バブ25~27
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ゴミ捨て場に吹っ飛ばされた男鹿は唾を吐き捨て、喧嘩を仕掛けた男――相沢を見据えた。
「東条…?東条っつったか?……今」
「おおっ!!立つの?立っちゃうの!?いいね、いいね!!」
対する相沢は嬉しそうに声をあげ、軽口を叩く。
本当に感心しているような口調。
「そーこなっくちゃつまんねーよなぁ。男鹿くん」
バブ25
きれいさっぱりと
男鹿は相沢との距離を一呼吸も置かずに詰めると同時に、遠慮も加減もない拳を繰り出した。
「…っと」
ところが、あっさりと上体を反らされ、かわされた。
手加減なしに振るわれた一撃、捉えたそれを外した男鹿は驚き、相沢はにやにやと笑みを浮かべてこちらを見ていた。
「ははっ。あぶね」
それは、挑発よりも腹立たしい行為――格下に対する絶対の余裕だ。
「悪くないが…まだまだ」
次の瞬間、相沢は低い姿勢で突進する。
刹那、眼前にゴミ袋が飛んできて、左腕で払いのける。
「おおっ」
ゴミ袋で身を隠しつつ、ほとんど間を開けずに低い姿勢で飛び込んだ男鹿は、既に目の前にいた。
そこから、強靭 なバネのように身体を伸ばしつつ、中から回り込むようにして回し蹴りを放つ。
「うはっ」
男鹿の蹴りは、相沢の頭を掠めるようにして吹き抜けた。
「おわりか?」
愕然としている瞬間にも、油断していたわけではないのに、その動きをハッキリ見ることはできなかった。
気づけば、相沢は僅かに沈み込んだ位置から左手を構え、身体ごと投げ出すようにして飛びかかってきているところだった。
姿が霞んで見えるほどの速度に対し、反応の遅れは致命的だった。
今から何かをしようとしても、絶望的に間に合わない……と、男鹿は他人事のように思う。
――こいつ…強 え…!!
相沢の拳が一直線に自分の顔めがけて伸びてくるのを見ながら、避けることも反撃することもせず。
その直後、携帯の着信音が鳴った。
「あいよ、相沢。まいど、はい」
「………」
通話中の相沢の後ろ姿に、男鹿の顔に汗が滲む。
調子が狂うとか、そういう問題ではない。
先程の喧嘩と変わらないその態度は、得体の知れない恐怖を生み出させる。
「どええっ、まじっすか!!了解。すぐ、いきます」
通話をオフにして、相沢は携帯を閉じて男鹿に振り返った。
「悪いな。急用が入っちまった。また、今度遊ぼーぜ」
「……………待てよ」
いきなり仕掛けてきて、突然中断だというのに、出会った時と変わらぬ笑みを口許に浮かべている相沢へと、男鹿は問いつめる。
「…てめぇ、東条の何なんだ…?」
「手下その1――ってとこかな……それと"黒雪姫"に伝えといて」
相沢のサングラス越しの瞳が、男鹿に向けられた。
その眼差しはとても真剣で、また、満足そうでもあったから。
「一応聞く。何なんだ?」
「"黒雪姫"に――」
彼が口にしたメッセージを聞いた途端、男鹿は唖然とした。
ほとんど、その内容が理解できなかった。
「じゃ、またね」
呑気に手を振りながら去っていく相沢の背中を見つめる男鹿の掌は、じと…と冷や汗が滲んでいた。
「ただいまーっと」
男鹿が自宅に着くと、居間にはアイスを食べる美咲がソファに座っている。
「あら、たつみ。ヒルダちゃんは一緒じゃないの?」
「あん?」
「お醤油買ってきて貰おうと思ったんだけどさー。おかしいわねー、どこ行ったのかしら…」
首を傾げながら未だ帰ってこないヒルダの行方を心配する美咲。
それを聞いた男鹿は早足で階段を登り、自分の部屋へと直行した。
自室には、寝息を立てる響古とベル坊しかいなく、ヒルダの姿はどこにもいない。
「……あのやろう…ベル坊、放ったからして、どこ行きやがった」
文句を言いながら、火照ったベル坊の手を握ったまま眠る響古に視線を向ける。
「――ったく、あんな大騒ぎしてたくせによ」
すっかりぬるくなってしまったタオルを水に浸して絞り、ベル坊の額に当てる。
「よっ…と」
次に、眠った響古の身体を抱きかかえ、ベッドに降ろす。
その時に、響古の白い肌と胸元がちらりと覗き、男鹿は焦って顔を背ける。
両目を閉じ、繊細可憐な寝顔を見せる響古。
胸元で感じた彼女の吐息は熱く、抱きしめる彼女の身体が柔らかく、男鹿は思った。
女の子だ。
誰がどんな噂を流そうが、どんなに喧嘩が強かろうが、どんなに超越的な美少女であろうが、結局のところ、ある意味ではそれ以上でもそれ以外でもない。
"黒雪姫"篠木 響古も、一人の女の子でしかない。
今さらかもしれないが、響古については謎が多すぎる。
結局、一番肝心なことはわからないでいた。
今までの発言、知識を導入して考えていくしかない。
「……………」
いや、違う。
思考がずれている、もう一回だ、響古の行動と、その軌跡を考えるんだ。
そうしないと、導き出せない。
「まだ、まだ……足りない」
考えろ。
今までの材料を、しっかりと摘み取れ。
「……………ダメだ。全っ然、わかんねー」
元々、頭を使って考えることが苦手なため、すぐギブアップの声をあげ、寝ることに決めた。
夜、ヘッドの上でくっつくようにして眠る三人。
響古、ベル坊、男鹿の順番で川の字になって寝息を立てる。
「かーーっ」
「スー……」
「アー」
二つの寝息に混じって、ベル坊が微かに目を開けた。
ベッドの中で目が覚めた響古はぼんやりとした頭で、自分の今の状態を確認する。
「~~はれ?なんであたし、ベッドで寝てるの?」
確か、自分はベル坊を看病していて、そのまま寝てしまった。
それが何故か、ベッドで寝ていた。
全く、見当がつかない。
上半身を起こした響古は、とてつもない違和感を覚えて首を捻る。
「んー」
そのまま声を漏らしながら、しばらく考えていたが、やがて視線を下へ落とした。
「え――」
その瞬間、固まった。
目の前、吐息のかかるほどに近く、というより彼が自分を抱きかかえる格好で、男鹿が隣に寝ていた。
普段の獰猛さや力強さが欠片もない、安らいだ寝顔。
「………」
篠木 響古、15歳……一応お年頃な女の子。
その、恋すらためらわれる寝顔に見惚れること数秒、
「………はっ!?」
途端、響古は白い顔をほんのりと赤く染め、後ずさる。
「ん……もう、朝か?」
男鹿が、目を覚ました。
「……お、おはよう」
ぎこちなく響古が声をかけると、茫洋 とした眼差しを向ける。
「おお、響古……ん~~~っ!」
男鹿は全身に強い力を行き渡らせるように伸びをする。
「あ~~、慣れない頭使ったから、発狂しそうだ~~」
起きたばかりだというのに、心身はズタズタで、二度寝したい。
この不調極まる脳髄をなんとかしてくれ。
(あー、ダメだ。眠すぎる)
意識は濁った沼のように透明感がなく、疲れが彼をベッドに叩きつけようとする。
「…辰巳、頬、大丈夫?」
横から突然、申し訳なさそうな言葉が聞こえてくる。
男鹿はびくりと震え、その意識が現実に立ち返る。
目を向けずともわかる。
自分がベッドに寝かせた響古だった。
「……昨日は、ごめん。あたし、いきなり怒鳴って、ぶっちゃって」
眉を下げ、緊張した面持ちで響古が謝る。
「な、何言ってんだよ。お前が謝ることねーじゃん」
男鹿は気まずげなしかめ面で、物凄く焦った。
あの時に響古が流した涙。
響古が思いがけず流した涙。
男鹿には、涙を流させた自分の無力と無謀が悔しかったし、情けなかった。
すると、響古は自嘲気味の溜め息をついて言う。
「それに、辰巳に涙を見せちゃって、それが情けなくて、恥ずかしかったの。辰巳の顔を正面から見つめられなかった。頬をぶってごめん」
男鹿は驚いて、彼女の顔を見つめた。
そんなふうなことを思ってくれていたのか。
響古はふと、彼の頬や手や足に、ごくごく小さな傷があることに気づいた。
「どうしたの、その傷?」
言われて、男鹿は昨夜の奇襲を話した。
途端、響古の表情が歪み、奥歯を噛みしめる。
「……とうとう、動いてきたわね」
やがて、伏せがちな目線をしっかりと上げて、男鹿と向き合う。
彼女の顔には、さっきの緊張の名残は欠片もない。
むしろ、意志の光を放っているように見えた。
まっすぐに男鹿を見つめる。
(辰巳と、誓おう)
いつか、母が言っていた。
口と口のキスは、誓いなのだと。
(――「自分の全てに近づけてもいい、自分の全てを任せてもいい……そう誓う行為。それは親しい人達にするものと違う、もっと強くてどうしようもない気持ちを表す、決意の形。だから、その決意をさせるのにふさわしい相手でなければ絶対にするべきじゃないし、されるべきでもない」――)
あくまで愚直に、検証する。
自分の全てに近づけてもいいか、自分の全てを任せてもいいか。
(いい)
どうしようもない気持ち。
それを表す決意を持っているか。
(持ってる)
男鹿 辰巳は、その決意をさせるのにふさわしい相手か。
今までの喧嘩が、彼とのやり取りが脳裏に蘇る。
(辰巳となら)
男鹿となら、誓える。
その想いを一瞬で流し、顔を上げる。
自分を見つめている顔は、しかし以前とは違っている。
「辰巳」
「へ……?」
怪訝な顔をする男鹿に身を寄せる。
「おいっ!?」
不意の動きに驚く男鹿だったが、逃げることができない。
「……」
響古は一瞬、言葉で彼に告げようかと思ったが、男鹿の顔を見ている内に、
(いい、誓う)
一方的な覚悟を決めて、耐えがたいと、自分がしようとしている行為の大胆さに、身を震わせる。
近づき、合わさる唇。
大胆で奔放な彼のキスとは違い、かたくなで不慣れな、ぎこちない口づけ。
「――あたし…ずっと辰巳に言おうと思ってたけど、怖くて言えなかった事があるの…軽蔑されると思って……嫌われると思って……怖かった」
ぐっと響古が体重をかけて、上にのしかかってきた。
男鹿の頬を両側から掌で挟み込み、さらに強く唇を押しつける。
まるで彼女の決意を表明するかのような、不器用で力強い仕草だった。
だが、それも一瞬、すぐに響古は力を抜いた。
僅かに唇を開き、優しく男鹿の唇を包み込む。
「でも、今、あたしは逃げや誤魔化しを踏み越える……辰巳、隠し事しててごめんね。隠してた事、今から全部話すから」
身体が熱い、唇が柔らかい。
どれだけ待っても、彼女は話そうとしないし、唇を放そうとしない。
息苦しくなった男鹿は、空気を求めて少しだけ緩ませてしまった。
その瞬間、響古が控えめに開いていた唇と男鹿の唇は、今までよりも深く合わさってしまった。
きっちりと、より深く。
二人の唾液が交じり合い、溶け合う。
ただそれだけなのに、得も言われぬ充足感と一体感があった。
「東条…?東条っつったか?……今」
「おおっ!!立つの?立っちゃうの!?いいね、いいね!!」
対する相沢は嬉しそうに声をあげ、軽口を叩く。
本当に感心しているような口調。
「そーこなっくちゃつまんねーよなぁ。男鹿くん」
バブ25
きれいさっぱりと
男鹿は相沢との距離を一呼吸も置かずに詰めると同時に、遠慮も加減もない拳を繰り出した。
「…っと」
ところが、あっさりと上体を反らされ、かわされた。
手加減なしに振るわれた一撃、捉えたそれを外した男鹿は驚き、相沢はにやにやと笑みを浮かべてこちらを見ていた。
「ははっ。あぶね」
それは、挑発よりも腹立たしい行為――格下に対する絶対の余裕だ。
「悪くないが…まだまだ」
次の瞬間、相沢は低い姿勢で突進する。
刹那、眼前にゴミ袋が飛んできて、左腕で払いのける。
「おおっ」
ゴミ袋で身を隠しつつ、ほとんど間を開けずに低い姿勢で飛び込んだ男鹿は、既に目の前にいた。
そこから、
「うはっ」
男鹿の蹴りは、相沢の頭を掠めるようにして吹き抜けた。
「おわりか?」
愕然としている瞬間にも、油断していたわけではないのに、その動きをハッキリ見ることはできなかった。
気づけば、相沢は僅かに沈み込んだ位置から左手を構え、身体ごと投げ出すようにして飛びかかってきているところだった。
姿が霞んで見えるほどの速度に対し、反応の遅れは致命的だった。
今から何かをしようとしても、絶望的に間に合わない……と、男鹿は他人事のように思う。
――こいつ…
相沢の拳が一直線に自分の顔めがけて伸びてくるのを見ながら、避けることも反撃することもせず。
その直後、携帯の着信音が鳴った。
「あいよ、相沢。まいど、はい」
「………」
通話中の相沢の後ろ姿に、男鹿の顔に汗が滲む。
調子が狂うとか、そういう問題ではない。
先程の喧嘩と変わらないその態度は、得体の知れない恐怖を生み出させる。
「どええっ、まじっすか!!了解。すぐ、いきます」
通話をオフにして、相沢は携帯を閉じて男鹿に振り返った。
「悪いな。急用が入っちまった。また、今度遊ぼーぜ」
「……………待てよ」
いきなり仕掛けてきて、突然中断だというのに、出会った時と変わらぬ笑みを口許に浮かべている相沢へと、男鹿は問いつめる。
「…てめぇ、東条の何なんだ…?」
「手下その1――ってとこかな……それと"黒雪姫"に伝えといて」
相沢のサングラス越しの瞳が、男鹿に向けられた。
その眼差しはとても真剣で、また、満足そうでもあったから。
「一応聞く。何なんだ?」
「"黒雪姫"に――」
彼が口にしたメッセージを聞いた途端、男鹿は唖然とした。
ほとんど、その内容が理解できなかった。
「じゃ、またね」
呑気に手を振りながら去っていく相沢の背中を見つめる男鹿の掌は、じと…と冷や汗が滲んでいた。
「ただいまーっと」
男鹿が自宅に着くと、居間にはアイスを食べる美咲がソファに座っている。
「あら、たつみ。ヒルダちゃんは一緒じゃないの?」
「あん?」
「お醤油買ってきて貰おうと思ったんだけどさー。おかしいわねー、どこ行ったのかしら…」
首を傾げながら未だ帰ってこないヒルダの行方を心配する美咲。
それを聞いた男鹿は早足で階段を登り、自分の部屋へと直行した。
自室には、寝息を立てる響古とベル坊しかいなく、ヒルダの姿はどこにもいない。
「……あのやろう…ベル坊、放ったからして、どこ行きやがった」
文句を言いながら、火照ったベル坊の手を握ったまま眠る響古に視線を向ける。
「――ったく、あんな大騒ぎしてたくせによ」
すっかりぬるくなってしまったタオルを水に浸して絞り、ベル坊の額に当てる。
「よっ…と」
次に、眠った響古の身体を抱きかかえ、ベッドに降ろす。
その時に、響古の白い肌と胸元がちらりと覗き、男鹿は焦って顔を背ける。
両目を閉じ、繊細可憐な寝顔を見せる響古。
胸元で感じた彼女の吐息は熱く、抱きしめる彼女の身体が柔らかく、男鹿は思った。
女の子だ。
誰がどんな噂を流そうが、どんなに喧嘩が強かろうが、どんなに超越的な美少女であろうが、結局のところ、ある意味ではそれ以上でもそれ以外でもない。
"黒雪姫"篠木 響古も、一人の女の子でしかない。
今さらかもしれないが、響古については謎が多すぎる。
結局、一番肝心なことはわからないでいた。
今までの発言、知識を導入して考えていくしかない。
「……………」
いや、違う。
思考がずれている、もう一回だ、響古の行動と、その軌跡を考えるんだ。
そうしないと、導き出せない。
「まだ、まだ……足りない」
考えろ。
今までの材料を、しっかりと摘み取れ。
「……………ダメだ。全っ然、わかんねー」
元々、頭を使って考えることが苦手なため、すぐギブアップの声をあげ、寝ることに決めた。
夜、ヘッドの上でくっつくようにして眠る三人。
響古、ベル坊、男鹿の順番で川の字になって寝息を立てる。
「かーーっ」
「スー……」
「アー」
二つの寝息に混じって、ベル坊が微かに目を開けた。
ベッドの中で目が覚めた響古はぼんやりとした頭で、自分の今の状態を確認する。
「~~はれ?なんであたし、ベッドで寝てるの?」
確か、自分はベル坊を看病していて、そのまま寝てしまった。
それが何故か、ベッドで寝ていた。
全く、見当がつかない。
上半身を起こした響古は、とてつもない違和感を覚えて首を捻る。
「んー」
そのまま声を漏らしながら、しばらく考えていたが、やがて視線を下へ落とした。
「え――」
その瞬間、固まった。
目の前、吐息のかかるほどに近く、というより彼が自分を抱きかかえる格好で、男鹿が隣に寝ていた。
普段の獰猛さや力強さが欠片もない、安らいだ寝顔。
「………」
篠木 響古、15歳……一応お年頃な女の子。
その、恋すらためらわれる寝顔に見惚れること数秒、
「………はっ!?」
途端、響古は白い顔をほんのりと赤く染め、後ずさる。
「ん……もう、朝か?」
男鹿が、目を覚ました。
「……お、おはよう」
ぎこちなく響古が声をかけると、
「おお、響古……ん~~~っ!」
男鹿は全身に強い力を行き渡らせるように伸びをする。
「あ~~、慣れない頭使ったから、発狂しそうだ~~」
起きたばかりだというのに、心身はズタズタで、二度寝したい。
この不調極まる脳髄をなんとかしてくれ。
(あー、ダメだ。眠すぎる)
意識は濁った沼のように透明感がなく、疲れが彼をベッドに叩きつけようとする。
「…辰巳、頬、大丈夫?」
横から突然、申し訳なさそうな言葉が聞こえてくる。
男鹿はびくりと震え、その意識が現実に立ち返る。
目を向けずともわかる。
自分がベッドに寝かせた響古だった。
「……昨日は、ごめん。あたし、いきなり怒鳴って、ぶっちゃって」
眉を下げ、緊張した面持ちで響古が謝る。
「な、何言ってんだよ。お前が謝ることねーじゃん」
男鹿は気まずげなしかめ面で、物凄く焦った。
あの時に響古が流した涙。
響古が思いがけず流した涙。
男鹿には、涙を流させた自分の無力と無謀が悔しかったし、情けなかった。
すると、響古は自嘲気味の溜め息をついて言う。
「それに、辰巳に涙を見せちゃって、それが情けなくて、恥ずかしかったの。辰巳の顔を正面から見つめられなかった。頬をぶってごめん」
男鹿は驚いて、彼女の顔を見つめた。
そんなふうなことを思ってくれていたのか。
響古はふと、彼の頬や手や足に、ごくごく小さな傷があることに気づいた。
「どうしたの、その傷?」
言われて、男鹿は昨夜の奇襲を話した。
途端、響古の表情が歪み、奥歯を噛みしめる。
「……とうとう、動いてきたわね」
やがて、伏せがちな目線をしっかりと上げて、男鹿と向き合う。
彼女の顔には、さっきの緊張の名残は欠片もない。
むしろ、意志の光を放っているように見えた。
まっすぐに男鹿を見つめる。
(辰巳と、誓おう)
いつか、母が言っていた。
口と口のキスは、誓いなのだと。
(――「自分の全てに近づけてもいい、自分の全てを任せてもいい……そう誓う行為。それは親しい人達にするものと違う、もっと強くてどうしようもない気持ちを表す、決意の形。だから、その決意をさせるのにふさわしい相手でなければ絶対にするべきじゃないし、されるべきでもない」――)
あくまで愚直に、検証する。
自分の全てに近づけてもいいか、自分の全てを任せてもいいか。
(いい)
どうしようもない気持ち。
それを表す決意を持っているか。
(持ってる)
男鹿 辰巳は、その決意をさせるのにふさわしい相手か。
今までの喧嘩が、彼とのやり取りが脳裏に蘇る。
(辰巳となら)
男鹿となら、誓える。
その想いを一瞬で流し、顔を上げる。
自分を見つめている顔は、しかし以前とは違っている。
「辰巳」
「へ……?」
怪訝な顔をする男鹿に身を寄せる。
「おいっ!?」
不意の動きに驚く男鹿だったが、逃げることができない。
「……」
響古は一瞬、言葉で彼に告げようかと思ったが、男鹿の顔を見ている内に、
(いい、誓う)
一方的な覚悟を決めて、耐えがたいと、自分がしようとしている行為の大胆さに、身を震わせる。
近づき、合わさる唇。
大胆で奔放な彼のキスとは違い、かたくなで不慣れな、ぎこちない口づけ。
「――あたし…ずっと辰巳に言おうと思ってたけど、怖くて言えなかった事があるの…軽蔑されると思って……嫌われると思って……怖かった」
ぐっと響古が体重をかけて、上にのしかかってきた。
男鹿の頬を両側から掌で挟み込み、さらに強く唇を押しつける。
まるで彼女の決意を表明するかのような、不器用で力強い仕草だった。
だが、それも一瞬、すぐに響古は力を抜いた。
僅かに唇を開き、優しく男鹿の唇を包み込む。
「でも、今、あたしは逃げや誤魔化しを踏み越える……辰巳、隠し事しててごめんね。隠してた事、今から全部話すから」
身体が熱い、唇が柔らかい。
どれだけ待っても、彼女は話そうとしないし、唇を放そうとしない。
息苦しくなった男鹿は、空気を求めて少しだけ緩ませてしまった。
その瞬間、響古が控えめに開いていた唇と男鹿の唇は、今までよりも深く合わさってしまった。
きっちりと、より深く。
二人の唾液が交じり合い、溶け合う。
ただそれだけなのに、得も言われぬ充足感と一体感があった。