獣たちの宴
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「そうかい」
人を騙すことが意義の魔物の声は、私の拒絶を持って冷えきる。やはり演技だったのだろう涙に濡れたその瞳はぎらりと危険な輝きを放ち始める。
「ならば仕方ない。気は進まないが、命には変えられないからね。ボクも目一杯抵抗させてもらおう」
デザートゴーストはおもむろに天を仰ぎ雄叫びを上げる。仲間を呼ぶ特技と言ったところだろうか――現れたのは多数のサマディー兵士だった。
洗脳でもされているのか目は虚ろなまま、けれど身体能力に影響はないのだろう。
あっという間に取り囲まれる。
「攻撃しろ!何を躊躇う必要がある!」
「ホメロスさま!だって!」
今更でありながら突然の人間たちの登場に、困惑して初動が遅れた私を、ホメロスさまが叱咤する。
「まさか貴様本物の人間だったらどうするか、などと考えているのではあるまいな!馬鹿か!ここにきて…」
身体のコントロールを咄嗟に彼に奪われ、そのままイオラを詠唱する。爆発、続いて強風が巻き起こり、近くにいた兵士たちがまとめて吹き飛ぶ。
彼という悪魔と契約を交わし、変わったことといえば本格的に身体を乗っ取られるようになったことが挙げられる。
先ほどファーリス王子だったものを口汚く罵ったのもそのせいだ。あんな語彙は本来の私にはない。
「そんなわけがなかろう」
そういう割に発動させた魔法が中級止まりだったあたりホメロスさまも万が一を危惧しているのだろう。
「彼らは純粋にもボクを慕ってくれているが、確かに人間だ。殺すのはまずいかもしれないね」
デザートゴーストは敏感に逆転した立場を感じ取る。くすくすと笑みを零しながら。
こいつの言っていることはデタラメかも知れないが、そうじゃないかも知れない。
親分の変装が解けても子分たちは平気なんて事態があり得るのかは甚だ見当もつかない内は、うかつな攻撃などできなかった。
「はっはっは!これは愉快だ!ボクを憎んでいるなどと大口を叩いた人間が、同族を斬るのは躊躇うか!」
デザートゴーストの身体が再びモヤに包まれる。そこから現れたのは、今度はファーリス王子。魔物の時とは違い整った顔立ち。そしてその表情はどこまでも人間らしく。
「この姿ならば、キミも多少はボクを斬りにくいのかな?」
そして発言はどこまでも卑劣な悪魔のもの。
いけ、と勇ましい号令がかかりイオラを食らっていない鎧の男たちが私を取り囲む。 サマディーの兵士の名に恥じず屈強な体格をしている。
いくら私が乱戦が得意と言っても、少々いやかなり骨を折りそうだ。
実力まで考慮すると殺すつもりでかからなければいけないのだろうが、もし人間であれば息の根を止めるのはさすがにマズすぎる。
「エルザ。とにかく奴らを近づけるな――イオラを連発しろ。…たとえ奴らが人間だとしても、サマディーの兵士であれば、少々の無茶では死なぬ」
ホメロスさまが提示してくる作戦を妥当なものとして頷く。彼らも兵士ならば相当に鍛えているだろう。その生命力に賭け、詠唱を開始する。
「おっと、簡単にはさせないさ」
ファーリス王子の姿をしたデザートゴーストが、指をぱちんと鳴らす。と、背後の男が然に私を押さえ込むように捕らえる!
「くそ!離せ!」
思わず詠唱を中断しもがくが、単純な力の強さでは相手が上だ。びくともしなかった。
おまけに――マホトーンの代わりだろう。口に指を突っ込まれる。
咄嗟に噛んだが、分厚い手袋のようなものをしているせいで意味を成さない。不快感で吐き気がこみ上げ、涙が滲む。
「いい格好じゃないか。キミには悪いが、興奮するね」
今の見た目こそイケメンだが、正体はあのずんぐりむっくりである。
そんなデザートゴーストに屈辱的な感想を与えられて怒りが湧く。なんで、どうしてこうなった。
『全くだ。実力では勝れど、戦場において僅かでも隙を見せればこうなるのも当然だ。…外面を慮れば致し方ない部分もあるが』
都合よく再び姿を消したホメロスさまが脳内で語りかけてくる。傍観者を決め込んだのか、どこか楽しそうだった。それに腹が立ち睨みつけると、こちら側の悪魔はおお怖いと半笑いで身震いする。
『…詰みだ。魔法の詠唱ができぬ今、お前に逆転の目はない。哀れエルザ殿は憎き敵にその身体を欲望のままに貪られるのであった――』
嘲笑うためだけにおどけたその態度はしかし、突如として別の道を示す。
『しかし、だ。エルザ、お前にはオレがいる。お前の態度如何では、このホメロス様が標と…』
けれどそれは未遂に終わった。
妙に上機嫌だったはずのホメロスさまが突然に舌打ちをして、私の意識から消える。
次に聞こえたのはごんという鈍器が何かにぶつかった生々しい音と、密着した男のうめき声だった。
「なんだ…!?…サンゴ?」
その瞬間拘束が緩み、男から離れる。
突如異変が起き、そしてすぐにその正体に気づいたデザートゴーストが、山中のダンジョン奥にて、存在することはまずあり得ないであろう物体に目を丸くする。
私も同じような困惑もののアイテムを見た。
サンゴ。きれいな海とかにあるやつ。
ムウレア王国の特産品としてアクセサリーとかに加工されて、ダーハルーネなどで売られているやつ。
そしてきれいなピンク色をしたそれは、見た限り頭にぶつけたら結構かなり痛そうな重量感があった。
「……いししっ」
この場において空気が読めないほどに無邪気な含み笑いは、すぐに鏡の間一体に響くほどの威勢のいい哄笑に変わる。
薄暗いダンジョンの奥地にはおよそ似つかわしくないほどの幼く、かわいらしい声。
「見たか!天才海賊・マヤ様の必殺魔法コーラルレイン!!おれさまを怒らせたらこうなるんだぜ!!ざまーみろ!!」
「…雨とかいう割には随分ショボいな。王子サンにも当たってねぇみたいだし」
「ううううるせえな!しばくぞバカ兄貴!」
あ、顔を真っ赤にするマヤちゃんかわいい。
じゃなくて。
小走りに彼らの元に駆け寄る。
何よりも真っ先に聞かなければいけないことあった。
「来てくれて、ありがとう。…ゴリアテさんは?」
「おいおい、第一声がそれかよ。マジでブレねえな」
カミュくんが呆れたように肩を竦め、笑う。
そこには彼に対する皮肉も僅かに込められていたかも知れない。
「シルビアならもうピンピンしてるさ。マジでしぶてえよ、あのオッサン」
手酷い感想だが、言葉の端々にゴリアテさんを思いやる優しさがあって、嫌だとは思わなかった。むしろ、ゴリアテさんがすでに安心できる状態だと断言してくれたということが嬉しい。
「…ち、ちょっとなんなんだい!キミたち兄妹は!」
唐突な展開に納得がいっていないのはファーリス王子の姿をしたデザートゴーストだった。
鈍器とも言うべきサンゴの塊を頭にぶつけた部下を気にかけることもせず、つかつかと歩み寄ろうとする――それを留めたのはカミュくんだった。
「おっと。下手に動かねえ方がいい。王子サンがお楽しみの間に、しこたまジバリカを張ったんだ。
頭の良いあんたならここまで言えばわかるよな?」
ぐっと言葉に詰まる王子をはじめ兵士たちも進退に窮する。
カミュくんが仕込んでいたという魔法陣。そのトラップに引っかかったが最後、無数の岩石に襲われる。
ジバリカは使い方こそ限られるが、キマれば強烈な威力を発揮することで有名な魔法だった。
「だ…だがそれなら、エルザも危険だったのではないのか?ジバリカを、彼女が踏む可能性も…」
「あー。あったのかも知れねえけどよ」
カミュくんはちらりとこちらに目をやったあと、デザートゴーストの質問にあっけらかんと答える。
「オレごときの魔力じゃこいつに傷一つつけらんねぇさ。…ハッタリだと言いたいんだろうがエルザがジバリカを踏んでいないのはたまたまだ」
デザートゴーストが再び言葉に詰まる。
元々私の魔力が目当てで近づいてきたくらいだ、納得せざるを得なかったのだろう。
そして。
「みんなー!!おっまたせーーーーー!!!」
デザートゴーストにとっての最悪はまだ続き、私にとっては一番待ち望んでいた人の声が高らかに響いた。
片手でメガホンを作り、もう片方の手で何か薄くて丸いものを頭の上で左右に振る。
そんな陽気な挙動をする人物がつい先ほどまで死にかけていただなんて、だれが思うだろう。
「行ってこいよ、エルザ」
カミュくんにそう促され、大きく頷く。
マヤちゃんからは満面の笑みで背中を叩かれた。結構痛かったけれど、紛れもなくそれは激励だ。
走る。彼の元へ。
「ゴリアテさん!!」
この時カミュくんのジバリカを2つほど踏み発動させてしまう。岩石が身体を打つけれど、所詮は魔法によるもの。
彼の言ったとおり攻撃魔法に強い私にとってはかすり傷にもならず、ただそこら中が本当にジバリカまみれであることを、デザートゴーストたちに証明するだけになった。
そのおかげで彼らの身動きがとれなかったことも幸いして、私は誰からも邪魔されずゴリアテさんとの再会が叶ったのだった。
「エルザちゃん。…ありがとう。アタシはこの通り、すっかり元の調子…」
駆けつけた私の手を、ゴリアテさんはそっと取ってくれる。灰色の目の奥が、少し潤んでいるのがわかる。
「ごめんなさい。心配、かけたわね…」
「謝るのはこっちの方だよ。…本当に、ごめんなさい」
ゴリアテさんの手に、更に自分の手を重ねる。
「あのね、ゴリアテさん。私…」
あなたを助けるために悪魔に魂を売ったの。
当然そんなことなど言えるはずもないから、代替の言葉を探す。すぐに見つかった。
「あなたが生きていてくれて、嬉しい」
言葉は短いけれど、浮かんでくる笑顔は自分史上最高のものに近かったかも知れなかった。
ゴリアテさんももしかしたらそう思ってくれたのかも知れない。一瞬だけ僅かに驚いたように目を開き、しかし優しく細められる。
「アタシってば本当に幸せ者ね。…エルザちゃん。話したいことはたくさんあるのだけど」
そこで言葉を切ったゴリアテさんの意図くらいは私でなくともわかるだろう。鋭くなった視線の先には、足止めを食らっている偽物のファーリス王子と愉快な手下たちがいた。
「あいつらを先になんとかしなくちゃ、だね。…ところでゴリアテさん、それは」
ゴリアテさんは手に持っているものを投げようとしていた。いつものナイフとは違う、丸い円盤のようなものだ。
彼は当然聞かれることを想定していたらしく、淀みなく少し得意げに答えてくれた。
「うふふ。エルザちゃん。これが例の、ヤタの鏡って言うものよ」
「…そんなもんどこにあったんだ?」
戦闘の匂いを嗅ぎつけて兄妹が歩み寄ってくる。その道すがらのようにカミュくんが聞いた。ゴリアテさんは何が嬉しいのか、ものすごいにこにこ顔になる。
「アタシね、ここに来る前にみんなに悪いと思いつつちょっとだけ寄り道したの。その先にいたひとがくれたわ」
そこまで言うと、いよいよ鏡とかいう円盤をかまえる。そこまできて、デザートゴーストもようやくその正体に気づき慌て始めた。
「まさか…それは!」
「いくわよぉん!」
「やめろ!!やめてくれぇ!!!!!」
静止をガン無視したゴリアテさんにより勢い良く空中に躍った鏡は、しかし不自然なことに途中でぴたりと静止する。
どういうことだと思ったのもつかの間、その古びた鏡面から強い光が溢れだした。
「う、うわあああああ!!!!!!!」
その光がデザートゴーストを灼くほどに照らす。手下のサマディー兵たちも同様にだ。
眩しさに彼らは動くこともできず、ただ腕や盾などで視界を守ることくらいがせいぜいで、あとはなすがままになる。
それでも肉体的にダメージを受けている様子ではなくて、最初こそただの目くらましか足止めだと思った。けれども、違う。
ヤタの鏡ことラーの鏡。二つの名前を持ったそれの真骨頂はここからだった。
「クソ、やられた!」
鏡から放たれる光――魔力を浴びた敵から、魔物の姿になる。デザートゴーストも、あのずんぐりむっくりした獣の姿になったことから、理解する。
これは変身ではなく、むしろ彼ら本来の姿に戻っているのだと。
こうしてサマディー兵士たちの正体も明らかになった。骸骨の戦士、アンデッドマンにスケアフレイルと言った面々。先ほどの道すがらでいきなり私たちを襲った顔ぶれと一致する。
「なるほど」
百聞は一見に如かずとは言うが、ここまではっきりとくっきりとその言葉を証明する場面に、これからの人生であと何回出会えるだろう。
「…終わらせましょう、エルザちゃん。アタシね、今回ばかりはとっても怒ってるの」
滅茶苦茶真顔で言うゴリアテさんに同じような顔で深く頷く。こういうシーンは多分笑顔を浮かべるものだろうけど、それは到底無理な相談だった。
人を騙すことが意義の魔物の声は、私の拒絶を持って冷えきる。やはり演技だったのだろう涙に濡れたその瞳はぎらりと危険な輝きを放ち始める。
「ならば仕方ない。気は進まないが、命には変えられないからね。ボクも目一杯抵抗させてもらおう」
デザートゴーストはおもむろに天を仰ぎ雄叫びを上げる。仲間を呼ぶ特技と言ったところだろうか――現れたのは多数のサマディー兵士だった。
洗脳でもされているのか目は虚ろなまま、けれど身体能力に影響はないのだろう。
あっという間に取り囲まれる。
「攻撃しろ!何を躊躇う必要がある!」
「ホメロスさま!だって!」
今更でありながら突然の人間たちの登場に、困惑して初動が遅れた私を、ホメロスさまが叱咤する。
「まさか貴様本物の人間だったらどうするか、などと考えているのではあるまいな!馬鹿か!ここにきて…」
身体のコントロールを咄嗟に彼に奪われ、そのままイオラを詠唱する。爆発、続いて強風が巻き起こり、近くにいた兵士たちがまとめて吹き飛ぶ。
彼という悪魔と契約を交わし、変わったことといえば本格的に身体を乗っ取られるようになったことが挙げられる。
先ほどファーリス王子だったものを口汚く罵ったのもそのせいだ。あんな語彙は本来の私にはない。
「そんなわけがなかろう」
そういう割に発動させた魔法が中級止まりだったあたりホメロスさまも万が一を危惧しているのだろう。
「彼らは純粋にもボクを慕ってくれているが、確かに人間だ。殺すのはまずいかもしれないね」
デザートゴーストは敏感に逆転した立場を感じ取る。くすくすと笑みを零しながら。
こいつの言っていることはデタラメかも知れないが、そうじゃないかも知れない。
親分の変装が解けても子分たちは平気なんて事態があり得るのかは甚だ見当もつかない内は、うかつな攻撃などできなかった。
「はっはっは!これは愉快だ!ボクを憎んでいるなどと大口を叩いた人間が、同族を斬るのは躊躇うか!」
デザートゴーストの身体が再びモヤに包まれる。そこから現れたのは、今度はファーリス王子。魔物の時とは違い整った顔立ち。そしてその表情はどこまでも人間らしく。
「この姿ならば、キミも多少はボクを斬りにくいのかな?」
そして発言はどこまでも卑劣な悪魔のもの。
いけ、と勇ましい号令がかかりイオラを食らっていない鎧の男たちが私を取り囲む。 サマディーの兵士の名に恥じず屈強な体格をしている。
いくら私が乱戦が得意と言っても、少々いやかなり骨を折りそうだ。
実力まで考慮すると殺すつもりでかからなければいけないのだろうが、もし人間であれば息の根を止めるのはさすがにマズすぎる。
「エルザ。とにかく奴らを近づけるな――イオラを連発しろ。…たとえ奴らが人間だとしても、サマディーの兵士であれば、少々の無茶では死なぬ」
ホメロスさまが提示してくる作戦を妥当なものとして頷く。彼らも兵士ならば相当に鍛えているだろう。その生命力に賭け、詠唱を開始する。
「おっと、簡単にはさせないさ」
ファーリス王子の姿をしたデザートゴーストが、指をぱちんと鳴らす。と、背後の男が然に私を押さえ込むように捕らえる!
「くそ!離せ!」
思わず詠唱を中断しもがくが、単純な力の強さでは相手が上だ。びくともしなかった。
おまけに――マホトーンの代わりだろう。口に指を突っ込まれる。
咄嗟に噛んだが、分厚い手袋のようなものをしているせいで意味を成さない。不快感で吐き気がこみ上げ、涙が滲む。
「いい格好じゃないか。キミには悪いが、興奮するね」
今の見た目こそイケメンだが、正体はあのずんぐりむっくりである。
そんなデザートゴーストに屈辱的な感想を与えられて怒りが湧く。なんで、どうしてこうなった。
『全くだ。実力では勝れど、戦場において僅かでも隙を見せればこうなるのも当然だ。…外面を慮れば致し方ない部分もあるが』
都合よく再び姿を消したホメロスさまが脳内で語りかけてくる。傍観者を決め込んだのか、どこか楽しそうだった。それに腹が立ち睨みつけると、こちら側の悪魔はおお怖いと半笑いで身震いする。
『…詰みだ。魔法の詠唱ができぬ今、お前に逆転の目はない。哀れエルザ殿は憎き敵にその身体を欲望のままに貪られるのであった――』
嘲笑うためだけにおどけたその態度はしかし、突如として別の道を示す。
『しかし、だ。エルザ、お前にはオレがいる。お前の態度如何では、このホメロス様が標と…』
けれどそれは未遂に終わった。
妙に上機嫌だったはずのホメロスさまが突然に舌打ちをして、私の意識から消える。
次に聞こえたのはごんという鈍器が何かにぶつかった生々しい音と、密着した男のうめき声だった。
「なんだ…!?…サンゴ?」
その瞬間拘束が緩み、男から離れる。
突如異変が起き、そしてすぐにその正体に気づいたデザートゴーストが、山中のダンジョン奥にて、存在することはまずあり得ないであろう物体に目を丸くする。
私も同じような困惑もののアイテムを見た。
サンゴ。きれいな海とかにあるやつ。
ムウレア王国の特産品としてアクセサリーとかに加工されて、ダーハルーネなどで売られているやつ。
そしてきれいなピンク色をしたそれは、見た限り頭にぶつけたら結構かなり痛そうな重量感があった。
「……いししっ」
この場において空気が読めないほどに無邪気な含み笑いは、すぐに鏡の間一体に響くほどの威勢のいい哄笑に変わる。
薄暗いダンジョンの奥地にはおよそ似つかわしくないほどの幼く、かわいらしい声。
「見たか!天才海賊・マヤ様の必殺魔法コーラルレイン!!おれさまを怒らせたらこうなるんだぜ!!ざまーみろ!!」
「…雨とかいう割には随分ショボいな。王子サンにも当たってねぇみたいだし」
「ううううるせえな!しばくぞバカ兄貴!」
あ、顔を真っ赤にするマヤちゃんかわいい。
じゃなくて。
小走りに彼らの元に駆け寄る。
何よりも真っ先に聞かなければいけないことあった。
「来てくれて、ありがとう。…ゴリアテさんは?」
「おいおい、第一声がそれかよ。マジでブレねえな」
カミュくんが呆れたように肩を竦め、笑う。
そこには彼に対する皮肉も僅かに込められていたかも知れない。
「シルビアならもうピンピンしてるさ。マジでしぶてえよ、あのオッサン」
手酷い感想だが、言葉の端々にゴリアテさんを思いやる優しさがあって、嫌だとは思わなかった。むしろ、ゴリアテさんがすでに安心できる状態だと断言してくれたということが嬉しい。
「…ち、ちょっとなんなんだい!キミたち兄妹は!」
唐突な展開に納得がいっていないのはファーリス王子の姿をしたデザートゴーストだった。
鈍器とも言うべきサンゴの塊を頭にぶつけた部下を気にかけることもせず、つかつかと歩み寄ろうとする――それを留めたのはカミュくんだった。
「おっと。下手に動かねえ方がいい。王子サンがお楽しみの間に、しこたまジバリカを張ったんだ。
頭の良いあんたならここまで言えばわかるよな?」
ぐっと言葉に詰まる王子をはじめ兵士たちも進退に窮する。
カミュくんが仕込んでいたという魔法陣。そのトラップに引っかかったが最後、無数の岩石に襲われる。
ジバリカは使い方こそ限られるが、キマれば強烈な威力を発揮することで有名な魔法だった。
「だ…だがそれなら、エルザも危険だったのではないのか?ジバリカを、彼女が踏む可能性も…」
「あー。あったのかも知れねえけどよ」
カミュくんはちらりとこちらに目をやったあと、デザートゴーストの質問にあっけらかんと答える。
「オレごときの魔力じゃこいつに傷一つつけらんねぇさ。…ハッタリだと言いたいんだろうがエルザがジバリカを踏んでいないのはたまたまだ」
デザートゴーストが再び言葉に詰まる。
元々私の魔力が目当てで近づいてきたくらいだ、納得せざるを得なかったのだろう。
そして。
「みんなー!!おっまたせーーーーー!!!」
デザートゴーストにとっての最悪はまだ続き、私にとっては一番待ち望んでいた人の声が高らかに響いた。
片手でメガホンを作り、もう片方の手で何か薄くて丸いものを頭の上で左右に振る。
そんな陽気な挙動をする人物がつい先ほどまで死にかけていただなんて、だれが思うだろう。
「行ってこいよ、エルザ」
カミュくんにそう促され、大きく頷く。
マヤちゃんからは満面の笑みで背中を叩かれた。結構痛かったけれど、紛れもなくそれは激励だ。
走る。彼の元へ。
「ゴリアテさん!!」
この時カミュくんのジバリカを2つほど踏み発動させてしまう。岩石が身体を打つけれど、所詮は魔法によるもの。
彼の言ったとおり攻撃魔法に強い私にとってはかすり傷にもならず、ただそこら中が本当にジバリカまみれであることを、デザートゴーストたちに証明するだけになった。
そのおかげで彼らの身動きがとれなかったことも幸いして、私は誰からも邪魔されずゴリアテさんとの再会が叶ったのだった。
「エルザちゃん。…ありがとう。アタシはこの通り、すっかり元の調子…」
駆けつけた私の手を、ゴリアテさんはそっと取ってくれる。灰色の目の奥が、少し潤んでいるのがわかる。
「ごめんなさい。心配、かけたわね…」
「謝るのはこっちの方だよ。…本当に、ごめんなさい」
ゴリアテさんの手に、更に自分の手を重ねる。
「あのね、ゴリアテさん。私…」
あなたを助けるために悪魔に魂を売ったの。
当然そんなことなど言えるはずもないから、代替の言葉を探す。すぐに見つかった。
「あなたが生きていてくれて、嬉しい」
言葉は短いけれど、浮かんでくる笑顔は自分史上最高のものに近かったかも知れなかった。
ゴリアテさんももしかしたらそう思ってくれたのかも知れない。一瞬だけ僅かに驚いたように目を開き、しかし優しく細められる。
「アタシってば本当に幸せ者ね。…エルザちゃん。話したいことはたくさんあるのだけど」
そこで言葉を切ったゴリアテさんの意図くらいは私でなくともわかるだろう。鋭くなった視線の先には、足止めを食らっている偽物のファーリス王子と愉快な手下たちがいた。
「あいつらを先になんとかしなくちゃ、だね。…ところでゴリアテさん、それは」
ゴリアテさんは手に持っているものを投げようとしていた。いつものナイフとは違う、丸い円盤のようなものだ。
彼は当然聞かれることを想定していたらしく、淀みなく少し得意げに答えてくれた。
「うふふ。エルザちゃん。これが例の、ヤタの鏡って言うものよ」
「…そんなもんどこにあったんだ?」
戦闘の匂いを嗅ぎつけて兄妹が歩み寄ってくる。その道すがらのようにカミュくんが聞いた。ゴリアテさんは何が嬉しいのか、ものすごいにこにこ顔になる。
「アタシね、ここに来る前にみんなに悪いと思いつつちょっとだけ寄り道したの。その先にいたひとがくれたわ」
そこまで言うと、いよいよ鏡とかいう円盤をかまえる。そこまできて、デザートゴーストもようやくその正体に気づき慌て始めた。
「まさか…それは!」
「いくわよぉん!」
「やめろ!!やめてくれぇ!!!!!」
静止をガン無視したゴリアテさんにより勢い良く空中に躍った鏡は、しかし不自然なことに途中でぴたりと静止する。
どういうことだと思ったのもつかの間、その古びた鏡面から強い光が溢れだした。
「う、うわあああああ!!!!!!!」
その光がデザートゴーストを灼くほどに照らす。手下のサマディー兵たちも同様にだ。
眩しさに彼らは動くこともできず、ただ腕や盾などで視界を守ることくらいがせいぜいで、あとはなすがままになる。
それでも肉体的にダメージを受けている様子ではなくて、最初こそただの目くらましか足止めだと思った。けれども、違う。
ヤタの鏡ことラーの鏡。二つの名前を持ったそれの真骨頂はここからだった。
「クソ、やられた!」
鏡から放たれる光――魔力を浴びた敵から、魔物の姿になる。デザートゴーストも、あのずんぐりむっくりした獣の姿になったことから、理解する。
これは変身ではなく、むしろ彼ら本来の姿に戻っているのだと。
こうしてサマディー兵士たちの正体も明らかになった。骸骨の戦士、アンデッドマンにスケアフレイルと言った面々。先ほどの道すがらでいきなり私たちを襲った顔ぶれと一致する。
「なるほど」
百聞は一見に如かずとは言うが、ここまではっきりとくっきりとその言葉を証明する場面に、これからの人生であと何回出会えるだろう。
「…終わらせましょう、エルザちゃん。アタシね、今回ばかりはとっても怒ってるの」
滅茶苦茶真顔で言うゴリアテさんに同じような顔で深く頷く。こういうシーンは多分笑顔を浮かべるものだろうけど、それは到底無理な相談だった。