白銀の氷河(10年後瀬人夢)
――3年前――
ドイツ、バーデン=ヴュルテンベルク州、シュトゥットガルトのとある病院。
ヴェツェンバウアー社が主催していた社交パーティーで急に倒れた参加者の命をつなぎ止めたカサンドラは、瀬人と共に倒れた参加者が入院した病室(個室)にいた。
倒れた参加者は未だに目を覚ましていない。
瀬人は病室の窓がある壁に寄りかかり、腕を組んでいる。
「…患者の容態はどうだ?」
「大丈夫。容態は安定してるわ。あとは彼が目を覚ますのを待つのみよ。」
カサンドラは先程までの華やかなパーティードレスから一変、医師として白衣をまとい、首には聴診器をかけている。
「フン…ならばもうここに用はない。日本に帰るぞ。」
瀬人はそう言うと組んでいた腕を解き、スーツの襟を正すと、病室の出口の方に向かって歩き出した。
だがカサンドラは瀬人と共に病室を出ようとはせず、ベッドに静かに横たわっている患者を見下ろしていた。
「…何をしている。行くぞ。」
瀬人はカサンドラに声を掛け帰りを促したが、カサンドラは患者のそばを離れようとはせず、俯いたままだ。
「…患者の容態は安定したのだろう?いったい何を考えている。」
瀬人は少し苛立ち気味にそう言うと、カサンドラと向き合い再び腕を組んだ。するとカサンドラは静かに顔を上げ、瀬人を見上げてその瞳をまっすぐ見据えた。
「…ごめん…瀬人。私は…日本には帰らない。」
瀬人はピクリと眉をひそめると、腕を組んだままゆっくりとカサンドラのすぐ目の前まで歩み寄り、彼女を睨んだ。
「…どういう意味だ。」
「…瀬人。私はこのまま医学を極めたいの。…確かに日本でも医学の道を進むことは出来るかも知れない。でも、日本の生易しい教育では…母のようにはなれない。」
カサンドラが強い決意を秘めた真っ直ぐな瞳で瀬人を射抜くと、瀬人の瞳がシュトゥットガルトの夕陽を反射し、ナイフのように鋭く光り、組んだ腕に力が入る。
「フン…貴様も貴様の母と同じように、"国境なき医師団"に入るつもりか…。母の影を追い、自らあの極限の地に身を投じる、と?」
「…そのつもりだよ。私は医者。医者の仕事は設備が整った病院でこれ見よがしにメスをふるうだけじゃない。確かにそれも良いかもしれないけど…。じゃあ病院に頼れない人達はどうするの?病院に頼れる人も、頼れない人も、命の重みは一緒のはず。だったら私は一人でも多くの命を救いたい。…それが、"ギフテッド"として生まれた私の役目だと思うから。」
"ギフテッド"それは先天的に高い知性や共感的理解、倫理観などを持っている者のことを指す。生まれつきの特性であり、早期教育をすることで得られるものではない、その名の通り"神からの贈り物"である。
だがその"神からの贈り物"も時として、残酷な現実を突き付ける、"悪魔の剣(つるぎ)"となる。
その剣が「日本には帰らない」というカサンドラの言葉となって、瀬人に突きつけられたのだ。
「フン…なるほどな。ギフテッドならではの渇望、と言うわけか…。」
瀬人が腕を組み直すと、瀬人が18歳の冬にカサンドラに贈った、青眼の白龍モチーフのリングが、瀬人の左手薬指で夕陽の光を反射してキラリと光る。
カサンドラは白衣の胸ポケットから小さく折りたたまれた一枚の書類を取り出し、瀬人に差し出した。
瀬人はそれを受け取ると、英語で書かれたその書類に目を通した。
「…"国境なき医師団の医師として登録する"…既に決定事項だったと言う事か。」
瀬人は視線を書類からカサンドラに移し、鋭く睨みつけた。
「…なぜ俺に何の相談もなく勝手な事をしたッ!なぜ何も言わなかったッ!」
国境なき医師団に入るということは、それと同時に命の保証を失うという事。
二度とカサンドラと会うことが出来くなる可能性も大いにある。
瀬人はそれだけは絶対に避けたいという強い意志から、カサンドラを怒鳴りつけたのだ。
だがカサンドラはその覇気に怯むことなく言い返した。
「言うわけないでしょ!言ったら絶対"却下だ!"って切り捨てることくらい分かってた!…私は、自分の道は自分で切り拓くの。いつまでもあなたの腕の中っていう絶対安全区域で…甘える訳にはいかないの…。でも…」
カサンドラはそこまでいうと、ガラス玉に地球そのものを閉じ込めたような、そのアースアイの瞳に涙をいっぱい溜めて言葉を詰まらせた。
そして瀬人と同じ青眼の白龍モチーフのリングが嵌められた左手で、瀬人の胸元に触れると、シャツをギュッと握り、そのまま鍛え抜かれた分厚い胸板に顔を埋めて静かに言った。
「…Ich liebe dich… mehr als jeden anderen…Menschen auf der Welt.
(日本語訳:世界中の誰よりも、あなたを愛してる。)」
カサンドラはそう言うと、一筋の涙を流した。
「…フン…いいだろう。」
これ以上何を言っても彼女の意思は変わらないと確信した瀬人は、涙を見せた彼女の腰を抱き寄せた。
「…貴様の母の伝説は俺も知っている。まさに"神の子"と言われるだけの事はある女だ。娘である貴様がその"神の領域"という高みを目指すと言うのなら文句は言わん。……構わず俺の腕から飛び立つといい。」
彼女を抱き寄せた腕に力が入る。
「…だが、この俺との関係を絶ってまでもその道を選ぶ以上、戦火で無様に散るようなことは許さん。医者として、極限までその道を極めてみせろ!」
瀬人が力強くそう言うと、胸に顔を埋めていたカサンドラが顔を上げ、瀬人を見上げた。その瞳は一点の曇りもなく、強い決意と覚悟が宿った、どこまでも真っ直ぐな、美しいものだった。
「分かってるよ、瀬人。私もそう簡単に散るつもりは無い。私は医学を極めて一流の外科医を目指す。だから、瀬人は経営者としての道を極めて、KCを世界中に広めて欲しい。私が世界の何処にいても、KCを…あなたを忘れないように…。」
「フン、バカめ。言われずともそのつもりだ。貴様に注文を付けられる筋合いは無い。」
瀬人はそう言うと、彼女を抱き寄せていた腕を片方解き、彼女の頬に触れた。
「…死ぬなよ」
短くそう言うと、彼女との別れの口付けを交わし、振り返ることなく病室を後にした。
病院の外に出ると、すっかり日は沈み、シュトゥットガルトの街はクリスマスマーケットの華やかな光に彩られていた。
瀬人はその光とは反対の、暗い夜の街へと歩き出し、帰路に着いた。
そして数日後、日本のKCに戻っていた瀬人の元に一通のメールが届いた。
それはカサンドラからの、「アフリカに飛び立った」という知らせだった。
瀬人は返信することもせず、外された青眼の白龍モチーフのリングをチラリと見て、仕事に戻ったのだった。
ドイツ、バーデン=ヴュルテンベルク州、シュトゥットガルトのとある病院。
ヴェツェンバウアー社が主催していた社交パーティーで急に倒れた参加者の命をつなぎ止めたカサンドラは、瀬人と共に倒れた参加者が入院した病室(個室)にいた。
倒れた参加者は未だに目を覚ましていない。
瀬人は病室の窓がある壁に寄りかかり、腕を組んでいる。
「…患者の容態はどうだ?」
「大丈夫。容態は安定してるわ。あとは彼が目を覚ますのを待つのみよ。」
カサンドラは先程までの華やかなパーティードレスから一変、医師として白衣をまとい、首には聴診器をかけている。
「フン…ならばもうここに用はない。日本に帰るぞ。」
瀬人はそう言うと組んでいた腕を解き、スーツの襟を正すと、病室の出口の方に向かって歩き出した。
だがカサンドラは瀬人と共に病室を出ようとはせず、ベッドに静かに横たわっている患者を見下ろしていた。
「…何をしている。行くぞ。」
瀬人はカサンドラに声を掛け帰りを促したが、カサンドラは患者のそばを離れようとはせず、俯いたままだ。
「…患者の容態は安定したのだろう?いったい何を考えている。」
瀬人は少し苛立ち気味にそう言うと、カサンドラと向き合い再び腕を組んだ。するとカサンドラは静かに顔を上げ、瀬人を見上げてその瞳をまっすぐ見据えた。
「…ごめん…瀬人。私は…日本には帰らない。」
瀬人はピクリと眉をひそめると、腕を組んだままゆっくりとカサンドラのすぐ目の前まで歩み寄り、彼女を睨んだ。
「…どういう意味だ。」
「…瀬人。私はこのまま医学を極めたいの。…確かに日本でも医学の道を進むことは出来るかも知れない。でも、日本の生易しい教育では…母のようにはなれない。」
カサンドラが強い決意を秘めた真っ直ぐな瞳で瀬人を射抜くと、瀬人の瞳がシュトゥットガルトの夕陽を反射し、ナイフのように鋭く光り、組んだ腕に力が入る。
「フン…貴様も貴様の母と同じように、"国境なき医師団"に入るつもりか…。母の影を追い、自らあの極限の地に身を投じる、と?」
「…そのつもりだよ。私は医者。医者の仕事は設備が整った病院でこれ見よがしにメスをふるうだけじゃない。確かにそれも良いかもしれないけど…。じゃあ病院に頼れない人達はどうするの?病院に頼れる人も、頼れない人も、命の重みは一緒のはず。だったら私は一人でも多くの命を救いたい。…それが、"ギフテッド"として生まれた私の役目だと思うから。」
"ギフテッド"それは先天的に高い知性や共感的理解、倫理観などを持っている者のことを指す。生まれつきの特性であり、早期教育をすることで得られるものではない、その名の通り"神からの贈り物"である。
だがその"神からの贈り物"も時として、残酷な現実を突き付ける、"悪魔の剣(つるぎ)"となる。
その剣が「日本には帰らない」というカサンドラの言葉となって、瀬人に突きつけられたのだ。
「フン…なるほどな。ギフテッドならではの渇望、と言うわけか…。」
瀬人が腕を組み直すと、瀬人が18歳の冬にカサンドラに贈った、青眼の白龍モチーフのリングが、瀬人の左手薬指で夕陽の光を反射してキラリと光る。
カサンドラは白衣の胸ポケットから小さく折りたたまれた一枚の書類を取り出し、瀬人に差し出した。
瀬人はそれを受け取ると、英語で書かれたその書類に目を通した。
「…"国境なき医師団の医師として登録する"…既に決定事項だったと言う事か。」
瀬人は視線を書類からカサンドラに移し、鋭く睨みつけた。
「…なぜ俺に何の相談もなく勝手な事をしたッ!なぜ何も言わなかったッ!」
国境なき医師団に入るということは、それと同時に命の保証を失うという事。
二度とカサンドラと会うことが出来くなる可能性も大いにある。
瀬人はそれだけは絶対に避けたいという強い意志から、カサンドラを怒鳴りつけたのだ。
だがカサンドラはその覇気に怯むことなく言い返した。
「言うわけないでしょ!言ったら絶対"却下だ!"って切り捨てることくらい分かってた!…私は、自分の道は自分で切り拓くの。いつまでもあなたの腕の中っていう絶対安全区域で…甘える訳にはいかないの…。でも…」
カサンドラはそこまでいうと、ガラス玉に地球そのものを閉じ込めたような、そのアースアイの瞳に涙をいっぱい溜めて言葉を詰まらせた。
そして瀬人と同じ青眼の白龍モチーフのリングが嵌められた左手で、瀬人の胸元に触れると、シャツをギュッと握り、そのまま鍛え抜かれた分厚い胸板に顔を埋めて静かに言った。
「…Ich liebe dich… mehr als jeden anderen…Menschen auf der Welt.
(日本語訳:世界中の誰よりも、あなたを愛してる。)」
カサンドラはそう言うと、一筋の涙を流した。
「…フン…いいだろう。」
これ以上何を言っても彼女の意思は変わらないと確信した瀬人は、涙を見せた彼女の腰を抱き寄せた。
「…貴様の母の伝説は俺も知っている。まさに"神の子"と言われるだけの事はある女だ。娘である貴様がその"神の領域"という高みを目指すと言うのなら文句は言わん。……構わず俺の腕から飛び立つといい。」
彼女を抱き寄せた腕に力が入る。
「…だが、この俺との関係を絶ってまでもその道を選ぶ以上、戦火で無様に散るようなことは許さん。医者として、極限までその道を極めてみせろ!」
瀬人が力強くそう言うと、胸に顔を埋めていたカサンドラが顔を上げ、瀬人を見上げた。その瞳は一点の曇りもなく、強い決意と覚悟が宿った、どこまでも真っ直ぐな、美しいものだった。
「分かってるよ、瀬人。私もそう簡単に散るつもりは無い。私は医学を極めて一流の外科医を目指す。だから、瀬人は経営者としての道を極めて、KCを世界中に広めて欲しい。私が世界の何処にいても、KCを…あなたを忘れないように…。」
「フン、バカめ。言われずともそのつもりだ。貴様に注文を付けられる筋合いは無い。」
瀬人はそう言うと、彼女を抱き寄せていた腕を片方解き、彼女の頬に触れた。
「…死ぬなよ」
短くそう言うと、彼女との別れの口付けを交わし、振り返ることなく病室を後にした。
病院の外に出ると、すっかり日は沈み、シュトゥットガルトの街はクリスマスマーケットの華やかな光に彩られていた。
瀬人はその光とは反対の、暗い夜の街へと歩き出し、帰路に着いた。
そして数日後、日本のKCに戻っていた瀬人の元に一通のメールが届いた。
それはカサンドラからの、「アフリカに飛び立った」という知らせだった。
瀬人は返信することもせず、外された青眼の白龍モチーフのリングをチラリと見て、仕事に戻ったのだった。
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