だいなし
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
人気のない、路地裏の小汚い樽の上に私は座らされている。
真っ白なマスカレイドスーツが汚れてしまう、と場違いに思ったが、口に出すほどのことでもなかった。
「……もういい加減泣き止め。いかにもボクが泣かせたみたいじゃないか」
「ごめん…」
それでも涙が止まらない。気持ちこそ落ち着いていたが。
こういう時シルビアさんならハンカチをくれそうだが、ハンサムはその手の気までは利かせてくれないらしい。
偉そうに腕を組み、仁王立ちでこちらを見据えている。
「聞いて……くれる…?」
「嫌だと言っても話すだろ、お前は」
「嫌でも聞き出すくせによく言うよ…」
ひくっ、と一度大きくしゃくりあげる。
直後の息苦しさをやり過ごし、涙はもう捨て置いて喋ることにした。
「シルビアさん」
「ついに振られたか?」
少しだけ上ずった質問に、首を振った。からかうなと怒る元気はさすがになかった。
「邪神を、倒しにいった。勇者様たちと一緒に」
ハンサムが緊張感で息を呑むのがわかった。この人も勇者様たちとはそれなりに関わりがあるらしい。
私が言った言葉が何を意味するのかは、ある程度察しがついたのだろう。邪神という言葉の詳細を私に聞くこともなく、そうかとだけ返した。
「それで、お前泣いていたのか。シルビアさんたちが負けてしまうかも、と思って?」
「そんなことは思ってない……けど」
ようやく、涙は止まった。もしくは枯れた。
ぐしっと目を擦る。
およそシルビアさんの影響で色気づいて入れたアイラインが滲んだに違いない。
「悔しいの。最後まで、あの人たちの力になれなかったことが」
口から出てきて、ようやく自分が何で泣いていたのかわかった。
思ってもみないことだった、とまでは言わない。たしかに自分の中にあった劣等感。
…でも仕方ないことだと蓋をして、顔を背けようとしていたことだった。
「あの人たちがどんな辛い旅をしてきたか、正直に言うと知らないの。
……私はちょっとでもみんなの力になりたかった。
そう思って、研鑽を重ねた結果が、昼間から酒なんか呑んでる今に繋がってる!
それが悔しくて、悔しくて……!!」
胸が張り裂けそうだった。
言葉に詰まり、嗚咽を漏らしそうになるのを無理やり両手でせき止める。
無力感、無力感、無力感!
なんだこれ!何が私を呑み込もうとしているのか。わからないけれど、圧倒的な力に抗う気にもなれない。
「……立て。エルザ」
底冷えするような声だった。
初めて、マスク・ザ・ハンサムという男に恐怖を覚える。
その迫力に逆らえず、言われるがままに立ち上がるしかない。
尻についた塵を払う勇気すらもなかった。
じっと見据えてくる仮面のない仮面の男。その殺気は、前回決闘した時の非ではない。
「殺してやる。剣を抜け」
「なっ!?」
言うが早いか短剣を抜き、ゼロ距離に迫ってくる。
早い!
剣を悠長に抜いていたのでは間に合うわけがない。
咄嗟にギラをハンサムの顔面に高速詠唱。至近距離の光で牽制。
怯んだスキをつき、サイドステップを踏む。
着地と同時、利き手は腰に佩いた剣の柄。抜きながら向き直る。
素早いレンジャーに絶対背中は見せてはいけない。
「へえ。咄嗟にそこまで反応できるのか。意外と素早いじゃないか」
「……何のつもり?」
「問答は無用というやつだ」
ハンサムはせせら笑うと、二刀流の短剣の色が闇色に染まり始める。
カミュくんも得意とするヴァイパーファングだということはすぐに察しがついた。
もちろん、優秀なレンジャーである彼のこと。
タナトスハントとのコンボを狙ってくるのは明白だろう。
本当に殺しにきていると、断定するには余りある。
「さあ踊ってもらうぞ、エルザ!!」
ハンサムが一歩を踏み出すスピードが早すぎる。
対抗術であるピオリムの詠唱がそもそも間に合わない。
繰り返し突き出される蛇の牙は、左右に躱すのが精一杯で反撃なんて頭にすらない。
けれどハンサムが言うとおり、躱すことだけはできていた。
……いや恐らく、躱すことを強要されている。体力切れを狙うため、わざと当てに来ないのだ。
「はっ……!くそ!」
片手剣と短剣では、基本的にはリーチが長いぶん前者が有利。
だがしかし、身軽な彼らが得意とすること。
このように懐に潜り込まれてしまえば、盤面は容易くひっくり返ってしまう。
つまり、反撃のスキがない。
「ふっ。エルザ。もうわかっているだろうが、体力ではボクが勝る。
お前が足を止めた時が終わりだ。いつまでも付き合ってやるぞ?」
「調子にぃ…乗るなぁ!!」
とっくに息があがった身だけれど、詠唱はどうにか成功したようだ。得意の捨て身。
イオラを自分にぶつけて、爆風を物理攻撃に仕立て上げる。皮膚の表面は焼け焦げるが、毒のナイフよりはきっとマシだ。
「はっ。さすがボクのライバルじゃないか。褒めてやる」
魔法に対する耐性ではハンサムの方が予想通り劣るようだ。
爆心地にいたのは私だけれど、傷は彼の方が深い。あちこちに火傷をすでに作っている。
弾けとんだ瓦礫で切ったのだろう、赤くなった頬をぬぐうと、そこがきれいになった。回復呪文を唱えたらしい。
その隙は無駄にしない。今度こそピオリムを唱え、次の打ち合いに備える。
「あなたが、何を考えてるか知らないけど…」
ハンサムが再び襲いかかってくる。今度は短剣を、自分の剣で受け止めることができた。
…が、やはりバイキルトがないと厳しく、集中力を振り絞り唱える。
ほどなくして攻撃力倍化の呪文が、ハンサムの短剣を振り払った。
「私は負けない!!」
殺すつもりで挑まねば獣には勝てない。はやぶさ斬りを使うことを躊躇う気はなかった。
短剣の片方を弾かれ、丸腰を演じる羽目になったハンサムを見据え、剣を振り上げる。
「甘いんだよ!」
「うぁ……?」
キバはそれまでのスピード感に比べれば、はるかにゆっくりと食い込んだ。
どこから出現したのか。
二頭の狼が私の脇腹の左右に、それぞれ噛み付いている。
燃えるような痛みが、猛然と湧き上がってきた。
「ああああああっ!?」
悲鳴があがる。ゆらっと狼が煙のように消えたが、そんなことはどうでもいい。
傷口の痛みが、これまで味わったことのない部類のもので、どうしたらいいのかわからずパニックを起こして叫ぶ。
血液がこぷこぷと漏れ出し、死という言葉が強く私を襲った。
「……ちょっと本気を出せばこうだ。エルザ。お前は、ボクにすら勝てない」
ゆっくりと短剣が迫る。闇色ではない。
すでに戦意を喪失した相手にはもはや必要ないことだからか。ハンサムは淡々と語る。
「それでシルビアさんの……勇者たちの力になる?思い上がりもたいがいにしておけよ」
冷たい怒りが眉間を指した。抵抗する意思はもうない。
ただ、切っ先をバカみたいに見つめることしかできなかった。
そんな私を見て、ハンサムは静かに〆る。
「無力を嘆く権利はない。今のお前には」
膝から崩れ落ちていく私を、ハンサムはあろうことか抱き止めた。
呟くように淡々と詠唱するのは……ベホイミか。
傷が癒えていく。
シルビアさん以外の男の腕の中にいることが屈辱的過ぎて、身体が震えて、また涙が出てくる。
それ以上に悲劇のヒロインにすらなれない自分が腹立たしかった。
「……ねえ、ハンサム。私、目標……なくなっちゃった」
「また作ればいいだろ…、そんなもの」
呆れたように、ぼそっと言う。
優しいんだか、優しくないんだか。
「ごめん」
「ああ」
「……もう、大丈夫」
新しい目標か。……そうだ。昔断念した将来の夢を、もう一度追うのも良いのかもしれない。
シルビアさんが強くて、きらきらしている原因のひとつは夢に向かって邁進しているからだし。
いっそまねっこしてみようか。
具体的な強さの象徴を頭に浮かべる。それだけで少しだけ、前向きな気分になった。
そのきっかけをくれたハンサムには感謝しないといけないだろう。
「ありがとう」
「は?何離れようとしてるんだお前」
さりげなく逃げようとした。
観察眼が鋭いハンサムには即バレ、しかもなぜか許されない。
ぎゅっと、腕に力を込められてしまう。
「こうした方がお前はズタボロに傷つくだろ。それでシルビアさんに近寄らなくなるなら、ボクはそっちの方がいい」
かちん。特に何かを期待したわけじゃないが、選りすぐりの挑発ワードをもろに受け、私の中で何かがキレる。
やっぱこいつ、私のライバルだ!ちょっとでもいいやつかもって思った私がバカだった!!
「もうほんと嫌い!!ほんとハンサム嫌い!!!!」
イオラを唱える。
当然自分も爆発に巻き込まれるが、ハンサムなんかの腕の中にいるダメージに較べれば気にもならない。
緩んだ隙をつき、逃げ出す。いつの間にか取り落としていた自分の剣を拾い、構えた。
「まだ私は負けてない。…続けよう!マスク・ザ・ハンサム!」
「はっ。もう一度泣かせてやる」
獣のような凶悪な笑みを浮かべ、身体を煤けさせたハンサムは短剣を再び手に取る。
「まだまだ踊ろうじゃないか、エルザ。お前と戦うのは……楽しい」
返事の代わりではないけども、口元が吊り上がる。
きっと今の彼と似たような表情だろう。
まったくの同感だ。
瓦礫を踏み潰し、蹴りだす。剣を交える。
この戦いは、まだまだ終わりそうにもない。