第零訓
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その日、天気は晴れだった。
手つかずの自然が多く、緑豊かな森もある。
そうした森には、他に誰もいなかった。
今は、だ。
自分の心が決まったのはどの瞬間だったのだろう、と銀時は考えた。
自分の心を理解したのはあの夜の出来事だが、自分の見えない部分で、それよりも前に心は決まっていたのかもしれない。
わからない。
桜の下で笑顔を浮かべる彼女を見た時?
彼女が突然、自分の隣の席に配置された時?
一緒に稽古をしている時のどれかなのかもしれないし、悪戯を仕掛けて笑い合っている時なのかもしれなかった。
彼女がいっそ潔いまでの一匹狼に苦労させられた時?
刀を振るう時の、血なまぐさい"紅天女"として恐れられる時か。
それともやはり、これまでで一番綺麗で、一番かっこいい彼女のせいなのだろうか。
ただ自分を見つめる勇気が足りなかったせいで、最初に会った時からだった可能性もある。
あるいは、それら全て。
彼女――響古と過ごした時間の中、少しずつ銀時の心に積み上げられていった何かが、決定的にしたのかもしれない。
風が吹いて、銀時は振り返った。
「……銀ちゃん」
響古が怪訝そうに立っている。
真っ白な着物に身を包み、長い黒髪に太陽の光を反射して、潔癖そうな美貌につんとした表情を浮かべる。
「用事って、何?」
木々の間を渡る風には得も言われぬ心地よさがあり、木漏れ日もまぶしい。
誰にも邪魔されない場所だ。
枝と葉の揺れる音を聞きながら、響古を見つめる。
「あのさ」
いざ言おうとすると、緊張で喉がつっかえてしまった。
響古が少し幼げで、あどけない表情で首を傾ける。
"紅天女"――そう呼ばれる最強の女侍が、限られた仲間にしか見せない表情。
「俺は――」
言葉にするのに必要なのは、勇気だけだった。
彼女の眼差しが、穏やかに向けられている。
なに、早く言って、と語っている目。
銀時は後ろに隠していた野草の花を差し出した。
「……え?」
響古が驚いた顔でその花束を受け取る。
銀時は最後の覚悟を決めた。
「響古、俺と――」
一度深呼吸した銀時が言い出そうとしていることを悟ったのか、響古の表情が明らかに変わった。
ハッとして身構える。
期待と絶望、不安と怯えと同時に宿した、曖昧な、しかしその心情は痛いくらいに伝わってくる顔だった。
銀時はその表情を、可愛い、と思う。
ただ純粋に、可愛い、とだけ思った。
「俺と、ずっと一緒にいて下さい」
時の流れが止まったようだった。
響古は無表情に、銀時のがちがちに緊張した顔を見返す。
銀時は気まずさに耐え切れずに頭を下げた。
恥ずかしすぎて死にそうだった。
脈打つ心臓の激しすぎる鼓動が、数メートル離れて立つ響古にまで聞こえてしまうんじゃないかとさえ感じ、動転する。
昨日の夜、懸命に考えた単純な言葉を、ところどころつっかえさせながら必死に告げた。
「わ、悪い。ホントは最初に言わなきゃいけない言葉なのに、俺のせいでこんなに遅くなって。今考えれば、最低な行為をしたって思うくらい後悔してる」
銀時は顔を上げる。
響古の美貌が震えていた。
「だから、俺と一緒にいて下さい。お願いします」
銀時の声も響古と同じくらいに震えていた。
「銀ちゃん――」
響古はかすれた声でつぶやき、目を伏せていく。
「……本気なの?」
「本気だ」
「そ、それってホントに銀ちゃんの気持ちなの?あたしへの同情とかじゃなくて?」
「当たり前だ!」
銀時は声を張り上げた。
「そうじゃなかったら、真面目な顔でこんな答えなんか出さねーよ!」
ぐっと息を詰まらせる。
込み上げてくる感情を懸命に自制するように、自らの肩を抱いた響古はもう一度震え、迷いに迷っているという表情をした。
「いいの?」
その目には、涙がうっすら溜まっている。
情交以外で初めて見る彼女の涙に鼓動が跳ね、自分がこの女性をどんなに好きなのか再確認した銀時は、強く拳を握った。
「銀ちゃんはホントにいいの?あたしと一緒にいたら……あたしはすごくめんどくさい女だよ?弱くて、弱くて、誰にも護られてないと生きていけない」
響古の涙はとても美しく、銀時はすぐにでも駆け寄って拭ってやりたい衝動に駆られたが、必死に堪えた。
それをする資格は、まだ自分にはないと思えたから。
「女はそれくらいが可愛いんだよ」
「…すごく、嫉妬深いよ?あたしだけを見ていてくれないと嫌だし、絶対に束縛しちゃうよ?」
「望むところだ、どんどん束縛してくれ」
「もう何もしらない女の子に戻れないから、素直な可愛い女の子にはなれないよ?口調も、虚勢も、あたしは変えられないと思うし……」
「かまわない!それに俺と二人きりの時は、虚勢なんて必要ないだろう!俺の前でだけ素直になれるのなら、十分だ!いや、むしろ他の奴になんか見せるな!!」
「無駄に背が高いし……」
「俺はまだ成長期が終わってない!!」
「胸だって……」
「俺が揉んで大きくしてやる!!」
……あれ?感動のシーンのはずなのに、なんだかおかしくなってきました。
「お前の事が好きなんだから、しょうがねーじゃねーか!惚れた女を護るのは、男として当たり前のことだ!!」
銀時はもう一度、頭を下げる。
「お願いです。俺に護らせてください。俺と、ずっと一緒にいて下さい……」
「銀ちゃん……」
「俺は――篠木響古を、愛してます!!」
銀時は静寂に耐えかねて、両目を強くつむった。
どくん、どくん、と鼓動の音。
全身が熱かった。
緊張と興奮で汗が噴き出し、唾をごくりと呑み込む。
閉ざしているはずの視界が、ぐるんぐるんと揺れている。
沈黙は永遠に近しい。
身体の震えが止まらなかった。
銀時は唇を噛み――突然、華奢な肢体が覆いかぶさってきた。
「うわっ!?」
がばっと顔を上げると、響古は即座に叫んだ。
「喜んで!」
今までで最も華やぎ、心からの笑顔と共に。
二人は無言で、お互いに緊張しまくった顔を見つめ合った。
銀時はその瞬間、心の奥にこびりついていた不安や恐怖がすうっと溶けるのを感じ、代わりに温かなものが満ちるのを感じた。
響古も同じ気持ちでいるのだろうという確信がその充足感を増し、銀時は吹き出し、彼女も表情を緩めた。
二人で、声を立てて笑う。
十数秒が経って、
「あ、あたしも」
響古の目に、もう涙はなかった。
視線を逸らした響古は、ちょっともじもじしながら口を開く。
「あたしも、銀ちゃんが――」
美しい微笑みが、すぐ目の前にあった。
息が確実に届く距離。
それこそ、ほんの少し寄せれば唇と唇が触れ合う間近だ。
言葉を紡ごうと口を開きかけた[#da=2#]も、それに気づいたらしく、
「あ……」
吐息が漏れた。
二人して固まり、それから響古の両目が、ゆっくりと閉ざされていき――。
「…んっ」
銀時は覆いかぶさる響古の唇に唇を重ねる。
そのまま動かず、じっとしたまま口づけを続ける。
あまり激しくはない。
その代わりに唇と舌をねっとりと重ね、絡ませ続ける。
「あ…銀ちゃ…」
「…ふ、響古…」
くちゅ、くちゅ、という静かな音が森林に響く。
激しい動きはなくとも十分以上に濃厚な口づけを味わった後、二人はどちらともなく唇を離した。
「ずっと一緒にいようね」
「そうだな」
響古の囁きに、銀時は頷いた。
「約束だからね?破ったら許さないんだから」
「あぁ、約束だ」
――いつも持ってたんだ。
――あたしの大切なもの。
――だけど、全て失 くした。
――好きで失くしたわけじゃないの。
――無力な自分が嫌になって、もう持たないと誓った、あの日。
――だから、今度は失くさないよう、しっかり守ってみせるよ。
それから数年後――。
未だ人通りが少ない歌舞伎町の朝。
銀髪に天然パーマの男――坂田 銀時がスナックの上で営むなんでも屋『万事屋』に帰ろうとしていたところで、足を止めた。
「え……は?」
自分が見たものが信じられず、何度も繰り返してまばたきするが、何が変わるわけでもなかった。
見間違いでもなく、確かにそれはそこに、目の前にある。
一本の桜が、見事に咲き乱れていた。
「凄ェ……」
ざわり、と一際大きく揺らいだ風が、呆然とつぶやいた銀時の声をさらっていく。
うっすら桃色に色づいた花びらが、粉雪のように舞い落ちる。
銀時は石のように固まって、その光景に魅入った。
さながら、幻想のごとく。
満開になった桜の下に、垂衣 のついた市女笠を被った一人の女性が立っていた。
「――響古……」
笠を被っているのだから、顔が見えるわけでもない。
なのに、つい口に出してしまった。
さっきまで思い出していた、いつまで経っても忘れられない――。
「……銀時……?」
――大切な、女の名前。
女性は笠を取った。
サラサラと聞こえてくるかのような、艶やかな黒髪。
透明感のある白い肌。
長い睫毛 に縁 取られた黒い瞳。
「……銀、久しぶ――ッ!?」
銀時は強い欲求に駆られて、響古を抱きしめていた。
ここにある彼女を、その腕で、身体で、確かめたかった。
「……ごめん。やっぱ、心配…したよね」
「当たりめーだろ!生きてるとは信じてたけど……やっぱ、そりゃあ心配すんに決まってんだろ!!」
「………ごめんね、銀」
響古はそう言って顔を上げると、ゆっくりと微笑んだ。
とりあえず、立ち話もなんだから、と家に迎えた銀時の第一声は、
「お前、今までどこにいたんだよ?」
というものだった。
「あの時、肩に銃弾を受けて崖から落ちたんだけど、奇跡的に助かったの。傷が治るまで動ける状態じゃなくて死線さ迷ってたら戦争も終わっちゃって」
時折、物騒な単語を並べて響古はけらけらと笑う。
壮絶ともいえる語り口に思わず仰け反り、胡乱な眼差しでつっこんだ。
「いやいや、響古さん。それ、お茶飲みながら呑気に話す内容じゃないからね…ってゆーか『死線』とか危険な単語とか出たよね」
ところが、心配する銀時に対し響古は朗らかに言う。
「まあ、こうして生きてるからいいじゃない!捜すのも苦労したんだよ。あの二人はまだ攘夷続けてるみたいで、捜すの無理に近いしさ~」
「何?俺んとこに来たの、見つけやすかったから?」
「そーゆーわけじゃないけど。ほら、あたしが生きてるってこと教えてあげたいな~って」
「まあ、大丈夫だろ…ってか、多分向こうから来ると思うぞ…ところで、俺のところに来た理由って…」
銀時は一旦、言葉を止めてそっぽを向くと、やや熱くなった頬を掻いた。
響古が、あの時の約束を果たすため自分のもとへ来たのか、という思いが頭を過ぎって恥ずかしくなったのだ。
「あーそれ?ほら、銀の傍にいると、いっつも面白いことが起きるから」
――淡い期待が打ち砕かれた…。
ガックリと肩を落とす銀時に響古はクスクスと笑って、唇を彼の顔に寄せてきた。
「――約束、忘れてないよ」
最初は着物の下に隠された肢体に密着されて動転するが、その一言に目を見開いた。
「き、響古…おまっ、覚えて…」
「だから、こうやってやって来たじゃないの。バカ銀」
黒髪の美女が無邪気に笑うと、凛々しいと表現できる美貌が一瞬にして可愛くなる。
銀時はめまいにも似た感覚を味わい、顔が真っ赤になった。
「ねェ、銀、ちょうどいい機会だから言っておくけど、あたしはこれでも寛容な女なの」
「なんだよ、いきなり?」
「寛容だから、恋人であるあたしの次、愛人第一号、二号までは大目に見てあげようと思ってるわ。銀だって若い男だし、他の女が気になる時もあるでしょうしね」
響古が妙な発言をし出した。
一体、何を言わんとしているのだろうか?
「愛人以前に、俺は響古だけって決めてるんだが……できれば単刀直入に頼む」
「じゃ、遠慮なく。あたし、頑張って変わろうとしたわ。すごく嫉妬深くて、自分だけ見てくれないと嫌な、束縛する前とは違って」
「………は?」
銀時は目の前の美貌をまじまじと見つめ返した。
黒髪の美女は、少なくとも表情だけは真剣そうだった。
「あんなままじゃ、すごくめんどくさい女だし、弱くて弱くて、誰かに護られる生き方はダメだと思ったから」
「響古……」
「あたしは本気よ。あ、断っておくけど、あくまで第二号止まりでないと認めてあげないからね」
囁きながら、響古はそっと銀時の手を握りしめてくる。
「いつでも、誰が相手でも、あなたの一番はあたし――篠木響古だって忘れたら許さないんだから」
何故か、手錠をはめられた気分になった。
「もし忘れた時は……きっと銀のことを斬り殺したくなると思うから、忘れちゃダメよ。あたしは寛容だけど、我慢はしない女なの」
と軽やかに笑う響古。
暗黒めいた笑みと違って、邪気がない。
その可愛らしい笑顔が、銀時には堪らなく恐かった。
邪気がない分、これは本気の殺人予告ではないかと思えた。
「――って、待て!あの時、思いっ切り刺そうとしてただろ!」
「あんなの、ただの稽古じゃない。本気で憎くなったら、絶対確実に殺せる時を狙うわ。こうやって、逃がさないように抱きしめながら急所を一突き。簡単でしょ?」
言いながら、すり寄ってこようとする。
それを、銀時は慌てて振り払った。
道徳心よりも恐怖心ゆえの反応なのが情けない。
恐怖に震える銀髪の彼をおかしそうに見つめると、響古は布でグルグル巻きになった、長く細い棒を右の肩に立てかけ、窓から見える歌舞伎町の風景を、これから江戸 で暮らす期待に胸を踊らせた。
これから始まる日常は、まだ始まったばかり。
手つかずの自然が多く、緑豊かな森もある。
そうした森には、他に誰もいなかった。
今は、だ。
自分の心が決まったのはどの瞬間だったのだろう、と銀時は考えた。
自分の心を理解したのはあの夜の出来事だが、自分の見えない部分で、それよりも前に心は決まっていたのかもしれない。
わからない。
桜の下で笑顔を浮かべる彼女を見た時?
彼女が突然、自分の隣の席に配置された時?
一緒に稽古をしている時のどれかなのかもしれないし、悪戯を仕掛けて笑い合っている時なのかもしれなかった。
彼女がいっそ潔いまでの一匹狼に苦労させられた時?
刀を振るう時の、血なまぐさい"紅天女"として恐れられる時か。
それともやはり、これまでで一番綺麗で、一番かっこいい彼女のせいなのだろうか。
ただ自分を見つめる勇気が足りなかったせいで、最初に会った時からだった可能性もある。
あるいは、それら全て。
彼女――響古と過ごした時間の中、少しずつ銀時の心に積み上げられていった何かが、決定的にしたのかもしれない。
風が吹いて、銀時は振り返った。
「……銀ちゃん」
響古が怪訝そうに立っている。
真っ白な着物に身を包み、長い黒髪に太陽の光を反射して、潔癖そうな美貌につんとした表情を浮かべる。
「用事って、何?」
木々の間を渡る風には得も言われぬ心地よさがあり、木漏れ日もまぶしい。
誰にも邪魔されない場所だ。
枝と葉の揺れる音を聞きながら、響古を見つめる。
「あのさ」
いざ言おうとすると、緊張で喉がつっかえてしまった。
響古が少し幼げで、あどけない表情で首を傾ける。
"紅天女"――そう呼ばれる最強の女侍が、限られた仲間にしか見せない表情。
「俺は――」
言葉にするのに必要なのは、勇気だけだった。
彼女の眼差しが、穏やかに向けられている。
なに、早く言って、と語っている目。
銀時は後ろに隠していた野草の花を差し出した。
「……え?」
響古が驚いた顔でその花束を受け取る。
銀時は最後の覚悟を決めた。
「響古、俺と――」
一度深呼吸した銀時が言い出そうとしていることを悟ったのか、響古の表情が明らかに変わった。
ハッとして身構える。
期待と絶望、不安と怯えと同時に宿した、曖昧な、しかしその心情は痛いくらいに伝わってくる顔だった。
銀時はその表情を、可愛い、と思う。
ただ純粋に、可愛い、とだけ思った。
「俺と、ずっと一緒にいて下さい」
時の流れが止まったようだった。
響古は無表情に、銀時のがちがちに緊張した顔を見返す。
銀時は気まずさに耐え切れずに頭を下げた。
恥ずかしすぎて死にそうだった。
脈打つ心臓の激しすぎる鼓動が、数メートル離れて立つ響古にまで聞こえてしまうんじゃないかとさえ感じ、動転する。
昨日の夜、懸命に考えた単純な言葉を、ところどころつっかえさせながら必死に告げた。
「わ、悪い。ホントは最初に言わなきゃいけない言葉なのに、俺のせいでこんなに遅くなって。今考えれば、最低な行為をしたって思うくらい後悔してる」
銀時は顔を上げる。
響古の美貌が震えていた。
「だから、俺と一緒にいて下さい。お願いします」
銀時の声も響古と同じくらいに震えていた。
「銀ちゃん――」
響古はかすれた声でつぶやき、目を伏せていく。
「……本気なの?」
「本気だ」
「そ、それってホントに銀ちゃんの気持ちなの?あたしへの同情とかじゃなくて?」
「当たり前だ!」
銀時は声を張り上げた。
「そうじゃなかったら、真面目な顔でこんな答えなんか出さねーよ!」
ぐっと息を詰まらせる。
込み上げてくる感情を懸命に自制するように、自らの肩を抱いた響古はもう一度震え、迷いに迷っているという表情をした。
「いいの?」
その目には、涙がうっすら溜まっている。
情交以外で初めて見る彼女の涙に鼓動が跳ね、自分がこの女性をどんなに好きなのか再確認した銀時は、強く拳を握った。
「銀ちゃんはホントにいいの?あたしと一緒にいたら……あたしはすごくめんどくさい女だよ?弱くて、弱くて、誰にも護られてないと生きていけない」
響古の涙はとても美しく、銀時はすぐにでも駆け寄って拭ってやりたい衝動に駆られたが、必死に堪えた。
それをする資格は、まだ自分にはないと思えたから。
「女はそれくらいが可愛いんだよ」
「…すごく、嫉妬深いよ?あたしだけを見ていてくれないと嫌だし、絶対に束縛しちゃうよ?」
「望むところだ、どんどん束縛してくれ」
「もう何もしらない女の子に戻れないから、素直な可愛い女の子にはなれないよ?口調も、虚勢も、あたしは変えられないと思うし……」
「かまわない!それに俺と二人きりの時は、虚勢なんて必要ないだろう!俺の前でだけ素直になれるのなら、十分だ!いや、むしろ他の奴になんか見せるな!!」
「無駄に背が高いし……」
「俺はまだ成長期が終わってない!!」
「胸だって……」
「俺が揉んで大きくしてやる!!」
……あれ?感動のシーンのはずなのに、なんだかおかしくなってきました。
「お前の事が好きなんだから、しょうがねーじゃねーか!惚れた女を護るのは、男として当たり前のことだ!!」
銀時はもう一度、頭を下げる。
「お願いです。俺に護らせてください。俺と、ずっと一緒にいて下さい……」
「銀ちゃん……」
「俺は――篠木響古を、愛してます!!」
銀時は静寂に耐えかねて、両目を強くつむった。
どくん、どくん、と鼓動の音。
全身が熱かった。
緊張と興奮で汗が噴き出し、唾をごくりと呑み込む。
閉ざしているはずの視界が、ぐるんぐるんと揺れている。
沈黙は永遠に近しい。
身体の震えが止まらなかった。
銀時は唇を噛み――突然、華奢な肢体が覆いかぶさってきた。
「うわっ!?」
がばっと顔を上げると、響古は即座に叫んだ。
「喜んで!」
今までで最も華やぎ、心からの笑顔と共に。
二人は無言で、お互いに緊張しまくった顔を見つめ合った。
銀時はその瞬間、心の奥にこびりついていた不安や恐怖がすうっと溶けるのを感じ、代わりに温かなものが満ちるのを感じた。
響古も同じ気持ちでいるのだろうという確信がその充足感を増し、銀時は吹き出し、彼女も表情を緩めた。
二人で、声を立てて笑う。
十数秒が経って、
「あ、あたしも」
響古の目に、もう涙はなかった。
視線を逸らした響古は、ちょっともじもじしながら口を開く。
「あたしも、銀ちゃんが――」
美しい微笑みが、すぐ目の前にあった。
息が確実に届く距離。
それこそ、ほんの少し寄せれば唇と唇が触れ合う間近だ。
言葉を紡ごうと口を開きかけた[#da=2#]も、それに気づいたらしく、
「あ……」
吐息が漏れた。
二人して固まり、それから響古の両目が、ゆっくりと閉ざされていき――。
「…んっ」
銀時は覆いかぶさる響古の唇に唇を重ねる。
そのまま動かず、じっとしたまま口づけを続ける。
あまり激しくはない。
その代わりに唇と舌をねっとりと重ね、絡ませ続ける。
「あ…銀ちゃ…」
「…ふ、響古…」
くちゅ、くちゅ、という静かな音が森林に響く。
激しい動きはなくとも十分以上に濃厚な口づけを味わった後、二人はどちらともなく唇を離した。
「ずっと一緒にいようね」
「そうだな」
響古の囁きに、銀時は頷いた。
「約束だからね?破ったら許さないんだから」
「あぁ、約束だ」
――いつも持ってたんだ。
――あたしの大切なもの。
――だけど、全て
――好きで失くしたわけじゃないの。
――無力な自分が嫌になって、もう持たないと誓った、あの日。
――だから、今度は失くさないよう、しっかり守ってみせるよ。
それから数年後――。
未だ人通りが少ない歌舞伎町の朝。
銀髪に天然パーマの男――坂田 銀時がスナックの上で営むなんでも屋『万事屋』に帰ろうとしていたところで、足を止めた。
「え……は?」
自分が見たものが信じられず、何度も繰り返してまばたきするが、何が変わるわけでもなかった。
見間違いでもなく、確かにそれはそこに、目の前にある。
一本の桜が、見事に咲き乱れていた。
「凄ェ……」
ざわり、と一際大きく揺らいだ風が、呆然とつぶやいた銀時の声をさらっていく。
うっすら桃色に色づいた花びらが、粉雪のように舞い落ちる。
銀時は石のように固まって、その光景に魅入った。
さながら、幻想のごとく。
満開になった桜の下に、
「――響古……」
笠を被っているのだから、顔が見えるわけでもない。
なのに、つい口に出してしまった。
さっきまで思い出していた、いつまで経っても忘れられない――。
「……銀時……?」
――大切な、女の名前。
女性は笠を取った。
サラサラと聞こえてくるかのような、艶やかな黒髪。
透明感のある白い肌。
長い
「……銀、久しぶ――ッ!?」
銀時は強い欲求に駆られて、響古を抱きしめていた。
ここにある彼女を、その腕で、身体で、確かめたかった。
「……ごめん。やっぱ、心配…したよね」
「当たりめーだろ!生きてるとは信じてたけど……やっぱ、そりゃあ心配すんに決まってんだろ!!」
「………ごめんね、銀」
響古はそう言って顔を上げると、ゆっくりと微笑んだ。
とりあえず、立ち話もなんだから、と家に迎えた銀時の第一声は、
「お前、今までどこにいたんだよ?」
というものだった。
「あの時、肩に銃弾を受けて崖から落ちたんだけど、奇跡的に助かったの。傷が治るまで動ける状態じゃなくて死線さ迷ってたら戦争も終わっちゃって」
時折、物騒な単語を並べて響古はけらけらと笑う。
壮絶ともいえる語り口に思わず仰け反り、胡乱な眼差しでつっこんだ。
「いやいや、響古さん。それ、お茶飲みながら呑気に話す内容じゃないからね…ってゆーか『死線』とか危険な単語とか出たよね」
ところが、心配する銀時に対し響古は朗らかに言う。
「まあ、こうして生きてるからいいじゃない!捜すのも苦労したんだよ。あの二人はまだ攘夷続けてるみたいで、捜すの無理に近いしさ~」
「何?俺んとこに来たの、見つけやすかったから?」
「そーゆーわけじゃないけど。ほら、あたしが生きてるってこと教えてあげたいな~って」
「まあ、大丈夫だろ…ってか、多分向こうから来ると思うぞ…ところで、俺のところに来た理由って…」
銀時は一旦、言葉を止めてそっぽを向くと、やや熱くなった頬を掻いた。
響古が、あの時の約束を果たすため自分のもとへ来たのか、という思いが頭を過ぎって恥ずかしくなったのだ。
「あーそれ?ほら、銀の傍にいると、いっつも面白いことが起きるから」
――淡い期待が打ち砕かれた…。
ガックリと肩を落とす銀時に響古はクスクスと笑って、唇を彼の顔に寄せてきた。
「――約束、忘れてないよ」
最初は着物の下に隠された肢体に密着されて動転するが、その一言に目を見開いた。
「き、響古…おまっ、覚えて…」
「だから、こうやってやって来たじゃないの。バカ銀」
黒髪の美女が無邪気に笑うと、凛々しいと表現できる美貌が一瞬にして可愛くなる。
銀時はめまいにも似た感覚を味わい、顔が真っ赤になった。
「ねェ、銀、ちょうどいい機会だから言っておくけど、あたしはこれでも寛容な女なの」
「なんだよ、いきなり?」
「寛容だから、恋人であるあたしの次、愛人第一号、二号までは大目に見てあげようと思ってるわ。銀だって若い男だし、他の女が気になる時もあるでしょうしね」
響古が妙な発言をし出した。
一体、何を言わんとしているのだろうか?
「愛人以前に、俺は響古だけって決めてるんだが……できれば単刀直入に頼む」
「じゃ、遠慮なく。あたし、頑張って変わろうとしたわ。すごく嫉妬深くて、自分だけ見てくれないと嫌な、束縛する前とは違って」
「………は?」
銀時は目の前の美貌をまじまじと見つめ返した。
黒髪の美女は、少なくとも表情だけは真剣そうだった。
「あんなままじゃ、すごくめんどくさい女だし、弱くて弱くて、誰かに護られる生き方はダメだと思ったから」
「響古……」
「あたしは本気よ。あ、断っておくけど、あくまで第二号止まりでないと認めてあげないからね」
囁きながら、響古はそっと銀時の手を握りしめてくる。
「いつでも、誰が相手でも、あなたの一番はあたし――篠木響古だって忘れたら許さないんだから」
何故か、手錠をはめられた気分になった。
「もし忘れた時は……きっと銀のことを斬り殺したくなると思うから、忘れちゃダメよ。あたしは寛容だけど、我慢はしない女なの」
と軽やかに笑う響古。
暗黒めいた笑みと違って、邪気がない。
その可愛らしい笑顔が、銀時には堪らなく恐かった。
邪気がない分、これは本気の殺人予告ではないかと思えた。
「――って、待て!あの時、思いっ切り刺そうとしてただろ!」
「あんなの、ただの稽古じゃない。本気で憎くなったら、絶対確実に殺せる時を狙うわ。こうやって、逃がさないように抱きしめながら急所を一突き。簡単でしょ?」
言いながら、すり寄ってこようとする。
それを、銀時は慌てて振り払った。
道徳心よりも恐怖心ゆえの反応なのが情けない。
恐怖に震える銀髪の彼をおかしそうに見つめると、響古は布でグルグル巻きになった、長く細い棒を右の肩に立てかけ、窓から見える歌舞伎町の風景を、これから
これから始まる日常は、まだ始まったばかり。