仮面武闘会distortion
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今日はとてもいい天気だ。
洗濯物がよく乾く。布団も。以前使っていたのよりちょっぴり高級なそれはお日様の温度を内包してとっても柔らかく仕上がっている。
勇者として世界を旅してきて色んな変化が僕にもたらされてきたけれども、その中でも一番といえばもしかしたら鍛冶ができるようになったことかも知れない。…なんて言うと真面目なカミュやベロニカあたりからは怒られてしまうだろうか。でもロウお祖父様なら、少し驚いてからそれでも優しく微笑ってくれるだろう。
よいよい、イレブン。おまえは使命を果たしたのじゃ。
…なんてね。16年も生き別れていたからか、なんとも僕に甘いお爺ちゃんだよなぁと他人事のように思うけれど、マルティナを見る限り意外と元々身内を甘やかすタイプなのかも知れなかった。
こんななんとも非生産的なことを考えられるのもみんなと力をあわせて邪神を倒し、ロトゼタシアを護ることができたお陰だ。僕はそれを誇らしいと思う。
だから鍛冶趣味を高じさせすぎてそれで収入を得ることくらいは本当に許してほしかった。ついでに勇者ブランドという付加価値をつけたのも許してほしかった。誰にともなく――強いて言えばロトゼタシアの守り神たる命の大樹に謝ってみる。
お爺ちゃん譲りの破天荒ですみません。
けれど、けれどもだ。
自慢じゃないが僕が作った装備はモノがいい。邪神討伐時の装備ですら大半が自作だ。
あのダークミナデインの破滅的な威力を掻い潜り、とどめの一撃を繰り出せた理由の一つであることは間違いない。それくらい僕は僕の作品に自信を持っている。
しかし平和になった世には必要ないものであることも事実。僕はもう不思議な鍛冶道具を使うことはあるまいと実家の納屋にしまいこもうとした時、あるニュースが舞い込んできたのだ。
邪神は死んだ。しかし魔物は未だ姿を消していない、と。
あれだけ苦労して邪神ニズゼルファを倒した結果としてはきわめて残念な話だけど、グレイグさんはこれにめげることなく未だにデルカダール軍で剣を振るっている。
一方でセーニャは姉のベロニカと共に次世代の育成に励んでいた。活躍の場はラムダのみに留まらず、各地の教会やメダ女学院あたりでも時々魔法の講師をしているらしい。
あのふわふわした雰囲気をしていた彼女はしかし、今や随分としっかりした性格に置き換わっている。『前の世界のセーニャ』のようだった。もちろん今度はごく平和で前向きな意味で、彼女が更に成長を続けた結果だ。
あれだけのことをなし遂げたのだからイレブンはゆっくりすると良い、なんてマルティナには言われたけれど、そういう仲間たちの話を聞いてじっとできないのもまたボクの性分だった。
そうしてボクは自分の使命感とエマや21との生活を天秤にかけて、盛大に趣味に走り鍛冶師に転身を遂げた。
旅で培った知識や経験を活かし、良い装備を作って、みんなに提供する。できれば、僕たちの力がなくたって魔物に対抗できるだけの担力を持ってほしいと願いを込めて。
…だって勇者として予感がするのだ。人間と魔物の戦いは続く、これからもずっと。それこそ僕らがいつか年老いて死んでも、それよりもはるかその先まで。だから人間はもっと強くならなくちゃならない。
うん、いい言い訳だ。もし勇者の名声を利用して、金儲けなんてして!…と誰かに怒られたらこれでいこう、なんて脳内でしょうもないことを考えつつ。一人でウケながらお日様の臭いがする布団を抱える。
少なくとも、鍛冶で稼いだ結果こんないい布団で愛するエマを寝かせられるのだからそれで良いのではないかと僕は思う。
お布団を家に取り込み、次なる獲物は色とりどりの洗濯物だ。その半分近くはエマが縫ったり編んだりしてくれている。かつてカミュが不要だからとくれた不思議な鍛冶道具なくしては、布の服を縫うことすらままならない僕にとってはまさしく尊敬の対象だった。
さて、さっさと終わらせちゃおう。
心の中で呟き、早速エマのスカーフに手をかける。
「わっ」
どんと後ろから何者かに突かれた。完全に油断していた。敵か、というにはあまりにも殺気がない。 しかし少なくとも人間の気配でもない。
「…デイジーちゃんか。驚いた」
その時点である程度予想はついていたが、振り返ってみれば案の定。まだ若干小柄ではあるが名前の通り美しい白馬が僕を驚かせた犯人だったようだ。
「また抜け出してきちゃったのかー。悪いやつだな君は」
ぶるるる、とデイジーちゃんは誇らしげに鼻を鳴らす。それを撫でてやると、ご機嫌さんで頭を擦り付けてきた。まだまだ子どもだからかやんちゃな性格で、頭もとても良くてしょっちゅう厩舎から脱走する。デイジーちゃんはそんな馬で、シルビアの愛馬・マーガレットちゃんの実の息子だ。この飼い主がまたぶっ飛んでいて、つまりデイジーちゃんはそんな彼が先日僕の誕生日にプレゼントしてくれた子だったりする。
アタシだと思って可愛がってねと、ぬいぐるみでも渡すノリで手綱を引いてきたから更に困惑した。大抵のことには動じない母さんもさすがにドン引きだったし、エマは大胆ってレベルじゃないシルビアの好意に若干怯えてすらいた。
で、僕がどうしたかというとふつうに頂戴した。色々ツッコミどころ満載だというのも承知の上でそれでも騎手の本能に抗えなかったのだ。
とにかく、そんな変なノリで増えた馬なわけだけど、それを身内も含め誰かに咎められることはなかった。イシがある程度村としての体裁を取り戻したとはいえまだまだ復興中で、特に労働力としての馬の数が不足していたのも幸いした。シルビアはもしかしたらそこまで見越してこの子を見繕ってくれていたのかもしれない。
そして最近になってデイジーちゃんの調教を始めたけれど、血統が優秀なおかげだろうその駿馬ぷりには、毎度驚かされる。
「その内、君とウマレースに出たいな」
ぽんぽんと優しく首筋を叩いてやる。馬はいい、すごく。愛情をかければそのぶん以上に返してくれるし、とても賢い。旅をしている時は色んな乗り物や時には魔物にすら乗ったけれど、いずれも馬には敵わなかった。あの一緒に風を切って駆け抜ける感覚がやっぱり――。
「…お前、馬相手だと意外と喋るんだな」
今度こそ敵襲だった。馬に気を取られすぎていたらしい、接近にまるで気が付かなかった!
地を蹴る。
大柄な――とりあえず魔物ではない――人間と距離を取る。本来剣の方が得意な僕だけれど、今は丸腰だ。少しばかり平和ボケしすぎていた自分を恥じながらそれでも詠唱をする。
威力と詠唱の平易さ、更には早さまでも兼ね備えたそれは、勇者専用呪文・ギガデイン。セニカに貸した力は、少し前に弱体化しながらも帰ってきていた。それは僕と同じく無事時を遡り、ローシュと再会することができた根拠なのだと信じている。
「待て待て待て。喋ったところを見られたからって殺しに来る勇者がどこにいるんだ」
ここにいます。心の中で呟き、更に詠唱を続ける。
魔力でできたチャコールグレーの雷雲が立ち込める。ばちばちと、そこに白い電気が走る。
早く開放してくれと、走らせてくれと急かさんばかりに。
「暴君か勇者様はよお!頼む、ムンババ!ベロリンマン!」
「むっふぉー!!」
「ムンババと一緒の並びにしないでほしいべローン!」
黒い覆面の荒くれ・ガレムソンの合図により背後から聖獣ムンババと魔物っぽい何かが襲いくる!
さすがの僕も装備もへったくれもない状況でこの二人を相手にはできない。
しかも不意打ちだ。
ベロリンマンの弾丸タックルをもろに食らい、たまらず倒れたところを上からムンババに乗られ、あっという間に取り押さえられてしまう。
「いててて…」
霧散してゆくギガデインとして成立しなかった魔力。思わずうめき声をあげると、それを察したらしいムンババが、のそのそと背中から降りてくれる。
「ったく落ち着きっていうもんがお前にゃねえのか、ええ?イレブン?」
苦笑して頷く。
イシの村の用心棒兼僕の悪友であるガレムソンとベロリンマン。それから村の守り神ムンババ。なんのことはない、これはただの日常的なじゃれ合いだ。
それにしたってギガデインは悪ふざけが過ぎるかも知れないが、逆に言うとその程度で収まるくらいには彼らは強い。もっとも、飲み屋の一つを探すのにも苦労するイシの村のこと。基本的に娯楽といえば身体を鍛えるくらいしかなかった上に、伝説に残るような聖獣と毎日手合わせしていれば嫌でも力はつく。不謹慎な話、邪神が今日復活したとしても、今のこの二人ならふつうに戦力になってくれそうな気がするが…それはさすがに言い過ぎだろうか。
「ガレムソン、こいつ何の用だって顔してるべローン」
「おお、そうだったそうだった」
彼らとの付き合いも短いとは言えなくなってきたからか、僕の意図を汲み取るのが近頃うまくなってきた。いや、僕が普通に喋れば良いのだけどそれは嫌だった。単に気分にならないだけだが。だから僕の意図が明後日の方にでもいかない限りは基本的に流れに身を任せることにしている。
「あのよ、イレブン。ついこの間の話なんだが、ハンフリーから手紙が来たんだ」
手紙、という言葉に反応してみせるとガレムソンは浅く頷き、続ける。
「なんでも、グロッタが仮面武闘会を復活させるらしい。それで、俺とベロリンマンは元闘士だろ。ぜひ出場しないかという誘いの内容だ。なんでイレブン、お前には声をかけないのかはナゾだが」
言われて確かに、ちょっとムッとした。あの時だって仲良く共闘したというのに、なぜハンフリーは僕を誘ってくれないのか。答えはいたって簡単だった。
彼は僕の住所を知らない。以前グロッタで組んだ時も、聞かれなかったので教えなかった。一応追われる身だったし。
「俺らは出るのかって?アタボーよ!前回はお前らに後れを取ったが、今度はわからねえぞ!」
ぱしんと両拳を打ち付け勇ましくガレムソンは断言する。
「あの時は即席だったけど、今度はちゃんとした連携技を用意してるべローン!もはやオレたちを止められるヤツはいないベロベロベローン!」
ベロリンマンも続ける。確かに、前回の時はこの二人は偶然抽選でできたペアだったし二人ともそれなりに不服そうだった。
…しかしその割に息はぴったりの立ち回りで、僕もハンフリーと組んでいたのに苦戦した記憶がある。とすれば、今ならもしかしたらとんでもないダークホースと化しているのかも知れない。
「俺らにビビってチキンじゃねえぞ!?当然お前も出場するだろう?」
「…二つ返事したいところだけど」
洗濯物に向き直る。優しい風に揺られてはたはたと踊るタオルに、服に、下着に。それらをやっつけた大好きなあの子の表情が思い浮かぶ。
「エマ次第かな」
頭を掻く。元々そういう仕事をしていたならともかく、旅をしていた頃に偶然出場した武闘会が復活するから参加したい、と夫に突然に言われていい顔ができる妻がこの世界にどれだけいるだろうか。しかも古今東西荒くれが集う過激な大会だ。
…無理だろうなと思う。エマ、かなり心配症なところがあるし。
「やっと喋ったと思ったら俺らよりも嫁さんが怖えってか!…まああのエマならわからなくもねえ!」
ゲラゲラとガレムソンは豪快に笑いながら納得してくれた。ベロリンマンはというと、ムンババと同じようにどんぐり眼を見開いて少々青ざめている。
あれ、今僕妻の話をしてたよね?この短時間で一体何があった?
「よっしゃ、今は強くは誘わないでおいてやるぜ!そン代わり出場しねえならしねえで、夫婦で俺らの勇姿を観に来いよ!」
ありがとう、と二人に返しふと気になって今度はデイジーちゃんの方を見る。ぴくぴくと動く耳、優しげな目。僕を乗せてグロッタに行きたいと訴えているみたいだ。
…そうか、そうだよな。
予感がしている。僕は多分グロッタに出向く必要がある。
それは元勇者としての勘。
何かが、誰かが動き出そうとしているのだ。
「誘ってくれてありがとう。ガレムソン、ベロリンマン。なんとかエマを説得してみるよ」
デイジーちゃんの鼻筋を撫でる。
そろそろ、僕の出番も近い。
洗濯物がよく乾く。布団も。以前使っていたのよりちょっぴり高級なそれはお日様の温度を内包してとっても柔らかく仕上がっている。
勇者として世界を旅してきて色んな変化が僕にもたらされてきたけれども、その中でも一番といえばもしかしたら鍛冶ができるようになったことかも知れない。…なんて言うと真面目なカミュやベロニカあたりからは怒られてしまうだろうか。でもロウお祖父様なら、少し驚いてからそれでも優しく微笑ってくれるだろう。
よいよい、イレブン。おまえは使命を果たしたのじゃ。
…なんてね。16年も生き別れていたからか、なんとも僕に甘いお爺ちゃんだよなぁと他人事のように思うけれど、マルティナを見る限り意外と元々身内を甘やかすタイプなのかも知れなかった。
こんななんとも非生産的なことを考えられるのもみんなと力をあわせて邪神を倒し、ロトゼタシアを護ることができたお陰だ。僕はそれを誇らしいと思う。
だから鍛冶趣味を高じさせすぎてそれで収入を得ることくらいは本当に許してほしかった。ついでに勇者ブランドという付加価値をつけたのも許してほしかった。誰にともなく――強いて言えばロトゼタシアの守り神たる命の大樹に謝ってみる。
お爺ちゃん譲りの破天荒ですみません。
けれど、けれどもだ。
自慢じゃないが僕が作った装備はモノがいい。邪神討伐時の装備ですら大半が自作だ。
あのダークミナデインの破滅的な威力を掻い潜り、とどめの一撃を繰り出せた理由の一つであることは間違いない。それくらい僕は僕の作品に自信を持っている。
しかし平和になった世には必要ないものであることも事実。僕はもう不思議な鍛冶道具を使うことはあるまいと実家の納屋にしまいこもうとした時、あるニュースが舞い込んできたのだ。
邪神は死んだ。しかし魔物は未だ姿を消していない、と。
あれだけ苦労して邪神ニズゼルファを倒した結果としてはきわめて残念な話だけど、グレイグさんはこれにめげることなく未だにデルカダール軍で剣を振るっている。
一方でセーニャは姉のベロニカと共に次世代の育成に励んでいた。活躍の場はラムダのみに留まらず、各地の教会やメダ女学院あたりでも時々魔法の講師をしているらしい。
あのふわふわした雰囲気をしていた彼女はしかし、今や随分としっかりした性格に置き換わっている。『前の世界のセーニャ』のようだった。もちろん今度はごく平和で前向きな意味で、彼女が更に成長を続けた結果だ。
あれだけのことをなし遂げたのだからイレブンはゆっくりすると良い、なんてマルティナには言われたけれど、そういう仲間たちの話を聞いてじっとできないのもまたボクの性分だった。
そうしてボクは自分の使命感とエマや21との生活を天秤にかけて、盛大に趣味に走り鍛冶師に転身を遂げた。
旅で培った知識や経験を活かし、良い装備を作って、みんなに提供する。できれば、僕たちの力がなくたって魔物に対抗できるだけの担力を持ってほしいと願いを込めて。
…だって勇者として予感がするのだ。人間と魔物の戦いは続く、これからもずっと。それこそ僕らがいつか年老いて死んでも、それよりもはるかその先まで。だから人間はもっと強くならなくちゃならない。
うん、いい言い訳だ。もし勇者の名声を利用して、金儲けなんてして!…と誰かに怒られたらこれでいこう、なんて脳内でしょうもないことを考えつつ。一人でウケながらお日様の臭いがする布団を抱える。
少なくとも、鍛冶で稼いだ結果こんないい布団で愛するエマを寝かせられるのだからそれで良いのではないかと僕は思う。
お布団を家に取り込み、次なる獲物は色とりどりの洗濯物だ。その半分近くはエマが縫ったり編んだりしてくれている。かつてカミュが不要だからとくれた不思議な鍛冶道具なくしては、布の服を縫うことすらままならない僕にとってはまさしく尊敬の対象だった。
さて、さっさと終わらせちゃおう。
心の中で呟き、早速エマのスカーフに手をかける。
「わっ」
どんと後ろから何者かに突かれた。完全に油断していた。敵か、というにはあまりにも殺気がない。 しかし少なくとも人間の気配でもない。
「…デイジーちゃんか。驚いた」
その時点である程度予想はついていたが、振り返ってみれば案の定。まだ若干小柄ではあるが名前の通り美しい白馬が僕を驚かせた犯人だったようだ。
「また抜け出してきちゃったのかー。悪いやつだな君は」
ぶるるる、とデイジーちゃんは誇らしげに鼻を鳴らす。それを撫でてやると、ご機嫌さんで頭を擦り付けてきた。まだまだ子どもだからかやんちゃな性格で、頭もとても良くてしょっちゅう厩舎から脱走する。デイジーちゃんはそんな馬で、シルビアの愛馬・マーガレットちゃんの実の息子だ。この飼い主がまたぶっ飛んでいて、つまりデイジーちゃんはそんな彼が先日僕の誕生日にプレゼントしてくれた子だったりする。
アタシだと思って可愛がってねと、ぬいぐるみでも渡すノリで手綱を引いてきたから更に困惑した。大抵のことには動じない母さんもさすがにドン引きだったし、エマは大胆ってレベルじゃないシルビアの好意に若干怯えてすらいた。
で、僕がどうしたかというとふつうに頂戴した。色々ツッコミどころ満載だというのも承知の上でそれでも騎手の本能に抗えなかったのだ。
とにかく、そんな変なノリで増えた馬なわけだけど、それを身内も含め誰かに咎められることはなかった。イシがある程度村としての体裁を取り戻したとはいえまだまだ復興中で、特に労働力としての馬の数が不足していたのも幸いした。シルビアはもしかしたらそこまで見越してこの子を見繕ってくれていたのかもしれない。
そして最近になってデイジーちゃんの調教を始めたけれど、血統が優秀なおかげだろうその駿馬ぷりには、毎度驚かされる。
「その内、君とウマレースに出たいな」
ぽんぽんと優しく首筋を叩いてやる。馬はいい、すごく。愛情をかければそのぶん以上に返してくれるし、とても賢い。旅をしている時は色んな乗り物や時には魔物にすら乗ったけれど、いずれも馬には敵わなかった。あの一緒に風を切って駆け抜ける感覚がやっぱり――。
「…お前、馬相手だと意外と喋るんだな」
今度こそ敵襲だった。馬に気を取られすぎていたらしい、接近にまるで気が付かなかった!
地を蹴る。
大柄な――とりあえず魔物ではない――人間と距離を取る。本来剣の方が得意な僕だけれど、今は丸腰だ。少しばかり平和ボケしすぎていた自分を恥じながらそれでも詠唱をする。
威力と詠唱の平易さ、更には早さまでも兼ね備えたそれは、勇者専用呪文・ギガデイン。セニカに貸した力は、少し前に弱体化しながらも帰ってきていた。それは僕と同じく無事時を遡り、ローシュと再会することができた根拠なのだと信じている。
「待て待て待て。喋ったところを見られたからって殺しに来る勇者がどこにいるんだ」
ここにいます。心の中で呟き、更に詠唱を続ける。
魔力でできたチャコールグレーの雷雲が立ち込める。ばちばちと、そこに白い電気が走る。
早く開放してくれと、走らせてくれと急かさんばかりに。
「暴君か勇者様はよお!頼む、ムンババ!ベロリンマン!」
「むっふぉー!!」
「ムンババと一緒の並びにしないでほしいべローン!」
黒い覆面の荒くれ・ガレムソンの合図により背後から聖獣ムンババと魔物っぽい何かが襲いくる!
さすがの僕も装備もへったくれもない状況でこの二人を相手にはできない。
しかも不意打ちだ。
ベロリンマンの弾丸タックルをもろに食らい、たまらず倒れたところを上からムンババに乗られ、あっという間に取り押さえられてしまう。
「いててて…」
霧散してゆくギガデインとして成立しなかった魔力。思わずうめき声をあげると、それを察したらしいムンババが、のそのそと背中から降りてくれる。
「ったく落ち着きっていうもんがお前にゃねえのか、ええ?イレブン?」
苦笑して頷く。
イシの村の用心棒兼僕の悪友であるガレムソンとベロリンマン。それから村の守り神ムンババ。なんのことはない、これはただの日常的なじゃれ合いだ。
それにしたってギガデインは悪ふざけが過ぎるかも知れないが、逆に言うとその程度で収まるくらいには彼らは強い。もっとも、飲み屋の一つを探すのにも苦労するイシの村のこと。基本的に娯楽といえば身体を鍛えるくらいしかなかった上に、伝説に残るような聖獣と毎日手合わせしていれば嫌でも力はつく。不謹慎な話、邪神が今日復活したとしても、今のこの二人ならふつうに戦力になってくれそうな気がするが…それはさすがに言い過ぎだろうか。
「ガレムソン、こいつ何の用だって顔してるべローン」
「おお、そうだったそうだった」
彼らとの付き合いも短いとは言えなくなってきたからか、僕の意図を汲み取るのが近頃うまくなってきた。いや、僕が普通に喋れば良いのだけどそれは嫌だった。単に気分にならないだけだが。だから僕の意図が明後日の方にでもいかない限りは基本的に流れに身を任せることにしている。
「あのよ、イレブン。ついこの間の話なんだが、ハンフリーから手紙が来たんだ」
手紙、という言葉に反応してみせるとガレムソンは浅く頷き、続ける。
「なんでも、グロッタが仮面武闘会を復活させるらしい。それで、俺とベロリンマンは元闘士だろ。ぜひ出場しないかという誘いの内容だ。なんでイレブン、お前には声をかけないのかはナゾだが」
言われて確かに、ちょっとムッとした。あの時だって仲良く共闘したというのに、なぜハンフリーは僕を誘ってくれないのか。答えはいたって簡単だった。
彼は僕の住所を知らない。以前グロッタで組んだ時も、聞かれなかったので教えなかった。一応追われる身だったし。
「俺らは出るのかって?アタボーよ!前回はお前らに後れを取ったが、今度はわからねえぞ!」
ぱしんと両拳を打ち付け勇ましくガレムソンは断言する。
「あの時は即席だったけど、今度はちゃんとした連携技を用意してるべローン!もはやオレたちを止められるヤツはいないベロベロベローン!」
ベロリンマンも続ける。確かに、前回の時はこの二人は偶然抽選でできたペアだったし二人ともそれなりに不服そうだった。
…しかしその割に息はぴったりの立ち回りで、僕もハンフリーと組んでいたのに苦戦した記憶がある。とすれば、今ならもしかしたらとんでもないダークホースと化しているのかも知れない。
「俺らにビビってチキンじゃねえぞ!?当然お前も出場するだろう?」
「…二つ返事したいところだけど」
洗濯物に向き直る。優しい風に揺られてはたはたと踊るタオルに、服に、下着に。それらをやっつけた大好きなあの子の表情が思い浮かぶ。
「エマ次第かな」
頭を掻く。元々そういう仕事をしていたならともかく、旅をしていた頃に偶然出場した武闘会が復活するから参加したい、と夫に突然に言われていい顔ができる妻がこの世界にどれだけいるだろうか。しかも古今東西荒くれが集う過激な大会だ。
…無理だろうなと思う。エマ、かなり心配症なところがあるし。
「やっと喋ったと思ったら俺らよりも嫁さんが怖えってか!…まああのエマならわからなくもねえ!」
ゲラゲラとガレムソンは豪快に笑いながら納得してくれた。ベロリンマンはというと、ムンババと同じようにどんぐり眼を見開いて少々青ざめている。
あれ、今僕妻の話をしてたよね?この短時間で一体何があった?
「よっしゃ、今は強くは誘わないでおいてやるぜ!そン代わり出場しねえならしねえで、夫婦で俺らの勇姿を観に来いよ!」
ありがとう、と二人に返しふと気になって今度はデイジーちゃんの方を見る。ぴくぴくと動く耳、優しげな目。僕を乗せてグロッタに行きたいと訴えているみたいだ。
…そうか、そうだよな。
予感がしている。僕は多分グロッタに出向く必要がある。
それは元勇者としての勘。
何かが、誰かが動き出そうとしているのだ。
「誘ってくれてありがとう。ガレムソン、ベロリンマン。なんとかエマを説得してみるよ」
デイジーちゃんの鼻筋を撫でる。
そろそろ、僕の出番も近い。