デフォルト名は「柚木八重(ゆずきやえ)」です。
悪魔の花嫁
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昼休みのチャイムが鳴り購買へと急ぐ生徒たちの流れに逆らいながら、八重はあるミッションを遂行するため鞄を抱えてアメフト部の部室に向かっていた。
校舎から出て裏手にある小さな建物に辿り着き、そっと扉を開いて中を覗くと、机に向かった蛭魔が無表情にパソコンと睨み合っている。
その姿を確認した八重は、そおっと彼の近くまで歩み寄って少し大きめなお弁当箱を差し出した。
「蛭魔くん、これ」
「おー、ご苦労」
パソコンから顔を上げて八重の方へ視線を向けた蛭魔は、慣れた様子で片手を伸ばしお弁当箱を受け取るとパソコンを脇に寄せて机の上に広げ始めた。
紆余曲折?を経て蛭魔妖一の専属栄養士となった八重は、まずはお試しとして平日はこうして彼のために用意したお弁当を渡している。
今までは祖母と自分の為にしか料理をしていなかったので、他人…ましてや泥門の悪魔と呼ばれる男の口に合うのかヒヤヒヤしながら渡しているのだが、今のところ蛭魔からは文句を言われていないので少なくとも及第点は貰えているらしい。
今日も無事にミッションを終えた八重は、自分もお昼ご飯を食べるため蛭魔の向かい側に座りお弁当を広げた。
最初の頃は蛭魔へお弁当を渡した後は彼に気を使って教室へ戻っていたのだが、蛭魔から「ここで食ってきゃいーだろ」と言われたため、有難くお言葉に甘えて八重も部室で食べている。
いつものように八重がいただきますと手を合わせてから食べ始めると、その様子を確認した蛭魔も食べ始める。
一緒に手を合わせるまではしないが、食べるタイミングを八重に合わせてくれるあたり、泥門の悪魔と恐れられている蛭魔にも意外と可愛いところがあるんだなぁと微笑ましく感じているのは彼女だけの秘密だ。
「…なにニヤついてんだテメー」
「え、私ニヤついてた?」
不意に声をかけられ思わず頬に手を当てて顔をあげると、胡乱な目でこちらを見つめる蛭魔と目が合ってしまった。
「えっと、今日のお弁当は結構美味しくできたなって思っただけだよ」
まさか貴方のことを可愛いと思っていましたなどと本人に言えるわけがないので、八重は話を誤魔化すために慌ててお弁当に入れていた卵焼きを箸で掴むと彼の方へと差し向けた。
お行儀の悪さは今回に限り見逃していただきたい。
「……ほぉ〜…なるほどねェ〜…」
「すごい、全然納得していませんというのがひしひしと伝わってくる」
「…仕方ねえな。今回はそういうことにしといてやる」
「え? あ、ちょ……」
八重の誤魔化し程度では通用しなかったらしく、眉を寄せ疑わしげな表情でこちらを睨みつけていた蛭魔だったが、いきなり彼女の手を掴んで顔に寄せると自分に向けられていた卵焼きをぱくりと食べてしまった。
「わ、私の卵焼き……」
突然おかずを横取りされた八重は目を丸くして蛭魔を見たが、彼は素知らぬ顔でもぐもぐと咀嚼して飲み込むとニヤリと笑みを浮かべて見返してきた。
「ケケケッ、油断大敵だぜ。……つーか、いちいち俺のと味付け変えてんのか?」
「え? うん、そうだよ。私のは今日ちょっと甘めにしてる。蛭魔くん甘いの得意じゃないでしょ?」
「あー……いや、こんくらいなら別に食える」
「あれ、そうなの? そっか…じゃあ今度から甘めのおかずもメニューに入れちゃおっかな」
蛭魔は普段無糖ガムを好んで食べているので、てっきり甘いものは苦手なのかと思って避けていたのだが、甘めにした味付けも大丈夫なら今後のメニューはもう少し幅を広げることができそうだ。
頭の中にメモをしながら、ふと八重が手元に目をやると、まだ蛭魔に手をしっかりと掴まれたままだったことに気が付いた。
八重の手を軽々と包み込むほどに大きな手。
元々蛭魔は背が高いと思っていたのだが、こうして見ると本当に身体の大きさが違うんだなぁと感心してしまう。
しばしぼんやりと掴まれた手を眺めていると、突然ぎゅっと手を握り直された。
蛭魔の思わぬ行動にハッとして顔を向けると、彼は空いた手で頬杖をつきながら興味深そうな顔でこちらを見ている。
「………急に黙り込んでどーした?ケケッ」
「いや、蛭魔くん…そのお弁当箱で足りてるかなって心配になってきちゃって…量とか足りてる?」
「⸺ア゙ァ?」
いきなり蛭魔からとんでもなく険しい顔で凄まれてしまい、八重は思わずひぇっと声を上げて身を引いた。
手だけでこんなに大きさが違うなら胃袋なんてもっと違うだろうし、運動部で食べ盛りと思われる蛭魔にとって今のお弁当箱は少々小さいのでは…と不安になり聞いてみたのだが、なにか気に触ることを言ってしまったのだろうか。
「っとにテメーはよぉ……ハァーーー…」
「え、え、蛭魔くんどうしたの? 大丈夫?」
蛭魔は頭痛を堪えるような表情を浮かべ、八重から離した手で顔を覆い俯くと、深い深い溜め息を吐き出した。
ただならぬ雰囲気に慌てて立ち上がり声をかけた八重だったが、蛭魔は顔を覆ったままヒラヒラと手を振って俺に構うなとでもいうようなジェスチャーをしてきたので仕方なく着席することにする。
「ねぇ本当に大丈夫…?」
「チッ……なんでもねぇよ。ちょっとオメーのアホさ加減を思い知っただけだ」
「えぇ…また突然の悪口」
「……弁当箱はこれで問題ねえ。あとはまぁ…そろそろ昼飯以外もオメーに頼みてーんだよな…できそうか?」
またもや突然アホ呼ばわりされてしまい一瞬渋い顔をしてしまった八重だったが、蛭魔からの依頼を聞いてすぐに色々と頭の中でメニューを組み立て始める。
お昼のお弁当以外の食事となると、ある程度まとめて作ったものを小分けに冷凍して持ってくる…とかが良いのだろうか。
「うーん…メニューを考えて作るのは全然できるんだけど、作ったものをどうやって渡すかが難しそうだなぁ」
「……オメーが俺ん家きて作れば良いだけの話だろ」
「え、私が蛭魔くんの家に行くの?……それって大丈夫?」
予想外の提案に驚き思わず改めて確認すると、いまだに片手で顔を覆ったままだった蛭魔はゆっくりと手を下げ顔を顰めながら八重を見上げてきた。
「……どーいう意味だ」
「や、だって蛭魔くんて秘密主義っぽいから、お家なんてプライベートな空間に私がお邪魔しちゃっていいものなのかと…」
「へぇ~…俺の身長、体重、筋肉量、体脂肪率、挙げ句の果てにゃスリーサイズまで知ってるクセに、八重チャンは今更なーにを気にしてやがるんだか!ケケケッ」
「!? んんん!その言い方はちょっと誤解を招きそうだからやめて!」
「ケーケケケケケッ!誤解もナニも事実じゃねーか」
不満そうな表情から一転、共有している情報を指折り数えながら楽しそうに笑い声をあげている蛭魔の様子に八重は困り果てて頭を抱えてしまった。
「そ、そうなんだけど…そうなんだけどね? なんで蛭魔くんそんなに楽しそうなの…?」
確かに栄養管理などの都合上、蛭魔のパーソナルな情報を知ってはいるがそういう言い方をされると、まるで八重が怪しい人間…というかハッキリ言うと変態のように聞こえてしまう。
決して変な意味で教えてもらってる訳ではないのに、これは甚だ不本意だ。
しかしまぁ、当の本人である蛭魔が随分と楽しそうなので、もうここは一旦良しとしようと八重は気持ちを切り替えることにした。
「はぁ……まぁいっか。本当に私が蛭魔くんのお家に行っても良いなら、確かにそっちの方が効率いいね」
「じゃあ決まりだな。今週末、予定空けとけよ」
「はーい」
正直、あまり自分のことを多く語らない蛭魔がどんな家で暮らしているのかは興味があるので、仕事だと思いつつも少し楽しみな八重なのであった。
***
「……あれ、蛭魔くんもういる…!?」
待ち合わせの駅に到着した八重が改札を降りると、まだ約束の時間まで20分ほどあるはずなのに既に駅前のベンチに蛭魔が座っているのが見える。
約束を決めた時に蛭魔から「遅れたら罰ゲームな」と言われていたので早めに家を出たのだが…こちらより更に早く到着しているとは。
とりあえずこれ以上待たせるのは申し訳ないと八重は急ぎ駆け足で蛭魔の元へと向かった。
「蛭魔くん、おはよう。待ち合わせって9時だったよね…?」
「おー、早えな。時間は9時で合ってんぞ」
「早いのは蛭魔くんでしょ…ごめんね、待たせちゃった?」
「……いや、そんな待ってねえ。別で用事があったからこの時間になっただけだ」
「そっか、それなら安心。ちなみに…これは罰ゲームの対象になったりする?」
「………………」
「え、なんで黙るの? 怖い怖い」
彼のことなので罰ゲームといってもそこまで酷いことはされないだろうが、流石に時間より前に来たにも関わらず罰ゲームは理不尽がすぎる。
八重が荷物を抱えて怯えていると、黙ったまま立ち上がった蛭魔はニヤリと笑みを浮かべて彼女を見下ろした。
「安心しろ、今回は罰ゲーム免除だ。ケケケッ」
「今回『は』かぁ……」
「ケケケケケ! んじゃ、とりあえず買い出し行くか」
「はーい。一応、調味料なんかは家から持ってきたから、買うのは食材だけで良いと思うよ」
「……わざわざ持ってきたのか」
「だって、蛭魔くん家なにも無いって言うから…」
八重は今日の予定を立てた時の会話を思い出し、遠い目をして溜め息をついた。
あの日、話の流れで蛭魔の家の台所状況を確認したのだが……まさか調味料どころか調理器具さえ無いと言われるとは思っていなかった。
流石の八重もこれはスルーしきれず、勇気を出して普段の食事はどうしているのかと聞いてみると、なんとコンビニや外食などで賄っていると言うではないか。
運動部に所属している男子高校生がそんな食生活だなんて、一体ご両親はなにを……と思い口を開きかけた八重だったが、それは踏み越えてはいけない一線だと思い直し口を噤んだ。
聞けばマンションで一人暮らしだと言うし、なにか複雑な事情があるのかもしれない。
今更ながら、どうして蛭魔が専属栄養士を求めて八重に声をかけたのか…その理由の一端を垣間見た気がして、八重はもっと彼の力になれるように精進するぞと決意を新たにしたのだった。
「……まぁ、調理器具は必要そうなモン買い揃えたんだけどな。調味料はそこまで手ぇ回してねーから助かる」
余計なお世話だと言われるのも覚悟していたのだが、ちゃんと受け入れてもらえて安心した八重がホッと息をついていると、不意に抱えていた荷物を蛭魔に奪われてしまった。
「あ、ちょ……蛭魔くん、それ結構重いよ?」
「……だったら尚更オメーより力のある俺が持ったほうが良いだろーが」
「んん…ぐうの音も出ない正論……じゃあお言葉に甘えてお願いします」
「ケケケッ、最初から素直にそーしとけ」
「うん、ありがと……って早い早い、蛭魔くん歩くの早いよ」
さっさと来い、と奪った荷物を肩に担いで歩き出した蛭魔の背中を八重は慌てて追いかけた。
***
「あ、うちの近所のスーパーよりこっちの方が安い……いいなぁ」
「そんな違うか?」
「違うよ、全然違う。うーん…今度からこっちで買おうかな……いやでも電車代考えたら結果変わんないかな…?」
スーパーに到着し、カートを押しながら色々と物色している二人。
八重は地域差なのか微妙に金額が違うことにむむむ……と考え込んでおり、そんな彼女の隣を歩く蛭魔はというと、全く興味無さそうに手近の野菜を掴んでは眺めている。
「……蛭魔くん、もっと色んな店でお買い物した方がいいよ」
「善処イタシマス」
「ふふ、それ絶対しない人のお返事だ」
蛭魔の隠そうともしないわざとらしい棒読みの返答に、八重がつい笑ってしまうと蛭魔もつられたように ふっと小さく笑い声を零した。
珍しい彼の様子に思わず八重が目を瞬かせて見上げると、まだ目元に笑みの余韻を残した蛭魔と目があった。
ここ最近、蛭魔と話していると時々こんな風に彼の雰囲気が柔らかくなる瞬間がある。
その瞬間に触れるたび、八重は何故か胸の奥の方がぎゅっと締め付けられるような感覚になり、切ないような寂しいような不思議な気持ちになってしまう。
「…………、」
「?……んだよ、俺の顔になんか付いてっか?」
一瞬動きの止まった八重を見て、蛭魔は不思議そうに首をかしげている。
八重自身でもよく分からない感情を、分からないまま彼に話すわけにもいかない。
八重はこの掴めない感情は気にしないことにして、すぐに蛭魔へ笑みを返した。
「あ、ごめん。今日作るメニューどうしようかなって考えちゃった。蛭魔くん何かリクエストとかある?」
「……あー………ちょっと前の弁当に入ってた、なんか茶色いヤツ」
「……非常に申し上げにくいんですが蛭魔くん、私のお弁当に入ってるおかずってほとんどが茶色いんですよね」
「おいおい、俺の専属栄養士ならこれくらいサッと当ててみせろよ。ケケケッ」
「えぇぇ……ハードルが高すぎる…」
「まだまだ修行が足りねーな!ケケケケケ! じゃ、肉の売り場行くぞ」
蛭魔は八重が押しているカートのハンドルを後ろから抱え込むように手を伸ばして掴むと、彼女ごとぐるりと旋回して大きく方向転換した。
「ゎわっ……言ってくれれば方向転換するから! っていうか正解はお肉なんだね?そうなんだね?」
「ケケケッ、時間ねーんだからさっさと行くぞ!」
蛭魔はいきなり振り回されて若干目が回りかけている八重に構うことなく、楽しそうに笑い声を上げながらカートを押して店内を闊歩していった。
***
なんとか無事に買い物を終えた二人は、蛭魔の住んでいるというマンションへと向かったのだが……
蛭魔のことなので普通のマンションではなさそうだなと思っていたが、やっぱり普通ではなかった。
近所ではお目にかかったことが無い立派な高層マンションに、八重は首が痛くなるのではと言うくらい見上げて感嘆の声を洩らした。
「わぁ……蛭魔くん、ここに住んでるの?」
「おー。なんか文句あっか?」
「いや、文句は無いけど……思ったより凄いマンションでビックリしちゃっただけ」
「……そんな大したモンでもねーけどな」
そう言うと蛭魔はすたすたとエントランスの中に入り、ぼさっとすんなと八重に声をかけた。
外観だけでなく、エントランスまで立派なので八重はつい気後れしてしまうのだが、ここで挫けては今日の仕事を終えることはできない。
これも勉強!と気合いを入れて蛭魔の後に続きエントランスに足を踏み入れた。
エントランスに入り先へ進むと、蛭魔がなにやらオートロック扉の前で機械の操作をしている。
「あ……もしかして、それって指紋認証?」
「おー。よく知ってんな」
「うん、前にテレビで見ておばあちゃんと凄いねって話してたの。本当にあるんだ……帰ったらおばあちゃんに教えてあげよ」
オートロック自体は見たことあるが、指紋認証のものは初めて見た八重は興味津々で蛭魔の操作を見つめていると、おもむろに手を取られて機械の中に人差し指を突っ込まされた。
「…………え?」
《トウロクヲ カンリョウ シマシタ》
なにやら機械音声でとんでもない事を言われた気がするのだが、意味を理解する前に機械に入れていた指を離され、もう一度突っ込まされる。
ピピッ、ウィィィーーン
「よし、問題ねえな」
「え、ええぇぇぇえっ!?」
オートロックが解除され開いた扉を見ながら頷いてる蛭魔に、八重は驚愕のあまりいつもなら考えられない程の大きな声を上げた。
流石、良いマンションはエントランスの天井も高いので声がよく響く。
「るっせーな、近所迷惑だろーが」
「あ、ごめんなさい……って、違う違う!おかしいおかしい!今のなに!?」
「なにってオメーの指紋を登録したんだろ」
「私の指紋を登録、え、なぜ?」
「そっちのが都合いいからな」
一体なにがそんなに問題なのかとでも言うような顔の蛭魔を、八重は指紋登録されてしまった人差し指を握り締めながら呆然と見上げた。
マンションに到着して数分足らずで、この泥門の悪魔は一体なにをしてくれているのか。
「あの、蛭魔くん…いくらなんでも無茶苦茶すぎるよ……私が凄い悪い人だったらどうするの……?」
「……逆に聞くけどよ、オメーが俺に頭脳戦で勝てると思ってんのか?」
「!?……んんん…確かに私じゃ頭脳どころか体力でも勝てる気がしない……けど、そういう問題でもない…!」
「あーゴチャゴチャうっせーぞ。この俺が許可してんだから有難く登録されとけ」
「えぇ…もぉー……蛭魔くんがそう言うならもういっか……はぁ、おばあちゃんに自慢します」
「ケーケケケケケ!そりゃいーな。そうしろそうしろ」
ほら、早速認証してみろよと心底面白そうに目を細める蛭魔に促され、八重は渋々握り締めていた人差し指をそぉっと機械に差し込んだ。
ピピッ、ウィィィーーン
何事もなく開いた扉を見て、少し…いやかなりワクワクしてしまっているなんて絶対に蛭魔には言わないでおこうと心に決めた八重だったが……
(なんだかんだ言いつつ喜んでんのバレバレなんだよな、コイツ)
泥門の悪魔にはそんな浮かれた様子は全てお見通しだったのである。
校舎から出て裏手にある小さな建物に辿り着き、そっと扉を開いて中を覗くと、机に向かった蛭魔が無表情にパソコンと睨み合っている。
その姿を確認した八重は、そおっと彼の近くまで歩み寄って少し大きめなお弁当箱を差し出した。
「蛭魔くん、これ」
「おー、ご苦労」
パソコンから顔を上げて八重の方へ視線を向けた蛭魔は、慣れた様子で片手を伸ばしお弁当箱を受け取るとパソコンを脇に寄せて机の上に広げ始めた。
紆余曲折?を経て蛭魔妖一の専属栄養士となった八重は、まずはお試しとして平日はこうして彼のために用意したお弁当を渡している。
今までは祖母と自分の為にしか料理をしていなかったので、他人…ましてや泥門の悪魔と呼ばれる男の口に合うのかヒヤヒヤしながら渡しているのだが、今のところ蛭魔からは文句を言われていないので少なくとも及第点は貰えているらしい。
今日も無事にミッションを終えた八重は、自分もお昼ご飯を食べるため蛭魔の向かい側に座りお弁当を広げた。
最初の頃は蛭魔へお弁当を渡した後は彼に気を使って教室へ戻っていたのだが、蛭魔から「ここで食ってきゃいーだろ」と言われたため、有難くお言葉に甘えて八重も部室で食べている。
いつものように八重がいただきますと手を合わせてから食べ始めると、その様子を確認した蛭魔も食べ始める。
一緒に手を合わせるまではしないが、食べるタイミングを八重に合わせてくれるあたり、泥門の悪魔と恐れられている蛭魔にも意外と可愛いところがあるんだなぁと微笑ましく感じているのは彼女だけの秘密だ。
「…なにニヤついてんだテメー」
「え、私ニヤついてた?」
不意に声をかけられ思わず頬に手を当てて顔をあげると、胡乱な目でこちらを見つめる蛭魔と目が合ってしまった。
「えっと、今日のお弁当は結構美味しくできたなって思っただけだよ」
まさか貴方のことを可愛いと思っていましたなどと本人に言えるわけがないので、八重は話を誤魔化すために慌ててお弁当に入れていた卵焼きを箸で掴むと彼の方へと差し向けた。
お行儀の悪さは今回に限り見逃していただきたい。
「……ほぉ〜…なるほどねェ〜…」
「すごい、全然納得していませんというのがひしひしと伝わってくる」
「…仕方ねえな。今回はそういうことにしといてやる」
「え? あ、ちょ……」
八重の誤魔化し程度では通用しなかったらしく、眉を寄せ疑わしげな表情でこちらを睨みつけていた蛭魔だったが、いきなり彼女の手を掴んで顔に寄せると自分に向けられていた卵焼きをぱくりと食べてしまった。
「わ、私の卵焼き……」
突然おかずを横取りされた八重は目を丸くして蛭魔を見たが、彼は素知らぬ顔でもぐもぐと咀嚼して飲み込むとニヤリと笑みを浮かべて見返してきた。
「ケケケッ、油断大敵だぜ。……つーか、いちいち俺のと味付け変えてんのか?」
「え? うん、そうだよ。私のは今日ちょっと甘めにしてる。蛭魔くん甘いの得意じゃないでしょ?」
「あー……いや、こんくらいなら別に食える」
「あれ、そうなの? そっか…じゃあ今度から甘めのおかずもメニューに入れちゃおっかな」
蛭魔は普段無糖ガムを好んで食べているので、てっきり甘いものは苦手なのかと思って避けていたのだが、甘めにした味付けも大丈夫なら今後のメニューはもう少し幅を広げることができそうだ。
頭の中にメモをしながら、ふと八重が手元に目をやると、まだ蛭魔に手をしっかりと掴まれたままだったことに気が付いた。
八重の手を軽々と包み込むほどに大きな手。
元々蛭魔は背が高いと思っていたのだが、こうして見ると本当に身体の大きさが違うんだなぁと感心してしまう。
しばしぼんやりと掴まれた手を眺めていると、突然ぎゅっと手を握り直された。
蛭魔の思わぬ行動にハッとして顔を向けると、彼は空いた手で頬杖をつきながら興味深そうな顔でこちらを見ている。
「………急に黙り込んでどーした?ケケッ」
「いや、蛭魔くん…そのお弁当箱で足りてるかなって心配になってきちゃって…量とか足りてる?」
「⸺ア゙ァ?」
いきなり蛭魔からとんでもなく険しい顔で凄まれてしまい、八重は思わずひぇっと声を上げて身を引いた。
手だけでこんなに大きさが違うなら胃袋なんてもっと違うだろうし、運動部で食べ盛りと思われる蛭魔にとって今のお弁当箱は少々小さいのでは…と不安になり聞いてみたのだが、なにか気に触ることを言ってしまったのだろうか。
「っとにテメーはよぉ……ハァーーー…」
「え、え、蛭魔くんどうしたの? 大丈夫?」
蛭魔は頭痛を堪えるような表情を浮かべ、八重から離した手で顔を覆い俯くと、深い深い溜め息を吐き出した。
ただならぬ雰囲気に慌てて立ち上がり声をかけた八重だったが、蛭魔は顔を覆ったままヒラヒラと手を振って俺に構うなとでもいうようなジェスチャーをしてきたので仕方なく着席することにする。
「ねぇ本当に大丈夫…?」
「チッ……なんでもねぇよ。ちょっとオメーのアホさ加減を思い知っただけだ」
「えぇ…また突然の悪口」
「……弁当箱はこれで問題ねえ。あとはまぁ…そろそろ昼飯以外もオメーに頼みてーんだよな…できそうか?」
またもや突然アホ呼ばわりされてしまい一瞬渋い顔をしてしまった八重だったが、蛭魔からの依頼を聞いてすぐに色々と頭の中でメニューを組み立て始める。
お昼のお弁当以外の食事となると、ある程度まとめて作ったものを小分けに冷凍して持ってくる…とかが良いのだろうか。
「うーん…メニューを考えて作るのは全然できるんだけど、作ったものをどうやって渡すかが難しそうだなぁ」
「……オメーが俺ん家きて作れば良いだけの話だろ」
「え、私が蛭魔くんの家に行くの?……それって大丈夫?」
予想外の提案に驚き思わず改めて確認すると、いまだに片手で顔を覆ったままだった蛭魔はゆっくりと手を下げ顔を顰めながら八重を見上げてきた。
「……どーいう意味だ」
「や、だって蛭魔くんて秘密主義っぽいから、お家なんてプライベートな空間に私がお邪魔しちゃっていいものなのかと…」
「へぇ~…俺の身長、体重、筋肉量、体脂肪率、挙げ句の果てにゃスリーサイズまで知ってるクセに、八重チャンは今更なーにを気にしてやがるんだか!ケケケッ」
「!? んんん!その言い方はちょっと誤解を招きそうだからやめて!」
「ケーケケケケケッ!誤解もナニも事実じゃねーか」
不満そうな表情から一転、共有している情報を指折り数えながら楽しそうに笑い声をあげている蛭魔の様子に八重は困り果てて頭を抱えてしまった。
「そ、そうなんだけど…そうなんだけどね? なんで蛭魔くんそんなに楽しそうなの…?」
確かに栄養管理などの都合上、蛭魔のパーソナルな情報を知ってはいるがそういう言い方をされると、まるで八重が怪しい人間…というかハッキリ言うと変態のように聞こえてしまう。
決して変な意味で教えてもらってる訳ではないのに、これは甚だ不本意だ。
しかしまぁ、当の本人である蛭魔が随分と楽しそうなので、もうここは一旦良しとしようと八重は気持ちを切り替えることにした。
「はぁ……まぁいっか。本当に私が蛭魔くんのお家に行っても良いなら、確かにそっちの方が効率いいね」
「じゃあ決まりだな。今週末、予定空けとけよ」
「はーい」
正直、あまり自分のことを多く語らない蛭魔がどんな家で暮らしているのかは興味があるので、仕事だと思いつつも少し楽しみな八重なのであった。
***
「……あれ、蛭魔くんもういる…!?」
待ち合わせの駅に到着した八重が改札を降りると、まだ約束の時間まで20分ほどあるはずなのに既に駅前のベンチに蛭魔が座っているのが見える。
約束を決めた時に蛭魔から「遅れたら罰ゲームな」と言われていたので早めに家を出たのだが…こちらより更に早く到着しているとは。
とりあえずこれ以上待たせるのは申し訳ないと八重は急ぎ駆け足で蛭魔の元へと向かった。
「蛭魔くん、おはよう。待ち合わせって9時だったよね…?」
「おー、早えな。時間は9時で合ってんぞ」
「早いのは蛭魔くんでしょ…ごめんね、待たせちゃった?」
「……いや、そんな待ってねえ。別で用事があったからこの時間になっただけだ」
「そっか、それなら安心。ちなみに…これは罰ゲームの対象になったりする?」
「………………」
「え、なんで黙るの? 怖い怖い」
彼のことなので罰ゲームといってもそこまで酷いことはされないだろうが、流石に時間より前に来たにも関わらず罰ゲームは理不尽がすぎる。
八重が荷物を抱えて怯えていると、黙ったまま立ち上がった蛭魔はニヤリと笑みを浮かべて彼女を見下ろした。
「安心しろ、今回は罰ゲーム免除だ。ケケケッ」
「今回『は』かぁ……」
「ケケケケケ! んじゃ、とりあえず買い出し行くか」
「はーい。一応、調味料なんかは家から持ってきたから、買うのは食材だけで良いと思うよ」
「……わざわざ持ってきたのか」
「だって、蛭魔くん家なにも無いって言うから…」
八重は今日の予定を立てた時の会話を思い出し、遠い目をして溜め息をついた。
あの日、話の流れで蛭魔の家の台所状況を確認したのだが……まさか調味料どころか調理器具さえ無いと言われるとは思っていなかった。
流石の八重もこれはスルーしきれず、勇気を出して普段の食事はどうしているのかと聞いてみると、なんとコンビニや外食などで賄っていると言うではないか。
運動部に所属している男子高校生がそんな食生活だなんて、一体ご両親はなにを……と思い口を開きかけた八重だったが、それは踏み越えてはいけない一線だと思い直し口を噤んだ。
聞けばマンションで一人暮らしだと言うし、なにか複雑な事情があるのかもしれない。
今更ながら、どうして蛭魔が専属栄養士を求めて八重に声をかけたのか…その理由の一端を垣間見た気がして、八重はもっと彼の力になれるように精進するぞと決意を新たにしたのだった。
「……まぁ、調理器具は必要そうなモン買い揃えたんだけどな。調味料はそこまで手ぇ回してねーから助かる」
余計なお世話だと言われるのも覚悟していたのだが、ちゃんと受け入れてもらえて安心した八重がホッと息をついていると、不意に抱えていた荷物を蛭魔に奪われてしまった。
「あ、ちょ……蛭魔くん、それ結構重いよ?」
「……だったら尚更オメーより力のある俺が持ったほうが良いだろーが」
「んん…ぐうの音も出ない正論……じゃあお言葉に甘えてお願いします」
「ケケケッ、最初から素直にそーしとけ」
「うん、ありがと……って早い早い、蛭魔くん歩くの早いよ」
さっさと来い、と奪った荷物を肩に担いで歩き出した蛭魔の背中を八重は慌てて追いかけた。
***
「あ、うちの近所のスーパーよりこっちの方が安い……いいなぁ」
「そんな違うか?」
「違うよ、全然違う。うーん…今度からこっちで買おうかな……いやでも電車代考えたら結果変わんないかな…?」
スーパーに到着し、カートを押しながら色々と物色している二人。
八重は地域差なのか微妙に金額が違うことにむむむ……と考え込んでおり、そんな彼女の隣を歩く蛭魔はというと、全く興味無さそうに手近の野菜を掴んでは眺めている。
「……蛭魔くん、もっと色んな店でお買い物した方がいいよ」
「善処イタシマス」
「ふふ、それ絶対しない人のお返事だ」
蛭魔の隠そうともしないわざとらしい棒読みの返答に、八重がつい笑ってしまうと蛭魔もつられたように ふっと小さく笑い声を零した。
珍しい彼の様子に思わず八重が目を瞬かせて見上げると、まだ目元に笑みの余韻を残した蛭魔と目があった。
ここ最近、蛭魔と話していると時々こんな風に彼の雰囲気が柔らかくなる瞬間がある。
その瞬間に触れるたび、八重は何故か胸の奥の方がぎゅっと締め付けられるような感覚になり、切ないような寂しいような不思議な気持ちになってしまう。
「…………、」
「?……んだよ、俺の顔になんか付いてっか?」
一瞬動きの止まった八重を見て、蛭魔は不思議そうに首をかしげている。
八重自身でもよく分からない感情を、分からないまま彼に話すわけにもいかない。
八重はこの掴めない感情は気にしないことにして、すぐに蛭魔へ笑みを返した。
「あ、ごめん。今日作るメニューどうしようかなって考えちゃった。蛭魔くん何かリクエストとかある?」
「……あー………ちょっと前の弁当に入ってた、なんか茶色いヤツ」
「……非常に申し上げにくいんですが蛭魔くん、私のお弁当に入ってるおかずってほとんどが茶色いんですよね」
「おいおい、俺の専属栄養士ならこれくらいサッと当ててみせろよ。ケケケッ」
「えぇぇ……ハードルが高すぎる…」
「まだまだ修行が足りねーな!ケケケケケ! じゃ、肉の売り場行くぞ」
蛭魔は八重が押しているカートのハンドルを後ろから抱え込むように手を伸ばして掴むと、彼女ごとぐるりと旋回して大きく方向転換した。
「ゎわっ……言ってくれれば方向転換するから! っていうか正解はお肉なんだね?そうなんだね?」
「ケケケッ、時間ねーんだからさっさと行くぞ!」
蛭魔はいきなり振り回されて若干目が回りかけている八重に構うことなく、楽しそうに笑い声を上げながらカートを押して店内を闊歩していった。
***
なんとか無事に買い物を終えた二人は、蛭魔の住んでいるというマンションへと向かったのだが……
蛭魔のことなので普通のマンションではなさそうだなと思っていたが、やっぱり普通ではなかった。
近所ではお目にかかったことが無い立派な高層マンションに、八重は首が痛くなるのではと言うくらい見上げて感嘆の声を洩らした。
「わぁ……蛭魔くん、ここに住んでるの?」
「おー。なんか文句あっか?」
「いや、文句は無いけど……思ったより凄いマンションでビックリしちゃっただけ」
「……そんな大したモンでもねーけどな」
そう言うと蛭魔はすたすたとエントランスの中に入り、ぼさっとすんなと八重に声をかけた。
外観だけでなく、エントランスまで立派なので八重はつい気後れしてしまうのだが、ここで挫けては今日の仕事を終えることはできない。
これも勉強!と気合いを入れて蛭魔の後に続きエントランスに足を踏み入れた。
エントランスに入り先へ進むと、蛭魔がなにやらオートロック扉の前で機械の操作をしている。
「あ……もしかして、それって指紋認証?」
「おー。よく知ってんな」
「うん、前にテレビで見ておばあちゃんと凄いねって話してたの。本当にあるんだ……帰ったらおばあちゃんに教えてあげよ」
オートロック自体は見たことあるが、指紋認証のものは初めて見た八重は興味津々で蛭魔の操作を見つめていると、おもむろに手を取られて機械の中に人差し指を突っ込まされた。
「…………え?」
《トウロクヲ カンリョウ シマシタ》
なにやら機械音声でとんでもない事を言われた気がするのだが、意味を理解する前に機械に入れていた指を離され、もう一度突っ込まされる。
ピピッ、ウィィィーーン
「よし、問題ねえな」
「え、ええぇぇぇえっ!?」
オートロックが解除され開いた扉を見ながら頷いてる蛭魔に、八重は驚愕のあまりいつもなら考えられない程の大きな声を上げた。
流石、良いマンションはエントランスの天井も高いので声がよく響く。
「るっせーな、近所迷惑だろーが」
「あ、ごめんなさい……って、違う違う!おかしいおかしい!今のなに!?」
「なにってオメーの指紋を登録したんだろ」
「私の指紋を登録、え、なぜ?」
「そっちのが都合いいからな」
一体なにがそんなに問題なのかとでも言うような顔の蛭魔を、八重は指紋登録されてしまった人差し指を握り締めながら呆然と見上げた。
マンションに到着して数分足らずで、この泥門の悪魔は一体なにをしてくれているのか。
「あの、蛭魔くん…いくらなんでも無茶苦茶すぎるよ……私が凄い悪い人だったらどうするの……?」
「……逆に聞くけどよ、オメーが俺に頭脳戦で勝てると思ってんのか?」
「!?……んんん…確かに私じゃ頭脳どころか体力でも勝てる気がしない……けど、そういう問題でもない…!」
「あーゴチャゴチャうっせーぞ。この俺が許可してんだから有難く登録されとけ」
「えぇ…もぉー……蛭魔くんがそう言うならもういっか……はぁ、おばあちゃんに自慢します」
「ケーケケケケケ!そりゃいーな。そうしろそうしろ」
ほら、早速認証してみろよと心底面白そうに目を細める蛭魔に促され、八重は渋々握り締めていた人差し指をそぉっと機械に差し込んだ。
ピピッ、ウィィィーーン
何事もなく開いた扉を見て、少し…いやかなりワクワクしてしまっているなんて絶対に蛭魔には言わないでおこうと心に決めた八重だったが……
(なんだかんだ言いつつ喜んでんのバレバレなんだよな、コイツ)
泥門の悪魔にはそんな浮かれた様子は全てお見通しだったのである。