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Folder1 [敗北者の末路]

ざわり、風が木々の葉を揺らして走る。そんな森の上空、揺られる葉をじっと見下ろす白いデジモンがいた。名を終焉の騎士、オメガモンという。
ここは、デジモンたちが時には力を合わせ、時には縄張りを巡り争うデジタルワールド。オメガモンも、そんな世界に生きる一体のデジモンだった。見下ろす瞳はどこか不安げに揺れている。ふとその瞳を閉じると、微かに感じる見慣れた気配があった。オメガモンはその気配の正体をよく知っている。オメガモンだけではない、その気配のことを、この世界の大半のデジモンたちが知っていた。誰かはいつかそれを守護者と呼び、誰かはかつて執行者と呼んだ。今はもうあまり聞かなくなった呼び名たち。最も新しい呼び名はなんだっただろうか。オメガモンは最近聞くその名をあまり快く思ってはおらず、忘れようと頭の片隅に追いやっていたのだが、気配を感じるたびにどうしても思い出してしまう。
「暴走する狂戦士」
小さく小さく、消え入りそうなほどの声が漏れる。その声は苦し気だ。狂戦士、それが今の、かつて守護者とさえ呼ばれた者の呼び名だった。誰もが知っている。それは、彼は、オメガモンにとって、切っても切れないほどに強い繋がりがあった。時折オメガモンの姿を捉え怯えを見せる者がいるのも、それの存在が原因だった。オメガモン自身は自分の持つ力の大きさを考えれば小さな者に怯えられようが怖がられようが気にもとめないが、そこに別の存在が関係しているとなれば話は変わってくる。
気配を辿る。遠く、ずっと遠くにいる。恐らくデジタルワールド上にではなく、次元の狭間にいるのだろう。気配は何度もぶつ切りになりながら、決してそれの居場所を教えてはくれなかった。辿る、見つけられないと分かっていて尚、オメガモンは探すことをやめない。探さないという選択肢を、魂が許さなかった。だってあれは、彼はきっと、自分の。
「オメガモン」
「…アルファモンか」
背後から、咎めるように鋭い声がかかる。どうやら今回はここまでらしい、諦めて閉じていた瞳を開きゆっくりと振り返れば、どこか険しい表情をしたアルファモンの姿があった。オメガモンと目が合うと、アルファモンは分かりやすいほどに大きく溜息をつく。オメガモンが今ここで何をしていたのか、彼は知っていた。否、知っているのはアルファモンだけではない。彼らの仲間である、この世界を守護する聖なる騎士団、ロイヤルナイツの面々は皆、アルファモンと同様に、オメガモンが何をし、何を探しているかを知っていた。
「もう探すなと、何度も言ったはずだ」
「分かっている」
「分かっていないから皆言っているんだ。いい加減やめないか」
「…やめられるものなら、とっくにやめているさ」
そんなオメガモンの言葉に、アルファモンは何かを返そうとして、しかし諦めた。この不毛なやり取りももう幾度目になるだろう。変わらぬ答えに嫌気がさす。それでもアルファモンは絶対にオメガモンを見つけ、探し出すのだ。結局魂の繋がりはどうやったって切れやしないから。
オメガモンが探し続けている気配。それは、いや、彼と言うべきだろうか。彼はその名を、オメガモンズワルトと言った。かつての名だ。今は誰がつけたのか、ディフィート、などという名で呼ばれているが、元々はズワルトというのが彼の名前だった。ロイヤルナイツが内側から世界を守護する存在であるなら、彼は反対に、外側から世界を守護する存在であった。デジタルワールドという世界の意思そのものが意図的に生み出した、人工的な命。この世界の自浄機能。なぜその命がオメガモンの姿を模しているのかについては、元となったオメガモンにすらはっきりと理由が分かっていない。ただ、彼の持つ力の何かが、世界にとって必要と判断されたのだろう。本人の至り知らぬところでその命と姿を複製された時は些か正気を疑ったが、データでできているこの世界は常に崩壊の危機と隣り合わせだ。世界も、自分自身を守るために手段は選んでいられないのだろう。だからオメガモンは、その点に関してはもう諦めている。ただ、今の状態になってしまう前に、一度でも会っておきたかったという後悔はあるが。
ディフィート、敗北者。ズワルトは、今はもう守護者ではない。世界を汚す存在を断罪する執行者ですらない。同じ形の魂を持つオメガモンにしかその瞬間は感じることができなかったが、ズワルトはある時を境に、暴走した。世界を守る存在から、脅かす存在へと変貌した。その原因は未だ解明されていないが、同じロイヤルナイツの仲間であるドゥフトモンらによると、何らかのウイルスに感染したのではないかということだった。同時期から、大人しかったデジモンが突然暴走し暴れ出すという報告が増大している。
世界への、ウイルスの侵入。それが事実であったとするなら、その一番最初の感染者は、恐らく。
「お前が探す必要はないだろう」
「俺以外に、誰も感じ取れないのに?」
悲し気にそう言うのは、もしかすると自分が辿っていたかもしれない未来の姿をディフィートに重ねているからだろうか。
ズワルトがディフィートへと変貌するまで、ロイヤルナイツはその名を知られながらも公けに世界を守るようなことはしていなかった。各々の暮らす場所で、各々の正義の下に戦っていた。世界の意思に呼ばれたのは、それこそズワルトが執行者でなくなってからだ。世界をこれ以上汚染する前に、彼と言う存在を消す。それがロイヤルナイツへ下された最初の命だった。
オメガモンはその時、すでにズワルトという存在を知っていた。名前だけではあるが、同じ名を持つ者として、常に意識はしていた。だから、そんな理不尽なことがあってたまるかと、最初はそう思ったのだ。勝手に自分のデータを模して生み出しておいて、最も危険な場所で危険なことをさせ守らせておいて、害になると分かった途端に切り捨ててしまうのか。オメガモンは、初めて世界の傲慢さを垣間見た。だから誰よりも先に見つけ出し、どうにかウイルスを取り除けないかと考えた。
そんな考えが浅はかだったと、後に理解する。探し回った先で初めて出会った彼は、辛うじて残るワクチン種としての本能と体へ入り込んだウイルスが反発し合い、体のデータのあちこちが壊れていた。角は折れ、体は痩せ細り、見るに堪えない姿をしていた。真っ赤に光る瞳は時折正気を取り戻しているように見えたが、オメガモンらの声は終ぞ届かなかった。
結局ディフィートは次元の狭間へと姿を消し、ロイヤルナイツは未だ彼を見つけられていない。彼の気配をただ一人オメガモンだけが拾うことができ筆頭となって探していたが、他の命や休息さえ投げうってデジタルワールド中を飛び回る姿を見兼ねた仲間から、もう関わろうとするなと苦言を呈されている。仲間が身を案じてくれていることはオメガモンも正しく理解していた。けれどとてもじゃないが、ディフィートを放っておくことができなかった。
(彼にはまだ、自我がある)
唯一対峙した時、ディフィートはオメガモンの姿を捉え、何かを懇願するような目をしていた。きっと、その命を終わらせてほしいと、願っていたのだと思う。オメガモンですら把握しきれていないその真の力を、ディフィートは知っている。だから他でもないオメガモンに最期を望んだのだ。結局、その瞳に動揺したこともあって、その願いは叶わないままになってしまったが。けれどだからこそ言える。ディフィートには、その奥底にまだ自我が残っている。救う手立てが、何一つないというわけではないはずだ。オメガモンは諦められなかった。諦めるわけにはいかなかった。例え仲間から咎められようとも、これだけは。
「…とにかく、もう戻ろう。そのままでは倒れるぞ」
「ああ、すまない」
アルファモンに悟られないように、もう一度だけ気配を探るが、もうディフィートの気配はどこにも感じられなかった。すっかり見失ってしまい、オメガモンは小さく溜息を吐く。早く見つけてやりたかった。けれど、見つけたとしてどうするのだろう。自身の両腕を見つめる。彼の両腕は、攻撃することには特化しているが、それ以外は何もできない。見つけ出して、救済だと言って彼の命を望むまま終わらせてやるのだろうか。
(そうやって覚悟ができていないから、見つけられないのだろうな)
死が彼にとっての救済となるのなら、自分は彼を救ってやれない。結局見つけてやらねばと焦るばかりで、その後のことなど考えていないのだ。けれど殺してしまいたくはない。今までたった一人でこの世界を守って来た彼を、暴走する狂戦士などという名のまま終わらせたくはないのだ。
(…誰かが、いつか)
そのいつかは、いつになったらやってくるというのだろう。何もできないと分かっているオメガモンは、そうやって無責任に彼を救ってくれる誰かがやってくるのを待つことしかできない。待つだけの自分を、嘲笑することしかできない。けれどそれで彼が救われるなら、誰かが救ってくれるのなら。
「……誰でもいいんだ、誰でも、いいから」

そんな、微かな呼び声に、一つ。

「…?」
何かが聞こえた。何かが、オメガモンの意識を捉えた。振り返る。先刻と変らぬ景色が広がるだけだ。けれどオメガモンには確かに分かる。何かが、いる。アルファモンは気付いていない様子だった。仄かに感じるそれは、どこか悲しくて、けれど温かくて、優しいものだった。
『…誰』
「っ、!」
はっきりと聞こえた、誰かの声。それが誰の声かなんてオメガモンには分からなかったが、この声を見失ってはいけないということだけは何故だか理解できた。きっと現状を変えてくれる、そんな何かを孕んだ声だ。もしかすると、この声の主ならば、彼を。
「オメガモン?」
「すまない、アルファモン。先に戻っていてくれ」
「は?」
「大丈夫だ、俺もすぐに戻る」
「は、おい!」
アルファモンが引き留める声もろくに聞かず、オメガモンは声の聞こえる方へ飛んだ。意識を集中し、声の在処を探る。温かいそれは、けれど今にも消えてしまいそうなほどに弱かった。泣きたくなるのはどうしてだろう。悲しくなるのは、どうしてなのだろう。探れば探るほど、同調する。それの意識が、入り込んでくる感覚。左腕に、何かを殺した感触がした。ぞっとする。苦しくて、痛くて、救ってほしかった。救いを与える存在になど、なりたくなかったのに。世界は否応なしに進んでいて、それは取り残された。救世主は、誰にも認識されず、たった一人で、世界から姿を消した。目頭が熱いのは、気のせいだろうか。悲しい魂だった。それでいて、どこまでも優しい魂だった。どこか彼と似ている。これならば、この気配の、主ならば。
森の一角、一層気配を強く感じる場所へと降り立つ。気配は感じるが、姿は見えない。見回せど、誰もいない。気のせいではないはずだ。これほどに強く感じる思いが、気のせいであるわけがない。オメガモンは咄嗟にそれを呼ぼうとして、けれど名前を知らないことに気が付いた。いや、知っている。この存在を、自分は知っているはずだ。だってこの気配は、確かに少しばかり違うけれど、この気配は、確かに。
「……オメガモン?」
驚くほど小さく吐かれた名前に、辺りの木々が大きく揺れた。思わず瞳を閉じ、風がやんで恐る恐ると目を開けば、一つ。
『…お前が、呼んだのか』
青く輝く小さな小さな魂が、大きな悲しみと慈悲を孕んだ、そんな魂が、そこにはあった。
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