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こんなことは漫画やアニメ、それこそ『物語』の中の話で、現実には絶対ありえないことなんだ。
何かあると大人はすぐ、虚構と現実を混同、などと言うけれど。
そんなのは、ただの思考停止だ。
自分にもわからないものに理屈をつけるのに、精神という極めて個人的なものに責任を押しつけてしまっているだけのことだ。
虚構と現実の区別がつかないなんてこと……まず、あるわけがない。
ゲームはゲーム、漫画は漫画……現実は現実だ。
14年も生きていれば、そのくらいはわかる。
転校生と転校初日で道でぶつかったり、あまつさえその子がトーストをくわえていたり、その上、一目惚れだったりしたらまず自分を疑う。
まして、空から人が降ってくるなんてことはあり得ない。
だから私――篠木 響古は、空から人なんて降ってくるとは予想もしていなかった。
この喧嘩に明け暮れた日常から、とにかく普通に、平凡な人生を送りたかった。
生涯、私はこの喧嘩という迷宮から抜け出せないだろう。
何故ならこの後、空から人が降ってきてしまったんだから。
男鹿 辰巳が。
通学路の裏道で、その暴行は繰り広げられていた。
袋小路にぶちまけられたゴミの中で、一人の少女が抵抗もせず、ボロボロの状態。
それを、取り囲んだ五人の、やはり男達が好き放題に蹴り飛ばしていた。
「ったく、日本語喋れねェのかよ、こいつ!」
「黙ってないで、なんとか言えよ!」
蹴られている少女は十代半ば、艶やかな黒髪も細身の身体もゴミにまみれている。
蹴っているのは、それぞれ十代とおぼしい不良の男達。
彼らは、全く攻撃してこない少女の不甲斐なさに呆れ、不機嫌さを感じる。
「よォ、もう飽きたんだけどさァ、早く言いふらさね?最近噂になっていた"黒雪姫"を俺達が倒したって」
言いつつ、一人が少女をゴミの中へと練り込むように踏みにじる。
別の一人が返した。
「そだな。あんま楽しめねぇし、でけえの一発でシメにすっか」
一方的に蹴られ続けられる少女は、抵抗もしなければ声も出さない。
曇る視界の中、思いに沈む。
――喧嘩すれば、こんな気持ち、すぐなくなると思ったのに…。
何故、こんなに重くて嫌な気持ちを湧き上がらせるのか。
内と外からくる胸の苦しさに顔を伏せつつ、少女はゴミの中から身を起こした。
――"黒雪姫"。あいつがつけた、忌まわしい呼び名……。
彼らの嘲笑、この世界の残酷さが少女――響古を翻弄する。
「っは!?」
突如湧き上がった気配に、響古は向き直った。
頭上、高さ二メートルを優に超す壁を蹴って跳んだ、使い込まれた学ランを翻す。
その何者かは、少年。
少年は、空いた地面にではなく、立っている男に向かって落下。
男の顔が、動揺と驚愕が合い混ぜになった半笑いになり、
「……ぇ、ブッ!?」
飛び降り様に蹴りを顔面に食らい、派手に吹っ飛んだ。
哀れな男が飛んできた仲間に巻き込まれる形で一緒に倒れて、二人まとめて気絶する。
目眩 を紛 らす、その光の薄れた後に、響古は見出す。
――……誰……?
自分と男達の間に屹立する、大きな、力に満ちた背中を。
不揃いな黒髪が、短い学ランが、着地の余韻になびき、揺れていた。
響古は、周りの状況も、置かれた立場も忘れて見入った。
圧倒的な存在感だった。
その向こうにいる男達など、ただの背景に過ぎなかった。
「な、なんだ一体!?」
「何が起こった!?」
不意に、背を向けたまま少年が言った。
「アレ?行く道、間違ったか?」
内面の激しさを表したような鋭い眉の下で、つり上がった黒い目が辺りを見渡している。
響古はその横顔に見惚れて数秒間、呼吸も忘れた。
この男が真上から飛び降りてきたのだ、という確信が過 ぎる。
そうでなければ、こんなにも心奪う光景が生まれるはずない――。
そんなことを考えていると、視線を感じたのか突然、その少年が振り向いた。
あ、と思ったが、もう遅い。
真正面から目が合ってしまった。
唖然とする男達を背にした少年が目を見開く。
彼はまず不可解そうに眉を寄せ、それから詰問の口調で訊ねた。
「どした、おまえ?」
夢ではなく、確かに聞こえてきた。
「え、あ」
響古は思わず跳ね上がる。
まさか、話しかけられるなんて思ってもいなかった。
何か答えなければ、と慌てて言葉を探そうとした時、男の容赦のない怒声があがった。
「てめぇ、どっから出てきやがった!」
「オレ達の邪魔しにきたのか!?」
突然、上から人が降ってきたのだから、驚くのは当然。
そして、その驚きは相手が誰かということに気づいてから、さらに広がった。
「おっ……男鹿…」
「マジかよ……もしかして、コイツも"黒雪姫"狙いか?」
「……こないだの占いで死相が出てるって言われたの、的中しちまった……!」
怒鳴っていた連中から口々に語られる言葉は、どれも声音に後悔が満ちていた。
それに対して、少年――男鹿はつまならそうな表情で、
「邪魔だ、どけ」
言い放った直後、右足が掠んで見えるほどの速度で動いた。
響古は呆然と、十数秒で終わった喧嘩の結果を見やった。
男達は仲良く地面に倒れていた。
男鹿の理由は単純――たまたま自分の進行方向に男達が道を塞いでいたということだが、それでも、響古が後ろにいることに気づいている。
「おまえの制服、ゴミだらけだけどいいのか?それと、すげぇ真っ赤だぞ」
男鹿のその台詞で、響古は自分の赤面ぶりに気づいたらしい。
制服のゴミを払い落とし、苦虫を噛み潰したような顔で男鹿を見る。
響古の睨みなど効かず、澄まし顔で右手を差し出してきた。
「立てるか?」
「……平気よ、このくらい。ちょっと油断してただけ」
響古は立ち上がり、髪を軽く梳 き、もう一度制服の汚れを払った……ただそれだけなのに、もうさっきのみっともない無様さが、凛々しい美少女に変身していた。
「さっきの事は礼を言うわ、ありがと」
彼女の細められた眼差しも、冷ややか声も、触れれば深く突き刺さる棘のようだった。
響古は、それで終わったかのように、男鹿を通り越して歩き出す。
「あ」
男鹿は一旦、言葉を止めた。
迷ったのは束の間だけで、意識する前に、自然に身体が動いていた。
自分より背の低い美貌を見つめると、響古はたじろいだ様子で僅かに身を退く。
「な、なに?」
「ちょっといいか?」
男鹿は彼女の頬や口許についた血を、指で拭った。
「――っ!」
「まだ、汚れてるところがあったぞ」
驚く響古へ、男鹿はただ言って、すぐに背を向けて歩いた。
だから、名前も知らないその少女がどんな表情をしたのかは見なかったし、少女がどんな人間なのかも知らないままだった。
異変は学校帰りにやって来た。
全く自慢にならないが、自分が女子に好かれるタイプだと思ったことは一度もない。
男鹿 辰巳は面白い話の一つもできず、気も利かない朴念仁 なのだ。
腐れ縁である少年からはよく鈍いと罵倒されるし、口うるさいところもある。
こんな男を好いてくれる物好きな女子は、そうはいない。
それまでは、そう思っていたはずだった。
放課後の帰りということで、がやがやわいわい騒いでいた通学路が凍りついたのは、生徒の一人が、
「オイ、なんで皇架中の"黒雪姫"が……」
と小声でどこかに話しかけたのが聞こえ、男鹿は眉をひそめて皆と同じ方向へと目をやる。
そこに立っているのは、世にも美しい少女だった。
相変わらず、凛々しい美貌を厳しさと鋭さで包んで、腕を胸の前で組んでいる。
男鹿はまず、何故彼女がここにいるのかよりも、こいつは誰だ、という疑問に首を捻った。
声をかけるのを躊躇させるのに、充分なほど。
表情を険しくし、威厳たっぷりの彼女が、ふんと鼻息をつくと、生徒達の顔に怯えと動揺が駆け巡る。
彼女は生徒達の反応に一瞬だけ顔をしかめ、周りを見渡した。
誰かを捜しているかのように。
さ迷っていた視線が、男鹿とぶつかって止まった。
歯車の歪みが完全に払拭され、カチリ、とはまった音を聞いた気がした――まさか、と男鹿が動揺で固まると、彼女の美貌がぴくりと動き、そのふっくらとした唇から声が紡ぎ出される。
「あんた……男鹿辰巳。話があるわ、っ、いいわね!」
すると、何故か上擦った声で言い、指を突きつけてくる。
「……は?」
男鹿には訳のわからないまま、響古は大股でずかずかと向かってくる。
助けを求めようと周りを見渡しても、古市はその場にはいなく、誰一人として目を合わせてはくれなかった。
視線を落として、響古の美貌を窺う。
目の前に立つ少女の、耳まで真っ赤になった顔は、よく観察すれば怒っているのとはどこか違って見えた。
響古は、ゆでだこみたいに染まった美貌を、背伸びして男鹿に近づけた。
「あんた、恋人はいるの?」
「……は?」
べき、と不穏な音が聞こえる。
視線を移すと、信じがたいことに、少女が手を押しつけている壁に、どんな怪力なのか、亀裂が走り始めていた。
「ヒビが――」
逃げ腰でつぶやき、その視線にハッとし、目を白黒させる。
「な、なんの話だよ?話が、全然見えねーんだけど」
「だから!その、つ……付き合ってる相手はいるのかって聞いてるの!」
「付き合ってる……?」
男鹿が戸惑っていると、響古は今にも殴りかかそうな勢いで詰め寄ってきた。
形のよい眉が、今は興奮でつり上がっている。
「いないの!?それとも、い、いるの!?」
「いない、けど……」
正直に返した男鹿の答えに、ほっとしたような表情を見せた。
「そ、そう!わかったわ」
男鹿は混乱してきた頭で必死に考える。
この変な少女は、結局何が言いたいのだろう?
意を決して、口を開いてみた。
「あのよォ」
「な、な、なに!?」
響古の中に何やら緊張が走ったようだった。
上気した顔で怒鳴った響古に、男鹿は問いかけた。
「それで、オレに何か用か?」
「な!あ――」
彼女のうろたえぶりは凄まじかった。
まず、もうこれ以上赤くなるまいと思っていた顔が、もっと赤くなった。
響古は、びくっと身を仰け反らせ、心底動揺した表情で数秒間停止して、それから覚悟を決めたように引き締め、拳を壁に振りかざした。
瞬間、拳のめり込んだ跡が穿 たれる。
「うおっ、すげぇ!――のわ!」
驚いていると、胸ぐらを掴まれ、再び化け物じみた力で引っ張られた。
「私と……つ」
すぐ間近に、頬を赤くした美貌がある。
「つ?」
男鹿が反射的に聞き返すと、響古はもごもごと台詞を喉につっかえさせて目を伏せた。
次に視線を合わせた時、少女の目は完全に据わっていた。
「どこの誰だか知らないけど……ずっと昔から愛していた気がするわ。あんた、わ…私と……その、つ、つ、付き合いなさい!!」
一瞬の静寂をおいて、真っ白になった男鹿の意識に、通学路を揺るがすどよめきが届いた。
それは歓声とも悲鳴ともつかない、爆音のように凄まじい叫びだった。
あの"黒雪姫"篠木 響古が"アバレオーガ"、"デーモン"男鹿 辰巳に告白した。
その驚きと好奇は、瞬 く間に不良達に広がっていく。
波紋となって大きく揺らした。
何かあると大人はすぐ、虚構と現実を混同、などと言うけれど。
そんなのは、ただの思考停止だ。
自分にもわからないものに理屈をつけるのに、精神という極めて個人的なものに責任を押しつけてしまっているだけのことだ。
虚構と現実の区別がつかないなんてこと……まず、あるわけがない。
ゲームはゲーム、漫画は漫画……現実は現実だ。
14年も生きていれば、そのくらいはわかる。
転校生と転校初日で道でぶつかったり、あまつさえその子がトーストをくわえていたり、その上、一目惚れだったりしたらまず自分を疑う。
まして、空から人が降ってくるなんてことはあり得ない。
だから私――篠木 響古は、空から人なんて降ってくるとは予想もしていなかった。
この喧嘩に明け暮れた日常から、とにかく普通に、平凡な人生を送りたかった。
生涯、私はこの喧嘩という迷宮から抜け出せないだろう。
何故ならこの後、空から人が降ってきてしまったんだから。
男鹿 辰巳が。
通学路の裏道で、その暴行は繰り広げられていた。
袋小路にぶちまけられたゴミの中で、一人の少女が抵抗もせず、ボロボロの状態。
それを、取り囲んだ五人の、やはり男達が好き放題に蹴り飛ばしていた。
「ったく、日本語喋れねェのかよ、こいつ!」
「黙ってないで、なんとか言えよ!」
蹴られている少女は十代半ば、艶やかな黒髪も細身の身体もゴミにまみれている。
蹴っているのは、それぞれ十代とおぼしい不良の男達。
彼らは、全く攻撃してこない少女の不甲斐なさに呆れ、不機嫌さを感じる。
「よォ、もう飽きたんだけどさァ、早く言いふらさね?最近噂になっていた"黒雪姫"を俺達が倒したって」
言いつつ、一人が少女をゴミの中へと練り込むように踏みにじる。
別の一人が返した。
「そだな。あんま楽しめねぇし、でけえの一発でシメにすっか」
一方的に蹴られ続けられる少女は、抵抗もしなければ声も出さない。
曇る視界の中、思いに沈む。
――喧嘩すれば、こんな気持ち、すぐなくなると思ったのに…。
何故、こんなに重くて嫌な気持ちを湧き上がらせるのか。
内と外からくる胸の苦しさに顔を伏せつつ、少女はゴミの中から身を起こした。
――"黒雪姫"。あいつがつけた、忌まわしい呼び名……。
彼らの嘲笑、この世界の残酷さが少女――響古を翻弄する。
「っは!?」
突如湧き上がった気配に、響古は向き直った。
頭上、高さ二メートルを優に超す壁を蹴って跳んだ、使い込まれた学ランを翻す。
その何者かは、少年。
少年は、空いた地面にではなく、立っている男に向かって落下。
男の顔が、動揺と驚愕が合い混ぜになった半笑いになり、
「……ぇ、ブッ!?」
飛び降り様に蹴りを顔面に食らい、派手に吹っ飛んだ。
哀れな男が飛んできた仲間に巻き込まれる形で一緒に倒れて、二人まとめて気絶する。
――……誰……?
自分と男達の間に屹立する、大きな、力に満ちた背中を。
不揃いな黒髪が、短い学ランが、着地の余韻になびき、揺れていた。
響古は、周りの状況も、置かれた立場も忘れて見入った。
圧倒的な存在感だった。
その向こうにいる男達など、ただの背景に過ぎなかった。
「な、なんだ一体!?」
「何が起こった!?」
不意に、背を向けたまま少年が言った。
「アレ?行く道、間違ったか?」
内面の激しさを表したような鋭い眉の下で、つり上がった黒い目が辺りを見渡している。
響古はその横顔に見惚れて数秒間、呼吸も忘れた。
この男が真上から飛び降りてきたのだ、という確信が
そうでなければ、こんなにも心奪う光景が生まれるはずない――。
そんなことを考えていると、視線を感じたのか突然、その少年が振り向いた。
あ、と思ったが、もう遅い。
真正面から目が合ってしまった。
唖然とする男達を背にした少年が目を見開く。
彼はまず不可解そうに眉を寄せ、それから詰問の口調で訊ねた。
「どした、おまえ?」
夢ではなく、確かに聞こえてきた。
「え、あ」
響古は思わず跳ね上がる。
まさか、話しかけられるなんて思ってもいなかった。
何か答えなければ、と慌てて言葉を探そうとした時、男の容赦のない怒声があがった。
「てめぇ、どっから出てきやがった!」
「オレ達の邪魔しにきたのか!?」
突然、上から人が降ってきたのだから、驚くのは当然。
そして、その驚きは相手が誰かということに気づいてから、さらに広がった。
「おっ……男鹿…」
「マジかよ……もしかして、コイツも"黒雪姫"狙いか?」
「……こないだの占いで死相が出てるって言われたの、的中しちまった……!」
怒鳴っていた連中から口々に語られる言葉は、どれも声音に後悔が満ちていた。
それに対して、少年――男鹿はつまならそうな表情で、
「邪魔だ、どけ」
言い放った直後、右足が掠んで見えるほどの速度で動いた。
響古は呆然と、十数秒で終わった喧嘩の結果を見やった。
男達は仲良く地面に倒れていた。
男鹿の理由は単純――たまたま自分の進行方向に男達が道を塞いでいたということだが、それでも、響古が後ろにいることに気づいている。
「おまえの制服、ゴミだらけだけどいいのか?それと、すげぇ真っ赤だぞ」
男鹿のその台詞で、響古は自分の赤面ぶりに気づいたらしい。
制服のゴミを払い落とし、苦虫を噛み潰したような顔で男鹿を見る。
響古の睨みなど効かず、澄まし顔で右手を差し出してきた。
「立てるか?」
「……平気よ、このくらい。ちょっと油断してただけ」
響古は立ち上がり、髪を軽く
「さっきの事は礼を言うわ、ありがと」
彼女の細められた眼差しも、冷ややか声も、触れれば深く突き刺さる棘のようだった。
響古は、それで終わったかのように、男鹿を通り越して歩き出す。
「あ」
男鹿は一旦、言葉を止めた。
迷ったのは束の間だけで、意識する前に、自然に身体が動いていた。
自分より背の低い美貌を見つめると、響古はたじろいだ様子で僅かに身を退く。
「な、なに?」
「ちょっといいか?」
男鹿は彼女の頬や口許についた血を、指で拭った。
「――っ!」
「まだ、汚れてるところがあったぞ」
驚く響古へ、男鹿はただ言って、すぐに背を向けて歩いた。
だから、名前も知らないその少女がどんな表情をしたのかは見なかったし、少女がどんな人間なのかも知らないままだった。
異変は学校帰りにやって来た。
全く自慢にならないが、自分が女子に好かれるタイプだと思ったことは一度もない。
男鹿 辰巳は面白い話の一つもできず、気も利かない
腐れ縁である少年からはよく鈍いと罵倒されるし、口うるさいところもある。
こんな男を好いてくれる物好きな女子は、そうはいない。
それまでは、そう思っていたはずだった。
放課後の帰りということで、がやがやわいわい騒いでいた通学路が凍りついたのは、生徒の一人が、
「オイ、なんで皇架中の"黒雪姫"が……」
と小声でどこかに話しかけたのが聞こえ、男鹿は眉をひそめて皆と同じ方向へと目をやる。
そこに立っているのは、世にも美しい少女だった。
相変わらず、凛々しい美貌を厳しさと鋭さで包んで、腕を胸の前で組んでいる。
男鹿はまず、何故彼女がここにいるのかよりも、こいつは誰だ、という疑問に首を捻った。
声をかけるのを躊躇させるのに、充分なほど。
表情を険しくし、威厳たっぷりの彼女が、ふんと鼻息をつくと、生徒達の顔に怯えと動揺が駆け巡る。
彼女は生徒達の反応に一瞬だけ顔をしかめ、周りを見渡した。
誰かを捜しているかのように。
さ迷っていた視線が、男鹿とぶつかって止まった。
歯車の歪みが完全に払拭され、カチリ、とはまった音を聞いた気がした――まさか、と男鹿が動揺で固まると、彼女の美貌がぴくりと動き、そのふっくらとした唇から声が紡ぎ出される。
「あんた……男鹿辰巳。話があるわ、っ、いいわね!」
すると、何故か上擦った声で言い、指を突きつけてくる。
「……は?」
男鹿には訳のわからないまま、響古は大股でずかずかと向かってくる。
助けを求めようと周りを見渡しても、古市はその場にはいなく、誰一人として目を合わせてはくれなかった。
視線を落として、響古の美貌を窺う。
目の前に立つ少女の、耳まで真っ赤になった顔は、よく観察すれば怒っているのとはどこか違って見えた。
響古は、ゆでだこみたいに染まった美貌を、背伸びして男鹿に近づけた。
「あんた、恋人はいるの?」
「……は?」
べき、と不穏な音が聞こえる。
視線を移すと、信じがたいことに、少女が手を押しつけている壁に、どんな怪力なのか、亀裂が走り始めていた。
「ヒビが――」
逃げ腰でつぶやき、その視線にハッとし、目を白黒させる。
「な、なんの話だよ?話が、全然見えねーんだけど」
「だから!その、つ……付き合ってる相手はいるのかって聞いてるの!」
「付き合ってる……?」
男鹿が戸惑っていると、響古は今にも殴りかかそうな勢いで詰め寄ってきた。
形のよい眉が、今は興奮でつり上がっている。
「いないの!?それとも、い、いるの!?」
「いない、けど……」
正直に返した男鹿の答えに、ほっとしたような表情を見せた。
「そ、そう!わかったわ」
男鹿は混乱してきた頭で必死に考える。
この変な少女は、結局何が言いたいのだろう?
意を決して、口を開いてみた。
「あのよォ」
「な、な、なに!?」
響古の中に何やら緊張が走ったようだった。
上気した顔で怒鳴った響古に、男鹿は問いかけた。
「それで、オレに何か用か?」
「な!あ――」
彼女のうろたえぶりは凄まじかった。
まず、もうこれ以上赤くなるまいと思っていた顔が、もっと赤くなった。
響古は、びくっと身を仰け反らせ、心底動揺した表情で数秒間停止して、それから覚悟を決めたように引き締め、拳を壁に振りかざした。
瞬間、拳のめり込んだ跡が
「うおっ、すげぇ!――のわ!」
驚いていると、胸ぐらを掴まれ、再び化け物じみた力で引っ張られた。
「私と……つ」
すぐ間近に、頬を赤くした美貌がある。
「つ?」
男鹿が反射的に聞き返すと、響古はもごもごと台詞を喉につっかえさせて目を伏せた。
次に視線を合わせた時、少女の目は完全に据わっていた。
「どこの誰だか知らないけど……ずっと昔から愛していた気がするわ。あんた、わ…私と……その、つ、つ、付き合いなさい!!」
一瞬の静寂をおいて、真っ白になった男鹿の意識に、通学路を揺るがすどよめきが届いた。
それは歓声とも悲鳴ともつかない、爆音のように凄まじい叫びだった。
あの"黒雪姫"篠木 響古が"アバレオーガ"、"デーモン"男鹿 辰巳に告白した。
その驚きと好奇は、
波紋となって大きく揺らした。