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Folder1 [敗北者の末路]

呼び声を辿り降り立った森の一角。オメガモンの目の前には、青く輝く小さな光の玉があった。これだ、これが、オメガモンをここへ呼んだ。否、それの言葉が正しいのなら、オメガモンこそそれをここに呼んだということになる。
(…誰か、と。それが届いたのか?)
光の玉は、その輝かしさとは反対に今にも消えそうなほどに小さかった。けれど見ているだけでも分かるほどに、それは温かい。誰かの魂だ。そしてその魂が誰のものであるのか、オメガモンはすでに知っていた。だって確かに、先刻その名前を呼んだのだ。
「…お前は」
誤ってその小さな魂を壊してしまわないように、ゆっくりと腕を伸ばす。この自身の腕で触れても、大丈夫なのだろうか。不安もあったが、意を決してその左手で静かに触れた。
暗転。
一層強い風がやめば、そこは先ほどまでの森ではなかった。見回してもどこも真白で、ゆったりとした雰囲気が広がっている。どこもかしこもあんまり白すぎて、神聖ささえ感じた。ふとその視界を、何かが掠める。慌ててそちらへ目を向ければ、オメガモンの目の前に、翼を背負った自分がいた。青と白。泣きたくなるような青い光と、どこまでも優しい翡翠色の瞳。大きな翼は、オメガモンにはないものだ。だけど分かってしまう、姿に相違はあれど、目の前のこの存在も、間違いなくオメガモンなのだと。
『…お前ではないな、救ってほしがっていたのは』
緩く細められた瞳は、オメガモンの姿を見てそう言うと警戒の色を失った。呼んだのはきっとオメガモンだ。が、彼の言う通り、救ってほしい対象は自分ではない。それらも全て知られている。
「…ああ、しかし呼んだのは俺だ」
『だろうな、あんまり強く呼ぶから、思わず入り込んでしまった。もう誰とも会わないと決めていたのに』
そう言う声はどこか寂しささえ感じる。何か大きな傷を負った者の言葉だった。気配をたどっていた時に垣間見た記憶を思い出す。左腕が誰かを殺す感覚がまだ残っていた。救世主とは、一体何のことだろう。けれど確かに、対峙する彼の姿は救いを与える天使のように見えなくもない。苦しくて痛くて悲しくて、それでも尚救わずにはいられず、世界に置いていかれた魂の記憶。彼がかつて生きていたであろう世界で、何があったのかオメガモンには分からない。分かりはしないけれど、意識が同調したせいなのか、不思議とオメガモン自身もその魂を見ていると悲しくなった。けれど彼に同情している時間はない。彼の事情を詳しく聞いている時間などない。いつまたディフィートが現れるかも分からない中で、唯一気配を辿れるオメガモンが長くデジタルワールドを離れるわけにはいかなかった。
「…俺には彼をどうもしてやれない」
『…私なら、できると?』
「ただの直感だが、そう思ったからここにいる」
真っ直ぐその瞳を見つめる。別の世界を生きてきた青い魂は、かつての自分と同じ青く澄んだオメガモンの瞳を懐かし気に見ていた。海のような色だと言われたことがある。空のような色だと言われたことがある。今の彼は翡翠色の瞳になってしまったが、もしかつてそう評してくれた者がこの色を見たら、今度はなんと評してくれるのだろうか。決して叶わないであろうそんな幻想を抱いて、彼はふと目を閉じた。
その魂をこの世界に強く呼んだのはオメガモンだ。しかし彼が拾った声は、彼のものではなかった。拾った声は、もっと苦痛に満ちていた。もっと黒い何かに纏わりつかれていた。暴走する本能と辛うじて残る理性の間で、必死にその命を終わらせてくれる誰かを探していた。恐らく声の主にとっては、死こそが救済なのだ。彼はその意味をよく知っている。知りたくなどなかったけれど、変異した性質は、否応なしにそんな声を拾い辿ってしまう。オメガモンも、同じことを望むのだろうか。オメガモンの言う彼を、殺すことで救ってほしいとでも言うのだろうか。
『…勝手だな』
本当に、そう思う。もし死をその魂に望んでいるのなら、呼ばないでほしかった。見つけなければよかった。殺してほしいと言う彼らは、果たして命を絶つ者の心をどう思っているのだろう。あまりにも身勝手で、傲慢で、だからこそ見捨てられない。その魂は、結局己を呼ぶ声を無碍にできない。きっと、今回も。
「彼にはまだ自我が残っている」
『…知っている、その残っている自我が、終わりを求めていることも』
「…それは、容認できないな」
強く放たれたその言葉に、彼は一瞬言葉を失った。
てっきり同じなのだと思っていた。このオメガモンが望むのは、あの声と同じことなのだと思っていた。だってそうでなければ、自分を見つけられないはずだ。そうでなければ、自分を呼んだりなどできないはずだ。いや、違う。呼んだのは、その魂の方か。
救ってほしかった。その姿に課せられた使命や本能から、目を背けてしまいたかった。決してそんなことはできないけれど、それでもそう思うことを誰かに肯定してほしかった。彼の持つ力は、終わりを求める者へ救済を与えるが、それは彼が望んで得た力でも何でもなかった。ただそうしなければならなかったから、仕方なく手にしてしまった力だ。今更手放すこともできず、だから彼はもう誰とも会わず、関わらないと決めていた。世界から取り残され、そのままずっと眠ってしまいたかった。拾った声は、オメガモンのものではなかった。それに、声が望んだのは終焉だ。オメガモンの望むものは、そうではない。
何かが、変わるだろうか。変えられるのだろうか。声を拾ったところで、それを無視するという選択肢だってあった。聞かぬふりをして、聞こえなくなるのを待つことだってできた。それをしなかったのは、きっと彼が無意識下で、違う何かを感じたからだ。自分の求めるものと、どこか似ている何かを、感じ取ったからだ。
優しく光る翡翠色の瞳を閉じる。脳裏に浮かぶのはもう会うことのないかつての仲間の姿。その手に残る感触は未だ消えることはないが、全ての記憶を否定できるほど酷いものではない。ただ、その終わり方があまりにも凄惨だっただけで。かつての仲間には、してやれなかったことがある。かつての友を、あんな形でしか救ってやれなかった記憶がある。そんな記憶を思い出して目を開けば、オメガモンは先刻までとは打って変わって決意に満ちた瞳に思わず見惚れた。強い意志を宿した目だ。小さく畳まれていた翼を大きく広げる。純白の羽が広げた風に乗って舞い散った。
『私はオメガモン、名をマーシフル』
正しくは、オメガモンマーシフルモード。悲しみと決意でもって進化した、介錯人。マフラーのようになびく翼をその背に負った、名の通り慈悲の体現者。その姿は、まるで救済をもたらす天使のようにも見えた。否、まさしくそうなのだろう。きっと、彼のことさえ。
『お前が救ってほしいと言うその者の話を聞こう』
そう言うマーシフルは、一切の迷いを捨て去った。

***

『…ディフィート、敗北者か』
「彼がそう名乗ったわけではないが、今はそう呼ばれている」
決意を固めたマーシフルへ、オメガモンはディフィートのことを全て説明した。彼が元々守護者であったことや、何らかのウイルスに感染して暴走していること。世界を脅かす存在として、世界の意思からロイヤルナイツへ彼の討伐の命が出ていること。そして、唯一対峙した時、彼にまだ自我が残っていたこと。
話を聞いて、マーシフルは分かりやすく表情を歪めた。世界を守護する存在から一変し、脅かす存在へと変貌したディフィートは、確かに放っておいていいわけではない。しかし、自我が残っていると言うのなら討伐の命はあまりにも早すぎる。そもそも世界が生み出した存在であるにも関わらず危険因子となった途端に消去対象とはどういうことなのか。何処に行っても、世界とは傲慢で非道だ。マーシフルにも覚えがある。
「…できるか?」
『…断言はできない。それに、今の状態では無理だ』
そう言ってマーシフルは己の体を指した。そこでようやくオメガモンも気付く。彼の体は、ほんの少しだが透けている。それにデジタルワールドでは、その姿さえ見られなかった。ただ魂のみがそこに存在していただけだ。それはつまり、今の彼に体という実態が存在しないと言うことに他ならない。オメガモンは彼がそうなった経緯を知らないが、それでも彼が辿って来た道が決して生半可なものではないということは分かった。実態を失ってしまうほどの何かが、マーシフルの身にあったのは確かだ。
『そのディフィートを救うのなら、私は誰かの体を借りなければならない』
「俺を使えばいい。個体種は同じだろう」
『…私が入っている間、お前の意識はずっと眠ったままになるぞ』
言われて、言葉に詰まった。マーシフルとて、オメガモンの体を借りずに済むなら他の方法を取っている。だが体の実態を持たない以上、それしかマーシフルがディフィートに接触する方法が現状ないのだ。オメガモンはこの世界に生きるデジモンで、当然仲間だっている。話を聞くに、この世界にもロイヤルナイツは存在している。ならば、マーシフルがその体を借りている間、仲間はきっと心配でもするか、警戒するだろう。ただでさえ関わってくれるなと言われているのだ。彼らの了承もなしにその意識を閉ざせば、マーシフルが敵と見なされ兼ねない。仲間内で争っている余裕はない。
けれど迷ったのは一瞬だった。どうせここでマーシフルの助けを断ったとして、オメガモンはディフィートに関わろうとすることをやめられないし、見捨てることもできない。ならばこの機会を逃してしまうわけにはいかなかった。きっとこんな機会は二度と現れない。ディフィートを救う手立ては、今この瞬間目の前にいるマーシフルにしかないのだ。
「…構わない、それでどうにかなるのなら使ってくれ」
『…そうまでする理由は』
その声は、決して責めるようなそれではなかった。己の体さえ投げうって彼の存在を救おうとする理由が何なのか、マーシフルはその体を借りる身として、知っておかなければならない。
「彼が同じ姿を模して造られた、その原因は恐らく俺にある。ならば彼の罪は、等しく俺の罪だ」
この身一つで罪を償えると言うのなら安いものだと、そう言ってオメガモンが微笑むから、マーシフルは少し悲し気に微笑み返すしかなかった。強い決意だ。ならば、それ相応の決意で応えなければなるまい。マーシフルはもう一度その翼をオメガモンを包み込むように広げた。瞳の下に走る青白い光が、まるで涙のようだった。
『…わかった。やれるだけのことはしよう』
「すまない、頼む」
意識が交じり合う。その姿からも分かっていたが、マーシフルの魂はやはりどこまでも悲しくて、そして優しく温かかった。
『おやすみ、オメガモン』
暗転。
閉じていた瞳を開く。そこはもう真白な空間ではなく、オメガモンがもともといたはずの森の中だった。ふわりと風が吹く。しかし彼の背にあるのはすでに風になびくマントではなく、白く大きな翼だった。

「……良い夢を」

どうか意識が眠っている間だけでも、彼の魂に束の間の休息があらんことを。
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