バブ89
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カンカン、と音高い木槌の音色が響き渡った。
「静粛に!!」
正面にそびえていた高い台が存在感を増し、そのてっぺんに腰かけていた一人の影を浮かび上がらせる。
それは黒のマントを纏った裁判長の古市であった。
「それではこれより『そろそろ男鹿も最強とか呼ばなくていいんじゃね?だって、こいつボロ負けしたし。響古の方がよっぽど強いじゃん』裁判をとり行います!!」
長々とした題名で、古市は声高に言い募る。
「被告、ヘタレうんこ男鹿は前へ!!」
被告人の男鹿は証言台に立たされた。
彼の周囲を影が覆い、改めて無実を告げる。
「オレはやってない。オレは無実だ…」
「裁判長!!よろしいですか…?」
左側の机から、スーツを着たヒルダが手を挙げる。
「被害者、ヒルデガルダ君」
「被告ヘタレうんこ男鹿は今『やってない』と証言しましたが、正確には『何も出来なかった』の間違いです」
男鹿の発言を訂正し、改めて罪状を突きつける。
「よって、ここに被告の名前を『ヘタレうんこ』から『ヘタレうんこビチクソ弱虫』に改める事を申請します」
弱いことを自覚はしているが、そのひどい異名に男鹿は慌てて反論した。
「異議あり!!その名は何も新しい要素のない意味のない改名です!!」
「申請を許可します」
古市は間を置かず、きっぱりと答える。
「何故だぁぁぁぁぁっ!!古市、てめーぶっ殺すぞ!!」
その迷いのなさに、男鹿は恨みがましい視線を投げかける。
「裁判長っ!!」
すると、弁護士側のアランドロンが挙手した。
「弁護人、アランドロン」
「お腹が痛くなってきました!!トイレに行ってもいいですか!?」
「ダメです」
古市は冷たい表情で却下する。
傍聴席から神崎が挙手し、古市は再び冷めた声で言った。
「異議なしっ!!」
「異議のない人は黙ってて下さい」
彼らはつまりこの裁判所で最近、喧嘩に負けている男鹿を糾弾し、弱いという証拠を引き出したいのだろう。
男鹿は憮然と唇を引き結ぶ。
――くっ…夢か…夢だな、これ…。
焦りを感じながらも平静を装い、これが夢だと理解する。
「……っ」
だが、夢にしては妙な迫力があった。
――なんてパンチのきいた夢だ…!!
とにかく、彼に拒否権はないらしい。
夢だと気づく前はせいぜい罵られる程度だと思っていたのだが、少々予測が甘かったようだ。
とはいえ心の中でいくらぼやいてみても事態はいっこうに開けはしないので、説明を求めて向き直った。
「では、検察官きそじょーを…」
「はい」
古市に促され、検察官のラミアが起訴状を読み上げる。
「きそじょー。被告『ヘタレうんこビチクソ弱虫』は、最強だのアバレオーガだのと呼ばれてますが、ここのところ負け続きで、全然ダメダメだという事をここに賞します」
起訴状の内容に、傍聴席に座る全員が頷いて共感した。
「それとは反対にお姉様は強いです。美しいです。被告『ヘタレうんこビチクソ弱虫』の彼女だとか不思議なくらいです。正直もう、主人公とか彼氏とか名乗るのもおこがましいのではないでしょうか?」
傍聴席からギャラリーが大盛り上がりし、喚き立てる。
存分に野次が飛ぶのを見届けてから、ラミアはもったいぶった様子で言葉を継いだ。
「そうやって私達を幻滅させ続けた事は万死にあたいすると思います。よって、私は彼に…っ、チュッパチャプシングの刑を求刑しますっ!!!」
刑法には載っていない謎の処罰に、しかし法廷が一気にざわめく。
「チュ…チュッパチャプシング…」
「チュッパチャプシングだと…」
「なんて恐ろしい…」
その時、古市が音高く木槌を打ち鳴らした。
「被告『ヘタレうんこビチクソ弱虫』何か言う事はありますか?」
「えーと…えーとね…」
解かなければならない謎が多すぎて、一体どこから手をつければいいのか、男鹿は迷った。
「チュッパチャプシングの刑って…なんだぁあああっっ!!!」
男鹿も相当困惑していたのだろうか。
迷った末に選んだ質問。
しかし、回答者は男鹿の予想の斜め上をいった。
「裁判長…私が説明しましょう」
次に現れたのが、眼鏡をかけてスーツを着た東条。
「うむ、ウルトラ検察官東条君…」
「チュッパチャプシングの刑とは、そもそも」
「ウルトラ検察官ってなんだぁああっっ!!」
「お前、調子のってんじゃねーぞ。そんなに負け続けるなら石矢魔最強は返上して貰おーか。という意味で」
「それ、ただのお前の要求じゃねーかっ!!」
「付け加えると、最凶彼氏と最強彼女の称号をオレにゆずって貰おーか」
「やらねーぞ!響古は絶対、お前なんかにやらねーからな!!」
遠慮のない要求に、遠慮のない拒絶。
証言台へと全力の蹴りをぶち込んで、バキリと真っ二つに割れた。
「異議なしっ!!」
「おめーは黙ってろっつってんだろ!!」
再び神崎が挙手して、古市は声を荒げる。
――くっ…いくら夢とはいえ、何か反論しねーと…。
――そーいえば、響古はどこに…!?
「響古はどこにいるんだ!?」
無意識の内に本題の先送りを図っていた古市は、男鹿の問いかけにグッと息を詰まらせたが、なんとか不自然にならない程度の間で会話を再開した。
「……やはり気になりますか、彼女は我々が保護しています。あれを見てください」
くいっと顎を動かす。
その先に、響古はいた。
椅子に身体をくくりつけられていた。
「もごごー!」
さらには、口にさるぐつわがしてある。
響古を椅子にくくりつけていたのは縄だ。
見かけよりかなり頑丈で、響古がいくらもがこうともびくともしない。
「そっちの方が犯罪じゃねーの!?」
目を剥いて指差す男鹿に、ヒルダが重々しい口調で続ける。
「頭脳明晰、容姿端麗、文武両道…それだけでも凄いのに、極度のヤンデレとして有名なのだから。そのまま放置しておくといずれ、我々を……これ以上は恐ろしくて言えない」
傍聴席のギャラリーがわかりやすく息を呑んで、さっと顔色を変える。
ようやくざわめきがほんの少し静まった頃、男鹿へと顔を向けた。
「さて、どうする。被告『ヘタレうんこビチクソ弱虫』。刑を執行する前に、何か言う事はあるか?」
古市の台詞は、動けなくなった男鹿に対する助け船のつもりでかけられたものだった。
確かにそれは男鹿にとって立ち往生から抜け出す決め手となった。
ただし、合意ではなく決裂の方向へ。
「べっ…弁護人っ!!弁護人、アランドロン!!反論を!!」
「トイレに行きました」
「ダメって言われたじゃんっっ!!」
逃げ道を塞がれた男鹿は、傍聴席に座る石矢魔組へ視線を向ける。
「くそっ…!!誰か、他にいないのかっ!!オレの弁護をする奴!!誰でもいいっ!!全員こっち向け、こらっっ!!」
自分に罪はないと弁護、裁判長を説得させようと必死だ。
ところが、全員が男鹿と目を合わせようとしない。
「何を言っておられる…弁護人ならいるではないですか…ずっと、あなたのそばに…」
すると、書記官のフォルカスが口を開いた。
彼の背後で照明が点 され、弁護人の顔を見た途端に失念の色が浮かんだ。
――…ダ…ダメだ………っ!!
「弁護人、ベル坊君!!」
「――…」
誰もが小さな弁護人に注目する中、ベル坊が第一声を発する。
「ダッ」
まだ赤ん坊なので、言葉が話せない。
「………せめて喋る人を、喋れる人をお願いしますっ……!!!」
「アダーッ」
飛び出した辛辣な言葉が、何故かこの場限りでは妥当なコメントに思えた。
ちゅん、ちゅん、と小鳥のさえずり。
爽やかな朝の日差しが、窓から差し込んでいる。
「――…」
男鹿は涙目で目を覚ました。
潤んだ視界に映るのは1階のリビング。
ソファで一夜を過ごし、悪夢を見ていたらしく固まる横で、布団にくるまるベル坊は微かな寝息を立てている。
「なげーよ…」
涼しげな秋の朝。
見上げれば空は青く、雲がゆっくりと通り過ぎていく。
しかし、響古は爽やかとはほど遠い心境だった。
当たり前だろう。
昨日までベヘモット柱師団と夜通し戦い、そのあげく葵を巻き込んでヒルダに深手を負ってしまった。
だが、何はともあれ生還できたのは事実だった。
「――よしっ!」
気合いを入れ、玄関の扉を開けて男鹿家に足を踏み入れる。
彼女専用のスリッパに履き替えていると、美咲と出くわした。
「あら、響古ちゃん、おはよう」
「美咲さん、おはようございます」
すると、美咲は困ったように笑って手招きする。
「ちょっといい?」
「え?あ、はい。構いませんよ」
響古が戸惑いながら頷くと、美咲は階段を登りながら口を開く。
「けっこう大変そうだから。あたしが口出しする事じゃないかもって思ったんだけど、辰巳のあんな顔を見たら……ちょっとね」
響古はその言葉にハッとして、美咲の後ろ姿を見上げた。
彼女の部屋に到着し、美咲は自分の椅子のクッションの上に、
「うんしょ」
と座る。
「びっくりしちゃった。何があったの?あんなの辰巳じゃないわよ」
えっ、と驚く。
不安と心配が湧き上がり、渡された座布団に正座する響古は胸を押さえて静かに訊ねた。
「……辰巳は、どんな様子でした?」
美咲は驚いたのち、眉を険しく寄せる。
「なあに。もしかして響古ちゃん、うちの弟が今どんなふうなのか、全然まったく知らないの?それは、ひどいんじゃないかな」
響古は美咲の言葉に罪悪感を刺激され、情けなさにうつむいた。
「…昨日は普段と変わらない様子でした……だから、あたしも驚いてます」
「抜け殻」
最初、その一語が何を指すのかわからなかった。
「抜け殻……?」
響古が聞き返すと、
「むー」
美咲は不機嫌に睨みつけてきた。
「まったく、もう。あんなにボロボロになって二人が帰って来る時は、決まって何かが起こるわよねぇ――あいつの様子」
「え……?」
「抜け殻みたいだった。顔色は悪いし、何をやっても上の空だし。信じられる?あの辰巳が。自信とかプライドとかを全部なくして、代わりに無気力をつめ込んだってカンジ」
響古は男鹿のそんな姿なんて想像もできないし、思い浮かべようとしただけで、たまらなくなった。
美咲がふと優しい表情をして、聞いてくる。
「昨日、何があったの?」
「……それは――」
響古は真摯な眼差しに気圧され、ぽつぽつと語り始めた。
葵を巻き込み、ヒルダに重傷を負わせ、男鹿と自分でさえ全く相手にならなかった一夜の出来事――。
あの時の、男鹿の真剣な眼差しを思い出す。
嫉妬半分、嘆き半分の、いつも強くて不遜な彼らしくない弱気に揺れる瞳。
あの瞳を見ていたのに、何かを求めていたのくらい、わかっていたはずなのに。
大筋をざっと話し終えると、目をつむって静かに聞いていた美咲は、瞼を上げる。
「なるほど。あいつ、響古ちゃんの前でいい格好ができなかったから、あんなに落ち込んでたのね。たぶんその前に傷ついてけっこう弱ってんたんだろうし、余計に――もう、お互いの事が大好きなんだから。もっとガーッといけばいいのに」
「ガーッと、ですか…?」
「うん、そうそう。二人とも、お互いの事ばっかり考えてるのに……あの時だってそーよ」
ああ、と思い当たる。
ベル坊が王熱病という風邪にかかった時、美咲に"黒雪姫"の名と弱さを打ち明けた。
「響古ちゃんは、とっても幸せなんだから。響古ちゃんは、今のあいつの全てなんだよ。響古ちゃんが、今のあいつの全てなのとおんなじようにね」
響古は昨夜の男鹿との会話を思い出し、身体の底から湧き上がる衝動に震える。
抱いた少年から零れる弱音に驚き、漏れる嗚咽に戸惑う。
「……」
締めつけられるよりも強く、貫かれるよりも激しく、その胸に痛みを覚える。
だが、それを収める方法を知っていた。
教えてもらっていた。
「――美咲さん」
あの、少年に。
今度は、自分がそうできることの、なんという喜びと、切なさ。
自分の前にあって震え、たまらなく愛しい。
共にあるのが当然のように、それで一つの形のように、男鹿を強く抱いた。
「ごめんなさい。あたし達の事を気にしてくれて、ありがとうございます。美咲さんと話して、だいぶ気分がすっきりしました」
「うん。頑張って。ガーッてね」
響古は身を翻して、ヒルダの見舞いに部屋を訪れた。
「静粛に!!」
正面にそびえていた高い台が存在感を増し、そのてっぺんに腰かけていた一人の影を浮かび上がらせる。
それは黒のマントを纏った裁判長の古市であった。
「それではこれより『そろそろ男鹿も最強とか呼ばなくていいんじゃね?だって、こいつボロ負けしたし。響古の方がよっぽど強いじゃん』裁判をとり行います!!」
長々とした題名で、古市は声高に言い募る。
「被告、ヘタレうんこ男鹿は前へ!!」
被告人の男鹿は証言台に立たされた。
彼の周囲を影が覆い、改めて無実を告げる。
「オレはやってない。オレは無実だ…」
「裁判長!!よろしいですか…?」
左側の机から、スーツを着たヒルダが手を挙げる。
「被害者、ヒルデガルダ君」
「被告ヘタレうんこ男鹿は今『やってない』と証言しましたが、正確には『何も出来なかった』の間違いです」
男鹿の発言を訂正し、改めて罪状を突きつける。
「よって、ここに被告の名前を『ヘタレうんこ』から『ヘタレうんこビチクソ弱虫』に改める事を申請します」
弱いことを自覚はしているが、そのひどい異名に男鹿は慌てて反論した。
「異議あり!!その名は何も新しい要素のない意味のない改名です!!」
「申請を許可します」
古市は間を置かず、きっぱりと答える。
「何故だぁぁぁぁぁっ!!古市、てめーぶっ殺すぞ!!」
その迷いのなさに、男鹿は恨みがましい視線を投げかける。
「裁判長っ!!」
すると、弁護士側のアランドロンが挙手した。
「弁護人、アランドロン」
「お腹が痛くなってきました!!トイレに行ってもいいですか!?」
「ダメです」
古市は冷たい表情で却下する。
傍聴席から神崎が挙手し、古市は再び冷めた声で言った。
「異議なしっ!!」
「異議のない人は黙ってて下さい」
彼らはつまりこの裁判所で最近、喧嘩に負けている男鹿を糾弾し、弱いという証拠を引き出したいのだろう。
男鹿は憮然と唇を引き結ぶ。
――くっ…夢か…夢だな、これ…。
焦りを感じながらも平静を装い、これが夢だと理解する。
「……っ」
だが、夢にしては妙な迫力があった。
――なんてパンチのきいた夢だ…!!
とにかく、彼に拒否権はないらしい。
夢だと気づく前はせいぜい罵られる程度だと思っていたのだが、少々予測が甘かったようだ。
とはいえ心の中でいくらぼやいてみても事態はいっこうに開けはしないので、説明を求めて向き直った。
「では、検察官きそじょーを…」
「はい」
古市に促され、検察官のラミアが起訴状を読み上げる。
「きそじょー。被告『ヘタレうんこビチクソ弱虫』は、最強だのアバレオーガだのと呼ばれてますが、ここのところ負け続きで、全然ダメダメだという事をここに賞します」
起訴状の内容に、傍聴席に座る全員が頷いて共感した。
「それとは反対にお姉様は強いです。美しいです。被告『ヘタレうんこビチクソ弱虫』の彼女だとか不思議なくらいです。正直もう、主人公とか彼氏とか名乗るのもおこがましいのではないでしょうか?」
傍聴席からギャラリーが大盛り上がりし、喚き立てる。
存分に野次が飛ぶのを見届けてから、ラミアはもったいぶった様子で言葉を継いだ。
「そうやって私達を幻滅させ続けた事は万死にあたいすると思います。よって、私は彼に…っ、チュッパチャプシングの刑を求刑しますっ!!!」
刑法には載っていない謎の処罰に、しかし法廷が一気にざわめく。
「チュ…チュッパチャプシング…」
「チュッパチャプシングだと…」
「なんて恐ろしい…」
その時、古市が音高く木槌を打ち鳴らした。
「被告『ヘタレうんこビチクソ弱虫』何か言う事はありますか?」
「えーと…えーとね…」
解かなければならない謎が多すぎて、一体どこから手をつければいいのか、男鹿は迷った。
「チュッパチャプシングの刑って…なんだぁあああっっ!!!」
男鹿も相当困惑していたのだろうか。
迷った末に選んだ質問。
しかし、回答者は男鹿の予想の斜め上をいった。
「裁判長…私が説明しましょう」
次に現れたのが、眼鏡をかけてスーツを着た東条。
「うむ、ウルトラ検察官東条君…」
「チュッパチャプシングの刑とは、そもそも」
「ウルトラ検察官ってなんだぁああっっ!!」
「お前、調子のってんじゃねーぞ。そんなに負け続けるなら石矢魔最強は返上して貰おーか。という意味で」
「それ、ただのお前の要求じゃねーかっ!!」
「付け加えると、最凶彼氏と最強彼女の称号をオレにゆずって貰おーか」
「やらねーぞ!響古は絶対、お前なんかにやらねーからな!!」
遠慮のない要求に、遠慮のない拒絶。
証言台へと全力の蹴りをぶち込んで、バキリと真っ二つに割れた。
「異議なしっ!!」
「おめーは黙ってろっつってんだろ!!」
再び神崎が挙手して、古市は声を荒げる。
――くっ…いくら夢とはいえ、何か反論しねーと…。
――そーいえば、響古はどこに…!?
「響古はどこにいるんだ!?」
無意識の内に本題の先送りを図っていた古市は、男鹿の問いかけにグッと息を詰まらせたが、なんとか不自然にならない程度の間で会話を再開した。
「……やはり気になりますか、彼女は我々が保護しています。あれを見てください」
くいっと顎を動かす。
その先に、響古はいた。
椅子に身体をくくりつけられていた。
「もごごー!」
さらには、口にさるぐつわがしてある。
響古を椅子にくくりつけていたのは縄だ。
見かけよりかなり頑丈で、響古がいくらもがこうともびくともしない。
「そっちの方が犯罪じゃねーの!?」
目を剥いて指差す男鹿に、ヒルダが重々しい口調で続ける。
「頭脳明晰、容姿端麗、文武両道…それだけでも凄いのに、極度のヤンデレとして有名なのだから。そのまま放置しておくといずれ、我々を……これ以上は恐ろしくて言えない」
傍聴席のギャラリーがわかりやすく息を呑んで、さっと顔色を変える。
ようやくざわめきがほんの少し静まった頃、男鹿へと顔を向けた。
「さて、どうする。被告『ヘタレうんこビチクソ弱虫』。刑を執行する前に、何か言う事はあるか?」
古市の台詞は、動けなくなった男鹿に対する助け船のつもりでかけられたものだった。
確かにそれは男鹿にとって立ち往生から抜け出す決め手となった。
ただし、合意ではなく決裂の方向へ。
「べっ…弁護人っ!!弁護人、アランドロン!!反論を!!」
「トイレに行きました」
「ダメって言われたじゃんっっ!!」
逃げ道を塞がれた男鹿は、傍聴席に座る石矢魔組へ視線を向ける。
「くそっ…!!誰か、他にいないのかっ!!オレの弁護をする奴!!誰でもいいっ!!全員こっち向け、こらっっ!!」
自分に罪はないと弁護、裁判長を説得させようと必死だ。
ところが、全員が男鹿と目を合わせようとしない。
「何を言っておられる…弁護人ならいるではないですか…ずっと、あなたのそばに…」
すると、書記官のフォルカスが口を開いた。
彼の背後で照明が
――…ダ…ダメだ………っ!!
「弁護人、ベル坊君!!」
「――…」
誰もが小さな弁護人に注目する中、ベル坊が第一声を発する。
「ダッ」
まだ赤ん坊なので、言葉が話せない。
「………せめて喋る人を、喋れる人をお願いしますっ……!!!」
「アダーッ」
飛び出した辛辣な言葉が、何故かこの場限りでは妥当なコメントに思えた。
ちゅん、ちゅん、と小鳥のさえずり。
爽やかな朝の日差しが、窓から差し込んでいる。
「――…」
男鹿は涙目で目を覚ました。
潤んだ視界に映るのは1階のリビング。
ソファで一夜を過ごし、悪夢を見ていたらしく固まる横で、布団にくるまるベル坊は微かな寝息を立てている。
「なげーよ…」
涼しげな秋の朝。
見上げれば空は青く、雲がゆっくりと通り過ぎていく。
しかし、響古は爽やかとはほど遠い心境だった。
当たり前だろう。
昨日までベヘモット柱師団と夜通し戦い、そのあげく葵を巻き込んでヒルダに深手を負ってしまった。
だが、何はともあれ生還できたのは事実だった。
「――よしっ!」
気合いを入れ、玄関の扉を開けて男鹿家に足を踏み入れる。
彼女専用のスリッパに履き替えていると、美咲と出くわした。
「あら、響古ちゃん、おはよう」
「美咲さん、おはようございます」
すると、美咲は困ったように笑って手招きする。
「ちょっといい?」
「え?あ、はい。構いませんよ」
響古が戸惑いながら頷くと、美咲は階段を登りながら口を開く。
「けっこう大変そうだから。あたしが口出しする事じゃないかもって思ったんだけど、辰巳のあんな顔を見たら……ちょっとね」
響古はその言葉にハッとして、美咲の後ろ姿を見上げた。
彼女の部屋に到着し、美咲は自分の椅子のクッションの上に、
「うんしょ」
と座る。
「びっくりしちゃった。何があったの?あんなの辰巳じゃないわよ」
えっ、と驚く。
不安と心配が湧き上がり、渡された座布団に正座する響古は胸を押さえて静かに訊ねた。
「……辰巳は、どんな様子でした?」
美咲は驚いたのち、眉を険しく寄せる。
「なあに。もしかして響古ちゃん、うちの弟が今どんなふうなのか、全然まったく知らないの?それは、ひどいんじゃないかな」
響古は美咲の言葉に罪悪感を刺激され、情けなさにうつむいた。
「…昨日は普段と変わらない様子でした……だから、あたしも驚いてます」
「抜け殻」
最初、その一語が何を指すのかわからなかった。
「抜け殻……?」
響古が聞き返すと、
「むー」
美咲は不機嫌に睨みつけてきた。
「まったく、もう。あんなにボロボロになって二人が帰って来る時は、決まって何かが起こるわよねぇ――あいつの様子」
「え……?」
「抜け殻みたいだった。顔色は悪いし、何をやっても上の空だし。信じられる?あの辰巳が。自信とかプライドとかを全部なくして、代わりに無気力をつめ込んだってカンジ」
響古は男鹿のそんな姿なんて想像もできないし、思い浮かべようとしただけで、たまらなくなった。
美咲がふと優しい表情をして、聞いてくる。
「昨日、何があったの?」
「……それは――」
響古は真摯な眼差しに気圧され、ぽつぽつと語り始めた。
葵を巻き込み、ヒルダに重傷を負わせ、男鹿と自分でさえ全く相手にならなかった一夜の出来事――。
あの時の、男鹿の真剣な眼差しを思い出す。
嫉妬半分、嘆き半分の、いつも強くて不遜な彼らしくない弱気に揺れる瞳。
あの瞳を見ていたのに、何かを求めていたのくらい、わかっていたはずなのに。
大筋をざっと話し終えると、目をつむって静かに聞いていた美咲は、瞼を上げる。
「なるほど。あいつ、響古ちゃんの前でいい格好ができなかったから、あんなに落ち込んでたのね。たぶんその前に傷ついてけっこう弱ってんたんだろうし、余計に――もう、お互いの事が大好きなんだから。もっとガーッといけばいいのに」
「ガーッと、ですか…?」
「うん、そうそう。二人とも、お互いの事ばっかり考えてるのに……あの時だってそーよ」
ああ、と思い当たる。
ベル坊が王熱病という風邪にかかった時、美咲に"黒雪姫"の名と弱さを打ち明けた。
「響古ちゃんは、とっても幸せなんだから。響古ちゃんは、今のあいつの全てなんだよ。響古ちゃんが、今のあいつの全てなのとおんなじようにね」
響古は昨夜の男鹿との会話を思い出し、身体の底から湧き上がる衝動に震える。
抱いた少年から零れる弱音に驚き、漏れる嗚咽に戸惑う。
「……」
締めつけられるよりも強く、貫かれるよりも激しく、その胸に痛みを覚える。
だが、それを収める方法を知っていた。
教えてもらっていた。
「――美咲さん」
あの、少年に。
今度は、自分がそうできることの、なんという喜びと、切なさ。
自分の前にあって震え、たまらなく愛しい。
共にあるのが当然のように、それで一つの形のように、男鹿を強く抱いた。
「ごめんなさい。あたし達の事を気にしてくれて、ありがとうございます。美咲さんと話して、だいぶ気分がすっきりしました」
「うん。頑張って。ガーッてね」
響古は身を翻して、ヒルダの見舞いに部屋を訪れた。