人間CP
人の心に土足で踏み入るような人間を、ヤマトは好まない。ヤマトだけに限らず、誰だってそのような相手は苦手とするだろう。悲しいかな、ヤマトが今まで住んでいた、生きてきた場所は閉鎖的な場所で、すぐに根も葉もない噂でさえ広まってしまうようなそんなところだったため、余計にそう思ってしまう傾向があった。暮らす場所がもっと都会であれば、この髪色も珍しがられることはなかっただろうか。この瞳の色も、何も噂されずに済んだのだろうか。一般的に見て、平均よりは顔が良いのだろうという自覚は確かにあったけれど、ヤマトはそれさえ好きではなかった。いつだって誰かが自分を見ていて、下心をもって近付いてきて、だからヤマトは自然と誰とも距離を置くようになった。誰にも心を開かずにいよう、一人でいよう。そうすれば、きっといつか裏切られても、傷つかないで済むから。幼いながらに、ヤマトはずっとそうやって生きてきた。
そんなヤマトにとっての当たり前を、容易く飛び越えてきてしまう存在が現れるなんて、少し前の自分は思いもしなかったなと、ふと思い出す。簡単に手を差し出して、簡単に信じて、信頼を寄せてくれた、太一という存在は、ヤマトが今まであまり会ったことのないタイプの人間だった。最初は理由のないその信頼が億劫で、重いとさえ感じていた。そのはずだ。だけど非日常という中でいつの間にかその重さはいっそ心地よささえ覚えるものになっていった。
「ヤマト!」
無条件に向けられる絶大な信頼が、名前を呼んだだけのその声からすら汲み取れる。嬉しそうに笑って、嬉しそうにヤマトの名前を呼ぶ。近付いてこないでほしかった、土足で踏み入られたくなかった。だけど注意深く太一という存在を見ていれば、彼はむやみやたらにヤマトの心に踏み入るようなことはしてこなかった。弟のタケル以外、誰も入れたことのない内側へ、入れてほしいのだと。太一が自分の名前を呼ぶたび、そう言われているような気分だった。靴はちゃんと脱いだから、お前が嫌がるようなことはしないから。俺のことを認識してくれなくてもいいから。
だから内側へ入る鍵が欲しい。
そこには純粋な好意しかなくて、ヤマトは逆に戸惑った。そんなことを言う相手なんて、今までだれ一人だっていなかったのに。
いなかった?本当に?
きっといたのだろう。これまでも、ヤマトを理解しようとしてくれた人間は、いたはずだ。ヤマトがそれを突っ撥ねてきただけで。たまたま相手が、土足だっただけで。そんなことさえ、ヤマトは太一に出会わなければ気付かなかった。気付こうとすらしなかった。自分の世界は、自分と大事な弟と、そして新たに出会ったパートナー、たったそれだけでよかったはずなのに。いつの間にか優しく光を照らしてくれるようになったこの太陽を、今更どうやって手放せばいいのだろう。一度手に入れてしまった温かさを拒絶する術を、ヤマトは持たないでいた。
「…ヤマト、どうかした?」
手袋を外した太一の手を優しく握って見つめるヤマトに、そう問いかけてみても返事はない。もう日が暮れてしまったからだろうか、握られているから太一は寒さを感じはしなかったけれど、ヤマトの手は少しだけ冷たく感じた。握り返せば少しは自分の熱を分け合うことができるだろうか。けれどそうしてみて嫌がられたらそれはそれで傷つくなと、太一は黙ってそんなヤマトを見つめている。
「…太一」
「なに?」
「.......たいち」
「なんだよヤマト、名前呼びたい気分なのか?じゃあ俺も呼んでいい?」
視線は合わない。けれどどこか祈るようなヤマトの呼び声に、太一は少しだけくすぐったさを覚えた。許されている、内側にいることを。素直に嬉しいと思う。太一が今まで出会ってきた人に、ヤマトのような存在はいなかった。だから、というわけではないのだけれど、だからこそ、太一は自分を変えなかった。相手によって態度を変えるようなことはしたくなかったし、何より見知らぬ場所で初めて出会ったパートナー以外の存在に、近い場所へ行きたかった。どんなところで、どんな人に囲まれて生きてきたんだろう。ヤマトが話そうとしないから、太一はヤマトのこれまでを全然知らない。だけどそれを悲しいとは思わなかった。無理に聞き出すようなことではないから、いつかヤマトが聞いてほしいと言った時に、それを受け止められる自分でいたい。
太一に、靴を脱いでいるという自覚はなかった。ヤマトの側へ行くとき、太一はいつだって、靴を履いたまま踏み入ろうとはしない。そのことを、ヤマトだけが知っている。だからヤマトは、受け入れた。太一という存在を、自分の内側へ置いた。もちろん他の仲間だって、もうとっくにヤマトにとっては大切な存在だ。だけど太一は特別だった。それに、太一がいなかったら、ヤマトは今の仲間とさえここまで打ち解けることはなかっただろう。
何度も何度も、確かめるように名前を呼ぶ。太一がそれに笑って名前を呼び返せば、ヤマトは自身の心が震えるのを感じた。嬉しい、だけじゃない。これは、何と呼べばいいのだろう。少しだけ重くて、綺麗で、濁っていて。この小さな種を、それでもヤマトは大事に大事にしていた。いつか芽を出して、花を咲かせたとき、答えが見つかるのだろうか。その時にはもうこんな危険な冒険は終わっていて、その時、太一は自分の隣に、まだいるのだろうか。
(いてほしい、なんて)
子供らしい我儘に、いっそ笑えてしまう。こんな気持ちを、自分がまだ抱くことができるだなんて。これも太一のおかげなんだろうか。いや、太一のせいとでも言うべきか。どちらでもいい。いつかちゃんと、この気持ちを言葉にできる日がきっと来るのだろう。その先にどんな未来が待っていても、この種に花をつけさせたことを、どうせヤマトは後悔したりなどしないのだ。
「…太一、ありがとう」
「え、なにが?」
「いいんだ、俺の話だから」
すぐに触れられる場所へその太陽がいるだけで、今はもう十分すぎるほど、幸福を感じてしまうのだから。いつの間にか、冷たかったヤマトの手も、ふわり温かくなっていた。
そんなヤマトにとっての当たり前を、容易く飛び越えてきてしまう存在が現れるなんて、少し前の自分は思いもしなかったなと、ふと思い出す。簡単に手を差し出して、簡単に信じて、信頼を寄せてくれた、太一という存在は、ヤマトが今まであまり会ったことのないタイプの人間だった。最初は理由のないその信頼が億劫で、重いとさえ感じていた。そのはずだ。だけど非日常という中でいつの間にかその重さはいっそ心地よささえ覚えるものになっていった。
「ヤマト!」
無条件に向けられる絶大な信頼が、名前を呼んだだけのその声からすら汲み取れる。嬉しそうに笑って、嬉しそうにヤマトの名前を呼ぶ。近付いてこないでほしかった、土足で踏み入られたくなかった。だけど注意深く太一という存在を見ていれば、彼はむやみやたらにヤマトの心に踏み入るようなことはしてこなかった。弟のタケル以外、誰も入れたことのない内側へ、入れてほしいのだと。太一が自分の名前を呼ぶたび、そう言われているような気分だった。靴はちゃんと脱いだから、お前が嫌がるようなことはしないから。俺のことを認識してくれなくてもいいから。
だから内側へ入る鍵が欲しい。
そこには純粋な好意しかなくて、ヤマトは逆に戸惑った。そんなことを言う相手なんて、今までだれ一人だっていなかったのに。
いなかった?本当に?
きっといたのだろう。これまでも、ヤマトを理解しようとしてくれた人間は、いたはずだ。ヤマトがそれを突っ撥ねてきただけで。たまたま相手が、土足だっただけで。そんなことさえ、ヤマトは太一に出会わなければ気付かなかった。気付こうとすらしなかった。自分の世界は、自分と大事な弟と、そして新たに出会ったパートナー、たったそれだけでよかったはずなのに。いつの間にか優しく光を照らしてくれるようになったこの太陽を、今更どうやって手放せばいいのだろう。一度手に入れてしまった温かさを拒絶する術を、ヤマトは持たないでいた。
「…ヤマト、どうかした?」
手袋を外した太一の手を優しく握って見つめるヤマトに、そう問いかけてみても返事はない。もう日が暮れてしまったからだろうか、握られているから太一は寒さを感じはしなかったけれど、ヤマトの手は少しだけ冷たく感じた。握り返せば少しは自分の熱を分け合うことができるだろうか。けれどそうしてみて嫌がられたらそれはそれで傷つくなと、太一は黙ってそんなヤマトを見つめている。
「…太一」
「なに?」
「.......たいち」
「なんだよヤマト、名前呼びたい気分なのか?じゃあ俺も呼んでいい?」
視線は合わない。けれどどこか祈るようなヤマトの呼び声に、太一は少しだけくすぐったさを覚えた。許されている、内側にいることを。素直に嬉しいと思う。太一が今まで出会ってきた人に、ヤマトのような存在はいなかった。だから、というわけではないのだけれど、だからこそ、太一は自分を変えなかった。相手によって態度を変えるようなことはしたくなかったし、何より見知らぬ場所で初めて出会ったパートナー以外の存在に、近い場所へ行きたかった。どんなところで、どんな人に囲まれて生きてきたんだろう。ヤマトが話そうとしないから、太一はヤマトのこれまでを全然知らない。だけどそれを悲しいとは思わなかった。無理に聞き出すようなことではないから、いつかヤマトが聞いてほしいと言った時に、それを受け止められる自分でいたい。
太一に、靴を脱いでいるという自覚はなかった。ヤマトの側へ行くとき、太一はいつだって、靴を履いたまま踏み入ろうとはしない。そのことを、ヤマトだけが知っている。だからヤマトは、受け入れた。太一という存在を、自分の内側へ置いた。もちろん他の仲間だって、もうとっくにヤマトにとっては大切な存在だ。だけど太一は特別だった。それに、太一がいなかったら、ヤマトは今の仲間とさえここまで打ち解けることはなかっただろう。
何度も何度も、確かめるように名前を呼ぶ。太一がそれに笑って名前を呼び返せば、ヤマトは自身の心が震えるのを感じた。嬉しい、だけじゃない。これは、何と呼べばいいのだろう。少しだけ重くて、綺麗で、濁っていて。この小さな種を、それでもヤマトは大事に大事にしていた。いつか芽を出して、花を咲かせたとき、答えが見つかるのだろうか。その時にはもうこんな危険な冒険は終わっていて、その時、太一は自分の隣に、まだいるのだろうか。
(いてほしい、なんて)
子供らしい我儘に、いっそ笑えてしまう。こんな気持ちを、自分がまだ抱くことができるだなんて。これも太一のおかげなんだろうか。いや、太一のせいとでも言うべきか。どちらでもいい。いつかちゃんと、この気持ちを言葉にできる日がきっと来るのだろう。その先にどんな未来が待っていても、この種に花をつけさせたことを、どうせヤマトは後悔したりなどしないのだ。
「…太一、ありがとう」
「え、なにが?」
「いいんだ、俺の話だから」
すぐに触れられる場所へその太陽がいるだけで、今はもう十分すぎるほど、幸福を感じてしまうのだから。いつの間にか、冷たかったヤマトの手も、ふわり温かくなっていた。