白銀の氷河(10年後瀬人夢)
目的地に降り立った瀬人がハッチを開くと、同時にモワッとした熱風と、喉を焼くような乾いた空気、そして容赦ないアフリカの太陽光が瀬人を包み込んだ。
日中の強烈な太陽に照らされ、赤土の砂埃が舞う中、瀬人は白いビジネススーツのジャケットを脱ぎ、薄青のYシャツに青眼の白龍の青い眼を連想させる青いネクタイ、サングラスという出で立ちで難民居住区に向かって静かに歩き出した。手にはKCのロゴが刻印されたジュラルミンケースを持っている。そしてもう片方の手には小型の端末。KCの衛星通信機だ。画面にはカサンドラの所在地が表示されていた。
(…何だここは…乾季とはいえこの荒れよう…忘れ去られた地という訳でも無いはずだが…)
見渡す限り、地平線まで続くのは赤茶けた荒野と、泥レンガに国連のビニールシートを被せただけの無数の簡易家屋。近代社会の象徴である電柱や電線は一本も見当たらず、容赦のない太陽が剥き出しの大地を白く灼きつけている。人間が生きるための基盤(インフラ)がすべて根底から削ぎ落とされたような文字通りの文明の真空地帯が広がっていた。
(フン……データでは見ていたが、これほどまでか。このような最果ての極限で、あの女は3年間も戦い続けていたというのか――)
瀬人はサングラスの奥の瞳を鋭く細め、吐き気のするような熱風を冷徹に切り裂きながら、さらに歩みを進めた。
暫く歩くと、その荒涼とした赤土の世界を抜けた瞬間、瀬人の端末(衛星通信機)が、突如として強固な暗号化電波をキャッチした。
画面に表示された目的地の座標――その場所に、周囲の泥臭い家屋とは明らかに一線を画す、ドイツの式の精密な建築技術で建てられた頑強で大きなログハウスが、異彩を放ってそびえ立っていた。
(…これか…?)
瀬人がそのログハウスの扉を開けると、そこには沢山の難民達と、彼らの対応にバタバタと忙しく動き回るスタッフ達。スタッフ達はみなMSF (国境なき医師団)のロゴが入ったTシャツやベスト、そして動きやすく汚れてもすぐに洗える医療用スクラブを身につけている。
そんな中、瀬人はサングラス越しに1人のスタッフと目が合った。
肩に掛かるかどうかくらいの長さのブロンズヘアに見慣れたアースアイの瞳をしたスラリと背の高い女性医師…それは瀬人がヘッドハンティングしに来た張本人、カサンドラ・ルイク・フォン・ヴェルツェンバウアー医師だ。
瀬人は「フッ」と不敵な笑みを浮かべると、長いたおやかな指先で、その漆黒のサングラスを静かに外し、サングラスの奥に秘められていた、狂気的なまでの執念と断固たる決意の炎が宿る、研ぎ澄まされたナイフのような青い瞳をカサンドラへ真っ直ぐに突きつけた。
瀬人のその整った端正な顔立ちに現地の女性スタッフや難民達は視線が釘付けになっていたが、彼はそんな事はお構い無しにまっすぐカサンドラの方に歩いて行った。
そして診察デスクのすぐ手前の距離まで近づいた、その瞬間――。
「………瀬人……?」
瀬人がカサンドラの近くまで来ると、カサンドラはわずかに眉をひそめ、ぼやける視界を凝視した。紛争の影響を受け、その後遺症で著しく低下した彼女の網膜は、逆光の中に立つその人物の正確な容姿を素早く捉えることができなかったのだ。
瀬人はカサンドラのその異変に気付くと、静かに声を掛けた。
「……貴様、その目はどうした」
3年ぶりの沈黙を切り裂いたのは、相変わらず他者を平伏させるような、海馬瀬人の低く鋭い声だった。
「……驚いた。まさかウガンダの最果てに、日本の大富豪がジャケットも着ずに迷い込んでくるなんて。相変わらず、他人の敷居をノックもなしに跨ぐのが得意な人だこと。」
「貴様の皮肉など今はどうでもいい。その目はどうしたのかと聞いている。…まさか俺の顔すらまともに視認できんほど、その天賦の才(肉体)を摩耗させたというのか。」
カサンドラは瀬人の問いにわずかに目を細め、彼のシルエットを追うようにしながら、少し呆れ気味に言った。
「……相変わらず鋭い人だこと。これはただの紛争地のオマケ(後遺症)。医者としては、手元が見えていればそれで十分。あなたのその傲慢な顔が見えないくらいが、私に取っては丁度いいってもんよ。」
「……フン、俺の皮肉を皮肉で返すとは。相変わらずだな、貴様は。」
瀬人は相変わらず自分に対しては「口を開けば皮肉ばかりの女」であるカサンドラに不機嫌そうに言い返すと、フッと口角を上げた。
「カサンドラが生きていた」と言うこの上ない事実を確認した瀬人は、言葉にこそ出さないが、彼のその心は安堵と喜びで満ち溢れていた。
「それで?何かご用?この最果ての地まではるばる来たって事は何か重要な用事があるんでしょ?」
「ビジネスの話だ。…単刀直入に言う。カサンドラ、日本に来る気はないか。」
カサンドラの眉がピクリと動いた。
「…NOと言ったら?」
「…フン、俺がそう簡単に引き下がると思うか?」
瀬人は不敵な笑みを浮かべてそう言い返した。
「…でしょうね。いいわ、話は聞いてあげる。ちょっと待ってて。」
カサンドラはそう言うと、他のスタッフ達に指示を出し、瀬人を奥のスタッフルームに通した。そこは最果ての極限の地である事を忘れてしまうような、整った空調設備と、心地よい木の香りが広がっていた。
「ここは最果ての極限の地のはずだ。なのにここの設備は随分と整っているようだな。」
「そりゃそうよ。このエリア5はうちの会社が直接介入してるからね。このログハウスも、電力も設備も、全部ヴェルツェンバウアー社のものよ。このエリアにおける全ての診療所(保健所)の建物は全部こんな感じになってる。それに加えてネットワークもヴェルツェンバウアー社の衛星を使い、電波塔も置いてるし、居住者達にはスマホも配布したから難民居住地域でも普通にネットが使えるのよ。」
「…フン…なるほど、それでこの難民居住地域の難民たちは皆スマホを持っていた訳か。あのヴェルツェンバウアー社が介入しているならば、それも納得だな。」
「ふふ、やっぱり気づいてたのね。さすが。…さて、ビジネスの話でしょ?改めまして、私はカサンドラ・ルイク・フォン・ヴェルツェンバウアー。医師でありヴェルツェンバウアー社の副社長よ。…まぁ、私の副社長就任についてはまだ公表してないけどね。」
"ヴェルツェンバウアー社の副社長"それを聞いた瀬人は一瞬表情が強ばった。
ヴェルツェンバウアー社(Welzenbauer GM)は世界一の資本と技術を持つ、神聖ローマ帝国の時代から延べ450年続く世界一の大企業。世界の頂点に帝王の如く君臨するその会社はKC(海馬コーポレーション)より遥かに格上であると同時に、KCが目指す絶対的な目標企業である。
もちろんカサンドラがそこの一人娘であり後継者であることは10年前から知っていた。
「…副社長、だと?いつの間に就任したのかは知らんが、それなら話は早い。始めるぞ」
瀬人の鋭い瞳が揺れ、光を失い掛けているカサンドラの瞳を鋭く射抜いた。
日中の強烈な太陽に照らされ、赤土の砂埃が舞う中、瀬人は白いビジネススーツのジャケットを脱ぎ、薄青のYシャツに青眼の白龍の青い眼を連想させる青いネクタイ、サングラスという出で立ちで難民居住区に向かって静かに歩き出した。手にはKCのロゴが刻印されたジュラルミンケースを持っている。そしてもう片方の手には小型の端末。KCの衛星通信機だ。画面にはカサンドラの所在地が表示されていた。
(…何だここは…乾季とはいえこの荒れよう…忘れ去られた地という訳でも無いはずだが…)
見渡す限り、地平線まで続くのは赤茶けた荒野と、泥レンガに国連のビニールシートを被せただけの無数の簡易家屋。近代社会の象徴である電柱や電線は一本も見当たらず、容赦のない太陽が剥き出しの大地を白く灼きつけている。人間が生きるための基盤(インフラ)がすべて根底から削ぎ落とされたような文字通りの文明の真空地帯が広がっていた。
(フン……データでは見ていたが、これほどまでか。このような最果ての極限で、あの女は3年間も戦い続けていたというのか――)
瀬人はサングラスの奥の瞳を鋭く細め、吐き気のするような熱風を冷徹に切り裂きながら、さらに歩みを進めた。
暫く歩くと、その荒涼とした赤土の世界を抜けた瞬間、瀬人の端末(衛星通信機)が、突如として強固な暗号化電波をキャッチした。
画面に表示された目的地の座標――その場所に、周囲の泥臭い家屋とは明らかに一線を画す、ドイツの式の精密な建築技術で建てられた頑強で大きなログハウスが、異彩を放ってそびえ立っていた。
(…これか…?)
瀬人がそのログハウスの扉を開けると、そこには沢山の難民達と、彼らの対応にバタバタと忙しく動き回るスタッフ達。スタッフ達はみなMSF (国境なき医師団)のロゴが入ったTシャツやベスト、そして動きやすく汚れてもすぐに洗える医療用スクラブを身につけている。
そんな中、瀬人はサングラス越しに1人のスタッフと目が合った。
肩に掛かるかどうかくらいの長さのブロンズヘアに見慣れたアースアイの瞳をしたスラリと背の高い女性医師…それは瀬人がヘッドハンティングしに来た張本人、カサンドラ・ルイク・フォン・ヴェルツェンバウアー医師だ。
瀬人は「フッ」と不敵な笑みを浮かべると、長いたおやかな指先で、その漆黒のサングラスを静かに外し、サングラスの奥に秘められていた、狂気的なまでの執念と断固たる決意の炎が宿る、研ぎ澄まされたナイフのような青い瞳をカサンドラへ真っ直ぐに突きつけた。
瀬人のその整った端正な顔立ちに現地の女性スタッフや難民達は視線が釘付けになっていたが、彼はそんな事はお構い無しにまっすぐカサンドラの方に歩いて行った。
そして診察デスクのすぐ手前の距離まで近づいた、その瞬間――。
「………瀬人……?」
瀬人がカサンドラの近くまで来ると、カサンドラはわずかに眉をひそめ、ぼやける視界を凝視した。紛争の影響を受け、その後遺症で著しく低下した彼女の網膜は、逆光の中に立つその人物の正確な容姿を素早く捉えることができなかったのだ。
瀬人はカサンドラのその異変に気付くと、静かに声を掛けた。
「……貴様、その目はどうした」
3年ぶりの沈黙を切り裂いたのは、相変わらず他者を平伏させるような、海馬瀬人の低く鋭い声だった。
「……驚いた。まさかウガンダの最果てに、日本の大富豪がジャケットも着ずに迷い込んでくるなんて。相変わらず、他人の敷居をノックもなしに跨ぐのが得意な人だこと。」
「貴様の皮肉など今はどうでもいい。その目はどうしたのかと聞いている。…まさか俺の顔すらまともに視認できんほど、その天賦の才(肉体)を摩耗させたというのか。」
カサンドラは瀬人の問いにわずかに目を細め、彼のシルエットを追うようにしながら、少し呆れ気味に言った。
「……相変わらず鋭い人だこと。これはただの紛争地のオマケ(後遺症)。医者としては、手元が見えていればそれで十分。あなたのその傲慢な顔が見えないくらいが、私に取っては丁度いいってもんよ。」
「……フン、俺の皮肉を皮肉で返すとは。相変わらずだな、貴様は。」
瀬人は相変わらず自分に対しては「口を開けば皮肉ばかりの女」であるカサンドラに不機嫌そうに言い返すと、フッと口角を上げた。
「カサンドラが生きていた」と言うこの上ない事実を確認した瀬人は、言葉にこそ出さないが、彼のその心は安堵と喜びで満ち溢れていた。
「それで?何かご用?この最果ての地まではるばる来たって事は何か重要な用事があるんでしょ?」
「ビジネスの話だ。…単刀直入に言う。カサンドラ、日本に来る気はないか。」
カサンドラの眉がピクリと動いた。
「…NOと言ったら?」
「…フン、俺がそう簡単に引き下がると思うか?」
瀬人は不敵な笑みを浮かべてそう言い返した。
「…でしょうね。いいわ、話は聞いてあげる。ちょっと待ってて。」
カサンドラはそう言うと、他のスタッフ達に指示を出し、瀬人を奥のスタッフルームに通した。そこは最果ての極限の地である事を忘れてしまうような、整った空調設備と、心地よい木の香りが広がっていた。
「ここは最果ての極限の地のはずだ。なのにここの設備は随分と整っているようだな。」
「そりゃそうよ。このエリア5はうちの会社が直接介入してるからね。このログハウスも、電力も設備も、全部ヴェルツェンバウアー社のものよ。このエリアにおける全ての診療所(保健所)の建物は全部こんな感じになってる。それに加えてネットワークもヴェルツェンバウアー社の衛星を使い、電波塔も置いてるし、居住者達にはスマホも配布したから難民居住地域でも普通にネットが使えるのよ。」
「…フン…なるほど、それでこの難民居住地域の難民たちは皆スマホを持っていた訳か。あのヴェルツェンバウアー社が介入しているならば、それも納得だな。」
「ふふ、やっぱり気づいてたのね。さすが。…さて、ビジネスの話でしょ?改めまして、私はカサンドラ・ルイク・フォン・ヴェルツェンバウアー。医師でありヴェルツェンバウアー社の副社長よ。…まぁ、私の副社長就任についてはまだ公表してないけどね。」
"ヴェルツェンバウアー社の副社長"それを聞いた瀬人は一瞬表情が強ばった。
ヴェルツェンバウアー社(Welzenbauer GM)は世界一の資本と技術を持つ、神聖ローマ帝国の時代から延べ450年続く世界一の大企業。世界の頂点に帝王の如く君臨するその会社はKC(海馬コーポレーション)より遥かに格上であると同時に、KCが目指す絶対的な目標企業である。
もちろんカサンドラがそこの一人娘であり後継者であることは10年前から知っていた。
「…副社長、だと?いつの間に就任したのかは知らんが、それなら話は早い。始めるぞ」
瀬人の鋭い瞳が揺れ、光を失い掛けているカサンドラの瞳を鋭く射抜いた。