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先の戦闘は、ちょっとだけ気が抜けていたようだ。
私の左腕からは止めどなく血が流れて、じんじんと痛む。敵船からモビーへ戻り、私の状況を察した周りのクルーたちは焦り、上空のマルコを呼んだ。
「痛っ……ごめん、ちょっとしくじった。」
冷や汗をかきながら苦笑いでごまかすけれど、痛いものは痛いし、出血がおさまる様子がない。腱とか切れてなきゃいいな。
「しくじったじゃねぇよ!!」
「マルコ呼べ!!」
「ナマエ、大丈夫か?」
「止血が先だ!」
敵船を沈め戦闘に勝利したのに、私の怪我で甲板が大騒ぎになってしまった。
「大丈夫だよ…すぐ止まるって…」
慌てて甲板へ戻ってきたマルコは、一瞬目を見開くと、すぐさま私を医務室へ運んだ。
視界の端でマルコの青い炎が揺れる。ぐっと腕を掴まれた感触と、ふわりと身体が浮かぶ感覚。抱え上げられたと思った瞬間、マルコの声が頭のすぐ近くで低く響いた。
「バカか、てめェ……!なんですぐ言わねェんだよい!」
怒っている。途轍もなく怒っている声だ。でもそれは怒鳴り声じゃなくて、明らかに心配からくる声。息が荒い。上空から全力で駆け付けてくれたんだとすぐわかった。
医務室に入ると、マルコはベッドにそっと下ろして、手早く器具を準備し始める。青い炎が、じんわりと左腕に灯される。
「…ちょっと深ェな。けど、骨まではいってねェな。よかった……」
胸の奥がじんわりと熱くなる。マルコの表情を見た途端、緊張が緩んで涙がにじみそうになる。でも、泣くのは違う気がして、ぎゅっと唇を結んだ。
「ごめん……心配かけて、ごめんね」
小さく呟くと、マルコはほんの少し眉を寄せて、ため息混じりに言う。
「……頼むから、次からは無理すんなよい。俺がいねェ時でも、ちゃんと助け求めろ。お前の怪我ひとつで、船の空気がガラッと変わんの、知ってんだろ」
指先が優しく髪を撫でる。熱がないはずの蒼い炎が温かく感じ、皮膚よりも心に沁みた。
「……でも、よく戻ってきた。えらかったな。」
最後のその一言で、堪えていたものが音を立てて崩れそうになる。
鼻の奥がツンと痛んで視界が滲んでいく。思わず右手で目元を隠した。
(泣いちゃダメ……)
消毒液の匂いと、慌ただしく準備をする音が響く医務室の中。その中心で、マルコが私の左腕をそっと掴む
。
「しかし、よく我慢してたねぃ……」
マルコの声は落ち着いているけれど、指先がほんの少しだけ震えている。
「……泣きてェなら、泣いていいよい。オレの前じゃ、無理すんな。」
静かに、でも優しくそう囁くと、右手で私の手を取って、そっと包み込む。もう片方の手で、丁寧に処置を始めながら、マルコは言った。
「大丈夫。ちゃんと治すよ。腕も、心も、両方ねい。」
その声が、安心のように、心の中まで染みていく。
痛いから泣いているんじゃない。マルコの優しさに緊張の糸が切れ、ポロポロと涙が止めどなく溢れる。
マルコはナースに指示をしながら、処置を進めていく。傷が深いから縫合すると言われた。
「マルコ……縫わなきゃダメ?」
私の左側にいるマルコへ、確認するように尋ねる。
「そうだねぃ。極力、傷は残らねェようにするよい。」
安心させるような笑顔を向けられ、頭を撫でられた。
マルコはパチンっと手早くグローブをつけ、ナースに器具の準備を促す。
「止血ガーゼ、縫合針、あと局所麻酔も用意してくれ。生理食塩水で洗浄もな。」
彼の声は落ち着いていて、それでいて張り詰めた空気を含んでいた。戦闘直後の喧騒から一転して、今の彼は“海賊”ではなく“医者”だった。
処置台のライトが眩しい。マルコが手を伸ばし、私の手をそっと握った。
「……もう大丈夫だよい。安心しろ。」
そう言ってから、彼は無言で傷口に向き直った。視線が鋭くなる。あの優しい笑顔とはまるで違う、医者としての表情。
洗浄液が傷口に流され、ピリリとしみる。うめき声と共に思わず眉をひそめた。
「ゔっ……」
「ごめんねぃ、沁みるな。でもこのままだと異物が残っちまうから。」
ガーゼで丁寧に血と汚れを拭き取りながら、マルコは状況を淡々と説明してくれる。まるで安心させるように、ひとつひとつの工程を教えてくれていた。
「裂創だねぃ。刃物か爪か、斜めに深く入ってる。筋層までは達してないから、動かしても大丈夫そうだよい。」
ナースが渡した局所麻酔を手に取ると、マルコは細い注射針を慎重に皮膚に刺した。
「ちょっとチクッとするよい。」
声をかけられたが、それは子どもを安心させるかのように柔らかい声だった。麻酔が効くまでのわずかな時間も、彼は無言ではいなかった。
「なぁに泣いてんだよぃ。お前、あんだけ派手に暴れてたくせに、泣き虫かァ?」
からかうように言いながらも、その声は優しくて、温かくて。緊張が少しずつほぐれていくのがわかる。
そして麻酔が効いたのを確認すると、彼の表情が再び切り替わった。真剣そのものだ。器具を持つ手に迷いがない。
縫合針が、丁寧に、正確に、皮膚を繋いでいく。
「縫合は細かくやるよ。少し時間かかるけど、傷跡はなるべく目立たなくしてやる。安心しな。」
戦闘の中で負った傷なのに、彼の手つきはとても穏やかで、慈しみに満ちていた。
それがなんだか悔しくて、また涙がこぼれそうになる。
「よし、あともう少し……よく頑張ってるよ、ナマエは。……強ぇな。」
マルコの声が、心の奥まで響く。
最後の一針を通し、結び、糸をカットしたマルコは、処置した左腕を丁寧に持ち上げて確認する。
彼は手際よく抗生剤の塗布を行い、無菌ガーゼをそっと重ねてテープで固定する。包帯を巻く手つきも優しく、締め付けすぎないように何度も確認しながら進めてくれる。
「今は麻酔が効いてるから痛くはねェが、何かあればすぐにオレかナースに言えよ。指は動かせるかい?」
言われた通りに、指と手首を動かしてみる。麻酔のせいで動きが変だけれど、動いていることは確かだ。それを見たマルコはホッとしたように小さく息を吐いた。
「腱や神経は無事みたいだねぃ。でも無理はすんな。今夜はここで安静にしてろ。」
彼の口調は柔らかいが、どこかに「命令」としての強さも混じっていた。
処置を終えると、マルコはグローブを外し、血のついた器具をナースに引き渡してから、もう一度私のそばにしゃがみ込んだ。その顔は、最初の不安げなものとは違い、真剣さを残しつつも、どこか安心したような優しさがにじんでいた。
「……オレ、こういうときのために医者でいんのかもって、たまに思うんだよねぃ。」
ぽつりと呟いた言葉に、ハッとする。
「ナマエが傷ついて、オレが治せるなら……それが一番いい。戦いに出るのは止められねェけど……せめて、お前に何かあってここに戻ってきたときにはオレが助けてやりてェって思ってる。」
マルコはそう言って、包帯の上から私の腕をそっと撫でた。あったかい、彼の手。今までの痛みや不安が、じわじわと溶けていくようだった。
でも、今にも泣き出しそうだったのは、むしろ彼の方だったのかもしれない。
「怖かったんだよぃ。お前の所に駆けつけた時。なんであのとき、すぐ側にいなかったのかってな。」
私は何も言えずに、右手を伸ばして彼の頬に触れた。マルコがその手に頬を寄せる。
「ごめんね……怖い思い、させて。」
マルコはゆっくり首を振り、私の額にそっとキスを落とした。
「謝んな。無事で帰ってきた。そんだけで、十分だよい。でけぇ怪我してもナマエは生きてる。」
その言葉が胸に染み込んで、また涙があふれそうになる。だけど今度は、悲しい涙じゃない。
痛みの残る左腕と、温もりに包まれた右手。その両方を抱えて、私は静かに微笑んだ。
――――――――――――
処置のあと、少し眠った。けれど、夜になるにつれて体が火照り、熱に浮かされるように意識が遠のいていった。
ナースに呼ばれたマルコが駆けつけたとき、私は汗をびっしょりかき、呼吸も浅くなっていたらしい。
「ごめんね……また、迷惑かけて……」
視界の端に映る金髪の影に、ぼんやりと謝ると、マルコは眉を寄せながらも静かに答えた。
「何言ってんだよぃ。お前のこと、放っとけるわけねぇだろ。」
額に手を当てて体温を測り、熱を確認すると、すぐに冷却剤と点滴の準備をナースに指示した。消毒された室内、清潔な白いベッド。その隣の椅子に、彼は迷うことなく腰を下ろした。
冷たいタオルを額に当てられ、ゆっくりと意識が戻っていく。ぼやけた視界の中、マルコの真剣な横顔が見えた。
「感染症の兆候はねぇが、発熱は炎症反応だろうねぃ。傷も深かったし、身体がびっくりしてんのかもしれねェ。」
彼はそう言いながら、そっと私の手を取った。脈を測りながらも、指先をやさしく包み込む。
「熱はな、落ち着くまでしっかり冷やさねェとな。オレがここにいるから、安心して休めよい。」
「……マルコも、休んで……」
「無理だねぃ。オヤジの船で誰かが熱出して寝込んでるのに、のんきに寝られる医者なんていねェよ。」
ぽつりと、けれどあたたかい声。瞼の奥がじんわりと熱くなる。
点滴の針を丁寧に固定しながら、彼は何度も私の様子を確認した。痛み止めを投与し、呼吸のリズムが乱れれば、背中をさすってくれる。
夜が深まっていく中、マルコは一度も席を離れなかった。ベッドサイドの椅子に身を預け、私の顔色や呼吸の状態に目を配り続けた。熱が少し落ち着いたころ、額の汗をそっと拭いながら囁かれる。
「ようやく少し、顔色戻ってきたねぃ……水飲めそうかい?」
大きな手が、やさしく私の髪を撫でる。
ああ、泣いちゃだめなのに――また、ポロポロと涙がこぼれていく。
「ん?どうした?傷が痛むかい?」
上手く言葉にならない思いが涙になってしまった。下唇を噛んで、ふるふると首を振る。私の思いを汲み取ってくれたのか、優しい笑顔のマルコは溢れ出る涙を拭ってくれた。
「大丈夫だから、もう寝ちまえ。」
どこまでもやさしい声が、そばにある。胸の奥がじんわりと温かくなって、ようやく私は静かな眠りへと落ちていった。
その夜、朝日が昇るまで。マルコはずっと、私の隣に居てくれた。
――――――――――
消毒の匂いと腕の痛みで目が覚める。陽が昇り始める少し前なのか、窓から見える空が少しだけ明るい。
周りを見渡すと、私のお腹あたりに金髪が見えた。マルコ……あのまま寝ちゃったんだ。昨晩の熱は下がったみたいで腕以外は大丈夫そう。夜通しの看病にありがたい気持ちと、迷惑かけて申し訳ない気持ちが入り混じる。
「マルコ……ありがとう。」
起こさない程度の声で囁き、右手で彼の綺麗な金髪を梳く。迷惑ばっかりかけちゃうなぁ、ごめんね。
マルコは小さく息をついた。寝ているように見えた彼の瞼が、指先の感触にかすかに動いたかと思うと、ゆっくりと青い瞳が開いた。
「……起きたのかい?」
顔を上げ、まだ眠気の残る声でそう呟く。額にはうっすら寝癖が残っていて、彼の頬に触れていた自分の腕が、彼の体温でじんわり温かくなっていた。
彼はゆっくりと体を起こしながら、ベッド脇の椅子に深く腰掛ける。腕の包帯が乱れていないかそっと目で確認してから、安心したように息を吐いた。
「熱、下がったみたいだねぃ。安心したよい。」
そう言って、マルコは右手を額に当て、熱を確認した。長年の経験からくる、的確で丁寧な手つき。触れられるだけで、少し心が落ち着いていく。
「……迷惑なんて思ったこと、一度もないよい。」
静かな声が、夜明け前の静寂に溶けていくようだった。彼の手がそっと髪を撫で返してくる。傷を縫った左腕に響かないように、慎重に、優しく。
「ナマエが無事でよかった。それだけで、充分だよい。」
その言葉が、胸にじんと染みた。泣いたせいで少し腫れたままの瞼を見つめ、マルコはふっと小さく笑う。
「なぁ……心配しすぎかもしれねェけど……朝まで、もう少しだけここにいてもいいかい?」
それは確認ではなく、ほとんど願いのようだった。彼自身も疲れているはずなのに、どこか緊張を解けないような、そんな瞳をしていた。
穏やかな口調のまま、手元のメモにちらりと目を落とす。体温の経過、呼吸の状態、鎮痛薬と抗生剤の投与時刻まで、丁寧に記録されていた。すべてマルコが自分で記入したものだ。
……マルコの隣にいることで、救われているのは自分だけじゃないのかもしれない。ふと、そんな風に思えた。
「それは嬉しいし、ありがたいけど……マルコ……少し横になったら?戦闘もあったし、ここで寝たら疲れ取れないよ。隣にいてくれると安心できるけど……マルコの体が心配。」
一緒に寝るわけにはいかないけれど、彼にもちゃんと休んでほしかった。陽が昇ればモビーの被害の確認や戦闘で使用したものの確認で、マルコはずっと働きっぱなしになるはずだから。
マルコは微かに目を開けた。眠気を滲ませた青い瞳が、私の顔を見てすぐに柔らかく細められる。
「オレの体の心配なんて、まずナマエが言える立場じゃねぇよい。……でも、気遣ってくれてありがとね。」
少しだけ伸びをしながら、手の甲で軽く目元を擦る。疲れているはずなのに、私を見つめる瞳には穏やかさが宿っていた。
「でも……離れたくねぇんだよなぁ。こうしてお前が目ェ覚ましたの、ちゃんと見届けたかったし……まだちょっと顔色も悪ィしよい。」
そう言って、再度私の額に手を伸ばし、そっと体温を確認するように触れる。微熱が残っているかもしれないと考えているのか、真剣な目をしている。
「……んー……じゃあ、こうしよか。」
マルコは立ち上がると、ベッドの隣にある空いたベッドに腰掛けた。私の視界に入る位置を意識している。
「オレはこっちで、少し横になるよい。見える範囲でお前が安心して寝てくれたら、それが一番だからねぃ。」
そう言って、ゆっくりと体を横たえる。ベッドの上に寝そべった彼は、私の方に顔を向けたまま、ふっと目を閉じた。
「……本当はよい、誰かが倒れてるのを見るの……オレの方がキツいのかもしれねェよい。仲間が無理してる姿、好きじゃねェんだ。」
静かに言ったその言葉には、いくつもの過去を見てきた者の重みがあった。マルコは再度私を見て、目を細める。
「朝までは一緒に居させてくれ。何かあったら、すぐ分かるようにな。」
それは命を預かる医者として、そして仲間としての誓いのようでもあった。
「マルコ……ありがとう。おやすみなさい。」
「あぁ。おやすみねぃ。」
「……ったく、もうちょいオレを頼ってほしいんだけどねぃ。」
眠りに落ちる寸前、そんな言葉をぼそっと呟いたマルコの声には、心からの優しさと少しの疲れが滲んでいた。
――――――――
「マルコ隊長。朝礼のお時間ですよ。」
ナース長の声がした。あの後、私は再度深い眠りについたみたい。
薄目を開けてマルコが寝ていたであろうベッドを見ると、見えたのは少し猫背気味の彼の広い背中だった。ベッドに腰掛け、眠気の残る声で「あぁ。わりぃな。」と答える。言葉の後に「こきっ」と首を鳴らし、大きくひとつあくびをした。
その瞬間、頼もしい男の背中が、医者として、隊長としての顔に変わっていくのがわかった。
彼の気遣いに甘えすぎるようで、なんだか申し訳なかった。自分が起きたことを知られたら、また気を使わせてしまうかもしれない。そう思い、私はそっと瞼を閉じた。
「はぁ……良かったよい。」
マルコの安堵に満ちた呟きとともに、私の頭には大きな手がそっと置かれた。
まぶたを閉じたまま、私は静かにその感触を受け取る。温かくて、やさしい手のひら。
彼の手が、髪に触れた。強さを隠すような柔らかい撫で方に、胸の奥がじんとした。
きっとマルコは、私が起きていたことに気づいている。けれど、あえてそれには触れず、優しく、ただ優しくしてくれている。
「……ありがとね、マルコ。」
心の中でそうつぶやいた。言葉にはしなかったけれど、彼にはきっと伝わっている気がした。
遠ざかっていく足音と、ナース長と交わす短い言葉。そのどれもが、マルコの気遣いを映していた。
私は、もう少しだけ眠ることにした。
夜明けの薄明かりが差し込む医務室で、マルコの温もりが残る空気だけが、私を包んでいた。
私の左腕からは止めどなく血が流れて、じんじんと痛む。敵船からモビーへ戻り、私の状況を察した周りのクルーたちは焦り、上空のマルコを呼んだ。
「痛っ……ごめん、ちょっとしくじった。」
冷や汗をかきながら苦笑いでごまかすけれど、痛いものは痛いし、出血がおさまる様子がない。腱とか切れてなきゃいいな。
「しくじったじゃねぇよ!!」
「マルコ呼べ!!」
「ナマエ、大丈夫か?」
「止血が先だ!」
敵船を沈め戦闘に勝利したのに、私の怪我で甲板が大騒ぎになってしまった。
「大丈夫だよ…すぐ止まるって…」
慌てて甲板へ戻ってきたマルコは、一瞬目を見開くと、すぐさま私を医務室へ運んだ。
視界の端でマルコの青い炎が揺れる。ぐっと腕を掴まれた感触と、ふわりと身体が浮かぶ感覚。抱え上げられたと思った瞬間、マルコの声が頭のすぐ近くで低く響いた。
「バカか、てめェ……!なんですぐ言わねェんだよい!」
怒っている。途轍もなく怒っている声だ。でもそれは怒鳴り声じゃなくて、明らかに心配からくる声。息が荒い。上空から全力で駆け付けてくれたんだとすぐわかった。
医務室に入ると、マルコはベッドにそっと下ろして、手早く器具を準備し始める。青い炎が、じんわりと左腕に灯される。
「…ちょっと深ェな。けど、骨まではいってねェな。よかった……」
胸の奥がじんわりと熱くなる。マルコの表情を見た途端、緊張が緩んで涙がにじみそうになる。でも、泣くのは違う気がして、ぎゅっと唇を結んだ。
「ごめん……心配かけて、ごめんね」
小さく呟くと、マルコはほんの少し眉を寄せて、ため息混じりに言う。
「……頼むから、次からは無理すんなよい。俺がいねェ時でも、ちゃんと助け求めろ。お前の怪我ひとつで、船の空気がガラッと変わんの、知ってんだろ」
指先が優しく髪を撫でる。熱がないはずの蒼い炎が温かく感じ、皮膚よりも心に沁みた。
「……でも、よく戻ってきた。えらかったな。」
最後のその一言で、堪えていたものが音を立てて崩れそうになる。
鼻の奥がツンと痛んで視界が滲んでいく。思わず右手で目元を隠した。
(泣いちゃダメ……)
消毒液の匂いと、慌ただしく準備をする音が響く医務室の中。その中心で、マルコが私の左腕をそっと掴む
。
「しかし、よく我慢してたねぃ……」
マルコの声は落ち着いているけれど、指先がほんの少しだけ震えている。
「……泣きてェなら、泣いていいよい。オレの前じゃ、無理すんな。」
静かに、でも優しくそう囁くと、右手で私の手を取って、そっと包み込む。もう片方の手で、丁寧に処置を始めながら、マルコは言った。
「大丈夫。ちゃんと治すよ。腕も、心も、両方ねい。」
その声が、安心のように、心の中まで染みていく。
痛いから泣いているんじゃない。マルコの優しさに緊張の糸が切れ、ポロポロと涙が止めどなく溢れる。
マルコはナースに指示をしながら、処置を進めていく。傷が深いから縫合すると言われた。
「マルコ……縫わなきゃダメ?」
私の左側にいるマルコへ、確認するように尋ねる。
「そうだねぃ。極力、傷は残らねェようにするよい。」
安心させるような笑顔を向けられ、頭を撫でられた。
マルコはパチンっと手早くグローブをつけ、ナースに器具の準備を促す。
「止血ガーゼ、縫合針、あと局所麻酔も用意してくれ。生理食塩水で洗浄もな。」
彼の声は落ち着いていて、それでいて張り詰めた空気を含んでいた。戦闘直後の喧騒から一転して、今の彼は“海賊”ではなく“医者”だった。
処置台のライトが眩しい。マルコが手を伸ばし、私の手をそっと握った。
「……もう大丈夫だよい。安心しろ。」
そう言ってから、彼は無言で傷口に向き直った。視線が鋭くなる。あの優しい笑顔とはまるで違う、医者としての表情。
洗浄液が傷口に流され、ピリリとしみる。うめき声と共に思わず眉をひそめた。
「ゔっ……」
「ごめんねぃ、沁みるな。でもこのままだと異物が残っちまうから。」
ガーゼで丁寧に血と汚れを拭き取りながら、マルコは状況を淡々と説明してくれる。まるで安心させるように、ひとつひとつの工程を教えてくれていた。
「裂創だねぃ。刃物か爪か、斜めに深く入ってる。筋層までは達してないから、動かしても大丈夫そうだよい。」
ナースが渡した局所麻酔を手に取ると、マルコは細い注射針を慎重に皮膚に刺した。
「ちょっとチクッとするよい。」
声をかけられたが、それは子どもを安心させるかのように柔らかい声だった。麻酔が効くまでのわずかな時間も、彼は無言ではいなかった。
「なぁに泣いてんだよぃ。お前、あんだけ派手に暴れてたくせに、泣き虫かァ?」
からかうように言いながらも、その声は優しくて、温かくて。緊張が少しずつほぐれていくのがわかる。
そして麻酔が効いたのを確認すると、彼の表情が再び切り替わった。真剣そのものだ。器具を持つ手に迷いがない。
縫合針が、丁寧に、正確に、皮膚を繋いでいく。
「縫合は細かくやるよ。少し時間かかるけど、傷跡はなるべく目立たなくしてやる。安心しな。」
戦闘の中で負った傷なのに、彼の手つきはとても穏やかで、慈しみに満ちていた。
それがなんだか悔しくて、また涙がこぼれそうになる。
「よし、あともう少し……よく頑張ってるよ、ナマエは。……強ぇな。」
マルコの声が、心の奥まで響く。
最後の一針を通し、結び、糸をカットしたマルコは、処置した左腕を丁寧に持ち上げて確認する。
彼は手際よく抗生剤の塗布を行い、無菌ガーゼをそっと重ねてテープで固定する。包帯を巻く手つきも優しく、締め付けすぎないように何度も確認しながら進めてくれる。
「今は麻酔が効いてるから痛くはねェが、何かあればすぐにオレかナースに言えよ。指は動かせるかい?」
言われた通りに、指と手首を動かしてみる。麻酔のせいで動きが変だけれど、動いていることは確かだ。それを見たマルコはホッとしたように小さく息を吐いた。
「腱や神経は無事みたいだねぃ。でも無理はすんな。今夜はここで安静にしてろ。」
彼の口調は柔らかいが、どこかに「命令」としての強さも混じっていた。
処置を終えると、マルコはグローブを外し、血のついた器具をナースに引き渡してから、もう一度私のそばにしゃがみ込んだ。その顔は、最初の不安げなものとは違い、真剣さを残しつつも、どこか安心したような優しさがにじんでいた。
「……オレ、こういうときのために医者でいんのかもって、たまに思うんだよねぃ。」
ぽつりと呟いた言葉に、ハッとする。
「ナマエが傷ついて、オレが治せるなら……それが一番いい。戦いに出るのは止められねェけど……せめて、お前に何かあってここに戻ってきたときにはオレが助けてやりてェって思ってる。」
マルコはそう言って、包帯の上から私の腕をそっと撫でた。あったかい、彼の手。今までの痛みや不安が、じわじわと溶けていくようだった。
でも、今にも泣き出しそうだったのは、むしろ彼の方だったのかもしれない。
「怖かったんだよぃ。お前の所に駆けつけた時。なんであのとき、すぐ側にいなかったのかってな。」
私は何も言えずに、右手を伸ばして彼の頬に触れた。マルコがその手に頬を寄せる。
「ごめんね……怖い思い、させて。」
マルコはゆっくり首を振り、私の額にそっとキスを落とした。
「謝んな。無事で帰ってきた。そんだけで、十分だよい。でけぇ怪我してもナマエは生きてる。」
その言葉が胸に染み込んで、また涙があふれそうになる。だけど今度は、悲しい涙じゃない。
痛みの残る左腕と、温もりに包まれた右手。その両方を抱えて、私は静かに微笑んだ。
――――――――――――
処置のあと、少し眠った。けれど、夜になるにつれて体が火照り、熱に浮かされるように意識が遠のいていった。
ナースに呼ばれたマルコが駆けつけたとき、私は汗をびっしょりかき、呼吸も浅くなっていたらしい。
「ごめんね……また、迷惑かけて……」
視界の端に映る金髪の影に、ぼんやりと謝ると、マルコは眉を寄せながらも静かに答えた。
「何言ってんだよぃ。お前のこと、放っとけるわけねぇだろ。」
額に手を当てて体温を測り、熱を確認すると、すぐに冷却剤と点滴の準備をナースに指示した。消毒された室内、清潔な白いベッド。その隣の椅子に、彼は迷うことなく腰を下ろした。
冷たいタオルを額に当てられ、ゆっくりと意識が戻っていく。ぼやけた視界の中、マルコの真剣な横顔が見えた。
「感染症の兆候はねぇが、発熱は炎症反応だろうねぃ。傷も深かったし、身体がびっくりしてんのかもしれねェ。」
彼はそう言いながら、そっと私の手を取った。脈を測りながらも、指先をやさしく包み込む。
「熱はな、落ち着くまでしっかり冷やさねェとな。オレがここにいるから、安心して休めよい。」
「……マルコも、休んで……」
「無理だねぃ。オヤジの船で誰かが熱出して寝込んでるのに、のんきに寝られる医者なんていねェよ。」
ぽつりと、けれどあたたかい声。瞼の奥がじんわりと熱くなる。
点滴の針を丁寧に固定しながら、彼は何度も私の様子を確認した。痛み止めを投与し、呼吸のリズムが乱れれば、背中をさすってくれる。
夜が深まっていく中、マルコは一度も席を離れなかった。ベッドサイドの椅子に身を預け、私の顔色や呼吸の状態に目を配り続けた。熱が少し落ち着いたころ、額の汗をそっと拭いながら囁かれる。
「ようやく少し、顔色戻ってきたねぃ……水飲めそうかい?」
大きな手が、やさしく私の髪を撫でる。
ああ、泣いちゃだめなのに――また、ポロポロと涙がこぼれていく。
「ん?どうした?傷が痛むかい?」
上手く言葉にならない思いが涙になってしまった。下唇を噛んで、ふるふると首を振る。私の思いを汲み取ってくれたのか、優しい笑顔のマルコは溢れ出る涙を拭ってくれた。
「大丈夫だから、もう寝ちまえ。」
どこまでもやさしい声が、そばにある。胸の奥がじんわりと温かくなって、ようやく私は静かな眠りへと落ちていった。
その夜、朝日が昇るまで。マルコはずっと、私の隣に居てくれた。
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消毒の匂いと腕の痛みで目が覚める。陽が昇り始める少し前なのか、窓から見える空が少しだけ明るい。
周りを見渡すと、私のお腹あたりに金髪が見えた。マルコ……あのまま寝ちゃったんだ。昨晩の熱は下がったみたいで腕以外は大丈夫そう。夜通しの看病にありがたい気持ちと、迷惑かけて申し訳ない気持ちが入り混じる。
「マルコ……ありがとう。」
起こさない程度の声で囁き、右手で彼の綺麗な金髪を梳く。迷惑ばっかりかけちゃうなぁ、ごめんね。
マルコは小さく息をついた。寝ているように見えた彼の瞼が、指先の感触にかすかに動いたかと思うと、ゆっくりと青い瞳が開いた。
「……起きたのかい?」
顔を上げ、まだ眠気の残る声でそう呟く。額にはうっすら寝癖が残っていて、彼の頬に触れていた自分の腕が、彼の体温でじんわり温かくなっていた。
彼はゆっくりと体を起こしながら、ベッド脇の椅子に深く腰掛ける。腕の包帯が乱れていないかそっと目で確認してから、安心したように息を吐いた。
「熱、下がったみたいだねぃ。安心したよい。」
そう言って、マルコは右手を額に当て、熱を確認した。長年の経験からくる、的確で丁寧な手つき。触れられるだけで、少し心が落ち着いていく。
「……迷惑なんて思ったこと、一度もないよい。」
静かな声が、夜明け前の静寂に溶けていくようだった。彼の手がそっと髪を撫で返してくる。傷を縫った左腕に響かないように、慎重に、優しく。
「ナマエが無事でよかった。それだけで、充分だよい。」
その言葉が、胸にじんと染みた。泣いたせいで少し腫れたままの瞼を見つめ、マルコはふっと小さく笑う。
「なぁ……心配しすぎかもしれねェけど……朝まで、もう少しだけここにいてもいいかい?」
それは確認ではなく、ほとんど願いのようだった。彼自身も疲れているはずなのに、どこか緊張を解けないような、そんな瞳をしていた。
穏やかな口調のまま、手元のメモにちらりと目を落とす。体温の経過、呼吸の状態、鎮痛薬と抗生剤の投与時刻まで、丁寧に記録されていた。すべてマルコが自分で記入したものだ。
……マルコの隣にいることで、救われているのは自分だけじゃないのかもしれない。ふと、そんな風に思えた。
「それは嬉しいし、ありがたいけど……マルコ……少し横になったら?戦闘もあったし、ここで寝たら疲れ取れないよ。隣にいてくれると安心できるけど……マルコの体が心配。」
一緒に寝るわけにはいかないけれど、彼にもちゃんと休んでほしかった。陽が昇ればモビーの被害の確認や戦闘で使用したものの確認で、マルコはずっと働きっぱなしになるはずだから。
マルコは微かに目を開けた。眠気を滲ませた青い瞳が、私の顔を見てすぐに柔らかく細められる。
「オレの体の心配なんて、まずナマエが言える立場じゃねぇよい。……でも、気遣ってくれてありがとね。」
少しだけ伸びをしながら、手の甲で軽く目元を擦る。疲れているはずなのに、私を見つめる瞳には穏やかさが宿っていた。
「でも……離れたくねぇんだよなぁ。こうしてお前が目ェ覚ましたの、ちゃんと見届けたかったし……まだちょっと顔色も悪ィしよい。」
そう言って、再度私の額に手を伸ばし、そっと体温を確認するように触れる。微熱が残っているかもしれないと考えているのか、真剣な目をしている。
「……んー……じゃあ、こうしよか。」
マルコは立ち上がると、ベッドの隣にある空いたベッドに腰掛けた。私の視界に入る位置を意識している。
「オレはこっちで、少し横になるよい。見える範囲でお前が安心して寝てくれたら、それが一番だからねぃ。」
そう言って、ゆっくりと体を横たえる。ベッドの上に寝そべった彼は、私の方に顔を向けたまま、ふっと目を閉じた。
「……本当はよい、誰かが倒れてるのを見るの……オレの方がキツいのかもしれねェよい。仲間が無理してる姿、好きじゃねェんだ。」
静かに言ったその言葉には、いくつもの過去を見てきた者の重みがあった。マルコは再度私を見て、目を細める。
「朝までは一緒に居させてくれ。何かあったら、すぐ分かるようにな。」
それは命を預かる医者として、そして仲間としての誓いのようでもあった。
「マルコ……ありがとう。おやすみなさい。」
「あぁ。おやすみねぃ。」
「……ったく、もうちょいオレを頼ってほしいんだけどねぃ。」
眠りに落ちる寸前、そんな言葉をぼそっと呟いたマルコの声には、心からの優しさと少しの疲れが滲んでいた。
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「マルコ隊長。朝礼のお時間ですよ。」
ナース長の声がした。あの後、私は再度深い眠りについたみたい。
薄目を開けてマルコが寝ていたであろうベッドを見ると、見えたのは少し猫背気味の彼の広い背中だった。ベッドに腰掛け、眠気の残る声で「あぁ。わりぃな。」と答える。言葉の後に「こきっ」と首を鳴らし、大きくひとつあくびをした。
その瞬間、頼もしい男の背中が、医者として、隊長としての顔に変わっていくのがわかった。
彼の気遣いに甘えすぎるようで、なんだか申し訳なかった。自分が起きたことを知られたら、また気を使わせてしまうかもしれない。そう思い、私はそっと瞼を閉じた。
「はぁ……良かったよい。」
マルコの安堵に満ちた呟きとともに、私の頭には大きな手がそっと置かれた。
まぶたを閉じたまま、私は静かにその感触を受け取る。温かくて、やさしい手のひら。
彼の手が、髪に触れた。強さを隠すような柔らかい撫で方に、胸の奥がじんとした。
きっとマルコは、私が起きていたことに気づいている。けれど、あえてそれには触れず、優しく、ただ優しくしてくれている。
「……ありがとね、マルコ。」
心の中でそうつぶやいた。言葉にはしなかったけれど、彼にはきっと伝わっている気がした。
遠ざかっていく足音と、ナース長と交わす短い言葉。そのどれもが、マルコの気遣いを映していた。
私は、もう少しだけ眠ることにした。
夜明けの薄明かりが差し込む医務室で、マルコの温もりが残る空気だけが、私を包んでいた。
