第百五十三~百五十五訓
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緑の多い閑静な区画に立つ高級レストラン。
広い庭園も敷設している。
テーブルマナーに気を遣って料理を口に運んでいると、携帯電話がブルブルと震えた。
「もしもし」
彼女は所持していたバッグを開いて、携帯を取り出した。
《ああ、俺だ》
電話の相手は別居中の夫・長谷川だった。
「アラ、珍しいわね。あなたから電話かけてくれるなんて、何かあったの?」
《いや…別に…なんか用がないと電話したらダメなのか》
気まずそうに話してくる夫に、彼女はおかしそうにくすりと笑う。
「いやねェ。何その言い方。喧嘩するために電話してきたの」
電話の相手と話しながら席を立ち、窓の方へと向かう。
男の一人暮らしを心配する妻に、長谷川は気に食わなそうに鼻を鳴らす。
「ちゃんと、ご飯食べてる?コンビニ弁当ばっかり食べちゃダメよ」
《うるさいよお前は、ガキじゃあるまいし》
「そうよ、もういい歳してんだからちゃんとしたもの食べなきゃ。で?何かあったの?」
《え?》
「何かいい事あったんでしょ?」
ささやかな説教をしてきたかと思えば、この言葉。
自分の思いを気づかされたのか、と根拠もなく嬉しい想像をする。
《………別にたいした事じゃねェけど。あのアレ…俺さァ……》
目線を下に移して、小声で答える長谷川は意を決して妻に告げた。
「仕事、決まった」
《ホントに!おめでとう!!》
電話の向こうで、嬉しそうな妻の声が聞こえた。
フリーターからようやく脱却し、安定した仕事に就くことができた長谷川は頬を掻く。
「まァ、たいしたトコじゃないんだけど、ちゃんとした安定した仕事だ」
《そう!良かったわね…あっ、じゃ就職祝いしなきゃ》
「いいよ。そんなの別に…初の就職じゃあるめーし」
長谷川は申し出をありがたく思いつつも、首を横に振った。
すると、妻は微かに罪悪感を覚えた口調でこう言ってきた。
「いいのよ、私におごらせて。あなたが一番苦しい時に何も手伝ってあげられなかったんだから」
目線を下に移したまま、妻の名を呼ぶ長谷川は少し躊躇して……口を開く。
「………ハツ、あの…」
ほんの僅かに見える頬の緊張と、意を決したような声に、覚悟が匂う。
《俺が、この仕事…しばらく続けて生活が安定したら、俺達…やり直…》
そして、ためらいながら発言した、その時。
「ハツさん。夜景でも見られているんですか?」
食事相手の男がやって来た。
彼女は一気に切羽詰まった感じで電話を切った。
「あっ…ちょ、ゴメン、後でかけ直す」
《え?オイちょっ…》
いきなり通話を終えてしまった妻。
携帯の向こうから聞こえてきた男の声。
しばらくの間、長谷川はその場に突っ立って悶々と考え込んだ。
第百五十三訓
電車に乗るときは必ず両手を吊り革に
通勤・通学の人並みが、停車中の電車に次々と乗り込んでいく。
満員電車、人ごみに押され揺られながら、銀時は力の抜けた声をあげた。
「あ?男?」
つり革に捕まり、長谷川は力強く頷いた。
「間違いねェ。ありゃ、男の声だった」
昨夜の出来事を思い出し、彼の口から不機嫌そうな声が出る。
「そいつの声がしたとたん、電話切っちまってよォ。どういうことだよ。俺より、そいつの方が大事だってのか。不倫だよ不倫」
いつもの雑な頭髪は整髪料でしっかり撫で整えられ、ネクタイにスーツでかっちりと着こなしていて――まるで就職活動をしているような、長谷川のその姿。
ふと思い出したように、本当についでのように、銀時が問う。
「不倫って、アンタら夫婦、とっくに別れてなかったっけ」
「人聞き悪い事を言うな、別居してるだけだ。離婚届けに判を押した憶えはねェ」
離婚はしていない、別居しているだけだ、と主張する長谷川は銀時の横顔を一瞥する。
「人の事を言えた義理か。響古ちゃんだって、お前に黙って浮気してるかもしれないぞ。浮気相手を家に連れ込んで、色々楽しんでるかもしれないし」
「安心しろ、長谷川さん。響古に悪い虫がついているかなんて、一発でわかる。そう…響古の細かな変化も見逃さないから」
さすが銀時、響古をいつも視姦……もとい、いつも見守っているんですね。
自信満々に言い放つ銀時に、長谷川は絶句する。
これは好きとか溺愛とか、そういうのを通り越してよくわからないけど恐ろしい何かだ。
「浮気調査ねェ…しり合いだけに気乗りしねーな」
「報酬ははずむぞ、もう俺はフリーターじゃない」
「フリーターじゃないって、飲み屋で意気投合したダメ親父の会社だろ?アテになんのか?」
「失礼な事を言うな。確かに一流の会社とはいえねーが、グラサン通勤OKという今時、珍しい好条件だぞ」
――フリーターから脱却したきっかけは、居酒屋で意気投合した男からの誘い。
――ほろ酔いで話の内容はうろ覚えだが、雇用条件はよかった気がする。
「それって、もしかしてグラサンだらけで白い粉などを販売する会社じゃね」
「よくわかったな。あとチャカとかいうのも売ってるらしい。よくわからんが何だろうな」
今の話で気になったところを、銀時はつっこんだ。
「やめた方がよくね」
「心配いらねェ、グラサンかけてる奴に悪い奴はいねェ、みんなシャイなだけだ」
「シャイな奴は、そんな丈の短い恥ずかしいズボンはかねーよ」
目線を下に移し、丈の短いズボンについて指摘すると、妻が初めて買ってくれたスーツらしい。
「うるせーな。これは初就職の時、ハツが買ってくれたスーツなんだよ」
「フン。女の事ばっか考えてたらまた仕事、失敗してヨリも戻すクソもなくなるぜ」
銀時はやれやれと鼻を鳴らし、浮気調査を引き受けた。
つり革に捕まり、長谷川に言葉を投げかける。
「そっちは俺に任せて、アンタは、せいぜいまたクビにならないよう気をつけるんだな」
「………あんがとよ」
それと同時に、電車は駅のホームに着いた。
「銀さん、俺やるわ!!今度こそ、今度こそ幸せを、つかみとる!!」
遠回しに告げられた励ましの言葉に、長谷川は一念発起。
電車を降りる雑踏の中から手を上げる。
「ヘマすんなよ」
新たな一歩を踏み出した長谷川を見送り、銀時はつぶやいた。
銀時の声に応えるように、親指を立てる長谷川は突如、電車の段につまずく。
受け身を取ることもできずに転倒。
傍にいたサラリーマンや学生が、ざざっと逃げ散る。
ありえないほどに前のめりな走行。
パニックになって振り回される長谷川の手が、近くにいた女性の手を掴んだ。
ホームに鳴り響く警笛の音。
線路ギリギリまで転がった長谷川の視界に、電車が高速で迫ってきた。
転倒した勢いを両足で止めようと踏ん張るが、女性と手をつないでいるので無駄になる。
瞬間、長谷川は地を蹴った。
転倒しないギリギリのラインで女性を引っ張って、長谷川はホームを飛び越える。
刹那、物凄い勢いで電車が通り過ぎる。
人々は息を呑んで、最悪の展開を脳裏に過ぎらせた。
そこには、女性にキン肉バスターを浴びせる長谷川の姿。
相手の身体を逆さまに抱え上げ、首を肩口に乗せた状態で相手の両足を股裂きにしてクラッチ、そのまま高所から落下し、着地の衝撃でダメージを与える大技である。
「…………あれ?」
公衆の面前でパンツ丸見えとなった女性を逆さに抱え上げ、長谷川は何が起こったのか理解できないでいる。
だが、誰も気づかなかった、で済むほどに世の中は甘くなかった。
「キャアアアアアア!!痴漢よォォォォ!!」
誰かが痴漢と叫び、無秩序な叫び声と悲鳴が絡み合い、さらに長谷川を混乱させる。
「いやっ、違う!!これはっ…」
「キン肉バスターよ!!キン肉バスターだわ!!」
すぐさま駅員が駆けつけた時には、すでに痴漢の容疑者となっていた。
万事屋に帰ってきた銀時が、長谷川に新しい仕事が見つかったと聞かされて早々、驚愕の事実を伝えられる。
「はぁ!?長谷川さんが痴漢をした!?仕事が見つかって出勤したんじゃなかったの」
「実際にやったかは、俺も詳しくは見ていねーけどな…」
言った銀時も、眉をひそめて答える。
「少し、ややこしい事になってな。野次馬の話によると、長谷川さんが女にキン肉バスターという名の痴漢をしたんだとよ」
「ちょっと待って!全然、話が読めないんだけど!」
響古は衝撃の情報に触れて愕然とし、銀時は相変わらずの気だるい表情を浮かべている。
「痴漢なんだよね?なんでそれがキン肉バスターする羽目になったの!?」
「俺がしるかよ」
軽く惑乱気味の響古を横目に、銀時はガシガシと頭を掻いた。
長谷川本人がどう思うかは、聞いてみなければわからない。
四人は長谷川が拘留されている江戸の奉行所にやって来た。
すりガラスの向こう側にいる長谷川は無精ヒゲを生やし、手錠で拘束されている。
椅子に座っている彼の装いは、シャツに似た簡素な服だ。
「縄は持ってきてくれたか?」
沈痛な表情で聞かれて、響古は首を横に振る。
「残念ながら、売り切れてなかったわ。その代わり……」
すると、銀時が一通の封筒を差し出した。
以前、彼に頼まれた奥さんの不倫の調査書だ。
「ハイ、コレ。嫁さんの調査報告書。自分の目で確かめなよ」
「…シロか?クロか?」
「生きてりゃいいことあるさ」
「シロなのか?クロなのか?」
「明日は明日の風が吹く」
「だからシロか?クロか?」
「あれ?髪切った?」
「殺せよォォォォォ!!俺を殺せェェェェ!!」
クロと確認する前に自暴自棄になってしまった長谷川は激昂する。
「どうせ、俺なんか生きてたって、一生血みどろの輪舞曲 を踊り続けるんだよ!!もうずっと、苦しみの螺旋階段を延々昇り続けるんだよ!もう全て終わりにしてくれ!!」
面会部屋に、あらゆる鬱屈に満ちた叫びが響く。
「お前もさァ、どうせ俺が痴漢したって疑ってんだろ!!そりゃそうだ、嫁さんにも見捨てられちまうような男だもんな!電車に、ひかれそうになって、気がついたらキン肉バスターなんて信じてくれるわきゃねーよな!!」
痴漢の容疑と不倫疑惑が重なったことで、焦燥感に堰き止められていた自虐の歯止めが利かなくなっていた。
打ちのめされ癇癪 を破裂させる長谷川の姿を、銀時は表情の乏しい顔で観察していた。
「赤の他人のテメーらが無罪だなんて、あれは事故だなんて信じてくれるわきゃねーよな!!」
「バカヤロォォォ!!」
すると突然、銀時がすりガラスを突き破って長谷川を殴った。
「君ィィィ!!何やってんだァ!!」
驚いた監視官に羽交い絞めにされながらも、表情を険しくさせて声を張り上げる。
「赤の他人だと?そんな事思ってんなら、こんなトコ来やしねーよ。赤の他人と思ってんなら、どこブチ込まれようが死のうが構やしねーよ。赤の他人と思ってんなら…」
そう叫んで、彼の前に叩きつけるように出したのは痴漢モノのAV。
「こんなもん、貸し借りなんてしやしねーんだよ!!」
「完全に疑ってるよね!コレもう、確定してるよね!!」
変な誤解をされては困る。
確かに痴漢モノは好きだが、それは決して自分もやってみたいという願望ではないのだ。
「わかってるって。信じてる信じてる」
「ホントだよね!!ホント信じてるよね!!」
真摯な長谷川の訴えに、神楽は侮蔑をたっぷりと含んだ眼差しで見下ろす。
「しつけーな!!信じてるって言ってんだろーが、気持ちワリーんだヨ!!」
「人を信じてる目じゃないんだけど!!ゴミを見るような目つきなんだけど、この娘 !!」
「違 げーよ。そういうのに敏感な年頃だろ、これ位の娘は。あんま近づくな神楽。あぶないぞ」
「…………」
広い庭園も敷設している。
テーブルマナーに気を遣って料理を口に運んでいると、携帯電話がブルブルと震えた。
「もしもし」
彼女は所持していたバッグを開いて、携帯を取り出した。
《ああ、俺だ》
電話の相手は別居中の夫・長谷川だった。
「アラ、珍しいわね。あなたから電話かけてくれるなんて、何かあったの?」
《いや…別に…なんか用がないと電話したらダメなのか》
気まずそうに話してくる夫に、彼女はおかしそうにくすりと笑う。
「いやねェ。何その言い方。喧嘩するために電話してきたの」
電話の相手と話しながら席を立ち、窓の方へと向かう。
男の一人暮らしを心配する妻に、長谷川は気に食わなそうに鼻を鳴らす。
「ちゃんと、ご飯食べてる?コンビニ弁当ばっかり食べちゃダメよ」
《うるさいよお前は、ガキじゃあるまいし》
「そうよ、もういい歳してんだからちゃんとしたもの食べなきゃ。で?何かあったの?」
《え?》
「何かいい事あったんでしょ?」
ささやかな説教をしてきたかと思えば、この言葉。
自分の思いを気づかされたのか、と根拠もなく嬉しい想像をする。
《………別にたいした事じゃねェけど。あのアレ…俺さァ……》
目線を下に移して、小声で答える長谷川は意を決して妻に告げた。
「仕事、決まった」
《ホントに!おめでとう!!》
電話の向こうで、嬉しそうな妻の声が聞こえた。
フリーターからようやく脱却し、安定した仕事に就くことができた長谷川は頬を掻く。
「まァ、たいしたトコじゃないんだけど、ちゃんとした安定した仕事だ」
《そう!良かったわね…あっ、じゃ就職祝いしなきゃ》
「いいよ。そんなの別に…初の就職じゃあるめーし」
長谷川は申し出をありがたく思いつつも、首を横に振った。
すると、妻は微かに罪悪感を覚えた口調でこう言ってきた。
「いいのよ、私におごらせて。あなたが一番苦しい時に何も手伝ってあげられなかったんだから」
目線を下に移したまま、妻の名を呼ぶ長谷川は少し躊躇して……口を開く。
「………ハツ、あの…」
ほんの僅かに見える頬の緊張と、意を決したような声に、覚悟が匂う。
《俺が、この仕事…しばらく続けて生活が安定したら、俺達…やり直…》
そして、ためらいながら発言した、その時。
「ハツさん。夜景でも見られているんですか?」
食事相手の男がやって来た。
彼女は一気に切羽詰まった感じで電話を切った。
「あっ…ちょ、ゴメン、後でかけ直す」
《え?オイちょっ…》
いきなり通話を終えてしまった妻。
携帯の向こうから聞こえてきた男の声。
しばらくの間、長谷川はその場に突っ立って悶々と考え込んだ。
第百五十三訓
電車に乗るときは必ず両手を吊り革に
通勤・通学の人並みが、停車中の電車に次々と乗り込んでいく。
満員電車、人ごみに押され揺られながら、銀時は力の抜けた声をあげた。
「あ?男?」
つり革に捕まり、長谷川は力強く頷いた。
「間違いねェ。ありゃ、男の声だった」
昨夜の出来事を思い出し、彼の口から不機嫌そうな声が出る。
「そいつの声がしたとたん、電話切っちまってよォ。どういうことだよ。俺より、そいつの方が大事だってのか。不倫だよ不倫」
いつもの雑な頭髪は整髪料でしっかり撫で整えられ、ネクタイにスーツでかっちりと着こなしていて――まるで就職活動をしているような、長谷川のその姿。
ふと思い出したように、本当についでのように、銀時が問う。
「不倫って、アンタら夫婦、とっくに別れてなかったっけ」
「人聞き悪い事を言うな、別居してるだけだ。離婚届けに判を押した憶えはねェ」
離婚はしていない、別居しているだけだ、と主張する長谷川は銀時の横顔を一瞥する。
「人の事を言えた義理か。響古ちゃんだって、お前に黙って浮気してるかもしれないぞ。浮気相手を家に連れ込んで、色々楽しんでるかもしれないし」
「安心しろ、長谷川さん。響古に悪い虫がついているかなんて、一発でわかる。そう…響古の細かな変化も見逃さないから」
さすが銀時、響古をいつも視姦……もとい、いつも見守っているんですね。
自信満々に言い放つ銀時に、長谷川は絶句する。
これは好きとか溺愛とか、そういうのを通り越してよくわからないけど恐ろしい何かだ。
「浮気調査ねェ…しり合いだけに気乗りしねーな」
「報酬ははずむぞ、もう俺はフリーターじゃない」
「フリーターじゃないって、飲み屋で意気投合したダメ親父の会社だろ?アテになんのか?」
「失礼な事を言うな。確かに一流の会社とはいえねーが、グラサン通勤OKという今時、珍しい好条件だぞ」
――フリーターから脱却したきっかけは、居酒屋で意気投合した男からの誘い。
――ほろ酔いで話の内容はうろ覚えだが、雇用条件はよかった気がする。
「それって、もしかしてグラサンだらけで白い粉などを販売する会社じゃね」
「よくわかったな。あとチャカとかいうのも売ってるらしい。よくわからんが何だろうな」
今の話で気になったところを、銀時はつっこんだ。
「やめた方がよくね」
「心配いらねェ、グラサンかけてる奴に悪い奴はいねェ、みんなシャイなだけだ」
「シャイな奴は、そんな丈の短い恥ずかしいズボンはかねーよ」
目線を下に移し、丈の短いズボンについて指摘すると、妻が初めて買ってくれたスーツらしい。
「うるせーな。これは初就職の時、ハツが買ってくれたスーツなんだよ」
「フン。女の事ばっか考えてたらまた仕事、失敗してヨリも戻すクソもなくなるぜ」
銀時はやれやれと鼻を鳴らし、浮気調査を引き受けた。
つり革に捕まり、長谷川に言葉を投げかける。
「そっちは俺に任せて、アンタは、せいぜいまたクビにならないよう気をつけるんだな」
「………あんがとよ」
それと同時に、電車は駅のホームに着いた。
「銀さん、俺やるわ!!今度こそ、今度こそ幸せを、つかみとる!!」
遠回しに告げられた励ましの言葉に、長谷川は一念発起。
電車を降りる雑踏の中から手を上げる。
「ヘマすんなよ」
新たな一歩を踏み出した長谷川を見送り、銀時はつぶやいた。
銀時の声に応えるように、親指を立てる長谷川は突如、電車の段につまずく。
受け身を取ることもできずに転倒。
傍にいたサラリーマンや学生が、ざざっと逃げ散る。
ありえないほどに前のめりな走行。
パニックになって振り回される長谷川の手が、近くにいた女性の手を掴んだ。
ホームに鳴り響く警笛の音。
線路ギリギリまで転がった長谷川の視界に、電車が高速で迫ってきた。
転倒した勢いを両足で止めようと踏ん張るが、女性と手をつないでいるので無駄になる。
瞬間、長谷川は地を蹴った。
転倒しないギリギリのラインで女性を引っ張って、長谷川はホームを飛び越える。
刹那、物凄い勢いで電車が通り過ぎる。
人々は息を呑んで、最悪の展開を脳裏に過ぎらせた。
そこには、女性にキン肉バスターを浴びせる長谷川の姿。
相手の身体を逆さまに抱え上げ、首を肩口に乗せた状態で相手の両足を股裂きにしてクラッチ、そのまま高所から落下し、着地の衝撃でダメージを与える大技である。
「…………あれ?」
公衆の面前でパンツ丸見えとなった女性を逆さに抱え上げ、長谷川は何が起こったのか理解できないでいる。
だが、誰も気づかなかった、で済むほどに世の中は甘くなかった。
「キャアアアアアア!!痴漢よォォォォ!!」
誰かが痴漢と叫び、無秩序な叫び声と悲鳴が絡み合い、さらに長谷川を混乱させる。
「いやっ、違う!!これはっ…」
「キン肉バスターよ!!キン肉バスターだわ!!」
すぐさま駅員が駆けつけた時には、すでに痴漢の容疑者となっていた。
万事屋に帰ってきた銀時が、長谷川に新しい仕事が見つかったと聞かされて早々、驚愕の事実を伝えられる。
「はぁ!?長谷川さんが痴漢をした!?仕事が見つかって出勤したんじゃなかったの」
「実際にやったかは、俺も詳しくは見ていねーけどな…」
言った銀時も、眉をひそめて答える。
「少し、ややこしい事になってな。野次馬の話によると、長谷川さんが女にキン肉バスターという名の痴漢をしたんだとよ」
「ちょっと待って!全然、話が読めないんだけど!」
響古は衝撃の情報に触れて愕然とし、銀時は相変わらずの気だるい表情を浮かべている。
「痴漢なんだよね?なんでそれがキン肉バスターする羽目になったの!?」
「俺がしるかよ」
軽く惑乱気味の響古を横目に、銀時はガシガシと頭を掻いた。
長谷川本人がどう思うかは、聞いてみなければわからない。
四人は長谷川が拘留されている江戸の奉行所にやって来た。
すりガラスの向こう側にいる長谷川は無精ヒゲを生やし、手錠で拘束されている。
椅子に座っている彼の装いは、シャツに似た簡素な服だ。
「縄は持ってきてくれたか?」
沈痛な表情で聞かれて、響古は首を横に振る。
「残念ながら、売り切れてなかったわ。その代わり……」
すると、銀時が一通の封筒を差し出した。
以前、彼に頼まれた奥さんの不倫の調査書だ。
「ハイ、コレ。嫁さんの調査報告書。自分の目で確かめなよ」
「…シロか?クロか?」
「生きてりゃいいことあるさ」
「シロなのか?クロなのか?」
「明日は明日の風が吹く」
「だからシロか?クロか?」
「あれ?髪切った?」
「殺せよォォォォォ!!俺を殺せェェェェ!!」
クロと確認する前に自暴自棄になってしまった長谷川は激昂する。
「どうせ、俺なんか生きてたって、一生血みどろの
面会部屋に、あらゆる鬱屈に満ちた叫びが響く。
「お前もさァ、どうせ俺が痴漢したって疑ってんだろ!!そりゃそうだ、嫁さんにも見捨てられちまうような男だもんな!電車に、ひかれそうになって、気がついたらキン肉バスターなんて信じてくれるわきゃねーよな!!」
痴漢の容疑と不倫疑惑が重なったことで、焦燥感に堰き止められていた自虐の歯止めが利かなくなっていた。
打ちのめされ
「赤の他人のテメーらが無罪だなんて、あれは事故だなんて信じてくれるわきゃねーよな!!」
「バカヤロォォォ!!」
すると突然、銀時がすりガラスを突き破って長谷川を殴った。
「君ィィィ!!何やってんだァ!!」
驚いた監視官に羽交い絞めにされながらも、表情を険しくさせて声を張り上げる。
「赤の他人だと?そんな事思ってんなら、こんなトコ来やしねーよ。赤の他人と思ってんなら、どこブチ込まれようが死のうが構やしねーよ。赤の他人と思ってんなら…」
そう叫んで、彼の前に叩きつけるように出したのは痴漢モノのAV。
「こんなもん、貸し借りなんてしやしねーんだよ!!」
「完全に疑ってるよね!コレもう、確定してるよね!!」
変な誤解をされては困る。
確かに痴漢モノは好きだが、それは決して自分もやってみたいという願望ではないのだ。
「わかってるって。信じてる信じてる」
「ホントだよね!!ホント信じてるよね!!」
真摯な長谷川の訴えに、神楽は侮蔑をたっぷりと含んだ眼差しで見下ろす。
「しつけーな!!信じてるって言ってんだろーが、気持ちワリーんだヨ!!」
「人を信じてる目じゃないんだけど!!ゴミを見るような目つきなんだけど、この
「
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