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「私は主。私は主」
高価なイブニングドレスを着て、完璧に着飾った私は、鏡の前で自分に暗示をかけ続けた。
もちろん、そんな私を見てマルコは爆笑している。
白い手袋を片方外し、口元を手で隠しながら肩を震わせて。蒼い瞳が、どうしても笑いを堪えきれていない。
「……ぶふっ……わ、悪い……でも"私は主、私は主"って……お前………」
悪いなんて言っているけど、マルコはめちゃくちゃに笑っている。
「笑わないでよ〜!絶対ボロ出そうなんだもん!」
「くくく……悪かったよい。機嫌直せよ」
ひとしきり笑ったマルコは、大きく深呼吸をしてから、ゆっくりと私の全身を確認する。
そんなマルコを見て、私は盛大にため息をつく。
「似合ってるよ。どこへ出しても恥ずかしくない、美しい主様だよい」
「いや、さっきからずっと笑ってんじゃん」
「あれは、お前が面白えからだろ。……いや、可愛かったからだな」
結局笑ってるじゃんとムッとしていると、マルコは執事の仮面を被ってすぐ側まで来た。私の肩のストールを整えながら耳元で甘く囁かれる。
「……もう少し自信を持てると完璧だねい」
そのギャップに心臓が大きく鳴る。
マナーもお作法も、ビスタとサッチとたくさん練習した。お墨付きだってもらえた。何も心配することはない。
でも、どうしても受け入れられないのだ——自分が主で、マルコが執事という役割が。
だって……こんなに燕尾服が似合う海賊って、居るの?
白手袋が似合うんだよ……モノクルも。
任務中に見とれないように気をつけなきゃ…でも、今は見ていてもいいのかなぁ……
「本番はこれからだからなぁ。主様……俺が隣にいるから安心しとけ」
「えぇ……任せたわ」
これでいいの?と問うように、マルコをチラリと見上げる。
「はい。光栄に存じます、主様」
落ち着いた声と、少しの微笑みで、マルコは完璧な執事になった。
白手袋の指先で、そっと私のグローブを整えてくれる。
——任務中じゃなければ、と思うのは私だけだろうか。
ひと呼吸置いて、耳元に少しだけ顔が寄せられる。
「大丈夫だよい。練習も完璧だったし、お前は堂々としていればいいだけだ。
お前の隣にいるから、安心しろい」
そう言いながらドアを優雅に開けて、
「行きましょう、主様」
リラックスさせようとしてくれていることはわかっている。でも、マルコの尽くしっぷりに頭を抱えそうになる。ここぞとばかりに距離が近く、すぐに耳元で囁く。
いちいち照れてなんていられないから平然を装うが……マルコの満足気な表情を見れば、装えていないことは一目瞭然だった。
ドアの外に広がるきらびやかな世界。その眩しさに思わず、目を細めた。
覚悟を決めるしかない。スッと深呼吸をして、背筋を伸ばす。エスコートされた手に、そっと手を乗せる。
「えぇ。いきましょう」
差し出した手を取ったマルコが、わずかに親指を返してくれた。"安心しろ"という無言の合図。
——その優しさがまた緊張の原因なんだけど。
普段なら絶対に宿泊しないような高級ホテルのコネクティングルーム。しかもスイート。あのケチなオヤジがよくお金出したなーと思った。それほど、相手は迷惑なヤツらということだ。
だだっ広い部屋にひとりきりも落ち着かないけど、扉の繋がったコネクティングルームにマルコが居るというのも、落ち着かなかった。1週間ほどの期間だったけど。その生活も今日の任務が終われば終了。
嬉しいような、少し寂しいような。
パーティー会場に到着し、大広間へ一歩踏み入れた瞬間、シャンデリアの光が反射し、ドレスが一層輝く。
周囲の客がちらりとこちらへ視線を寄越すのがわかった。
エスコートされたまま歩き出すと、マルコが少し身を屈めて低く囁く。
「いつでも合図しろ……忘れんなよ?」
————ふたりで決めた相槌。
マルコの袖を引っ張る回数で行動を決める。
一回なら、このまま
二回なら、離脱
三回なら、相手を捕縛または、仕掛ける
マルコを横目に見て、余裕たっぷりに微笑む。
「大丈夫よ。頼りにしてるわ」
堂々としていればいい——さっきの言葉が、胸に響いて、緊張していた体から力が抜けた。強張った表情が緩み、自然と口角が上がる。
周囲の視線に負けず、前を向き、胸を張って歩ける余裕も生まれた。
――こんなに頼もしい人が隣に居るんだから、大丈夫。
「中央から、行きましょうか」
そう言いながら、頭の中で任務を確認する。覚えた顔ぶれを探し出し、接近する予定だ。
しかし……女性達からの視線も大いに集まっている。
これは、大誤算だった。
「どちらの貴族かしら?」「お名前を伺いたいわ」などの声も聞こえる。
チラリとマルコを見ると、そんな声はどうでも良さそうに、私へ微笑んでいた。
少しかがむようにジェスチャーすると、マルコの顔が近づく。
「マルコが目立ってるよ。大丈夫?」
「心配いらねいよい」
エスコートする腕に、ほんの少しだけ力がこめられた。周囲の視線など気にする必要はないと伝えているのだろう。
——こんなに頼もしい執事を演じられる海賊は、やっぱり他にいない。
会場中央で、貴族達やこの国の偉い人達と挨拶を交わした。勉強に勉強を重ねた知識と、マナー、立ち振舞——全てをここで発揮する。
しかし、聞きたい情報や探している人物はなかなか現れない。警戒されているのか……。
「申し訳ございません。少々、失礼いたします」
一度喧騒から抜け出し、マルコを連れてバルコニーへ向かう。慣れない場に少し疲れが見えてきた。
足も痛いし。
ワインとシャンパンばかりで飽きてきたし。
私はラム酒が飲みたい。それか、サッチの淹れた甘いミルクティー。
バルコニーには誰もおらず、今日は新月で星が瞬く静かな夜だと初めて知った。
「少し、休憩させて……」
バルコニーに出た途端、張りつめていた喧騒が嘘のように消えた。
夜風がドレスの裾を静かに揺らし、ひんやりした空気が頬に触れる。
欄干に手を添えて息を整えると、すぐ横にいるマルコが背にそっと手を添えてくれた。
「休んでいいよい。無理しなくていい……よくやってるよ、お前は。
……喉、乾いてるだろい?水、持ってこようか?」
私の足元へ視線を落として、少し眉を寄せる。
「足、痛ぇんじゃねえの。ヒールなんか慣れてねぇだろうし。
ここなら誰にも邪魔されねぇから、少しの間脱いどけよ」
ポケットから綺麗なハンカチを出し、コンクリートに膝をついたマルコが、私の足元にそれを広げた。
そして、私を見上げ優しく微笑む。
「これなら、気兼ねなく脱げるだろい?」
あまりにもスマートな動作に、驚いて反応が遅れた。
「……ありがとう」
ゆっくりとヒールを脱ぐ。
サイズを測って購入したヒールだが、脱いでみると数カ所に靴擦れが起きていた。
窮屈なヒールから開放された足先は、型抜きされたみたいに指先が固まっている。
「ありがとう。靴擦れ、結構痛いんだよね……」
「あとで治療してやるよい。今はこれだけな……」
マルコは、赤く腫れた部分に小さな蒼炎を灯す。
炎のじんわりとした温かさが、疲れも癒してくれるようだった。
ひざまずくマルコの肩に手を添え、「ありがとう……助かる」と、素直にお礼を伝える。
マルコは少し困ったように笑ってから立ち上がり、燕尾服を私の肩へ掛けた。
「ストールだけじゃ、夜風は冷えるだろ」
そして、「水取ってくる。待ってろ」と会場へ戻っていった。
バルコニーにひとりで、空を見上げた。
肩に掛けられた燕尾服から、彼の香りがして落ち着く。
頭の中で計画を反芻して、探している人物の顔や情報を繰り返し思い出す。パーティーが始まって3時間は経つが現れないところをみると、今回は無駄足だったのか……。
少し頭を抱えてしまう。
「探しましたよ!」
突然声をかけられ、声の大きさに驚いて背中が揺れた。
「っ!」
振り返ると……ボディタッチが多く、しつこかった貴族の御子息が居た。最悪なことに、ひどく酔っているようだ。
「あら……どうなさいましたか?」
姿勢を直して、にこやかに答える。
水を取りに行ったはずのマルコは、まだ戻ってこない。
——マルコ、戻ってきて。早く!面倒くさいから殴っちゃいそう……
「こんなところにいたんですねぇ……探しましたよ」
鼻にかかった声と共に、酒と香水の入り混じった匂いが一気に近づいてくる。
少し下がると御子息はさらに距離を詰め、私を欄干との間に追い詰めるようにしてくる。
「さっきはお話の途中でしたよね?もう少し……僕に付き合ってくれても、いいじゃないですか?」
伸びてきた手首を避けながら、笑みを崩さず応対する。
——マルコ、早く……
御子息がさらに踏み込もうとした、その瞬間。
カツ、カツ、カツ。
靴音がやけに響く。
「お待たせしました。……主様」
マルコがバルコニーへ入ってくる。手にはグラスの水。
蒼い目は、笑っていない。御子息へ向けられたその瞳は、夜気より冷たい光を宿していた。
「失礼いたします。
主様へ、ご用件がおありでしょうか。……もしそうであれば、私がお伺いいたしますが」
穏やかな声音なのに、底に鋭い棘がある。御子息は、思わず一歩後ずさった。
「あ、い、いや……ただ挨拶を……!」
マルコはゆっくりと歩み寄り、私の前へ立つ。
「左様でございますか。
……主様はただいまお疲れでございますので、ご挨拶はご遠慮いただければ幸いです。
……それとも、主様にご不快をおかけするおつもりでしょうか?」
にこりとしながら、絶対に笑っていない目。
今はヒールを脱いでいる。こんな姿を見られては恥だと御子息も理解したのか、顔を引きつらせながら、
「べ、別に……そんなつもりは……!」
と言い訳しながら、ふらふらと退散していった。
彼の背が完全に見えなくなった瞬間、マルコがため息をひとつつく。
「大丈夫だったかい?今にも殴りそうな顔してたぞ」
さっきの張りつめた気配が嘘みたいな、柔らかい声。
「水、落とさねぇように。……ほら」
差し出されたグラスを受け取り、少しずつ口に運ぶ。
周りをキョロキョロと見回して、誰も居ないことを再度確認し、大きなため息をついた。同時に欄干にもたれる。
「マルコ〜。遅いよぉ。アイツ殴っちゃいそうだった。でも、本当に助かったよ!ありがとう。お水も」
主らしからぬ言動だけれど、今だけは許してほしい。
飲み終えて、サッと身なりを整え、またパーティー会場へ戻ろうと気持ちを切り替える。
そんな私を、マルコは苦笑いのままで見ていた。
私は無事だし、何か問題があったかな?と、頭を傾ける。
「どうしたの?そんな苦い顔して」
彼のセットされた金髪が風に揺れる。
「……いや。問題はねぇよい」
そう言いながら、欄干に軽く背を預ける。なんだか苦い顔のまま、蒼い瞳がゆっくりとこちらへ戻ってきた。
「——間に合って良かった。あと数秒遅れたら、本当に殴ってたろい?」
「たぶんね」
誤魔化すように肩をすくめると、マルコは小さく吹き出した。でもすぐに真顔に戻り、軽く腰を折って目線を合わせてくる。
「……殴るのは構わねぇけどよい。今は、すぐ助けを呼んでくれ」
低く落とした声に、夜風が震えるようだった。
指先が、耳の後ろに触れる。燕尾服の白手袋が月光を反射して、余計に距離が近く感じる。
「そうはいっても……な。あんな状況で……下手に大声は出せねぇよな。ひとりにさせて悪かった」
「ううん。すぐ来てくれたから大丈夫」
離れていく温もりを目で追った。指先が離れ、自分が強張っていたことに気付いた。
一瞬の間があって——髪が崩れない程度に、頭に手が乗った。
マルコは私を見ていなかった。少し遠い目で、会場の方を見ていた。
「……水飲んだら、行くか。そろそろ探してた奴が動き出す頃だよい」
――
その後も多くの男性から声を掛けられる。
そのたびに、私は朗らかに返し、時折マルコの袖を二度引いて、マルコは上手に断りを入れてくれた。
そんな時間を過ごしていると、探していたターゲットが現れる。
挨拶をして親交を深めるが……肝心の話が聞き出せない。
ターゲットは、しきりに私と二人きりになりたがった。その要望をうまくかわしているけれど……これでは埒が明かない。
ソッとマルコに耳打ちする。
「ちょっとだけ二人きりになったらヤバいかな?」
表情を変えず、首を横に振られた。答えはノーだ。
ターゲットから注がれたワインを飲もうとグラスを持ち上げたら、マルコに制止される。
無言で見上げると、彼も無言で首を横に振る。
——何か混入しているの?
「これは特別なワインでしてね。ぜひお嬢様にも——」
マルコが完璧な執事スマイルで割って入る。
「お気持ちは光栄でございますが……主様は葡萄酒がお体に合わないのでございます。特にこのような香りのものは。せっかくのお心遣い、無駄にさせてしまうのは忍びないのですが……どうかご容赦いただけますか」
柔らかい声だけど、拒絶が含まれる。
ターゲットは目を細め、私のドレスへ視線を落とした。――どれだけ酔わせれば、落とせるかを測るように。
「……本当に体が弱いのか?」
「葡萄酒だけです。……他は、ご心配なく」
その言葉の裏にある意味は——ターゲットにはわからない。
腰にそっと添えられたマルコの手が、自然な動作のまま距離をつくってくれる。そしてターゲットへ完璧な礼をしながら、
「本日は契約のご用向きとお伺いしております。……本題へ、お進みいただけますか」
ターゲットは一瞬眉をひそめ、その後興味深そうにニヤリと笑った。
「……なるほど。君は"ただの執事"じゃないな?」
「さて、なんのことでございましょうか」
ターゲットがこちらの肩に手を伸ばそうとした瞬間、腰の手にほんの少し力がこもった。気づけば半歩、後ろへ下がっていた。
「大丈夫よ。……"契約"の為だもの」
ターゲットの目つきが少しだけ変わったのがわかり、彼に向けて微笑む。妖艶な笑みも練習していて良かった。こんな時に役立つとは。
「契約の条件は、公の場でもお話できる内容かと存じますが?」
もう一度、色を含んだ笑みを浮かべる。
「……ああ。確かに表では話しにくい内容でしてね」
低く、ねっとりした声。
「でしたら……人目のないところで。そちらがお望みでしたら、お話ししてもよろしいのですけれど?」
「……噂以上だ。これは、夜が楽しくなりそうだ」
腰に添えられた手から、静かな圧が伝わってくる。
吐息だけが届く距離で、声にならない声が落ちた。
「……わかってるなら止めねぇ。ただ、限界になったら合図しろよい。俺がいる」
わずかに頷くと、マルコは一歩下がって従う姿勢を取った。私の判断にすべてを預けてくれる。ターゲットが優雅に手を差し出した。
「では……こちらへ。お嬢様とじっくり契約のお話を」
微笑んで、ターゲットの手を取る。演技なのか本心なのか自分でもわからないくらい、自然に微笑んでいた。
背後から、マルコの蒼い視線が追ってくるのを感じながら。
——勢いで来ちゃったけど……絶好のタイミングだよね?
ドレスに忍ばせていた録音用の電伝虫をそっと突いて起こす。マルコとモビーに繋がるミニ電伝虫も。
「うちの執事は、どこで待機させればよろしかったのかしら?……そして、貴方のSPはどこまで一緒にいらっしゃるおつもり?」
あえてふたりきりを望むように言う。
クルー達に聞かれていると思うと恥ずかしいことこの上ない。
ターゲットは自分のSPを外させ、彼らにマルコを追うよう指示していた。
多分……マルコはもうこの建物の内部に居るはず。どこからでも助けに来られるように。
最上階のスイートルーム。景色も見ずに、契約の話を急かす。
「済ませるべきことは、先に済ませておきたいのですよ。我慢できませんこと?」
いつになったら、普通に話せるんだろう。疲れた。——そう思っても、ペラペラと話せてしまう。
男はゆっくりと契約について説明する。時折濁すのは、元締めが居るのだろう。そいつらのことを知るのが任務だ。
書類を捲り、内容を確認する素振りをしながら、室内や彼の持ち物を全て見る。そして、気になるものについてわざわざ問う。さも、貴方に気があるのよと思わせるよう……。
気分良くしたところで、男が笑った。
「オレのバックには◯◯がついているから、何でも手に入る」
そう言い、急に私の腕を強く引いた。急に近くなる距離。好きでもない男の顔が目の前にあるのは不愉快極まりない。
「……離してくださる?」
興醒めした顔をして、腕を振り払いドアへ向かって歩く。
男が何かを叫びながら、無理やり抱き締めようとした——その瞬間、大きな破裂音と共に蒼炎を纏ったマルコが突入してくる。
金髪が風に靡き、燕尾服の裾が炎に照らされて揺れた。
「——触んじゃねェよい」
低く、掠れた声。
私の腕をさらって引き寄せ、背中がマルコの胸に当たる。
「なッ……な、何者だッ——」
「黙っとけよい」
その一言で、部屋の温度が数度下がった気がした。
耳元に、柔らかい音が落ちてきた。
「主様……ご苦労さんねい。よくやったよい。もう"役"は降りていい」
「ありがと。タイミングバッチリだね」
——本当は間に合わないなら自分で始末する予定だった。これは言わないでおく。
マルコに抱き寄せられたまま振り返ると——銃を構えようとするターゲットが見えた。
なんて面倒な奴だ。
小さくため息を吐き、ドレスのスリットの隙間から愛銃を抜く。ターゲットに当たらないギリギリを撃つ。パキン!!と大理石の壁に命中した。
「消さないだけ、ありがたいと思ってね?おじさん」
スイートルームから出て、エレベーターで地上へ降りる。
外は騒然としていた。爆発音に驚いた人々が、口々に叫びながら馬車へと殺到している。
その混乱に紛れるように、マルコと並んで歩く。
ドレスのまま、人波をかき分けながら。
「……主様、こちらへ」
差し出された手を、当然のように取る。人混みで離れないように、というだけの話だ。
馬車の列に並びながら、ちらりとマルコを見上げる。燕尾服は乱れていない。金髪も、表情も、さっきの蒼炎が嘘みたいに静かだ。
「……ねぇ」
「どうされましたか?すぐに安全な場所へ移動しましょう」
「そうね」
馬車が来た。マルコがドアを開けて、手を貸してくれる。
乗り込む直前、ふと振り返った。きらびやかだった夜会の会場が、遠くで煙を上げている。
——なんだか、ずいぶん遠い話みたいだ。
馬車に乗り込んだ瞬間、張りつめていたものが一気に抜けた。
「はぁ~……終わったー」
ミニ電伝虫に向かって報告する。
「無事に終わったよ。裏とれたし」
『お疲れ。とりあえず数日ゆっくりして戻ってこい』
「了解!」
任務完了。それだけで、全身から力が抜けた。
力が抜けたまま、マルコの肩に頭を預けた。
マルコの体温にホッとして、口から出た。
「マルコの体温、安心する……ねぇ、執事。まだ仕事中?」
「………どうしますか、主様」
くくっと笑いながら、距離が縮まっていく。
馬車の揺れと、マルコの体温と、今夜の疲れが全部混ざって——気づいたら、顔が近くなっていた。
鼻先がつきそうな距離。
「執事でしょ?」
「……もう、執事じゃねぇよい」
返事の代わりに、目を閉じた。
馬車の揺れと、沈黙と。
——小さな音がひとつ、した。
——その後、ミニ電伝虫からは。
「えぇ!?えぇ!?おいーー!!」
「お前ら…………繋がったままだぞ」
高価なイブニングドレスを着て、完璧に着飾った私は、鏡の前で自分に暗示をかけ続けた。
もちろん、そんな私を見てマルコは爆笑している。
白い手袋を片方外し、口元を手で隠しながら肩を震わせて。蒼い瞳が、どうしても笑いを堪えきれていない。
「……ぶふっ……わ、悪い……でも"私は主、私は主"って……お前………」
悪いなんて言っているけど、マルコはめちゃくちゃに笑っている。
「笑わないでよ〜!絶対ボロ出そうなんだもん!」
「くくく……悪かったよい。機嫌直せよ」
ひとしきり笑ったマルコは、大きく深呼吸をしてから、ゆっくりと私の全身を確認する。
そんなマルコを見て、私は盛大にため息をつく。
「似合ってるよ。どこへ出しても恥ずかしくない、美しい主様だよい」
「いや、さっきからずっと笑ってんじゃん」
「あれは、お前が面白えからだろ。……いや、可愛かったからだな」
結局笑ってるじゃんとムッとしていると、マルコは執事の仮面を被ってすぐ側まで来た。私の肩のストールを整えながら耳元で甘く囁かれる。
「……もう少し自信を持てると完璧だねい」
そのギャップに心臓が大きく鳴る。
マナーもお作法も、ビスタとサッチとたくさん練習した。お墨付きだってもらえた。何も心配することはない。
でも、どうしても受け入れられないのだ——自分が主で、マルコが執事という役割が。
だって……こんなに燕尾服が似合う海賊って、居るの?
白手袋が似合うんだよ……モノクルも。
任務中に見とれないように気をつけなきゃ…でも、今は見ていてもいいのかなぁ……
「本番はこれからだからなぁ。主様……俺が隣にいるから安心しとけ」
「えぇ……任せたわ」
これでいいの?と問うように、マルコをチラリと見上げる。
「はい。光栄に存じます、主様」
落ち着いた声と、少しの微笑みで、マルコは完璧な執事になった。
白手袋の指先で、そっと私のグローブを整えてくれる。
——任務中じゃなければ、と思うのは私だけだろうか。
ひと呼吸置いて、耳元に少しだけ顔が寄せられる。
「大丈夫だよい。練習も完璧だったし、お前は堂々としていればいいだけだ。
お前の隣にいるから、安心しろい」
そう言いながらドアを優雅に開けて、
「行きましょう、主様」
リラックスさせようとしてくれていることはわかっている。でも、マルコの尽くしっぷりに頭を抱えそうになる。ここぞとばかりに距離が近く、すぐに耳元で囁く。
いちいち照れてなんていられないから平然を装うが……マルコの満足気な表情を見れば、装えていないことは一目瞭然だった。
ドアの外に広がるきらびやかな世界。その眩しさに思わず、目を細めた。
覚悟を決めるしかない。スッと深呼吸をして、背筋を伸ばす。エスコートされた手に、そっと手を乗せる。
「えぇ。いきましょう」
差し出した手を取ったマルコが、わずかに親指を返してくれた。"安心しろ"という無言の合図。
——その優しさがまた緊張の原因なんだけど。
普段なら絶対に宿泊しないような高級ホテルのコネクティングルーム。しかもスイート。あのケチなオヤジがよくお金出したなーと思った。それほど、相手は迷惑なヤツらということだ。
だだっ広い部屋にひとりきりも落ち着かないけど、扉の繋がったコネクティングルームにマルコが居るというのも、落ち着かなかった。1週間ほどの期間だったけど。その生活も今日の任務が終われば終了。
嬉しいような、少し寂しいような。
パーティー会場に到着し、大広間へ一歩踏み入れた瞬間、シャンデリアの光が反射し、ドレスが一層輝く。
周囲の客がちらりとこちらへ視線を寄越すのがわかった。
エスコートされたまま歩き出すと、マルコが少し身を屈めて低く囁く。
「いつでも合図しろ……忘れんなよ?」
————ふたりで決めた相槌。
マルコの袖を引っ張る回数で行動を決める。
一回なら、このまま
二回なら、離脱
三回なら、相手を捕縛または、仕掛ける
マルコを横目に見て、余裕たっぷりに微笑む。
「大丈夫よ。頼りにしてるわ」
堂々としていればいい——さっきの言葉が、胸に響いて、緊張していた体から力が抜けた。強張った表情が緩み、自然と口角が上がる。
周囲の視線に負けず、前を向き、胸を張って歩ける余裕も生まれた。
――こんなに頼もしい人が隣に居るんだから、大丈夫。
「中央から、行きましょうか」
そう言いながら、頭の中で任務を確認する。覚えた顔ぶれを探し出し、接近する予定だ。
しかし……女性達からの視線も大いに集まっている。
これは、大誤算だった。
「どちらの貴族かしら?」「お名前を伺いたいわ」などの声も聞こえる。
チラリとマルコを見ると、そんな声はどうでも良さそうに、私へ微笑んでいた。
少しかがむようにジェスチャーすると、マルコの顔が近づく。
「マルコが目立ってるよ。大丈夫?」
「心配いらねいよい」
エスコートする腕に、ほんの少しだけ力がこめられた。周囲の視線など気にする必要はないと伝えているのだろう。
——こんなに頼もしい執事を演じられる海賊は、やっぱり他にいない。
会場中央で、貴族達やこの国の偉い人達と挨拶を交わした。勉強に勉強を重ねた知識と、マナー、立ち振舞——全てをここで発揮する。
しかし、聞きたい情報や探している人物はなかなか現れない。警戒されているのか……。
「申し訳ございません。少々、失礼いたします」
一度喧騒から抜け出し、マルコを連れてバルコニーへ向かう。慣れない場に少し疲れが見えてきた。
足も痛いし。
ワインとシャンパンばかりで飽きてきたし。
私はラム酒が飲みたい。それか、サッチの淹れた甘いミルクティー。
バルコニーには誰もおらず、今日は新月で星が瞬く静かな夜だと初めて知った。
「少し、休憩させて……」
バルコニーに出た途端、張りつめていた喧騒が嘘のように消えた。
夜風がドレスの裾を静かに揺らし、ひんやりした空気が頬に触れる。
欄干に手を添えて息を整えると、すぐ横にいるマルコが背にそっと手を添えてくれた。
「休んでいいよい。無理しなくていい……よくやってるよ、お前は。
……喉、乾いてるだろい?水、持ってこようか?」
私の足元へ視線を落として、少し眉を寄せる。
「足、痛ぇんじゃねえの。ヒールなんか慣れてねぇだろうし。
ここなら誰にも邪魔されねぇから、少しの間脱いどけよ」
ポケットから綺麗なハンカチを出し、コンクリートに膝をついたマルコが、私の足元にそれを広げた。
そして、私を見上げ優しく微笑む。
「これなら、気兼ねなく脱げるだろい?」
あまりにもスマートな動作に、驚いて反応が遅れた。
「……ありがとう」
ゆっくりとヒールを脱ぐ。
サイズを測って購入したヒールだが、脱いでみると数カ所に靴擦れが起きていた。
窮屈なヒールから開放された足先は、型抜きされたみたいに指先が固まっている。
「ありがとう。靴擦れ、結構痛いんだよね……」
「あとで治療してやるよい。今はこれだけな……」
マルコは、赤く腫れた部分に小さな蒼炎を灯す。
炎のじんわりとした温かさが、疲れも癒してくれるようだった。
ひざまずくマルコの肩に手を添え、「ありがとう……助かる」と、素直にお礼を伝える。
マルコは少し困ったように笑ってから立ち上がり、燕尾服を私の肩へ掛けた。
「ストールだけじゃ、夜風は冷えるだろ」
そして、「水取ってくる。待ってろ」と会場へ戻っていった。
バルコニーにひとりで、空を見上げた。
肩に掛けられた燕尾服から、彼の香りがして落ち着く。
頭の中で計画を反芻して、探している人物の顔や情報を繰り返し思い出す。パーティーが始まって3時間は経つが現れないところをみると、今回は無駄足だったのか……。
少し頭を抱えてしまう。
「探しましたよ!」
突然声をかけられ、声の大きさに驚いて背中が揺れた。
「っ!」
振り返ると……ボディタッチが多く、しつこかった貴族の御子息が居た。最悪なことに、ひどく酔っているようだ。
「あら……どうなさいましたか?」
姿勢を直して、にこやかに答える。
水を取りに行ったはずのマルコは、まだ戻ってこない。
——マルコ、戻ってきて。早く!面倒くさいから殴っちゃいそう……
「こんなところにいたんですねぇ……探しましたよ」
鼻にかかった声と共に、酒と香水の入り混じった匂いが一気に近づいてくる。
少し下がると御子息はさらに距離を詰め、私を欄干との間に追い詰めるようにしてくる。
「さっきはお話の途中でしたよね?もう少し……僕に付き合ってくれても、いいじゃないですか?」
伸びてきた手首を避けながら、笑みを崩さず応対する。
——マルコ、早く……
御子息がさらに踏み込もうとした、その瞬間。
カツ、カツ、カツ。
靴音がやけに響く。
「お待たせしました。……主様」
マルコがバルコニーへ入ってくる。手にはグラスの水。
蒼い目は、笑っていない。御子息へ向けられたその瞳は、夜気より冷たい光を宿していた。
「失礼いたします。
主様へ、ご用件がおありでしょうか。……もしそうであれば、私がお伺いいたしますが」
穏やかな声音なのに、底に鋭い棘がある。御子息は、思わず一歩後ずさった。
「あ、い、いや……ただ挨拶を……!」
マルコはゆっくりと歩み寄り、私の前へ立つ。
「左様でございますか。
……主様はただいまお疲れでございますので、ご挨拶はご遠慮いただければ幸いです。
……それとも、主様にご不快をおかけするおつもりでしょうか?」
にこりとしながら、絶対に笑っていない目。
今はヒールを脱いでいる。こんな姿を見られては恥だと御子息も理解したのか、顔を引きつらせながら、
「べ、別に……そんなつもりは……!」
と言い訳しながら、ふらふらと退散していった。
彼の背が完全に見えなくなった瞬間、マルコがため息をひとつつく。
「大丈夫だったかい?今にも殴りそうな顔してたぞ」
さっきの張りつめた気配が嘘みたいな、柔らかい声。
「水、落とさねぇように。……ほら」
差し出されたグラスを受け取り、少しずつ口に運ぶ。
周りをキョロキョロと見回して、誰も居ないことを再度確認し、大きなため息をついた。同時に欄干にもたれる。
「マルコ〜。遅いよぉ。アイツ殴っちゃいそうだった。でも、本当に助かったよ!ありがとう。お水も」
主らしからぬ言動だけれど、今だけは許してほしい。
飲み終えて、サッと身なりを整え、またパーティー会場へ戻ろうと気持ちを切り替える。
そんな私を、マルコは苦笑いのままで見ていた。
私は無事だし、何か問題があったかな?と、頭を傾ける。
「どうしたの?そんな苦い顔して」
彼のセットされた金髪が風に揺れる。
「……いや。問題はねぇよい」
そう言いながら、欄干に軽く背を預ける。なんだか苦い顔のまま、蒼い瞳がゆっくりとこちらへ戻ってきた。
「——間に合って良かった。あと数秒遅れたら、本当に殴ってたろい?」
「たぶんね」
誤魔化すように肩をすくめると、マルコは小さく吹き出した。でもすぐに真顔に戻り、軽く腰を折って目線を合わせてくる。
「……殴るのは構わねぇけどよい。今は、すぐ助けを呼んでくれ」
低く落とした声に、夜風が震えるようだった。
指先が、耳の後ろに触れる。燕尾服の白手袋が月光を反射して、余計に距離が近く感じる。
「そうはいっても……な。あんな状況で……下手に大声は出せねぇよな。ひとりにさせて悪かった」
「ううん。すぐ来てくれたから大丈夫」
離れていく温もりを目で追った。指先が離れ、自分が強張っていたことに気付いた。
一瞬の間があって——髪が崩れない程度に、頭に手が乗った。
マルコは私を見ていなかった。少し遠い目で、会場の方を見ていた。
「……水飲んだら、行くか。そろそろ探してた奴が動き出す頃だよい」
――
その後も多くの男性から声を掛けられる。
そのたびに、私は朗らかに返し、時折マルコの袖を二度引いて、マルコは上手に断りを入れてくれた。
そんな時間を過ごしていると、探していたターゲットが現れる。
挨拶をして親交を深めるが……肝心の話が聞き出せない。
ターゲットは、しきりに私と二人きりになりたがった。その要望をうまくかわしているけれど……これでは埒が明かない。
ソッとマルコに耳打ちする。
「ちょっとだけ二人きりになったらヤバいかな?」
表情を変えず、首を横に振られた。答えはノーだ。
ターゲットから注がれたワインを飲もうとグラスを持ち上げたら、マルコに制止される。
無言で見上げると、彼も無言で首を横に振る。
——何か混入しているの?
「これは特別なワインでしてね。ぜひお嬢様にも——」
マルコが完璧な執事スマイルで割って入る。
「お気持ちは光栄でございますが……主様は葡萄酒がお体に合わないのでございます。特にこのような香りのものは。せっかくのお心遣い、無駄にさせてしまうのは忍びないのですが……どうかご容赦いただけますか」
柔らかい声だけど、拒絶が含まれる。
ターゲットは目を細め、私のドレスへ視線を落とした。――どれだけ酔わせれば、落とせるかを測るように。
「……本当に体が弱いのか?」
「葡萄酒だけです。……他は、ご心配なく」
その言葉の裏にある意味は——ターゲットにはわからない。
腰にそっと添えられたマルコの手が、自然な動作のまま距離をつくってくれる。そしてターゲットへ完璧な礼をしながら、
「本日は契約のご用向きとお伺いしております。……本題へ、お進みいただけますか」
ターゲットは一瞬眉をひそめ、その後興味深そうにニヤリと笑った。
「……なるほど。君は"ただの執事"じゃないな?」
「さて、なんのことでございましょうか」
ターゲットがこちらの肩に手を伸ばそうとした瞬間、腰の手にほんの少し力がこもった。気づけば半歩、後ろへ下がっていた。
「大丈夫よ。……"契約"の為だもの」
ターゲットの目つきが少しだけ変わったのがわかり、彼に向けて微笑む。妖艶な笑みも練習していて良かった。こんな時に役立つとは。
「契約の条件は、公の場でもお話できる内容かと存じますが?」
もう一度、色を含んだ笑みを浮かべる。
「……ああ。確かに表では話しにくい内容でしてね」
低く、ねっとりした声。
「でしたら……人目のないところで。そちらがお望みでしたら、お話ししてもよろしいのですけれど?」
「……噂以上だ。これは、夜が楽しくなりそうだ」
腰に添えられた手から、静かな圧が伝わってくる。
吐息だけが届く距離で、声にならない声が落ちた。
「……わかってるなら止めねぇ。ただ、限界になったら合図しろよい。俺がいる」
わずかに頷くと、マルコは一歩下がって従う姿勢を取った。私の判断にすべてを預けてくれる。ターゲットが優雅に手を差し出した。
「では……こちらへ。お嬢様とじっくり契約のお話を」
微笑んで、ターゲットの手を取る。演技なのか本心なのか自分でもわからないくらい、自然に微笑んでいた。
背後から、マルコの蒼い視線が追ってくるのを感じながら。
——勢いで来ちゃったけど……絶好のタイミングだよね?
ドレスに忍ばせていた録音用の電伝虫をそっと突いて起こす。マルコとモビーに繋がるミニ電伝虫も。
「うちの執事は、どこで待機させればよろしかったのかしら?……そして、貴方のSPはどこまで一緒にいらっしゃるおつもり?」
あえてふたりきりを望むように言う。
クルー達に聞かれていると思うと恥ずかしいことこの上ない。
ターゲットは自分のSPを外させ、彼らにマルコを追うよう指示していた。
多分……マルコはもうこの建物の内部に居るはず。どこからでも助けに来られるように。
最上階のスイートルーム。景色も見ずに、契約の話を急かす。
「済ませるべきことは、先に済ませておきたいのですよ。我慢できませんこと?」
いつになったら、普通に話せるんだろう。疲れた。——そう思っても、ペラペラと話せてしまう。
男はゆっくりと契約について説明する。時折濁すのは、元締めが居るのだろう。そいつらのことを知るのが任務だ。
書類を捲り、内容を確認する素振りをしながら、室内や彼の持ち物を全て見る。そして、気になるものについてわざわざ問う。さも、貴方に気があるのよと思わせるよう……。
気分良くしたところで、男が笑った。
「オレのバックには◯◯がついているから、何でも手に入る」
そう言い、急に私の腕を強く引いた。急に近くなる距離。好きでもない男の顔が目の前にあるのは不愉快極まりない。
「……離してくださる?」
興醒めした顔をして、腕を振り払いドアへ向かって歩く。
男が何かを叫びながら、無理やり抱き締めようとした——その瞬間、大きな破裂音と共に蒼炎を纏ったマルコが突入してくる。
金髪が風に靡き、燕尾服の裾が炎に照らされて揺れた。
「——触んじゃねェよい」
低く、掠れた声。
私の腕をさらって引き寄せ、背中がマルコの胸に当たる。
「なッ……な、何者だッ——」
「黙っとけよい」
その一言で、部屋の温度が数度下がった気がした。
耳元に、柔らかい音が落ちてきた。
「主様……ご苦労さんねい。よくやったよい。もう"役"は降りていい」
「ありがと。タイミングバッチリだね」
——本当は間に合わないなら自分で始末する予定だった。これは言わないでおく。
マルコに抱き寄せられたまま振り返ると——銃を構えようとするターゲットが見えた。
なんて面倒な奴だ。
小さくため息を吐き、ドレスのスリットの隙間から愛銃を抜く。ターゲットに当たらないギリギリを撃つ。パキン!!と大理石の壁に命中した。
「消さないだけ、ありがたいと思ってね?おじさん」
スイートルームから出て、エレベーターで地上へ降りる。
外は騒然としていた。爆発音に驚いた人々が、口々に叫びながら馬車へと殺到している。
その混乱に紛れるように、マルコと並んで歩く。
ドレスのまま、人波をかき分けながら。
「……主様、こちらへ」
差し出された手を、当然のように取る。人混みで離れないように、というだけの話だ。
馬車の列に並びながら、ちらりとマルコを見上げる。燕尾服は乱れていない。金髪も、表情も、さっきの蒼炎が嘘みたいに静かだ。
「……ねぇ」
「どうされましたか?すぐに安全な場所へ移動しましょう」
「そうね」
馬車が来た。マルコがドアを開けて、手を貸してくれる。
乗り込む直前、ふと振り返った。きらびやかだった夜会の会場が、遠くで煙を上げている。
——なんだか、ずいぶん遠い話みたいだ。
馬車に乗り込んだ瞬間、張りつめていたものが一気に抜けた。
「はぁ~……終わったー」
ミニ電伝虫に向かって報告する。
「無事に終わったよ。裏とれたし」
『お疲れ。とりあえず数日ゆっくりして戻ってこい』
「了解!」
任務完了。それだけで、全身から力が抜けた。
力が抜けたまま、マルコの肩に頭を預けた。
マルコの体温にホッとして、口から出た。
「マルコの体温、安心する……ねぇ、執事。まだ仕事中?」
「………どうしますか、主様」
くくっと笑いながら、距離が縮まっていく。
馬車の揺れと、マルコの体温と、今夜の疲れが全部混ざって——気づいたら、顔が近くなっていた。
鼻先がつきそうな距離。
「執事でしょ?」
「……もう、執事じゃねぇよい」
返事の代わりに、目を閉じた。
馬車の揺れと、沈黙と。
——小さな音がひとつ、した。
——その後、ミニ電伝虫からは。
「えぇ!?えぇ!?おいーー!!」
「お前ら…………繋がったままだぞ」
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