バブ68
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響古を抱き上げ、男鹿は進む。
いつしか背筋に緊張が走り、身体と四肢に力がみなぎってきた。
この春に蠅王紋が浮かんで以来、幾度も体験した感覚。
仇敵と接近した時にのみ起こる体内の変化。
それを感じた響古は、息を呑んだ。
行く手に立ちふさがる男が何者かに気づいたからだった。
かつて自分と戦い、僅差で敗北した男が、響古の前に立ちはだかる。
東条はにっと笑い、響古は仏頂面で短く言葉を交わす。
「今日はずいぶんと大人しいな」
「別に……」
いつもなら噛みつくような表情でツッコミを浴びせるところだが、今の彼女にその余裕はない。
「ま、普段大胆なくせに、時々見せる大人しさもまたいいけどな。できれば、お前とまたケンカしたいもんだな」
「あんたの頭の中にあるのは恋とケンカ、そればっかね……」
いつもの凛々しさを感じさせない小声で、響古は訴えた。
「オレは強い者 同士が拳をぶつけ合って、命がけの真剣勝負をするケンカが大好きなんだ。そこには、究極の情熱が燃えさかる。ケンカは恋と同じ――最高の遊びなんだ」
恋は喧嘩。
喧嘩は恋。
そのどちらも遊びときたか。
すごい価値観だな。
恋のライバルと発覚して以来、男鹿がしばしば見てきた姿だ。
そのたびに彼と壮絶な喧嘩を繰り広げたり、響古を取り合ってきたりと、面倒な事態になってきた。
東条は手際よく使って紙箱にたこ焼きを入れて、差し出す。
「ほい」
「……」
ほかほか熱々のたこ焼きに、響古は微妙に瞳を輝かせながらも不機嫌な表情を取り繕う。
「美味いモンでも食えば、元気出るだろ?遠慮はするな」
「……」
拒む理由は特にない。
仕方なく、響古は受け取った。
温かい。
紙箱、それだけではない、力を振るう以外での、手と手の交叉を感じた、本当に久しぶりのほのかな温かさだった。
(もっと違う対応をしてたかも。昔なら、渡されたものをぶん投げて、そのまま無視してたかも)
その差異を自覚して、
(やっぱり、あたし……変わったの、かな)
響古は胸元に持ってきて、戸惑いを隠すために前髪で顔を隠した。
その影から言う。
「………ありがとう」
唇から紡がれた、思いもよらない言葉に、男鹿達は驚愕を表して凝視している。
「って、何その顔……辰巳にベル坊まで……」
「いや……あの……なんかまた怒るのかなと……思ったから……ってか、なんか急にそんな事言われると、逆にコワイっていうか何かあるんじゃないかって、変な気持ちに……」
二人の代わりに古市が挙動不審に伝えた瞬間、
「ふべ!!」
響古の平手打ちが飛んだ。
「イキナリ!?」
「もう!!そんなふうにあたしを見てたっての!?失礼ね!」
「…スイマセン」
頬に平手打ちの跡が刻まれた古市は地面に這いつくばって謝った。
――……そーいうトコが原因だと思うけど…。
と言い出したい誘惑に駆られるが、今度こそ命はないものと覚悟する必要があるだろう。
一方、響古は思いつめた顔でたこ焼きを見つめ、爪楊枝を刺して頬張ると――。
「ほふ……」
「うまいか?」
「……おいしい」
ごくんと飲み込んで、味の感想を言葉にする。
「外はサクッカリッとしてるのに、中はとろりとしていて……今まで食べた事がない味。ソースも濃厚でおいしい」
うっとり気味の響古の口許は、ソースで少しだけ汚れていた。
(口元にソース!!美味しい設定のはずなのに忘れてた!!)
古市の中で妄想が膨らむ。
そんな妄想にとらわれている間に、男鹿が指摘していた。
「響古、ソースついてるぞ」
「え、うそ。どこどこ?」
慌てふためく響古と、やれやれと困りながらも、頼られてそこはかとなく嬉しそうな男鹿。
(………)
迷ったのは束の間だけで、意識する前に、自然に身体が動いていた。
自分より背の低い美貌を見つめると、響古はたじろいだ様子で僅かに身を退く。
「な、なに?」
「ちょっといいか?」
男鹿は彼女の口許についたソースを、指で拭った。
「――っ!」
「よしっと」
勢いあまって、男鹿の指先が唇をちゅっと掠めていく。
瞬間、二人の頬が赤らんだ。
古市はようやく妄想から現実に戻ってきて、二人の距離感に絶望した。
(――ハッ!?なんか二人の方が熱々でラブラブに見える!?つーか、うらやましい!男鹿がうらやましすぎる!)
男鹿は、タイミングを失ったまま指先についたソースを見つめ、舐める。
「響古の機嫌も戻ったところで……場所を移動するか」
屋台から出て、東条は場所を促した。
東条の後に続いて歩く三人の目に飛び込んできた光景は、もはや喧嘩の代名詞とも言える川原だった。
「そーいや、てめーと最初にやりあったのも、この辺りか…何があった?」
額に巻かれたタオルを取りながら、核心を突いた部分を口にする。
「響古の様子もおかしい。あの響古が、こうまで変わるものか」
意外だった。
何しろ相手は響古。
一言言えば、その数倍は皮肉と罵倒が返ってくる……東条はそう身構えていたのだ。
だが、今の響古はどうにも覇気がない。
「よく見りゃ、ボロボロじゃねぇか」
そしてこれも意外なことに、男鹿の方も身体の芯にダメージを負っていた。
「まさか、てめぇ――…負けてきたんじゃねぇだろうな」
それは完全に終わらせることを意識した、必殺の一撃だった。
あまりの衝撃に内蔵が委縮し、猛烈な吐き気に襲われる。
――冥鶯殺。
――三木の放ったその技は――…あの男鹿を、一撃で沈めた。
「――…この技は、まだ未完成だ。今で7割…」
「…………っ」
意識を飛ばすわけにはいかない、霞んだ視界の片隅に、打ちひしがれた響古の姿が映ったから。
まだ手の届きそうな距離にいる、響古が。
連れ去られようとしている、響古が。
その時、道場に悲鳴が響き渡った。
もうやめて、と。
これ以上、辰巳にひどい事しないで、と。
一瞬にして、殺気は霧散していた。
「――……泣いて……?」
古市は声を漏らす。
立ち上がった響古は、瞬く間にボロボロになってしまった男鹿を見つめて、耐えられないといったふうに泣いている。
ベル坊を抱いたまま、いやいやと首を振った。
「マー!マー!」
涙の粒が宙を舞い、必死に慰めるベル坊の頬に落ちる。
「く――!」
手足がぶるぶると震えて、内臓が悲鳴をあげて、筋肉に力が入らず、なかなか立てなかった。
立ち上がりかけたところでよろめき、畳に倒れる。
「辰巳――!」
弾けたように男鹿のもとへ駆け寄るとしゃがみ、涙を流す。
「……悲しい思いをさせてごめんなさい」
恐らく響古には届かなっただろう、三木は小さく独り言のように囁いて、掌に視線を落とした。
「威力も、もちろんそうだけど、それ以上に――…僕の拳がダメージを受けている…」
次の瞬間、並みの技を遥かに凌駕する奥義、その大半を注ぎ込まれて、耐えきれなかった掌から血が舞う。
(しばらくは使い物にならないか…生身の人間に当てるのは、思った以上に難しい…)
自らが放った奥義の炸裂を受けた掌をじっと見つめ、冷や汗を浮かべる。
「ダー、ウー」
ベル坊が泣きそうな表情で見上げる先、響古は微動だにせず、立ち尽くしている。
(……)
ただ、視界の赤い飛沫に全ての心を奪われていた。
畳に、赤い一滴が落ちる。
(……血)
同じ色の飛沫の散る光景が脳裏で瞬き、彼女の心を、恐怖と失望と悲しみと怒りで染め上げる。
(……血が)
それを求めるためではなかった。
そうなることを止めたかった。
だから戦ったのに。
その日その時、響古の脳裏に陰惨な情景が蘇る。
赤黒い鮮血で彩られた空間を傲然と支配する二人。
まさに、血と暴虐の化身だった。
理性的判断力なんてものは消し飛んでいた。
「――まったく…これじゃ、とても勝ったとは言えないな…学園祭まで、あと2週間…出馬さんの話じゃ、バレーボールの後に僕らの試合の場もあるらしい…その時だ。その時までに僕は、この技を完成させる」
三木の厳しい声を受けて、男鹿は耐えられず顔をしかめた。
「全校生徒の目の前で、きっちりと証明するよ。僕の方が強いって事を…そして、理解させる。僕と君、どちらが彼女にふさわしいのか。僕が彼女の心に、これまで以上の輝きを吹き込んでみせる」
表面は冷え冷えと凍え、奥底では黒く燃える彼の声を、ただ一人が聞く。
「昔は"黒薔薇"や"魔女"だったけど、今では"黒雪姫"と呼ばれてるんだね。かわいそうに……あの場に僕がいなくてごめんなさい。僕は転校して奈良に行ってたけど、ずっとあなたの事でいっぱいだったから」
逆に、響古に語る優しい口調、その仕草は慈愛に満ちている。
全て包み込むような優しさに溢れている。
それでも、恐怖は響古の中に湧き起こる。
「少し背が伸びたんじゃない?髪も長くなったよね……すごい綺麗だ」
思い出される過去の記憶。
己が枷を明確にした、あの日。
心に傷を負わされた記憶が、よみがえる。
もはや浸透している、その名で呼ばれ、不条理な想いやくすぶっていた未練、あるいはそれらの残滓――そうなっているはずだという感情――が込み上げる。
響古の身体は硬直し、完全に動けなくなった。
口はわななき、合わせた歯がカチカチと音を立てる。
三木は固まっている響古を見て、不思議そうに顔を覗き込んだ。
「どうしたの……怯えてるの?」
「ち、ちが……そんな事、は」
いつしか背筋に緊張が走り、身体と四肢に力がみなぎってきた。
この春に蠅王紋が浮かんで以来、幾度も体験した感覚。
仇敵と接近した時にのみ起こる体内の変化。
それを感じた響古は、息を呑んだ。
行く手に立ちふさがる男が何者かに気づいたからだった。
かつて自分と戦い、僅差で敗北した男が、響古の前に立ちはだかる。
東条はにっと笑い、響古は仏頂面で短く言葉を交わす。
「今日はずいぶんと大人しいな」
「別に……」
いつもなら噛みつくような表情でツッコミを浴びせるところだが、今の彼女にその余裕はない。
「ま、普段大胆なくせに、時々見せる大人しさもまたいいけどな。できれば、お前とまたケンカしたいもんだな」
「あんたの頭の中にあるのは恋とケンカ、そればっかね……」
いつもの凛々しさを感じさせない小声で、響古は訴えた。
「オレは強い
恋は喧嘩。
喧嘩は恋。
そのどちらも遊びときたか。
すごい価値観だな。
恋のライバルと発覚して以来、男鹿がしばしば見てきた姿だ。
そのたびに彼と壮絶な喧嘩を繰り広げたり、響古を取り合ってきたりと、面倒な事態になってきた。
東条は手際よく使って紙箱にたこ焼きを入れて、差し出す。
「ほい」
「……」
ほかほか熱々のたこ焼きに、響古は微妙に瞳を輝かせながらも不機嫌な表情を取り繕う。
「美味いモンでも食えば、元気出るだろ?遠慮はするな」
「……」
拒む理由は特にない。
仕方なく、響古は受け取った。
温かい。
紙箱、それだけではない、力を振るう以外での、手と手の交叉を感じた、本当に久しぶりのほのかな温かさだった。
(もっと違う対応をしてたかも。昔なら、渡されたものをぶん投げて、そのまま無視してたかも)
その差異を自覚して、
(やっぱり、あたし……変わったの、かな)
響古は胸元に持ってきて、戸惑いを隠すために前髪で顔を隠した。
その影から言う。
「………ありがとう」
唇から紡がれた、思いもよらない言葉に、男鹿達は驚愕を表して凝視している。
「って、何その顔……辰巳にベル坊まで……」
「いや……あの……なんかまた怒るのかなと……思ったから……ってか、なんか急にそんな事言われると、逆にコワイっていうか何かあるんじゃないかって、変な気持ちに……」
二人の代わりに古市が挙動不審に伝えた瞬間、
「ふべ!!」
響古の平手打ちが飛んだ。
「イキナリ!?」
「もう!!そんなふうにあたしを見てたっての!?失礼ね!」
「…スイマセン」
頬に平手打ちの跡が刻まれた古市は地面に這いつくばって謝った。
――……そーいうトコが原因だと思うけど…。
と言い出したい誘惑に駆られるが、今度こそ命はないものと覚悟する必要があるだろう。
一方、響古は思いつめた顔でたこ焼きを見つめ、爪楊枝を刺して頬張ると――。
「ほふ……」
「うまいか?」
「……おいしい」
ごくんと飲み込んで、味の感想を言葉にする。
「外はサクッカリッとしてるのに、中はとろりとしていて……今まで食べた事がない味。ソースも濃厚でおいしい」
うっとり気味の響古の口許は、ソースで少しだけ汚れていた。
(口元にソース!!美味しい設定のはずなのに忘れてた!!)
古市の中で妄想が膨らむ。
そんな妄想にとらわれている間に、男鹿が指摘していた。
「響古、ソースついてるぞ」
「え、うそ。どこどこ?」
慌てふためく響古と、やれやれと困りながらも、頼られてそこはかとなく嬉しそうな男鹿。
(………)
迷ったのは束の間だけで、意識する前に、自然に身体が動いていた。
自分より背の低い美貌を見つめると、響古はたじろいだ様子で僅かに身を退く。
「な、なに?」
「ちょっといいか?」
男鹿は彼女の口許についたソースを、指で拭った。
「――っ!」
「よしっと」
勢いあまって、男鹿の指先が唇をちゅっと掠めていく。
瞬間、二人の頬が赤らんだ。
古市はようやく妄想から現実に戻ってきて、二人の距離感に絶望した。
(――ハッ!?なんか二人の方が熱々でラブラブに見える!?つーか、うらやましい!男鹿がうらやましすぎる!)
男鹿は、タイミングを失ったまま指先についたソースを見つめ、舐める。
「響古の機嫌も戻ったところで……場所を移動するか」
屋台から出て、東条は場所を促した。
東条の後に続いて歩く三人の目に飛び込んできた光景は、もはや喧嘩の代名詞とも言える川原だった。
「そーいや、てめーと最初にやりあったのも、この辺りか…何があった?」
額に巻かれたタオルを取りながら、核心を突いた部分を口にする。
「響古の様子もおかしい。あの響古が、こうまで変わるものか」
意外だった。
何しろ相手は響古。
一言言えば、その数倍は皮肉と罵倒が返ってくる……東条はそう身構えていたのだ。
だが、今の響古はどうにも覇気がない。
「よく見りゃ、ボロボロじゃねぇか」
そしてこれも意外なことに、男鹿の方も身体の芯にダメージを負っていた。
「まさか、てめぇ――…負けてきたんじゃねぇだろうな」
それは完全に終わらせることを意識した、必殺の一撃だった。
あまりの衝撃に内蔵が委縮し、猛烈な吐き気に襲われる。
――冥鶯殺。
――三木の放ったその技は――…あの男鹿を、一撃で沈めた。
「――…この技は、まだ未完成だ。今で7割…」
「…………っ」
意識を飛ばすわけにはいかない、霞んだ視界の片隅に、打ちひしがれた響古の姿が映ったから。
まだ手の届きそうな距離にいる、響古が。
連れ去られようとしている、響古が。
その時、道場に悲鳴が響き渡った。
もうやめて、と。
これ以上、辰巳にひどい事しないで、と。
一瞬にして、殺気は霧散していた。
「――……泣いて……?」
古市は声を漏らす。
立ち上がった響古は、瞬く間にボロボロになってしまった男鹿を見つめて、耐えられないといったふうに泣いている。
ベル坊を抱いたまま、いやいやと首を振った。
「マー!マー!」
涙の粒が宙を舞い、必死に慰めるベル坊の頬に落ちる。
「く――!」
手足がぶるぶると震えて、内臓が悲鳴をあげて、筋肉に力が入らず、なかなか立てなかった。
立ち上がりかけたところでよろめき、畳に倒れる。
「辰巳――!」
弾けたように男鹿のもとへ駆け寄るとしゃがみ、涙を流す。
「……悲しい思いをさせてごめんなさい」
恐らく響古には届かなっただろう、三木は小さく独り言のように囁いて、掌に視線を落とした。
「威力も、もちろんそうだけど、それ以上に――…僕の拳がダメージを受けている…」
次の瞬間、並みの技を遥かに凌駕する奥義、その大半を注ぎ込まれて、耐えきれなかった掌から血が舞う。
(しばらくは使い物にならないか…生身の人間に当てるのは、思った以上に難しい…)
自らが放った奥義の炸裂を受けた掌をじっと見つめ、冷や汗を浮かべる。
「ダー、ウー」
ベル坊が泣きそうな表情で見上げる先、響古は微動だにせず、立ち尽くしている。
(……)
ただ、視界の赤い飛沫に全ての心を奪われていた。
畳に、赤い一滴が落ちる。
(……血)
同じ色の飛沫の散る光景が脳裏で瞬き、彼女の心を、恐怖と失望と悲しみと怒りで染め上げる。
(……血が)
それを求めるためではなかった。
そうなることを止めたかった。
だから戦ったのに。
その日その時、響古の脳裏に陰惨な情景が蘇る。
赤黒い鮮血で彩られた空間を傲然と支配する二人。
まさに、血と暴虐の化身だった。
理性的判断力なんてものは消し飛んでいた。
「――まったく…これじゃ、とても勝ったとは言えないな…学園祭まで、あと2週間…出馬さんの話じゃ、バレーボールの後に僕らの試合の場もあるらしい…その時だ。その時までに僕は、この技を完成させる」
三木の厳しい声を受けて、男鹿は耐えられず顔をしかめた。
「全校生徒の目の前で、きっちりと証明するよ。僕の方が強いって事を…そして、理解させる。僕と君、どちらが彼女にふさわしいのか。僕が彼女の心に、これまで以上の輝きを吹き込んでみせる」
表面は冷え冷えと凍え、奥底では黒く燃える彼の声を、ただ一人が聞く。
「昔は"黒薔薇"や"魔女"だったけど、今では"黒雪姫"と呼ばれてるんだね。かわいそうに……あの場に僕がいなくてごめんなさい。僕は転校して奈良に行ってたけど、ずっとあなたの事でいっぱいだったから」
逆に、響古に語る優しい口調、その仕草は慈愛に満ちている。
全て包み込むような優しさに溢れている。
それでも、恐怖は響古の中に湧き起こる。
「少し背が伸びたんじゃない?髪も長くなったよね……すごい綺麗だ」
思い出される過去の記憶。
己が枷を明確にした、あの日。
心に傷を負わされた記憶が、よみがえる。
もはや浸透している、その名で呼ばれ、不条理な想いやくすぶっていた未練、あるいはそれらの残滓――そうなっているはずだという感情――が込み上げる。
響古の身体は硬直し、完全に動けなくなった。
口はわななき、合わせた歯がカチカチと音を立てる。
三木は固まっている響古を見て、不思議そうに顔を覗き込んだ。
「どうしたの……怯えてるの?」
「ち、ちが……そんな事、は」