ウクライナのひまわり(高校生モクバ夢)

海馬コーポレーション本社の深部に位置する、最新鋭の私設音響ホール。
壁面は音響工学の粋を集めた特殊カーボンパネルで覆われ、中央のステージには世界に数台しかない漆黒のグランドピアノが鎮座している。
瀬人は最前列の特等席に悠然と腰を下ろし、白いロングコートを椅子に流した。

「……フン。モクバ、貴様はそこで黙って見ていろ。……ソフィヤ! 貴様の『音楽』が、この海馬瀬人の論理(ロジック)を揺さぶるに足るものか……その音色で証明してみせろッ!」

モクバはステージの袖で、学ランの拳をぎゅっと握りしめていた。

「(……兄サマ、無茶苦茶だよ。……いきなりこんな場所で……。……でも、ソフィヤなら……)」

ソフィヤは静かにステージの中央へ進み出た。
スポットライトが、彼女の透き通るような白い肌と、祖母の形見であるヴァイオリンを照らし出す。
彼女は目を閉じ、深く、長く、一度だけ息を吸った。

――選んだ曲は、J.S.バッハ。《シャコンヌ》。
一音目。重厚なD(レ)の和音が、ホログラムの粒子を震わせるように響き渡った。

「っ……!!」

モクバは息を呑んだ。
それは、学校の音楽室で聴いた音とは明らかに違っていた。
低く、深く、地を這うようなG線の響き。それは戦火に消えた命への鎮魂歌であり、同時に、困難な時代を生き抜こうとする強靭な「生命」の叫びそのものだった。
ソフィヤの運指(フィンガリング)は、もはや「技術」の次元を超えていた。
故郷リヴィウの石畳、祖母の温もり、そして日本で出会った「光の王子」モクバの優しさ。そのすべてが、バッハの厳格な構成の中に、熱い血の通った感情として流れていく。

曲が中間部、ニ長調(D major)へと転調した瞬間。
ホールの照明が、黄金色のひまわり畑を思わせるような輝きに包まれた。

(……聴こえる? おばあちゃん。……私、今、生きてる。……この場所で、大切な人の前で、弾いてるよ……!)

モクバは、その圧倒的な音圧に押し流されそうになりながらも、ステージの彼女から目を逸らすことができなかった。

「(……凄い。……なんて、強い音なんだ。……俺が守りたいと思ってたあいつは……こんなにも、誇り高くて……美しい……)」

モクバのダークパープルの瞳に、熱いものが込み上げる。
それは「片思いの切なさ」ではなく、一人の芸術家の魂に触れたことへの、本能的な震えだった。
そして、客席の瀬人もまた、組んでいた足を解き、微動だにせず、鋭い眼光をソフィヤに固定していた。
彼の脳内で常に走っている「ビジネスの計算」や「支配のロジック」が、今、ソフィヤの奏でる圧倒的な「美」というバグによって、一時的に停止(フリーズ)していた。

最後の和音が消え、残響がホールの天井へと吸い込まれていく。
完全なる静寂。
ソフィヤはヴァイオリンをゆっくりと下ろし、少し肩で息をしながら、前を見据えた。

「…………フン。……バッハか。……計算され尽くした構造の中に、貴様の『不条理なまでの意志』が混じり込んでいるな。……悪くない。」

「ソフィヤ……!!」

モクバは堪らず、学ランの裾を翻してステージに駆け上がった。
ソフィヤの頬には微かな汗が光り、その蒼い瞳はまだ演奏の余韻で潤んでいる。

「……凄かった。……マジで、言葉にならない。……俺、お前の音を聴いて……なんて言うか、お前のこと、もっと……もっと応援したくなったよ! マジで世界一のファンになっちゃったかもな!」

「モクバ……。……ありがとう。……私の音、届いたデスか?」

「ああ、届いた。……心臓に響きすぎて、まだバクバクしてる。……俺、お前がこのヴァイオリンを大切にしてる理由、今、本当の意味で分かった気がするよ」
(……ヤバイ。今の流れで『愛してる』とか『惚れた』とか言えば完璧だったのに……! クソッ、いざ目の前にすると、喉の奥で言葉がフリーズしやがる……!!)

モクバは自分の情けなさに内心で絶叫していた。
モクバの体躯が、ソフィヤの至近距離でわずかに震える。だが、彼が次に口にしたのは、副社長としての「盾」の言葉だった。

「……ソフィヤ。……この音、俺が守るよ。……お前がウクライナの、世界のどこにいたって、誰にもお前の演奏を邪魔させない。……俺を、信じてくれ」

「……Yes! モクバのこと、信じてるヨ。……だって、モクバは私の『最高のFriend』だものネ!」

「……あぁ…そうだな。(……Friend、か……。……分かってたけど、その言葉、今の俺には10000ボルトの電撃より効くぜ……)」

モクバはガックリと肩を落としたが、そんな二人の背後で、あの男の哄笑が響き渡る。

「……フン! モクバ、貴様のその『友情ごっこ』にはヘドが出るわッ! だが、この女の才能は認めざるを得ん。……ソフィヤ! 今すぐこの演奏データを全世界のKCネットワークにアップロードしろッ! 貴様の音楽という『武器』で、世界を平伏させてやるのだッ!! ハーッハッハッハッハ!!」

「(……兄サマ、空気読んでくれよ、マジで……!!)……わかってるって! ソフィヤ、行こうぜ。……兄サマがその気になったら、もう止まらないからな。……世界一のステージ、用意してやるよ!」
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