デフォルト名は「柚木八重(ゆずきやえ)」です。
悪魔の花嫁
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晴れ晴れと広がる青空に柔らかに揺れる桜の花。
今日は私立泥門高校の入学式。
真新しい制服に身を包んだ新入生と思われる生徒たちの中で、彼等と同じく今日から高校生となる柚木八重は微かに緊張する胸をおさえて大きく深呼吸をした。
幼い頃に事故で両親を亡くして祖母と二人暮らしをしている彼女は、少しでも祖母の負担を軽くするために家から近く、そして運良く推薦枠を手に入れたことにより学費が抑えられる泥門高校へと入学することに決めた。
元々中学から成績は優秀で、本来であればもっと偏差値の高い高校も狙えた八重だったが…目的を遂げるために偏差値が低めの泥門高校はある意味でも都合が良かった。
彼女の目的…それは管理栄養士の国家試験に受かること。
そして手に職をつけて自分を引き取り育ててくれた祖母を一日でも早く安心させること。
おそらく泥門高校ならば授業を聞いているだけで進級に必要な成績は充分維持できるはず。
本来なら授業の予習復習にあてる時間を国家試験に向けた勉強に回し、管理栄養士になるための進路まで道を着実に固めていきたい。
自分ならできる。やってみせる。
「よし、がんばろう」
一人決意を固めた八重は、気合を入れて泥門高校の門をくぐったのだった。
***
ざわざわと生徒たちの声で賑わう教室の中で、滞りなく入学式を終えた八重は教科書などのチェックをしながら周りの生徒達と挨拶を交わしていた。
みんな気の良さそうな人ばかりで、ほっと胸を撫で下ろした瞬間――、
スパァーン!と勢い良くドアが開き、一人の男子生徒が颯爽と教室の中に入ってきた。
天に向かって逆立つ金髪、尖った耳に光るシルバーのピアス。射貫くような鋭い眼光。
更には銃火器のようなものまで肩に担いでいる、明らかに堅気じゃなさそうな彼の姿に、先程まで和やかに話していた生徒たちはまるで水を打ったかのように静まり返り慌てて彼から目を逸らした。
金髪の男子生徒は緊張感が走る教室の空気など気にすることもなく辺りを見回したあと、ズカズカと八重の方へと向かっていき…驚きで固まっている彼女の横を通り過ぎて隣の席へドカリと座った。
彼は目を丸くして呆気に取られたままの八重を興味なさげに一瞥し、ふいと窓の外を眺めてガムを膨らませると胸元から黒い手帳を取り出しなにやら書き込み始めた。
(……金髪にピアス、ガムまで噛んでてめちゃくちゃ悪そうな感じの人だ)
せっかく新しい環境でもやっていけそうと思った矢先に、こんな絵に描いたような柄の悪い人が隣になるとは…。
八重は平穏な学校生活のためにも、この隣に座った金髪の男子生徒とこれ以上関わることがありませんようにと、こっそり神へ祈ったのだった。
――だがしかし、その祈りは全く叶うことがないと後に思い知ることになる。
***
「柚木八重、お前に用がある。ちょっと来い」
放課後、いつものように図書室で勉強に励んでいた八重の頭上に突然降ってきた声。
嫌な予感がしてそぉっと顔を上げると、鋭い目をした金髪の男子生徒が無表情にこちらを見下ろしていた。
蛭魔妖一
泥門高校の悪魔と呼ばれるその男は、あらゆる手段を用いて他人の弱みを握り、学校の表から裏からと手を回し、生徒達をはじめ教師や校長…それどころか警察でさえも自分の都合のいいように動かす傍若無人、そして法律どころか神をも恐れぬとんでもない人間ということであった。
そんなとんでもない人間に声をかけられて、八重は思わずぽかんと目と口を丸くした。
入学初日から今日に至るまで、彼とは殆ど接点がなく挨拶さえも交わしたことが無いのに…なぜ。
「…え、………私?」
「他に誰がいんだよ。いいから来い」
「あ、はい…」
困惑の表情を浮かべて首を傾げた八重の姿に、蛭魔は片眉を上げ呆れたような表情を浮かべると人差し指をチョイチョイと動かしてこちらについて来いと促してくる。
…逆らったら何が起こるか分からない。
八重はコッソリとため息を吐き、素早く本をまとめてから鞄にしまい彼の背中を追いかけた。
途中ですれ違う生徒たちの同情や驚愕の視線に身を小さくさせながら蛭魔の後に付いていくと、校舎裏にある小さな建物の前に到着した。
「ここって…?」
「アメフト部の部室」
入り口の前で独り言のように呟いた八重へぶっきらぼうに返事をした蛭魔はガラッと足で乱暴にドアを開けて中へと入っていく。
その後姿をぼんやりと見つめていた八重だったが、早く来いと中から声をかけられハッと背筋を伸ばすと恐る恐る中に足を踏み入れた。
「適当に座れ」
「し、失礼します…」
荒れた様子の室内に少し驚きながらも近くの椅子に座った八重の姿を確認すると、蛭魔もまた適当な椅子を掴んで彼女の前に置きドカリと腰を下ろした。
「柚木八重、お前…管理栄養士を目指してるんだよな?」
「え、なんで知ってるの…?」
「ケケッ、この程度の情報なんざ俺にかかれば簡単に手に入る…まぁンなこたどうでもいい。…柚木、お前は俺の専属栄養士になれ」
「専属……栄養士…」
思わぬ申し入れに現実感が掴めず、ぼんやりと返事をする八重に構うことなく蛭魔はどんどんと話を進めていく。
彼は現在アメフト部を立ち上げて活動しているらしいのだが、人手が足りないうえに日々情報収集や鍛錬などで忙しく現在は食事に関してあまり手を回せていない。
最終的にプロのアメフト選手を目指している蛭魔にとって今からでもきちんと身体を作っていく必要があり、栄養管理は重要な項目のひとつ。
「――そこで、お前の出番」
ぴ、と指をさされて思わず仰け反った八重は、やっと自分が呼び出された理由が分かり少しだけ安堵した。
…しかしまさか、専属栄養士とは。
「はぁ…あの、やるのは構わないんだけど…私、勉強を始めたばかりで知識が浅いから…あまり役に立てないと思うよ」
自分で話していて情けない気持ちになってきた八重はしょんぼりと肩を落として鞄を抱き締めた。
八重が管理栄養士を目指すと決めてから、まだ1年程度しか経っていない。
自分なりに情報を集めて勉強はしているが、所詮は独学。
とてもじゃないがプロ選手の夢に向けて頑張っているという蛭魔の役に立てるとは思えない…むしろ足を引っ張るのではという不安しかなかった。
対して蛭魔は、予想よりあっさりと受け入れる気を見せた八重の態度に少し目を見張ったが、すぐに笑みを浮かべると俯く彼女にぐっと身を寄せて顔を覗き込んだ。
「……既に国家試験の過去問まで取り寄せてる人間が、なかなか謙虚なこと言ってんじゃねぇか」
「え!?なんで知ってるの!?」
目を丸くして顔を上げた八重に、蛭魔は得意気な表情を浮かべて彼女の顔の前に人差し指を立てた。
「ケケケケケッ!言ったろ、この程度の情報なんざ俺にかかれば簡単に手に入るって。…まぁよく聞け、別に今すぐプロ並みのサポートをしろとまでは言ってねぇ。お前が今持ってる知識を実践するつもりでやってくれりゃあそれでいい。もちろんタダでとは言わねぇ、報酬も出す」
「……報酬?」
「ケケッ、そうだな…お前の働き次第だが、最低でもこんくらいは出せるぜ。」
「…え、うそ、こんなに…?」
いつの間に用意していたのか、蛭魔はパチパチと電卓を叩いて計算した金額を八重へと見せると、その額の多さに八重は思わず手で口を覆ってしまった。
確かに、ゆくゆくは国家試験を目指す八重にとって、学費は今後大きく頭を悩ませるであろうもののひとつ。
蛭魔からの提案を受ければ、ただバイトで時間が潰されるよりもずっと有意義に時間を使って学費を稼ぐことができる。
「あの…なんかあまりにも私に都合が良すぎて逆に不安になってきちゃった。蛭魔くんは本当に私でいいの?報酬が用意できるなら、いっそプロの管理栄養士にお願いした方がいいんじゃ…」
「…プロに依頼することも考えたが、諸々の手間を考えると身近な人間の方が都合がいい。ちょうど同級生に管理栄養士志望がいるなら、なおさら利用しない手はねぇだろ。お前は既に一般的な栄養士の知識なら持ってるみてーだしな。俺は効率良く専属栄養士を手に入れられる。お前は実務経験が積めて収入も得られる。Win-Winだろ?」
「Win-Win…まぁ、蛭魔くんがそう言うなら…いいか。私でよければやってみるよ」
「ケケッ、取引成立だな」
まだ少し不安はあるが、蛭間の考えを聞いて少し気が楽になった。
こんな機会は滅多に無いし、せっかく自分の知識を活かせる場が与えられるのなら頑張ってみたい。
なにより校内のあらゆる人間から恐れられている蛭魔が、実際に話してみるとそこまで無茶苦茶な人間ではなさそうというのも大きかった。
人を見た目で判断してはいけないと祖母が昔言っていたのに、見た目が怖いというだけで蛭魔に苦手意識を持っていた八重は密かに反省をした。
「…これから、よろしくお願いします」
「おう、任せたぞ。専属栄養士様?ケケッ」
「そ、その呼び方はちょっと……あ、そうだ。やるなら出来る限りちゃんとやりたいし、蛭魔くんのこと色々と教えてね。あとアメフトについても詳しく勉強した方がいいよね?申し訳ないけど、私アメフトって本当に詳しくなくて。参考に出来るものがあるなら教えてほしいんだけ…――どっ!?」
八重が言葉を言い切る前に、胸に抱えていた鞄の上に大量の本やDVDなどが積み上げられる。
突然の重さに思わずふらつき、積み上げられたものが落ちそうになるのを慌てて抱え込んで確認すると全てアメフト関係の物のようだった。
「え、ちょ、重っ……!?」
「ケケケケケッ!よく言った柚木八重!今からお前にアメフトの全てを叩き込む!覚悟しろ!」
「今から!?」
「ったりめーだ!俺の専属になったからにはアメフトは完璧にマスターしてもらうぜ!」
「えぇ…すごい無茶苦茶を言う……はぁー、仕方ない。分かったよ」
前言撤回。蛭魔妖一はやっぱり無茶苦茶な人間だった。
数分前の反省を返してほしいと思う八重だったが、やると決めたからにはキチンとやるのは当然だ。
まして金銭のやり取りが発生するのであれば、尚更。
こうなったら今日でアメフトを完璧に覚えてみせる。
でも、せめて家で待つ祖母に帰りが遅くなるという連絡だけはしなければ…。
「あのー…アメフトの全てを叩き込まれる前に、家に連絡してもいいかな?家族に心配かけたくなくて」
「あぁ、連絡なら必要ねーぞ。もう話して許可も取ってある」
「……え?」
そろりと手を上げて蛭魔を見上げる八重に、まるで明日の天気の話でもするように蛭魔はカラリと不穏な発言を落としてきた。
「許可って……どういうこと…?」
「お前ん家まで行ってばーちゃんに話つけてきたっつってんだよ。『八重をよろしくお願いします』って喜んでたぜ?」
「…嘘でしょ…もし私が断ってたらどうするつもりだったの…?」
そんな話、祖母からは全く聞いていない。
八重の預かり知らぬところで、いつの間にそんなことをしていたのか。
あまりの事に呆然と蛭魔を見上げると、彼は絶対に逃さないとでも言うような勢いでガシッと八重の肩を掴み、満面の笑みを浮かべた。
「そんなん、お前がハイと言うまで帰さねぇに決まってんだろ。いやぁ〜優しいばーちゃんの為にもしっかりと頑張らねぇとなぁ?八重チャン?ケーケケケケケッ!」
「や、やっぱりこの人悪魔だ……」
蛭魔妖一に目を付けられたら終わり。
まさしく今それを実感した八重は観念するように椅子の背に身体を預け脱力した。
真っ赤な夕陽が差し込む校舎裏の小さな建物にまさしく悪魔のような蛭魔の笑い声が響き渡り、グラウンドで部活動に励む生徒や帰宅途中の生徒たちは一瞬身体を強張らせて固まったが、絶対に関わらないよう顔を背けてそそくさとその場を後にするのだった。
今日は私立泥門高校の入学式。
真新しい制服に身を包んだ新入生と思われる生徒たちの中で、彼等と同じく今日から高校生となる柚木八重は微かに緊張する胸をおさえて大きく深呼吸をした。
幼い頃に事故で両親を亡くして祖母と二人暮らしをしている彼女は、少しでも祖母の負担を軽くするために家から近く、そして運良く推薦枠を手に入れたことにより学費が抑えられる泥門高校へと入学することに決めた。
元々中学から成績は優秀で、本来であればもっと偏差値の高い高校も狙えた八重だったが…目的を遂げるために偏差値が低めの泥門高校はある意味でも都合が良かった。
彼女の目的…それは管理栄養士の国家試験に受かること。
そして手に職をつけて自分を引き取り育ててくれた祖母を一日でも早く安心させること。
おそらく泥門高校ならば授業を聞いているだけで進級に必要な成績は充分維持できるはず。
本来なら授業の予習復習にあてる時間を国家試験に向けた勉強に回し、管理栄養士になるための進路まで道を着実に固めていきたい。
自分ならできる。やってみせる。
「よし、がんばろう」
一人決意を固めた八重は、気合を入れて泥門高校の門をくぐったのだった。
***
ざわざわと生徒たちの声で賑わう教室の中で、滞りなく入学式を終えた八重は教科書などのチェックをしながら周りの生徒達と挨拶を交わしていた。
みんな気の良さそうな人ばかりで、ほっと胸を撫で下ろした瞬間――、
スパァーン!と勢い良くドアが開き、一人の男子生徒が颯爽と教室の中に入ってきた。
天に向かって逆立つ金髪、尖った耳に光るシルバーのピアス。射貫くような鋭い眼光。
更には銃火器のようなものまで肩に担いでいる、明らかに堅気じゃなさそうな彼の姿に、先程まで和やかに話していた生徒たちはまるで水を打ったかのように静まり返り慌てて彼から目を逸らした。
金髪の男子生徒は緊張感が走る教室の空気など気にすることもなく辺りを見回したあと、ズカズカと八重の方へと向かっていき…驚きで固まっている彼女の横を通り過ぎて隣の席へドカリと座った。
彼は目を丸くして呆気に取られたままの八重を興味なさげに一瞥し、ふいと窓の外を眺めてガムを膨らませると胸元から黒い手帳を取り出しなにやら書き込み始めた。
(……金髪にピアス、ガムまで噛んでてめちゃくちゃ悪そうな感じの人だ)
せっかく新しい環境でもやっていけそうと思った矢先に、こんな絵に描いたような柄の悪い人が隣になるとは…。
八重は平穏な学校生活のためにも、この隣に座った金髪の男子生徒とこれ以上関わることがありませんようにと、こっそり神へ祈ったのだった。
――だがしかし、その祈りは全く叶うことがないと後に思い知ることになる。
***
「柚木八重、お前に用がある。ちょっと来い」
放課後、いつものように図書室で勉強に励んでいた八重の頭上に突然降ってきた声。
嫌な予感がしてそぉっと顔を上げると、鋭い目をした金髪の男子生徒が無表情にこちらを見下ろしていた。
蛭魔妖一
泥門高校の悪魔と呼ばれるその男は、あらゆる手段を用いて他人の弱みを握り、学校の表から裏からと手を回し、生徒達をはじめ教師や校長…それどころか警察でさえも自分の都合のいいように動かす傍若無人、そして法律どころか神をも恐れぬとんでもない人間ということであった。
そんなとんでもない人間に声をかけられて、八重は思わずぽかんと目と口を丸くした。
入学初日から今日に至るまで、彼とは殆ど接点がなく挨拶さえも交わしたことが無いのに…なぜ。
「…え、………私?」
「他に誰がいんだよ。いいから来い」
「あ、はい…」
困惑の表情を浮かべて首を傾げた八重の姿に、蛭魔は片眉を上げ呆れたような表情を浮かべると人差し指をチョイチョイと動かしてこちらについて来いと促してくる。
…逆らったら何が起こるか分からない。
八重はコッソリとため息を吐き、素早く本をまとめてから鞄にしまい彼の背中を追いかけた。
途中ですれ違う生徒たちの同情や驚愕の視線に身を小さくさせながら蛭魔の後に付いていくと、校舎裏にある小さな建物の前に到着した。
「ここって…?」
「アメフト部の部室」
入り口の前で独り言のように呟いた八重へぶっきらぼうに返事をした蛭魔はガラッと足で乱暴にドアを開けて中へと入っていく。
その後姿をぼんやりと見つめていた八重だったが、早く来いと中から声をかけられハッと背筋を伸ばすと恐る恐る中に足を踏み入れた。
「適当に座れ」
「し、失礼します…」
荒れた様子の室内に少し驚きながらも近くの椅子に座った八重の姿を確認すると、蛭魔もまた適当な椅子を掴んで彼女の前に置きドカリと腰を下ろした。
「柚木八重、お前…管理栄養士を目指してるんだよな?」
「え、なんで知ってるの…?」
「ケケッ、この程度の情報なんざ俺にかかれば簡単に手に入る…まぁンなこたどうでもいい。…柚木、お前は俺の専属栄養士になれ」
「専属……栄養士…」
思わぬ申し入れに現実感が掴めず、ぼんやりと返事をする八重に構うことなく蛭魔はどんどんと話を進めていく。
彼は現在アメフト部を立ち上げて活動しているらしいのだが、人手が足りないうえに日々情報収集や鍛錬などで忙しく現在は食事に関してあまり手を回せていない。
最終的にプロのアメフト選手を目指している蛭魔にとって今からでもきちんと身体を作っていく必要があり、栄養管理は重要な項目のひとつ。
「――そこで、お前の出番」
ぴ、と指をさされて思わず仰け反った八重は、やっと自分が呼び出された理由が分かり少しだけ安堵した。
…しかしまさか、専属栄養士とは。
「はぁ…あの、やるのは構わないんだけど…私、勉強を始めたばかりで知識が浅いから…あまり役に立てないと思うよ」
自分で話していて情けない気持ちになってきた八重はしょんぼりと肩を落として鞄を抱き締めた。
八重が管理栄養士を目指すと決めてから、まだ1年程度しか経っていない。
自分なりに情報を集めて勉強はしているが、所詮は独学。
とてもじゃないがプロ選手の夢に向けて頑張っているという蛭魔の役に立てるとは思えない…むしろ足を引っ張るのではという不安しかなかった。
対して蛭魔は、予想よりあっさりと受け入れる気を見せた八重の態度に少し目を見張ったが、すぐに笑みを浮かべると俯く彼女にぐっと身を寄せて顔を覗き込んだ。
「……既に国家試験の過去問まで取り寄せてる人間が、なかなか謙虚なこと言ってんじゃねぇか」
「え!?なんで知ってるの!?」
目を丸くして顔を上げた八重に、蛭魔は得意気な表情を浮かべて彼女の顔の前に人差し指を立てた。
「ケケケケケッ!言ったろ、この程度の情報なんざ俺にかかれば簡単に手に入るって。…まぁよく聞け、別に今すぐプロ並みのサポートをしろとまでは言ってねぇ。お前が今持ってる知識を実践するつもりでやってくれりゃあそれでいい。もちろんタダでとは言わねぇ、報酬も出す」
「……報酬?」
「ケケッ、そうだな…お前の働き次第だが、最低でもこんくらいは出せるぜ。」
「…え、うそ、こんなに…?」
いつの間に用意していたのか、蛭魔はパチパチと電卓を叩いて計算した金額を八重へと見せると、その額の多さに八重は思わず手で口を覆ってしまった。
確かに、ゆくゆくは国家試験を目指す八重にとって、学費は今後大きく頭を悩ませるであろうもののひとつ。
蛭魔からの提案を受ければ、ただバイトで時間が潰されるよりもずっと有意義に時間を使って学費を稼ぐことができる。
「あの…なんかあまりにも私に都合が良すぎて逆に不安になってきちゃった。蛭魔くんは本当に私でいいの?報酬が用意できるなら、いっそプロの管理栄養士にお願いした方がいいんじゃ…」
「…プロに依頼することも考えたが、諸々の手間を考えると身近な人間の方が都合がいい。ちょうど同級生に管理栄養士志望がいるなら、なおさら利用しない手はねぇだろ。お前は既に一般的な栄養士の知識なら持ってるみてーだしな。俺は効率良く専属栄養士を手に入れられる。お前は実務経験が積めて収入も得られる。Win-Winだろ?」
「Win-Win…まぁ、蛭魔くんがそう言うなら…いいか。私でよければやってみるよ」
「ケケッ、取引成立だな」
まだ少し不安はあるが、蛭間の考えを聞いて少し気が楽になった。
こんな機会は滅多に無いし、せっかく自分の知識を活かせる場が与えられるのなら頑張ってみたい。
なにより校内のあらゆる人間から恐れられている蛭魔が、実際に話してみるとそこまで無茶苦茶な人間ではなさそうというのも大きかった。
人を見た目で判断してはいけないと祖母が昔言っていたのに、見た目が怖いというだけで蛭魔に苦手意識を持っていた八重は密かに反省をした。
「…これから、よろしくお願いします」
「おう、任せたぞ。専属栄養士様?ケケッ」
「そ、その呼び方はちょっと……あ、そうだ。やるなら出来る限りちゃんとやりたいし、蛭魔くんのこと色々と教えてね。あとアメフトについても詳しく勉強した方がいいよね?申し訳ないけど、私アメフトって本当に詳しくなくて。参考に出来るものがあるなら教えてほしいんだけ…――どっ!?」
八重が言葉を言い切る前に、胸に抱えていた鞄の上に大量の本やDVDなどが積み上げられる。
突然の重さに思わずふらつき、積み上げられたものが落ちそうになるのを慌てて抱え込んで確認すると全てアメフト関係の物のようだった。
「え、ちょ、重っ……!?」
「ケケケケケッ!よく言った柚木八重!今からお前にアメフトの全てを叩き込む!覚悟しろ!」
「今から!?」
「ったりめーだ!俺の専属になったからにはアメフトは完璧にマスターしてもらうぜ!」
「えぇ…すごい無茶苦茶を言う……はぁー、仕方ない。分かったよ」
前言撤回。蛭魔妖一はやっぱり無茶苦茶な人間だった。
数分前の反省を返してほしいと思う八重だったが、やると決めたからにはキチンとやるのは当然だ。
まして金銭のやり取りが発生するのであれば、尚更。
こうなったら今日でアメフトを完璧に覚えてみせる。
でも、せめて家で待つ祖母に帰りが遅くなるという連絡だけはしなければ…。
「あのー…アメフトの全てを叩き込まれる前に、家に連絡してもいいかな?家族に心配かけたくなくて」
「あぁ、連絡なら必要ねーぞ。もう話して許可も取ってある」
「……え?」
そろりと手を上げて蛭魔を見上げる八重に、まるで明日の天気の話でもするように蛭魔はカラリと不穏な発言を落としてきた。
「許可って……どういうこと…?」
「お前ん家まで行ってばーちゃんに話つけてきたっつってんだよ。『八重をよろしくお願いします』って喜んでたぜ?」
「…嘘でしょ…もし私が断ってたらどうするつもりだったの…?」
そんな話、祖母からは全く聞いていない。
八重の預かり知らぬところで、いつの間にそんなことをしていたのか。
あまりの事に呆然と蛭魔を見上げると、彼は絶対に逃さないとでも言うような勢いでガシッと八重の肩を掴み、満面の笑みを浮かべた。
「そんなん、お前がハイと言うまで帰さねぇに決まってんだろ。いやぁ〜優しいばーちゃんの為にもしっかりと頑張らねぇとなぁ?八重チャン?ケーケケケケケッ!」
「や、やっぱりこの人悪魔だ……」
蛭魔妖一に目を付けられたら終わり。
まさしく今それを実感した八重は観念するように椅子の背に身体を預け脱力した。
真っ赤な夕陽が差し込む校舎裏の小さな建物にまさしく悪魔のような蛭魔の笑い声が響き渡り、グラウンドで部活動に励む生徒や帰宅途中の生徒たちは一瞬身体を強張らせて固まったが、絶対に関わらないよう顔を背けてそそくさとその場を後にするのだった。
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