第86話
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<………>
アルの意識が、後方へ引っ張られる。
抗いようのない力で引っ張られる、引っ張られる、引っ張られる。
引っ張られるまま、激流のように駆け流れていく。
<………アルフォンス>
鎧の体が渦中の泥濘をさまよう中、微かに意識の隅をくすぐる、聞き覚えのある声。
<しっかりしなさい>
その声が、闇と同化していたアルの意識を、その中からゆっくりと引き剥がしていく。
アルフォンスという意識の輪郭を徐々にハッキリとさせていく。
「…誰?」
アルの意識が、覚醒へと向かっていく。
ゆっくりと……目を開く。
焦点がぼやけて、ぼんやりとした視界の中の真ん中に、誰かがいる――見覚えのある誰かが。
自分の顔を覗き込んでくる、その姿を完全に結像した。
一房だけ金色に染めた黒髪、黒と蒼のオッドアイ。
極薄の衣を身に纏う少女だ――。
《逝くのはまだ早いよ》
「………?」
《まだまだ君は……》
次の瞬間、彼女の顔にうり二つの少女が真っ黒な自分に変貌した。
黒い表面にはおびただしい数の口や目が乱雑に埋め込まれている。
水面に映った影のような自分が、近づく。
《利用させてもらわなきゃならない》
渇くように脅すように、その声は脳裏を揺るがせ、アルに響いた。
場所も攪乱も関係ない、全周爆破の攻撃が列車を橋ごと吹き飛ばした夜の線路を、いくつもの照明灯が照らす。
軍人達は東と北の合同演習を一時中断し、ブラッドレイの捜索活動を行っていた。
崩壊した線路前に急遽敷設された指揮本部のテントに、グラマンが入ってくる。
「見つかったか?」
「いえ、まだです」
グラマンの問いに、通信機で連絡を取っていた軍人は苦い表情と共に応じる。
「足場が悪くて、捜索が思うように進みません」
指揮本部の要請を受け、資機材の供給を行うと同時に、かき集められるだけの人員をかき集める。
文字通り、国軍の総力を挙げて徹底的にブラッドレイを捜索していた。
「そうか…」
すると、マイルズがやって来た。
「グラマン中将」
「おお。こっちこっち」
グラマンはマイルズを呼び寄せて本部から出る。
マイルズは視線をグラマンから外し、張りつめた雰囲気を醸し出している現場を一瞥して、状況を確認する。
「大総統はまだ行方不明で?」
「下流で部下の死体がひとつ見つかっただけだとさ」
「…これで生きてたら奇跡ですね」
塗りつぶしたかのような暗闇の中、軍人達は掲げる灯りを頼りに捜索を続ける。
眼下にはかなり急勾配に下る地層の斜面が広がり――列車は砕けるさまも無惨に、川へと墜落していた。
「北方軍にも協力してもらって、わしが捜索の指揮を執 るから」
「中将自らですか?」
マイルズが驚いてそんなことを口走った瞬間、グラマンの表情が変わった。
「彼奴 の死体をこの目で見るまでは安心できんのだよ」
温厚で穏やかな好々爺から一転、冷酷で狡猾な野心家の目つきになった。
突如、口調と雰囲気が変わったグラマンの本性を知っているマイルズは気にする素振りもない。
周囲に会話を聞かれないよう、お互いに小声でひそひそと話す。
「てな訳でわしはまだ東 を動けん」
「当初の予定通り、中央 を狙わないのですか?」
「しょーがないよ。中央 の美味い所はマスタング大佐にくれてやる」
どこか残念そうな表情でヒゲを触るグラマン。
残念そうな表情と共に、抜かりなく自身の今後の立ち回りを、冷静に思考してみる。
(現ブラッドレイ政権は特に大きな問題も無く機能している。マスタング大佐とアームストロング少将のどちらも、このまま事を起こせば謀反人扱いされるだろう。よほどうまい事やらなければ上層部も国民も付いて来ん…)
だるま落としのように、独裁者や腐敗した権力者を排除できれば、民主化や世直しにつながる可能性はある。
しかし、突き落とした後のだるまがぐらつくように、社会が揺れ、政情が乱れれば、第二、第三のクーデターや内戦を呼び込みかねない。
そう、グラマンは読み切っている。
(もし、そうなったらその時がわしの出番だ。あいつらに悪役なってもらってから正義の味方 グラマン中将の登場とさせてもらおう)
ブラッドレイ亡き後の政権を握るためには、同じく頂点に立つ二人の存在が邪魔だ。
そして、だからこそ、ブラッドレイ政権の構造を覆すクーデターを若い者に任せて自分は安全圏でこの場に留まる。
(少ないリスクでわしがこの国の実権を握るために、若い者に火中の栗を拾ってもらおうかの……)
脳裏の片隅では、邪魔な二人を表舞台から消すことも考えている。
グラマンはにやりと不敵に笑う。
(……とか考えてるのだろうな。このタヌキは)
一歩引いた、観察眼の鋭さから、すぐ傍にいるマイルズは気づいてしまった。
自身にとっての好機を虎視眈々と伺っている古狸にぞっとする。
(アルフォンス・エルリックもいまだ行方不明だ。さて、どうしたものかな…)
未だアルの姿も見つけられない。
こんな調子でうまく状況は運ぶのか、ひどく不安になるのだった。
ぎしぎし。
ぎしぎし。
彼から聞こえてくる音はいつもとまるで違う。
鎧から見える無数の目と、黒い影。
黒い触手のようなものがうねうねとうごめいている。
「え…アル?」
その普通でない状態にエド達は目を見開いた。
「何?反抗期!?」
「ぐ…」
その時、リンの身体を乗っ取ったグリードが目覚めた。
頭痛に襲われているようで、片手で頭を押さえていた。
「『プライド』だ」
舌打ちしながら、グリードが言葉を続ける。
「クソが…なんでここがわかった」
《なんとしても裏切るのですね、グリード。もはや君は我々にとって邪魔者でしかない》
やはりこの声は人造人間の声。
そこにいた誰もが表情を強張らせた。
「知り合いかよ!」
「あ~~~…一番上の兄ちゃんってところ?」
「……!!」
勘の鋭いエドはそれだけで状況を察知する。
敵にこの場所が知られたのだ。
「人造人間 か!!」
にやり、とアル――を装うプライドが笑う。
「こんにゃろ…アルに変装するとは…」
《変装ではありません》
そう言って、プライドは鎧の頭部を取って内側をこちらに見せた。
その中には見覚えのある血印が。
あれは紛れもなく、アルの魂をこの世界につなぎ止めている証拠。
エドが命懸けでつないだ印だ。
《まぎれもない君の弟の身体です》
刹那、エドの顔色が激変する。
「野郎…!!」
今すぐ、プライドに殴りかかりたい衝動を堪える。
《おや…彼女はいないんですね…残念です。こちら側に戻って"役目"を果たしてもらいたかったのに》
プライドはこの場にキョウコがいないことを残念がると、エド達に向き直って言う。
《グリードはここで始末させてもらいます。鋼の錬金術師は一緒に来てもらいましょうか》
「おい。ゴリさん達は逃げ…うぉい、早いなコラ!!」
エドが示唆する前からダリウスとハインケルは既に逃げ腰。
木の影に隠れていた。
「俺達の野生のカンが『アレと闘うな』と言っている!」
「おまえは大丈夫なのか!?」
「大丈夫だ。あいつら、オレとアルが必要だから殺せない」
(この場にキョウコがいなくてよかった…アルのあんな姿、あいつが見たらここら一帯を氷結地獄にしかねない)
エドは着ていた赤のコートを脱ぎ捨て、持っていた黒のコートを放り投げ、臨戦態勢を取る。
「あちらさんは本気出せないけど、こっちは本気出せるからな。倒させてもらおうか」
《そうです。殺しはしません。手足の二・三本は千切れるかもしれませんがね》
プライドの言葉を最後に、戦闘が始まった。
アルから伸びる影が実体化し、エドとグリードを襲う。
「うおっ」
連続で繰り出される攻撃を次々とかわしていく。
「――っとっと!」
地を蹴ってプライドから距離を取ったエドは血相を変えた。
(スラムの方に逃げる訳にはいかねぇ!)
避けたはいいものの、すぐ後ろはスラムの集落。
この森で仕留めなくては、被害が及んでしまう。
「ここで食い止める!」
一般人を巻き込むわけにはいかない。
エドが防御として錬金術を使い、地面から石壁を出すも、ひびが入り、発破したような音と共に粉々に砕け散って四散した。
影の鋭さには全く歯が立たない。
「こいつにガードなんて効かねぇぞ!!」
素早い身のこなしでその場所から飛び下がったグリードが警告した。
「ぶ!!」
その瞬間、地面を高速で動いていた影がグリードめがけて迫る。
下方から上方へ、懐への強烈な一撃は、グリードの顎を砕き、彼の身体を無理矢理跳躍させた。
傍目には、そう見えた。
間違いなく――。
「…っぶねぇ!!」
だが、持ち前の炭素硬化でなんとか防いだ。
刹那、グリードを狙った影がその手で拘束し、動きを封じてしまい身動きが取れなくなった。
「ぬっ…」
《さて、お友達も捕まえましたが…どうします?スラムの人間も捕まえれば言う事をききますか?》
一部分の影に気をとられていたせいで、グリードの身体は影に縛りつけられてしまった。
締めつける力がかなり強い。
その場から動けなくなり、自由に動けるのはエドだけになってしまった。
「なに?」
「あっちで変な音がしたぞ」
ここからでも聞こえてくる。
スラムの人間がこちらの騒音に疑問を抱き始めている。
ここに来られると真っ先に捕まって人質にされてしまう。
「さすがだな。おまえの嫌がる所を真っ先に突いてくる」
「……………」
無関係の人間を巻き込むことを嫌う彼の性格を理解した上での冷徹な判断。
頼りになるキョウコに相談することも、今はできない。
この暗闇からも、人質を取られたスラム街で、たった一人で戦い抜かなければならないのだ。
その時、彼の表情が追いつめられた顔から一転、好戦的なものへと変わった。
「そう毎度やられっぱなしじゃいられねぇよな!」
両手を合わせると地面に触れて、そこから錬金術の発動を告げる光が迸る。
その瞬間、辺りに電気や炎による光が消え、真っ暗になった。
「キャア!」
方々に散った錬成反応の光はスラムの明かりを奪い、辺りを暗闇にした。
「なんだ?」
「停電だ」
破裂音と共に焚き火が爆発。
同時に、スラムから一斉に明かりが消える。
キョウコとホーエンハイムも異変に気づいた。
視界は闇に包まれている。
そこかしこでざわめきが起こり、やがて集落全体に伝播している。
「……これは」
「この邪悪な気配は……人造人間だ。用心した方がいい」
深き闇、一片の光すら差さぬ夜の世界の中でも冷静さを保ち、気配を探る。
集落の外れに大きな気配を感じる。
爆発的な敵意を伴って。
不意に、キョウコは強烈な悪寒を感じた。
否、これは悪寒ではない。
迫る片割れの気配を、彼女の中の虚飾が感じ取ったのだ。
この、何かを探るような偉大な意志の波動。
間違いなく傲慢の大罪が近づいてきている。
「あなたはここの人達をお願い」
素早く言い置くと、キョウコは頼るべき光のない暗闇の中を歩いていってしまった。
ホーエンハイムの呼ぶ声が聞こえた。
しかし、キョウコの足取りには迷いも逡巡もない。
見渡す限り、暗闇が続くだけ。
――あたしが片足を突っ込んだ世界はまだまだ未知だらけ。
――けれど、あたしにとってはこれからが勝負だ。
例えその先が、漆黒の闇の世界を知らなければいいことなんて生きている上ではいくつもあって、いちいち覚えていられない。
聞かなければよかった、知らなければよかったと思っても、忘れてしまうのだろう。
人間の記憶は、実に曖昧だ。
《あなたが望むのなら、私が力を与えてあげる》
突然、キョウコの頭の中に声が響いた。
女の声。
キョウコの近くには、彼女以外人間はいない。
故に、その声が彼女の中に入り込んだ人造人間から発せられているということは明らかだった。
アルの意識が、後方へ引っ張られる。
抗いようのない力で引っ張られる、引っ張られる、引っ張られる。
引っ張られるまま、激流のように駆け流れていく。
<………アルフォンス>
鎧の体が渦中の泥濘をさまよう中、微かに意識の隅をくすぐる、聞き覚えのある声。
<しっかりしなさい>
その声が、闇と同化していたアルの意識を、その中からゆっくりと引き剥がしていく。
アルフォンスという意識の輪郭を徐々にハッキリとさせていく。
「…誰?」
アルの意識が、覚醒へと向かっていく。
ゆっくりと……目を開く。
焦点がぼやけて、ぼんやりとした視界の中の真ん中に、誰かがいる――見覚えのある誰かが。
自分の顔を覗き込んでくる、その姿を完全に結像した。
一房だけ金色に染めた黒髪、黒と蒼のオッドアイ。
極薄の衣を身に纏う少女だ――。
《逝くのはまだ早いよ》
「………?」
《まだまだ君は……》
次の瞬間、彼女の顔にうり二つの少女が真っ黒な自分に変貌した。
黒い表面にはおびただしい数の口や目が乱雑に埋め込まれている。
水面に映った影のような自分が、近づく。
《利用させてもらわなきゃならない》
渇くように脅すように、その声は脳裏を揺るがせ、アルに響いた。
場所も攪乱も関係ない、全周爆破の攻撃が列車を橋ごと吹き飛ばした夜の線路を、いくつもの照明灯が照らす。
軍人達は東と北の合同演習を一時中断し、ブラッドレイの捜索活動を行っていた。
崩壊した線路前に急遽敷設された指揮本部のテントに、グラマンが入ってくる。
「見つかったか?」
「いえ、まだです」
グラマンの問いに、通信機で連絡を取っていた軍人は苦い表情と共に応じる。
「足場が悪くて、捜索が思うように進みません」
指揮本部の要請を受け、資機材の供給を行うと同時に、かき集められるだけの人員をかき集める。
文字通り、国軍の総力を挙げて徹底的にブラッドレイを捜索していた。
「そうか…」
すると、マイルズがやって来た。
「グラマン中将」
「おお。こっちこっち」
グラマンはマイルズを呼び寄せて本部から出る。
マイルズは視線をグラマンから外し、張りつめた雰囲気を醸し出している現場を一瞥して、状況を確認する。
「大総統はまだ行方不明で?」
「下流で部下の死体がひとつ見つかっただけだとさ」
「…これで生きてたら奇跡ですね」
塗りつぶしたかのような暗闇の中、軍人達は掲げる灯りを頼りに捜索を続ける。
眼下にはかなり急勾配に下る地層の斜面が広がり――列車は砕けるさまも無惨に、川へと墜落していた。
「北方軍にも協力してもらって、わしが捜索の指揮を
「中将自らですか?」
マイルズが驚いてそんなことを口走った瞬間、グラマンの表情が変わった。
「
温厚で穏やかな好々爺から一転、冷酷で狡猾な野心家の目つきになった。
突如、口調と雰囲気が変わったグラマンの本性を知っているマイルズは気にする素振りもない。
周囲に会話を聞かれないよう、お互いに小声でひそひそと話す。
「てな訳でわしはまだ
「当初の予定通り、
「しょーがないよ。
どこか残念そうな表情でヒゲを触るグラマン。
残念そうな表情と共に、抜かりなく自身の今後の立ち回りを、冷静に思考してみる。
(現ブラッドレイ政権は特に大きな問題も無く機能している。マスタング大佐とアームストロング少将のどちらも、このまま事を起こせば謀反人扱いされるだろう。よほどうまい事やらなければ上層部も国民も付いて来ん…)
だるま落としのように、独裁者や腐敗した権力者を排除できれば、民主化や世直しにつながる可能性はある。
しかし、突き落とした後のだるまがぐらつくように、社会が揺れ、政情が乱れれば、第二、第三のクーデターや内戦を呼び込みかねない。
そう、グラマンは読み切っている。
(もし、そうなったらその時がわしの出番だ。あいつらに悪役なってもらってから
ブラッドレイ亡き後の政権を握るためには、同じく頂点に立つ二人の存在が邪魔だ。
そして、だからこそ、ブラッドレイ政権の構造を覆すクーデターを若い者に任せて自分は安全圏でこの場に留まる。
(少ないリスクでわしがこの国の実権を握るために、若い者に火中の栗を拾ってもらおうかの……)
脳裏の片隅では、邪魔な二人を表舞台から消すことも考えている。
グラマンはにやりと不敵に笑う。
(……とか考えてるのだろうな。このタヌキは)
一歩引いた、観察眼の鋭さから、すぐ傍にいるマイルズは気づいてしまった。
自身にとっての好機を虎視眈々と伺っている古狸にぞっとする。
(アルフォンス・エルリックもいまだ行方不明だ。さて、どうしたものかな…)
未だアルの姿も見つけられない。
こんな調子でうまく状況は運ぶのか、ひどく不安になるのだった。
ぎしぎし。
ぎしぎし。
彼から聞こえてくる音はいつもとまるで違う。
鎧から見える無数の目と、黒い影。
黒い触手のようなものがうねうねとうごめいている。
「え…アル?」
その普通でない状態にエド達は目を見開いた。
「何?反抗期!?」
「ぐ…」
その時、リンの身体を乗っ取ったグリードが目覚めた。
頭痛に襲われているようで、片手で頭を押さえていた。
「『プライド』だ」
舌打ちしながら、グリードが言葉を続ける。
「クソが…なんでここがわかった」
《なんとしても裏切るのですね、グリード。もはや君は我々にとって邪魔者でしかない》
やはりこの声は人造人間の声。
そこにいた誰もが表情を強張らせた。
「知り合いかよ!」
「あ~~~…一番上の兄ちゃんってところ?」
「……!!」
勘の鋭いエドはそれだけで状況を察知する。
敵にこの場所が知られたのだ。
「
にやり、とアル――を装うプライドが笑う。
「こんにゃろ…アルに変装するとは…」
《変装ではありません》
そう言って、プライドは鎧の頭部を取って内側をこちらに見せた。
その中には見覚えのある血印が。
あれは紛れもなく、アルの魂をこの世界につなぎ止めている証拠。
エドが命懸けでつないだ印だ。
《まぎれもない君の弟の身体です》
刹那、エドの顔色が激変する。
「野郎…!!」
今すぐ、プライドに殴りかかりたい衝動を堪える。
《おや…彼女はいないんですね…残念です。こちら側に戻って"役目"を果たしてもらいたかったのに》
プライドはこの場にキョウコがいないことを残念がると、エド達に向き直って言う。
《グリードはここで始末させてもらいます。鋼の錬金術師は一緒に来てもらいましょうか》
「おい。ゴリさん達は逃げ…うぉい、早いなコラ!!」
エドが示唆する前からダリウスとハインケルは既に逃げ腰。
木の影に隠れていた。
「俺達の野生のカンが『アレと闘うな』と言っている!」
「おまえは大丈夫なのか!?」
「大丈夫だ。あいつら、オレとアルが必要だから殺せない」
(この場にキョウコがいなくてよかった…アルのあんな姿、あいつが見たらここら一帯を氷結地獄にしかねない)
エドは着ていた赤のコートを脱ぎ捨て、持っていた黒のコートを放り投げ、臨戦態勢を取る。
「あちらさんは本気出せないけど、こっちは本気出せるからな。倒させてもらおうか」
《そうです。殺しはしません。手足の二・三本は千切れるかもしれませんがね》
プライドの言葉を最後に、戦闘が始まった。
アルから伸びる影が実体化し、エドとグリードを襲う。
「うおっ」
連続で繰り出される攻撃を次々とかわしていく。
「――っとっと!」
地を蹴ってプライドから距離を取ったエドは血相を変えた。
(スラムの方に逃げる訳にはいかねぇ!)
避けたはいいものの、すぐ後ろはスラムの集落。
この森で仕留めなくては、被害が及んでしまう。
「ここで食い止める!」
一般人を巻き込むわけにはいかない。
エドが防御として錬金術を使い、地面から石壁を出すも、ひびが入り、発破したような音と共に粉々に砕け散って四散した。
影の鋭さには全く歯が立たない。
「こいつにガードなんて効かねぇぞ!!」
素早い身のこなしでその場所から飛び下がったグリードが警告した。
「ぶ!!」
その瞬間、地面を高速で動いていた影がグリードめがけて迫る。
下方から上方へ、懐への強烈な一撃は、グリードの顎を砕き、彼の身体を無理矢理跳躍させた。
傍目には、そう見えた。
間違いなく――。
「…っぶねぇ!!」
だが、持ち前の炭素硬化でなんとか防いだ。
刹那、グリードを狙った影がその手で拘束し、動きを封じてしまい身動きが取れなくなった。
「ぬっ…」
《さて、お友達も捕まえましたが…どうします?スラムの人間も捕まえれば言う事をききますか?》
一部分の影に気をとられていたせいで、グリードの身体は影に縛りつけられてしまった。
締めつける力がかなり強い。
その場から動けなくなり、自由に動けるのはエドだけになってしまった。
「なに?」
「あっちで変な音がしたぞ」
ここからでも聞こえてくる。
スラムの人間がこちらの騒音に疑問を抱き始めている。
ここに来られると真っ先に捕まって人質にされてしまう。
「さすがだな。おまえの嫌がる所を真っ先に突いてくる」
「……………」
無関係の人間を巻き込むことを嫌う彼の性格を理解した上での冷徹な判断。
頼りになるキョウコに相談することも、今はできない。
この暗闇からも、人質を取られたスラム街で、たった一人で戦い抜かなければならないのだ。
その時、彼の表情が追いつめられた顔から一転、好戦的なものへと変わった。
「そう毎度やられっぱなしじゃいられねぇよな!」
両手を合わせると地面に触れて、そこから錬金術の発動を告げる光が迸る。
その瞬間、辺りに電気や炎による光が消え、真っ暗になった。
「キャア!」
方々に散った錬成反応の光はスラムの明かりを奪い、辺りを暗闇にした。
「なんだ?」
「停電だ」
破裂音と共に焚き火が爆発。
同時に、スラムから一斉に明かりが消える。
キョウコとホーエンハイムも異変に気づいた。
視界は闇に包まれている。
そこかしこでざわめきが起こり、やがて集落全体に伝播している。
「……これは」
「この邪悪な気配は……人造人間だ。用心した方がいい」
深き闇、一片の光すら差さぬ夜の世界の中でも冷静さを保ち、気配を探る。
集落の外れに大きな気配を感じる。
爆発的な敵意を伴って。
不意に、キョウコは強烈な悪寒を感じた。
否、これは悪寒ではない。
迫る片割れの気配を、彼女の中の虚飾が感じ取ったのだ。
この、何かを探るような偉大な意志の波動。
間違いなく傲慢の大罪が近づいてきている。
「あなたはここの人達をお願い」
素早く言い置くと、キョウコは頼るべき光のない暗闇の中を歩いていってしまった。
ホーエンハイムの呼ぶ声が聞こえた。
しかし、キョウコの足取りには迷いも逡巡もない。
見渡す限り、暗闇が続くだけ。
――あたしが片足を突っ込んだ世界はまだまだ未知だらけ。
――けれど、あたしにとってはこれからが勝負だ。
例えその先が、漆黒の闇の世界を知らなければいいことなんて生きている上ではいくつもあって、いちいち覚えていられない。
聞かなければよかった、知らなければよかったと思っても、忘れてしまうのだろう。
人間の記憶は、実に曖昧だ。
《あなたが望むのなら、私が力を与えてあげる》
突然、キョウコの頭の中に声が響いた。
女の声。
キョウコの近くには、彼女以外人間はいない。
故に、その声が彼女の中に入り込んだ人造人間から発せられているということは明らかだった。
