誰がための世界
物心ついた頃から、自分が周りと違うという感覚がずっと心の何処かにあった。それはこの異質な白髪であるとか、青みがかった瞳であるとかそういった類の話ではなく、もっと別の何か。
幼い頃から大人びた子供だと言われてきた。初めて知るはずの知識も、何処かで聞いたことがあるような気がずっとしていた。何をしていても、時折感じる既視感を拭えなかった。それが自分でも不気味で不愉快で、しかし周りの目には秀才に映ったのだろう。頭が良いとか運動神経がいいだとかそう言ってもてはやされはしたが、しかし俺はそれがまったく嬉しくもなんともなかった。
自分が自分でないような、そういった感覚が、物心ついた時からずっとある。
『----、---!』
ああ、また。
誰かに呼ばれている。誰かが必死に呼んでいる。こういう夢を、時々見る。誰かの呼び声に答えようとして、けれどたったの一度も声を出せた試しがない。初めてこの夢を見たのはいつだっただろうか。まだ小学生とかそれくらいの頃だった気がする。声は確かに聞こえるのに、それはノイズがかかったように何を言っているのか聞き取れないものだった。
泣いて、いるのだろうか。どうしてそうまで必死に俺のことを呼ぶのだろう。いや、そもそもこの声の主が俺を呼んでいるという確証もないのに、どうして俺はそれを当然自分に向けられたものだと思っているのだろう。
(……だれだ)
答えたかった。たった一言でいいから、呼び声に答えてやりたかった。その声を聞いていると、なぜだか泣きたくなるから。どこか懐かしくて、泣いてしまいそうになるから。その声も泣いているから、声を返してやりたかった。
なのにこの口は何の言葉も発してくれない。何かに妨害されるように、発した声は空気を震わせる前に掻き消されてしまう。これがただの夢だと言うのなら、どうしてその声に応える事すら許してはくれないのだろう。それとも、呼ばれているのは俺ではないとでも言うのだろうか。何一つ許されない事実と、夢でさえ自分が自分ではないような感覚に心底不愉快だと思いながら目を覚ますのももう何度目になるだろうか。俺はいつになったらあの夢から解放されるのだろうか。名前も知らないあの誰かを、いつになったら解放してやれるのだろうか。
『前世の記憶ってやつなんじゃないか、ひょっとしたら』
数少ない友人からは、揶揄うようにそう言われた。その時は馬鹿馬鹿しいと吐き捨てたが、それを否定しきれない自分もいるのだ。例えば日常で感じる既視感だとか、自分の名前への違和感だとか。それこそ度々見る夢は、今生きている自分のものではないような気がしていた。呼び声が聞こえる時、俺はいつも地に倒れ伏している。それをあの声の誰かが抱き上げ、必死に呼んでいる。俺はその声に答えようとしてけれど答えられないまま、きっとこのまま死ぬのだろうという漠然とした感覚だけがあった。死を恐れたことはないけれど、『彼』を置いて死んでしまうのは、少し悲しいと思った。彼だけを置いて行ってしまうことが、少しだけ心残りだった。
そんな感覚を、抱くことさえおかしいのだ、本当なら。生まれてこの方死にかけたこと等一度もない。地に倒れ伏し誰かに抱え上げられるようなことをされたことはただの一度もないはずだ。しかし夢で見るその光景は、その夢で初めて見るものだとはとても思えなかった。記憶のもっと奥深く、脳に焼き付けられているかのような、そんな誰かの記憶を、俺はずっと見ているのではないかと。
「……誰かの記憶、か」
本当に前世というものがあったとして、この夢がその前世のものであると言うのなら、きっと前世の俺はいい死に方はしなかったのだろう。少なくとも寿命を全うすることはできなかったのだろうと推測できる。けれど、その前世がどういった意図で今の俺に夢という形で姿を見せているのか。俺を呼ぶあの声の持ち主を、探してほしいとでも言うのだろうか。そこまで考えて、あまりにも馬鹿馬鹿しいと首を振る。相手が同じように記憶を持っているとは限らない。そもそも同じ時に、同じ世界に今生きているのかどうかだってわからない。そもそも俺は姿も何も知らないのだ。唯一聞こえる声だって、何を言っているのかはいつも聞き取れない。俺のことを、違う、過去の俺を呼んでいるということしかわからない。
そして、きっと求められているのは今の俺ではないから。
「辛気臭い顔してるね」
「……お前か」
「また眠れなかった?」
「…別に」
数少ない、黒髪の友人に肩を叩かれる。こいつとは大学で出会った。それまで友人と呼べるような相手がいなかった(数人はいたはずではあるが)俺にとっては、かなり貴重な存在だ。タイプが同じ、というわけではない。というよりも性格だけ見ればどうして俺と一緒にいるのかもよくわからないほどには正反対だと言える。今でもどうしてこいつが俺に近付いてきたのかはわからないままだが、一度そう聞いた時、こいつはただ微笑むだけだった。だから俺もそれ以上は追及ができなくて、そのままではあるのだけれど。
そういえば、微笑まれた時、こいつは何と言ったんだったか。寂しそうな、けれど安堵したような顔で、小さく「そっか、覚えてないか」と。俺が初めて夢の話を打ち明けた時も、歩みを一度止めて。同じような経験を、しているのだろうか。
「…なあ、お前は」
『-----オ----ン』
「…?」
「…どうかしたか?」
一瞬、本当にたった一瞬だが、今聞こえたのは。
立ち止まって辺りを見回す俺に、不思議そうに首を傾げる。聞こえなかったのだろうか。だけど、今確かにはっきりと聞こえた。初めて、言葉らしきものを聞き取れた。夢ではないけれど、そう、夢を見ているわけではないのに、声が聞こえた。見回しても暗がりが広がるばかりだ。人通りも少ない、街灯が道を照らしているだけ。他に誰かがいるようには見えない。俺たちの二人以外に誰もいないというのなら、今の声はいったい誰が。
『--オメ---ン、見---た』
聞き間違いではない。さっきよりももっとはっきりと聞こえた。知っている。この声は、あの夢でずっと俺を呼んでいた。呼ばれたその名前も、俺は確かに知っている。誰かに呼ばれたことがあったはずだ。その名前で、確かに呼ばれていた。いつだ?知っている。知っていなければおかしい。だって、そうだ、あの声は、その、名前は。
「見つけた」
幼い頃から大人びた子供だと言われてきた。初めて知るはずの知識も、何処かで聞いたことがあるような気がずっとしていた。何をしていても、時折感じる既視感を拭えなかった。それが自分でも不気味で不愉快で、しかし周りの目には秀才に映ったのだろう。頭が良いとか運動神経がいいだとかそう言ってもてはやされはしたが、しかし俺はそれがまったく嬉しくもなんともなかった。
自分が自分でないような、そういった感覚が、物心ついた時からずっとある。
『----、---!』
ああ、また。
誰かに呼ばれている。誰かが必死に呼んでいる。こういう夢を、時々見る。誰かの呼び声に答えようとして、けれどたったの一度も声を出せた試しがない。初めてこの夢を見たのはいつだっただろうか。まだ小学生とかそれくらいの頃だった気がする。声は確かに聞こえるのに、それはノイズがかかったように何を言っているのか聞き取れないものだった。
泣いて、いるのだろうか。どうしてそうまで必死に俺のことを呼ぶのだろう。いや、そもそもこの声の主が俺を呼んでいるという確証もないのに、どうして俺はそれを当然自分に向けられたものだと思っているのだろう。
(……だれだ)
答えたかった。たった一言でいいから、呼び声に答えてやりたかった。その声を聞いていると、なぜだか泣きたくなるから。どこか懐かしくて、泣いてしまいそうになるから。その声も泣いているから、声を返してやりたかった。
なのにこの口は何の言葉も発してくれない。何かに妨害されるように、発した声は空気を震わせる前に掻き消されてしまう。これがただの夢だと言うのなら、どうしてその声に応える事すら許してはくれないのだろう。それとも、呼ばれているのは俺ではないとでも言うのだろうか。何一つ許されない事実と、夢でさえ自分が自分ではないような感覚に心底不愉快だと思いながら目を覚ますのももう何度目になるだろうか。俺はいつになったらあの夢から解放されるのだろうか。名前も知らないあの誰かを、いつになったら解放してやれるのだろうか。
『前世の記憶ってやつなんじゃないか、ひょっとしたら』
数少ない友人からは、揶揄うようにそう言われた。その時は馬鹿馬鹿しいと吐き捨てたが、それを否定しきれない自分もいるのだ。例えば日常で感じる既視感だとか、自分の名前への違和感だとか。それこそ度々見る夢は、今生きている自分のものではないような気がしていた。呼び声が聞こえる時、俺はいつも地に倒れ伏している。それをあの声の誰かが抱き上げ、必死に呼んでいる。俺はその声に答えようとしてけれど答えられないまま、きっとこのまま死ぬのだろうという漠然とした感覚だけがあった。死を恐れたことはないけれど、『彼』を置いて死んでしまうのは、少し悲しいと思った。彼だけを置いて行ってしまうことが、少しだけ心残りだった。
そんな感覚を、抱くことさえおかしいのだ、本当なら。生まれてこの方死にかけたこと等一度もない。地に倒れ伏し誰かに抱え上げられるようなことをされたことはただの一度もないはずだ。しかし夢で見るその光景は、その夢で初めて見るものだとはとても思えなかった。記憶のもっと奥深く、脳に焼き付けられているかのような、そんな誰かの記憶を、俺はずっと見ているのではないかと。
「……誰かの記憶、か」
本当に前世というものがあったとして、この夢がその前世のものであると言うのなら、きっと前世の俺はいい死に方はしなかったのだろう。少なくとも寿命を全うすることはできなかったのだろうと推測できる。けれど、その前世がどういった意図で今の俺に夢という形で姿を見せているのか。俺を呼ぶあの声の持ち主を、探してほしいとでも言うのだろうか。そこまで考えて、あまりにも馬鹿馬鹿しいと首を振る。相手が同じように記憶を持っているとは限らない。そもそも同じ時に、同じ世界に今生きているのかどうかだってわからない。そもそも俺は姿も何も知らないのだ。唯一聞こえる声だって、何を言っているのかはいつも聞き取れない。俺のことを、違う、過去の俺を呼んでいるということしかわからない。
そして、きっと求められているのは今の俺ではないから。
「辛気臭い顔してるね」
「……お前か」
「また眠れなかった?」
「…別に」
数少ない、黒髪の友人に肩を叩かれる。こいつとは大学で出会った。それまで友人と呼べるような相手がいなかった(数人はいたはずではあるが)俺にとっては、かなり貴重な存在だ。タイプが同じ、というわけではない。というよりも性格だけ見ればどうして俺と一緒にいるのかもよくわからないほどには正反対だと言える。今でもどうしてこいつが俺に近付いてきたのかはわからないままだが、一度そう聞いた時、こいつはただ微笑むだけだった。だから俺もそれ以上は追及ができなくて、そのままではあるのだけれど。
そういえば、微笑まれた時、こいつは何と言ったんだったか。寂しそうな、けれど安堵したような顔で、小さく「そっか、覚えてないか」と。俺が初めて夢の話を打ち明けた時も、歩みを一度止めて。同じような経験を、しているのだろうか。
「…なあ、お前は」
『-----オ----ン』
「…?」
「…どうかしたか?」
一瞬、本当にたった一瞬だが、今聞こえたのは。
立ち止まって辺りを見回す俺に、不思議そうに首を傾げる。聞こえなかったのだろうか。だけど、今確かにはっきりと聞こえた。初めて、言葉らしきものを聞き取れた。夢ではないけれど、そう、夢を見ているわけではないのに、声が聞こえた。見回しても暗がりが広がるばかりだ。人通りも少ない、街灯が道を照らしているだけ。他に誰かがいるようには見えない。俺たちの二人以外に誰もいないというのなら、今の声はいったい誰が。
『--オメ---ン、見---た』
聞き間違いではない。さっきよりももっとはっきりと聞こえた。知っている。この声は、あの夢でずっと俺を呼んでいた。呼ばれたその名前も、俺は確かに知っている。誰かに呼ばれたことがあったはずだ。その名前で、確かに呼ばれていた。いつだ?知っている。知っていなければおかしい。だって、そうだ、あの声は、その、名前は。
「見つけた」