このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

健全CP無し物

あの日、あの瞬間。
始まりは偶然に過ぎなかったのかもしれない。否、もしかしたら、その偶然さえも、必然であったのかもしれない。
交わるはずのなかった世界が交わった瞬間。一つの卵が、そこから生まれた命が、その世界の生き物と繋がった、その時。


『うて』


世界が、彼に気が付いた。











八神太一は、不思議な人間である。
それが、かつて彼の参謀として冒険を共にし、今なお深いつながりを持っている泉光子郎の、彼に対する総評だ。
メノアという一人の選ばれし子どもだった彼女が、エオスモンという人工デジモンを作り出し起こした事件が一通り収束した頃、会社を持ちつつデジモンやデジタルワールドについての研究を続けている泉は、また同じような事件が起きてしまわないよう奔走する日々を送っていた。その折に、一時的に病院へ入院していた八神太一から、卒業論文のテーマが決まったという報告を受けたのだ。


『デジモンたちとの共生について、書こうと思うんだ』


それを聞いた時、泉はまったく彼らしいと思った。かつてまだ泉たちが高校生だった頃、同じようにデジモンたちと事件を解決した時も、八神はそうやっていつもデジモンたちのためにと道を選択してきた。泉も研究者としてデジタルワールドの研究をずっと続けているし、この先の未来で、デジモンがもっと身近な存在となれるよう微力ながらでも何か自分にできることをと思って行動している。そして、いつかその先頭に立つのだろう八神を、その後ろからいつだってサポートできるようにしておきたいと、泉はずっと前からそう思っていた。

八神太一は、不思議だ。
右も左もわからなかった一番最初の冒険で、明日生きているともわからないあの世界で、彼はいつだってその先頭に立って、その道を示してきた。彼を失い散り散りになってしまった仲間を、彼がもう一度繋ぎ止めた。泉がかつて評したように、あの世代の選ばれし子どもたち8人は、基本的にまとまりがなかった世代だ。おそらく八神という存在がいなければ、とっくに世界は終わってしまっていたし、自分たちは今ここに生きていないだろうと、そう実感している。それは誰も言わないだけで、かつての子供たちはある程度同じ思いを抱いていたはずだ。そして、次世代となった新しい4人の子供たち。彼らは最初から自分の力でデジタルワールドに行けたわけではない。あれは確か、八神があちらの世界で、勇気のデジメンタルに触れたからこそ、始まったのだ。



(…あれ、?)

ふと、違和感を覚えた。なんだろう、絶対に見落としてはいけないような、そんな何か。泉はキーボードを打ち続けていた手を止める。開いていたファイルは、恐らく卒論を書くに当たって八神の助けになるであろうデジタルワールドの資料たちだ。それから、かつての冒険を簡単に記録したファイル。

「…太一さん?」

その記録に、八神の名前が多く出てくるのは当たり前だった。彼こそが自分たちのリーダーであったのだから。しかし、彼の周りを取り巻くそのいくつかの事象は、当たり前と呼ぶには少し、いやかなり、異質だ。
泉が記憶している範囲で、八神に関する不思議な事象はいくつかある。まず、初めてこちらの世界とデジタルワールドが交わった日。あの、すべての始まりの日。八神兄妹の家に現れ、あり得ぬ速さで成長していった一つのデジタマ。そして冒険の中で、たった一人時空の歪みに吸い込まれ、現実世界へと戻り、そして帰ってきたこと。エテモンと同じ歪みに吸い込まれたはずなのに、なぜか彼は現実世界へと飛ばされた。光が丘でもないのに、まるで導くかのように開かれたゲートによって、彼は再びデジタルワールドへ戻ってきた。
冒険が終わって数年、デジモンカイザーが現れた時、八神だけがその異変に気付いた。彼のデジヴァイスだけが、パートナーの救難信号を受信した。そして、再び彼の前にゲートは開かれた。

かつて、八神の後輩である本宮大輔が泉に尋ねたことがある。


『なんで、勇気のデジメンタルのところに、俺たちのD3ってあったんすかね』


盲点だった。だって、そう聞かれるまで、泉でさえそれを不思議にすら思っていなかったのだから。言われて初めてその異質に気が付いた。彼は、八神太一という人間は、常に始まりの場所にいる。それは選ばれし子どもが世界中に溢れている今でもそうだ。城戸丈が言ったことがある。なぜ自分たちなのかと。世界中に子どもたちがいるのに、なぜ戦わなければいけないのはいつも自分たちなのかと。一度は戦うための力を奪われたのに、それを許されなかったのに、なぜと。
そうだ。もう選ばれし子どもたちは自分たちだけではない。世界中にいる。その誰もかれもが戦えるわけではなくとも、戦えるもののほうが圧倒的に多い。けれど、それなのに、まるで狙ったかのように、デジモンに関する世界を揺るがす事件は、自分たちの周りで起きている。




違う。



自分たちの周りじゃない。
八神太一の周りで、起きて、いる、?




「ッ、!」

ゾッとした。思わず立ち上がった泉に、パートナーが心配そうに名前を呼ぶ。冷汗が流れた。つい先刻、八神から新しく連絡があった。卒論のテーマと、もう一つ。将来が決まったと。


彼の、なりたいものは。
違う、なりたいじゃない、なるものは。


「……外交官」

それは、この世界と、あの世界を繋ぐ、架け橋。


ああ、そういうことだった!そうだったのだ!
今更になって気づいてしまった。かつての事例は、全てこのためにあったのだ。偶然などではない、すべてはこのために用意されてきた、必然であったのだ!


違和感はそこら中に散らばっていた。けれど誰もそれを気に留めなかった。気付こうと思えば気づけたものを、恐らく彼自身が、厳重に隠して生きてきた。
八神太一は、かつてリーダーとして仲間と共に世界を救った。そしてその力を、一度、他でもない愛した世界に奪われた。そのための力を与えられなかった。彼はあの時、誰よりも渇望したはずだ。そのための力が欲しい。あの世界に生きたい。なぜ俺ではだめなのだと、なぜ捨てるくせに一度呼んだのだと。その飢えと渇きを誰にも見せることなく、彼はそれを抱えたままただひたすらに次世代のサポートに徹した。あの世界への欲求は、しかし留まるところを知らず、そしてそれは、ダークタワーから作られたあのデジモンにも、恐らく影響していた。ダークタワーから生み出された暗黒のデジモン、ブラックウォーグレイモン。なぜ誰も思わなかったのだろう。どうしてあの姿で生まれてきたのかと。強いデジモンなら、きっとウォーグレイモンでなくてもよかったはずなのだ。だのに、彼は色を漆黒に変え生まれた。そしてそれは、彼のパートナーと深く繋がり、そしてまたあの世界と彼を繋げていく。

高校生だった時、あの時八神太一は、まだずっとサッカーを続けていた。そして事件は起きた。イグドラシルという新たな敵をもって、起きてしまった。イグドラシルはなぜあのタイミングで動いたのだろう。ホメオスタシスは、かつて子供たちへもっと優しく語りかけていたはずの安定を望む者は、なぜあの時ああまでも子供たちに無慈悲だったのだろう。誰もが八神太一は死んでしまったのではないかと思っていたあの状況でそれでも生きていた彼は、その後イグドラシルの気まぐれで生かされたのだと言った。本当に自分たちの邪魔をして、人間を消すつもりで動いていたのなら、なぜ不利になるかもしれないようなことをしたのだろう。八神に、あまりにも大きな重荷を背負わせてまで。

そして、八神太一は、それ以来サッカーをやめた。


メノアは、あのオーロラが現れたその後に、エオスモンを生み出したと言った。オーロラが現れた原因は今でもわかっていない。けれどあの時、八神はずっと卒論のテーマを決めあぐねていた。パートナーと別れなければならない日が来るなんて誰も知らなかった。そして、八神の前にだけ現れたゲンナイ。他の誰でもなく、八神にしかその姿を見せなかったゲンナイは、何を思って彼にだけ会いに行ったのだろう。苦渋の決断を迫られ、けれど八神と石田ヤマトは、そしてそのパートナーたちは、すべてをかけて救ってくれた。大きな代償を払って。


(これじゃあ、まるで、誘導されている)


初めて二つの世界が交わったあの時。
歪みに吸い込まれても生きていたあの時。
次世代の始まりの場所にいたあの時。
敵であるイグドラシルが彼を救ったあの時。
一つの別れが、一人の少女を変えてしまった、あの時。

そのすべてに、八神太一が、関わっている。そして、それらの事象こそが、今の八神を、八神太一たらしめている。まるで彼を失いたくないかのように。自分たちの世界の最も近い場所に、彼を置きたがっているかのように。

偶然、などではない。この世に偶然などありはしない。あるのは必然だけだと言ったのは、誰だっただろう。
なぜ気づかなかったのだ。気付くためのヒントはそこらじゅうにあったのに、どうして、何故いつも、こんなにも手遅れになってしまってから気付くのだ。知識の紋章の持ち主であるのに、泉は初めて、その事実を知りたくなどなかったと、それ以上を知ることを、怖がった。だって、こんなもの狂っているとしか言いようがないじゃないか。たった一人の人間を選ぶ世界など、そしてそれを当たり前に受け入れてしまう人間など。これを正常だと言うのなら、一体どれだけのものが正常だと言えるだろう。
彼はもう、選んでしまった。もう自分たちは、これから先その背中を見ることしかできない。もう二度と、追いつくことはできない。彼が、それを許さない。

「…太一、さん、ッ」





彼が世界を愛したのではない。
世界が、彼を愛したのだ。





***




「…光子郎は、気づいてそうだなぁ」

初めてそれに気づいたのはいつだっただろう。だけどその時にはすでに、自分はあの世界を他の何よりも愛してしまっていた。たとえ行きつく場所があの世界に固定されてしまうよう誘導されていたとしても、例えどれだけの苦痛が与えられても。それさえも愛おしいと思ってしまうくらい、俺はあの世界に執着してしまっていた。
偶然では済まされないようなことはたくさんあった。イグドラシルが俺をあのまま死なせなかったあの時、恐らく俺はその事実に気付いてしまった。

『…いい度胸じゃねぇか、のってやるよ』

だから俺はサッカーをやめた。
だから俺はあの世界を選んだ。
きっと誰かが言うのだろう。あの世界が俺を選んだのだと。あの世界こそが、俺を欲したのだと。
だけど、違うのだ。俺はそんなこと知っていた、気づいていた。

知っていて、俺が、選んでやったのだ。


『俺、外交官になるんだ』


それはもはや願望ではない。いずれ来る未来の話だ。俺はもう、あの時のような子供ではない。だけどもう二度と、あの世界に俺は必要ないなどとは言わせない。もう二度と、半身を奪わせたりなどするものか。


『未来の可能性があれば、あるいは』


そうだ。俺にはまだ可能性が残されている。選択し、成長する過程で捨ててしまった他の可能性は、全てこの先の未来のために集約されている。俺の紋章は、勇気の紋章だ。俺は進むことをもう怖がったりしない。俺が決めた未来に行きつくためならば、俺は愛する世界だって利用する。
なんだってしてやろう。お前たちが望む道を進んでやろう。精々俺という存在をもっと欲してくれ。そうすれば、俺は。

「俺はまだ、あの世界を愛していける」



たった一人の人間を選んだ世界を狂っているというのなら。
きっと分かっていて世界を愛した俺も、同じなのだ。
1/3ページ
スキ