人間CP
「光子郎~!いくぞ~!!」
「はーい!」
家のすぐ近くの公園。大きな声で僕の名前を呼びながらボールを蹴るのは、小学校の同じサッカークラブの先輩だ。八神太一さん。人づきあいがあまり得意じゃない僕にとっては珍しい、同い年じゃないのにこうやって公園で一緒に遊ぶほどに気心知れた仲の友だちだ。僕は友だちというより、誰よりも頼りになる先輩、って感じではあるけど。
日曜日の明日は練習試合があって、僕もどうしても出なくてはいけないから、今日はお昼ごろからずっと太一さんが練習に付き合ってくれている。太一さんは教えるのがうまい。それに後輩にもすごく優しくて、休日にわざわざ練習なんて本当ならしたくないけど、他でもない太一さんが教えてくれると言ってくれたから。今日は肌身離さず持っているパソコンも家に置いてきてしまった。
「光子郎だいぶうまくなったじゃん!」
「そうでしょうか…太一さんが教えるの上手なおかげですね」
「何言ってんだよ、お前が頑張ったからだろー?」
手放しに褒められて少し恥ずかしい。太一さんには足元にも及ばないけど、せめて試合中にパスくらいはしっかりできるようにはなったかもしれない。少なくとも太一さんからのパスは失敗しなさそうだ。それだけでも十分すぎる成長だと個人的には思う。サッカークラブに入ってはいるけど、別に僕はサッカーが好きなわけでもうまいわけでもないのだから。
「もうこんな時間か、そろそろ帰るか?」
「そうですね。街灯も工事中でいつもより暗いですし」
「ま、こんだけ頑張ったんだから練習試合も大丈夫だろ!期待してるぜ!」
「ありがとうございます、太一さん」
いつもより早く暗くなってきた公園を見渡せば、街灯がいくつか切れていて、その下に工事中の看板が置いてある。なるほど、だからさっきから帰る人が多いわけだ。足元のサッカーボールを駆け寄ってきた太一さんに渡す。屈託ない笑顔を見せてくれる太一さんに軽く頭を下げてお礼を言えば、太一さんはぽんと頭を一度だけ撫でてくれた。
「気を付けて帰れよー!」
「はい!」
「また明日!」
大きな声でそう言って、太一さんは走って公園から去っていった。その後ろ姿にしばらく手を振りながら、僕も同じように公園から出る。明日は早く起きれないかもしれない。こんなに運動したのはいつぶりだろう。
(また明日…)
太一さんの最後の一言。練習試合なんていつもは嫌で嫌でしょうがないけれど、明日だけは、楽しめる気がする。
凄く疲れているはずなのに、帰り道の足取りはとても軽かった。
その、夜。
随分と遅い時間に鳴り出した電話。お母さんがその電話に出て、一言二言喋ると僕を見た。聞けば同じサッカークラブの先輩の空さんかららしい。こんな時間にどうしたんだろうと首を傾げながら、なんだか嫌な予感がした。
「もしもし、変わりました」
『…光子郎くん?あのね、太一が』
「…太一さん?」
『…太一がね、今日の夕方、亡くなったって』
「…え」
一瞬、言われている意味がわからなかった。太一さんが、亡くなった?太一さんが、死んだ?だって、つい数時間前まで、僕と一緒にいたのに。あんなに元気に走って帰っていったのに。太一さんが、太一さん…?嘘でしょう…?
「光子郎!?」
かくんと膝が折れる。足に力が入らなくて、とても立っていられなかった。胃の中身がせり上がってくる。咄嗟に口元を抑えたけれど、吐き気ばかりで何も出なかった。視界が揺れる。足元も何もかも、ぐらぐらしている。なんで、だって。嘘。認めない、認められるわけがない。だって、さっき、また明日って。
何も考えたくないとでも言うかのように、僕は耐えられずそのまま気を失ってしまった。
子供の声が響く。薄く照り付ける太陽の光が煩わしい。
結局、僕が目を覚ましたのは翌日の朝早くだった。お父さんもお母さんもすごく心配してくれて、だけどとてもご飯を食べる気にはならなくて。空さんの話によると、太一さんは昨日、帰り道にタクシーに撥ねられて亡くなったらしい。家を飛び出して太一さんが昨日通っただろう道を通れば、ほんの少し血の跡が残っていた。練習試合は何も言わずに休んでしまった。もしかしたら試合自体なくなったかもしれないけど、どうなったんだろう。勝手に家を飛び出してしまったから、全然知らないままだ。
目的もなく歩き続けて辿り着いたのは、昨日太一さんとサッカーの練習をした公園。呼ばれるように公園の中へふらふらと入っていって、ベンチに座って、何をするでもなくただぼんやりと前を見つめていた。
ふと、足元にサッカーボールが転がってくる。昨日を思い出す。あんなに楽しく練習していたのに。今日だって、太一さんからのパスを受け取るはずだったのに。どうして。
サッカーボールに手を伸ばす。拾い上げて、これを転がしてしまった人に返そうと、顔を上げたその瞬間。
「いつまで休んでんだよ光子郎!」
「…ぇ」
聞こえた声に思い切り顔を上げれば、そこには見知った先輩の姿があった。青い服、額のゴーグル。どうして、だって、昨日、死んだって。
「た、いちさん?」
「なんだよ、なんか顔色悪くないか?そろそろ帰るか?」
間違いない。その姿もその声も、紛れもなく昨日一緒に練習をした、太一さんそのものだ。思わず凝視すれば、太一さんは不思議そうに首を傾げた。
「もうこんな時間だし、暗いし帰ろうぜ」
「…街灯が、工事中ですから」
「あー、そういうことか。ま、こんだけ頑張ったんだから練習試合も大丈夫だろ!期待してるぜ!」
「…ありがとう、ございます」
会話の内容も、ほとんど変わらない。どういうことだ?じゃあ僕は、昨日にタイムスリップしたとでも?そんな非現実的なこと、いつもの僕なら絶対に信じなかった。だけど、もう会えないと思っていた太一さんが今目の前にいる。まだ、生きている。その事実だけで僕には十分だった。
「あの、太一さん」
「ん?」
「太一さんの家の前まで、ついて行ってもいいですか」
「は?遠回りになるだろ。別にいいよ」
「お願いです」
「……まぁ、そんなに言うなら俺はいいけどさ」
ここで別れちゃいけない。時間が本当に巻き戻ったのなら、これは太一さんを救うチャンスだ。太一さんは帰り道に轢かれて死んだ。なら、家に辿り着くまで僕が見ていれば、きっと死ななくてすむ。彼は、死なない。そして明日、一緒に試合に出るんだ。
「わざわざごめんな光子郎。お前も気を付けて帰れよ」
「はい、こちらこそすいませんでした。また明日」
「おう!また明日な!」
家の前で別れる。帰り道、僕はなんだか誇らしい気持ちだった。
救えた。助けることができた。太一さんは死ななかった!どれほどの喜びだろう。こんなに嬉しいことは今までで初めてだ。疲れているはずで、帰り道だっていつもより長くなってしまったけれど、それでも僕の足取りは軽かった。
けど。
「…おつかいに行く途中で、ダンプカーに」
次の日。家を飛び出して事故があった場所へ行けば、おびただしい血の跡が残っていた。空さんの話だと、一度帰った後におつかいに出かけて、その途中でダンプカーに轢かれたらしかった。おつかいを頼んだ太一さんのお母さんが、酷く取り乱していたらしい。
またダメだった。走って昨日の公園へ向かう。同じようにベンチに座って少し待てば、足元にボールが転がってきた。顔を上げる。同じ青色がそこにいた。
「いつまで休んでんだよ光子郎!」
言葉も姿も何も変わらない。生きている、昨日の太一さんがまだそこにいる。今度こそ、今度こそ救わなければ。もう死なせて堪るものか。帰り道は僕がいっしょにいればいい。家に帰ってからも、家から絶対に出ないように僕が必死に頼めば、きっと太一さんは聞いてくれる。
家の前まで一緒に帰って、別れ際に伝えた。
「太一さん、今日はもう帰ったらこのまま外には出ないでください。お願いです、絶対に。僕明日頑張ります。だからこのお願いだけでも聞いてもらえませんか」
「なんだよ光子郎、大丈夫か?まぁ、お前がそんなに必死に言うならそうするけどさ」
「絶対ですよ、いいですか、絶対ですからね!」
「わかったわかったって」
きっとこれで大丈夫。家にさえいれば、彼は絶対に安全だ。次こそ、今度こそ。彼は死なない。太一さんは死なない。僕は明日、いっしょに試合に出るんだ。
「…留守中に、火事で」
電話よりも先にテレビで知った。見知ったマンションが燃えていた。太一さんの部屋と同じ階の、別の部屋からの出火だったらしい。煙が酷くて、扉もあかなくて、どこにも逃げられないまま太一さんは死んだらしい。
空さんからの電話を置いて、気づく。
繰り返すたびに、死に方が酷くなっている。
僕が助けようとすればするほど、酷く。
今度こそ、今度こそ確実に、救わなければ。
決心して公園へ行って、足元に転がるボールを拾って。太一さんにまた「いつまで休んでんだよ」と言われて。
僕は耐えらえず、泣き出してしまった。
太一さんは全部聞いてくれた。僕が繰り返していること。太一さんを助けようとしていること。助けるたびに、どんどん酷い死に方になっていくこと。最初は太一さんは不思議そうな顔で聞いていたけれど、僕があまりにも泣き腫らして必死に言うから、最後には僕の言う事を信じてくれた。
「事故にも火事にも気を付けるよ。ありがとな光子郎」
「…はい」
「また明日」
「…また、明日」
家までついて行って、そう言って太一さんと別れた。足取りは随分と重く感じた。
「…ガス漏れで、ですか」
安心していた。全て打ち明けてしまったから、今度こそ大丈夫なんじゃないかと。
ガス漏れで、太一さんだけではなく妹のヒカリさんも亡くなったらしい。まだあんなに幼かったのに、太一さんと、一緒に。
公園に足を運ぶ。ベンチに座る。転がってきたボールを手に取れば、また。
「いつまで休んで、って、おい光子郎、顔色やべぇぞ、大丈夫か?」
「……太一さん、太一さんにとって、一番大事なものってなんですか」
「大事なもの?」
慌てて駆け寄ってきてくれる太一さんに聞く。太一さんは首を傾げたが、その後笑って言った。
「俺はお兄ちゃんだからさ。やっぱり妹のヒカリが一番大事だよ」
「…そう、ですか」
胸を張って太一さんは答えてくれた。屈託ない笑顔が眩しかった。
もう、むりだ。
僕は太一さんに何も告げず、何もせず、公園で別れた。
その日の夜、空さんから太一さんが帰り道にタクシーに轢かれて死んだと電話がかかった。
ようやくお通夜に出た。それ以来、もう二度と昨日が繰り返されることはなかった。
「…この公園だったなぁ」
あれからもう何年たっただろう。僕はもう大人で、結婚して、娘ができて。僕が昔サッカークラブに入っていたというのを聞いて、娘がどうしてもとせがむから。あの日と同じ公園に、サッカーボールと同じくらいの大きさのボールを持って遊びに来た。
結局、僕は太一さんを救うことはできなかった。きっと何もしないことが正解なのだとわかっていても、後悔は尽きない。だって僕は、彼をどうしようもなく助けたかった。
「…お父さん」
転がっていってしまったボールを抱えて戻ってきた娘は、さっきまであんなに元気だったのに何かに怯えるような顔をして僕のところへ駆け寄ってきた。我慢するような、泣き出しそうな、怯え、耐えるその表情は、酷く見覚えのあるもので。
(…ああ、そうか)
この娘も、終わらない昨日を繰り返して、僕を救おうとしてくれている。
娘を抱きしめる。ボールはまた転がってしまった。
「もうお父さんのために、頑張らなくていいんですよ」
そう言うと、娘はわんわんと泣きじゃくりながら、僕にしがみつくように抱き着いた。
「はーい!」
家のすぐ近くの公園。大きな声で僕の名前を呼びながらボールを蹴るのは、小学校の同じサッカークラブの先輩だ。八神太一さん。人づきあいがあまり得意じゃない僕にとっては珍しい、同い年じゃないのにこうやって公園で一緒に遊ぶほどに気心知れた仲の友だちだ。僕は友だちというより、誰よりも頼りになる先輩、って感じではあるけど。
日曜日の明日は練習試合があって、僕もどうしても出なくてはいけないから、今日はお昼ごろからずっと太一さんが練習に付き合ってくれている。太一さんは教えるのがうまい。それに後輩にもすごく優しくて、休日にわざわざ練習なんて本当ならしたくないけど、他でもない太一さんが教えてくれると言ってくれたから。今日は肌身離さず持っているパソコンも家に置いてきてしまった。
「光子郎だいぶうまくなったじゃん!」
「そうでしょうか…太一さんが教えるの上手なおかげですね」
「何言ってんだよ、お前が頑張ったからだろー?」
手放しに褒められて少し恥ずかしい。太一さんには足元にも及ばないけど、せめて試合中にパスくらいはしっかりできるようにはなったかもしれない。少なくとも太一さんからのパスは失敗しなさそうだ。それだけでも十分すぎる成長だと個人的には思う。サッカークラブに入ってはいるけど、別に僕はサッカーが好きなわけでもうまいわけでもないのだから。
「もうこんな時間か、そろそろ帰るか?」
「そうですね。街灯も工事中でいつもより暗いですし」
「ま、こんだけ頑張ったんだから練習試合も大丈夫だろ!期待してるぜ!」
「ありがとうございます、太一さん」
いつもより早く暗くなってきた公園を見渡せば、街灯がいくつか切れていて、その下に工事中の看板が置いてある。なるほど、だからさっきから帰る人が多いわけだ。足元のサッカーボールを駆け寄ってきた太一さんに渡す。屈託ない笑顔を見せてくれる太一さんに軽く頭を下げてお礼を言えば、太一さんはぽんと頭を一度だけ撫でてくれた。
「気を付けて帰れよー!」
「はい!」
「また明日!」
大きな声でそう言って、太一さんは走って公園から去っていった。その後ろ姿にしばらく手を振りながら、僕も同じように公園から出る。明日は早く起きれないかもしれない。こんなに運動したのはいつぶりだろう。
(また明日…)
太一さんの最後の一言。練習試合なんていつもは嫌で嫌でしょうがないけれど、明日だけは、楽しめる気がする。
凄く疲れているはずなのに、帰り道の足取りはとても軽かった。
その、夜。
随分と遅い時間に鳴り出した電話。お母さんがその電話に出て、一言二言喋ると僕を見た。聞けば同じサッカークラブの先輩の空さんかららしい。こんな時間にどうしたんだろうと首を傾げながら、なんだか嫌な予感がした。
「もしもし、変わりました」
『…光子郎くん?あのね、太一が』
「…太一さん?」
『…太一がね、今日の夕方、亡くなったって』
「…え」
一瞬、言われている意味がわからなかった。太一さんが、亡くなった?太一さんが、死んだ?だって、つい数時間前まで、僕と一緒にいたのに。あんなに元気に走って帰っていったのに。太一さんが、太一さん…?嘘でしょう…?
「光子郎!?」
かくんと膝が折れる。足に力が入らなくて、とても立っていられなかった。胃の中身がせり上がってくる。咄嗟に口元を抑えたけれど、吐き気ばかりで何も出なかった。視界が揺れる。足元も何もかも、ぐらぐらしている。なんで、だって。嘘。認めない、認められるわけがない。だって、さっき、また明日って。
何も考えたくないとでも言うかのように、僕は耐えられずそのまま気を失ってしまった。
子供の声が響く。薄く照り付ける太陽の光が煩わしい。
結局、僕が目を覚ましたのは翌日の朝早くだった。お父さんもお母さんもすごく心配してくれて、だけどとてもご飯を食べる気にはならなくて。空さんの話によると、太一さんは昨日、帰り道にタクシーに撥ねられて亡くなったらしい。家を飛び出して太一さんが昨日通っただろう道を通れば、ほんの少し血の跡が残っていた。練習試合は何も言わずに休んでしまった。もしかしたら試合自体なくなったかもしれないけど、どうなったんだろう。勝手に家を飛び出してしまったから、全然知らないままだ。
目的もなく歩き続けて辿り着いたのは、昨日太一さんとサッカーの練習をした公園。呼ばれるように公園の中へふらふらと入っていって、ベンチに座って、何をするでもなくただぼんやりと前を見つめていた。
ふと、足元にサッカーボールが転がってくる。昨日を思い出す。あんなに楽しく練習していたのに。今日だって、太一さんからのパスを受け取るはずだったのに。どうして。
サッカーボールに手を伸ばす。拾い上げて、これを転がしてしまった人に返そうと、顔を上げたその瞬間。
「いつまで休んでんだよ光子郎!」
「…ぇ」
聞こえた声に思い切り顔を上げれば、そこには見知った先輩の姿があった。青い服、額のゴーグル。どうして、だって、昨日、死んだって。
「た、いちさん?」
「なんだよ、なんか顔色悪くないか?そろそろ帰るか?」
間違いない。その姿もその声も、紛れもなく昨日一緒に練習をした、太一さんそのものだ。思わず凝視すれば、太一さんは不思議そうに首を傾げた。
「もうこんな時間だし、暗いし帰ろうぜ」
「…街灯が、工事中ですから」
「あー、そういうことか。ま、こんだけ頑張ったんだから練習試合も大丈夫だろ!期待してるぜ!」
「…ありがとう、ございます」
会話の内容も、ほとんど変わらない。どういうことだ?じゃあ僕は、昨日にタイムスリップしたとでも?そんな非現実的なこと、いつもの僕なら絶対に信じなかった。だけど、もう会えないと思っていた太一さんが今目の前にいる。まだ、生きている。その事実だけで僕には十分だった。
「あの、太一さん」
「ん?」
「太一さんの家の前まで、ついて行ってもいいですか」
「は?遠回りになるだろ。別にいいよ」
「お願いです」
「……まぁ、そんなに言うなら俺はいいけどさ」
ここで別れちゃいけない。時間が本当に巻き戻ったのなら、これは太一さんを救うチャンスだ。太一さんは帰り道に轢かれて死んだ。なら、家に辿り着くまで僕が見ていれば、きっと死ななくてすむ。彼は、死なない。そして明日、一緒に試合に出るんだ。
「わざわざごめんな光子郎。お前も気を付けて帰れよ」
「はい、こちらこそすいませんでした。また明日」
「おう!また明日な!」
家の前で別れる。帰り道、僕はなんだか誇らしい気持ちだった。
救えた。助けることができた。太一さんは死ななかった!どれほどの喜びだろう。こんなに嬉しいことは今までで初めてだ。疲れているはずで、帰り道だっていつもより長くなってしまったけれど、それでも僕の足取りは軽かった。
けど。
「…おつかいに行く途中で、ダンプカーに」
次の日。家を飛び出して事故があった場所へ行けば、おびただしい血の跡が残っていた。空さんの話だと、一度帰った後におつかいに出かけて、その途中でダンプカーに轢かれたらしかった。おつかいを頼んだ太一さんのお母さんが、酷く取り乱していたらしい。
またダメだった。走って昨日の公園へ向かう。同じようにベンチに座って少し待てば、足元にボールが転がってきた。顔を上げる。同じ青色がそこにいた。
「いつまで休んでんだよ光子郎!」
言葉も姿も何も変わらない。生きている、昨日の太一さんがまだそこにいる。今度こそ、今度こそ救わなければ。もう死なせて堪るものか。帰り道は僕がいっしょにいればいい。家に帰ってからも、家から絶対に出ないように僕が必死に頼めば、きっと太一さんは聞いてくれる。
家の前まで一緒に帰って、別れ際に伝えた。
「太一さん、今日はもう帰ったらこのまま外には出ないでください。お願いです、絶対に。僕明日頑張ります。だからこのお願いだけでも聞いてもらえませんか」
「なんだよ光子郎、大丈夫か?まぁ、お前がそんなに必死に言うならそうするけどさ」
「絶対ですよ、いいですか、絶対ですからね!」
「わかったわかったって」
きっとこれで大丈夫。家にさえいれば、彼は絶対に安全だ。次こそ、今度こそ。彼は死なない。太一さんは死なない。僕は明日、いっしょに試合に出るんだ。
「…留守中に、火事で」
電話よりも先にテレビで知った。見知ったマンションが燃えていた。太一さんの部屋と同じ階の、別の部屋からの出火だったらしい。煙が酷くて、扉もあかなくて、どこにも逃げられないまま太一さんは死んだらしい。
空さんからの電話を置いて、気づく。
繰り返すたびに、死に方が酷くなっている。
僕が助けようとすればするほど、酷く。
今度こそ、今度こそ確実に、救わなければ。
決心して公園へ行って、足元に転がるボールを拾って。太一さんにまた「いつまで休んでんだよ」と言われて。
僕は耐えらえず、泣き出してしまった。
太一さんは全部聞いてくれた。僕が繰り返していること。太一さんを助けようとしていること。助けるたびに、どんどん酷い死に方になっていくこと。最初は太一さんは不思議そうな顔で聞いていたけれど、僕があまりにも泣き腫らして必死に言うから、最後には僕の言う事を信じてくれた。
「事故にも火事にも気を付けるよ。ありがとな光子郎」
「…はい」
「また明日」
「…また、明日」
家までついて行って、そう言って太一さんと別れた。足取りは随分と重く感じた。
「…ガス漏れで、ですか」
安心していた。全て打ち明けてしまったから、今度こそ大丈夫なんじゃないかと。
ガス漏れで、太一さんだけではなく妹のヒカリさんも亡くなったらしい。まだあんなに幼かったのに、太一さんと、一緒に。
公園に足を運ぶ。ベンチに座る。転がってきたボールを手に取れば、また。
「いつまで休んで、って、おい光子郎、顔色やべぇぞ、大丈夫か?」
「……太一さん、太一さんにとって、一番大事なものってなんですか」
「大事なもの?」
慌てて駆け寄ってきてくれる太一さんに聞く。太一さんは首を傾げたが、その後笑って言った。
「俺はお兄ちゃんだからさ。やっぱり妹のヒカリが一番大事だよ」
「…そう、ですか」
胸を張って太一さんは答えてくれた。屈託ない笑顔が眩しかった。
もう、むりだ。
僕は太一さんに何も告げず、何もせず、公園で別れた。
その日の夜、空さんから太一さんが帰り道にタクシーに轢かれて死んだと電話がかかった。
ようやくお通夜に出た。それ以来、もう二度と昨日が繰り返されることはなかった。
「…この公園だったなぁ」
あれからもう何年たっただろう。僕はもう大人で、結婚して、娘ができて。僕が昔サッカークラブに入っていたというのを聞いて、娘がどうしてもとせがむから。あの日と同じ公園に、サッカーボールと同じくらいの大きさのボールを持って遊びに来た。
結局、僕は太一さんを救うことはできなかった。きっと何もしないことが正解なのだとわかっていても、後悔は尽きない。だって僕は、彼をどうしようもなく助けたかった。
「…お父さん」
転がっていってしまったボールを抱えて戻ってきた娘は、さっきまであんなに元気だったのに何かに怯えるような顔をして僕のところへ駆け寄ってきた。我慢するような、泣き出しそうな、怯え、耐えるその表情は、酷く見覚えのあるもので。
(…ああ、そうか)
この娘も、終わらない昨日を繰り返して、僕を救おうとしてくれている。
娘を抱きしめる。ボールはまた転がってしまった。
「もうお父さんのために、頑張らなくていいんですよ」
そう言うと、娘はわんわんと泣きじゃくりながら、僕にしがみつくように抱き着いた。