デフォルト名は「柚木八重(ゆずきやえ)」です。
悪魔の花嫁
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晴れ晴れと広がる青空に柔らかに揺れる桜の花。
今日は私立泥門高校の入学式。
真新しい制服に身を包んだ新入生たちが、色とりどりの花飾りが付いた看板の前や、淡いピンクの花びらが落ちてくる桜の木の下で、これから始まる高校生活への期待に目を輝かせながら記念撮影をしている。
――そんな彼らを屋上から見下ろしている一人の影。
彼等と同じく、今日から泥門高校の生徒となった蛭魔妖一だ。
この学校で栗田や武蔵と一緒にアメフト部を立ち上げると決めていた彼は事前に教員の一人を脅して屋上に侵入すると、校舎へと向かう新入生たちを一人ひとり観察しながら使えそうな人材をピックアップしていた。
(石丸哲生…中学では陸上部のエースか。アイツは使えそうだな)
(あっちのデケーのは…ダメだありゃ。話にならねぇ)
双眼鏡を覗き込み、次、次、次、と忙しなく目を動かしながら新入生の顔を確認し、パソコンから彼らの情報を引っ張りだして照合していく。
しかし残念ながら、蛭魔の基準で使えそうと思える奴は片手で足りる程度しか見当たらない。
(…まぁこのくらいは想定内だ。よし、次)
使えないなら上手いこと使えるようにすればいいと新たな計画を練りながら、ちょうど校門前で立ち止まっている女子生徒へ双眼鏡を向けた瞬間――
不意に顔を上げた彼女と目が合った気がして、蛭魔は微かに息を呑むと咄嗟に双眼鏡を顔から下げた。
ほんの一瞬のことだったのに、こちらを射抜くような真っ直ぐで力強い目が頭に焼き付いて離れない。
まさかこの距離で気付かれたのかと警戒しながら女子生徒の様子をしばらく伺っていたが、彼女はたまたまタイミングよく顔を上げただけのようで、屋上に蛭魔がいることに気が付いた訳では無いらしい。
何事もない様子でくるりと周囲を見回したあと、背筋を伸ばして校舎へと向かっていく。
「…気のせいか。……チッ、紛らわしいことすんじゃねぇよ」
変に騒がれても面倒なので気付かれなかったのは幸いだが、こちらだけが驚かされた状態になったのはなんだか無性に腹が立つ。
蛭魔は八つ当たりのように舌打ちを漏らしたが、気を取り直してあの女子生徒についての情報も検索しておくことにした。
柚木八重
小学生の頃に事故で両親を亡くした彼女は父方の祖母に引き取られ、この学校の近くで祖母と二人暮らしをしているらしい。
あまり裕福とは言えない家庭環境の彼女は、安定した職を手に入れるべく管理栄養士を目指していて、中学の頃から色々と調べては国家試験へ向けて行動しているようだ。
真面目そうな見た目通り…中学では優等生だったにも関わらず、偏差値がそれほど高くない泥門高校にわざわざ特待生制度を利用してまで入学を決めたのは、その辺りの事情が関係しているのかもしれない。
(管理栄養士志望……使えそうじゃねーか)
更に情報を確認すると、偶然にも蛭魔と同じクラスらしい。
残念ながら今すぐ彼女に対して使えそうな脅迫ネタは見つからなかったが、この先何かしらで必ずチャンスは訪れるだろう。
蛭魔は満足そうに笑みを浮かべると、もうこの場所に用は無いとばかりにパソコンを閉じて屋上を後にした。
***
(……今日もいるな)
放課後のグラウンドで走り込みを終えた蛭魔が顔を上げると、図書室の窓から一人の女子生徒の姿が見えた。
柚木八重だ。
いつも彼女は蛭魔が練習に向かう時間…つまり早朝と放課後に図書室の窓際に座り、数冊の本を横に積みあげながらノートに鉛筆を走らせている。
ほぼ毎日欠かす事なく、まるで何かに追い込まれているかのように机に向かう柚木の姿を、気が付けば蛭魔は目で追うようになっていた。
…入学してから随分と日が経っているのに、相変わらず彼女に使えそうな脅迫ネタは見つけられていない。
クラスでの振る舞いを見る限り、人付き合いが苦手というわけではなさそうなのに、彼女には浮いた話どころか友人と遊びに行ったという話なんかもまるで聞いたことが無い。
どうやら休日さえも勉強に専念しているらしい。
彼女を真面目でつまらない奴と言ってしまえばそれまでだが、あんな目をする人間をそんな簡単な結論で片付けてしまうのはなんだか癪な気がした。
(…あん時、アイツも同じような目をしてやがった)
微かに眉を寄せ真剣な表情を浮かべている柚木の姿を眺めていると、かつてのチームメイトであった武蔵のことが頭によぎる。
病気に倒れた父親のために退学を決めたと武蔵から告げられた時の、何かを強く決意した彼の表情。
どれだけ強く説得をしても揺らぐことなく蛭魔を見据える武蔵の目を見た時、なぜか入学式の日に双眼鏡越しで見た彼女のあの目を思い出した。
決して譲れない、守るべき何かを持つ人間は得てしてあんな目をするのだろうか。
「……………」
蛭魔は無意識に拳を握りしめていた事に気が付くと、軽く頭を振って大きく息を吐き出した。
もう一度窓の方へと目を向ける。
彼女の横に積まれた本は大体いつも同じだ。
おそらく、この学校の図書室に置いてある栄養学やそれにまつわる本の種類はそれほど多くないのだろう。
…明日辺り、校長や図書委員の奴等に図書室に置く本の種類や配置について色々と“相談”してみるのも良いかもしれない。
「……これは“投資”だ。別に深い意味なんかねぇ」
蛭魔はまるで言い訳のような独り言を、誰に聞かせるでもなく呟いた。
***
「オメーが朝練に遅刻とは珍しいじゃねーか、糞デブ。食い過ぎで腹でも壊したか?ケケケッ」
いつも誰よりも早く…と言っても現在は二人だけではあるが、珍しく朝練に遅れてきた栗田へ蛭魔が揶揄うように声をかけると、彼は首の後ろを掻きながら申し訳なさそうに眉を下げた。
「ごめんごめん!来る途中で困ってるおばあさんのお手伝いしてたら、思ったより時間かかっちゃって…」
「ア゙ァ?お手伝い? なんだそりゃ?」
「なんか手押し車が壊れて困ってるみたいだったから、荷物とおばあさんを一緒に家まで運んであげたんだけどね、」
「……おー、それで?」
荷物とおばあさん、という文脈に一瞬だけ疑問を感じた蛭魔だったが、栗田が荷物とおばあさんを肩に担いでニコニコと歩く姿は容易に想像できる。
多分コイツなら本当にやるな、と蛭魔は特に突っ込むことはせず話の続きを促した。
「そう!それで、聞いてよヒル魔!そのおばあさん、お孫さんと二人で暮らしてるみたいなんだけど…なんと、お孫さんは僕達と同じ泥門の1年生なんだって!」
「!…へぇ、そりゃ面白ぇ偶然だな」
「うんうん、凄い偶然だよね!柚木八重さんって名前らしいんだけど、ヒル魔知ってる?」
「柚木八重、ねぇ…ケケケケケケ…」
「ヒ、ヒル魔?」
まさか、ここであの柚木八重の名前が出てくるとは。
突然、地の底から這い上がってくるような不気味な笑い声をあげだした蛭魔に長年付き合いのある栗田も思わず後ずさったが、そんな栗田の様子を気にすることなく蛭魔は頭の中で一気にこれからの計画を組み立て始める。
「……オイ、糞デブ。そのばーさん、壊れた手押し車はどうするって?」
「え?手押し車?あとで修理屋さんに持って行くって言ってたから、大変だろうし僕が代わりに預かって持って行く約束をしてるよ。ほら、あそこに置かせてもらってるやつ」
ほら、と栗田が指差す先に、車輪の外れた手押し車が部室の壁に立て掛けてあった。
どうやら、学校終わりに修理屋へ持って行くつもりらしい。
これは願ってもないチャンスだ。
「YAーHAー!! でかした!糞デブ!今日の授業が終わったらすぐに行くぞ!」
「え?え?ヒル魔も?」
「俺にツテがある!そこに持ってきゃタダで修理できるぜ!ケーケケケケッ!」
「そ、それって脅してとかじゃないよね…?」
蛭魔は栗田の疑問は華麗にスルーして思いっきり彼の尻を蹴っ飛ばすと、手早く朝練の準備を終わらせて軽快な足取りでグラウンドへと向かっていく。
いきなり蹴っ飛ばされて目を白黒させた栗田だったが、武蔵がいなくなってからあんなに嬉しそうな蛭魔を見るのは久しぶりな気がした。
栗田は今日はなんだか良い1日になりそうだと満面の笑顔を浮かべて蛭魔のあとを追いかけたのだった。
***
授業が終わってすぐ、蛭魔に引き摺られるようにして手押し車を修理してくれるという店へと連れていかれた栗田は、鬼気迫る迫力で手押し車を修理する職人たちを見守ったあと、爆速で修理された手押し車を手に蛭魔と共におばあさんへと届けにきたのだが…
「忙しいでしょうに、わざわざ本当にありがとう。よかったらお茶でも飲んでってちょうだい」
「いえいえ、僕達はこれから部活の練習がありますので…せっかくのお誘いですが、今日はこのまま失礼します」
少し古びた木造平屋の玄関前でニコニコと笑って蛭魔と栗田を見上げる小柄な年配の女性に、まるで普段とは別人のように爽やかな笑顔で返事をしている蛭魔を栗田は信じられないものを見るような目で見つめた。
「あら、そうなの?残念… でも、八重もお世話になってるみたいだし、二人ともいつでも遊びに来てちょうだいね」
「はい、ありがとうございます。……おい」
「…っわゎ! は、はい!おばあさんも、困ったことあったらいつでも僕達のこと呼んでくださいね!」
「うふふ、ありがとう。八重ったら、こんなに素敵なお友達が出来たなんてちっとも教えてくれないんだから」
蛭魔が未だ驚きで固まっている栗田の脇腹を強めにつつくと、ハッとした様子で栗田も慌てて返事をする。
そんな二人の様子を微笑ましいものでも見るように笑みを浮かべているおばあさんに挨拶をして、蛭魔と栗田は彼女の家を後にした。
「いやぁ〜おばあさん喜んでくれて良かった!それにしても、ヒル魔が柚木さんと仲が良いなんて知らなかったよ!それにアメフト部も手伝ってくれるんでしょ?また賑やかになりそうだね!」
「おー、まだ本人とは話したこともねぇけどな」
「…………へ?」
本当にこんな偶然ってあるものなんだと栗田は弾むような気持ちで隣を歩く蛭魔を見ると、その蛭魔からとんでもない発言が飛び出してきて栗田は思わず足を止めた。
先程、蛭魔はおばあさんに挨拶する際、柚木八重さんとは仲の良いクラスメイトだと伝え、更にこれからアメフト部の手伝いもお願いしていると思いっきり話していなかっただろうか。
それなのに彼女と話したこともない、とは?
「俺はこれから学校に戻って柚木を勧誘してくっから、オメーは好きにしていいぞ」
「え、えぇぇぇぇぇぇぇえっ!?」
驚きのあまり叫ぶ栗田を気に留める様子もなく、蛭魔はじゃーな、と手を上げ去っていく。
「だ、大丈夫かなぁ…柚木さん…」
悠然と歩いていく蛭魔の背中を眺めながら思わず溢れた栗田の呟きは、日の暮れ始めた街並みへと溶けていった。
***
(この時間なら、アイツはまだ図書室にいるはずだ)
栗田と別れ学校へと戻ってきた蛭魔は、柚木がいるであろう図書室へと向かっていた。
なかなか脅迫ネタが見つからず難航していた勧誘のきっかけが、思わぬところで進展してくれたお陰で蛭魔の歩幅も自然と大きくなる。
偶然とはいえ柚木の祖母に接触を果たして困りごとを解決した結果、見事に信頼を得ることが出来た。
柚木の唯一の肉親である祖母について把握はしていたが、流石に祖母を人質に取って脅すような真似はしたくなかった蛭魔にとって、この流れは大変に都合が良い。
(唯一の家族をこっちの味方につけたんだ、あとはアイツにとって更に有利な条件を提示して頷かせる。…交渉なら負けやしねぇ)
そんな事を考えながら図書室に到着した蛭魔が扉の隙間から中を伺うと、やはり柚木はいつもの場所で机に向かっていた。
彼女の横に積み上げられた本の内容が一新されているのを確認した蛭魔は無意識に息をつくと、図書室の中へ大きく一歩踏み出した。
「柚木八重、オメーに用がある。ちょっと来い」
――さぁ、勝負はここからだ。
今日は私立泥門高校の入学式。
真新しい制服に身を包んだ新入生たちが、色とりどりの花飾りが付いた看板の前や、淡いピンクの花びらが落ちてくる桜の木の下で、これから始まる高校生活への期待に目を輝かせながら記念撮影をしている。
――そんな彼らを屋上から見下ろしている一人の影。
彼等と同じく、今日から泥門高校の生徒となった蛭魔妖一だ。
この学校で栗田や武蔵と一緒にアメフト部を立ち上げると決めていた彼は事前に教員の一人を脅して屋上に侵入すると、校舎へと向かう新入生たちを一人ひとり観察しながら使えそうな人材をピックアップしていた。
(石丸哲生…中学では陸上部のエースか。アイツは使えそうだな)
(あっちのデケーのは…ダメだありゃ。話にならねぇ)
双眼鏡を覗き込み、次、次、次、と忙しなく目を動かしながら新入生の顔を確認し、パソコンから彼らの情報を引っ張りだして照合していく。
しかし残念ながら、蛭魔の基準で使えそうと思える奴は片手で足りる程度しか見当たらない。
(…まぁこのくらいは想定内だ。よし、次)
使えないなら上手いこと使えるようにすればいいと新たな計画を練りながら、ちょうど校門前で立ち止まっている女子生徒へ双眼鏡を向けた瞬間――
不意に顔を上げた彼女と目が合った気がして、蛭魔は微かに息を呑むと咄嗟に双眼鏡を顔から下げた。
ほんの一瞬のことだったのに、こちらを射抜くような真っ直ぐで力強い目が頭に焼き付いて離れない。
まさかこの距離で気付かれたのかと警戒しながら女子生徒の様子をしばらく伺っていたが、彼女はたまたまタイミングよく顔を上げただけのようで、屋上に蛭魔がいることに気が付いた訳では無いらしい。
何事もない様子でくるりと周囲を見回したあと、背筋を伸ばして校舎へと向かっていく。
「…気のせいか。……チッ、紛らわしいことすんじゃねぇよ」
変に騒がれても面倒なので気付かれなかったのは幸いだが、こちらだけが驚かされた状態になったのはなんだか無性に腹が立つ。
蛭魔は八つ当たりのように舌打ちを漏らしたが、気を取り直してあの女子生徒についての情報も検索しておくことにした。
柚木八重
小学生の頃に事故で両親を亡くした彼女は父方の祖母に引き取られ、この学校の近くで祖母と二人暮らしをしているらしい。
あまり裕福とは言えない家庭環境の彼女は、安定した職を手に入れるべく管理栄養士を目指していて、中学の頃から色々と調べては国家試験へ向けて行動しているようだ。
真面目そうな見た目通り…中学では優等生だったにも関わらず、偏差値がそれほど高くない泥門高校にわざわざ特待生制度を利用してまで入学を決めたのは、その辺りの事情が関係しているのかもしれない。
(管理栄養士志望……使えそうじゃねーか)
更に情報を確認すると、偶然にも蛭魔と同じクラスらしい。
残念ながら今すぐ彼女に対して使えそうな脅迫ネタは見つからなかったが、この先何かしらで必ずチャンスは訪れるだろう。
蛭魔は満足そうに笑みを浮かべると、もうこの場所に用は無いとばかりにパソコンを閉じて屋上を後にした。
***
(……今日もいるな)
放課後のグラウンドで走り込みを終えた蛭魔が顔を上げると、図書室の窓から一人の女子生徒の姿が見えた。
柚木八重だ。
いつも彼女は蛭魔が練習に向かう時間…つまり早朝と放課後に図書室の窓際に座り、数冊の本を横に積みあげながらノートに鉛筆を走らせている。
ほぼ毎日欠かす事なく、まるで何かに追い込まれているかのように机に向かう柚木の姿を、気が付けば蛭魔は目で追うようになっていた。
…入学してから随分と日が経っているのに、相変わらず彼女に使えそうな脅迫ネタは見つけられていない。
クラスでの振る舞いを見る限り、人付き合いが苦手というわけではなさそうなのに、彼女には浮いた話どころか友人と遊びに行ったという話なんかもまるで聞いたことが無い。
どうやら休日さえも勉強に専念しているらしい。
彼女を真面目でつまらない奴と言ってしまえばそれまでだが、あんな目をする人間をそんな簡単な結論で片付けてしまうのはなんだか癪な気がした。
(…あん時、アイツも同じような目をしてやがった)
微かに眉を寄せ真剣な表情を浮かべている柚木の姿を眺めていると、かつてのチームメイトであった武蔵のことが頭によぎる。
病気に倒れた父親のために退学を決めたと武蔵から告げられた時の、何かを強く決意した彼の表情。
どれだけ強く説得をしても揺らぐことなく蛭魔を見据える武蔵の目を見た時、なぜか入学式の日に双眼鏡越しで見た彼女のあの目を思い出した。
決して譲れない、守るべき何かを持つ人間は得てしてあんな目をするのだろうか。
「……………」
蛭魔は無意識に拳を握りしめていた事に気が付くと、軽く頭を振って大きく息を吐き出した。
もう一度窓の方へと目を向ける。
彼女の横に積まれた本は大体いつも同じだ。
おそらく、この学校の図書室に置いてある栄養学やそれにまつわる本の種類はそれほど多くないのだろう。
…明日辺り、校長や図書委員の奴等に図書室に置く本の種類や配置について色々と“相談”してみるのも良いかもしれない。
「……これは“投資”だ。別に深い意味なんかねぇ」
蛭魔はまるで言い訳のような独り言を、誰に聞かせるでもなく呟いた。
***
「オメーが朝練に遅刻とは珍しいじゃねーか、糞デブ。食い過ぎで腹でも壊したか?ケケケッ」
いつも誰よりも早く…と言っても現在は二人だけではあるが、珍しく朝練に遅れてきた栗田へ蛭魔が揶揄うように声をかけると、彼は首の後ろを掻きながら申し訳なさそうに眉を下げた。
「ごめんごめん!来る途中で困ってるおばあさんのお手伝いしてたら、思ったより時間かかっちゃって…」
「ア゙ァ?お手伝い? なんだそりゃ?」
「なんか手押し車が壊れて困ってるみたいだったから、荷物とおばあさんを一緒に家まで運んであげたんだけどね、」
「……おー、それで?」
荷物とおばあさん、という文脈に一瞬だけ疑問を感じた蛭魔だったが、栗田が荷物とおばあさんを肩に担いでニコニコと歩く姿は容易に想像できる。
多分コイツなら本当にやるな、と蛭魔は特に突っ込むことはせず話の続きを促した。
「そう!それで、聞いてよヒル魔!そのおばあさん、お孫さんと二人で暮らしてるみたいなんだけど…なんと、お孫さんは僕達と同じ泥門の1年生なんだって!」
「!…へぇ、そりゃ面白ぇ偶然だな」
「うんうん、凄い偶然だよね!柚木八重さんって名前らしいんだけど、ヒル魔知ってる?」
「柚木八重、ねぇ…ケケケケケケ…」
「ヒ、ヒル魔?」
まさか、ここであの柚木八重の名前が出てくるとは。
突然、地の底から這い上がってくるような不気味な笑い声をあげだした蛭魔に長年付き合いのある栗田も思わず後ずさったが、そんな栗田の様子を気にすることなく蛭魔は頭の中で一気にこれからの計画を組み立て始める。
「……オイ、糞デブ。そのばーさん、壊れた手押し車はどうするって?」
「え?手押し車?あとで修理屋さんに持って行くって言ってたから、大変だろうし僕が代わりに預かって持って行く約束をしてるよ。ほら、あそこに置かせてもらってるやつ」
ほら、と栗田が指差す先に、車輪の外れた手押し車が部室の壁に立て掛けてあった。
どうやら、学校終わりに修理屋へ持って行くつもりらしい。
これは願ってもないチャンスだ。
「YAーHAー!! でかした!糞デブ!今日の授業が終わったらすぐに行くぞ!」
「え?え?ヒル魔も?」
「俺にツテがある!そこに持ってきゃタダで修理できるぜ!ケーケケケケッ!」
「そ、それって脅してとかじゃないよね…?」
蛭魔は栗田の疑問は華麗にスルーして思いっきり彼の尻を蹴っ飛ばすと、手早く朝練の準備を終わらせて軽快な足取りでグラウンドへと向かっていく。
いきなり蹴っ飛ばされて目を白黒させた栗田だったが、武蔵がいなくなってからあんなに嬉しそうな蛭魔を見るのは久しぶりな気がした。
栗田は今日はなんだか良い1日になりそうだと満面の笑顔を浮かべて蛭魔のあとを追いかけたのだった。
***
授業が終わってすぐ、蛭魔に引き摺られるようにして手押し車を修理してくれるという店へと連れていかれた栗田は、鬼気迫る迫力で手押し車を修理する職人たちを見守ったあと、爆速で修理された手押し車を手に蛭魔と共におばあさんへと届けにきたのだが…
「忙しいでしょうに、わざわざ本当にありがとう。よかったらお茶でも飲んでってちょうだい」
「いえいえ、僕達はこれから部活の練習がありますので…せっかくのお誘いですが、今日はこのまま失礼します」
少し古びた木造平屋の玄関前でニコニコと笑って蛭魔と栗田を見上げる小柄な年配の女性に、まるで普段とは別人のように爽やかな笑顔で返事をしている蛭魔を栗田は信じられないものを見るような目で見つめた。
「あら、そうなの?残念… でも、八重もお世話になってるみたいだし、二人ともいつでも遊びに来てちょうだいね」
「はい、ありがとうございます。……おい」
「…っわゎ! は、はい!おばあさんも、困ったことあったらいつでも僕達のこと呼んでくださいね!」
「うふふ、ありがとう。八重ったら、こんなに素敵なお友達が出来たなんてちっとも教えてくれないんだから」
蛭魔が未だ驚きで固まっている栗田の脇腹を強めにつつくと、ハッとした様子で栗田も慌てて返事をする。
そんな二人の様子を微笑ましいものでも見るように笑みを浮かべているおばあさんに挨拶をして、蛭魔と栗田は彼女の家を後にした。
「いやぁ〜おばあさん喜んでくれて良かった!それにしても、ヒル魔が柚木さんと仲が良いなんて知らなかったよ!それにアメフト部も手伝ってくれるんでしょ?また賑やかになりそうだね!」
「おー、まだ本人とは話したこともねぇけどな」
「…………へ?」
本当にこんな偶然ってあるものなんだと栗田は弾むような気持ちで隣を歩く蛭魔を見ると、その蛭魔からとんでもない発言が飛び出してきて栗田は思わず足を止めた。
先程、蛭魔はおばあさんに挨拶する際、柚木八重さんとは仲の良いクラスメイトだと伝え、更にこれからアメフト部の手伝いもお願いしていると思いっきり話していなかっただろうか。
それなのに彼女と話したこともない、とは?
「俺はこれから学校に戻って柚木を勧誘してくっから、オメーは好きにしていいぞ」
「え、えぇぇぇぇぇぇぇえっ!?」
驚きのあまり叫ぶ栗田を気に留める様子もなく、蛭魔はじゃーな、と手を上げ去っていく。
「だ、大丈夫かなぁ…柚木さん…」
悠然と歩いていく蛭魔の背中を眺めながら思わず溢れた栗田の呟きは、日の暮れ始めた街並みへと溶けていった。
***
(この時間なら、アイツはまだ図書室にいるはずだ)
栗田と別れ学校へと戻ってきた蛭魔は、柚木がいるであろう図書室へと向かっていた。
なかなか脅迫ネタが見つからず難航していた勧誘のきっかけが、思わぬところで進展してくれたお陰で蛭魔の歩幅も自然と大きくなる。
偶然とはいえ柚木の祖母に接触を果たして困りごとを解決した結果、見事に信頼を得ることが出来た。
柚木の唯一の肉親である祖母について把握はしていたが、流石に祖母を人質に取って脅すような真似はしたくなかった蛭魔にとって、この流れは大変に都合が良い。
(唯一の家族をこっちの味方につけたんだ、あとはアイツにとって更に有利な条件を提示して頷かせる。…交渉なら負けやしねぇ)
そんな事を考えながら図書室に到着した蛭魔が扉の隙間から中を伺うと、やはり柚木はいつもの場所で机に向かっていた。
彼女の横に積み上げられた本の内容が一新されているのを確認した蛭魔は無意識に息をつくと、図書室の中へ大きく一歩踏み出した。
「柚木八重、オメーに用がある。ちょっと来い」
――さぁ、勝負はここからだ。