佐々木 令の個人ファイル
「私について、か。」
男はそう言い、暫く何かを考えたような素振りを見せ、こちらに向き直り、口を開いた。
「私は…そうだね、都合から名前を言うのは最後にしよう。私の正体は夢魔。…インキュバスといったほうが分かるかね?人の夢の中でヒトの精を糧に生きるえっちな妖精さんみたいなものだと思ってくれれば大体は良い。それと人間の混血児だよ」
「えっちな妖精さん……?」
私は一瞬身構えた。
「安心しようか、君の純潔に手出しはしないさ。それよりもここまでで思い当たる節は?」
インキュバスと人の混血、夢、名前を隠す。思い当たる節などと問われてもあるはずない。
「…ありません」
「…そうか。ならもう少し話そう。私は夢魔だからね、人の夢を渡り歩くことができる。人の夢に介入してストーリーを変えることも、誰かの夢と誰かの夢を入れ替えることも、夢を見ている誰かを私の思い通りの場所に導くことも。さて、賢い君なら察したね?」
「…私をあの殺人狂の悪夢からここに逃がしてくださったんですか…?」
「だいたいはそうだね。でももっとハッキリ言えば『逃がす』なんて同情的なものではなくて『誘導した』が正しい。君をあの悪夢に閉じ込めたのも私。ここに誘導したのも私。恩を着せるようで申し訳ないが」
…少し怖いと思った。しかし分かりやすい説明をありがとう、次に聞くべきことを思いついた。
「『恩を着せるようで』とおっしゃるということは私に何か用事が…?あるん、ですか?誘導したということは、あなたが私と特別何か話したいことがある、というように聞こえますが…」
…なぜ誘導したんですか、なんて聞かなくて良い。質問を省く。すると男は唇を三日月のかたちにして笑い、声をより低く、甘く、妖艶な響きに作り変えて喋り出した。
「見込んだ通り実に察しのいい子だ。その通り。私は君に頼みがあってね、君をここに呼び出した。ところで一度その林檎を貸してごらん。」
男の瞳がどこか妖しい光を湛えたように見えた。私は一口しか食べていない林檎を差し出す。男は林檎に指で何かを書くような動作をし、「さあ、どうぞ、今度こそお食べ」と再び私に林檎を手渡した。私は男が指で何かを書いていたあたりをじっと見つめてみた。何も見当たらない。林檎をまじまじと見つめ訝しんでいる私に男は苛立ったのか、妖艶な声に今度は少しの怒気を含ませて「それを食べ切ったら次の話に移ろう」と言った。そう言われては食べるしかない。私はさっき口をつけ少し褐変が進んだ場所のとなりを齧り、咀嚼、嚥下した。…体に先程とは少し違うような、熱のような何かを感じた。けれど気にしている場合でもなく林檎の蜜で指先と口の周りを濡らしながら食を進める。時折男の顔色を伺いながら。その都度男はどこか恍惚な表情を優しい笑顔に含ませているような気がした。食べ切った時に気づいた。この林檎、芯も種も無かった。
「ごちそうさまでした、ミスター」
私は礼儀を果たした。修道士服の男は上機嫌に戻ったらしく
「美味しかった?では次の話をしよう」と言った。
「次はここがどこか、そして君に頼みたいことを話そう。」
男はそう言い、暫く何かを考えたような素振りを見せ、こちらに向き直り、口を開いた。
「私は…そうだね、都合から名前を言うのは最後にしよう。私の正体は夢魔。…インキュバスといったほうが分かるかね?人の夢の中でヒトの精を糧に生きるえっちな妖精さんみたいなものだと思ってくれれば大体は良い。それと人間の混血児だよ」
「えっちな妖精さん……?」
私は一瞬身構えた。
「安心しようか、君の純潔に手出しはしないさ。それよりもここまでで思い当たる節は?」
インキュバスと人の混血、夢、名前を隠す。思い当たる節などと問われてもあるはずない。
「…ありません」
「…そうか。ならもう少し話そう。私は夢魔だからね、人の夢を渡り歩くことができる。人の夢に介入してストーリーを変えることも、誰かの夢と誰かの夢を入れ替えることも、夢を見ている誰かを私の思い通りの場所に導くことも。さて、賢い君なら察したね?」
「…私をあの殺人狂の悪夢からここに逃がしてくださったんですか…?」
「だいたいはそうだね。でももっとハッキリ言えば『逃がす』なんて同情的なものではなくて『誘導した』が正しい。君をあの悪夢に閉じ込めたのも私。ここに誘導したのも私。恩を着せるようで申し訳ないが」
…少し怖いと思った。しかし分かりやすい説明をありがとう、次に聞くべきことを思いついた。
「『恩を着せるようで』とおっしゃるということは私に何か用事が…?あるん、ですか?誘導したということは、あなたが私と特別何か話したいことがある、というように聞こえますが…」
…なぜ誘導したんですか、なんて聞かなくて良い。質問を省く。すると男は唇を三日月のかたちにして笑い、声をより低く、甘く、妖艶な響きに作り変えて喋り出した。
「見込んだ通り実に察しのいい子だ。その通り。私は君に頼みがあってね、君をここに呼び出した。ところで一度その林檎を貸してごらん。」
男の瞳がどこか妖しい光を湛えたように見えた。私は一口しか食べていない林檎を差し出す。男は林檎に指で何かを書くような動作をし、「さあ、どうぞ、今度こそお食べ」と再び私に林檎を手渡した。私は男が指で何かを書いていたあたりをじっと見つめてみた。何も見当たらない。林檎をまじまじと見つめ訝しんでいる私に男は苛立ったのか、妖艶な声に今度は少しの怒気を含ませて「それを食べ切ったら次の話に移ろう」と言った。そう言われては食べるしかない。私はさっき口をつけ少し褐変が進んだ場所のとなりを齧り、咀嚼、嚥下した。…体に先程とは少し違うような、熱のような何かを感じた。けれど気にしている場合でもなく林檎の蜜で指先と口の周りを濡らしながら食を進める。時折男の顔色を伺いながら。その都度男はどこか恍惚な表情を優しい笑顔に含ませているような気がした。食べ切った時に気づいた。この林檎、芯も種も無かった。
「ごちそうさまでした、ミスター」
私は礼儀を果たした。修道士服の男は上機嫌に戻ったらしく
「美味しかった?では次の話をしよう」と言った。
「次はここがどこか、そして君に頼みたいことを話そう。」