HappyBirthday,My Alice.
「――えと、おーい…ウサギさーん?」
あれから30分程経過しただろうか。すっかり日が暮れ、周りは真っ暗になってしまっている。
キラはウサギを追いかけ、いつの間にか住宅街を抜け見知らぬ雑木林を彷徨っていた。
彷徨うと言っても、別にウサギを見失っているわけではない。どちらかというとウサギに道案内をされている気分だ。不思議なことに、ウサギはキラがぎりぎり付いて来れる距離と速度を保って移動しているようなのだ。その気遣いはありがたいが、そんなことをする前に携帯電話を返してもらいたい。そもそもこの、ウサギを追っているこの状況は一体何なんだ?
キラがそう色々考えているうちに、先を歩いていたウサギがぴた、と足を止めた。携帯電話を返してくれるのだろうか。そう思ってウサギの方へ駆け出そうとしたが、そうする前にウサギがふっと視界から消えてしまった。
「えっ!?ちょっと、何処に行ったんだよ!」
慌ててキラがウサギの消えた方へ走ってみると、人一人が入れるくらいの大きな穴があった。ひょっとすると、ウサギはこの中へ入ったのではないか?
恐る恐る穴の中を覗いてみても底が全く見えない。穴からヒュウヒュウと空気の音が聞こえる辺り、かなり深そうだ。
「…これ、僕も行かないと駄目なのかな」
もうこの際携帯電話は諦めて家に帰ったほうがいい気がする。帰り道が不安だが、まあ歩いていれば通行人の一人くらい見つかるだろう。こんな深い穴、飛び込んだらどうなるか分からない。携帯電話と命ならば、自分は命を取る。よし、明日も早いしここは早く家に――
「わっ…うわあああ!?」
帰れなかった。穴を覗くときに頭を突っ込みすぎたのか、はたまた立ち上がるときに何かに引っかかったのか、そのままキラは穴へと転げ落ちてしまった。穴はとてつもなく深く、キラをどんどん最下層へと誘ってゆく。もうどちらが上か下か分からない。そうして落ちていく中で、キラの意識はふっと途切れた。
「……ぅ」
最初に感じたのは、眩しさ。それから草木の匂いと、小鳥の囀り。
キラは重い瞼をゆっくりと持ち上げる。
――僕、どうしたんだっけ?確か、穴に落ちて、それから…
そこまで思い出し、キラははっと周りを見回す。
どこまでも続くパステルブルーの空、暖かい日光を受けてきらきらと輝く草木、楽しそうに辺りを飛び回る小鳥たち。それはまるで絵本に出てくるおとぎの国のようで。
そこには、穴の中とは到底思えない世界が広がっていた。
自分は夢でも見ているのだろうか。そうでなければ有り得ない。
一体どうして、何がどうなれば穴の中にこんな空間が出来る?そもそも穴から落ちてきたんだから、この近くにも穴があるはずだ。
「…そうだ、穴!」
そうだった。この光景ですっかり失念していたが、入り口があるなら出口もある。どこかにあの穴に通じる何かがある。そう思い、キラは穴を探しに行こうと立ち上がった。
「ねえ知ってる?向こうで帽子屋が何かをしているみたいなの」
と、その時。近くから声がした。しかしキラが周りを見回しても人っ子一人いない。聞き間違いだろうか?
「あら、またろくでもないことを企んでいるんじゃなくて?」
――聞こえる。しかも会話。自分の近くから聞こえているのにどうして姿が見えないんだ?
すると、キラの近くをくるくると飛び回っている二羽の小鳥が目に入った。
「嫌ね、迷惑なことをしなければいいのだけれど」
小鳥が、喋っている?
そんなまさかとキラは改めて人がいないか辺りを見回したが、案の定キラ以外に人間はいない。そうなるとやはりこの小鳥たちが喋っているのだろうか?…いや、今までもウサギが二足歩行していたりしたから、これくらい当たり前なのか?
「それに、今回は黒ウサギも一緒らしいわよ」
「まあ!あの黒ウサギ?」
――黒ウサギ?
「とにかく向こうの、あの森の辺りには近づかないようにしましょう」
そう言うと小鳥たちはちゅんちゅんと歌を歌いながらどこかへ飛び去ってしまった。
「黒ウサギに、向こうの森…?そこに行けば…」
何か手がかりが掴めるかもしれない。キラは小鳥たちの話していた森へと歩を進めることにした。
キラが森へ入ってからまた暫くたった。しかし、未だ黒ウサギどころか虫すら見つけていない。
ここに入ってからというもの虫や動物の鳴き声を一度も聞いていない。おまけに風も吹かないときた。日光も射し込まず辺りは薄暗く…生命力に欠けた森だ。あまり長居したい雰囲気ではない。せめて明るい場所があればいいのに。
「…あれ?」
ふと、目線の先に開けた場所があるのが見えた。あそこにだけ日光が差し込むのかとても明るく、暖かそうだ。よく見ると中央に机や椅子があるのが見える。なんて良いタイミングだろう。よし、あそこで少し休憩しよう。そう思いキラは開けた空間へ行こうとしたが―
「人…?」
先ほどは遠くて見えなかったが、近づいてみると二つの人影が見えた。キラは木に隠れるようにしゃがんで二人を観察する。一人は顔が被っている帽子の影になっていてよく見えないが、体格からして男だろう。まるでパーティーに着ていくかのような燕尾服を着て、シルクハットを被っている。その男は優雅に足を組んで、背もたれのある座り心地の良さそうな椅子にどっかりと座り込んでいた。もう一人は、これまたパーティーにいる給仕のような服装をした男。燕尾服の男の方を向いていてこちらも顔は分からないが、ぼさぼさの黒髪で、何故か頭に黒い大きなウサギの耳が付いている。そんな森には不似合いな二人は、何か口論をしている様子だった。
「――もう一度聞くが、どうして連れてこなかったんだ?」
燕尾服の男が口を開いた。声が地を這うように低く、不機嫌なのがこちらにまで伝わってくる。
「だから、連れては来たんだって!けど途中ではぐれちゃってさ、何処に居るかわかんねーし」
それに対しウサ耳男が慌てたように言葉を返す。
「それで?仕方が無いからこれだけ盗ってきたと?」
そう言って燕尾服の男は何かを掲げて見せた。それは、キラにとって見覚えのある――
(僕の携帯…!?)
見間違えるはずも無い。燕尾服の男が手にしていたのは、あの黒ウサギに盗られた携帯電話だった。どうしてあれをあの男が持っているのだろうか。
「と、途中まではちゃんと付いてきてたんだよ!何度も確認した!でも"こっち"に来たときにはもういなかったんだ。こんな広いとこで人探しなんて無理に決まってるだろ!そもそもアンタがこんなにここを広くしなけりゃ…」
「そういう契約だろう。俺はお前にちゃんと代価を支払った。それなのに頼んだ仕事をこなさないのは、立派な契約違反だ」
そう言うと燕尾服の男は机に立て掛けてあったステッキに手を伸ばす。それを見たウサ耳男は「ひっ」と小さな悲鳴を上げ、逃げるように身を翻した。
「わ、分かったって!もう一度探してくる!見つけるまで戻ってこない!それでいいんだろ!?」
そう言うとウサ耳男はくるりとキラの方へ向かってきた
(マズッ…)
ウサ耳男はそのまままっすぐこちら側に走ってくる。非常にマズイ。このままだと鉢合わせてしまう。それに、あの燕尾服の男は何故だか知らないがとても不機嫌だ。盗み聞きをしていたなんて知られたら何をされるか分からない。
(どうしよう、どうすれば…!)
「――痛っ!」
「…おい、そこに誰か居るのか」
――パニックになった時点で駄目だったのかもしれない。
手を動かしたとき、落ちていた鋭い枝で左の手のひらを切りつけてしまったのだ。今ので件の燕尾服の男にも感づかれてしまった。何ともマヌケなバレ方だ。ああ、ウサ耳男が近づいてくる。もう駄目だ、終わった…そう思い、キラはぎゅっと目を瞑った。
「――あっ!?」
「…へっ?」
しかし、帰ってきたのはウサ耳男の素っ頓狂な声だった。
思わず瞑っていた目を開くと、ウサ耳男の真っ赤な瞳とぱっちり目が合う。初対面のはずなのに、何故だか凄く既視感がある。それを何故と思う前に、ウサ耳男に腕を強く掴まれた。
「ちょ、何っ…痛い…!」
「アスラン!見つけたぜ、アンタの獲物!」
ウサ耳男は燕尾服の男の下へキラを引っ張っていく。燕尾服の男は、ウサ耳男のその言葉にハッとしたように顔を上げた。その拍子にシルクハットが頭から落ち、今まで影で見えなかった顔が露になった。
深い海の色を持った髪。エメラルドを埋め込んだかのような鮮やかな、それでいて力強い意思を感じさせる瞳――綺麗な人だ。キラはその瞬間、この男の持つ人間離れした強い雰囲気に呑まれていた。
燕尾服の――アスランと呼ばれたその男は、キラを見るや一瞬驚いたような表情を見せ、しかしすぐに嬉しくてたまらない、と喜色に満ちた表情でキラの方へ歩みだし――
「ああ――ずっと待っていたよ、俺のアリス」
――キラを強く抱きしめた。
あれから30分程経過しただろうか。すっかり日が暮れ、周りは真っ暗になってしまっている。
キラはウサギを追いかけ、いつの間にか住宅街を抜け見知らぬ雑木林を彷徨っていた。
彷徨うと言っても、別にウサギを見失っているわけではない。どちらかというとウサギに道案内をされている気分だ。不思議なことに、ウサギはキラがぎりぎり付いて来れる距離と速度を保って移動しているようなのだ。その気遣いはありがたいが、そんなことをする前に携帯電話を返してもらいたい。そもそもこの、ウサギを追っているこの状況は一体何なんだ?
キラがそう色々考えているうちに、先を歩いていたウサギがぴた、と足を止めた。携帯電話を返してくれるのだろうか。そう思ってウサギの方へ駆け出そうとしたが、そうする前にウサギがふっと視界から消えてしまった。
「えっ!?ちょっと、何処に行ったんだよ!」
慌ててキラがウサギの消えた方へ走ってみると、人一人が入れるくらいの大きな穴があった。ひょっとすると、ウサギはこの中へ入ったのではないか?
恐る恐る穴の中を覗いてみても底が全く見えない。穴からヒュウヒュウと空気の音が聞こえる辺り、かなり深そうだ。
「…これ、僕も行かないと駄目なのかな」
もうこの際携帯電話は諦めて家に帰ったほうがいい気がする。帰り道が不安だが、まあ歩いていれば通行人の一人くらい見つかるだろう。こんな深い穴、飛び込んだらどうなるか分からない。携帯電話と命ならば、自分は命を取る。よし、明日も早いしここは早く家に――
「わっ…うわあああ!?」
帰れなかった。穴を覗くときに頭を突っ込みすぎたのか、はたまた立ち上がるときに何かに引っかかったのか、そのままキラは穴へと転げ落ちてしまった。穴はとてつもなく深く、キラをどんどん最下層へと誘ってゆく。もうどちらが上か下か分からない。そうして落ちていく中で、キラの意識はふっと途切れた。
「……ぅ」
最初に感じたのは、眩しさ。それから草木の匂いと、小鳥の囀り。
キラは重い瞼をゆっくりと持ち上げる。
――僕、どうしたんだっけ?確か、穴に落ちて、それから…
そこまで思い出し、キラははっと周りを見回す。
どこまでも続くパステルブルーの空、暖かい日光を受けてきらきらと輝く草木、楽しそうに辺りを飛び回る小鳥たち。それはまるで絵本に出てくるおとぎの国のようで。
そこには、穴の中とは到底思えない世界が広がっていた。
自分は夢でも見ているのだろうか。そうでなければ有り得ない。
一体どうして、何がどうなれば穴の中にこんな空間が出来る?そもそも穴から落ちてきたんだから、この近くにも穴があるはずだ。
「…そうだ、穴!」
そうだった。この光景ですっかり失念していたが、入り口があるなら出口もある。どこかにあの穴に通じる何かがある。そう思い、キラは穴を探しに行こうと立ち上がった。
「ねえ知ってる?向こうで帽子屋が何かをしているみたいなの」
と、その時。近くから声がした。しかしキラが周りを見回しても人っ子一人いない。聞き間違いだろうか?
「あら、またろくでもないことを企んでいるんじゃなくて?」
――聞こえる。しかも会話。自分の近くから聞こえているのにどうして姿が見えないんだ?
すると、キラの近くをくるくると飛び回っている二羽の小鳥が目に入った。
「嫌ね、迷惑なことをしなければいいのだけれど」
小鳥が、喋っている?
そんなまさかとキラは改めて人がいないか辺りを見回したが、案の定キラ以外に人間はいない。そうなるとやはりこの小鳥たちが喋っているのだろうか?…いや、今までもウサギが二足歩行していたりしたから、これくらい当たり前なのか?
「それに、今回は黒ウサギも一緒らしいわよ」
「まあ!あの黒ウサギ?」
――黒ウサギ?
「とにかく向こうの、あの森の辺りには近づかないようにしましょう」
そう言うと小鳥たちはちゅんちゅんと歌を歌いながらどこかへ飛び去ってしまった。
「黒ウサギに、向こうの森…?そこに行けば…」
何か手がかりが掴めるかもしれない。キラは小鳥たちの話していた森へと歩を進めることにした。
キラが森へ入ってからまた暫くたった。しかし、未だ黒ウサギどころか虫すら見つけていない。
ここに入ってからというもの虫や動物の鳴き声を一度も聞いていない。おまけに風も吹かないときた。日光も射し込まず辺りは薄暗く…生命力に欠けた森だ。あまり長居したい雰囲気ではない。せめて明るい場所があればいいのに。
「…あれ?」
ふと、目線の先に開けた場所があるのが見えた。あそこにだけ日光が差し込むのかとても明るく、暖かそうだ。よく見ると中央に机や椅子があるのが見える。なんて良いタイミングだろう。よし、あそこで少し休憩しよう。そう思いキラは開けた空間へ行こうとしたが―
「人…?」
先ほどは遠くて見えなかったが、近づいてみると二つの人影が見えた。キラは木に隠れるようにしゃがんで二人を観察する。一人は顔が被っている帽子の影になっていてよく見えないが、体格からして男だろう。まるでパーティーに着ていくかのような燕尾服を着て、シルクハットを被っている。その男は優雅に足を組んで、背もたれのある座り心地の良さそうな椅子にどっかりと座り込んでいた。もう一人は、これまたパーティーにいる給仕のような服装をした男。燕尾服の男の方を向いていてこちらも顔は分からないが、ぼさぼさの黒髪で、何故か頭に黒い大きなウサギの耳が付いている。そんな森には不似合いな二人は、何か口論をしている様子だった。
「――もう一度聞くが、どうして連れてこなかったんだ?」
燕尾服の男が口を開いた。声が地を這うように低く、不機嫌なのがこちらにまで伝わってくる。
「だから、連れては来たんだって!けど途中ではぐれちゃってさ、何処に居るかわかんねーし」
それに対しウサ耳男が慌てたように言葉を返す。
「それで?仕方が無いからこれだけ盗ってきたと?」
そう言って燕尾服の男は何かを掲げて見せた。それは、キラにとって見覚えのある――
(僕の携帯…!?)
見間違えるはずも無い。燕尾服の男が手にしていたのは、あの黒ウサギに盗られた携帯電話だった。どうしてあれをあの男が持っているのだろうか。
「と、途中まではちゃんと付いてきてたんだよ!何度も確認した!でも"こっち"に来たときにはもういなかったんだ。こんな広いとこで人探しなんて無理に決まってるだろ!そもそもアンタがこんなにここを広くしなけりゃ…」
「そういう契約だろう。俺はお前にちゃんと代価を支払った。それなのに頼んだ仕事をこなさないのは、立派な契約違反だ」
そう言うと燕尾服の男は机に立て掛けてあったステッキに手を伸ばす。それを見たウサ耳男は「ひっ」と小さな悲鳴を上げ、逃げるように身を翻した。
「わ、分かったって!もう一度探してくる!見つけるまで戻ってこない!それでいいんだろ!?」
そう言うとウサ耳男はくるりとキラの方へ向かってきた
(マズッ…)
ウサ耳男はそのまままっすぐこちら側に走ってくる。非常にマズイ。このままだと鉢合わせてしまう。それに、あの燕尾服の男は何故だか知らないがとても不機嫌だ。盗み聞きをしていたなんて知られたら何をされるか分からない。
(どうしよう、どうすれば…!)
「――痛っ!」
「…おい、そこに誰か居るのか」
――パニックになった時点で駄目だったのかもしれない。
手を動かしたとき、落ちていた鋭い枝で左の手のひらを切りつけてしまったのだ。今ので件の燕尾服の男にも感づかれてしまった。何ともマヌケなバレ方だ。ああ、ウサ耳男が近づいてくる。もう駄目だ、終わった…そう思い、キラはぎゅっと目を瞑った。
「――あっ!?」
「…へっ?」
しかし、帰ってきたのはウサ耳男の素っ頓狂な声だった。
思わず瞑っていた目を開くと、ウサ耳男の真っ赤な瞳とぱっちり目が合う。初対面のはずなのに、何故だか凄く既視感がある。それを何故と思う前に、ウサ耳男に腕を強く掴まれた。
「ちょ、何っ…痛い…!」
「アスラン!見つけたぜ、アンタの獲物!」
ウサ耳男は燕尾服の男の下へキラを引っ張っていく。燕尾服の男は、ウサ耳男のその言葉にハッとしたように顔を上げた。その拍子にシルクハットが頭から落ち、今まで影で見えなかった顔が露になった。
深い海の色を持った髪。エメラルドを埋め込んだかのような鮮やかな、それでいて力強い意思を感じさせる瞳――綺麗な人だ。キラはその瞬間、この男の持つ人間離れした強い雰囲気に呑まれていた。
燕尾服の――アスランと呼ばれたその男は、キラを見るや一瞬驚いたような表情を見せ、しかしすぐに嬉しくてたまらない、と喜色に満ちた表情でキラの方へ歩みだし――
「ああ――ずっと待っていたよ、俺のアリス」
――キラを強く抱きしめた。