと頭に手をやった。
「殺すより移動に時間かかってんじゃねーか……ったくイルーゾォのやつにやらせろよなァ~~」
私は今のところ、ホルマジオとメローネのスタンドしか見たことがない。メローネに関してはパソコンに向かっているのを見ただけで、実際どう暗殺しているのかは分からない。一応、そのパソコンがスタンド本体らしいが。
イルーゾォにやらせろ。
そのぼやきが気になって尋ねた。
「イルーゾォさんのスタンドは…移動が得意、とかですか…?」
「そうじゃあねえ…鏡の世界だ。鏡を出入口に行き来できる。反対にはなるが、中の構造は現実と変わらねえし、そこに生き物は入れねえ……引き篭りゃ、堂々と歩きまわれる」
「…か、がみ」
「そうだ。ここには多くはねえが、使えるぐらいには鏡もあるしよォ~~……なにより大した金じゃあねぇ……」
ホルマジオの声が遠のく。かがみ、鏡…。自分の部屋が脳裏に浮かぶ。どうして思いつかなかったのだろう。私達に与えられた特殊な能力。こんなにも都合よく解釈できるものが、身近にあったのに。
ホルマジオが鋭く私を呼ぶ。
「名無し!ボーっとすんなよ…さっさと終わらせよーぜ」
どうやって帰ってきたのか分からない。暗殺は?報告は?まるで覚えていない。気付けば私は自宅にいて、玄関先の姿見を見ていた。視線を感じて振り返った時、何もなかったんじゃない。それは既にあったのだ。ああそうだ。振り返るとそこには必ず鏡があった。
姿見に手をかける。立て掛けていただけのそれは軽い力で倒れ、割れる。その大きな音で堰を切ったように、家中の鏡を割った。備え付けの大きな鏡から小さなコンパクトまで、鏡として使えないようひとつ残らず全て。
「はぁッ……、」
一心不乱に割り、破片が散らばった。沢山あったわけではないが、幾つにも割れた鏡は床を埋めている。その中心で佇む私の耳にジャリ、と破片を踏む音が飛び込んだ。背後で聞こえたそれに、振り返る。
「ッ……イルーゾォ…さん」
「鏡を割ってどうするつもりだったんだ?……出入口を壊してしまおうと?」
どうしてここに、とは思わなかった。驚きはしたが、やっぱり。という感想だった。それでも自分だけの居場所に心許さない、もはや嫌悪を抱く人間がいるのは怖い。
彼の表情は何を思っているのか分からず、その中で緋色の目は真っ直ぐ私を捉える。イルーゾォは上身を倒し、足元に落ちる破片を拾った。顔ですら全て映らないような破片。彼はそれを掲げて、角度を変えながら覗き込むように眺める。
「この大きさであれば十分だ……出入口には、な」
ジャリ、と音を立てて一歩、また一歩近づいてくる。
そのたびに私は後ずさる。
彼の持つ破片が、光に当たって煌いた。
一瞬の出来事だった。その煌きに目を奪われた刹那、世界は反転していた。引きずり込まれた世界は現実と何ら変わりなくて、音も光も温度もそのままだ。それなのに何もない空間にひとり、取り残されたような感覚がする。
やがて、やけに冷たい壁が背に当たり、これ以上下がれないと私に教える。彼は逃げられやしないと高を括っているのか、破片を踏みしめるように歩いてくる。
このままじゃ、まずい。
「ッ…!?」
「…どうした」
息をのむ私にイルーゾォが尋ねる。彼が見て分かるほどに、私は驚いた顔をしたのだろう。当たり前だ。スタンドが現れないのだから。彼とまともにやり合っても勝てるはずがない。スタンドに頼るしかない。頼るしかないのに、それなのに何度やってもどこにも姿を現さない。ひたすらに焦る私の様子を見る彼は、口の端を吊り上げて、にやりと笑った。
「スタンドが出せないのか?………そうだろうな。今この世界にいるのはおれとおまえ、2人だけだ。スタンドですら入ることは出来ない……2人きりの世界だ」
「あ……いや、だ…ッ…来ない、で」
能力も使えず、逃げ場もない非力な私に、イルーゾォは変わらずゆっくり近づいてくる。私は絶望していた。床に散らばる破片のように粉々に。
とうとう目の前に来たイルーゾォの大きな手が私の顎を掴み、上へ向ける。背の高い彼に、顔を見せるように。緋色の瞳に全身が総毛だち、彼の姿が滲んで見えた。
「名無し…おれ達にうってつけの世界だろ」
「名無しはどうした…」
報酬の話し合いで集まったリビングルーム。リゾットの声はこの場の全員に問いかけていた。だがその目は、まるで彼に向けて言っているかのようにイルーゾォを刺す。イルーゾォは動じる様子もなくリゾットを一瞥する。
「殺るのにまいってんだろ」
「そんな様子は見られなかったが」
「帰ったら聞いてみろよ…殺った時の気分はどうだ?ってよ」
「なあイルーゾォよォォー…オレのくだらねえ能力と違って便利だよなァ…オメーのスタンドはよォ~~?」
その時、ホルマジオが唐突に会話を遮るように言い、片腕を頭上に掲げた。そのまま後ろ手で、背後の大きな鏡をコンコンと叩く。含みのある言い方は皆の注意を集め、2人に注がれた。
イルーゾォはホルマジオには目もくれず、彼の後ろにある鏡に目をやって、にやりとした。
「…ああ、最高のスタンドだ」
探り合うような会話に神経が張り詰める。いつになくピリピリした雰囲気に静まり返り、誰ひとり口を開かない。唯一、渦中の彼は余裕を保っていた。
「……とっとと始めようぜ」
プロシュートが口火を切り、会議はようやく始まる。
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