バブ83
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ベル坊の兄の突然の来日。
その事態に大騒ぎのどうにか無事に終了し、焔王が帰る頃にはすっかり夜である。
「ふー。しかし…」
玄関の扉を閉めながら、一気に力が抜けた古市はやれやれと溜め息をついた。
――えらい事になったな…ベル坊の兄貴――…か。
――人間滅ぼすとかもう、冗談みたいに思ってたケド。
二人の付き添いで巻き込まれた少年は悩み、途方に暮れる。
「みんな、帰ったの?」
妹と短く言葉を交わしてその場をやり過ごし、靴を脱いで自室へとつながる階段を目指す。
――ヒルダさんやベル坊も、そういや、そのために来てたんだもんなー。
――つーか、邦枝先輩も何も聞かずに帰っちゃうし…邦枝先輩――…!?
部屋には男鹿や響古の契約者・悪魔だけでなく、気絶した葵もいたことを思い出し、目を丸くした後、ドキドキと脈打つ胸を意識する。
――オレのベッドで、寝てたんだよな…いかん、いかんぞ、貴之!!
――何を考えている…!
そして理性と男の本能の狭間で古市は葛藤する。
緊張した面持ちでごっくんと生唾を呑んだ。
(いや、しかし…!!今なら確実に残っているはずだ…!!邦枝先輩の温もり…!!というか、あれだし、オレのベッドだし!!ちょっと疲れたから、横になりたいだけだし!!)
――全然、普通だし!!
そんなどうしようもない古市の葛藤は脆く崩れ、誰に対しての弁解なのか叫び、勢いよく開け放つ。
「うぉぉぉっ、普通に、疲れたぜぇぇぇっ!!」
開け放たれた扉の先、欲望に魂を売り渡した少年が目にしたのは、ベッドに潜り込んで熟睡するアランドロン。
目先の欲に塗れた彼は残酷な現実に膝から崩れ落ち、悄然とうなだれた。
夜の道路を真っ赤なオープンカーがエンジンを高鳴らせ、ぐんぐん加速する。
「よろしかったのですか?焔王坊っちゃま」
車を運転するのはイザベラ、助手席には頬杖をつく焔王、後部座席にヨルダとサテュラが乗っている。
「何がじゃ?」
「せっかく弟君と再会したのです。ご一緒に暮らすという選択もございましたでしょう…」
「フン、下らん。庶民の家でせせこましく暮らすなど、余には相応しくなかろう――それにのう、イザベラ。余は、前から人間界というものを、堪能してみたかったのじゃ」
謎めいた笑みを浮かべて、一旦言葉を切る。
すると、急に目を輝かせる。
その視線の先には、古市から借りてきたゲームソフトがあった。
「まずは、あの古市とかいう人間から借りた、このゲームをクリアせんとな。目標は響古との対戦!あと、ゲームセンターなる所にも行ってみたいぞ」
「…………」
イザベラは今にもこめかみに手を当てそうな、頭痛を堪えているがごとき表情をしていたが、焔王はそれに気づいていないようだった。
すると、後ろから身を乗り出したサテュラが探るように申し出る。
「でも、焔王様ー。ゲームもいいっスけど、どうやって人間を滅ぼすとかも考えてかねーと…ホントに人間の女を嫁にするつもりなんですか?」
ヨルダも頷く。
そうなのだ。
悪魔は基本、地上に生きる人間をなんとも思わないのである。
人間を滅ぼす魔王の長男である焔王ならなおさらだろう。
なのに、その人間を嫁にすると言い出した。
その執着が妙だった。
むしろ無関心・無頓着が生み出す類だろう。
「何を言う!弟の契約者とはいえ、ただの人間がヨルダをひれ伏したのだぞ!」
男として。
今まで持っていた優越感を根こそぎ取られて、自分自身のことを否定された。
絶対許されない。
覚悟してもらわないと。
自分を本気で怒らしたこと。
「大魔王様はともかく、ベヘモット様に怒られますよ?」
その発言を受けて焔王が渋い顔をしているのは、何か心当たりがあったからだろう。
「うっ…あいつ、ニガテじゃ…」
「確かに~。あれが本気で動くと厄介よねぇ~。あたし達じゃ止められないし。まぁ、ヒルダがやられる分には、いいんだケド」
「うーむ…なんとか、あいつに見つからぬよう遊ぶ方法はないものか…」
「坊っちゃん、坊っちゃん」
ぼやき節の焔王に、サテュラは遠慮気味につっこむ。
「ところで…これは、どこに向かっておるのじゃ?」
「はぁい、私達と坊っちゃまと愛の巣でぇす」
「ちゃんとしたトコなんだろうな」
「急ぎましょう。車 が消えかかってます…」
緊急調達してきた車を走行し、焔王達は人間界を満喫する。
今日は古市がいない。
だが、他の面々は揃っていた。
古市家の帰り道、三人は葵と連れだって歩いていた。
『………』
共に異性の交遊に疎い者同士。
一緒に歩く口数が少ないのも、その影響だった。
空気でわかる。
だが、しかし、これは。
――な…なんだ、この息苦しさは。
――気まずい…気まずいぞ。
連れだって移動するヒルダと葵の距離感は遠く、漠然とした不安に襲われていた男鹿は、響古に問いかける。
「おい、響古。この状況なんとかしろ、お前ならできるはずだ」
「辰巳の頼みならもちろん引き受けるけど、さすがにこの二人は……」
浮かない顔で響古がつぶやき、沈黙する。
男鹿は落ち着かない気分になった。
葵とヒルダの仲が、妙にギクシャクしている。
お互い響古を交えて言い合いながらも結構仲良くなっていた気がする。
しかし、現在はずっとこんな感じだ。
この顔ぶれでの帰宅が、果たして無事に終わるだろうか?
そろそろなんとかしよう。
黙り込む二人を見ながら、男鹿は決意した。
考え過ぎかもしれないが、このまま何もしないでいるのはまずいように見える。
「おい、ヒルダ。なんか喋れよ」
悪魔のヒルダに対してはため口、
「く…邦枝さーん?」
年上の葵に対しては敬語。
いささか奇妙な言葉の使い分けをしながら、男鹿は声をかけた。
ところが、二人は無言を突き通す。
「――…」
もう収拾がつかない。
響古が諦めて天を仰ぎかけた時、男鹿はついに最終手段に出た。
「ベル坊…唄え」
「ニョ!?」
「なんでもいい。マヌケなやつをたのむ」
とりあえず、この無言の重圧から逃げたい一心からベル坊に申し出る。
「ベル坊、あたしからもお願い」
「アー…ウー」
ベル坊はしばらく悩み、即興の歌を口ずさむ。
「アッダッブー、ダッバッブー。ダバビデブブッブー」
それまで居心地が悪かった空気が若干薄れ、
「ほーー」
男鹿は安堵の吐息をつく。
「――…」
その間、ヒルダは思いつめた瞳でひそかに思う。
――焔王坊っちゃま、それにベヘモット――…か。
――あの男が言っていたのは、こういう事か――…。
彼の去った後になってようやく、そう結論づけられるほど冷静になれたというのは、全く皮肉な話だった。
いつか魔力の特定から、早乙女との交戦の際に感じた、常の人とは異なる在り様が、重く大きく思い出される。
彼は去り際に際し、
(――「さっさと強くなんねーと死んじまうぜ?」――)
と口にしていた。
――私の知らぬ間に、どうやら魔界の状況は少し変わったらしい――…。
――しかし、どうにも解せぬ。
「ダバビデー、ブッブー」
ベル坊の即興の歌に、男鹿は適当に相槌を打つ。
――私ですら知り得ぬ情報を何故、あの男が知っていたのか?
――あの男は一体、何者なのだ――…。
――いや、それよりも今、重要なのはベヘモット対策か――…。
などと分析しつつも、ベヘモット柱師団の襲来に、甚大な不安を抱える。
しかし、ヒルダはここで気づいた。
自分の隣にいる少女が物言いたげにしている。
「…どうかしたか、響古?」
「少し気になる事があっただけ……」
困ったように言葉を濁そうとした。
だが、視線で『言ってくれ』と促す。
響古はおずおずと口を開いた。
「さっきの焔王君をきいていて、なんとなく感じたの。ヒルダが恐れてる――それこそ強敵のような奴らと出会うんじゃないかって……」
自分の思惑より、響古の気になるの方がヒルダにとっては何十倍も深刻だ。
思わず押し黙り、顔を見合わせる。
やはり、近いうちにまた面倒な揉みごとが起きるのだろうかと……後に思い返してみると、これが事の発端であった。
「男鹿、響古…」
「ん?」
「はい?」
振り返れば、二人は葵とのたった一歩の距離を開けていた。
二人は、葵がそのたった一歩、自分達との距離を、僅か離していることに気がついた。
「ここでいいわ。送ってくれてありがとう」
「あ?」
「いいでんすか?まだ、目が覚めたばかりでフラフラなのに」
校舎で立て続けに起こった出来事を、渡り来た異世界の存在・悪魔の出会いの証であると知りながら……それでも、目の前の少女にこそ、より暗く大きな不安を抱いた。
「大丈夫。家…もうすぐそこだし。それじゃ」
しかし、葵は笑顔を浮かべて気丈に振る舞う。
「…お、おう」
「響古、また明日ね」
「…はい」
すがるような響古の返事に、葵はただ手を振り、身を遠ざける。
「なんだ、あいつ。急に黙っちまいやがって…」
「無理もない。いきなり悪魔などと言われて、信じられる人間は少ない」
「お前がゆーか…?」
不思議の存在である自分を隠さないヒルダに対し、男鹿が胡乱なつぶやきを漏らす。
これが例えば男鹿や響古の場合だと、いきなり最初から悪魔と赤ん坊が登場し、それが魔王の子供として知らされるなど、どうしようもない状況へと突き落とされている。
神社を目指し、三人とは逆方向へ歩くと、そこからすぐ目線の先。
「――…」
そこにはいつの間にか洞穴がぽっかりと口を開けていた――否。
正確には『洞穴』に見える穴が発生していた。
その内部は完全なる闇だ。
パキ、と微かな音がして振り返った直後、そこに葵の姿はなかった。
「邦枝…?」
「いない…?」
疑問符を浮かべる二人と目を見開くヒルダの後ろから、穴が発生した。
ヒルダはさすがだった。
すぐ状況に気づいたのだ。
「伏せろっ!!」
「のわっ!!」
「きゃあっ!!」
次の瞬間、空気が轟々と音を立てて動き始め、風となった。
それも三人めがけて襲いかかる、凄まじい烈風だ。
「…なっ、なんだっ!?」
戦慄する男鹿。
響古は気づいた。
あそこから万物を引き寄せる不可視の力――引力が放たれている。
真上を通り過ぎた洞穴は地面に突進、人の形となった。
「――よう。貴様らが末子殿の契約者か…」
「あ…?なんだ、てめぇ…」
まだ呑み込めない男鹿と表情を引き締める響古をよそに、ヒルダは警戒の眼差しをそれに向ける。
「――…ベヘモット34柱師団。王宮直属の武装集団……最悪だ。まさか、これ程早いとは…奴らは邪竜族という魔界屈指の戦闘部族。しかも、恐らく柱将クラスか」
「――…ヒルダ?」
緊張と警戒を隠せないヒルダの顔を見て、響古は美貌を不安げに揺らす。
横柄な彼女らしくない表情だ。
「ヒルデガルダとか言ったな…そりゃあ、違うぜ。まかいくっしじゃねぇ…最強だ」
不敵な笑みをこぼしながら現れた謎の男の隣には、黒い影に捕まった葵が気を失っていた。
「邦枝!!」
「葵さん!!」
「我が名はヘカドス。ベヘモット柱師団、第8の柱」
謎の男はヘカドスと名乗る。
謎の男の登場よりも、二人は葵を心配する。
「知らないしっ!!葵さん降ろしなさいよ、色々あり過ぎて心の整理が必要なんだから!!」
「さっき気絶したばっか…ってゆーかそれ、どーなってんの!?気持ち悪っ!!」
「――フン。この女はオレの契約者になって貰う」
語気強く言い放つ二人に構わず、話し始めた。
「貴様らも知っていよう。我々、魔族が人間界で真の力を振るうには人間との契約が必要だ。もちろん、誰でもいいというわけではないぞ。強い者でなければならんし、相性もある」
気を失う人間の少女を一瞥し、かなりの強さを持つ者だと見ただけでわかった。
「この女は、なかなか上玉のようだな」
「……………っ」
傲慢そうに語る男の声を聞きながら、男鹿は困惑する。
「ついてるぞ…これでほかの連中をだしぬける。クク…」
「あ゙ぁ!?」
勿論、説明されたところで理解できるような話ではない。
――他にも悪魔が来ている――…?
ヘカドスの口から紡がれた言葉の意味を、ヒルダはすぐに悟った。
明らかな狼狽を見せる。
――いや、まさか、すでに潜伏させていたのか――…!?
邪竜族と呼ばれる魔界屈指の戦闘部族で構成された、王宮直属の武装集団が、自分達に襲いかかってきた事実。
それほどの集団が今、既にこの街にいる。
冷たい夜風が吹き、東条と出馬は汗ばむほどの闘気に息苦しさに襲われる。
静は二人の単純な戦闘能力の差、東条のタフさに呆気に取られる。
それは出馬も同じことで、疲労が濃いにもかかわらず立ち向かう様子に苦笑する。
「――まったく、君のタフさには呆れるわ」
「あぁ?」
「ここまで本気にさせられたん、君が初めてやで」
「――本気?嘘つけ。まだ、何か隠してんだろ。分かんだぞ、そーいうの」
物足りなさを感じていた彼の声にも身体にも力はなかったが、その代わりに目は、爛々と光る。
「来いよ。オレも、ようやくあったまって来た頃だ…」
――何言ってんのよ、もうボロボロのくせに…。
東条が見せる不屈の姿に、出馬は苦笑する。
「不思議な男やな…」
「あん?」
「闘ってると、ついつい君のペースに乗せられてまう…ちょっと…おもろなってくる…」
出馬は大きく肩を落とし、しかしすぐに顔を上げた。
「もっと…おもろしたなる…」
瞬間、出馬の左手から黒い霧が取り巻いて回り、眼鏡の奥から剣呑な双眸を覗かせる。
「――…せやなぁ…」
黙って見守る静、対峙する東条は、異様なものを目の当たりにする。
「――…出馬君…?」
「君やったら、ええかもな…」
力を伝わせ、活性化した魔力が渦巻き始める。
その事態に大騒ぎのどうにか無事に終了し、焔王が帰る頃にはすっかり夜である。
「ふー。しかし…」
玄関の扉を閉めながら、一気に力が抜けた古市はやれやれと溜め息をついた。
――えらい事になったな…ベル坊の兄貴――…か。
――人間滅ぼすとかもう、冗談みたいに思ってたケド。
二人の付き添いで巻き込まれた少年は悩み、途方に暮れる。
「みんな、帰ったの?」
妹と短く言葉を交わしてその場をやり過ごし、靴を脱いで自室へとつながる階段を目指す。
――ヒルダさんやベル坊も、そういや、そのために来てたんだもんなー。
――つーか、邦枝先輩も何も聞かずに帰っちゃうし…邦枝先輩――…!?
部屋には男鹿や響古の契約者・悪魔だけでなく、気絶した葵もいたことを思い出し、目を丸くした後、ドキドキと脈打つ胸を意識する。
――オレのベッドで、寝てたんだよな…いかん、いかんぞ、貴之!!
――何を考えている…!
そして理性と男の本能の狭間で古市は葛藤する。
緊張した面持ちでごっくんと生唾を呑んだ。
(いや、しかし…!!今なら確実に残っているはずだ…!!邦枝先輩の温もり…!!というか、あれだし、オレのベッドだし!!ちょっと疲れたから、横になりたいだけだし!!)
――全然、普通だし!!
そんなどうしようもない古市の葛藤は脆く崩れ、誰に対しての弁解なのか叫び、勢いよく開け放つ。
「うぉぉぉっ、普通に、疲れたぜぇぇぇっ!!」
開け放たれた扉の先、欲望に魂を売り渡した少年が目にしたのは、ベッドに潜り込んで熟睡するアランドロン。
目先の欲に塗れた彼は残酷な現実に膝から崩れ落ち、悄然とうなだれた。
夜の道路を真っ赤なオープンカーがエンジンを高鳴らせ、ぐんぐん加速する。
「よろしかったのですか?焔王坊っちゃま」
車を運転するのはイザベラ、助手席には頬杖をつく焔王、後部座席にヨルダとサテュラが乗っている。
「何がじゃ?」
「せっかく弟君と再会したのです。ご一緒に暮らすという選択もございましたでしょう…」
「フン、下らん。庶民の家でせせこましく暮らすなど、余には相応しくなかろう――それにのう、イザベラ。余は、前から人間界というものを、堪能してみたかったのじゃ」
謎めいた笑みを浮かべて、一旦言葉を切る。
すると、急に目を輝かせる。
その視線の先には、古市から借りてきたゲームソフトがあった。
「まずは、あの古市とかいう人間から借りた、このゲームをクリアせんとな。目標は響古との対戦!あと、ゲームセンターなる所にも行ってみたいぞ」
「…………」
イザベラは今にもこめかみに手を当てそうな、頭痛を堪えているがごとき表情をしていたが、焔王はそれに気づいていないようだった。
すると、後ろから身を乗り出したサテュラが探るように申し出る。
「でも、焔王様ー。ゲームもいいっスけど、どうやって人間を滅ぼすとかも考えてかねーと…ホントに人間の女を嫁にするつもりなんですか?」
ヨルダも頷く。
そうなのだ。
悪魔は基本、地上に生きる人間をなんとも思わないのである。
人間を滅ぼす魔王の長男である焔王ならなおさらだろう。
なのに、その人間を嫁にすると言い出した。
その執着が妙だった。
むしろ無関心・無頓着が生み出す類だろう。
「何を言う!弟の契約者とはいえ、ただの人間がヨルダをひれ伏したのだぞ!」
男として。
今まで持っていた優越感を根こそぎ取られて、自分自身のことを否定された。
絶対許されない。
覚悟してもらわないと。
自分を本気で怒らしたこと。
「大魔王様はともかく、ベヘモット様に怒られますよ?」
その発言を受けて焔王が渋い顔をしているのは、何か心当たりがあったからだろう。
「うっ…あいつ、ニガテじゃ…」
「確かに~。あれが本気で動くと厄介よねぇ~。あたし達じゃ止められないし。まぁ、ヒルダがやられる分には、いいんだケド」
「うーむ…なんとか、あいつに見つからぬよう遊ぶ方法はないものか…」
「坊っちゃん、坊っちゃん」
ぼやき節の焔王に、サテュラは遠慮気味につっこむ。
「ところで…これは、どこに向かっておるのじゃ?」
「はぁい、私達と坊っちゃまと愛の巣でぇす」
「ちゃんとしたトコなんだろうな」
「急ぎましょう。
緊急調達してきた車を走行し、焔王達は人間界を満喫する。
今日は古市がいない。
だが、他の面々は揃っていた。
古市家の帰り道、三人は葵と連れだって歩いていた。
『………』
共に異性の交遊に疎い者同士。
一緒に歩く口数が少ないのも、その影響だった。
空気でわかる。
だが、しかし、これは。
――な…なんだ、この息苦しさは。
――気まずい…気まずいぞ。
連れだって移動するヒルダと葵の距離感は遠く、漠然とした不安に襲われていた男鹿は、響古に問いかける。
「おい、響古。この状況なんとかしろ、お前ならできるはずだ」
「辰巳の頼みならもちろん引き受けるけど、さすがにこの二人は……」
浮かない顔で響古がつぶやき、沈黙する。
男鹿は落ち着かない気分になった。
葵とヒルダの仲が、妙にギクシャクしている。
お互い響古を交えて言い合いながらも結構仲良くなっていた気がする。
しかし、現在はずっとこんな感じだ。
この顔ぶれでの帰宅が、果たして無事に終わるだろうか?
そろそろなんとかしよう。
黙り込む二人を見ながら、男鹿は決意した。
考え過ぎかもしれないが、このまま何もしないでいるのはまずいように見える。
「おい、ヒルダ。なんか喋れよ」
悪魔のヒルダに対してはため口、
「く…邦枝さーん?」
年上の葵に対しては敬語。
いささか奇妙な言葉の使い分けをしながら、男鹿は声をかけた。
ところが、二人は無言を突き通す。
「――…」
もう収拾がつかない。
響古が諦めて天を仰ぎかけた時、男鹿はついに最終手段に出た。
「ベル坊…唄え」
「ニョ!?」
「なんでもいい。マヌケなやつをたのむ」
とりあえず、この無言の重圧から逃げたい一心からベル坊に申し出る。
「ベル坊、あたしからもお願い」
「アー…ウー」
ベル坊はしばらく悩み、即興の歌を口ずさむ。
「アッダッブー、ダッバッブー。ダバビデブブッブー」
それまで居心地が悪かった空気が若干薄れ、
「ほーー」
男鹿は安堵の吐息をつく。
「――…」
その間、ヒルダは思いつめた瞳でひそかに思う。
――焔王坊っちゃま、それにベヘモット――…か。
――あの男が言っていたのは、こういう事か――…。
彼の去った後になってようやく、そう結論づけられるほど冷静になれたというのは、全く皮肉な話だった。
いつか魔力の特定から、早乙女との交戦の際に感じた、常の人とは異なる在り様が、重く大きく思い出される。
彼は去り際に際し、
(――「さっさと強くなんねーと死んじまうぜ?」――)
と口にしていた。
――私の知らぬ間に、どうやら魔界の状況は少し変わったらしい――…。
――しかし、どうにも解せぬ。
「ダバビデー、ブッブー」
ベル坊の即興の歌に、男鹿は適当に相槌を打つ。
――私ですら知り得ぬ情報を何故、あの男が知っていたのか?
――あの男は一体、何者なのだ――…。
――いや、それよりも今、重要なのはベヘモット対策か――…。
などと分析しつつも、ベヘモット柱師団の襲来に、甚大な不安を抱える。
しかし、ヒルダはここで気づいた。
自分の隣にいる少女が物言いたげにしている。
「…どうかしたか、響古?」
「少し気になる事があっただけ……」
困ったように言葉を濁そうとした。
だが、視線で『言ってくれ』と促す。
響古はおずおずと口を開いた。
「さっきの焔王君をきいていて、なんとなく感じたの。ヒルダが恐れてる――それこそ強敵のような奴らと出会うんじゃないかって……」
自分の思惑より、響古の気になるの方がヒルダにとっては何十倍も深刻だ。
思わず押し黙り、顔を見合わせる。
やはり、近いうちにまた面倒な揉みごとが起きるのだろうかと……後に思い返してみると、これが事の発端であった。
「男鹿、響古…」
「ん?」
「はい?」
振り返れば、二人は葵とのたった一歩の距離を開けていた。
二人は、葵がそのたった一歩、自分達との距離を、僅か離していることに気がついた。
「ここでいいわ。送ってくれてありがとう」
「あ?」
「いいでんすか?まだ、目が覚めたばかりでフラフラなのに」
校舎で立て続けに起こった出来事を、渡り来た異世界の存在・悪魔の出会いの証であると知りながら……それでも、目の前の少女にこそ、より暗く大きな不安を抱いた。
「大丈夫。家…もうすぐそこだし。それじゃ」
しかし、葵は笑顔を浮かべて気丈に振る舞う。
「…お、おう」
「響古、また明日ね」
「…はい」
すがるような響古の返事に、葵はただ手を振り、身を遠ざける。
「なんだ、あいつ。急に黙っちまいやがって…」
「無理もない。いきなり悪魔などと言われて、信じられる人間は少ない」
「お前がゆーか…?」
不思議の存在である自分を隠さないヒルダに対し、男鹿が胡乱なつぶやきを漏らす。
これが例えば男鹿や響古の場合だと、いきなり最初から悪魔と赤ん坊が登場し、それが魔王の子供として知らされるなど、どうしようもない状況へと突き落とされている。
神社を目指し、三人とは逆方向へ歩くと、そこからすぐ目線の先。
「――…」
そこにはいつの間にか洞穴がぽっかりと口を開けていた――否。
正確には『洞穴』に見える穴が発生していた。
その内部は完全なる闇だ。
パキ、と微かな音がして振り返った直後、そこに葵の姿はなかった。
「邦枝…?」
「いない…?」
疑問符を浮かべる二人と目を見開くヒルダの後ろから、穴が発生した。
ヒルダはさすがだった。
すぐ状況に気づいたのだ。
「伏せろっ!!」
「のわっ!!」
「きゃあっ!!」
次の瞬間、空気が轟々と音を立てて動き始め、風となった。
それも三人めがけて襲いかかる、凄まじい烈風だ。
「…なっ、なんだっ!?」
戦慄する男鹿。
響古は気づいた。
あそこから万物を引き寄せる不可視の力――引力が放たれている。
真上を通り過ぎた洞穴は地面に突進、人の形となった。
「――よう。貴様らが末子殿の契約者か…」
「あ…?なんだ、てめぇ…」
まだ呑み込めない男鹿と表情を引き締める響古をよそに、ヒルダは警戒の眼差しをそれに向ける。
「――…ベヘモット34柱師団。王宮直属の武装集団……最悪だ。まさか、これ程早いとは…奴らは邪竜族という魔界屈指の戦闘部族。しかも、恐らく柱将クラスか」
「――…ヒルダ?」
緊張と警戒を隠せないヒルダの顔を見て、響古は美貌を不安げに揺らす。
横柄な彼女らしくない表情だ。
「ヒルデガルダとか言ったな…そりゃあ、違うぜ。まかいくっしじゃねぇ…最強だ」
不敵な笑みをこぼしながら現れた謎の男の隣には、黒い影に捕まった葵が気を失っていた。
「邦枝!!」
「葵さん!!」
「我が名はヘカドス。ベヘモット柱師団、第8の柱」
謎の男はヘカドスと名乗る。
謎の男の登場よりも、二人は葵を心配する。
「知らないしっ!!葵さん降ろしなさいよ、色々あり過ぎて心の整理が必要なんだから!!」
「さっき気絶したばっか…ってゆーかそれ、どーなってんの!?気持ち悪っ!!」
「――フン。この女はオレの契約者になって貰う」
語気強く言い放つ二人に構わず、話し始めた。
「貴様らも知っていよう。我々、魔族が人間界で真の力を振るうには人間との契約が必要だ。もちろん、誰でもいいというわけではないぞ。強い者でなければならんし、相性もある」
気を失う人間の少女を一瞥し、かなりの強さを持つ者だと見ただけでわかった。
「この女は、なかなか上玉のようだな」
「……………っ」
傲慢そうに語る男の声を聞きながら、男鹿は困惑する。
「ついてるぞ…これでほかの連中をだしぬける。クク…」
「あ゙ぁ!?」
勿論、説明されたところで理解できるような話ではない。
――他にも悪魔が来ている――…?
ヘカドスの口から紡がれた言葉の意味を、ヒルダはすぐに悟った。
明らかな狼狽を見せる。
――いや、まさか、すでに潜伏させていたのか――…!?
邪竜族と呼ばれる魔界屈指の戦闘部族で構成された、王宮直属の武装集団が、自分達に襲いかかってきた事実。
それほどの集団が今、既にこの街にいる。
冷たい夜風が吹き、東条と出馬は汗ばむほどの闘気に息苦しさに襲われる。
静は二人の単純な戦闘能力の差、東条のタフさに呆気に取られる。
それは出馬も同じことで、疲労が濃いにもかかわらず立ち向かう様子に苦笑する。
「――まったく、君のタフさには呆れるわ」
「あぁ?」
「ここまで本気にさせられたん、君が初めてやで」
「――本気?嘘つけ。まだ、何か隠してんだろ。分かんだぞ、そーいうの」
物足りなさを感じていた彼の声にも身体にも力はなかったが、その代わりに目は、爛々と光る。
「来いよ。オレも、ようやくあったまって来た頃だ…」
――何言ってんのよ、もうボロボロのくせに…。
東条が見せる不屈の姿に、出馬は苦笑する。
「不思議な男やな…」
「あん?」
「闘ってると、ついつい君のペースに乗せられてまう…ちょっと…おもろなってくる…」
出馬は大きく肩を落とし、しかしすぐに顔を上げた。
「もっと…おもろしたなる…」
瞬間、出馬の左手から黒い霧が取り巻いて回り、眼鏡の奥から剣呑な双眸を覗かせる。
「――…せやなぁ…」
黙って見守る静、対峙する東条は、異様なものを目の当たりにする。
「――…出馬君…?」
「君やったら、ええかもな…」
力を伝わせ、活性化した魔力が渦巻き始める。