獣たちの宴
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ゴリアテさんに何も言えないまま、ラーの鏡があるかも知れないというダンジョンに突入してしまう。
やらかしたことを謝ろうにも、ホメロスさまに指摘された通り、加速度的に言い出し辛くなる。…それどころか今やもう、必要な話題ですらものすごく話しかけ辛い!自分の意気地のなさに、もう何度目になるかわからないため息を吐いた。……もちろんこれ以上空気を悪くしないよう、心の中で。落ち込んでいるのを態度に出さないでいるのが、本当にやっとやっとの有様である。
一方で探索の方はいっそつまらないと言っても過言ではないほど、実に順調だった。
番人と呼べるモンスターは先ほどのヘルバトラーたちだけだったらしく、ずいぶんと静かで湿った空気の薄暗い石造りの通路を、四人で淡々と進んでゆく。
時折、ゴリアテさんのすぐ後ろを歩くカミュくんが、とても居心地の悪そうな目でしんがりの私を睨んでくる。ごめんと手を合わせてアイコンタクトを取るのが、精一杯だった。
「兄貴にはかんたんに謝れるのにな」
魔物も現れずひたすら静かで退屈したのか、そんな愚痴を洩らすマヤちゃん。悪意なき毒舌を塞ぎたい気分で一杯にはなったけれど、正しさは完全にあちらにあった。
反論はおろか、何も言えなくなるのも当然だ。
「ごめん、マヤちゃん」
空気を悪くして。そう言おうとしたのだけど、存外素直な彼女はぷいっとそっぽを向いてしまう。
「それ言う相手って、おれじゃねーだろ」
自分より年下の女の子の冷めた一言は、しかし正論で。俯く。
シルビアさん――ゴリアテさんが遠い。
けれども、一定の距離は保ってくれている。…きっと私が謝るのを待ってくれているのだ。
「そう、だよね」
サマディー城でのやらかし以降、自分がずっと悪いのに、ゴリアテさんにどうしてひどい態度を取り続けていたのだろう。
後悔しかないのだけど、それすら表面的な話でしかない。
……彼を危険に巻き込み、そればかりか危険から庇ってくれさえしたのに……、心を傷つけてしまった罪悪感に背を向け、そこで思考停止していた。
いつだったか、自分の気持ちに向き合えなかったことを、ゴリアテさんはかわいいと言ってくれたことがある。
私はそれならいいかと肯定的に受け取ってしまった。実際、彼がここに至るまで指摘してくることがあったわけでもなく、おおむね好意的に見ていてくれていたんだとは思う。
けれどやっぱり、そこに安住してはいけなかった。短所は、やはり短所でしかない。
後悔に苛まれ、けれど、その中でもまだどうにか残った光を手繰り寄せる。
大丈夫、まだ戻れる。
彼なら許してくれると信じて、意を決しその背中に向けて、歩みを進める。
「ゴリアテさん…」
はたりと止まり、彼が振り向いてくれる。
いつもは惜しみなく向けてくれる優しい笑顔はそこにはない。
気まずいから、怖いから目を合わせられない。そんな弱音はもう言わない。そこまで女々しくなんてないぞと自分を鼓舞して、それで。
「エルザちゃん」
どうしてかゴリアテさんの方が口を開くのが早かった。
「来ないで」
どくんと心臓が鳴った。えっ、とも出ない。
場が凍りつくほどの鋭い拒絶の声。
私の意識ごと。時が死んだように止まる。
「…危ないからっ!」
もちろんそういう比喩に過ぎなかった。
次の瞬間、今度は時が縮むように加速する。襲い来る焦燥感が今度はそういう比喩を生む。
そんなことにはまるで構わず。
居合いの要領で素早くゴリアテさんが抜いた剣が、風を切って飛んでくる何かを叩き落とす。
ニ本三本次々と、素早い反応ですべて無力化されたその正体。よくよく見れば、先があまりにも鋭く加工された、黒ずんだ銀色の矢だった。
「はー、すげーんだな。シルビアのおっさんって」
「…相変わらずスキがねえ。さすがに真似は無理そうだ」
こんな状況でも素直なマヤちゃんに対し、短剣をかまえるカミュくんの口角が僅かに引きつり、動揺が見られる。
徹底的に存在感を消していた敵襲に気づけなかったのだろう――それは私も同じくだ。
私が索敵レーダーとして優秀となり得るのは、ヘルバトラーのように強力な魔力の使い手が紛れ込んでいた場合に限られる。
「軽口はそこまでよ」
ぴしゃりと言うゴリアテさんが、いつもよりぴりぴりしていたのは、何のことはない。
完全に意表をつかれたせいでパーティーの雰囲気がガタガタだからだ。…私たちがケンカなんかするせいっていうのもあるけれど。
巻き込まれた兄妹が気の毒すぎて、また申し訳無さが膨れ上がる。
『何をぼさっとしている!マヌケめ!早くかまえろ!』
罪悪感に呑まれかけたところでホメロスさまに叱咤され、ようやく初動。
それを差し引いても動きが誰よりも遅くなってしまうのは、単純にこの中で私が、一番弱いからだ。
とはいえ全員が全員、そもそも速すぎる。万全の状態で戦闘に入ったとしても、私に追いつけていたのだろうか?
経験が深く、このため誰よりもアンテナが広いゴリアテさん。それを補って余りあるほどの反応速度を見せる盗賊と海賊の兄妹。
……それに引き換え、得意の高速詠唱をもってしても最初のピオリムの口上が完成したのは、彼らが本格的に交戦を開始してからだ。
「うわ、こっちきた!」
「エルザ、無理に戦うな!呪文を優先してくれ!!」
わかっている!わかっちゃいるけども!
カミュくんの言い分が正しいと理解できつつも、到底対応しきれない。
襲い来る骸骨の戦士たちの斬撃をいなしつつ、どうにかスキを見つけては火炎切りを繰り出していないとならないのだ。
これを最優先で行わなければ、次の瞬間に斬られているのは自分の方。
必要最小限の自衛で手一杯になるほど、次々と湧き出るモンスターは、とにかく数が多すぎる。
「クソ、こいつらどこに隠れてたってんだよ!こんなに!一体!?」
黄金色のツメを壁に設置された松明で煌めかせながら、マヤちゃんがそんな疑問を口にする。ウイングブロウ、タイガークロー、サイクロンアッパーと、次々と惜しみなく、アクロバットな特技の数々をまるで見本市のように繰り出す。
その度に魔物たちが弾き飛ばされる様は見ていて爽快だが、あの調子では早晩魔力も体力も枯渇しそうだ。
…もちろん本人に自覚がないわけではないだろう。けれど焦燥感で開いた瞳孔が物語るとおり、出し惜しみなどしていられない状況なのだ。
「わからないわ!いくら何でも多すぎる…こんなこと、初めてよ!」
相手が多いことからゴリアテさんの戦い方は剣ではなくムチを用いたものになっている。
女王のムチを駆使して敵をまとめて魅了。魔物の同士討ちを狙いつつも、動きを止めた相手からアモーレショットやジャスティスで確実に撃破。
以前からアタッカーをする際は派手な立ち回りを好む彼だが、今回は一層その傾向が強い。その理由は余裕がないからに、他ならない。
「一つ言えるとすれば、コイツらを倒さなきゃ先に進めねえってことだろうな!」
ゴリアテさんの手が回らないモンスターは、カミュくんのブーメランの餌食になる。デュアルカッターを絶え間なく打ち出すその神技は、何気に旅芸人の技術と酷似している気がした。その吸収力の高さと柔軟性こそが、彼の何よりの強みだと思う。
しかしながらその才覚を以てしても、完全に魔物に先手を取られた現状の打破は難しかった。
「それにしても数が多すぎる!とてもバフまで回らないよ!」
みんなより実力が落ちる私だって、決して暇なわけではない。対応力の底上げを期待したピオリムは辛うじてかけられたが、バイキルトとスクルトがまだだ。
けれど、みんなが長く立ち回れるように、魔力を配って回るのが先だ。
エンジン全開の強者たちの面倒を見る労力は尋常じゃない。もちろん、魔物との直接的な交戦も続けながらの負担はあまりに大きい。
いつまで続くかわからない大乱闘に、まだ余裕を保つ私の魔力も、枯渇の予感を覚えて不安になる。……ここさえ切り抜けられれば、後はどうにでもなるとわかっていても、暗く重い塊が胃にもたれかかって吐き気がした。
なんとかならないの、ホメロスさま。と剣の霊に思念で問いかけるが答えはノーだ。いや、正しくは不可能ではないそうなのだが。
『愛しのゴリアテ殿の目の前で…オレに身を預けられるのか?』
と言われてしまってはどうしようもない。そんな覚悟なんて一番できるわけがなかった。
ドルマ系呪文はこんな大混戦で扱えるほど使用に慣れていないし、何より消費魔力が大きすぎる。
そんな余裕があるなら、さっさと誰かに渡してしまうべきに決まっている……けれど!
腹立たしいまでの焦りと堂々巡りが、剣にブレを生じさせる。
骸骨剣士が息切れを起こし始めた私を視界に捉え、あざ笑うように顎に角度をつけた。
「エルザちゃん、それならアタシも補助にまわるわ!アナタはMPパサーに集中して!」
不意に、妙に人間臭い態度を取ったその骸骨頭が、剣の柄で殴らたせいで横に吹き飛ぶ。
敵をほとんど力づくでなぎ倒したゴリアテさんが、横に並んできた。その雄姿は、泣きそうになるほど好きな、頼りがいのあるいつものスタイル。
ケンカしてるのに、守ってくれて……幼稚な理由で拗ねていた自分が、本当に嫌になる。
とはいえ。罪悪感に浸るのは後にするべきだと最大限の努力のもと最低限の分別をつけ、頷き、プラチナソードの切っ先から魔力の塊を打ち出す。
当然攻撃呪文ではないそれを、静かに体内に取り入れた彼のリベホイ厶が、今度は私に返ってくる。
逃げに徹した戦闘のおかげで、まだほとんど無傷であるにも拘らずこの回復呪文がくるということは、この先私にはあまりかまっていられないという意味に他ならない。
「ありがとう。…ゴリアテさん。あとで、ちゃんと謝るから」
「…世話が焼ける子ね。待ってるわ」
ずいぶん久しぶりに、ゴリアテさんが笑いかけてくれた気がする。それにあわせてかけてもらった短い言葉が、再び私の胸を熱くした。
私は彼を信じているし、……きっと彼は私を信じてくれる。
それさえわかって、納得できたならアンデッドマンだろうがスケアフレイルだろうが、敵じゃないほど私はどこまでも戦える。
そんな気が強く、強く、
……したのだ。そのはずだった。
「エルザ!」
不意に身体を強く突き飛ばされた。
きっと私の思いなんかより、よっぽど強く、強く。今絶対にそうするべきだという意志以外、それこそ何も気にせず、優しさなんてものもどこにも介在し得ない。
間違いなく、これまで彼が与えてくれた痛みの中で、一番……もとい圧倒的に、ショッキングな部類だった。
一気にバランスを欠きながらも、それでもなんとか踏み止まる。転ばなかったのは幸なのか不幸なのか……わかりたくもない。
なんで、どうしてこうなったかということも含めて、脳が一瞬五感すべての情報を拒絶した。
……ただ、ゴリアテさんに呼び捨てにされたのはこの時が初めてだと、体勢が崩れ倒れゆく彼を見つめながら私は場違いにそれだけを思った。
「うそ…?」
ようやく意識が現状の処理を始める。
ゴリアテさんの意外なまでに分厚い、いつも私を優しく抱きしめてくれる胸に細長い棒が突き立っている。そこから赤黒い液体がじわじわと染み出して、赤白のストライプ模様の前衛的な服を台無しにしていた。
「ゴリアテさん?」
知りたくなかった……あらゆる意味で。
特に、苦痛に歪む彼の顔なんて!まだ絶命はしていない、とは言っても、そんなことは言っても、その終わりに向かって顔色がみるみる白くなってゆく。
その過程なんて知りたくもなかった!!!!
「ゴリアテさん!!!!!」
返事は、ない。
「……い、や………!」
できるはずもない。
それほどまでの重体だと一目見れば、嫌でもわかった。
「……いやああああああああああ!!!!!!」
だから、思わず絶叫した。
せずにはいられなかった。
当然だった。
涙が溢れる。私に回復呪文は唱えられない。
手持ちの回復薬がないわけではないが、こんな大怪我を癒せるようなものでは到底ない。
それでもアモールの水をなんとか飲ませようとする。いつでも活発な人物であるはずのゴリアテさんは見る影もなく、すでに水を嚥下することもできなくなっているらしい。瓶の口を咥えさせようとしてもまるで無反応だった。それでも無理矢理飲ませようとしたけれど――急速な体温低下のせいで紫に変色した唇を少し濡らしたところで、諦めざるを得なかった。無駄に負担を強いるだけだと、気づく。
とにかく、手の施しようがなかった。私はもちろん、カミュくんやマヤちゃん。…多分ゴリアテさん自身も。
「だ…大丈夫よ、エルザ、ちゃん…」
それでもなんとか……いや、絶対に無理矢理にだ。苦しそうに笑うゴリアテさんの手が弱々しく光る。
「リホイミ、くらいは……まだ、なんと、か。…でき…る、わ」
肺を傷つけただろうに無理をして喋って、……呪文まで使ったからだろう。どす赤い喀血が私の胸元を汚す。
気にしていられるか、だって限りなく危険な……最悪の状態なのだ!
…たった一本の、あんな矢のせいで!!
「エルザちゃ、ん…。まも、ま、まものは…」
「こんな時にまで、気遣わないでよぅ……」
ボロボロと涙が止まらないが、ゴリアテさんの言も無視はできない程度には冷静さを取り戻す。…あのとにかく数が多かった魔物たちだが、こちらに襲い掛かってくる気配はない。
それどころか、いつの間にか姿さえ消していた。
ややあって戦闘を終えたカミュくんとマヤちゃんが駆けつけてくる。
「シルビア!くそ、なんでこんなことに!」
「…私のせいなの。…私を庇って、それで」
彼らが状況を把握する頃には、ゴリアテさんは苦しい雑音交じりの呼吸を繰り返すだけで、もはや本当に喋ることすらできなくなっていた。
「兄貴、これ絶対毒状態だぜ。矢を抜いちゃダメかな」
「…やめとけ。血が噴き出して、それこそ死んじまう」
人の死に直面するのは初めてなのかも知れない。眉根を弱々しく寄せたマヤちゃんが、泣きそうになる。
常人であればとうに死んでいるだろう大怪我だが、ゴリアテさんはかろうじてとはいえ、今の所命を繋いでいた。驚異的な生命力としか言いようがないが、同じ以上の苦しみが今彼を襲っているに違いない。歪みきった表情が、それを何より雄弁に物語っていた。
「アイツがいればこんなことになんか……ちくしょう…!」
カミュくんが怒りと悔しさを滲ませながら、衝動的に落ちていた小石を蹴る。自他ともに認める勇者の相棒である彼ですら、できる応急処置といえば私と大差ない。
いずれにしても、このままではゴリアテさんは半刻も持たないことは明白だ。
しかしカミュくんと協力するにしても、大柄な彼を抱えて運び出すには、すでにダンジョンを奥深くまで進みすぎていた。
順調に探索が進んでいたことを、これほどまでに恨んだことはない。
圧倒的な無力感に完全に支配され、私はもはや涙を流すことしかできなくなっていた。
弱弱しく、彼の名前だけ呟きながら。
やらかしたことを謝ろうにも、ホメロスさまに指摘された通り、加速度的に言い出し辛くなる。…それどころか今やもう、必要な話題ですらものすごく話しかけ辛い!自分の意気地のなさに、もう何度目になるかわからないため息を吐いた。……もちろんこれ以上空気を悪くしないよう、心の中で。落ち込んでいるのを態度に出さないでいるのが、本当にやっとやっとの有様である。
一方で探索の方はいっそつまらないと言っても過言ではないほど、実に順調だった。
番人と呼べるモンスターは先ほどのヘルバトラーたちだけだったらしく、ずいぶんと静かで湿った空気の薄暗い石造りの通路を、四人で淡々と進んでゆく。
時折、ゴリアテさんのすぐ後ろを歩くカミュくんが、とても居心地の悪そうな目でしんがりの私を睨んでくる。ごめんと手を合わせてアイコンタクトを取るのが、精一杯だった。
「兄貴にはかんたんに謝れるのにな」
魔物も現れずひたすら静かで退屈したのか、そんな愚痴を洩らすマヤちゃん。悪意なき毒舌を塞ぎたい気分で一杯にはなったけれど、正しさは完全にあちらにあった。
反論はおろか、何も言えなくなるのも当然だ。
「ごめん、マヤちゃん」
空気を悪くして。そう言おうとしたのだけど、存外素直な彼女はぷいっとそっぽを向いてしまう。
「それ言う相手って、おれじゃねーだろ」
自分より年下の女の子の冷めた一言は、しかし正論で。俯く。
シルビアさん――ゴリアテさんが遠い。
けれども、一定の距離は保ってくれている。…きっと私が謝るのを待ってくれているのだ。
「そう、だよね」
サマディー城でのやらかし以降、自分がずっと悪いのに、ゴリアテさんにどうしてひどい態度を取り続けていたのだろう。
後悔しかないのだけど、それすら表面的な話でしかない。
……彼を危険に巻き込み、そればかりか危険から庇ってくれさえしたのに……、心を傷つけてしまった罪悪感に背を向け、そこで思考停止していた。
いつだったか、自分の気持ちに向き合えなかったことを、ゴリアテさんはかわいいと言ってくれたことがある。
私はそれならいいかと肯定的に受け取ってしまった。実際、彼がここに至るまで指摘してくることがあったわけでもなく、おおむね好意的に見ていてくれていたんだとは思う。
けれどやっぱり、そこに安住してはいけなかった。短所は、やはり短所でしかない。
後悔に苛まれ、けれど、その中でもまだどうにか残った光を手繰り寄せる。
大丈夫、まだ戻れる。
彼なら許してくれると信じて、意を決しその背中に向けて、歩みを進める。
「ゴリアテさん…」
はたりと止まり、彼が振り向いてくれる。
いつもは惜しみなく向けてくれる優しい笑顔はそこにはない。
気まずいから、怖いから目を合わせられない。そんな弱音はもう言わない。そこまで女々しくなんてないぞと自分を鼓舞して、それで。
「エルザちゃん」
どうしてかゴリアテさんの方が口を開くのが早かった。
「来ないで」
どくんと心臓が鳴った。えっ、とも出ない。
場が凍りつくほどの鋭い拒絶の声。
私の意識ごと。時が死んだように止まる。
「…危ないからっ!」
もちろんそういう比喩に過ぎなかった。
次の瞬間、今度は時が縮むように加速する。襲い来る焦燥感が今度はそういう比喩を生む。
そんなことにはまるで構わず。
居合いの要領で素早くゴリアテさんが抜いた剣が、風を切って飛んでくる何かを叩き落とす。
ニ本三本次々と、素早い反応ですべて無力化されたその正体。よくよく見れば、先があまりにも鋭く加工された、黒ずんだ銀色の矢だった。
「はー、すげーんだな。シルビアのおっさんって」
「…相変わらずスキがねえ。さすがに真似は無理そうだ」
こんな状況でも素直なマヤちゃんに対し、短剣をかまえるカミュくんの口角が僅かに引きつり、動揺が見られる。
徹底的に存在感を消していた敵襲に気づけなかったのだろう――それは私も同じくだ。
私が索敵レーダーとして優秀となり得るのは、ヘルバトラーのように強力な魔力の使い手が紛れ込んでいた場合に限られる。
「軽口はそこまでよ」
ぴしゃりと言うゴリアテさんが、いつもよりぴりぴりしていたのは、何のことはない。
完全に意表をつかれたせいでパーティーの雰囲気がガタガタだからだ。…私たちがケンカなんかするせいっていうのもあるけれど。
巻き込まれた兄妹が気の毒すぎて、また申し訳無さが膨れ上がる。
『何をぼさっとしている!マヌケめ!早くかまえろ!』
罪悪感に呑まれかけたところでホメロスさまに叱咤され、ようやく初動。
それを差し引いても動きが誰よりも遅くなってしまうのは、単純にこの中で私が、一番弱いからだ。
とはいえ全員が全員、そもそも速すぎる。万全の状態で戦闘に入ったとしても、私に追いつけていたのだろうか?
経験が深く、このため誰よりもアンテナが広いゴリアテさん。それを補って余りあるほどの反応速度を見せる盗賊と海賊の兄妹。
……それに引き換え、得意の高速詠唱をもってしても最初のピオリムの口上が完成したのは、彼らが本格的に交戦を開始してからだ。
「うわ、こっちきた!」
「エルザ、無理に戦うな!呪文を優先してくれ!!」
わかっている!わかっちゃいるけども!
カミュくんの言い分が正しいと理解できつつも、到底対応しきれない。
襲い来る骸骨の戦士たちの斬撃をいなしつつ、どうにかスキを見つけては火炎切りを繰り出していないとならないのだ。
これを最優先で行わなければ、次の瞬間に斬られているのは自分の方。
必要最小限の自衛で手一杯になるほど、次々と湧き出るモンスターは、とにかく数が多すぎる。
「クソ、こいつらどこに隠れてたってんだよ!こんなに!一体!?」
黄金色のツメを壁に設置された松明で煌めかせながら、マヤちゃんがそんな疑問を口にする。ウイングブロウ、タイガークロー、サイクロンアッパーと、次々と惜しみなく、アクロバットな特技の数々をまるで見本市のように繰り出す。
その度に魔物たちが弾き飛ばされる様は見ていて爽快だが、あの調子では早晩魔力も体力も枯渇しそうだ。
…もちろん本人に自覚がないわけではないだろう。けれど焦燥感で開いた瞳孔が物語るとおり、出し惜しみなどしていられない状況なのだ。
「わからないわ!いくら何でも多すぎる…こんなこと、初めてよ!」
相手が多いことからゴリアテさんの戦い方は剣ではなくムチを用いたものになっている。
女王のムチを駆使して敵をまとめて魅了。魔物の同士討ちを狙いつつも、動きを止めた相手からアモーレショットやジャスティスで確実に撃破。
以前からアタッカーをする際は派手な立ち回りを好む彼だが、今回は一層その傾向が強い。その理由は余裕がないからに、他ならない。
「一つ言えるとすれば、コイツらを倒さなきゃ先に進めねえってことだろうな!」
ゴリアテさんの手が回らないモンスターは、カミュくんのブーメランの餌食になる。デュアルカッターを絶え間なく打ち出すその神技は、何気に旅芸人の技術と酷似している気がした。その吸収力の高さと柔軟性こそが、彼の何よりの強みだと思う。
しかしながらその才覚を以てしても、完全に魔物に先手を取られた現状の打破は難しかった。
「それにしても数が多すぎる!とてもバフまで回らないよ!」
みんなより実力が落ちる私だって、決して暇なわけではない。対応力の底上げを期待したピオリムは辛うじてかけられたが、バイキルトとスクルトがまだだ。
けれど、みんなが長く立ち回れるように、魔力を配って回るのが先だ。
エンジン全開の強者たちの面倒を見る労力は尋常じゃない。もちろん、魔物との直接的な交戦も続けながらの負担はあまりに大きい。
いつまで続くかわからない大乱闘に、まだ余裕を保つ私の魔力も、枯渇の予感を覚えて不安になる。……ここさえ切り抜けられれば、後はどうにでもなるとわかっていても、暗く重い塊が胃にもたれかかって吐き気がした。
なんとかならないの、ホメロスさま。と剣の霊に思念で問いかけるが答えはノーだ。いや、正しくは不可能ではないそうなのだが。
『愛しのゴリアテ殿の目の前で…オレに身を預けられるのか?』
と言われてしまってはどうしようもない。そんな覚悟なんて一番できるわけがなかった。
ドルマ系呪文はこんな大混戦で扱えるほど使用に慣れていないし、何より消費魔力が大きすぎる。
そんな余裕があるなら、さっさと誰かに渡してしまうべきに決まっている……けれど!
腹立たしいまでの焦りと堂々巡りが、剣にブレを生じさせる。
骸骨剣士が息切れを起こし始めた私を視界に捉え、あざ笑うように顎に角度をつけた。
「エルザちゃん、それならアタシも補助にまわるわ!アナタはMPパサーに集中して!」
不意に、妙に人間臭い態度を取ったその骸骨頭が、剣の柄で殴らたせいで横に吹き飛ぶ。
敵をほとんど力づくでなぎ倒したゴリアテさんが、横に並んできた。その雄姿は、泣きそうになるほど好きな、頼りがいのあるいつものスタイル。
ケンカしてるのに、守ってくれて……幼稚な理由で拗ねていた自分が、本当に嫌になる。
とはいえ。罪悪感に浸るのは後にするべきだと最大限の努力のもと最低限の分別をつけ、頷き、プラチナソードの切っ先から魔力の塊を打ち出す。
当然攻撃呪文ではないそれを、静かに体内に取り入れた彼のリベホイ厶が、今度は私に返ってくる。
逃げに徹した戦闘のおかげで、まだほとんど無傷であるにも拘らずこの回復呪文がくるということは、この先私にはあまりかまっていられないという意味に他ならない。
「ありがとう。…ゴリアテさん。あとで、ちゃんと謝るから」
「…世話が焼ける子ね。待ってるわ」
ずいぶん久しぶりに、ゴリアテさんが笑いかけてくれた気がする。それにあわせてかけてもらった短い言葉が、再び私の胸を熱くした。
私は彼を信じているし、……きっと彼は私を信じてくれる。
それさえわかって、納得できたならアンデッドマンだろうがスケアフレイルだろうが、敵じゃないほど私はどこまでも戦える。
そんな気が強く、強く、
……したのだ。そのはずだった。
「エルザ!」
不意に身体を強く突き飛ばされた。
きっと私の思いなんかより、よっぽど強く、強く。今絶対にそうするべきだという意志以外、それこそ何も気にせず、優しさなんてものもどこにも介在し得ない。
間違いなく、これまで彼が与えてくれた痛みの中で、一番……もとい圧倒的に、ショッキングな部類だった。
一気にバランスを欠きながらも、それでもなんとか踏み止まる。転ばなかったのは幸なのか不幸なのか……わかりたくもない。
なんで、どうしてこうなったかということも含めて、脳が一瞬五感すべての情報を拒絶した。
……ただ、ゴリアテさんに呼び捨てにされたのはこの時が初めてだと、体勢が崩れ倒れゆく彼を見つめながら私は場違いにそれだけを思った。
「うそ…?」
ようやく意識が現状の処理を始める。
ゴリアテさんの意外なまでに分厚い、いつも私を優しく抱きしめてくれる胸に細長い棒が突き立っている。そこから赤黒い液体がじわじわと染み出して、赤白のストライプ模様の前衛的な服を台無しにしていた。
「ゴリアテさん?」
知りたくなかった……あらゆる意味で。
特に、苦痛に歪む彼の顔なんて!まだ絶命はしていない、とは言っても、そんなことは言っても、その終わりに向かって顔色がみるみる白くなってゆく。
その過程なんて知りたくもなかった!!!!
「ゴリアテさん!!!!!」
返事は、ない。
「……い、や………!」
できるはずもない。
それほどまでの重体だと一目見れば、嫌でもわかった。
「……いやああああああああああ!!!!!!」
だから、思わず絶叫した。
せずにはいられなかった。
当然だった。
涙が溢れる。私に回復呪文は唱えられない。
手持ちの回復薬がないわけではないが、こんな大怪我を癒せるようなものでは到底ない。
それでもアモールの水をなんとか飲ませようとする。いつでも活発な人物であるはずのゴリアテさんは見る影もなく、すでに水を嚥下することもできなくなっているらしい。瓶の口を咥えさせようとしてもまるで無反応だった。それでも無理矢理飲ませようとしたけれど――急速な体温低下のせいで紫に変色した唇を少し濡らしたところで、諦めざるを得なかった。無駄に負担を強いるだけだと、気づく。
とにかく、手の施しようがなかった。私はもちろん、カミュくんやマヤちゃん。…多分ゴリアテさん自身も。
「だ…大丈夫よ、エルザ、ちゃん…」
それでもなんとか……いや、絶対に無理矢理にだ。苦しそうに笑うゴリアテさんの手が弱々しく光る。
「リホイミ、くらいは……まだ、なんと、か。…でき…る、わ」
肺を傷つけただろうに無理をして喋って、……呪文まで使ったからだろう。どす赤い喀血が私の胸元を汚す。
気にしていられるか、だって限りなく危険な……最悪の状態なのだ!
…たった一本の、あんな矢のせいで!!
「エルザちゃ、ん…。まも、ま、まものは…」
「こんな時にまで、気遣わないでよぅ……」
ボロボロと涙が止まらないが、ゴリアテさんの言も無視はできない程度には冷静さを取り戻す。…あのとにかく数が多かった魔物たちだが、こちらに襲い掛かってくる気配はない。
それどころか、いつの間にか姿さえ消していた。
ややあって戦闘を終えたカミュくんとマヤちゃんが駆けつけてくる。
「シルビア!くそ、なんでこんなことに!」
「…私のせいなの。…私を庇って、それで」
彼らが状況を把握する頃には、ゴリアテさんは苦しい雑音交じりの呼吸を繰り返すだけで、もはや本当に喋ることすらできなくなっていた。
「兄貴、これ絶対毒状態だぜ。矢を抜いちゃダメかな」
「…やめとけ。血が噴き出して、それこそ死んじまう」
人の死に直面するのは初めてなのかも知れない。眉根を弱々しく寄せたマヤちゃんが、泣きそうになる。
常人であればとうに死んでいるだろう大怪我だが、ゴリアテさんはかろうじてとはいえ、今の所命を繋いでいた。驚異的な生命力としか言いようがないが、同じ以上の苦しみが今彼を襲っているに違いない。歪みきった表情が、それを何より雄弁に物語っていた。
「アイツがいればこんなことになんか……ちくしょう…!」
カミュくんが怒りと悔しさを滲ませながら、衝動的に落ちていた小石を蹴る。自他ともに認める勇者の相棒である彼ですら、できる応急処置といえば私と大差ない。
いずれにしても、このままではゴリアテさんは半刻も持たないことは明白だ。
しかしカミュくんと協力するにしても、大柄な彼を抱えて運び出すには、すでにダンジョンを奥深くまで進みすぎていた。
順調に探索が進んでいたことを、これほどまでに恨んだことはない。
圧倒的な無力感に完全に支配され、私はもはや涙を流すことしかできなくなっていた。
弱弱しく、彼の名前だけ呟きながら。