誰がための世界
聞こえてきた声は、確かに夢で聞いたはずの声だった。強く腕を引かれ後ろに倒れこむと同時に、感じたのは浮遊感。
「…は」
浮遊感?あり得ない。ただの夜道を歩いていただけだったはずだ。落ちるような階段もない。待て、今この目の前に広がる暗闇はなんだ。ここはどこだ。あいつは?今俺の腕を掴んでいるその手は、誰の手だ。
「ようやく見つけた」
「ッ、!?」
腕を掴まれる感覚が消えたと思えば、今度は得体のしれない何かに、両頬を掴まれる。半ば強引に上を向かされ、見上げた先には人間ではない何かがいた。白銀の体。異国の騎士のような姿。頬を掴む両手は、氷のように冷たい。体が凍えそうだった。この、場所も分からない空間は、あまりにも寒い。
「ああ、オメガモン、ようやく見つけたぞ」
「お、前は、…なんだ」
「覚えていないのか?まぁ今は人間なのだから、それも致し方ないか」
し、っている。この声は、夢で聞いたあの声と同じだ。あの声よりもよほど冷たく感じるが、それでも同じ。冷たい両手は、あの時俺の体を抱き上げたそれと同じもの、のはずだ。オメガモン、という名前で、呼ばれたことがあるはずだ。初めて聞く名前ではない。確かに知っている。頭にズキリと激痛が走った。それ以上何も思い出すなと、お前はこれ以上なに一つだって思い出さなくていいのだと言うかのように。だけど思い出さなければならない。そうしなければ現状をどうにもできない。こいつを、彼を知っている。けれど、こんな色だっただろうか。白銀の体は変わらない、だけどこんな冷たい瞳だったか。俺が覚えているのは、真紅の体だ。こんな色ではない。温度も感じさせないような、青い体はしていなかった。そうだ、知っているさ。覚えている。かつて最も信頼を寄せた、誰よりも俺の近くへ来てくれた。俺が、置いて行ってしまった、彼は。
「…でゅーく、もん…?」
「!…思い出してくれたのか、そうか、はは、そうか!」
かつての盟友の名を呼べば、目を見開き、嬉しそうに笑った。無邪気な笑顔は昔と変わらない。なのになぜだろう。その笑顔が、どうしようもなく今は怖い。頭痛が止まない。これは警告音だ。それ以上踏み込むなと。けれど踏み込まないとして、逃げ道もどこにもない。どうやって戻ればいいのかも、ここがどこかさえわからないのに。
「怖いか?安心しろ、ここには私とお前以外誰も来ない」
「…だれも……?」
「そうだ、お前だけのための世界だ。ここにいれば誰もお前を傷つけない。誰もお前に手を出せない。お前が死ぬこともない。人間というのは脆い生き物なのだろう?お前も以前のように戦う強さはないのだろう。ならデジタルワールドでは危険だ。またすぐに死んでしまう。しかしここならそんな心配もいらない。ここならお前が死ぬことはないのだから。そのための、そのためだけの場所なのだから」
「な、にを、言って」
違う。俺が、かつての『オメガモン』が盟友と呼び愛したのは、真紅の騎士だ。彼はこんな風に笑わない。俺だけを特別に扱うことはしない。何より、己の願望のままにこんな世界を作ることはしない。デジタルワールドはどうなった。このような特殊な空間を他でもないロイヤルナイツが作ることなど、他のデジモンだけじゃない、我らの神が許すはずがない。俺が死んだ後、デュークモンに何があった。何が?俺が、変えたのか?
頭痛が酷い。頭が割れるようだ。油断すれば、痛みに意識を持っていかれてしまう。駄目だ、まだ聞かなければならないことがある。まだ何も聞けていない。お前は、こんな場所に来させるために俺をずっと呼んでいたのか。こんな場所に連れてこられるために、俺は過去をずっと夢で見てきたのか。そんなことが、あってたまるものか。そんなこと、信じたくもないのに。触れずとも熱く感じた真紅はもうどこにも見当たらない。あるのは見るだけで凍えるような青さ。冷たい黄金の瞳。
(…あぁ、もう、いないのだな)
きっと俺が殺してしまった、かつての盟友。
「……でゅーくもん」
薄れる意識の中、悲しさからか、悔しさからか。
たった一筋、涙が流れた。
広い病室に、白髪の青年が眠っている。彼は病気ではない。病で眠っているわけではない。理由もなく、原因もわからないまま、ただずっと、眠り続けている。もう何日になるだろうか。目の前で彼が倒れた時、黒髪の青年は初めて自分が無力だと思い知った。
傍にいれば守れると思った。変わってしまったかつての仲間の狂気から、守れるはずだと思っていた。できれば何も思い出さないまま、何も気づかず過ごしてほしかった。青年は、そのために傍にい続けたはずだった。結果はどうだ。何もできない。彼の意識を呼び起こす術もない。きっと彼が連れて行ってしまった。今の青年の力では、その場所へ行くことができない。かつての姿なら、探し出せたかもしれないが。
「……オメガモン」
白髪の青年は、今日もまだ、眠り続けたままだ。
「…は」
浮遊感?あり得ない。ただの夜道を歩いていただけだったはずだ。落ちるような階段もない。待て、今この目の前に広がる暗闇はなんだ。ここはどこだ。あいつは?今俺の腕を掴んでいるその手は、誰の手だ。
「ようやく見つけた」
「ッ、!?」
腕を掴まれる感覚が消えたと思えば、今度は得体のしれない何かに、両頬を掴まれる。半ば強引に上を向かされ、見上げた先には人間ではない何かがいた。白銀の体。異国の騎士のような姿。頬を掴む両手は、氷のように冷たい。体が凍えそうだった。この、場所も分からない空間は、あまりにも寒い。
「ああ、オメガモン、ようやく見つけたぞ」
「お、前は、…なんだ」
「覚えていないのか?まぁ今は人間なのだから、それも致し方ないか」
し、っている。この声は、夢で聞いたあの声と同じだ。あの声よりもよほど冷たく感じるが、それでも同じ。冷たい両手は、あの時俺の体を抱き上げたそれと同じもの、のはずだ。オメガモン、という名前で、呼ばれたことがあるはずだ。初めて聞く名前ではない。確かに知っている。頭にズキリと激痛が走った。それ以上何も思い出すなと、お前はこれ以上なに一つだって思い出さなくていいのだと言うかのように。だけど思い出さなければならない。そうしなければ現状をどうにもできない。こいつを、彼を知っている。けれど、こんな色だっただろうか。白銀の体は変わらない、だけどこんな冷たい瞳だったか。俺が覚えているのは、真紅の体だ。こんな色ではない。温度も感じさせないような、青い体はしていなかった。そうだ、知っているさ。覚えている。かつて最も信頼を寄せた、誰よりも俺の近くへ来てくれた。俺が、置いて行ってしまった、彼は。
「…でゅーく、もん…?」
「!…思い出してくれたのか、そうか、はは、そうか!」
かつての盟友の名を呼べば、目を見開き、嬉しそうに笑った。無邪気な笑顔は昔と変わらない。なのになぜだろう。その笑顔が、どうしようもなく今は怖い。頭痛が止まない。これは警告音だ。それ以上踏み込むなと。けれど踏み込まないとして、逃げ道もどこにもない。どうやって戻ればいいのかも、ここがどこかさえわからないのに。
「怖いか?安心しろ、ここには私とお前以外誰も来ない」
「…だれも……?」
「そうだ、お前だけのための世界だ。ここにいれば誰もお前を傷つけない。誰もお前に手を出せない。お前が死ぬこともない。人間というのは脆い生き物なのだろう?お前も以前のように戦う強さはないのだろう。ならデジタルワールドでは危険だ。またすぐに死んでしまう。しかしここならそんな心配もいらない。ここならお前が死ぬことはないのだから。そのための、そのためだけの場所なのだから」
「な、にを、言って」
違う。俺が、かつての『オメガモン』が盟友と呼び愛したのは、真紅の騎士だ。彼はこんな風に笑わない。俺だけを特別に扱うことはしない。何より、己の願望のままにこんな世界を作ることはしない。デジタルワールドはどうなった。このような特殊な空間を他でもないロイヤルナイツが作ることなど、他のデジモンだけじゃない、我らの神が許すはずがない。俺が死んだ後、デュークモンに何があった。何が?俺が、変えたのか?
頭痛が酷い。頭が割れるようだ。油断すれば、痛みに意識を持っていかれてしまう。駄目だ、まだ聞かなければならないことがある。まだ何も聞けていない。お前は、こんな場所に来させるために俺をずっと呼んでいたのか。こんな場所に連れてこられるために、俺は過去をずっと夢で見てきたのか。そんなことが、あってたまるものか。そんなこと、信じたくもないのに。触れずとも熱く感じた真紅はもうどこにも見当たらない。あるのは見るだけで凍えるような青さ。冷たい黄金の瞳。
(…あぁ、もう、いないのだな)
きっと俺が殺してしまった、かつての盟友。
「……でゅーくもん」
薄れる意識の中、悲しさからか、悔しさからか。
たった一筋、涙が流れた。
広い病室に、白髪の青年が眠っている。彼は病気ではない。病で眠っているわけではない。理由もなく、原因もわからないまま、ただずっと、眠り続けている。もう何日になるだろうか。目の前で彼が倒れた時、黒髪の青年は初めて自分が無力だと思い知った。
傍にいれば守れると思った。変わってしまったかつての仲間の狂気から、守れるはずだと思っていた。できれば何も思い出さないまま、何も気づかず過ごしてほしかった。青年は、そのために傍にい続けたはずだった。結果はどうだ。何もできない。彼の意識を呼び起こす術もない。きっと彼が連れて行ってしまった。今の青年の力では、その場所へ行くことができない。かつての姿なら、探し出せたかもしれないが。
「……オメガモン」
白髪の青年は、今日もまだ、眠り続けたままだ。