少女椿
名前変換
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そして長い間繋がれていた手足は解放されるようになる。彼がいる間だけというわずかな時間から始まったが、長い時間自由を許されるようになりやがて外された。それでも名無し2は逃亡を図ることはない。それどころか部屋すらも出なかった。
暴力で支配するだけの男だったのなら違っていたのだろうか。皮肉なことに、ジャンニの確かな愛情は名無し2の判断をひどく鈍らせていたのだった。
異常さに気付けないまま日々が過ぎた、ある日。
「名無し」
静かな部屋でなければ聞き逃していたであろう、捨てられたはずの名前。しばらくの間呼ばれていない名前に名無し2の反応は遅れた。私の名前だ。そう自覚しても返事はできなかった。今さら誰が呼ぶというのか。
「名無し」
はっきりと聞こえたその声にようやく声を上げる。
「お、かあ、さん…?」
周りを見渡すも姿は見えない。いくら探しても見つからない。
「あ…ぅ、あ、」
言いたいことはたくさんあるのに喉は息を声として出してくれない。もう一度、もう一度呼んでほしい。空虚に強く願うも耳を引き裂いたのは雷鳴だった。
反射的にとび起きた。汗ばむ手にシーツの感触がはっきりと伝わる。外は雨が降っていた。電気を含みきった暗雲から時折こぼれる雷。
幼いころ――ちょうど今の姿くらいの――荒れる空から轟く音が止むまで、母は怯える名無しの傍にいてくれた。眠りにつけばまた会えるかもしれない。今は怖くもなんともないが、あの頃は苦手だった雷が記憶を叩き起こす。
…違う。寝るんじゃあない。帰らなきゃ。母が家で待っている。
母親と住んでいたあのワンルームはすでに売却済みだ。母親が帰ったとしてもあの家ではないが、そんなことを知る由もない名無し2はここが何階かなど考えずに窓から飛び降りた。
足への衝撃に一瞬ひるむもすぐに走り出す。痛みなど簡単にかき消してしまうほどの興奮状態。ここがどこなのかも、どこへ向かえばよいのかも分からないまま名無し2は足を動かし続けた。
どれほど走ったのだろうか。
とても長い時間だったような気がする。
周囲の音をかき消すほどの雨が体力を奪い、足が前へ進まない。街のほとんどが寝静まり、大雨も相まり人ひとり歩いていない道。一切振り返らずに駆けてきた名無し2は路地裏へ身を隠した。壁にもたれ、ずるずると地面へ身を横たえる。やはり無茶をした。今になって足首がずきずき痛む。疲労しきり休息を欲する体は睡魔となって襲う。どうせこの状態では動けないと悟り、素直に目を閉じた。
ふわふわと浮かぶような心地よさ。夢の中は雨も降っておらず、温かさをも感じる。このままここにいたいなあ。もしかしたらあのまま死んだのかもなあ。浮遊感に身を任せて他人事のように考える。
「名無し2」
やわらかい声が聴こえる。もう一度呼んでほしいという願いが届いたのだろうか。だんだんはっきりしてくる足首の痛みが生きていることを思い知らせる。自然と持ち上がる瞼。
…ああ本当に死んでいたらよかった。
明らかに低いその声は母のものであるはずがない。疑問をもたないほどに呼ばれることに慣れてしまった名前。2人を覆う傘の外ではいくらか弱まった雨がまだ街を濡らしていた。
「計画は立てた方がいい…。それも2つ以上、だ。ひとつじゃあ駄目だ。成功させたいならな。ひとつも立てないってのが最もよくない。突発的な行動は失敗するんだ。…必ずな」
ジャンニは歩きながら腕の中を見下ろす。
「覚えておくといい」
怒り狂って殺してくれたらどんなによかっただろう。
諭すように語り掛けるジャンニはいつもと何ら変わりなく微笑んでいる。人のやさしさを憎んだのは初めてだった。
彼に咎められることもなく、何事もなかったかのようにすべては元に戻された。
暴力で支配するだけの男だったのなら違っていたのだろうか。皮肉なことに、ジャンニの確かな愛情は名無し2の判断をひどく鈍らせていたのだった。
異常さに気付けないまま日々が過ぎた、ある日。
「名無し」
静かな部屋でなければ聞き逃していたであろう、捨てられたはずの名前。しばらくの間呼ばれていない名前に名無し2の反応は遅れた。私の名前だ。そう自覚しても返事はできなかった。今さら誰が呼ぶというのか。
「名無し」
はっきりと聞こえたその声にようやく声を上げる。
「お、かあ、さん…?」
周りを見渡すも姿は見えない。いくら探しても見つからない。
「あ…ぅ、あ、」
言いたいことはたくさんあるのに喉は息を声として出してくれない。もう一度、もう一度呼んでほしい。空虚に強く願うも耳を引き裂いたのは雷鳴だった。
反射的にとび起きた。汗ばむ手にシーツの感触がはっきりと伝わる。外は雨が降っていた。電気を含みきった暗雲から時折こぼれる雷。
幼いころ――ちょうど今の姿くらいの――荒れる空から轟く音が止むまで、母は怯える名無しの傍にいてくれた。眠りにつけばまた会えるかもしれない。今は怖くもなんともないが、あの頃は苦手だった雷が記憶を叩き起こす。
…違う。寝るんじゃあない。帰らなきゃ。母が家で待っている。
母親と住んでいたあのワンルームはすでに売却済みだ。母親が帰ったとしてもあの家ではないが、そんなことを知る由もない名無し2はここが何階かなど考えずに窓から飛び降りた。
足への衝撃に一瞬ひるむもすぐに走り出す。痛みなど簡単にかき消してしまうほどの興奮状態。ここがどこなのかも、どこへ向かえばよいのかも分からないまま名無し2は足を動かし続けた。
どれほど走ったのだろうか。
とても長い時間だったような気がする。
周囲の音をかき消すほどの雨が体力を奪い、足が前へ進まない。街のほとんどが寝静まり、大雨も相まり人ひとり歩いていない道。一切振り返らずに駆けてきた名無し2は路地裏へ身を隠した。壁にもたれ、ずるずると地面へ身を横たえる。やはり無茶をした。今になって足首がずきずき痛む。疲労しきり休息を欲する体は睡魔となって襲う。どうせこの状態では動けないと悟り、素直に目を閉じた。
ふわふわと浮かぶような心地よさ。夢の中は雨も降っておらず、温かさをも感じる。このままここにいたいなあ。もしかしたらあのまま死んだのかもなあ。浮遊感に身を任せて他人事のように考える。
「名無し2」
やわらかい声が聴こえる。もう一度呼んでほしいという願いが届いたのだろうか。だんだんはっきりしてくる足首の痛みが生きていることを思い知らせる。自然と持ち上がる瞼。
…ああ本当に死んでいたらよかった。
明らかに低いその声は母のものであるはずがない。疑問をもたないほどに呼ばれることに慣れてしまった名前。2人を覆う傘の外ではいくらか弱まった雨がまだ街を濡らしていた。
「計画は立てた方がいい…。それも2つ以上、だ。ひとつじゃあ駄目だ。成功させたいならな。ひとつも立てないってのが最もよくない。突発的な行動は失敗するんだ。…必ずな」
ジャンニは歩きながら腕の中を見下ろす。
「覚えておくといい」
怒り狂って殺してくれたらどんなによかっただろう。
諭すように語り掛けるジャンニはいつもと何ら変わりなく微笑んでいる。人のやさしさを憎んだのは初めてだった。
彼に咎められることもなく、何事もなかったかのようにすべては元に戻された。