サウダージ
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物心すらつかないうちに親に捨てられ天涯孤独の私だが、昔考えてから物を言えと叱られたことがある。まだデルカダールのスラムにいた頃だ。
あそこは貧しさに擦れてこじらせどうしようもない大人が大半だったが、それでも良心が存在する者も少なくなかった。
こういう人たちのお陰で子どもも(私みたいに運が良ければ)そうひどく搾取されずかつまともな人間としてなんとかやってこられたんだと思う。
…これはいつだったかそんな親切な大人に叱られた時に言われた言葉だった。
ってやだなこれ、まるで走馬灯みたいだ。昔を懐かしんであの頃はよかったなぁなどとちょっぴりセンチメンタルになっちゃうアレ。
いやもう完全に死ぬ寸前。
と言っても肉体は申し分ない。
しかし精神的には虫の息だ。
「エルザちゃん…」
「はい」
「今、なんて」
シルビアさんは呆気にとられたような、頭が追いついていないようなそんな顔をした。
別に昔スラムで叱咤された時のような、そういうあまりにも失礼なことを言ったわけではないと思う。
ただダーハルーネで自由行動とした中、二人きりのお茶の席。旅芸人らしく豊富すぎるストックから面白おかしい冗談ばっかり言うシルビアさんの笑顔があまりに美しくて素敵で、ついぽろりと本音が出てしまったのだ。
やっぱり好きだなあ。って。
絶対伝えることはないとすら思っていたことを言ってしまい、びっくりしてとっさに両手で口を押さえた。
それがいけなかったのかも知れない。
シルビアさんもその一種の過剰反応にまるで驚きを隠せていなかったし、聞かざるを得なくなったということだろう。
そうでなければきっと彼だってなんとなくスルーしてくれていたはずだ。
「ごめん。聞かなかったことにしてもらえる、今の」
「…エルザちゃんがそう望むなら」
「ありがと、ごめん」
妙な失言をしてしまったせいで気まずくなったというのがわかる。自分の紅茶を飲む手が、微かに…でもあきらかに震えていた。
さすがにシルビアさんの方はそういうことはなかったけれど、それでも先ほどまでのよく回る口が嘘のように働かなくなっている。
完全にやってしまった。
……溢れた水をなんとかかき集めたかったけれど、やっぱり能わず。それどころかついて出た謝罪のせいで、更に空気を悪くしてしまった。
せっかく気軽でおいしくて評判のいいお店なのよ、とシルビアさんが連れてきてくれたのに台無しだ。本当に申し訳なくなる。
「謝らないで。その、…ちょっと驚いたけれど」
「ごめん、言うつもりはなかったの。本当に…」
全く、これっぽっちも。叶いっこない感情なんて心の奥深くにしまっておくに限るというのに。
そして聞かなかったことにしてというお願いは早速反故にされていたが、気にもならなかった。動揺で一気に飲み干したお茶はまるで味も香りもしない。
震えた手つきでカップとソーサーが乱暴にぶつけられ、がちゃんと抗議の悲鳴をあげる。
「あっ、ごめんなさい…」
「エルザちゃん…」
もはや自分でも誰になんで謝っているのかわかっていなかったように思う。
「ごめん。謝らないでって言われたばかりなのにね」
だめだなぁと自嘲。
なんでここまで自分が動揺する羽目になったのか、そしてそれをここまで無様に面に出せたのか考える。明白だった。
私は自分がシルビアさんを好きだということを認めることができなかった。これに尽きる。
身分違いの恋だとか相手がおネエさまだからとか、色々手前勝手な理由をつけて自分の感情に向き合わなかった結果がこの失言なのだろう。
だったらきちんと言葉を用意して、振られることを覚悟して告白した方が気持ちとしてはまだマシだったに違いない。
くだらないたらればに支配された自覚もあって、落ち込むしかなかった。
「…そう。まさしくこんな感じよ」
涙さえ溢れそうになる私をじっとシルビアさんは見据える。
何が、と聞き返すと彼は手を組みそこに顎を乗せた。
「アタシの好きな子」
唇は柔らかく弓形に。
意味がわからないけれど少なくとも、追い打ちはかけられているという直感のみ生まれた。
ようやく自分の気持ちを理解したそばから絶望に叩き落とされた、と言っていい。
でも、せめて。
「あんまり、聞きたくないなあ、そういう話は」
抵抗を見せる。
「あら、なんで?だってアタシ何も聞いてないのよ?ただ、今アタシは恋の話がしたいの。それもエルザちゃんとね」
完全に屁理屈だったが、反論できなかった。
余裕の笑みを変わらず浮かべているシルビアさんが少しいやかなり意地悪に感じたけれど、実際は多分逆。
彼は彼の持ちうる最大限の慈悲を持って、私に引導を渡してくれようとしているのだ。口には出さないが、きっとこんなところ。
アタシ、アナタと付き合うことはできないの。たとえどんなことがあっても振り向くことはないから、早く忘れて次の恋にいきなさい。
そういう曖昧にせず、突き放す優しさ。間違いなくその手のやつ。
シルビアさんはいい意味で曖昧な性格を持ちながら、必要な面では割った竹のようにひどくはっきりしていた。それこそブレたところなんて見たことがない。
誰にでも優しくて容姿も美しくて、何よりそんな性格がステキすぎて。だから好きになったのだけど、それはともかく。
……ともかく、今はこの生き地獄をどう切り抜けるか。そういうテーマの方がよほど重要。
とはいえこれからの流れを予想できたおかげで、かえって外面ではなんとか笑みを作ることができた。
不自然になったら嫌だから、深呼吸は心の内側でする。すーはー。無理矢理に落ち着きを取り戻す。
今日は初恋の供養にたくさん呑んで泣こう。やはりそして今度こそ内心で呟きながら、僅かに身を乗り出す。
「私としたいの。シルビアさんに言われたんじゃしょうがないよね。…いいよ、聞くよ。その子、どんな子なの?」
肚は決まった。少なくとも私はそんな顔をしてみせた。そういう取り繕いは本来得意分野だ。先ほどは失敗したけれど、とにかく。得意なものは得意なのだ。
具体的な態度。かわいい女の子のかわいいわがままに付き合うイメージ。いや相手はおとめとはいえおっさんだしそもそもそんな大げさで嫌味な話ではないけれど。
「そうねぇ…。まず、とってもかわいいの。アタシのことを姉のように慕ってくれる、そんなけなげな子」
そんなの、私だって。言いかけ、わざと舌を噛んでまでなんとか踏みとどまる。先ほどの反省がなければ言っていたかも知れない。
さすがのシルビアさんも、私の内心でどう思ってるかなんて気づかぬまま話を続ける。
「それでね、その子。何事も一生懸命に取り組むのは良いんだけどね、大抵何かしら無茶しちゃうのよ。
身の丈に合ってるかどうかすらも考えずに、常に全力投球。
だからこっちも心配になってね、ついおやめなさいなんて言っちゃうのだけど、そういうのは無視するの。…変な所で流されないっていうか、自分で決めたことはなんとしてでもやり遂げたいのでしょうね」
「何か…すごい人ですね」
「そう。良く言えば芯が通っている。悪く言えば面倒な子ってところかしらん」
面倒。その言葉とはおよそ縁がなさそうなシルビアさんをしてそこまで思わせる彼の『好きな子』は、ある種特殊な人間と言えるのかも知れない。
最初こそシルビアさんの口から語られる彼(女かもしれない)の存在に嫉妬したが、今は逆に興味の対象とすらなりつつあった。
「シルビアさんがそこまで言うってことはよっぽど面白い人なんだろうね。…少し会ってみたいかも」
「必要ないわよ」
「なんで?その人が素敵だから?もしかして、ライバル増えるって思ってる?」
そんなわけないのに、と若干思いながらあくまでもおどけて小首を傾げてみせる。
シルビアさんは柔らかな笑みを崩さない。蕩けるような、慈しむような。
そんな魅惑の表情を、『好きな人』ではなく私になどに向けても良いのだろうか。
「そうじゃなくてね。エルザちゃんもよく知ってる人だから」
マジ?と聞き返しつつ脳内のシルビアさんとの共通の知り合いリストを素早く起動する。
まさかグレイグさまとかがライバルじゃないよなあの方地位も名誉も実力もあれば微妙に抜けててて可愛げらしきものもあるしシルビアさんも喜んで面倒とか見そうだしまるで勝てる気がしない。まるで勝てる気がしない!
いや勝ち負けとかじゃないし……、というかそんなことを言い出す時点ですでに負けている。
「ね、エルザちゃん」
内心で冷静にあわてふためくという矛盾を犯しているけれど、シルビアさんは当然お構いなしだ。そしてとどめを刺しておいてなお甘い視線をもってオーバーキル。うるさく鳴る心音が、まだワンチャンスあるのではないかとありえないことをほざく。ないから。諦めて恋心よって。青い期待は私を切り裂くだけだって歌もあっただろ。期待しちゃだめだ。
「アタシ、エルザちゃんに当ててほしいの。アタシの好きな人」
え、と聞き返した。
彼の言動の意味と……意図を理解するまでにかなり時間がかかった。
ただ、シルビアさんは私が思っている以上に残酷な人なんだなと思った。というか、思い込もうとした。
そうでなければ、だって、そんな、だって!
「えー!そこまで言っておいてひどいよぉ。教えてよ!」
女友達の仮面を身につけ女子会の服を着て、ぬけぬけとそんなことを言って都合よく彼の言葉を解釈しようとする自分を、必死で制する。
なんともまあ面の皮の厚いことだが自嘲はしない。素直じゃない多少澱んだ生き方だがそれなりにプライドはあるから、それをあくまでも貫く。
そうでないと、本当に勘違いしてしまうのだ。
「イヤよ。だから面白いんじゃない」
そんな私などお構いなしにうっとりとシルビアさんは酔ったようなことを言う。
ところが実際のところ彼はシラフ。
でもその瞳はきらきらとしつつもとろりとしていて、『酔っている』と表現することが、まさしくぴったりで。
「…シルビアさん、最近マルティナさんから変な影響受けてない?」
「そんなことないわよ!…っていうか」
「ていうか?」
「今はマルティナちゃんは関係ないわ。こうしてエルザちゃんが向かい合ってるのはアタシ。…だから」
なぜこの人はそんなきれいな笑みをよりによって私に向けるのだろう。
「早く当ててちょうだい」
いや、わからないわけではなかった。むしろ察しは良い方という自負はあるし、そうでなくても明らかに私は誘導されている。
もしかして万が一にも、ではなく私は彼から好意を向けられているのかも知れない。そうならどれだけ幸せだろう!!
けれども口を滑らせた手前その答えを出し、あまつさえ受け容れる準備は私には到底できていなかった。
「ごめん!ちょっと!タバコ吸ってくる!」
吸ったことないけど。言い訳にならない言い訳をして席を立つ。椅子がずりぃっ!とこれ以上なく空気を読まない音を立てたが――気にできるかそんなこと!
そして少し慌てたシルビアさんが制止するのもほとんど耳に入らなかった。でもこれはしょせん小休止。
またいずれ覚悟を決めて戻らないといけない。
「どうしよう、まじで……」
洩れる独り言とともに、急激に頬どころか体中が熱を帯びていくのがわかる。
今まで食らったどんなものよりも強烈な混乱攻撃、あるいは魅了攻撃に違いなかった。
あそこは貧しさに擦れてこじらせどうしようもない大人が大半だったが、それでも良心が存在する者も少なくなかった。
こういう人たちのお陰で子どもも(私みたいに運が良ければ)そうひどく搾取されずかつまともな人間としてなんとかやってこられたんだと思う。
…これはいつだったかそんな親切な大人に叱られた時に言われた言葉だった。
ってやだなこれ、まるで走馬灯みたいだ。昔を懐かしんであの頃はよかったなぁなどとちょっぴりセンチメンタルになっちゃうアレ。
いやもう完全に死ぬ寸前。
と言っても肉体は申し分ない。
しかし精神的には虫の息だ。
「エルザちゃん…」
「はい」
「今、なんて」
シルビアさんは呆気にとられたような、頭が追いついていないようなそんな顔をした。
別に昔スラムで叱咤された時のような、そういうあまりにも失礼なことを言ったわけではないと思う。
ただダーハルーネで自由行動とした中、二人きりのお茶の席。旅芸人らしく豊富すぎるストックから面白おかしい冗談ばっかり言うシルビアさんの笑顔があまりに美しくて素敵で、ついぽろりと本音が出てしまったのだ。
やっぱり好きだなあ。って。
絶対伝えることはないとすら思っていたことを言ってしまい、びっくりしてとっさに両手で口を押さえた。
それがいけなかったのかも知れない。
シルビアさんもその一種の過剰反応にまるで驚きを隠せていなかったし、聞かざるを得なくなったということだろう。
そうでなければきっと彼だってなんとなくスルーしてくれていたはずだ。
「ごめん。聞かなかったことにしてもらえる、今の」
「…エルザちゃんがそう望むなら」
「ありがと、ごめん」
妙な失言をしてしまったせいで気まずくなったというのがわかる。自分の紅茶を飲む手が、微かに…でもあきらかに震えていた。
さすがにシルビアさんの方はそういうことはなかったけれど、それでも先ほどまでのよく回る口が嘘のように働かなくなっている。
完全にやってしまった。
……溢れた水をなんとかかき集めたかったけれど、やっぱり能わず。それどころかついて出た謝罪のせいで、更に空気を悪くしてしまった。
せっかく気軽でおいしくて評判のいいお店なのよ、とシルビアさんが連れてきてくれたのに台無しだ。本当に申し訳なくなる。
「謝らないで。その、…ちょっと驚いたけれど」
「ごめん、言うつもりはなかったの。本当に…」
全く、これっぽっちも。叶いっこない感情なんて心の奥深くにしまっておくに限るというのに。
そして聞かなかったことにしてというお願いは早速反故にされていたが、気にもならなかった。動揺で一気に飲み干したお茶はまるで味も香りもしない。
震えた手つきでカップとソーサーが乱暴にぶつけられ、がちゃんと抗議の悲鳴をあげる。
「あっ、ごめんなさい…」
「エルザちゃん…」
もはや自分でも誰になんで謝っているのかわかっていなかったように思う。
「ごめん。謝らないでって言われたばかりなのにね」
だめだなぁと自嘲。
なんでここまで自分が動揺する羽目になったのか、そしてそれをここまで無様に面に出せたのか考える。明白だった。
私は自分がシルビアさんを好きだということを認めることができなかった。これに尽きる。
身分違いの恋だとか相手がおネエさまだからとか、色々手前勝手な理由をつけて自分の感情に向き合わなかった結果がこの失言なのだろう。
だったらきちんと言葉を用意して、振られることを覚悟して告白した方が気持ちとしてはまだマシだったに違いない。
くだらないたらればに支配された自覚もあって、落ち込むしかなかった。
「…そう。まさしくこんな感じよ」
涙さえ溢れそうになる私をじっとシルビアさんは見据える。
何が、と聞き返すと彼は手を組みそこに顎を乗せた。
「アタシの好きな子」
唇は柔らかく弓形に。
意味がわからないけれど少なくとも、追い打ちはかけられているという直感のみ生まれた。
ようやく自分の気持ちを理解したそばから絶望に叩き落とされた、と言っていい。
でも、せめて。
「あんまり、聞きたくないなあ、そういう話は」
抵抗を見せる。
「あら、なんで?だってアタシ何も聞いてないのよ?ただ、今アタシは恋の話がしたいの。それもエルザちゃんとね」
完全に屁理屈だったが、反論できなかった。
余裕の笑みを変わらず浮かべているシルビアさんが少しいやかなり意地悪に感じたけれど、実際は多分逆。
彼は彼の持ちうる最大限の慈悲を持って、私に引導を渡してくれようとしているのだ。口には出さないが、きっとこんなところ。
アタシ、アナタと付き合うことはできないの。たとえどんなことがあっても振り向くことはないから、早く忘れて次の恋にいきなさい。
そういう曖昧にせず、突き放す優しさ。間違いなくその手のやつ。
シルビアさんはいい意味で曖昧な性格を持ちながら、必要な面では割った竹のようにひどくはっきりしていた。それこそブレたところなんて見たことがない。
誰にでも優しくて容姿も美しくて、何よりそんな性格がステキすぎて。だから好きになったのだけど、それはともかく。
……ともかく、今はこの生き地獄をどう切り抜けるか。そういうテーマの方がよほど重要。
とはいえこれからの流れを予想できたおかげで、かえって外面ではなんとか笑みを作ることができた。
不自然になったら嫌だから、深呼吸は心の内側でする。すーはー。無理矢理に落ち着きを取り戻す。
今日は初恋の供養にたくさん呑んで泣こう。やはりそして今度こそ内心で呟きながら、僅かに身を乗り出す。
「私としたいの。シルビアさんに言われたんじゃしょうがないよね。…いいよ、聞くよ。その子、どんな子なの?」
肚は決まった。少なくとも私はそんな顔をしてみせた。そういう取り繕いは本来得意分野だ。先ほどは失敗したけれど、とにかく。得意なものは得意なのだ。
具体的な態度。かわいい女の子のかわいいわがままに付き合うイメージ。いや相手はおとめとはいえおっさんだしそもそもそんな大げさで嫌味な話ではないけれど。
「そうねぇ…。まず、とってもかわいいの。アタシのことを姉のように慕ってくれる、そんなけなげな子」
そんなの、私だって。言いかけ、わざと舌を噛んでまでなんとか踏みとどまる。先ほどの反省がなければ言っていたかも知れない。
さすがのシルビアさんも、私の内心でどう思ってるかなんて気づかぬまま話を続ける。
「それでね、その子。何事も一生懸命に取り組むのは良いんだけどね、大抵何かしら無茶しちゃうのよ。
身の丈に合ってるかどうかすらも考えずに、常に全力投球。
だからこっちも心配になってね、ついおやめなさいなんて言っちゃうのだけど、そういうのは無視するの。…変な所で流されないっていうか、自分で決めたことはなんとしてでもやり遂げたいのでしょうね」
「何か…すごい人ですね」
「そう。良く言えば芯が通っている。悪く言えば面倒な子ってところかしらん」
面倒。その言葉とはおよそ縁がなさそうなシルビアさんをしてそこまで思わせる彼の『好きな子』は、ある種特殊な人間と言えるのかも知れない。
最初こそシルビアさんの口から語られる彼(女かもしれない)の存在に嫉妬したが、今は逆に興味の対象とすらなりつつあった。
「シルビアさんがそこまで言うってことはよっぽど面白い人なんだろうね。…少し会ってみたいかも」
「必要ないわよ」
「なんで?その人が素敵だから?もしかして、ライバル増えるって思ってる?」
そんなわけないのに、と若干思いながらあくまでもおどけて小首を傾げてみせる。
シルビアさんは柔らかな笑みを崩さない。蕩けるような、慈しむような。
そんな魅惑の表情を、『好きな人』ではなく私になどに向けても良いのだろうか。
「そうじゃなくてね。エルザちゃんもよく知ってる人だから」
マジ?と聞き返しつつ脳内のシルビアさんとの共通の知り合いリストを素早く起動する。
まさかグレイグさまとかがライバルじゃないよなあの方地位も名誉も実力もあれば微妙に抜けててて可愛げらしきものもあるしシルビアさんも喜んで面倒とか見そうだしまるで勝てる気がしない。まるで勝てる気がしない!
いや勝ち負けとかじゃないし……、というかそんなことを言い出す時点ですでに負けている。
「ね、エルザちゃん」
内心で冷静にあわてふためくという矛盾を犯しているけれど、シルビアさんは当然お構いなしだ。そしてとどめを刺しておいてなお甘い視線をもってオーバーキル。うるさく鳴る心音が、まだワンチャンスあるのではないかとありえないことをほざく。ないから。諦めて恋心よって。青い期待は私を切り裂くだけだって歌もあっただろ。期待しちゃだめだ。
「アタシ、エルザちゃんに当ててほしいの。アタシの好きな人」
え、と聞き返した。
彼の言動の意味と……意図を理解するまでにかなり時間がかかった。
ただ、シルビアさんは私が思っている以上に残酷な人なんだなと思った。というか、思い込もうとした。
そうでなければ、だって、そんな、だって!
「えー!そこまで言っておいてひどいよぉ。教えてよ!」
女友達の仮面を身につけ女子会の服を着て、ぬけぬけとそんなことを言って都合よく彼の言葉を解釈しようとする自分を、必死で制する。
なんともまあ面の皮の厚いことだが自嘲はしない。素直じゃない多少澱んだ生き方だがそれなりにプライドはあるから、それをあくまでも貫く。
そうでないと、本当に勘違いしてしまうのだ。
「イヤよ。だから面白いんじゃない」
そんな私などお構いなしにうっとりとシルビアさんは酔ったようなことを言う。
ところが実際のところ彼はシラフ。
でもその瞳はきらきらとしつつもとろりとしていて、『酔っている』と表現することが、まさしくぴったりで。
「…シルビアさん、最近マルティナさんから変な影響受けてない?」
「そんなことないわよ!…っていうか」
「ていうか?」
「今はマルティナちゃんは関係ないわ。こうしてエルザちゃんが向かい合ってるのはアタシ。…だから」
なぜこの人はそんなきれいな笑みをよりによって私に向けるのだろう。
「早く当ててちょうだい」
いや、わからないわけではなかった。むしろ察しは良い方という自負はあるし、そうでなくても明らかに私は誘導されている。
もしかして万が一にも、ではなく私は彼から好意を向けられているのかも知れない。そうならどれだけ幸せだろう!!
けれども口を滑らせた手前その答えを出し、あまつさえ受け容れる準備は私には到底できていなかった。
「ごめん!ちょっと!タバコ吸ってくる!」
吸ったことないけど。言い訳にならない言い訳をして席を立つ。椅子がずりぃっ!とこれ以上なく空気を読まない音を立てたが――気にできるかそんなこと!
そして少し慌てたシルビアさんが制止するのもほとんど耳に入らなかった。でもこれはしょせん小休止。
またいずれ覚悟を決めて戻らないといけない。
「どうしよう、まじで……」
洩れる独り言とともに、急激に頬どころか体中が熱を帯びていくのがわかる。
今まで食らったどんなものよりも強烈な混乱攻撃、あるいは魅了攻撃に違いなかった。