第百二十四訓
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侍が犬だとすれば、忍は猫か。
極めて特殊な二つの生い立ちとでもいうべき職業である。
――犬は主人につく、忠義、信義、仁義、主人のためならば命も省 みない。
――奴らは美しく生きることに喜びを抱く。
美しく生きることに喜びを抱き、主人について絶対の忠誠を捧げ、主人のためならば命も省みない。
彼は言う、そんな侍は例えるならば犬だと。
――だがしかし、主を失えばたやすく道を失う。
幕府に放置される形となった侍が、今やホームレスとなっている。
プライドも尊厳も捨ててゴミをあさり、冷たいコンクリの地面に寝っ転がる。
複雑に入り組んだ雑居ビルを飛び越え、そんなことを考える。
――猫は違う。
――エサにさえありつけば、どんな主人にもすり寄っていく。
――俺達の生き方にも美も醜 もない。
――そこにあるのは。
外階段の踊り場で野良猫がエサを食べていると、
「ニギャアアア」
突如現れた人影に驚き、一目散に逃げ出した。
圧倒的な跳躍と執拗なまでの積み重ねからなる……そう一目で理解させられるほどの跳躍を行う。
――己の忍の技の執着のみ。
――己の技を絶対の美にまで昇華する事のみが。
己の忍の技へのみ執着し、己の技を絶対の美にまで昇華する事だけが至上の喜びと感じ、その生き方には美も醜もない。
――忍 の至上の悦び。
長い前髪で目を覆い隠し、服部は夜の歌舞伎町を駆ける。
――そうして今日も猫は、夜を跳ねるのだ。
日も暮れた真っ黒な空の下、服部は現在、宅配仕事に就いていた。
路面から電柱の頂、さらに民家の屋根を次々と蹴り、綺麗な放物線を描いて、服部は腕時計を見やる。
「よし、時間ジャスト。完璧な仕事だ」
仕事を完遂したことへの満足や安堵が生まれる。
着地しようとした瞬間、銀時の運転する原付にはねられ、服部は頭から地面に落ちた。
「ちょっ…びっくりしたァ」
銀時の後ろに乗る響古は驚いたように目をまばたきさせる。
「んだよ、またかよ。なんだこのバイクは?人を引き寄せるのか?」
「ぎゃああああ、痔がァァァ!!」
持病である痔に直接響くような鋭い痛みに悶絶する服部。
振り返ると、そこには憎らしい銀髪の男がいた。
「また、お前かァァ!!何ィ、お前は。俺の肛門に恨みでもあんのか!!」
「違うんだよ。バイクがお前の肛門に吸い込まれるようにさ」
「人のケツの穴を立体駐車場みたいに言うな!」
「つーか、尻に吸い込まれたくなんかねーよ」
響古は顔をしかめてつっこむ。
口論する間にも時間は進み、服部は近くにあった雑誌を手に駆け出す。
「!!ヤバイ、宅配の時間が…こうしちゃいられねェ!!」
「あっ、オイ」
――間に合うか…。
後ろから呼び止める声が聞こえたが、構ってはいられない。
服部は汗を滲ませながら疾走する。
ピザを注文した屋敷になんとか到着した服部は門の前に立ち、大声をあげる。
「すいませーん!宅配ピザ、ニンヌンピッツァでーす」
すると、重い扉を押し開けて、おかっぱ頭の少女が出迎えた。
「しーー。ばあや達にバレる、静かにせい」
人差し指を当て念を送られ、服部は言われた通り声をひそめて伝える。
「あの…ピザをお届けに参りました」
「それ、ジャンプじゃぞ」
少女が指差した先、自分の手元にあるジャンプをおそるおそる見る。
先程、銀時とぶつかった拍子に間違って取ってきたのだと思い至った。
「あんのボケェェェェ!!すいません、スグに引き返してとって…」
だが、少女は構わずにジャンプを受け取った。
「構わん。丁度、今週号が読みたかったところじゃ」
そして、服部に代金を渡す。
「ごくろーじゃった」
「…………」
「それからぬし、尻に災厄の相が出ておる。気をつけい」
そう言い残して少女は踵を返し、扉は閉められる。
「なにを…」
自分に告げられた不運に首を捻る。
気づいた時には、少女は屋敷の中に消えていた。
刹那、後ろからの衝突音に混じって、鈍く生々しい嫌な音がした。
原付の前輪が服部の尻めがけて突っ込んできた。
「オイ、俺のジャンプ返せ」
「探し回すのつき合わされて、やっと見つけた一冊なのよ」
下から上に駆け巡る痛みに、またしても服部は悶え苦しむ。
「ぎゃああああああ!!何!?何なの!?お前ホントに何なの!?」
「ピザ届に来てやったのに、その言い草はなんだ」
「銀、ヤバいわコレ。とろけそう」
ジャンプを取り返すために銀時は追ってきて、響古はピザを美味しそうに食べている。
口でとろけるチーズがマジ最高。
「あ、ズリーぞ響古。俺にもくれ」
「届けに来たって、なんで食べてんだよ!!」
「違うんだよ。ピザが勝手に俺の口に吸いこまれるようにさ」
「そーそー、ピザのせいよ」
「明らかにお前らが吸い込んでんだろ!!」
「違うんだよ、コレ、アレ、とろけそーだよ」
二人は熱々のピザを頬張り、トマトの酸味、ふっくらした生地、香ばしいチーズを堪能する。
「とろけてんのはお前らの脳髄だろ!!」
原付にぶつかってしまった挙句、宅配便のピザを勝手に頬張る二人に、服部は内心で不幸だと嘆いた。
――まったく、侍って奴にはロクな奴がいねェ。
嫌な記憶がよみがえる。
残り一冊のジャンプを取り合った銀髪の男――銀時。
彼と会うごとに何故か災難に見舞われている気がする。
――武士道だなんだ、キレイ事並べてる分、ああした輩に出会った時の印象は最悪だ。
――ジャイアンがいい事をすると、ものスゴクいい奴に見えるが、しずかちゃんが悪い事をすると、ものスゴク悪い奴に見えるのと同じ原理だ。
人気のない公衆トイレに入る足音が個室の前で止まり、声をかける。
――これを忍の世界では「ジャイアン映画版、なんかいい人に見える原理」と呼ぶ。
「首尾はどうだ?全蔵」
ズボンを下ろして便器に座る服部は間接的な肯定を返す。
「ちょろいな。ありゃ、ざるだ。どこからでも侵入できるぜ。何なら今晩にでも忍び入ってやろうか」
ジャンプを読んで拍子抜けした様子の服部は、退屈さを満面に表していた。
ピザを宅配した屋敷は、警備もそれに見合った厳重なものだ。
だが、服部はそれをなんなく突破できると確信する。
「流石は摩利支天の異名をとる忍の中の忍。やはり、お前を誘って正解だった」
「で、あのガキ、一体何者だ?才蔵…」
扉越しに問いかけると、かつての仲間である才蔵はニヤリと笑って口を開いた。
「天眼通の阿国 。幼少の頃より陰陽占術、易経卜占 。あらゆる占術を修め、あらゆる事象を予見し、託宣する神童と呼ばれる巫女」
――依頼人が一人、いつものように広い板の間に入ってくる。
――一段高くなった上段に座らせた少女の声による託宣を聞くために。
――阿国の両隣に座る老婆が祓串 を振って厳粛に託宣の儀を進める。
「裂威武戸株 を売り払うのじゃ!!堀右門 は数日中にパクられるぞ!!」
――そして、両目を布で覆い隠す幼い巫女はびしりと指を突きつける。
「阿国様、御託宣、ありがとうございました!これは、わずかばかりですが…」
――このお告げに依頼人の株主は深々と頭を下げ、多額の報酬を贈る。
「金のなる木だ。幾らでも利用しがいがある。今の俺の新しい御主人も、エラく御執心でね」
「人さらいってわけか…堕ちたねェ、俺達、お庭番も」
かつては影で暗躍していた忍者の身分の落差を憂い、自嘲する。
「だが、俺達にしかこんな芸当はできまい。己が狙われている事を予見している者をさらうなど、腕がならんか、全蔵?」
すると、個室の隙間から小さな箱が渡された。
依頼への報酬を渡して、才蔵は去っていく。
「そいつは前金だ。残りは仕事が片付いた後に渡す」
才蔵が服部に渡したもの……それは、CMで馴染みのある市販の痔の薬。
――まったく、忍って奴にもロクな奴はいねェ。
「……え?コレ…ボラギノールなんだけど。俺の報酬、ボラギノールなんだけど。ねェ…コレしかも中入ってないんだけど」
依頼内容と報酬の比率がかみ合わず、誰もいない個室で一人つっこむ服部。
しかも箱の中身は空っぽ。
「しかもコレ、注入タイプなんですけど。俺頼んだの、座薬タイプなんだけど」
頼んだ痔の薬で服部がぼやいている頃。
「…ふーん」
男子トイレから出てきた才蔵の姿をじっと見つめる第三者――ココアを飲む響古が盗み聞きしていた。
――長らく、非常な忍の世界から抜け、娑婆で生きていただけに、改めてひどい世界にいたことを痛感する。
――映画版ジャイアンを見た後にTV版ジャイアンを見た、感覚に近い。
――これを忍の世界では「やっぱ戻ってるよジャイアン。でも俺は、あの時のお前を忘れない現象」と呼ぶ。
膝丈の短い着物に黒羽織といった服装で、響古はにぎやかな江戸の街を原付で走らせていた。
途中、コンビニの駐車場に原付を停めると、ぶらぶらと歩く。
ぶらぶらと言っても、着物にブーツの足元はしっかりしている。
ただ「目的地を目指す」という意思がその足取りから感じられなかった。
やがて、ある屋敷の前で立ち止まった。
平均を大きく上回る屋敷は、ほとんど少女の独り暮らしのようなものだ。
自分の部屋に戻り、まず白衣と緋袴を脱ぐ。
こんな姑息な道具立てに影響されているとは思いたくないが、わざわざ「神童」を際立たせるように作られた巫女服を脱ぐと、少し気分が軽くなったような気がした。
そんな自分の心の動きに一度だけ首を振って、手早く着替えを済ませる。
しばし縁側でくつろいでいると、彼女がやって来た。
「――女の子なんだから、少女漫画を読もうとか思わないの?まァ、あたしの知ってる奴なんかは大人になってもまだジャンプを読んでる奴なんだけどね」
「……最近の少女漫画は過激だとかで、ばあや達がジャンプしか見せてくれんのじゃ」
「なるほど。わからなくもないわね」
阿国はここに至り、ようやく相手の顔を見た。
長く艶やかな黒髪を赤いリボンでポニーテールにまとめ、長身で豪奢なプロポーションと相まって、人の目を惹かずにはいられない魅惑的な雰囲気を醸し出していた。
それなのに、阿国は険しい眼差しで睨む。
「ここは余人が立ち入って場所ではない。去 ね。迅 く走りて二度と近づくな」
「余人ねェ……そう言ってるけど、アンタはどうなの?」
微かに微笑んで、響古は真上へと声をかけた。
すると、屋根の上から服部が現れ、反射的に顔をしかめる。
「……なんでお前がいるんだ」
極めて特殊な二つの生い立ちとでもいうべき職業である。
――犬は主人につく、忠義、信義、仁義、主人のためならば命も
――奴らは美しく生きることに喜びを抱く。
美しく生きることに喜びを抱き、主人について絶対の忠誠を捧げ、主人のためならば命も省みない。
彼は言う、そんな侍は例えるならば犬だと。
――だがしかし、主を失えばたやすく道を失う。
幕府に放置される形となった侍が、今やホームレスとなっている。
プライドも尊厳も捨ててゴミをあさり、冷たいコンクリの地面に寝っ転がる。
複雑に入り組んだ雑居ビルを飛び越え、そんなことを考える。
――猫は違う。
――エサにさえありつけば、どんな主人にもすり寄っていく。
――俺達の生き方にも美も
――そこにあるのは。
外階段の踊り場で野良猫がエサを食べていると、
「ニギャアアア」
突如現れた人影に驚き、一目散に逃げ出した。
圧倒的な跳躍と執拗なまでの積み重ねからなる……そう一目で理解させられるほどの跳躍を行う。
――己の忍の技の執着のみ。
――己の技を絶対の美にまで昇華する事のみが。
己の忍の技へのみ執着し、己の技を絶対の美にまで昇華する事だけが至上の喜びと感じ、その生き方には美も醜もない。
――
長い前髪で目を覆い隠し、服部は夜の歌舞伎町を駆ける。
――そうして今日も猫は、夜を跳ねるのだ。
日も暮れた真っ黒な空の下、服部は現在、宅配仕事に就いていた。
路面から電柱の頂、さらに民家の屋根を次々と蹴り、綺麗な放物線を描いて、服部は腕時計を見やる。
「よし、時間ジャスト。完璧な仕事だ」
仕事を完遂したことへの満足や安堵が生まれる。
着地しようとした瞬間、銀時の運転する原付にはねられ、服部は頭から地面に落ちた。
「ちょっ…びっくりしたァ」
銀時の後ろに乗る響古は驚いたように目をまばたきさせる。
「んだよ、またかよ。なんだこのバイクは?人を引き寄せるのか?」
「ぎゃああああ、痔がァァァ!!」
持病である痔に直接響くような鋭い痛みに悶絶する服部。
振り返ると、そこには憎らしい銀髪の男がいた。
「また、お前かァァ!!何ィ、お前は。俺の肛門に恨みでもあんのか!!」
「違うんだよ。バイクがお前の肛門に吸い込まれるようにさ」
「人のケツの穴を立体駐車場みたいに言うな!」
「つーか、尻に吸い込まれたくなんかねーよ」
響古は顔をしかめてつっこむ。
口論する間にも時間は進み、服部は近くにあった雑誌を手に駆け出す。
「!!ヤバイ、宅配の時間が…こうしちゃいられねェ!!」
「あっ、オイ」
――間に合うか…。
後ろから呼び止める声が聞こえたが、構ってはいられない。
服部は汗を滲ませながら疾走する。
ピザを注文した屋敷になんとか到着した服部は門の前に立ち、大声をあげる。
「すいませーん!宅配ピザ、ニンヌンピッツァでーす」
すると、重い扉を押し開けて、おかっぱ頭の少女が出迎えた。
「しーー。ばあや達にバレる、静かにせい」
人差し指を当て念を送られ、服部は言われた通り声をひそめて伝える。
「あの…ピザをお届けに参りました」
「それ、ジャンプじゃぞ」
少女が指差した先、自分の手元にあるジャンプをおそるおそる見る。
先程、銀時とぶつかった拍子に間違って取ってきたのだと思い至った。
「あんのボケェェェェ!!すいません、スグに引き返してとって…」
だが、少女は構わずにジャンプを受け取った。
「構わん。丁度、今週号が読みたかったところじゃ」
そして、服部に代金を渡す。
「ごくろーじゃった」
「…………」
「それからぬし、尻に災厄の相が出ておる。気をつけい」
そう言い残して少女は踵を返し、扉は閉められる。
「なにを…」
自分に告げられた不運に首を捻る。
気づいた時には、少女は屋敷の中に消えていた。
刹那、後ろからの衝突音に混じって、鈍く生々しい嫌な音がした。
原付の前輪が服部の尻めがけて突っ込んできた。
「オイ、俺のジャンプ返せ」
「探し回すのつき合わされて、やっと見つけた一冊なのよ」
下から上に駆け巡る痛みに、またしても服部は悶え苦しむ。
「ぎゃああああああ!!何!?何なの!?お前ホントに何なの!?」
「ピザ届に来てやったのに、その言い草はなんだ」
「銀、ヤバいわコレ。とろけそう」
ジャンプを取り返すために銀時は追ってきて、響古はピザを美味しそうに食べている。
口でとろけるチーズがマジ最高。
「あ、ズリーぞ響古。俺にもくれ」
「届けに来たって、なんで食べてんだよ!!」
「違うんだよ。ピザが勝手に俺の口に吸いこまれるようにさ」
「そーそー、ピザのせいよ」
「明らかにお前らが吸い込んでんだろ!!」
「違うんだよ、コレ、アレ、とろけそーだよ」
二人は熱々のピザを頬張り、トマトの酸味、ふっくらした生地、香ばしいチーズを堪能する。
「とろけてんのはお前らの脳髄だろ!!」
原付にぶつかってしまった挙句、宅配便のピザを勝手に頬張る二人に、服部は内心で不幸だと嘆いた。
――まったく、侍って奴にはロクな奴がいねェ。
嫌な記憶がよみがえる。
残り一冊のジャンプを取り合った銀髪の男――銀時。
彼と会うごとに何故か災難に見舞われている気がする。
――武士道だなんだ、キレイ事並べてる分、ああした輩に出会った時の印象は最悪だ。
――ジャイアンがいい事をすると、ものスゴクいい奴に見えるが、しずかちゃんが悪い事をすると、ものスゴク悪い奴に見えるのと同じ原理だ。
人気のない公衆トイレに入る足音が個室の前で止まり、声をかける。
――これを忍の世界では「ジャイアン映画版、なんかいい人に見える原理」と呼ぶ。
「首尾はどうだ?全蔵」
ズボンを下ろして便器に座る服部は間接的な肯定を返す。
「ちょろいな。ありゃ、ざるだ。どこからでも侵入できるぜ。何なら今晩にでも忍び入ってやろうか」
ジャンプを読んで拍子抜けした様子の服部は、退屈さを満面に表していた。
ピザを宅配した屋敷は、警備もそれに見合った厳重なものだ。
だが、服部はそれをなんなく突破できると確信する。
「流石は摩利支天の異名をとる忍の中の忍。やはり、お前を誘って正解だった」
「で、あのガキ、一体何者だ?才蔵…」
扉越しに問いかけると、かつての仲間である才蔵はニヤリと笑って口を開いた。
「天眼通の
――依頼人が一人、いつものように広い板の間に入ってくる。
――一段高くなった上段に座らせた少女の声による託宣を聞くために。
――阿国の両隣に座る老婆が
「
――そして、両目を布で覆い隠す幼い巫女はびしりと指を突きつける。
「阿国様、御託宣、ありがとうございました!これは、わずかばかりですが…」
――このお告げに依頼人の株主は深々と頭を下げ、多額の報酬を贈る。
「金のなる木だ。幾らでも利用しがいがある。今の俺の新しい御主人も、エラく御執心でね」
「人さらいってわけか…堕ちたねェ、俺達、お庭番も」
かつては影で暗躍していた忍者の身分の落差を憂い、自嘲する。
「だが、俺達にしかこんな芸当はできまい。己が狙われている事を予見している者をさらうなど、腕がならんか、全蔵?」
すると、個室の隙間から小さな箱が渡された。
依頼への報酬を渡して、才蔵は去っていく。
「そいつは前金だ。残りは仕事が片付いた後に渡す」
才蔵が服部に渡したもの……それは、CMで馴染みのある市販の痔の薬。
――まったく、忍って奴にもロクな奴はいねェ。
「……え?コレ…ボラギノールなんだけど。俺の報酬、ボラギノールなんだけど。ねェ…コレしかも中入ってないんだけど」
依頼内容と報酬の比率がかみ合わず、誰もいない個室で一人つっこむ服部。
しかも箱の中身は空っぽ。
「しかもコレ、注入タイプなんですけど。俺頼んだの、座薬タイプなんだけど」
頼んだ痔の薬で服部がぼやいている頃。
「…ふーん」
男子トイレから出てきた才蔵の姿をじっと見つめる第三者――ココアを飲む響古が盗み聞きしていた。
――長らく、非常な忍の世界から抜け、娑婆で生きていただけに、改めてひどい世界にいたことを痛感する。
――映画版ジャイアンを見た後にTV版ジャイアンを見た、感覚に近い。
――これを忍の世界では「やっぱ戻ってるよジャイアン。でも俺は、あの時のお前を忘れない現象」と呼ぶ。
膝丈の短い着物に黒羽織といった服装で、響古はにぎやかな江戸の街を原付で走らせていた。
途中、コンビニの駐車場に原付を停めると、ぶらぶらと歩く。
ぶらぶらと言っても、着物にブーツの足元はしっかりしている。
ただ「目的地を目指す」という意思がその足取りから感じられなかった。
やがて、ある屋敷の前で立ち止まった。
平均を大きく上回る屋敷は、ほとんど少女の独り暮らしのようなものだ。
自分の部屋に戻り、まず白衣と緋袴を脱ぐ。
こんな姑息な道具立てに影響されているとは思いたくないが、わざわざ「神童」を際立たせるように作られた巫女服を脱ぐと、少し気分が軽くなったような気がした。
そんな自分の心の動きに一度だけ首を振って、手早く着替えを済ませる。
しばし縁側でくつろいでいると、彼女がやって来た。
「――女の子なんだから、少女漫画を読もうとか思わないの?まァ、あたしの知ってる奴なんかは大人になってもまだジャンプを読んでる奴なんだけどね」
「……最近の少女漫画は過激だとかで、ばあや達がジャンプしか見せてくれんのじゃ」
「なるほど。わからなくもないわね」
阿国はここに至り、ようやく相手の顔を見た。
長く艶やかな黒髪を赤いリボンでポニーテールにまとめ、長身で豪奢なプロポーションと相まって、人の目を惹かずにはいられない魅惑的な雰囲気を醸し出していた。
それなのに、阿国は険しい眼差しで睨む。
「ここは余人が立ち入って場所ではない。
「余人ねェ……そう言ってるけど、アンタはどうなの?」
微かに微笑んで、響古は真上へと声をかけた。
すると、屋根の上から服部が現れ、反射的に顔をしかめる。
「……なんでお前がいるんだ」