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それは、決して抱いてはいけない感情だった。身内に対して、実の兄に対して、向けるべき感情ではなかった。そんなこと、その感情を自覚した瞬間から、わかっていたことだった。
隠密には、双子の兄がいる。農丸が隠密として動くようになってから兄である武者には行方不明とだけ伝えられているけれど、農丸は隠密としてずっと武者のすぐ傍にいた。絶対にその命を散らせることがないように、隠密はいつだって兄の背中を人知れず守ってきた。それは農丸として再び姿を見せ再会してからも変わらない。戦いに一つの区切りがついても、武者が三代目頑駄無大将軍へと出世を果たしても、隠密が最優先して守るべきはいつだって兄の背中だった。守ることさえできればそれでよかった。だから己の感情をただひたすらに殺し続けた。不毛な感情を、未熟さゆえに完全に消し去ってしまうことができなかったから。誰にも悟られぬように、誰にも気づかれぬように。そうして兄の傍にい続けることができるのなら、それだけでいいと。
「兄上ッ!!」
一瞬だった。確かに兄の刀が敵を切ったはずだった。切った先から、何か黒い影が見えたと思ったその瞬間、すでに手遅れだった。たった一瞬の遅れが、全てを決定づけた。名前を呼んでも、もう応答さえなかった。最愛の兄の体が二つに裂かれていく光景を、ただ見つめることしかできなかった。地獄とはこの光景こそを言うのだろう。兄の体が地へ墜ちたと同時にようやく体が動く。だけどもう、駆け寄ったところで、誰がどれだけ声をかけたところで。そこに命はもう咲いていなかった。大事に守ってきた花は、いとも簡単に手折られてしまった。

どうして、どうして、どうしてッ!
兄はあれだけ世界に尽くしてきたのに、なぜ世界は兄を奪ってしまうの。

こうして敵によって手折られてしまうのなら、いっそ全て曝け出しぶちまけてしまえばよかった。戦ってくれるなと、みっともなく縋りついてしまえばよかった。
そんな身勝手な後悔さえ、もう誰一人、受け止めてくれる者はいないのだ。
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