第八十八訓
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
それは奇妙な会話だった。
「獲物は?」
「大江戸病院、医師、黒田平八郎」
茶屋の前に置かれた長椅子に、二人の男女が背中合わせに座っている。
「最近、江戸で急成長している病院だがね、臓器売買に手をつけているようだ。イキのいい患者を見つけては、腹をかっさばいて臓器を取り出しているようだよ」
お互い笠を深く被り、話す声音も微かな音量。
知り合いであることを気づかれないように配慮している。
「――外道。本当の外道は、人を殺めて金を得る私達のことだわ」
自らを戒めるように言葉を紡いだ女性に、男はあっさりと肯定した。
「ちげーねーや。民を苦しめる悪党を討ちとったところで、俺達のやっていることはしょせん人殺し」
ひどい答えだと、女性にもわかっている。
いくら仕事といえど、人の命を奪うのは心を痛める。
それでも、江戸にひそむ悪を討つため、非情な始末屋が立ち上がった。
「俺達も奴等と同類だ、ロクな死に方はできまいよ。弱き民を救うため、また外道になってくれるか?」
袖から小判を取り出し、女性の方へ差し出す。
「外道にしか絶てぬ外道というのもある。私が汚れて誰かが救われるというのなら、喜んで、この手、血に染めましょう」
優美な手つきで受け取り、本物かどうかを確かめる。
忍装束ではなく着物を纏い、長い髪をまとめたさっちゃんは、己の手を汚しながらも気高い心を持つ始末屋に変貌した。
「うむ、頼んだぞ…ところで、お前さんに一つききたいことがあるんだが、さっちゃん、お前さん最近…いい人でもできたか?」
図星ともいえる発言に、さっちゃんはドキッとした。
本当に衝撃が胸を叩き、痛くなった。
思わず振り向き、上擦った声を出す。
「なっ…何を」
「いや、どうにも最近お前さんから、女の匂いがしてならねーんだ」
編み笠の奥から垣間見える、探るような表情。
思い当たることがあるのを悟られまいと、片手で男の首を締め上げる。
「勘違いよ、そんな人いないわ。セクハラ?」
「まァ、それならいいんだが、心あたりがあるなら気をつけるこった」
メキメキ、と喉を圧迫され、あやうく殺されそうになりながらも、さっちゃんの身を案じた助言をする。
「俺も長年、おめーらみてーな連中とつき合ってきたがね、どいつもこいつも、女ができた、所帯をもったという連中から死んでいく」
向かいの席には、子供に団子を食べさせる母親の姿があった。
幸せな家庭を絵に描いたような光景である。
「人間に情なんてもってる奴が、やっていける程、この商売甘かねェんだ。お前さんも一時の情にほだされて、足すくわれねーように気をつけるこった」
自分の言葉がさっちゃんに届いていることを確認して、強く言い聞かせる。
その意味は、今この状態のさっちゃんにもよく理解できた。
後日、さっちゃんは任務遂行のために看護婦として大江戸病院に忍び込んだ。
医療器具が並ぶ台車を押しながら、携帯に設定された銀時の(隠し撮りと思われる)待ち受け画面を見つめる。
――銀サン、私は大丈夫よね、だって、この感情は一時のものなんかじゃないもの。
――だって、最近は四六時中、銀さんのこと、響古さんのことばかり考えて仕事も手につかないし、一時のものなんかじゃないわ、大丈夫よ、コレは…アレ?大丈夫なのか、コレ。
頬を押さえた手が熱を伝えてくる。
動揺のあまり、思わず仕事にも支障がきたすほど強く意識してしまう感情を、すぐに打ち消した。
――いや、大丈夫よ大切なのは切り替えよ。
――仕事をやる時は死ぬ気で仕事を、恋をする時は死ぬ気で恋を。そういう姿勢が生活を豊かにするのよ。
高揚する気分を落ち着かせていると、前を歩く婦長が激怒する。
「オイぃ、新入り、病院では携帯の電源切っとくのが常識だろーが!バカか、てめーは!てめーの電源を切ってやろーか!!」
「すいません、ナース長」
怒鳴られて、素直に携帯の電源を切る。
――そう今は「メス豚さっちゃん」モードはOFFよ。
――「殺し屋さっちゃん」モードをONに…。
仕事モードへ切り替えた瞬間、ピシッと背を伸ばす。
婦長の後についていき、病室に足を踏み入れると医師の呆れた声が聞こえた。
「坂田さ~ん。アンタ一体何回、入院すれば気がすむの~。しかも、今回は篠木さんまで」
そこには、両足と左腕にギプスを装着、全身包帯だらけの上にアフロヘアの銀時がいた。
銀時と反対側のベッドには、同じく包帯だらけの響古がリンゴを剥いている。
「それで、坂田さん、ええ?記憶喪失に食中毒に…今度は一体、何?」
これまで幾度となく銀時の担当を任されてきた医師は、カルテを見ながら怪訝な顔。
「バイクが爆発して、地上30メートルから川に落下しました」
「バカは、死んでも治らんというけど、アンタは、まだ死なないね~」
「先生、医者の仕事は患者を心身にケアすることじゃないんスか?心も身体もボロボロです」
「人間はバランスが大事だから、身体がボロボロの時は、心もボロボロの方がいいんだよ」
医師からの辛辣な言葉は、銀時の荒んだ心にさらなる傷を負わせた模様。
「先生、あたしの場合はどうなんですか?」
「篠木さんはね、一応身体はボロボロなのに元気だから関係ないの」
「なるほど」
ぞんざいな理由で納得した響古は落ち込む銀時へと向き直る。
いくら怠惰な性格でもこの疲労の原因であっても、彼は恋人だ。
家じゃ突っぱねてしまうし、せめて弱っている時ぐらいは優しく……。
「ほら銀、リンゴでも食べて元気出して」
差し出されたフォークには、皮を剥いたリンゴが刺さっている。
そのフォークを持つ響古の緊張に震える手と赤くなった顔で、銀時は事態を理解した。
あーん?
それまで落ち込んでいた顔が溢れんばかりの嬉しさに変わる。
「じゃあ遠慮なく……」
自分の首を動かしてリンゴを口に含む――。
――メス豚モードON!
……しようとしたところで、さっちゃんに邪魔された。
「銀さァァァん!!」
「ぐぎゃふ」
怪我を負った左足を勢いよく踏んで、突如現れた看護婦が銀時の上に跨る。
「ぎゃああああああ、足踏んでる足踏んでる、足踏んでるぅぅぅ!!」
響古はフォークを向けたままの間抜けな格好で硬直した。
ドMの性癖を持つくの一が銀髪の恋人に跨っているのだ。
それは、響古にとって見過ごしにできないものだった。
その目つきが鋭さを増す。
「響古さんまで入院!?ゴホン。響古さん、お久しぶり。会いたかったわ」
さっちゃんはすぐに会話を続けるべく、次の相手へ身体の向きを変えた。
「…あっ!髪型がいつもと違う…」
こんなところで騒ぎを起こすつもりはなかったし、そもそも彼女には自分が失礼な真似をしたという自覚がなかった。
だからさっちゃんは心構えもなく黒髪の美女、響古へと目を向けた。
「――っ!?」
その直後、たじろいだ顔を見せてしまったのは、彼女にとって意外だったに違いない。
しかしそれも致し方のないことだった。
何故ならば、そこには……怒気を孕んだ表情の響古がいた。
冷ややかなという生易しい存在感ではない。
ツンと澄ました表情、と言えば月並みだが、その月並みな表情が毒舌と同等の攻撃力を保持しているのだ。
まだあの微笑み――悪魔の微笑みのレベルにはほど遠いが、始末屋のさっちゃんでさえも平静を失ったとしても恥にはならないプレッシャーを放っていた。
「いい度胸じゃない。あたしの目の前で銀に跨るなんざ、どうやら命が惜しくないようね」
その冷たい表情にふさわしく、響古が口にした台詞はこれだけだった。
「あんっ…そうやって私を蔑んで楽しんでるようだけど、私も結構楽しんでるから!むしろ、もっと蔑んでほしいくらいだから!」
きつい眼差しと怒気の孕んだ言葉に、さっちゃんは頬を紅潮させて身悶える。
「あなたの暴言なんて、傷つく要素を感じないくらい軽いものなんだから!むしろ、別の意味でドロドロに感じるけど!」
これまで数々の嫌がらせ寄りな調教の成果が出てきたらしい。
「…ヤバイよ、この人マジでヤバイよ」
これまでにないドン引き。
これまでにない身の危険。
銀時も顔を青ざめている。
拒絶と嫌悪に近い空気と視線を受け止め、さっちゃんはハァハァ息を荒げた。
「…帰りたいよ、あたし」
「大丈夫。ご都合主義で次回の話では何事もなかったかのように完治してるよ」
美貌をげんなりと歪ませ、泣き言をつぶやく響古に、医師はなかなかメタいことを言う。
すると、銀時が不機嫌そうに口を挟んだ。
「いやいや、この状態の俺を一人にするとか、何考えてんだよ」
「大丈夫だって。新八達がもうすぐ来るし、独りじゃないって。だから帰っていい?」
「いやいやいや、俺のことが好きなら帰るなよ」
「好きだけど、それ以上に自分が大事」
切実かつ正直な言葉に、銀時はショックを受けた。
冷たい…俺の恋人、冷たいよ。
「そんなもんだよ」
とフォローにもならない言葉をかける医師。
さっちゃんは涙ぐんで医師に詰め寄った。
「銀さん、どうしてこんな…ひどい!一体、何があったの、大丈夫なの!!先生ェ、大丈夫ですよね!コレ、銀さん大丈夫なんですよね!?治りますよね!?頭」
「頭のことかいィィィ!!」
「これはね、ドリフ爆発後ヘアーといって、ニ、三行たてば何もなかったように元に戻るから安心しなさい」
「いやです、この台詞の後にスグ治して下さい!!」
銀時のアフロヘアが受け入れられず泣き出すと、婦長に襟首を引っ張られた。
「どうでもいいから仕事しろ、新入りィィ!!オメーの担当はこっち!」
そして、患者を隔てるカーテンを開ける。
「ハーイ、お薬の時間ですよー。ホラッ、早く猿飛さん、薬ぬってあげて」
「あっ、すいません、お願いします。もう、昨日から痛くて痛くて仕方ないんですよ、痔」
さっちゃんが担当する患者――服部はズボンを下ろし、尻を剥き出しにした。
刹那、銀時は響古の両目を手でふさぎ、間一髪で漆黒の瞳が視界に入れないよう免れる。
「ん」
尻を突き出す服部が、病室に漂う不穏な空気に気づく。
――殺し屋モードON!
病室に響き渡った断末魔。
悲鳴の根源は、銀時のベットのすぐ隣。
カーテンに包まれた空間で一体何が起きたのか、その声はあまりに痛々しかった。
遮断されたカーテンの向こうには、尻に巨大な注射器を刺された服部の姿があった。
大丈夫なのかと少し気になるが、今はナースの格好をしているさっちゃんが気になる。
「で、なんでお前がこんな所にいんだ?どーいうことだ、コレは」
「私の事が知りたいの坊や?だったら焦っちゃダメ。女を知りたいんならじっくり、そして優しく、一枚一枚…」
返ってきたのがおかしくなっている口調だったので、響古は美貌を引きつらせる。
「うわ、超ウザイ」
「あー、じゃあ、もういいわ」
「獲物は?」
「大江戸病院、医師、黒田平八郎」
茶屋の前に置かれた長椅子に、二人の男女が背中合わせに座っている。
「最近、江戸で急成長している病院だがね、臓器売買に手をつけているようだ。イキのいい患者を見つけては、腹をかっさばいて臓器を取り出しているようだよ」
お互い笠を深く被り、話す声音も微かな音量。
知り合いであることを気づかれないように配慮している。
「――外道。本当の外道は、人を殺めて金を得る私達のことだわ」
自らを戒めるように言葉を紡いだ女性に、男はあっさりと肯定した。
「ちげーねーや。民を苦しめる悪党を討ちとったところで、俺達のやっていることはしょせん人殺し」
ひどい答えだと、女性にもわかっている。
いくら仕事といえど、人の命を奪うのは心を痛める。
それでも、江戸にひそむ悪を討つため、非情な始末屋が立ち上がった。
「俺達も奴等と同類だ、ロクな死に方はできまいよ。弱き民を救うため、また外道になってくれるか?」
袖から小判を取り出し、女性の方へ差し出す。
「外道にしか絶てぬ外道というのもある。私が汚れて誰かが救われるというのなら、喜んで、この手、血に染めましょう」
優美な手つきで受け取り、本物かどうかを確かめる。
忍装束ではなく着物を纏い、長い髪をまとめたさっちゃんは、己の手を汚しながらも気高い心を持つ始末屋に変貌した。
「うむ、頼んだぞ…ところで、お前さんに一つききたいことがあるんだが、さっちゃん、お前さん最近…いい人でもできたか?」
図星ともいえる発言に、さっちゃんはドキッとした。
本当に衝撃が胸を叩き、痛くなった。
思わず振り向き、上擦った声を出す。
「なっ…何を」
「いや、どうにも最近お前さんから、女の匂いがしてならねーんだ」
編み笠の奥から垣間見える、探るような表情。
思い当たることがあるのを悟られまいと、片手で男の首を締め上げる。
「勘違いよ、そんな人いないわ。セクハラ?」
「まァ、それならいいんだが、心あたりがあるなら気をつけるこった」
メキメキ、と喉を圧迫され、あやうく殺されそうになりながらも、さっちゃんの身を案じた助言をする。
「俺も長年、おめーらみてーな連中とつき合ってきたがね、どいつもこいつも、女ができた、所帯をもったという連中から死んでいく」
向かいの席には、子供に団子を食べさせる母親の姿があった。
幸せな家庭を絵に描いたような光景である。
「人間に情なんてもってる奴が、やっていける程、この商売甘かねェんだ。お前さんも一時の情にほだされて、足すくわれねーように気をつけるこった」
自分の言葉がさっちゃんに届いていることを確認して、強く言い聞かせる。
その意味は、今この状態のさっちゃんにもよく理解できた。
後日、さっちゃんは任務遂行のために看護婦として大江戸病院に忍び込んだ。
医療器具が並ぶ台車を押しながら、携帯に設定された銀時の(隠し撮りと思われる)待ち受け画面を見つめる。
――銀サン、私は大丈夫よね、だって、この感情は一時のものなんかじゃないもの。
――だって、最近は四六時中、銀さんのこと、響古さんのことばかり考えて仕事も手につかないし、一時のものなんかじゃないわ、大丈夫よ、コレは…アレ?大丈夫なのか、コレ。
頬を押さえた手が熱を伝えてくる。
動揺のあまり、思わず仕事にも支障がきたすほど強く意識してしまう感情を、すぐに打ち消した。
――いや、大丈夫よ大切なのは切り替えよ。
――仕事をやる時は死ぬ気で仕事を、恋をする時は死ぬ気で恋を。そういう姿勢が生活を豊かにするのよ。
高揚する気分を落ち着かせていると、前を歩く婦長が激怒する。
「オイぃ、新入り、病院では携帯の電源切っとくのが常識だろーが!バカか、てめーは!てめーの電源を切ってやろーか!!」
「すいません、ナース長」
怒鳴られて、素直に携帯の電源を切る。
――そう今は「メス豚さっちゃん」モードはOFFよ。
――「殺し屋さっちゃん」モードをONに…。
仕事モードへ切り替えた瞬間、ピシッと背を伸ばす。
婦長の後についていき、病室に足を踏み入れると医師の呆れた声が聞こえた。
「坂田さ~ん。アンタ一体何回、入院すれば気がすむの~。しかも、今回は篠木さんまで」
そこには、両足と左腕にギプスを装着、全身包帯だらけの上にアフロヘアの銀時がいた。
銀時と反対側のベッドには、同じく包帯だらけの響古がリンゴを剥いている。
「それで、坂田さん、ええ?記憶喪失に食中毒に…今度は一体、何?」
これまで幾度となく銀時の担当を任されてきた医師は、カルテを見ながら怪訝な顔。
「バイクが爆発して、地上30メートルから川に落下しました」
「バカは、死んでも治らんというけど、アンタは、まだ死なないね~」
「先生、医者の仕事は患者を心身にケアすることじゃないんスか?心も身体もボロボロです」
「人間はバランスが大事だから、身体がボロボロの時は、心もボロボロの方がいいんだよ」
医師からの辛辣な言葉は、銀時の荒んだ心にさらなる傷を負わせた模様。
「先生、あたしの場合はどうなんですか?」
「篠木さんはね、一応身体はボロボロなのに元気だから関係ないの」
「なるほど」
ぞんざいな理由で納得した響古は落ち込む銀時へと向き直る。
いくら怠惰な性格でもこの疲労の原因であっても、彼は恋人だ。
家じゃ突っぱねてしまうし、せめて弱っている時ぐらいは優しく……。
「ほら銀、リンゴでも食べて元気出して」
差し出されたフォークには、皮を剥いたリンゴが刺さっている。
そのフォークを持つ響古の緊張に震える手と赤くなった顔で、銀時は事態を理解した。
あーん?
それまで落ち込んでいた顔が溢れんばかりの嬉しさに変わる。
「じゃあ遠慮なく……」
自分の首を動かしてリンゴを口に含む――。
――メス豚モードON!
……しようとしたところで、さっちゃんに邪魔された。
「銀さァァァん!!」
「ぐぎゃふ」
怪我を負った左足を勢いよく踏んで、突如現れた看護婦が銀時の上に跨る。
「ぎゃああああああ、足踏んでる足踏んでる、足踏んでるぅぅぅ!!」
響古はフォークを向けたままの間抜けな格好で硬直した。
ドMの性癖を持つくの一が銀髪の恋人に跨っているのだ。
それは、響古にとって見過ごしにできないものだった。
その目つきが鋭さを増す。
「響古さんまで入院!?ゴホン。響古さん、お久しぶり。会いたかったわ」
さっちゃんはすぐに会話を続けるべく、次の相手へ身体の向きを変えた。
「…あっ!髪型がいつもと違う…」
こんなところで騒ぎを起こすつもりはなかったし、そもそも彼女には自分が失礼な真似をしたという自覚がなかった。
だからさっちゃんは心構えもなく黒髪の美女、響古へと目を向けた。
「――っ!?」
その直後、たじろいだ顔を見せてしまったのは、彼女にとって意外だったに違いない。
しかしそれも致し方のないことだった。
何故ならば、そこには……怒気を孕んだ表情の響古がいた。
冷ややかなという生易しい存在感ではない。
ツンと澄ました表情、と言えば月並みだが、その月並みな表情が毒舌と同等の攻撃力を保持しているのだ。
まだあの微笑み――悪魔の微笑みのレベルにはほど遠いが、始末屋のさっちゃんでさえも平静を失ったとしても恥にはならないプレッシャーを放っていた。
「いい度胸じゃない。あたしの目の前で銀に跨るなんざ、どうやら命が惜しくないようね」
その冷たい表情にふさわしく、響古が口にした台詞はこれだけだった。
「あんっ…そうやって私を蔑んで楽しんでるようだけど、私も結構楽しんでるから!むしろ、もっと蔑んでほしいくらいだから!」
きつい眼差しと怒気の孕んだ言葉に、さっちゃんは頬を紅潮させて身悶える。
「あなたの暴言なんて、傷つく要素を感じないくらい軽いものなんだから!むしろ、別の意味でドロドロに感じるけど!」
これまで数々の嫌がらせ寄りな調教の成果が出てきたらしい。
「…ヤバイよ、この人マジでヤバイよ」
これまでにないドン引き。
これまでにない身の危険。
銀時も顔を青ざめている。
拒絶と嫌悪に近い空気と視線を受け止め、さっちゃんはハァハァ息を荒げた。
「…帰りたいよ、あたし」
「大丈夫。ご都合主義で次回の話では何事もなかったかのように完治してるよ」
美貌をげんなりと歪ませ、泣き言をつぶやく響古に、医師はなかなかメタいことを言う。
すると、銀時が不機嫌そうに口を挟んだ。
「いやいや、この状態の俺を一人にするとか、何考えてんだよ」
「大丈夫だって。新八達がもうすぐ来るし、独りじゃないって。だから帰っていい?」
「いやいやいや、俺のことが好きなら帰るなよ」
「好きだけど、それ以上に自分が大事」
切実かつ正直な言葉に、銀時はショックを受けた。
冷たい…俺の恋人、冷たいよ。
「そんなもんだよ」
とフォローにもならない言葉をかける医師。
さっちゃんは涙ぐんで医師に詰め寄った。
「銀さん、どうしてこんな…ひどい!一体、何があったの、大丈夫なの!!先生ェ、大丈夫ですよね!コレ、銀さん大丈夫なんですよね!?治りますよね!?頭」
「頭のことかいィィィ!!」
「これはね、ドリフ爆発後ヘアーといって、ニ、三行たてば何もなかったように元に戻るから安心しなさい」
「いやです、この台詞の後にスグ治して下さい!!」
銀時のアフロヘアが受け入れられず泣き出すと、婦長に襟首を引っ張られた。
「どうでもいいから仕事しろ、新入りィィ!!オメーの担当はこっち!」
そして、患者を隔てるカーテンを開ける。
「ハーイ、お薬の時間ですよー。ホラッ、早く猿飛さん、薬ぬってあげて」
「あっ、すいません、お願いします。もう、昨日から痛くて痛くて仕方ないんですよ、痔」
さっちゃんが担当する患者――服部はズボンを下ろし、尻を剥き出しにした。
刹那、銀時は響古の両目を手でふさぎ、間一髪で漆黒の瞳が視界に入れないよう免れる。
「ん」
尻を突き出す服部が、病室に漂う不穏な空気に気づく。
――殺し屋モードON!
病室に響き渡った断末魔。
悲鳴の根源は、銀時のベットのすぐ隣。
カーテンに包まれた空間で一体何が起きたのか、その声はあまりに痛々しかった。
遮断されたカーテンの向こうには、尻に巨大な注射器を刺された服部の姿があった。
大丈夫なのかと少し気になるが、今はナースの格好をしているさっちゃんが気になる。
「で、なんでお前がこんな所にいんだ?どーいうことだ、コレは」
「私の事が知りたいの坊や?だったら焦っちゃダメ。女を知りたいんならじっくり、そして優しく、一枚一枚…」
返ってきたのがおかしくなっている口調だったので、響古は美貌を引きつらせる。
「うわ、超ウザイ」
「あー、じゃあ、もういいわ」