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――あ…これはヤバい。
一瞬で状況が逆転した。こんな男相手に手こずるなんて、らしくない。眼前に振り上げられた刃が、まるで時間を切り裂くかのように、緩慢な軌道を描いて私に迫る。冷たい死の予感が、肌を這い上がった。
――マルコに返事したかったのになぁ。
次の刹那、見慣れた鮮やかな青い炎が視界の端を焦がし、大きくて鋭い鉤爪が迫った。
「マルコ!!」
マルコの鉤爪が、深く男の筋肉に食い込む。布を裂き、肉を引き裂き、骨にまで届きかける勢いだ。同時に、大の男の喉が引き絞られたような悲鳴が響く。
「ぐああああっ!!」
男が握っていた剣が、乾いた鈍い音を立てて地面に転がった。
「おい。お前、誰を殺ろうとしてたんだい?」
低く、濁りのない声。普段聞き慣れた、どこか余裕のある彼の声色とは違う。その声には激情も叫びもなかった。だが、奥底には抑えきれない怒りが、まるで獲物を追い詰める猛禽の眼差しのように、あるいは深海の底に沈む闇のように、静かに、だが確実に染み込んでいた。抑えられたその声が、どれほどの怒気を孕んでいるのか、皮膚が粟立つほどに実感させられた。
「叫んでねぇで、答えろぃ。」
男の腕を掴んだまま、マルコは躊躇なく浮上する。その度に、男の肉に食い込む鉤爪がさらに深まり、悲鳴は一層引き裂かれるような絶叫へと変わった。「お前は下がってろ」と、私の瞳だけを射抜くようにして放たれた彼の声は、感情の欠片も感じさせない、ただの音の羅列だった。いつも穏やかな蒼の瞳には、信じられないほどの冷酷さが宿っている。彼はそのまま男を引きずり上げ、容赦なく地面に叩きつけるかのようにして、私から遠ざかっていく。
以前、ビスタから聞かされた話を思い出した。
『昔のマルコは、今みたいに落ち着いちゃいねぇんだ。俺らがよく知ってる、もっと感情的なガキだったぜ。随分と激情型で、よく笑うし、悪戯もよくする、わがままな面もあったもんだ。』
人の過去に深入りしない主義の私だから、それ以上は訊かなかった。それに、私が知っているマルコはいつも飄々としていて、仲間想いだけどどこか達観しているような、そんな男だったから。だが、今、目の前で繰り広げられている光景は、脳裏に焼き付いている「穏やかで余裕のあるマルコ」の姿と、あまりにもかけ離れていた。返り血を浴びながら、既に戦意を喪失した男をいたぶるその姿は、まるで別人のようだ。それなのに、胸の奥には言いようのないざわめきが広がっていく。これが、彼なのか……?
「おーい!!ナマエー!」
ラクヨウの声で我に返り、戦場で何を考えているんだと自分を叱咤しつつ、ラクヨウへ急いで駆け寄った。
「おーおー。マルコ、キレてる感じ?」
荒ぶるマルコを見てゲラゲラと笑っているラクヨウだったけれど、「久しぶりだな」と、割と真剣な声で呟いたのを私は聞き逃さなかった。「止めてくるから、ナマエは一番隊を呼んできてくれ。」ガチャガチャとチェーンハンマーを鳴らし、ラクヨウはニヤニヤしながらマルコと男へ向かっていく。私は指示された通り、一番隊を探しに走った。
―――
一番隊の数名と一緒に戻る頃には、あの惨劇は終わっていた。
遠目からでもわかるほど傷だらけのラクヨウは胡座をかいて座っていて、マルコはその近くの瓦礫を背にして、いつものようにニヤリと笑っていた。まるで、先ほどの殺気が嘘のようだ。
「「隊長ーーーー!」」
一番隊の隊員がマルコへ駆け寄る。私は、歩を早めることはせずに、自分の愛刀を鞘へおさめた。
なぜラクヨウが傷だらけなのか聞きたくて仕方なかったけれど、まずは助けてくれたマルコにお礼を言った。
「マルコ…ありがとう。本当に助かったよ。」
「よいよい。ビビらせちまって悪かったな。」
先ほどの冷酷さが影を潜め、少しだけ困ったように笑ういつものマルコがそこにいた。私は安堵して、深く頭を下げた。
「本当にありがとう」
さて、我らが七番隊隊長のラクヨウ。あなたは何故に怪我だらけなのかしら?
「ラクヨウ、さっきまで無傷だったのにどうしたの?」
「マルコのせい。」
ポケットからハンカチを出して少し不貞腐れた表情のラクヨウに渡す。かすり傷や切り傷がいくつもあり、痛々しい。マルコはまた、どこか楽しげに笑っている。
聞けば、マルコが本気でキレると見境いが無くなってしまい、昔はオヤジにも食って掛かるくらい酷く、そんな時はオヤジに吹っ飛ばされて正気に戻っていたらしい。当時のクルーから幾度となく怒られても、見捨てられなかった理由は、《クルーの生死が関わるとキレてしまう》という、どうしようもない仲間思いの強さだったから。本当に、極端な男。
「マルコ!お前、マジでふざけんなよ!」
「あ?止められねぇラクヨウがわりぃんだろぃ?」
「昔っから何度も止めてんのは俺だぞ!!」
「わりぃわりぃ。見境なくなっちまうからねぃ。でもよぃ、久しぶりにキレると疲れるねぃ。」
「止めに入る俺が一番疲れてんだよー!!船まで俺を運べよ!」
「よいよい。」
20年以上一緒に船にいると、戦闘直後はこんなにも緊張感のないやり取りになるのだろうか…。
マルコは手足だけ不死鳥になり、脚を器用に使ってラクヨウをとても簡単に持ち上げる。あの脚は、さっきまで人の肉を引き裂いていたとは思えないほど、今は優しくラクヨウを支えている。器用なもんだと、改めて感心した。私や一番隊の隊員の歩調に合わせて、フワフワとマルコは低空飛行する。
運ばれているラクヨウは、「極楽だなーー」なんていつも以上に大声で笑い、その声のボリュームで「なぁなぁ!!マルコ!!」なんて言うから、何か大切なことでも言うのかと思い、みんながラクヨウの言葉の続きを待った。
「お前がキレッキレッだった理由って、うちの隊のナマエがきっかけだろー?なんかあんの?お前ら。」
天真爛漫なニコニコの笑顔で。なぁなぁ!教えてくれよーーと。
なんという爆弾を投下してくれるんだ。うちのドレッド隊長様は。
それまで低空飛行気味だったマルコは急に高度を上げて、上空へ舞い上がった。ラクヨウが悲鳴を上げていたけれど、もう放っておこう。
「すいません。うちの隊長がバカで。」
何に謝罪しているか不明だったが、私は苦笑いをして一番隊へ頭を下げた。彼らがにこやかに笑い返してくれるのが、この船の温かさだった。
マルコがキレた理由は、私がピンチだったから。これは明白だ。
というのも…つい先日、あの日差しが心地よい昼下がり、甲板の端で二人きりになった時、不意にマルコから告白されたばかりだった。いつも飄々としている彼が、少しだけ緊張した面持ちで、でも真剣な眼差しで「ナマエ。お前のことが好きだよい」と。予想外の言葉に、私はうまく言葉を返せなかった。ただ、「今日の夜に返事をする」と、曖昧な約束をして、その場を逃げるようにしてしまったのだ。そして、今日、返事を伝える前に、こんな陸での戦闘に巻き込まれてしまったというわけだ。
考えてみれば当然のことだ。クルーであり、そして、返事を待っている女が、目の前で凶刃に晒されそうになっていたのだ。彼が理性を失うのも、無理からぬことだろう。
遠くの空からラクヨウの悲鳴が聞こえるけれど、それも仕方ないよね。
今も昔もマルコは猛獣のようだ。
でも、私は知ってしまった。その猛獣の奥に隠された、優しさや仲間への深い愛情も。そして、私に向けられた、少し不器用な想いも。
今夜、私は彼に伝えよう。
そんな極端なところも、全部ひっくるめて――好きだって。
猛獣マルコのお取り扱いにご注意ください。でも、その爪も牙も、私を守るために使ってくれるなら、それも悪くない。
