慈悲と巡りて君を愛す
海の匂いがする。それから、波の音。青く煌めく、そんな海ではなく、全て飲み込むような、真っ暗な海に、ずっと呼ばれている。
目が覚めても、波の音が聞こえた気がした。
最近はずっとまともに眠れていない。今朝もいつものように目覚ましよりも1時間以上も早く目が覚めて、けれど何をするわけでもなくただぼうっとベッドに寝転がるばかりだった。
あの新しい仲間と出会った事件から、半身と別れ涙し、再び絆を築いて、そして。あの日々からもう数週間が経とうとしている。時の流れは速いもので、俺たちが感傷に浸る間もなく街は以前の姿へ戻ろうと修復され始め、様々な声が飛び交う毎日だ。仲間たちも次第に元の生活を取り戻している。誰も、あの事件の話をしようとはしないけれど。
だから、俺も言えなかった。
あれから、世界を救うためにメイク―モンを殺すという決断をしてから、俺はずっと夢を見た。最初はただ暗い場所にいるだけだった。次に潮の匂いがした。今では波の音が聞こえる。足元を見下ろせば、波が小さく打ち寄せていた。そんな他愛もない夢。だけど、無関係とは思えなかった、思いたくなかった。きっとあれは、俺の心だ。
俺はまだ、あの決断が本当に正しかったのか、よくわかっていない。世界を救うためにはメイクーモンを殺すしかなかった。それしか道が残されていなかった。だからその道を選んだ。だけど、もし時間があったなら。世界が滅んでしまうまでに、もっと時間があったなら、他の道を探せたのではないだろうか。そんなくだらないことを、ずっと何度も考えてしまう。望月の決意を無駄にしたくなかった。それは確かに本音だけれど、そんなものはきっと逃げているだけだ。今になって自分の言葉が自分の身に返ってくる。誰かを殺してしまうかもしれない。それが怖くて、昔のように戦えなかった。誰も殺してしまいたくなかった、傷つけたくなかった。だけど、最後に俺が選んだ道はなんだっただろう。殺したくないと泣いたこの口で、メイクーモンを殺すことを選択した。俺が本当に逃げたかったのは、なんだったのだろう。
こういった相談を、いつもなら真っ先に光子郎に話していた。だけど光子郎は今ゲートを開くための研究で忙しそうにしているし、前を向いて歩いているその足を引っ張りたくなかった。ヤマトと空はなんとなく距離が近づいて、二人の幸せを願う身としては、話を切り出せなかった。丈だって遅れた勉強を取り戻すために忙しいし、ミミちゃんは学校で楽しそうに笑っているから、その笑顔の邪魔をしたくない。後輩には話せないし、ヒカリにも、ヒカリには一番話せなかった。俺を許さないと言った、ヒカリには、絶対に。
「……馬鹿だなぁ」
リーダーだろう、俺は。リーダーだっただろう。しっかりしろ。自分の選択に責任を持て。もう俺は、お前は、がむしゃらに走り続けることができる子供ではないのだ。
「……うみ」
今日も、また。
海も空も、どこもかしこもが真っ暗だった。かつて暗黒の海と呼んだ、そんな場所だった。今の俺にぴったりじゃないかと自嘲する。現実で向き合えない自分の心と、こうやって夢でしか向き合えない。俺は、あまりにも弱い。
なぜだか泣きたくなって、俯いた。波の音がする。いつもより、大きな。ぶわりと強い風が吹いて、波が揺れた。足が濡れて、そして真っ暗だった空間が白く輝いて、俺は初めて顔を上げた。
あの時出会った、彼が、そこにいた。
足元が濡れることも厭わず走り出す。膝まで海に沈み、その純白を見上げた。翼の羽がひらひらと落ちてくる。真っ暗な海に、彼の姿はあまりにも綺麗だった。それは、泣きたくなるほどに、本当に綺麗だった。
「……オメガモン」
小さく呟けば、それに反応したようにふわふわと浮いていたオメガモンが海へと足をつける。自身が濡れることも構わず、俺に視線を近づけるようにしゃがみ込んで頭を垂れた。青い瞳からはその思考が読み取れない。けれど彼は俺を覆い隠し暗い海から守るように、その翼を広げた。視界が白く染まる。それと同時に、海水に触れた部分から翼が黒く染まっていることに気づいた。
「オメガモン、だめだ、汚れちゃう」
それでも翼を動かそうとはしなかった。彼は俺の知っているオメガモンなのだろうか。あの時初めて、たった一度だけ姿を見せた、純白のオメガモン。今でもまだ、誰もあの時のオメガモンがなんだったのかはっきりわかっていない。光子郎も調べてくれたようだけれど、詳しいことはわからないようだった。光子郎がわからないなら、きっと誰も分からないだろうと、そこでその話は終わってしまった。俺だけがずっと、もう一度この姿と出会いたいと願っていた。きっともう二度と会えない、この奇跡と。
「…お前は、誰なんだ」
『……私は、呼ばれたからここにいる』
初めて聞いたその姿のオメガモンの声は、アグモンの声にも聞こえて、けれど全く知らない声にも聞こえた。俺が、呼んだのだろうか。じゃああの時は、いったい誰が君を呼んだのだろう。その圧倒的な強さで、オルディネモンを殺したあの姿を、いったい誰が。この暗い海には、こんな場所に、俺は君を呼んでしまったのだろうか。その翼を、白く輝く綺麗な翼を黒く染めさせてしまっているのは、俺なんだろうか。
「……どうして」
あの時、どうしてお前は現れたんだ
そう、言葉を紡ごうとして、目を覚ました。
「……オメガモン?」
視界に広がったのは暗い海でも暗い空でも、彼の白でもない、ただの木の木目だった。オメガモン、どこに消えてしまったの。まだ行かないでくれ、まだ。
「……俺のことも、救ってくれよ」
小さな呟きは、誰にも聞かれないまま空気に溶けた。
(だから今、私はここにいる)
目が覚めても、波の音が聞こえた気がした。
最近はずっとまともに眠れていない。今朝もいつものように目覚ましよりも1時間以上も早く目が覚めて、けれど何をするわけでもなくただぼうっとベッドに寝転がるばかりだった。
あの新しい仲間と出会った事件から、半身と別れ涙し、再び絆を築いて、そして。あの日々からもう数週間が経とうとしている。時の流れは速いもので、俺たちが感傷に浸る間もなく街は以前の姿へ戻ろうと修復され始め、様々な声が飛び交う毎日だ。仲間たちも次第に元の生活を取り戻している。誰も、あの事件の話をしようとはしないけれど。
だから、俺も言えなかった。
あれから、世界を救うためにメイク―モンを殺すという決断をしてから、俺はずっと夢を見た。最初はただ暗い場所にいるだけだった。次に潮の匂いがした。今では波の音が聞こえる。足元を見下ろせば、波が小さく打ち寄せていた。そんな他愛もない夢。だけど、無関係とは思えなかった、思いたくなかった。きっとあれは、俺の心だ。
俺はまだ、あの決断が本当に正しかったのか、よくわかっていない。世界を救うためにはメイクーモンを殺すしかなかった。それしか道が残されていなかった。だからその道を選んだ。だけど、もし時間があったなら。世界が滅んでしまうまでに、もっと時間があったなら、他の道を探せたのではないだろうか。そんなくだらないことを、ずっと何度も考えてしまう。望月の決意を無駄にしたくなかった。それは確かに本音だけれど、そんなものはきっと逃げているだけだ。今になって自分の言葉が自分の身に返ってくる。誰かを殺してしまうかもしれない。それが怖くて、昔のように戦えなかった。誰も殺してしまいたくなかった、傷つけたくなかった。だけど、最後に俺が選んだ道はなんだっただろう。殺したくないと泣いたこの口で、メイクーモンを殺すことを選択した。俺が本当に逃げたかったのは、なんだったのだろう。
こういった相談を、いつもなら真っ先に光子郎に話していた。だけど光子郎は今ゲートを開くための研究で忙しそうにしているし、前を向いて歩いているその足を引っ張りたくなかった。ヤマトと空はなんとなく距離が近づいて、二人の幸せを願う身としては、話を切り出せなかった。丈だって遅れた勉強を取り戻すために忙しいし、ミミちゃんは学校で楽しそうに笑っているから、その笑顔の邪魔をしたくない。後輩には話せないし、ヒカリにも、ヒカリには一番話せなかった。俺を許さないと言った、ヒカリには、絶対に。
「……馬鹿だなぁ」
リーダーだろう、俺は。リーダーだっただろう。しっかりしろ。自分の選択に責任を持て。もう俺は、お前は、がむしゃらに走り続けることができる子供ではないのだ。
「……うみ」
今日も、また。
海も空も、どこもかしこもが真っ暗だった。かつて暗黒の海と呼んだ、そんな場所だった。今の俺にぴったりじゃないかと自嘲する。現実で向き合えない自分の心と、こうやって夢でしか向き合えない。俺は、あまりにも弱い。
なぜだか泣きたくなって、俯いた。波の音がする。いつもより、大きな。ぶわりと強い風が吹いて、波が揺れた。足が濡れて、そして真っ暗だった空間が白く輝いて、俺は初めて顔を上げた。
あの時出会った、彼が、そこにいた。
足元が濡れることも厭わず走り出す。膝まで海に沈み、その純白を見上げた。翼の羽がひらひらと落ちてくる。真っ暗な海に、彼の姿はあまりにも綺麗だった。それは、泣きたくなるほどに、本当に綺麗だった。
「……オメガモン」
小さく呟けば、それに反応したようにふわふわと浮いていたオメガモンが海へと足をつける。自身が濡れることも構わず、俺に視線を近づけるようにしゃがみ込んで頭を垂れた。青い瞳からはその思考が読み取れない。けれど彼は俺を覆い隠し暗い海から守るように、その翼を広げた。視界が白く染まる。それと同時に、海水に触れた部分から翼が黒く染まっていることに気づいた。
「オメガモン、だめだ、汚れちゃう」
それでも翼を動かそうとはしなかった。彼は俺の知っているオメガモンなのだろうか。あの時初めて、たった一度だけ姿を見せた、純白のオメガモン。今でもまだ、誰もあの時のオメガモンがなんだったのかはっきりわかっていない。光子郎も調べてくれたようだけれど、詳しいことはわからないようだった。光子郎がわからないなら、きっと誰も分からないだろうと、そこでその話は終わってしまった。俺だけがずっと、もう一度この姿と出会いたいと願っていた。きっともう二度と会えない、この奇跡と。
「…お前は、誰なんだ」
『……私は、呼ばれたからここにいる』
初めて聞いたその姿のオメガモンの声は、アグモンの声にも聞こえて、けれど全く知らない声にも聞こえた。俺が、呼んだのだろうか。じゃああの時は、いったい誰が君を呼んだのだろう。その圧倒的な強さで、オルディネモンを殺したあの姿を、いったい誰が。この暗い海には、こんな場所に、俺は君を呼んでしまったのだろうか。その翼を、白く輝く綺麗な翼を黒く染めさせてしまっているのは、俺なんだろうか。
「……どうして」
あの時、どうしてお前は現れたんだ
そう、言葉を紡ごうとして、目を覚ました。
「……オメガモン?」
視界に広がったのは暗い海でも暗い空でも、彼の白でもない、ただの木の木目だった。オメガモン、どこに消えてしまったの。まだ行かないでくれ、まだ。
「……俺のことも、救ってくれよ」
小さな呟きは、誰にも聞かれないまま空気に溶けた。
(だから今、私はここにいる)
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