このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

最後のわがまま、最期の感謝

――ふと、眩しさを感じた。
 目を開けると、一面の空。強い陽射しが目に飛び込んでくる。けれどもその視界はぼんやりと霞んでいた。
 どうしてこんなところに居るんだろう。キラは腕に力を込め、身を起こそうとした。――が、それは身を裂くような痛みにより叶えられなかった。その痛みは、一度知覚すればじわじわとキラを苦しめた。特に、腹部。燃えるような痛みを感じているのに、腹の奥底は凍ってしまいそうなほど冷たい。それから、右眼。動かそうとすればナイフでぐさりと刺されたような痛みが襲ってくる。そのせいか、今のキラの視界は半分真っ黒だった。それ以外に、足も腕も…動かすのが億劫なほどに重たくて、鈍い痛みを感じる。右足に関してはもう、感覚すら無い。
――この痛みは何なんだろう。キラは重い左腕に鞭を打ち、そうっと己の腹部に触れてみた。
 腹部の、一番熱を帯びている場所。そこを目指して手を伸ばせば、何か、硬く大きな塊が自分の腹の上に乗りかかっていることが分かった。…いや、乗りかかっているのではない。突き刺さっているのだ。
(…けど、どうして?)
 そう己の胸に聞いてみれば、凄惨な光景が脳裏に蘇ってきた。
 嵐の中、キラが乗る機体に獣のように襲いかかる一機のモビルスーツ。その血のような紅色を持つ機体に追い込まれる自分。姿を変える紅の機体、それから目の前のモニター一杯に紅い閃光が迸り、全てが紅に飲み込まれ――
「――っ!」
 キラはひゅっ、と息を飲んだ。そうだ、自分はここで戦ったのだ。あの紅い、血の色のモビルスーツと。あれのパイロットは――
「っ…ぁ、す」
 喉を震わせたときに感じた焼けるような激痛。漏れ出た声は、面白いほどに掠れていた。
 自分は、アスランと戦っていたのだ。戦って、負けたのだ。
 あのときのアスランは、恐ろしい程の殺意をこちらに向けていた。……当然だ。自分は、彼の仲間を殺したのだから。
 以前、あの黒い機体を墜としたとき。同型機だからか、彼らの会話がこちらの通信機にも届いていた。通信機から聞こえた高い、少年の声。アスランを慕っていたのだろう、その声の主はずっとアスランを案じていて。…最期に、アスランを護って死んだ。そのときのアスランの、悲痛な叫びをよく覚えている。
 あの瞬間から、キラはアスランの幼馴染みではなくなった。アスランの中で、キラは仲間を殺した「敵」になったのだ。あの瞬間から、キラ・ヤマトはアスラン・ザラの憎しみを一身に受ける存在になったのだ。
――これは、罰だ。
 同胞を殺し続けた自分への、幼馴染みを裏切り続けた自分への、罰。
 キラはそう思うと、喉奥で小さく笑った。瞬間、吐き気が込み上げてきて、ごぽ、と嫌な音を立てて吐瀉物を吐き出した。それは通常では有り得ない、赤い色だった。
――アスランは僕を殺して、少しは気持ちが楽になったかな。
 そうであって欲しい。この先の彼の未来が、憎しみでぐちゃぐちゃになることだけはやめて欲しい。
 キラは目を閉じて、宵闇の髪を持つ幼馴染みに思いを馳せた。
 真面目で、優しい彼のことだ。きっとあの黒い機体のパイロットにも、色々世話を焼いていたのだろう。…かつて、キラに同じことをしていたように。
 月都市での、優しい思い出。あの綺麗な思い出に、泥を塗ってしまった。アスランにとって、あの思い出はもう、忌むべきものにしかならないのだろう。キラはそう考えると、ちくりと胸が痛んだ。
 ――最期に、君に謝りたかった。
 君の仲間を殺したこと、君に沢山、辛い思いをさせたこと。全部全部、僕のせいだ。謝ったって何かが変わるわけでもないし、君の痛みが減るわけでもない。ただの、僕の独りよがりの行為だ。…けど、それでも、君に謝って、僕の思いを伝えたかった。



 ふと、遠くから物音が聞こえた気がした。放っておこうかとも思ったが、その音が次第にキラの方へと近づいてくるのが気になって、ゆっくりと目を開いた。右眼に鋭い痛みが走り、思わず顔を顰めた。その間にも、音はどんどん近づいてくる。その音が人の足音だと分かった時には、もう音は止まっていた。その代わりに、キラの半分の視界に空ともう一つ、見知った人影が見えるようになった。
 宵闇の髪に、紅いパイロットスーツ。ぼやけていて表情は伺えないが、それだけ見えていれば誰か判別するには充分だった。
「ぅ…っア…」
 咄嗟に名前を呼ぼうとした。けれども喉が詰まって言葉が出ない。その代わりに出るのは赤い吐瀉物。それを見た人影が、びくりと震えたのが見えた。
「……キ、ラ…?」
 人影は、キラのよく知る聴き心地の良い声で、キラの名前を呟いた。
――まだ、僕の名前を呼んでくれるんだ。
 その声を聞いた瞬間、キラの心はふんわりと、暖かいものに包まれたような感覚に陥った。けれどそれとは対照的に、呼吸はどんどんとしづらくなっていく。――限界が、近づいている。キラは最期の力を振り絞り鉛のように重い左腕を上げ、人影に向かって縋るように手を指し伸ばした。
「っあ、す……ご、っ…なさ……」
「ッ――!」
 人影はふるふると壊れた人形のように首を横に何度も何度も振った。それから、震える手でキラの手を握ってきた。その握られた手の暖かさに、何故だかとても涙が出そうになった。その暖かさに誘われたように、とろりと眠気が襲ってくる。けれど、待って。あと少し。最期に一つだけ。
 キラは力の入らない指を懸命に動かし、その暖かな手を優しく握り返した。そうして、そっとにこりと笑って見せた。大丈夫だよ、心配しないで、と言うかのように。
「っあ…す、らん……ありが、とう」
 こんな僕の手を取ってくれて。僕の名前を呼んでくれて。君のその優しさに、僕はずっと救われていました。君のことが、誰よりも大好きでした。
 眠気に攫われる寸前、涙でぐしゃぐしゃになった優しい幼馴染みの顔を見た。
1/2ページ
スキ