佐々木 令の個人ファイル
「自殺?自殺とおっしゃいましたか?」
わたしは酷く動揺した。夢魔は栄養である『人間の精神』がありつづけるかぎり死ねないはずだから。どうやって自殺などするのだろうか。
「そう、自殺と言った。もうこの永遠のような夢から覚めたい。疲れたんだ。私にはもう感情も思考もない。だから死を、私に完全な「無」をもたらしたい。そう望んでいる」
わたしは先程の疑問を包み隠さず口に出す。
「…方法の検討はついているのでしょうか…?」
魔術師は私の目を覗き込み、ふわりと優しく笑った。諦めと成熟の笑み。
「そこで君に手伝ってほしい。手伝いというよりは一つの「契約」だがね。より明確に言うとーーーー「君に私の魔力の全てを譲渡し、君はそれを使い果たす」という契約だ。私は実態を持たない夢魔であるからね、この夢も私の体も全て魔術で作り上げている。その魔術の材料とも言えよう全ての根源になる「私の所有する魔力」を、そっくりそのまま君の身体に移す。もちろん一気にやると君の身体が耐えきれないだろうから、少しずつ、少しずつね。そうすると君は少しずつ私の魔力に適合して魔術師になる。反比例のように私は少しずつこの楽園と共に死んでゆく。きみに私の持つ魔力を全て受け渡すことができたら私は夢魔としての死を迎え、君が魔術師として私から受け取った魔力を使い果たせば晴れてこの契約は大団円。私は私としての死を迎える。」
魔術師xxxxを魔術師たらしめている魔力を、私の身体に移し替える。そうすれば魔術師は魔術師でなくなり夢魔は夢魔でなくなり、完全な「無」が訪れる。xxxxという存在は伝説の中の魔術師という概念だけになり、彼を未だ彼たらしめている意識や意思は無くなる。苦しまずに死んでゆける。彼はそれを望み、私は彼の望みに添いたいと確かに思った。けれど。
「魔法使い、って、具体的にはどうなるんでしょうか…あまり想像がつきません。魔術とは創作物の中にしかないものだと思っていました、から」
魔術師は口角を上げ、
「そう。魔法使い。普通の人間との決定的な違いは一つ、「魔力のある限り君の意志により奇跡を起こすことができる」ことだ。君は少女だから俗に言う「魔法少女」に当たるのかな?名前の響きはなんともリリカルで可愛らしいが本質は「元人間、ある日突然夢魔に見込まれ人生を狂わされた少女魔術師」…ということになるがね」
そう言った。私はこの契約を受け入れれば、平凡の人間ではなくなる。私は人間ではなく「魔術師」「魔法少女」という存在になる。私の意志で奇跡は起こり、世界の在り方にすら干渉できてしまう…かもしれないのだ。それが恐ろしいことだとは、確かに思った。けれど私には、私の「意志」が、どこにあるか分からない。意志を用いて奇跡を起こすなら、きっと私には何もできない。しかし目の前の彼は、わたしが一言「はい、その契約を受けます」と言えば救われるのだ。世界は誰かの意志で廻っている。私が持たないもので廻っている。なれば世界において優先されるべきは全ての「意志」であり、私の戸惑いは二の次である。私が誰かの意志に従う人生を送り続けるのは自分が一番分かっていた。ならば私は目の前の彼に応えなければならない。
私は魔術師の目を見ようと向き直った。しかし魔術師は私と目を合わせるより先にー私の肩を掴みーー
「意志がないことに劣等感を感じるなんてそんな悲しい思考はどうか捨ててほしい。君は何一つ悪くない。寧ろ君のその精神性が私を見込ませた。君は偽善者でも偽悪者でも悪党でも天使でもない。だからこそ私は君にこの魔力を開け渡そうと思ったんだ。君は自分のために魔法を使わず、自己顕示のために魔法を使わない。使うことに利を感じないから。あらゆる他人の意志に添い続ける中できっと君の意志は見つかる。その時は君の思うままに魔法を使えばいい…どうしようもなければ、私が君を導こう。命尽きる日まで君の未来を愛そう。まだ自分を愛せぬ君の代わりに。」
思考を読まれたのだ。思考を読んだ上で諭してきた。穏やかに、冷静に、私を肯定した。肩に感じる手の温度が、言葉が、胸の中心にズンと重たく、暖かく居座るのを感じた。ことばにはならない。けれど私は、この魔術師の提案する数奇な運命に巻き込まれることを受け入れようと思った。私の未来を私より愛しているひとがいる。不思議なことだけれど、私が今まで背中に感じていた冷たさと硬さが少し軽くなった気がしたーーー
私は肩に置かれた手をそっと取り、肩から下ろして握った。勿論林檎の蜜で汚れていたから一度ハンカチで拭った後で。魔術師は驚いたように顔を覗き込んだ。その目があまりに眩しかったので私は握った手に視線を落とした。そして、私は、声を絞り出した。風が吹いて木の葉がざわめく中で。
「契約を、受けさせてください。」
沈黙が走る。握った手から伝い伝わる拍動。私は緊張しきって身体が動かなかった。暫くの静寂の後、握られていた手が解かれた。私は顔を上げ手を解いた意図を知りたくて魔術師の顔を見た。魔術師の長い睫毛が伏せられていた。私はやり場の無くなっていた両手を膝の上に直した。魔術師は
「本当にいいのかい」と掠れた声で言った。私も小さな声で「はい」と答えた。魔術師は伏せた目を開き私と合わせ、「ありがとう、よろしくね、果敢な少女……君の全てに祝福があらんことを」と良く通る声を響かせた。目には涙が滲んでいた。その滲んでいた涙にはいつのまにか訪れていた朝のはじまりの空の薄明かりが映り込み、キラキラと揺れていた。思い返せばここは湖の真ん中だった。透明な水に映り込む明けの空のグラデーションは、私が今まで見てきた何よりも美しかった。
「ああ、もう朝だ。さあ、時間を取らせて悪かった。長い夜だったねガール、そろそろ君を君の現実に返さなければ!」
男は笑い、勢いよく立ち上がった。刹那、強い風が吹き、何の花の物かは知れぬ花弁が空気の中を舞い遊ぶ。魔術師は立ち上がりながら私の右腕を掴んだ。私は突然のことに驚き、立ちながら少し体制を崩した。あ、ボートから落ちる!その心配は杞憂に終わる。魔術師は最初から私を道連れに湖に飛び込むつもりだったのだ。勢いよく手を引かれ、ダイヤモンドもかくやという透明な輝きの中に飛沫をあげながら落ちた。全身に走る清涼感。驚きのあまり閉じていた目を恐る恐る開いてみるとそこには水中庭園が見えた。水底には円卓と椅子と少年の石像が沈んでいた。魔術師は私の右腕を掴む代わりに右手をしっかり握り、何かを唱えたようだった。彼の唇からぼこぼこと泡が出て水面の方へ立ち上る。そして右手を引かれて水中から水面へ、上に泳いだ。水から頭を出した瞬間、今度は空へ飛ばされた!強烈なGを感じ当惑したもつかの間、次の瞬間には自分の身体は上へ飛んでいるのではなく下へ落ちていることに気がついた。空に向かって落ちる、ではない。下に見えるのは私が住む都会のビル群だ。魔術師は繋いだ右手を強く引き身体を引き寄せ、左手も握った。両手を繋いで落ちて行く。
「さてダイナミックご帰宅だ!君は夢から覚める。そう、全て夢だったのだ。しかし夢ではなかった。それは君がベッドで目覚めたらわかるだろう!ほら、空は朝焼けだ。美しい。けれど私のアヴァロンの朝焼けの方がずっと美しかったろう?」
彼はそう言った。素敵な笑顔で、今までにない快活さで。私は長い夢を見ていたと、夢の登場人物が知らしめる。なんて、なんてメタな!!!けれど私はこれが夢とわかっていながら、「夢ではなかったと目覚めたらわかるだろう!」という言葉に期待を抱いてしまった。
ならば私も笑顔で、快活に。
「はい、楽園の空は本当に美しかったです!そしてーーー」
目下に私の家の屋根が迫る。最後の一言になり得るだろうと思った。
「林檎、ごちそうさまでした。」
大事な時に限って言葉はうまくでてこないものだ。魔術師は繋いでいた私の手を離した。離す刹那ーー世界が一瞬スローになったように錯覚してーー魔術師が私にーー「少女よ、いや、その名前…レイ、令に、楽園の祝福を授けよう」とーーー口にした気がした。その言葉が途絶えた瞬間、また等速で世界は進み出した。自宅の屋根に激突する!!!そう目を瞑った。次に目を開けたのはーー
わたしは酷く動揺した。夢魔は栄養である『人間の精神』がありつづけるかぎり死ねないはずだから。どうやって自殺などするのだろうか。
「そう、自殺と言った。もうこの永遠のような夢から覚めたい。疲れたんだ。私にはもう感情も思考もない。だから死を、私に完全な「無」をもたらしたい。そう望んでいる」
わたしは先程の疑問を包み隠さず口に出す。
「…方法の検討はついているのでしょうか…?」
魔術師は私の目を覗き込み、ふわりと優しく笑った。諦めと成熟の笑み。
「そこで君に手伝ってほしい。手伝いというよりは一つの「契約」だがね。より明確に言うとーーーー「君に私の魔力の全てを譲渡し、君はそれを使い果たす」という契約だ。私は実態を持たない夢魔であるからね、この夢も私の体も全て魔術で作り上げている。その魔術の材料とも言えよう全ての根源になる「私の所有する魔力」を、そっくりそのまま君の身体に移す。もちろん一気にやると君の身体が耐えきれないだろうから、少しずつ、少しずつね。そうすると君は少しずつ私の魔力に適合して魔術師になる。反比例のように私は少しずつこの楽園と共に死んでゆく。きみに私の持つ魔力を全て受け渡すことができたら私は夢魔としての死を迎え、君が魔術師として私から受け取った魔力を使い果たせば晴れてこの契約は大団円。私は私としての死を迎える。」
魔術師xxxxを魔術師たらしめている魔力を、私の身体に移し替える。そうすれば魔術師は魔術師でなくなり夢魔は夢魔でなくなり、完全な「無」が訪れる。xxxxという存在は伝説の中の魔術師という概念だけになり、彼を未だ彼たらしめている意識や意思は無くなる。苦しまずに死んでゆける。彼はそれを望み、私は彼の望みに添いたいと確かに思った。けれど。
「魔法使い、って、具体的にはどうなるんでしょうか…あまり想像がつきません。魔術とは創作物の中にしかないものだと思っていました、から」
魔術師は口角を上げ、
「そう。魔法使い。普通の人間との決定的な違いは一つ、「魔力のある限り君の意志により奇跡を起こすことができる」ことだ。君は少女だから俗に言う「魔法少女」に当たるのかな?名前の響きはなんともリリカルで可愛らしいが本質は「元人間、ある日突然夢魔に見込まれ人生を狂わされた少女魔術師」…ということになるがね」
そう言った。私はこの契約を受け入れれば、平凡の人間ではなくなる。私は人間ではなく「魔術師」「魔法少女」という存在になる。私の意志で奇跡は起こり、世界の在り方にすら干渉できてしまう…かもしれないのだ。それが恐ろしいことだとは、確かに思った。けれど私には、私の「意志」が、どこにあるか分からない。意志を用いて奇跡を起こすなら、きっと私には何もできない。しかし目の前の彼は、わたしが一言「はい、その契約を受けます」と言えば救われるのだ。世界は誰かの意志で廻っている。私が持たないもので廻っている。なれば世界において優先されるべきは全ての「意志」であり、私の戸惑いは二の次である。私が誰かの意志に従う人生を送り続けるのは自分が一番分かっていた。ならば私は目の前の彼に応えなければならない。
私は魔術師の目を見ようと向き直った。しかし魔術師は私と目を合わせるより先にー私の肩を掴みーー
「意志がないことに劣等感を感じるなんてそんな悲しい思考はどうか捨ててほしい。君は何一つ悪くない。寧ろ君のその精神性が私を見込ませた。君は偽善者でも偽悪者でも悪党でも天使でもない。だからこそ私は君にこの魔力を開け渡そうと思ったんだ。君は自分のために魔法を使わず、自己顕示のために魔法を使わない。使うことに利を感じないから。あらゆる他人の意志に添い続ける中できっと君の意志は見つかる。その時は君の思うままに魔法を使えばいい…どうしようもなければ、私が君を導こう。命尽きる日まで君の未来を愛そう。まだ自分を愛せぬ君の代わりに。」
思考を読まれたのだ。思考を読んだ上で諭してきた。穏やかに、冷静に、私を肯定した。肩に感じる手の温度が、言葉が、胸の中心にズンと重たく、暖かく居座るのを感じた。ことばにはならない。けれど私は、この魔術師の提案する数奇な運命に巻き込まれることを受け入れようと思った。私の未来を私より愛しているひとがいる。不思議なことだけれど、私が今まで背中に感じていた冷たさと硬さが少し軽くなった気がしたーーー
私は肩に置かれた手をそっと取り、肩から下ろして握った。勿論林檎の蜜で汚れていたから一度ハンカチで拭った後で。魔術師は驚いたように顔を覗き込んだ。その目があまりに眩しかったので私は握った手に視線を落とした。そして、私は、声を絞り出した。風が吹いて木の葉がざわめく中で。
「契約を、受けさせてください。」
沈黙が走る。握った手から伝い伝わる拍動。私は緊張しきって身体が動かなかった。暫くの静寂の後、握られていた手が解かれた。私は顔を上げ手を解いた意図を知りたくて魔術師の顔を見た。魔術師の長い睫毛が伏せられていた。私はやり場の無くなっていた両手を膝の上に直した。魔術師は
「本当にいいのかい」と掠れた声で言った。私も小さな声で「はい」と答えた。魔術師は伏せた目を開き私と合わせ、「ありがとう、よろしくね、果敢な少女……君の全てに祝福があらんことを」と良く通る声を響かせた。目には涙が滲んでいた。その滲んでいた涙にはいつのまにか訪れていた朝のはじまりの空の薄明かりが映り込み、キラキラと揺れていた。思い返せばここは湖の真ん中だった。透明な水に映り込む明けの空のグラデーションは、私が今まで見てきた何よりも美しかった。
「ああ、もう朝だ。さあ、時間を取らせて悪かった。長い夜だったねガール、そろそろ君を君の現実に返さなければ!」
男は笑い、勢いよく立ち上がった。刹那、強い風が吹き、何の花の物かは知れぬ花弁が空気の中を舞い遊ぶ。魔術師は立ち上がりながら私の右腕を掴んだ。私は突然のことに驚き、立ちながら少し体制を崩した。あ、ボートから落ちる!その心配は杞憂に終わる。魔術師は最初から私を道連れに湖に飛び込むつもりだったのだ。勢いよく手を引かれ、ダイヤモンドもかくやという透明な輝きの中に飛沫をあげながら落ちた。全身に走る清涼感。驚きのあまり閉じていた目を恐る恐る開いてみるとそこには水中庭園が見えた。水底には円卓と椅子と少年の石像が沈んでいた。魔術師は私の右腕を掴む代わりに右手をしっかり握り、何かを唱えたようだった。彼の唇からぼこぼこと泡が出て水面の方へ立ち上る。そして右手を引かれて水中から水面へ、上に泳いだ。水から頭を出した瞬間、今度は空へ飛ばされた!強烈なGを感じ当惑したもつかの間、次の瞬間には自分の身体は上へ飛んでいるのではなく下へ落ちていることに気がついた。空に向かって落ちる、ではない。下に見えるのは私が住む都会のビル群だ。魔術師は繋いだ右手を強く引き身体を引き寄せ、左手も握った。両手を繋いで落ちて行く。
「さてダイナミックご帰宅だ!君は夢から覚める。そう、全て夢だったのだ。しかし夢ではなかった。それは君がベッドで目覚めたらわかるだろう!ほら、空は朝焼けだ。美しい。けれど私のアヴァロンの朝焼けの方がずっと美しかったろう?」
彼はそう言った。素敵な笑顔で、今までにない快活さで。私は長い夢を見ていたと、夢の登場人物が知らしめる。なんて、なんてメタな!!!けれど私はこれが夢とわかっていながら、「夢ではなかったと目覚めたらわかるだろう!」という言葉に期待を抱いてしまった。
ならば私も笑顔で、快活に。
「はい、楽園の空は本当に美しかったです!そしてーーー」
目下に私の家の屋根が迫る。最後の一言になり得るだろうと思った。
「林檎、ごちそうさまでした。」
大事な時に限って言葉はうまくでてこないものだ。魔術師は繋いでいた私の手を離した。離す刹那ーー世界が一瞬スローになったように錯覚してーー魔術師が私にーー「少女よ、いや、その名前…レイ、令に、楽園の祝福を授けよう」とーーー口にした気がした。その言葉が途絶えた瞬間、また等速で世界は進み出した。自宅の屋根に激突する!!!そう目を瞑った。次に目を開けたのはーー